日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

U-20女子ワールドカップ、今日準々決勝

2012-08-31 09:47:50 | (相)のブログ
 サッカーのU-20(20歳以下)女子ワールドカップが日本国内の各都市で開催中だ。
 8月19日から始まった同大会は、予選リーグを経て30日から決勝トーナメントに突入した。
 朝鮮民主主義人民共和国はグループCを3戦全勝、1位の成績で突破しベスト8進出。本日19時半から埼玉県の浦和駒場スタジアムで強豪米国と準々決勝をたたかう。
 朝鮮の女子サッカー代表チームがFIFA主催の世代別世界選手権で優勝したのは06年のU-20ロシア大会と08年のU-17 ニュージーランド大会の2回。
 今回の代表チームは直前に行われたロンドン五輪代表チームのメンバーが主体になっている。シン・ウィグン監督は五輪代表チームの監督を務めた人物。ユース世代の代表チームを長く指導した経験があり、優勝した06年のU-20ロシア大会でも代表チームを率いた。
 朝鮮のユース代表チームは以前からさまざまな国際大会で好成績を残しているので、今回も期待が集まっている。
 ロンドン五輪に出場した朝鮮代表は1勝2敗で残念ながらグループリーグで敗退してしまった。五輪代表チームは日本で行われるU-20ワールドカップに向けて一足先に帰国したのだが、帰国の様子はひっそりとしたものだった。ちょうどそのころ私は平壌に滞在していたのだが、空港で帰国した代表チームを偶然見かけた人によると、雰囲気はかなり沈んでいたという。
 今回のU-20代表チームは五輪での雪辱を晴らすため、かなり気合が入っているはずだ。

 一時の強さは影を潜めたとはいえ、いまだ強豪として知られる朝鮮の女子サッカー代表チーム。強さの秘密の一端は、1980年代から国内で女子サッカーの普及が始まって以来、国家的な関心の下で築いてきた育成システムにある。各小中学校にある女子サッカー部から優秀な人材が選抜され、平壌や地方にある青少年体育学校で練習し、そこで頭角をあらわした人材が各強豪体育団に引き抜かれる。また、学校のスポーツ部活動とは別に、2011年からはすべての小・中学校に「サッカー専門クラス」が設けられた。同年8月にはサッカークラスの第1回全国大会が開かれた。この大会で好成績を収めたチームの選手やめざましい活躍を見せた選手たちは青少年体育学校や体育団などへの推薦ももらうことができるという。朝鮮国内では女子サッカーは男子サッカーに劣らず注目度が高い人気スポーツだ。強豪チームによるリーグ戦も年間を通じて盛り上がりを見せている。エリート教育といえば確かにそうなのだが、それも裾野の広さがあればこそだろう。

 ここ数年で世界の女子サッカー界の勢力地図は少なからず変化した。アジアでも日本が近年急速に力をつけ、前回のワールドカップで優勝、今年のロンドン五輪でも準優勝した。
 朝鮮代表チームも近年、世代交替が進められ、五輪代表チームも顔ぶれが一新された。今大会に出場しているユース代表チームにもぜひがんばってもらいたい。あと3回勝てば優勝だ。(相)
コメント

「朝鮮人強制連行の記録」

2012-08-30 09:00:00 | (瑛)のブログ
 私は今、一冊の本に圧倒されている。
 朴慶植氏が1965年に著した「朝鮮人強制連行の記録」(未来社)に。

 47年前に出されたこの本は、朝鮮人強制連行問題を朝鮮民衆の視点から網羅的に整理したもので、朝鮮人強制連行のバイブルとも言えるものだ。
 
 「現在、朝鮮の南からも北からも、解放以前、日本に連行された同胞の家庭や親戚の安否をたずねる手紙がひっきりなしにきているが、そのなかには行方不明のものが多い。それもその筈で、日本の各地の炭坑や、土木工事場あたりをまわってみると、至るところに朝鮮人の遺骨が放置されており、また南方その他の戦線に動員されて死亡していたものが多いからである。しかしこれらの犠牲者の問題は時のたつとともに忘れられ、消されようとしている…」

 朴氏は膨大な日本政府、企業の資料を洗い出し、日本各地を歩きながら集めた証言と資料を通じて、強制連行の全貌を解明している。この本を読むと、朝鮮人強制連行がどのように日本国内で立案され、進められていったのか。朝鮮、日本国内で600万人を越えた強制連行犠牲者がどのように集められたのか。そして、日本帝国主義、軍国主義の目的遂行のため、皇国臣民化の教育を強いられ、労働現場で奴隷のように酷使され、果ては命を落とした犠牲者の叫び声が聞こえてくるようだ。まさに、現代版奴隷制度が手にとるように浮かび上がってくる。加害者、被害者双方の証言、政府の一級資料に基づいた資料による叙述は説得力に富んでいる。

 600万人―――。現在明らかになっている朝鮮人強制連行者数は真相調査が進めばもっと増えるだろう。
 先日も野田首相が日本軍従軍慰安婦(性奴隷)問題について「強制連行の事実は確認できなかった」と発言したが、強制連行の事実は日本政府が徹底して隠してきた。戦後、日本政府がこの国家的犯罪を隠すために意図的に資料を焼却したからだ。朴氏をはじめ各地の朝鮮人強制連行真相調査団の努力によってこの問題は国連にも届き、日本政府が真相究明、謝罪、補償など、犠牲者の名誉回復を果たす義務があるとの指摘もなされたが、先人の努力がなければ「朝鮮人強制連行問題」は、それこそ朴氏が述べたように消され、闇に葬られていた。

 強制連行された多くの人々が教育を受けられず、その苦悩が長い間、活字にならなかったことをみても、植民地支配の根深さを痛感する。上記の本には日立鉱山、常盤炭鉱、九州炭坑、宇部炭坑などで強制労働を強いられた被害者の証言もまとめられている。

 今回の特集でも2人の証言を載せるが、隠された資料とともに、被害者や遺族の証言をひとつでも多く探し当てる課題は今も残っている。今後、朝鮮半島での強制連行調査が進み、日本の研究成果と共有されれば、朝鮮人強制連行の実態はより立体的に浮かび上がってくるだろう。

 政治家の暴言は今後も続くだろう。強制連行の事実を解明してきた先達の強い意志と残された膨大な資料を前に、強制連行の今日的課題が何かを考えている。(瑛)
コメント

筑豊再訪

2012-08-29 09:00:00 | (K)のブログ
昨日、イオの10号の取材で福岡の筑豊地方を周りました。ご存知の通り、筑豊は日本有数の炭鉱地域だったところで、日本の敗戦前、多くの朝鮮人が働いていました。九州の炭鉱だけで、34万人の朝鮮人が働いていたと記録に残されています。

日本が朝鮮を植民地支配するなかで、強制的に連れてこられたり、故郷で生活できなくなったり、良い仕事があるとだまされたりして、朝鮮人が筑豊の炭鉱で働かされました。

私が筑豊を訪ねたのはこれが2度目です。二十数年前に、強制連行された一世の安さんの証言を聞くために訪れました。しかし、今回訪れると、安さんは数年前に亡くなっていました。証言できる一世はほとんど残っていないとのことでした。

今回は筑豊の田川、飯塚、桂川などを訪ね、主に地元で長年、朝鮮人の強制連行の真相を調査してきた日本の方にお話をうかがいました。

いま日本では首相経験者や現職の政治家たちが強制連行や日本軍「慰安婦」なんかなかったと公然と言っています。そして、それらの発言に対し、日本国内からは大きな批判が起こらないし、マスコミもせいぜい客観的に伝えるだけです。

今回会った日本の方たちは言っていました。「私らは実際に、強制連行された本人たちと一緒に活動し話を聞いてきた。それを否定することは考えられないし、許せない」。

否定する政治家たちは、強制連行された本人、日本軍「慰安婦」制度の犠牲者の前で「強制連行なんかなかった」「従軍慰安婦は強制でなかった」と言えるのなら言えばいい(今のアホな政治家たちは本当に言いそうで恐いけれど)。

何度も書いていますが、日本は、無理やり連れてこられ牛馬のように働かされた人たちがすべて死にいなくなるのをじっと待っているだけです。しかし、それは絶対に許されることではありません。(K)




コメント (1)

〈U-20女子W杯〉朝鮮8強へ!

2012-08-28 09:00:00 | (麗)のブログ
昨日8月27日に、U-20女子W杯グループCの第3戦、朝鮮対カナダ戦が浦和駒場スタジアムで行われ、朝鮮が2対1で勝利しました!
これで朝鮮はグループ1位通過、8強入りを果たしました。

この日、会社のメンバーとスタジアムへ向かい、赤いTシャツに着替え戦闘モードでいざ観客席へ。
私自身としては朝鮮チームのプレーを生で見るのは2回目です。
当日はたくさんの在日同胞が応援に駆けつけ、あっというまにバックスタンドを真っ赤に染めました。
国歌斉唱には大国旗が掲げられ、気合い十分!

私と(愛)さんは最前列に座っていたので、一緒に国旗を掲げました。
大国旗を持ったのは高校生の運動会以来です。懐かしい。

さて、肝心の試合は序盤こそカナダに先制されるものの、ほぼボールは朝鮮チームが支配していました。
みなが「必勝朝鮮!」とコールを大声であげる中でも、ピッチで叫ぶ選手たちの声ははっきりと聞こえてきました。
素人目から見ても、朝鮮選手のフィジカルとメンタルの強さには圧倒されます。
ハラハラドキドキしつつも、前半33分にはFWのキム・ウンファ選手(11番)がゴールを決め同点。
さらに、後半33分には相手のファールを誘い、FWのユン・ヒョンヒ選手(10番)がPKを決め、見事逆転!!
もう、この時点でバックスタンドの熱気はすごかったです。持っていたスティックバルーンを叩きまくって大喜び。

余談ですが、私の後ろに座っていた朝鮮学校の男子生徒たちは、人気(であろう)選手がボールを運ぶたびに、その選手の名前をひたすら叫び続けていたのが面白くて、これは「黄色い声援」ならぬ「野太い声援」だな、と勝手に思ってました(笑)

試合後、選手たちは応援団へと駆け寄り、満面の笑みで手を振りながらピッチを後にしました。

スタジアムを出たあと、大勢の人で溢れかえっていたバス停で帰りのバスを待ちながら談笑していると、何気なく見た先になんと、近くに朝鮮選手団を乗せたバスが!
これは行かなければと駆け足でバスに近づき選手たちを激写!

ピッチではあんなに逞しく、勇ましかった選手たちでしたが、試合後はどこにでもいる10代、20代女性の可愛らしい笑顔。

しみじみ思うのが、この日はスマホのカメラが本当に役立ったということ。スマホにして良かった…!(撮るのに必死だったので、暗い上にブレブレですが)
久しぶりに見るスポーツは本当に興奮しっぱなしで面白かったです!


この日の試合結果の速報は朝鮮新報のHPでご覧いただけます。http://chosonsinbo.com/jp/
朝鮮は31日、アメリカとの準々決勝に臨みます。(麗)
コメント (4)

朝鮮と日本の関係

2012-08-27 09:00:00 | (愛)のブログ
残暑が厳しい日々が続く。
行きたい展示会や映画などがたくさんあるのだが、
あまりの暑さに出不精になっている今日この頃。

なので必然的に涼しい部屋でテレビを見ることになるのだが、
昨日は24時間テレビがやっていた。
その24時間テレビでマラソンをした健介&北斗ファミリーだが、
二人の出会いはなんと平壌でだという話を最近同僚から聞いた。
アントニオ猪木氏が平壌で主催した
「平和のための平壌国際スポーツ・文化祭典」に参加した健介と北斗が平壌で仲良くなったそうだ。

先日、アントニオ猪木さんの取材に
私もカメラマンとして同行できた(…かっこよかったです)。
その取材の内容はイオ9月号の特別企画で紹介されている。
「平和のための平壌国際スポーツ・文化祭典」の時の話もでてくる。
「この祭典を機に、日本と朝鮮半島をつなぐことが自分の宿命に思えてきた。…」とアントニオ猪木氏は語っている。
「日本は、深い眠りから目を覚ませ」というタイトルで2ページで紹介されているので、
詳しくは紙面を読んでいただきたい。

朝鮮と日本の関係、
2002年からのこの10年間は本当に最悪の10年だったと自分は思うのだが、
そんな中でも朝鮮と深い関係を作ってきた3人の日本の方々が提言をしている。
http://www.io-web.net/2012/09/10yaearchouniti/
この間の朝鮮、そして近年の朝鮮に赴き自分の目で見てきた3人の方々。
思えば、日本のテレビに出てくるコメンテーターや自称専門家たちは、
自分の目で見ることもなく信憑性の薄い情報を盲目的に信じ出鱈目なことばっか口走っている。
それを悪質な偏見と言わず何と言おうか。
そんなことばかり発信する日本のメディアがいることで、
ますます朝鮮に対するイメージが悪化していくのに本当辟易している。
偏見を取り去ってから一回自分の目で見て、モノを言ってくれとその度思うのだ。

今回取材に同行して、そして3人の方々の活動などの文章を読んで、
自分の目で見て語る言葉から深い感銘を受けた。
ぜひ色んな方々に読んでほしいと思う。

さて、今日は楽しみなイベントがひとつ。
現在開催されている女子U-20W杯の朝鮮戦が埼玉で開催される。私も応援に行く予定。
なんと先日のアルゼンチン戦では9-0の記録的な素晴らしい結果!
若き朝鮮選手たちのより素晴らしい活躍を願い
赤いTシャツを持って、応援に精を出したいと思う。(愛)
コメント

ただいま北海道で活動中

2012-08-25 09:00:00 | (淑)のブログ

 今年の夏の休暇は、大学の同級生の結婚式に参加するため、同級生らと旅行がてら北海道へ。
 日本各地から集まった同級生らと前夜祭から大いに盛り上がり、時間を忘れ、肝心の結婚式はみんなして寝不足。ですが、笑いあり涙ありのとても良い結婚式でした。
 旅行中は、奮発して贅沢なウニイクラ丼や海鮮丼を食べたり、お酒の締めに札幌ラーメンもしっかりちゃっかりいただいたりと、食い倒れ飲んだくれ(笑)。普段は中々会えない同級生らと心ゆくままともに過し、大切なトンムたち(友達)とのまた新しい思い出ができた楽しい夏になりました。 

 そして私は現在、引き続き北海道に滞在しています。
 8月24日から26日にかけて、芦別で行われる朝鮮人強制労働犠牲者の遺骨発掘作業と、その他いくつかの取材にあたるためです。
 戦時中、西芦別町大曲地区には、旧三井芦別炭鉱で使役する朝鮮人労働者を収容する協和寮8棟が建設され、1棟に200人もの朝鮮人が生活していたとされています。発掘作業は、「朝鮮人労働者の遺体が芦別川河川敷に埋められた」という元鉱山会社職員の証言に基づいて、その遺骨を市民団体が中心となって掘り起こします。発掘作業には、北海道朝鮮初中高級学校の生徒らや朝鮮大学校の学生たち、韓国からの大学生など、100名ほどが参加すると聞いています。
 これを書いているのは23日木曜日の午後。参加者は今夜、札幌別院に集まり、明日芦別に向かいます。
 史実を具体的に示す貴重な証拠物が新たに発見される可能性のある今回の発掘作業、気を引き締めて取材に臨みたいと思います。
 
 話は変わり、この間、北海道朝鮮初中高級学校の生徒らを中心に、高校無償化適用のための署名活動が行われました。
 22日は晩夏の北海道にしては厳しい暑さの残る日で、炎天下、高級部の生徒らと教員、同校オモニ会メンバーらは、10時から12時の2時間、大通公園付近で署名活動を行いました。
 朝鮮学校の生徒たちは夏休み最後のこの日、ゼッケンを着てプラカードを掲げ、「朝鮮学校です!」「朝鮮学校への高校無償化適用にご協力ください」と声を上げました。
 高校3年生の女子生徒は、同世代の日本人の高校生に声をかけ、無償化制度から除外されている朝鮮学校の現状について説明していました。彼女は「これまで何度もこういった活動を行なってきたけど、私たちの存在も、朝鮮学校の存在も知らない人ばかり」と、日本社会の無関心に苛立ちを感じていたようでした。そしてやはりこの日も生徒たちは、「北か南か?」「拉致被害者を帰せ」などと、心ない言葉をぶつけられていました。
 オモニ会のある方は、一向に前進しない現状に肩を落としながらも、「東京や大阪のような大きな集会やデモ行進はできなくても、署名やビラ配りなどの小さな一つひとつが、きっと影響していくと信じてやるしかない」と言っていました。
 日本の端っこの北海道でも、こうして力を尽くしている生徒たちや教員、同胞たちがいる。この出会いに私自身が勇気づけられ、また、問題解決を目指してイオがこの問題をより広範に発信していくために、絶えず知恵を絞らなければと、再度自覚させられました。
 
 (淑)
コメント

強制連行真相調査団結成40周年記念集会に参加して

2012-08-24 09:30:56 | (相)のブログ
 8月11日に約3ヵ月間の朝鮮民主主義人民共和国駐在勤務を終えて、日本に戻ってきました。今後ともよろしくお願いします。

 さて、「イオ」の次号の特集は「朝鮮人強制連行真相調査団の40年」(仮)です。1972年8月15日に日本弁護士連合会有志と総聯関係者によって結成された朝鮮人強制連行真相調査団は72年の沖縄を皮切りに、北海道、九州、東北、広島・長崎と調査活動を繰り広げたほか、被害者の名簿収集・公開、国連での告発など、さまざまな活動を繰り広げてきました。そんな調査団の40年にわたる活動を振り返る内容になる予定です。

 さる18日、東京都内で同調査団結成40周年記念集会が行われたので、足を運びました。
 会場で配布された資料を読んで、1970年代に朝鮮新報に日本軍「慰安婦」被害者の証言が氏名と顔写真つきで掲載されていたことを初めて知りました。1977年4月23日付の、沖縄在住のペ・ポンギさん(当時62歳、1991年に死去)の被害証言を指しています。

 

 同資料によると、これは現在確認できる、メディアに載った日本軍「慰安婦」被害当事者の最も早い時期の証言だということです。
 同調査団は結成後初となる調査活動を沖縄で行いましたが、そのときの内容をまとめたものがこの「第二次大戦時沖縄朝鮮人強制連行虐殺真相調査団報告書」。発行は1972年10月30日となっています。結成40周年に際して再発行されたので、その場で購入しました(頒価300円)。

 

 同報告書の冒頭には、調査団結成の目的について次のように記されています。「沖縄の日本復帰を契機として、かつて沖縄戦に強制連行された朝鮮人に対する虐待、虐殺の実態と真相を調査することにより、在日朝鮮人の基本的人権を擁護すると共に、日朝両国人民をはじめとするアジア諸国民の友好関係の一層の増進をはかるため結成された」。

 特集の取材のため、現在、「イオ」編集部の記者たちが北は北海道から南は九州まで、日本各地の現場を訪ねています。私も来週から長野へ行く予定です。(相)
コメント (1)

パラリンピック

2012-08-23 09:00:00 | (瑛)のブログ

オリンピックに沸いたロンドンで、29日から開催されるパラリンピックに、朝鮮民主主義人民共和国がパラリンピック史上初めて参加する。このニュースを、「やっとこういう時代が来たのか」という静かな感動とともに受け止めた。

そして数日後、イオ編集部の(相)さんが朝鮮から発信した、朝鮮卓球界の女王・リ・プンフィ選手が、朝鮮障がい者体育協会で書記長を務めている、という報せにも、障がい者を取り巻く世界の変化を感じとることができた。

リ選手といえば、1991年に千葉で開催された第41回世界卓球選手権大会で「コリア」卓球チームとして女子団体戦を戦い、韓国の玄静和選手とともに「コリア」を優勝に導いたスター選手。社会的にも知名度の高い有名人が障がい者のために先頭に立つ―。彼女が働き続けることが、どの社会にも根深く残る障がい者への偏見、生きがたさを少しでも減らすことにつながると感じる。

(相)さんの記事http://chosonsinbo.com/jp/2012/08/0801mh-03/には、リ選手がこの道を選んだ出発点に、小児麻痺を患う息子の存在があったことが明かされている。16歳になる息子さんは、生後6ヵ月のときに高熱で20日間も意識がはっきりせず、命は取り留めたものの、脳性麻痺の後遺症が残った。息子を育てる過程で「障がい」に自然と目が向いたというリさん、「障がい者は自分の障がいに悩み、恥じ、自暴自虐になりうるが、協会ができたことで、彼らが希望を持って人生を歩めるよう手助けができると考えている。スポーツを通じ、能力と適正に応じて生きていくという自信も生まれる」―。

リさんのこの言葉に、02年5月に心身にハンディキャップを持つ家族たちの集まり「ムジゲ会」の皆さんと朝鮮を訪れたことを思い出した。この訪問は、障がいを持つコリアンの皆さんの、「子どもたちに一度祖国を見せたい」という願いを実現しようと、在日同胞福祉連絡会が企画したものだった。

平壌ホテルで朝鮮の障がい者や、「朝鮮不具者支援協会」の職員と交流したときのこと。

朝鮮に帰国した兄に会うため、初めて訪朝した全盲の梁進成さんは、朝鮮で目の不自由な人がどのように学び、交通機関を利用しているのかを聞いていた。率直な意見が飛び交うなか、次女が聴覚障がいを持つSさんが、障がい者を「不具者」と呼ぶことについて、「障がい者に対して否定的な意識を生むのではないか。障がいは不自由だが、決して不幸せなことではない」と問題提起したのだ。一瞬、その場には緊張が走ったが、医師で人口学の研究者でもある支援協会の洪淳元副会長は、朝鮮の現状を包み隠さず率直に話してくれた。

 「朝鮮の障がい者施策は世界レベルに比べるとまだまだ低い。交通や公共施設にアクセスできるシステムも完備されていない」

 「制度、技術面で立ち遅れている障がい者教育や各種施設のバリアフリーを、関係機関の協力を得て一つひとつ解決していきたい」

 「数年以内に障がい者支援法を制定し、障がい者の生活を豊かにしていきたい」

 「『不具者』という呼び名については差別的な側面があると認識している。協会設立時に議論もした。保護法制定の際に、偏見をなくす的確な表現に変えたい」

洪さんのこの言葉に、交流の意義をかみ締めていたムジゲ会の皆さんの姿が今も脳裏に焼きついている。

あれから10年。この間、朝鮮では2005年7月に朝鮮不具者支援協会の名称が朝鮮障がい者保護連盟に変わり、障がい者保護法も制定されたそうだ。今年に入ってからは、障がい者の職業訓練所が開設されたという報道もあった。

そして、朝鮮卓球界のエースだったリ書記長は、2010年から障がい者と健常者がともに参加する卓球大会を開催している。

朝鮮障がい者体育協会によると、今回のパラリンピックには、20人規模の選手団を送る予定で、水泳、卓球、陸上などの種目に参加する。

朝鮮は国際パラリンピック委員会の168番目の加盟国。「好成績を残すことより、開幕式の会場に朝鮮国旗がはためくこと自体が成果」と語るリ書記長。

その旗が心身にハンディキャップを持つ人たちの新しい希望に続いていくのなら、どんなにすばらしいことか。 

10年前の貴重な交流を目にした者として、障がい者をサポートするリさんの存在があまりに頼もしく、誇らしかった(瑛、写真はムジゲ会の皆さんと平壌近郊で撮った一枚)。

コメント (1)

五輪凱旋パレード、何のために行ったのか?

2012-08-22 09:00:00 | (K)のブログ

 20日の月曜日、東京・銀座でロンドン五輪日本代表のメダリストたちによる凱旋パレードが行われた。日本オリンピック委員会(JOC)が実施したそうだ。五輪の凱旋パレードというのは、私の記憶ではこれまでない。ロンドン五輪で史上最多の38個のメダルを獲得したということだが、そのうち金メダルは7個。金16個で合計37個のメダルを取ったアテネ五輪の時は凱旋パレードをやらなかったのだから、それなりの理由があるのであろう。報道では「東京が招致を目指す2020年夏季五輪に向け、機運を盛り上げる意図もある」などと書いてあった。
  今回のロンドン五輪では、差別発言によりギリシャとスイスの選手が自国のオリンピック委員会により追放処分となった。これまで何度も差別発言を繰り返してきた石原都知事に東京五輪を招致する資格がないということは、多くの人たちが指摘している。もし、今回の凱旋パレードの目的の一つが東京五輪招致のためなら、破廉恥だと言わなければなるまい。

  韓国と中国、ロシアの間での「領土問題」、日本軍「慰安婦」問題、オスプレイの強行配備、原発再稼動への反対の声など、諸々の問題が広がっている中で、何のための凱旋パレードなのか。何にフタをかぶせ、何のために「国威発揚」をねらうのか。

 最近、米日韓の軍事同盟が急速に強化されている。日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)
や自衛隊・韓国軍間の物品や役務の相互提供協定(ACSA)締結の動き。6月21日には済州島沖で日本の海上自衛隊と米韓両国の海軍による本格的な合同軍事訓練が行われ、五輪に浮かれている間にもハワイ周辺で米日韓の合同軍事演習が実施されたという。8月15日に公表された「米日同盟 アジアにおける安定の根拠」(第三アーミテージ報告)には、米日韓三国の戦略的関係の重要性が繰り返し言及されている。

 今回の凱旋パレードが行われた沿道には徹夜組も含め約50万人(主催者発表)が詰めかけたという。実際に50万人がいたかどうかはわからないが、写真を見る限り、ものすごい人数が集まったのは確かだ。日の丸のイメージした白と赤のおそろいの服を着た選手たち。選手たちの乗る車にも、沿道の観客の中にも日の丸が見えた。
 熱狂して選手たちに声援を送る群衆の姿は、昔のニュース映像で見た記憶がある、大陸へと向かう軍隊を熱狂的に送る群集の姿と重なった。凱旋パレード自体はどこの国でもやっているものだが、今回のパレードを見て、在日朝鮮人のひとりとして気持ちが落ち着かないというか、怖さを感じた。

 

  話は変わり、面白そうなブックレットの情報が目に留まったので、紹介したいと思います。

  1冊目は、『「尖閣諸島・竹島問題」とは何か―近代日本の歴史が膿み出した「領土問題」―』高井弘之著/A5版、41ページ/1冊400円(5冊以上注文の場合1冊300円)  掲載されている内容の中には「排他的・挙国一致的ナショナリズムの無化・克服に向けて―「尖閣」「竹島」「北方領土」そして「北朝鮮をめぐる問題」とは何か―」という項目もあり、なかなか充実したブックレットのようです。購読方法や目次など詳しい内容は次のサイトに紹介されています。 http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/33294969db6261c13c37852d8d2217c1

 2冊目は、『徹底検証! ニコン「従軍慰安婦」写真展中止事件』(仮題)新藤 健一責任編集/A5版、約60ページ/予価600円/発売・産学社  http://sangakusha.jp

  このブログでも何度か伝えた写真家・安世鴻さんの新宿ニコンサロンでの写真 展がニコン側の一方的な通告で中止されそうになった事件に関するものです。近日発売とこのとです。
 安世鴻さんの写真展「中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち」 がまた東京で開かれます。ニコンサロンで展示されなかった写真も新たに展示さ れるようです。
日時:8月28(火)~9月9日(日)12:00~20:00
会場:ギャラリー古藤(東京都練馬区栄町9-16 西武池袋線江古田駅南口徒歩5分 )

http://juju-project.net/

  開催期間、会場ではトークイベントもたくさん行われます。こちらもどうぞ。 (k)

コメント (1)

イオ9月号発行&連休

2012-08-21 09:00:00 | (愛)のブログ
イオ9月号が8月20日に発行されました!
今回の特集は以前のブログでもお知らせしたとおり、「祭祀料理で集まろう」というタイトルで祭祀の料理をメインに紹介しています。
そして、特別企画は「朝・日の10年、現状打開のために」というタイトルです。
アントニオ猪木さんはじめ、朝鮮と関係の深い3人の日本の方に
朝・日の関係の現状打開のための提言を語ってもらい、
2002年の平壌宣言以降の10年を振り返る企画になっています。


さて、私も連休期間に実家に帰り、8月15日に祭祀をしてきました。
今年は鶏の丸焼きは頼まず、
ケンタッキーフライドチキンを買ってこようか~と母が言っていたものの、
買いに行くのをすっかり忘れて、
あわてて深夜営業のスーパーで鶏肉を買って準備するというハプニングはあったものの、
いつもと同じ料理がずらっと並び、祭祀を執り行ったあと、
皆で美味しく祭祀料理を頂きました。

今年の連休は姉夫婦も家族で帰省したりと、子どもも大人も大勢いたので、
料理はあっという間になくなりました。
私もなんだかんだと実家でずっと過ごしていましたが、
あまりの子どもたちの元気さに、落ち着いて休みを過ごすということもできず。
日々成長めざましい甥っ子姪っ子たちがかわいくて
つい見てしまっては、やはり疲れて…の繰り返しでした。

それでも、地元で有名なお蕎麦屋さんに行って
美味しいそばを食べたり、
近所の風情ある町のお祭りをちょっとのぞいたり、
地元の魅力を再発見しました。

姉夫婦たちが帰った後は、母が子どもたちのお守りで疲れただろうからと
近場の温泉にも連れて行ってくれました。

車で20分程の距離ですが、周りは田んぼや畑、そして山も近く、
風も気持ちがよくて、東京とのあまりの空気の清らかさの違いに
とても癒されて帰ってきました。
温泉に入ったあとは、次の日も肌がすべすべに!!
そして、家庭のおいしい料理をたらふく頂き、東京に戻ってきました。
子どもたちのお守りはちょっぴり疲れたけれど、
やっぱり、実家はいいな~と思った連休でした。(愛)


コメント

今日から仕事開始!

2012-08-20 09:00:00 | (麗)のブログ
みなさん、お盆休みはどうお過ごしになられましたか?
楽しかった休みもあっという間に終わり、今日から通常通り出勤、日刊イオも始動です。

休み明けは「どこに行った? なにをした?」という話題で盛り上がりますが、
私はお盆休み中、休みの大半を家で過ごし、あまりにも出掛けない・友達にも会わないことを親から心配され、
ガラケーからスマホに変え、両親と兵庫県猪名川町(写真)まで日帰り温泉に行ったくらいです。

ここでサラッとスマホに変えたと書きましたが、そうです。やっとスマホに乗り換えたのです。
色々悩んだ結果、家のパソコンがリンゴマーク社のものなので携帯もそこの製品に。
気がつけば私の周りはリンゴマーク製品だらけ…。
スマホとはなんとまぁ便利なものですね。特に写真の綺麗さには感動。

↑今までやらなかった「食べる前に一枚撮る」という行為もやってみました。

高校時代から最近までガラケーを使っていた自分としては、トグル入力(というらしい)でいままでやってきたので、
スマホの「フリック入力」にはかなりイライラしましたが、人間慣れるもんでなんとか文字は打てています。
乗り換えた後は必死で操作方法などをこの身に叩き込むことに時間を費やすという日々。出掛けないのはそのせいでもあります。(笑)

…こんな休暇もたまにはいいなと思いながら、私なりに充実した夏休みを過ごせました。

今日からまた、イオの制作に向け、バリバリ働きたいと思います!(麗)
コメント (1)

8月15日と水曜デモ

2012-08-15 09:00:00 | (K)のブログ
 今日8月15日は、朝鮮が日本の植民地支配から解放された日です。逆に言えば、日本帝国が滅亡した日。朝鮮の北と南では解放記念日として祝います。

 ご存知のとおり、日本は1868年の「明治維新」から、欧米の帝国主義諸国の後に続き、朝鮮への侵略を開始しました。1910年、完全に朝鮮を植民地支配したあと、アジア諸国への侵略を拡大していきます。
 その残虐で無謀な国策が破綻したのが1945年8月15日です。

 しかし、日本では「敗戦の日」ではなく、「終戦記念日」としています。この原稿を書いている14日から、「終戦記念日」に関することをテレビのニュースでも流しはじめています。今日もいろいろなイベントが行われ、テレビ、新聞などでも取り上げるでしょうが、戦争の悲惨さを伝えたり、どれだけ大変だったのかといった回想をしたりというのがほとんどでしょう。毎年、そうです。日本が敗戦するまでにアジア諸国に対して行ったことについて、振り返り反省する内容の行事や報道はほとんどないことと思われます。
 そして、今の日本は「維新」の文字がふたたび飛び交っています。

 日本は過去の清算も、朝鮮民主主義人民共和国とは行っていません。月刊イオの9月号では、特別企画として朝・日平壌宣言10周年に際して特別企画を組んでいますが、この10年、国交正常化を約束した平壌宣言を結んだにもかかわらず、朝鮮との関係を断絶してきました。
 報道では今月末にも4年ぶりに朝・日の政府協議が行われるとのことですが、どのような交渉がなされるのでしょうか?

 日本は過去に、強制連行や日本軍「慰安婦」制度の犠牲者に対して個人レベルでの補償も行っていません。なぜ、日本軍「慰安婦」制度の犠牲者のハルモニたちが、今も毎週水曜日にソウルの日本大使館前で抗議行動をやらなければならないのでしょうか。

 今日の8月15日は水曜日です。
 今日も日本軍「慰安婦」制度被害者のハルモニたちは水曜デモを行います。東京でも以下のアクションが行われます。関東にいる方々はぜひ参加してください。(k)


第1035回韓国水曜デモに連帯する世界同時アクションin 東京 8・15 終わらない戦争 「慰安婦」被害者に謝罪と賠償を!

とき:2012年8月15日(水) 開場:14:00

第1部:14:20~映画上映会@日比谷図書文化館
第2部:17:30~ちょうちんデモ@日比谷公園→銀座方面

●第1部:映画上映会とおはなし
とき:2012年8月15日(水)
場所:日比谷図書文化館
14:00 開場
14:20 主催者趣旨説明
14:30 ドキュメンタリー上映
「終わらない戦争」(監督 金東元)60分
http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/63years_on/
15:30 休憩
15:40 「慰安婦」問題の今 
梁澄子(「慰安婦」問題解決全国行動2010共同代表)
16:10 国内外からの様々なアピール
16:50 閉会
参加費:無料

●第2部:ちょうちんデモ
17:30に日比谷公園の霞門付近にお集まりください。
コメント (1)

イオでの仕事を振り返る

2012-08-13 09:00:00 | (里)のブログ
イオで働いてきてから4年以上の月日が経ちました。
いま思えば、雑誌記者として企画の考案、取材のアポ取り、取材、原稿執筆、外部の筆者への原稿執筆の依頼、編集などなど、仕事のノウハウを一から覚えていくので必死でした。
もちろん、「ここまで出来ればOK」という境目などはなく、今後も引き続き自分のスキル(知識や識見も含め)をのばしていかなければ発展は見込めない、とつくづく感じています。

一番最初の取材は先輩記者がわざわざついてきてくれました。
しかし、いざ取材相手と会った後に先輩は「じゃあ、話は2人でどうぞ」と言ってしばしどこかに行ってしまい、途端に焦って話を始めたのを覚えてます。

一眼のカメラを扱ったのも、編集部に入ってからが初めてでした。
重たいし、細かい操作がとにかくややこしくて難しい…!(と、当時は心の中で嘆いていました)
もちろん初めから上手く撮れるわけもなく、撮った写真を編集部に持ち帰っては、がっかりされることばかりだったです。
でも、いろいろと上司や先輩に教わり、自分でも創意工夫していくうちに、次第に写真を撮ることがものすごく楽しくなっていきました。
イオに入らなかったら出会うことのできなかったものの一つが、このカメラだったと思います。

これまで、出張でいろいろな場所を訪れてきました。日本の47都道府県中、22ヵ所に足を運びました。
(これで、プライベートでも行ったことのない県は、北海道、富山、和歌山、鳥取、島根、長崎、宮崎、熊本の1道7県となりました。ここまで来たらいつか制覇したい^^!)
生まれも育ちも東京の私にとって、地方のトンポ社会のありようは大変興味深く、また今後私たち都会のトンポ社会も直面するであろうシビアな問題(トンポ人口の減少と共につながりをどう維持していくか、民族教育をどう存続させていくかの問題など…)を前に奮闘する姿からは、学ぶべきものがたくさんありました。
「地方のトンポ社会もイオでもっと取り上げてよ!」と叱咤激励されることも多々ありました。

出張先での「失敗」も、何度もありました。
2年目の頃、関西の某駅で待ち合わせしたのですが、私が「JR」と「近鉄」を聞き間違えて、同じ駅名でも路線を間違えてしまったことがありました。
約束の時間になっても私が現れないため先方から電話がかかってきてミスが判明。
「登校する朝鮮学校児童」の写真を撮る、というのが目的だったため「目的の駅まで行くのに時間がない!」という事態になってしまいました。
そこで先方が、チャリを飛ばして私のいる駅までやってきて、私はそのチャリの後ろにまたがって目的地まで行く、という羽目に。笑
初対面なのに、朝から「二ケツ」させてもらい、ものすごく恥ずかしい思いをした経験がありました。^^;(笑える失敗はこの辺まで)
出張、といえば、今年2月から朝鮮に行ったのも、自分にとって意義深い経験となりました。
イオで朝鮮を伝えるためにはどういう手法をとるべきか、編集部みなで考え、また私が現地に行ってからも試行錯誤が続きました。
今後、もっともっと良い形で朝鮮を身近に感じられるような企画が出たら良いなと思います。

ぶつかる壁も多かったですが、自分が携わった仕事が読者からの小さな反響をよんだ時など、やりがいを感じられた時も1度や2度ではありません。
仕事で得られたもの、また仕事が出会わせてくれた人、物事は何にも代えがたい財産となり、仕事へのエネルギーとなったと感じています。
また何といっても、事実を事実として伝えるだけではなく、あの手この手を使ってその「方法」を考えなければいけないんだということを、上司や先輩たちから学ぶことができました。
まだその「真似」さえも出来ていないかもしれませんが、今後も自分自身の仕事への課題として向き合っていきたいと思います。

この仕事に入って早5年目。一定のことは経験させてもらったものの、まだまだ「ひよっ子」でしかないし、しかしある一面ではやはりそれなりの仕事を求められる部分もあると思います。
甘えは禁物、これまで以上に自分の仕事に責任をもって臨んでいかなければと、気持ちを引き締めています。
イオでの仕事が授けてくれた大切なことを肝に銘じ、これからも精進していかなければ、そう思っています。(里)
コメント (1)

8月15日を目前に

2012-08-12 09:00:00 | (愛)のブログ
今週やっと9月号工程を無事終え、来週からは待ちに待った夏休みです!!
せっかくの休み、あれもこれもしようと思うけれど、
結局は家でのんびり過ごすと思います。
のんびり過ごす休日が基本好きです。

さて、夏休み中には8月15日を迎えます。
8月15日は日本では終戦記念日ですが、
朝鮮では、長年の苦しい日本の植民地支配から解放された祖国解放記念日です。
朝鮮民族にとっては最も喜ばしい日といっても過言ではないと思います。

私が幼い頃は8月15日前後になると祖国解放記念イベントがあって、
地元の県の同胞たちが集まり、祖国解放記念日を祝っていました。
私のハルべはじめ、1世の方たちも大勢来て老若男女が集まり、
ともに乾杯をし、歌いオッケチュムを踊りながら、
楽しく過ごした記憶があります。
1世たちは国を取り戻した喜びを全身で表していたと記憶しています。

いまでは1世も本当に少なくなり、そういった大きなイベントもしなくなりましたが、
8月15日になると自身の心の中だけでも<<マンセー>>(万歳!)と言いたくなります。
きっと1世たちとともに祝った祖国解放記念日の記憶が体に残っているからだと思います。

祖父が遺してくれた自叙伝には
その日のことを、人生で感じたことのないほどの喜びの日だったと語っています。
その部分を読むとき、「本当に国がないというのは、みじめなことなんだよ」、と
生前ぽつりと言っていた祖父の顔や言葉を今でも思い出します。
私が成長する過程で、1世だったハルべがそばにいて、常に色んな話を聞いてきました。
植民地時代食べるものもなく、履いていた靴もいつの間にか底がとれていたこと、
身ひとつで家族の生きるすべを求めて日本にきたこと、
幼かったので年齢をごまかして働きにでたこと、
学校をやめざるを得なかったこと、それでも勉強したいと思い、
日本で働きながら夜学にどうにか通って勉強したこと、
朝鮮が解放されてからは、自分も故郷にすぐに帰りたかったけれど、
先に飯場にいた同胞たちが無事に祖国に帰ることができるよう手段を講じたことなど。。。

本当にたくさんのことを、実体験として生きた言葉で聞きました。
だからこそ、8月15日というのは大切で特別な日で、
喜ばしい日なんだというのを心底思います。

4、5世と世代を重なるごとに、1世と話をする機会も少なくなります。
その度に1世と接してきた者として、
ちゃんと世代をつなげて伝えていかなくてはいけない責任が大きいと感じます。
そんなことを色々と考え、噛みしめながら、8月15日を迎えたいと思います。(愛)





コメント

渡嘉敷島を巡って ~沖縄取材記⑧

2012-08-11 09:00:00 | (淑)のブログ
 取材記第7回は、朝鮮人と縁の深い渡嘉敷島の各所をめぐったことを。

 沖縄戦における「集団自決」の生存者の方にお話を伺いに、那覇市の泊港からフェリーに乗って渡嘉敷島へ向かった。
 渡嘉敷島は那覇市から西へおよそ30㎞、慶良間諸島の東端に位置し、透明な海と世界屈指のサンゴ礁、数々の熱帯魚に彩られ、ダイビングスポットとしても有名な、景観美しい島。

 一方で、沖縄戦で米軍の上陸地、激戦地であり、「集団自決」によって300人以上の犠牲者を生んだ歴史を持つ。
 渡嘉敷村を案内してくれたのは、吉川嘉勝さん(72)。「集団自決」の生存者であり、この村の歴史ガイドを務めている。

 
(写真上:「集団自決」場跡の碑/下:戦時中、住民が避難するために掘られた民間壕の跡が村の至るところに残る)
 
 軍隊のみならず、多くの民間人を巻き込んだ沖縄戦。朝鮮半島から強制連行された約1万人の朝鮮人が犠牲になったといわれている。
 ここ渡嘉敷島にも210人の朝鮮人軍夫と7人の日本軍「慰安婦」がいたとされている。
 
 
 上の写真は特攻艇秘匿壕跡地。旧日本軍の「海上特攻艇」を格納するために作られた秘匿壕。碑文にも書いてあるが、壕の掘削は、過酷な労働条件のもと主に朝鮮人軍夫があたったと伝えられている。
 
 渡嘉敷島南方の山中腹にある、日本軍「慰安婦」を追悼して建てられた「アリラン慰霊のモニュメント」。
 
 字渡嘉敷河口近くの慰安所跡地。赤瓦の家(強制接収された吉川さんの叔父の家)を「慰安所」としたという。現在は民家が建っている。

 「朝鮮の女性たちを何度か見たことがあります。彼女たちの肌の白さに、子どもながら『素敵だな』と思いました。慰安所の前には当時川が流れていて、そこで女性たちは日本軍が使用したサックを洗っていました。それを風船だと思ってふくらませて遊んで、母に怒られたことがあります。異国の地に強制連行された朝鮮人の両親や家族たちは、どんな思いで息子や娘の帰りを待っていたのだろうと思うと・・・
 
 戦時中、朝鮮人「慰安婦」を見たという吉川さんの述懐だ。
 
 沖縄の戦場へ送り込まれた朝鮮人は、半数が亡くなったといわれているが、正確な数、実態はまだまだ明らかになっていないことが多い。
 朝鮮人として沖縄の問題を考えるとき、戦後、朝鮮戦争をはじめアジア諸国への米国の侵略戦争に組み込まれていく歴史を捉えるとともに、沖縄戦における、不可視化された朝鮮人の歴史を発見し、明確に伝えていくことも、見過ごしてはいけない。(淑)
 
 
 
 
コメント