日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

子育て!と気張らずに…

2010-10-30 09:00:00 | (瑛)のブログ

誌ブログでも協力をいただいている子育てアンケート。

返事を読みながら、子育てに懸命に取り組みながら、悪戦苦闘する夫婦や家族の姿が浮かび上がってくる。私もその渦中にいる一人だが、仕事を終えて帰宅した後、保育園まで自転車をすっ飛ばし、夕飯と入浴を済ませ、待ち構えるのは洗濯物の山…。その山を枕にバタンキューしそうな日々を送っており、今回の企画で改めて自分の子育てを振り返っている。

 「ごはん作りたくない時は作らなくていいんですよ!」

最近、思い出すのは以前、保育園のママ友が話していた言葉。真顔で言われたのだが、この言葉通り、しんどい時はムリしなくてもいいと思う。いや、ムリをしたらダメなのだ。

疲れが溜まると子どもにあたってしまうし、保育施設に預けている中で、子どもたちとは限られた時間しか過ごせない。部屋が多少散らかっていても、その日にあったことを話したり、美味しいものを食べながら楽しく過ごせた方がいい。少々のことは目をつぶる…。これが一番だと思うようになった。

 
現在の日本で、子育てが母親に偏ってしまうのは、第1に世界的に見ても長~い日本の労働時間、それに縛られている男性と、男性の働き方に縛られる女性の働き方にあると思っている(もちろん、女性がこの状態に甘んじてスキルアップをはからない、という批判も受け止めています)。

もう一つの原因は子育てを支える家族や地域のネットワークが崩壊してしまったこと。

これらの問題は改善に時間がかかることだが、子どもの成長はまったなし! 日々の生活を維持しながら、子どもたちがのびのび育つ環境を作っていくことが、私たち「子育て世代」の役割なんだろうなぁ、と感じている。

 
今回、母親向けのアンケートには「夫婦がともに育児に参加するには、どのようなことが解決されなければならないと思いますか?」という問いがあり、ある女性は「夫婦が仲良しでないとダメ。…互いが利己的になると、不満がたまり、楽しい育児が負担にしか思えなくなるのではないでしょうか?」と答えてくれた。


たまに近所に住む同世代の友人と持ち寄りパーティをするのだが、会話の3分の1程度は互いの夫婦のグチ。けれど、これってとってもいいガス抜きだと思っている。気心の知れた友人に不満を漏らしても、相手の面前なので、ユーモアが交わるし、最後には友人たちが笑い話にしてくれる。また、互いに子育ての悩みも言い合える。さらに子どもたち同士はよく遊ぶし、家の中で安心だし、一石三鳥だ。

 

思うに、「子育て」というものにたくさんの人が関わった方が、その子の人生は確実に豊かになる気がする。子どもたちが豊かな経験を持ちながら育つと、おのずからその社会は豊かになるはず! 皆さんの子育て経験、ぜひお寄せください!

アンケートは月刊イオホームページから:http://www.io-web.net/(瑛)

 


ナントカ力はもううんざり

2010-10-29 10:28:08 | (相)のブログ
 数年前から○×力という言葉がはやっている。
 教育学者である斉藤孝氏の著書のタイトルなどがきっかけで広まったと記憶している。「読書力」に「コメント力」「段取り力」など、巷ではナントカ力のオンパレード。もはや手垢がついて久しい感があるが、それでも書店では今も「○×力」的なタイトルのついた本が数多く積まれている。「空腹力」「体温力」までくると、もはや何を言わんとしているのかすら定かではなく、わけがわからない。「人間力」(ニンゲンヂカラではなく、ニンゲンリョクらしい)って何?
 「○×力」とつければ何となく形になって、わかりやすくインパクトがあるのはわかるが、何でもかんでも「力」をつけるネーミングセンスには正直、「?」だ。

 先日、神保町にある某大型書店に行った。ちょうど、「『メッセージコンテンツ』シリーズ好評発売中!」とあったので、どんな内容かと見てみると、そこには「○×力」のタイトルが。

 はいはい、ナントカ力ナントカ力ナントカ力・・・またですか。お腹いっぱいです。
 「決断力」、これはいい。
 「独創力」、これもまだ理解できる。(独創性の方がしっくりくるのでは?)
 「情熱力」、ん?
 「奮起力」、ん?
 「闘志力」、何これ?
 「再起力」「挑戦力」、ワープロで漢字変換できない・・・
 「踏出力」、もうだめだ。「トウシュツリョク」とルビがふってあった。一歩踏み出す力のことらしい。

 こういう変なナントカ力の押しつけには、それを推進する側に対して、「本当にそんな明確な力が存在すると思っているのか」そして、「では、あなたにはその力が備わっているのか」と問い詰めたい。
 でも、コピーとしては面白いので、私も自分が欲しいと思うナントカ力をいろいろと考えてみた。

 取材力、文章力。
 ああ、これは普通すぎる。(言葉自体がすでにあるし)
 やはり、age30真っ只中の自分には、「恋愛力」「結婚力」だろうか。(相)

「いまの若者は」

2010-10-28 09:52:03 | (K)のブログ

 先日、日本の大学に通う在日本朝鮮留学生同盟に所属する同胞学生たちの前で少し話す機会がありました。
 私が日本の大学から世間一般的には特異な道を進み、現在、同胞たちのための雑誌の編集に携わっているということで、「先輩」という立場から少し話をしたわけです。

 小中高時代や大学時代のことから始まり、なぜ、今の道を選んだのか、総聯の出版・報道活動をする中で感じたこと、学んだことなどを、何ら誇張もなしに(しかし、良い部分だけを選んで)、話しました。

 大学を出て、あれこれ30年になりますが、当時は同胞社会も今より活気があり、総聯の出版・報道分野で働く人たちも現在の何倍も多くいました。私はとくに出版・報道の道を強く希望したわけではなく、どちらかというと消去法で選んだのですが、それでも受け入れてくれたのは、それだけ受け皿が大きかったからだと思います。
 現在は、朝鮮大学校の卒業生でも、希望してもこの道に進めないという場合があるので、私がいま卒業生なら、絶対に他の職業についていたことでしょう。
 また、当時は日本社会も成長を続けていた時代だったけれど、現在はそうではありません。

 振り返ってみると、「良い時代」に記者・編集者として活動することができたと思います。逆に言うと、いま、例えば朝鮮新報社で働いている若い記者たちは、難しいなかで仕事をしていると言えます。月刊イオ編集部も、私以外はみんな20代、30代ですが、いろんな意味で困難な状況のなかでも頑張っている、その姿をいつも感心して見ています。
 「いまの若者は」と、歳をとった者は決まって、苦言を言いますが、われわれの世代よりも、その下の世代のほうが、民族教育をはじめ同胞社会を守り発展させるために、確実に汗を流しています。


 話を聞いてくれた留学同の学生たちは、卒業を控えた4年生が多かったようです。「同胞社会のためになることをやりたい」と思っても、なかなか思い通りに今後の人生を設計できるかどうか、わかりません。恵まれた時代から活動してきた私の話が、どれだけ参考になったのかと、ちょっと心配でしたが、みなさん、熱心に聞いてくれていました。

 その日の集まりは、私にとっても貴重な体験となりましたが、話が終わった後の質疑応答で、一人の女子学生が「なぜ、イオでは留学同のことを載せてくれないのですか」とツッコまれたのには、まいりました。(k)

  ※   ※   ※
 以下、告知です。

 月刊イオでは、2010年12月号で、「同胞社会における男性(父親)の子育て」をテーマに特集を組むことになりました。そこで、「男性の子育て」についての実情や意識について、子ども(10歳くらいまで)を持つ同胞のみなさんにアンケートをお願いしています。アンケートは、父親用、母親用の2種類があります。
 ぜひ、同胞男性の「封建的な意識」が、どれだけ改善されたのかを知るためにも、アンケートにご協力お願いいたします。
 アンケート用紙は下のアドレスから入り記入することができます。
http://www.io-web.net/anq_appakoso/

 もうひとつ。
 劇団アランダムセの公演「夢の国さがして」(脚本:金元培、演出:金正浩)が今日から行われます。私はたぶん、明日観にいきます。皆さんもぜひ。

 28日(木)19:30
 29日(金)19:30
 30日(土)14:00、19:00
 31日(日)14:00

 場所は新宿のタイニイアリス(新宿区新宿2-13-6 B1)。
 前売2500円、当日2800円、学生2000円


朝鮮高校無償化に向けての「声」

2010-10-27 10:19:22 | (愛)のブログ


朝鮮高校が無償化適応から外されて早半年、教育の権利として当然のことを訴えているだけなのに、こんなに待たされるとは。
そんな中、先週水道橋で朝鮮高校無償化の協力を求めるビラ配りをした。
近くにJRAがあるため、馬券を求めるおじさんたちの波にもまれながらもビラを配ると、
それでも手にとって気に留めてくれる人がかなりいた。

近くでJRAの整理警備をしていたおじさんも「これは何だい?」と、仕事中にも関わらず、同僚に怒られながらも受け取ってくれた。
街ゆく人の中には「もう朝鮮高校も無償化されたんじゃないの?」と驚き顔で聞き返してくれる人もいた。
この問題について、関心をもってくれる人たちが少なからずいることを実感した。

そんな折り、父から1枚のコピーがファックスで届いた。
見ると、地元の新聞の社説のコピーであった。
見出しは「朝鮮学校 無償化は理にかなう」。
この社説を見て思ったのは、やはり多くの新聞の社説や世論は朝鮮高校の無償化に概ね賛成ということ。

地元の信農毎日新聞の朝刊(2010.10.26付)社説では、
「中略~子どもの学ぶ権利は、独立して保証されるべきもの。外交問題とごっちゃにするのは間違いだ。」とし、
「多様な文化を認め合い、共に生きる社会を築くことがいっそう重要になる。
異なる母国を持つ子どもが民族的アイデンティティーをはぐくめる環境を尊重する。大人たちの責務である。」と説いている。
そして、「各地の朝鮮学校は、地域に開く努力をさらに重ねてもらいたい。~住民の側も関心を持ち、足を運ぶ機会を持ちたい。」と締めくくっていた。

こういった社説が少なからずあるという事実に、とても救われた気持ちになった。
1日も早く無償化が実施されるよう、政府はこういった「声」たちを聞き逃してほしくはないと思う。(愛)

 

 


バザーの日

2010-10-26 09:00:00 | (瑛)のブログ
10月24日。この日、地域住民を対象にしたチャリティーバザーを催したハッキョ(朝鮮学校)は多かったのではないだろうか。地元でもバザーがあって行ってきたのだが、今年は前日に新聞に折り込みチラシを入れたこともあってか、新しい顔ぶれが多い気がした。

「皆さん、100円を握りしめて走ってきてください!」とマッコリの特売をアナウンスするや、その言葉通りにおばさんたちがダッシュする姿や、炭火で焼肉を食べながらほろ酔い気分の人々、初級部(小学校)の子どもたちが地元のちびっ子たちが遊べるコーナーを切り盛り姿…。地域の人たちが名物の「牛スジ」に舌鼓をうちながら朝鮮学校に集う光景には心が和んだ。

地域住民に学校を開放する試みは各地で開催されているが、バザー、という形をとったのは東京都杉並区にある東京朝鮮第9初級学校がハシリだった気がする。20代の頃に同校に取材に訪れた際、開催時間を前に長蛇の列をなす住民の姿を見た時は正直ビックリした。日本の人たちが校門の前に並びながら「開店待ち」をする光景は、それが「お買い得品購入」のためのものであったとしても、私がハッキョに通っていた頃には見られなかったものだったから。

同時に驚いたのは、ハッキョにいる多くのアボジたちの存在だった。
1970年代生まれの私たちは、団塊ジュニアと呼ばれる世代で、生徒数こそ多かったものの、学校行事に足を運ぶのはオモニが圧倒的に多かった。
ハッキョではさまざまな催しが行われるが、どの朝鮮学校でも、バザーなど比較的大きな行事は保護者や地域の同胞が総動員となって準備を進めている。最寄り駅や学校周辺にチラシを貼りまくり、目玉商品を集めるために知恵を絞る。商品を求めに車を飛ばして焼物の産地に赴くアボジ、夜を徹してケーキを焼いたり、キムパプを巻き続けるオモニたち…。  

学校の運営を少しでも助けようとオモニ、アボジは本当に頑張っている。近頃は子どもに親の背中を見せにくくなったという声も聞かれるが、朝鮮学校の子どもたちは親が自分たちのために、ヘロヘロになりながらビールを売ったり、物品販売をする姿を真横で見ている。遊びに夢中になって、その姿を見ていない子ももちろんいるけれど、こういう手作り感がウリハッキョのよさで、さらに同じ街に住んでいても「朝鮮学校ってここにあったのね」とその存在を知る人が増えることは、互いにとって本当にいいことだと思う。
皆さん、ぜひ朝鮮学校のバザーに足を運んでみてくださいね。(瑛)

「日本最南端のウリハッキョ」

2010-10-25 08:58:03 | (里)のブログ
アンニョンハシムニカ。
出張に来て三日目を迎えています。
広島、福岡、そして今日は下関で取材があります。
こっちは東京より少しあたたかいです。

昨日は福岡朝鮮初級学校創立50周年記念祝典に行ってきました。
和白の駅からほど近い山(丘?)のうえに、古いけれど立派な校舎が建っていました。
運動場も広大で、遠くの山まで見渡せる景色は圧巻でした。

残念なことに朝から雨が激しく降っていたのですが、
そんなことは関係なく次々と同胞たちが学校に集まってきました。
会場となった学校体育館では、以前の取材でお世話になった
九州の同胞たちもたくさんいました。

祝典は記念式典、記念公演、宴会の3部構成でした。
公演には在校生、教職員、保護者、卒業生らなどが一緒に出演し、
宴会では長年同校を支えてきた歴代校長や
3世代が同校に通った家族、名物「運転手ハルモニ」、
あとは親子で同校の寄宿舎生だったという熊本県出身の同胞などが舞台をかざり、
大いに盛り上がりました。

ここで私は恥ずかしながら、
福岡ハッキョに寄宿舎があったことを改めて知りました。
多分、大分のトンポが福岡ハッキョに通った云々…といった話は聞いたことがあったんですが、
すっかり忘れていたのです。
(佐賀のトンポが「昔は新幹線で福岡ハッキョに行ったもんだ」って言ってたので、その印象が強かったんでしょうか)
「日本最南端のウリハッキョ」。
九州各県からここ福岡ハッキョに希望を託し、
子どもを通わせた同胞たちがたくさんいたんです。

行事も終わりに近づいた頃、
実行委員の一人のアボジが、
「10年後には、自分が実行委員長を受け持ちたいと思う。
それまで、トンポたちみなの力で児童の数をもっと増やして、ハッキョを輝かせよう」
とあいさつ。
50年の歴史を祝いながら、来たる60周年という未来を展望する。
こういう「つながり」が感じられる、福岡ハッキョのあたたかさに、
たくさん力をもらいました。
※写真アップできないでごめんなさい(里)

パカパカ携帯かスマートフォンか

2010-10-23 09:00:00 | (麗)のブログ
最近、携帯会社が挙って発表している「スマートフォン」。
とても魅力的で、ものすごく興味もそそる。
友達がiphoneを駆使している姿を見ると、何故だちょっとかっこよく見えしまう。
けれど、そっちに乗り替える勇気はない。


いまの携帯電話を使って2年目に突入。
もうすっかり使い込んでいるせいか、携帯の外装が剥げてきたり、一部が破損している。
「パカパカ携帯」の画面部分が、見事にパックリちぎれている状態で、
それでもまだ使えるからと3カ月くらいこの部分を
セロハンテープでとめてなんとかやってきたのに、どうやらすでに満身創痍だったようで。


「どうしてこうなった」
本当にこう言いたい。
携帯の命を繋ぎとめてくれていたセロハンテープが切れた時、画面が真っ黒に変化した。
ほんの一瞬頭をよぎったのは、この際噂のスマートフォンに乗り替えようかという思いだったが、ここはぐっと堪えることに。
これまた2年くらい使い込んでいるストラップのボーダー猿もそう言っているような気がする。


でもやっぱり、スマートフォンいいな~と思ってしまうが、
多分持ったら持ったで「スマートフォンを手に入れた」ことに満足してすぐ飽きそうだ。



まだパカパカでいいなとか修理を出したあとなのに考えた。(麗)

「私のように黒い夜」

2010-10-22 10:40:10 | (相)のブログ
 
 最近の自分の生活を振り返ってみると、ブログに書けるようなネタがありません。(汗)
 ネタ切れの時は、本の紹介!

 ということで、今回私が紹介するのは「私のように黒い夜」(ジョン・ハワード・グリフィン著)という本です。この本、内容がかなり衝撃的です。なぜかって、自分自身で黒人差別の実態を体験するために、自分の全身を黒く焼き塗って米国南部に潜入した白人ジャーナリストによる手記だからです。

 1959年のある日、黒人に姿を変えた著者は、当時もっとも過酷な人種差別が行われていた米国南部の街を旅します。その後、半年ほどの旅の間に記した著者の日記が雑誌やテレビなどのメディアで取り上げられ、米国中が騒然とする中、「私のように黒い夜」(原題=「Black Like Me」)は出版されました。日本では1960年代半ばに初版が刊行された後、長らく絶版になっていましたが、2006年に復刻版がブルース・インターアクションズから出版されました。

 日本版の帯には、「想像したことありますか?もし私の肌がブラックだったら...」というコピーが添えられています。

 「白人が黒人になったら、どんな風に自分を変えなければいけないのだろうか? 皮膚の色という、自分でどうすることもできないもののために差別を受けるというのはどんな気持ちだろう?」本の中で明らかになる著者の問題意識は、シンプルでありながら核心を突いています。「進ぬ!電波少年」なんか問題にならないほどの、まさに命がけの「潜入取材レポート」。

本には、黒人になった著者が受けたさまざまな差別のエピソードが記されています。「バスでは必ず後ろの席に座る」「公共トイレやレストラン、その他の場所でも黒人は白人と同席できない」「白人と目を合わせることはもちろん、壁に貼られた白人女性のポスターを見てはならない」といった、よく知られる差別が実際に元白人である著者に向かって投げかけられる現実。著者は自らのアイデンティティの喪失におびえながらも、差別を受ける側の日常をリアルに描きます。わずか50年ほど前の話です。

 著者の経歴もドラマチックです。人種差別が常識だった米国南部に生まれ、10代でフランスに留学、滞在中にナチス侵攻、亡命、母国に戻った直後に第2次大戦開戦、参戦、失明・・・。本書出版後、KKKなどの人種差別主義者に襲撃され、半殺しの目にあいながらも、差別撤廃運動に関わっていきます。

 本書の出版と時を同じくして、60年代から急速に公民権運動が活発化し、大きな進展がなされたのは周知の事実です。しかし、米国の黒人差別は果たして終わったのでしょうか。原著の復刻版(04年)に寄せた序文の中で、批評家のスタッズ・ターケルは「黒人対白人という問題はいまだに米国の抱える、拭っても拭いきれない強迫観念」だとのべています。

 では、私たちが住む日本では?

 本書は米国の黒人差別を扱った内容でありながら、広く差別の問題、排除の問題にまで射程を延ばす問いかけを含んでいます。「高校無償化」問題など、われわれ在日朝鮮人を取り巻く人権状況がいまだ改善していない現状を深く掘り下げるうえでも、さまざまな示唆を与えてくれる本だと思います。

 学生時代、図書館で借りて読んで衝撃を受けた記憶があります。その後、復刻版が出版されたのを機に買いました。その後も何度か読み返しています。興味のある人は、ぜひ一読を!(相)

子育てアンケート募集中

2010-10-21 09:10:30 | (K)のブログ



 ここ何日も、右肩の痛みに悩まされている。肩こりというのをこれまで体験したことがないので、これが肩こりなのかとも思っているが、よくわからない。この右肩の痛み、よくよく考えてみると、息子を肩車したときから始まっている。


 自分が子どもの頃を振り返ってみると、父親と遊んでもらったという記憶がない。キャッチボールをしたとか、トランプをしたとか…。そして、家事も一切していなかった。だからといって、父が朝から晩まで、子どもの相手や家事をする暇もないくらい働いていたかというと、まったくそういうこともない。
 私が末っ子だったから、そういう印象があるだけで、姉(初めての子ども)が幼い頃とかは、ちゃんと子育てに参加していたのだろうか。亡くなる前にきいておけばよかった。

 まさか、自分が人の親になるとは思っていなかったが、現実にいま、自分が親になってみると、子育ては大変な作業だということがわかる。大変だから、それを母親だけが担うということはまったくおかしいことで、「父親の子育て参加」という問題が提起されること自体が間違っていると言える。
 それに、実際にやってみると、子育て、けっこう面白い。


 しかし、一般論として、昔の同胞家庭は多少の差はあれ、父親は家のことには無関心だったと思う。それは、昔の日本人家庭も同じかもしれない。
 でも、いつまでもそんなデタラメな状況が続くわけもなく、同胞社会でもだんだんと男性の意識が変わり、子育てを当然のこととして取り組む同胞男性も増えてきている、と思う。

 そう、あくまでも「増えてきているのではないか」という感覚なので、月刊イオ編集部では、いまの同胞社会における男性(父親)の子育ての意識と実態を調査しようと思い立ったのであった。

  ※   ※   ※
 月刊イオでは、2010年12月号で、「同胞社会における男性(父親)の子育て」をテーマに特集を組むことになりました。そこで、「男性の子育て」についての実情や意識について、子ども(10歳くらいまで)を持つ同胞のみなさんにアンケートをお願いしています。アンケートは、父親用、母親用の2種類があります。

 ぜひ、同胞男性の「封建的な意識」が、どれだけ改善されたのかを知るためにも、アンケートにご協力お願いいたします。
 アンケート用紙は下のアドレスから入り記入することができます。(k)
http://www.io-web.net/anq_appakoso/


通勤電車の楽しみ方

2010-10-20 09:39:57 | (愛)のブログ

いつも、通勤電車は後部車両に乗るのだが、ある日、先頭車両に乗る機会があった。
人の波に流されて、たどり着いたのは運転席の真後ろの位置。
ふと視線を前にあげると、どこまでもスーッと伸びていく線路だけが見える。

それはあまりにも爽快な景色だった。

気づけば、横の人なんておかまいなしに鞄からカメラをだして、相当な枚数を撮っていた。


思えば通勤電車からの風景あんなふうに真ん前から、眺めたことはなかった。

いつも通勤で通る道程はこんなんだったんだ~とか、鉄橋がこんなにきれいに見えるんだ~とか、何年間も毎日乗っていたのに、全然知らなかった。

視点が変わるだけでこんなに楽しく乗れるのだとも。

たまには、通勤電車をこんな風に楽しむにもいいものです。(愛)


一枚の就学案内

2010-10-19 09:00:00 | (瑛)のブログ


数日前、居を構える東京都○○区の教育委員会から送られてきた就学案内を読み、寒々しい気持ちに包まれた。
「○○区には、区立小学校が59校、区立中学校が28校あります。外国籍の方は日本の学校に就学する義務はありませんが、入学を希望する場合は、お子さんの外国人登録証明書を持参のうえ、就学の申請をしてください」
案内には、6歳になる長男の就学指定学校が記されていて、「10月末まで区の教育委員会の事務局に行き、手続きをしてください、健康診断を11月に行います」とある。


日本の学校教育は小学校からの9年間が義務教育となっているが、日本政府の立場は、「外国籍の子どもに就学義務はない」というもので、日本の学校に通わせることを保護者が望んだ場合、無償で受け入れるとしている。これは、あくまでも「望んだ場合」であって、権利ではなく、アクセスできる教育も日本の学校だけ、という狭いものだ。行政によっては、外国籍の保護者に就学案内を送る際、日本学校以外にも外国人学校のリストを載せる所もあるが、私の住む○○区の場合はそのような配慮もなかった。


日本政府は、外国籍の子どもたちの教育については、公立学校か外国人学校という希望に応じた選択肢が与えられているといい、国連の場でも現行の制度は「差別ではない」と言い切るが、外国人学校に通う選択は自由な選択になっていないことが、この案内を見てよくわかった。

192ヵ国と世界で一番多くの国が批准している国連の「子どもの権利条約」には、「初等教育を義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとする」(
28a)とあり、教育を受ける権利は国民だけではなく、「すべての者」に与えるべきだとしている。また、1992年に国連で決議されたマイノリティの権利宣言には、「国家は…マイノリティに属する者が自らの母(国)語を学び、母(国)語で教育を受ける十分な機会を得られるよう、適切な措置をとる」(第4条3項)とある。

日本国憲法はどうか。憲法26条は「すべて国民は…その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。2、すべて国民は、…その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育をこれを無償とする」とあり、教育基本法4条1項は、「国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う」と規定する。教育を受ける権利主体は「日本国民」に限ったものとされているのだ。


つまり、日本国憲法が規定する「国民」と国連の人権関連諸条約が要請する「すべての者」の間には乖離がある。世界は国民だけではなく、「すべての子ども」に「教育を受ける権利」を保障しなさい、子どもがアクセスできる教育の権利は日本の義務教育だけではなく、母語を学べる普通教育の場も含まれる、と言っている。

 
日本の公立学校に行きたければ申請しなさい、望まなければ勝手にしなさい―。就学案内の一字一句はひどく無責任な気がした。外国籍の子どもの教育を権利として認めない日本の教育制度。これを忠実に実行する行政。無償化問題にも通じる根の深い問題だ。(瑛)


月刊イオ11月号が完成しました

2010-10-18 16:41:26 | (K)のブログ
 昔、日本でも、「社会の木鐸」とか「第4の権力」という言葉がありました。

「社会の木鐸」というのは、世の中に何か問題が起これば警告を鳴らして社会を正しい方向に導くという意味で、新聞の代名詞に使われた言葉です。「第4の権力」も、権力の暴走を監視する役割をもった「権力」ということで、マスコミに対して言われた言葉です。

 しかしいま、日本のマスコミは、社会に対し警告を鳴らさないし、その影響力を権力の監視にも使っていません。何か、ダラダラと伝えているだけです。

 私は朝鮮人なので、日本のマスコミの朝鮮問題に関する報道を見ていると、そのデタラメさがよくわかります。なので、日本のマスコミが流す、パレスチナ問題や米国のことなどの日本以外の国や地域の報道、また日本国内の報道でも、「朝鮮問題と同じように、いい加減なのでは」と思ってしまいます。

 あくまでも感覚ですが、一般の日本の人たちも、日本のマスコミ報道に対し、いまはあまり信頼を置いていないという感じがしています。昔に比べ、信頼が落ちているのは確かでしょう。


 今日、出来上がった月刊イオの11月号は、特集で日本のマスコミの朝鮮報道について取り上げています。特集タイトルは「朝鮮報道を見極める」。
 この他にも、見事、ボクシングの世界チャンピオンを獲得した李冽理選手の世界挑戦戦の記事、高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する集会とデモの記事など、盛りだくさんな内容になっています。

 ご愛読ください。(k)

新書・『「戦地」に生きる人々』

2010-10-18 09:10:21 | (里)のブログ
最近、『「戦地」に生きる人々』という本を読みました。
フォトジャーナリストとビデオジャーナリストで作られた集団―
「日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)」による
取材報告集です。


チベット、ビルマ(ミャンマー)、マーシャル諸島、ハイチ、チェチェン、レバノン、パレスチナ・ガザと
それぞれ違う国や地域を取材した7つのルポ。

中国の少数民族抹殺政策の下で、
独特な宗教も文化も消されようとしているチベットの人たち、

原水爆実験で汚染された島で、
実験台のように扱われたマーシャル諸島の人たち、

毎日のように砲撃や爆撃にさらされているレバノンの人たち・・・


「少数者」が当たり前のように迫害される絶望的な現実の中、
「故郷に戻るためなら飢えてもいい」と話す人々の「たたかう」生きざまから
読んでいるこちらは「人間の尊厳」についてすごく考えさせられたし、
命の危険を顧みずに潜伏取材を重ねるジャーナリストの方たちの気概も感じました。


「真実とは一度知ってしまったら、決して知る前には戻れない―」(まえがき・堤未果さん)


読み終えて、この言葉の意味を
いち読者として、人間として考えています。
機会があれば、是非一度みなさんも読んでみてください。(里)

赤面症疑惑浮上

2010-10-16 10:01:52 | (麗)のブログ

今週、イオ11月号の締め切りが終わりました。
ただいま月刊イオでは来年度に向けて企画案を構築中で、連載案もだいぶ固まってきました。会議中は議論が飛び交うなか、言葉の荒波に揉まれながら奮闘している訳ですが



最近特集を担当していたのもあり、どこかに行くとか、イオブログで公表できるほどなにかを楽しんだよ! といような事は一切していないせいか、なにかネタないかなと思っていたら、余計なことを気にするようになりました。



実は、多くの人の前で何かを発言するということに慣れていないせいか、すぐ顔が紅潮して声が震えます。

明らかにいま赤くなっているだろう自分の顔を想像するだけでも笑いたくなります。

私は気づきました。

自分は「赤面症」なのではないだろうか。

そこでちょっとだけ調べてみました。



【赤面症】

~対人恐怖症に現れる代表的な症状の一つに赤面症というものがある。
赤面恐怖症とも呼ばれる。
根本的に対人関係を苦手としているのが前提。



……対人恐怖症? 

そうだったのか……? 

しかしそこまで酷くはない……はず。




果たして赤面症克服なるか!?

これにうち勝ったとき、初めて自分で自分をほめたいと思います。(麗)


青商会サッカー@静岡

2010-10-15 10:28:46 | (相)のブログ
 
 連休の10、11日にかけて、青商会が主催するKYC-CUP OVER30中央サッカー大会を取材しに静岡に行ってきました。
 サッカーを通じて青商会会員たちの交流を図り、青商会活動を活性化させることを目的に2003年から始まったKYCカップ。今回が8回目の開催です。地元静岡をはじめ、東京、千葉、埼玉、愛知、岡山など日本各地から30歳以上の選手で構成された9チームが参加しました。 
 もはや青商会の秋の恒例行事として定着した同大会。昨年に比べて参加チームが2つ減りましたが、前回に負けず劣らない熱戦が繰り広げられました。
 
 

 優勝はKYC埼玉4.6。意外にも、大会初優勝です。昨年は決勝で敗れましたが、今年は見事リベンジを果たしました。
 2日目の決勝トーナメントが埼玉幼稚園の運動会と重なり、主力が半分以上抜けるという逆境をものともしない戦いぶりでした。
 今大会にかける埼玉の意気込みは半端じゃなかったです。開会式終了後、チーム全体で写真を撮る機会が初日目しかないということで、監督に頼まれて集合写真を撮ることになりました。そのとき監督が一言、「この写真が優勝チームの記念写真になるから、ちゃんと撮ってよ」。その後、本当に優勝してしまったので、まさに「有言実行」。後日、話を聞くと、「優勝以外の結果は考えていなかった」とキッパリ。さすがです。
 埼玉に限らず、愛知、伊丹、岡山といった上位進出チームは実力者を数多くそろえていて、決勝トーナメントは実力伯仲の好試合が続き、同大会のレベルの高さを実感しました。  
 わが地元千葉はというと、2勝を挙げて過去最高の6位に入りました! 9チーム中6位はビミョーですか? でも、ここ数年最下位が定位置だったチームが初日のグループリーグで久しぶりの1勝を挙げるなど、がんばりが目立ちました。今年、若くて実力もある部員を多く獲得したので、来年以降が楽しみです。 

 
 
 一方、サッカーの試合以外にも、青商会のイベントならではの光景が。地元の静岡や近隣の愛知は家族連れ参加の選手が多く、試合会場のみならず、初日夜の食事交流会の席もにぎやかでした。全体での交流会終了後も、それぞれの部屋で酒を片手にサッカーと青商会活動について熱く語り合う参加者たちの姿が印象的でした。
 そして翌日。試合中グラウンドの隅で「オエーッ」とえずく選手たち。まあ、前日夜の飲みっぷりがアレだったので・・・
 また、少なくない選手たちが足をひきずってました。寄る年並みには勝てませんね。20分ハーフとはいえ、ガチンコの対決で、当たりもかなりハードなので、当然といえば当然ですが。
 ともかく、サッカーを通じて人と人、地域と地域のつながりが広げることができるのは青商会の活動の強みであり魅力だと感じた2日間でした。(相)