日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

ラララオモニ会

2013-11-30 09:00:00 | (淑)のブログ
 ある企画の取材で滋賀のトンポたちに会ってきました。滞在した2日間は、滋賀朝鮮初級学校と総聯大津支部を拠点に、一日中トンポたちとともに過ごしました。
 2010年の学校創立50周年を機に、ここ近年滋賀では30、40代を中心としたハッキョとトンポ社会を盛り上げる実践が活発です。昨年10年ぶりに行われた金剛山歌劇団公演は、規模は縮小したものの今年も満員御礼、盛況だったそうです。

 滋賀県は大阪、京都のベッドタウンとして、交通の利便性などから首都圏以外では稀な人口増加県。とはいえその人口は大阪、京都にアクセスしやすい南部に集中しており、例に漏れずトンポたちも過半数が大津に集住しています。そのため大津を中心に、滋賀県全体を巻き込んだ地域再生が課題にもなっているようでした。

 滞在中にトンポたちから最も多く聞いたのはおそらく「人が少ないから~」という枕詞でした。ですがそれは決してネガティブなだけの意識ではなく、現状を真摯に見つめた上で自分たちにできることを懸命に模索しているように感じられました。

 オモニ会の活動一つとっても、小さいトンポ社会ならではの、知恵とアイデアが満載でした。
 「オモニ給食」はどのウリハッキョでもメジャーですが、滋賀ハッキョには「オモニ給食」のほかに、「アッパ給食」「ハンメ給食」「卒業生オモニ給食」があります。少ないオモニたちだけでは児童らにたくさんの給食を食べさせてあげられないことから生まれたアイデアです。



 これは「チョゴリノート」。とってもかわいくないですか? オモニたちが手作りして学校や地域の行事などで販売し、学校の財政に充てています。オモニ会会長は自宅で50冊も内職したそうです。
 オモニ会とは別に「チャララクラブ」という学齢前の子を持つオモニたちの親睦を深める会がありますが、ここでも一翼を担っているのはオモニ会です。約20年の歴史を持つチャララクラブでは月に1回の集まりのほかにも、青商会とコラボレーションした家族参加型イベントなど、若い世代に楽しんでもらうための取り組みも盛んです。また、県の社会福利協議会が運営する「子ども未来基金」から助成金を得るなど、財政面でも知恵が光ります。
 ほかにも「オモニ文庫」やオモニたちのための学習会など、挙げればきりがありません。
 少数精鋭でこれだけのことをやろうとしたら、一人ひとりが多くの負担を担わなければならないのは当然。そんな滋賀オモニ会の今期のスローガンは、<웃음 가득 희망 가득 라라라 어머니회>。ハッキョや子どもたちのために、大変なことも「ラララ」と笑う強さに、滋賀を支える女性たちのたくましさを感じました。(淑)

イルム裁判控訴審

2013-11-29 09:00:00 | (相)のブログ
 在日朝鮮人2世の金稔万さん(53、兵庫県尼崎市)が、働いていた建設現場で「通名」(日本名)の使用を強いられ、精神的苦痛を受けたとして、建設業者や国に100万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が26日、大阪高裁であった。林圭介裁判長は原告の請求を棄却した一審の大阪地裁判決を支持し、金さんの控訴を棄却した。

 「通名」の強制自体を否定していた1審判決とは異なり、今回の控訴審で高裁は「不必要な通名使用を強いて、金さんのアイデンティティーを侵害した」と建設会社による通名の強制は認めたが、「アイデンティティを侵害する悪意はない」とし、違法行為には当たらないと判断した。
 大阪滞在中の私も判決当日、高裁に足を運んだ。高裁の建物前には開廷前から数多くの支援者、関係者、記者たちの姿があった。37枚の傍聴券を求めて100人以上が集まった。抽選にもれた私は部屋のすぐ外で判決の時を待った。控訴審判決は、「控訴を棄却する」。傍聴した人の話によると、主文の読み上げもなく、裁判官3人は判決を言い渡すとすぐに退席したという。
 この金稔万さん本名(民族名)損害賠償裁判は「イルム裁判」(イルム【이름】は名前の意)と呼ばれている。裁判の概略については同裁判を支援する会のホームページ http://irum-kara.jimdo.com/ に詳しい。
 金さんは2009年9月から約3ヵ月半、大阪・梅田のビル建て替え工事現場で日雇い作業員として働く際、雇用主の建設会社から元請けの大手ゼネコンに外国人と思われないよう、通名の使用を求められた。現場で使うヘルメットの「きむ」という本名のシールを剥がされ、「かねうみ」という「通名」のシールを貼られた。


今回の判決は、「原告に必要のない通名の強制があり、アイデンティティを侵害される結果になった」と認めるなど、1審に比べて事実認定の部分で前進はあった。しかし強制の理由については、外国人の雇用主に提出が義務づけられる「外国人就業届」をゼネコンから求められると建設会社側が誤解したため(特別永住者の金さんにとって必要ないにもかかわらず)だと指摘。「原告の速やかな就業を実現させる目的で、違法性はない」と結論づけたのだ。
 要は、「強制はあったが悪意はなかったので問題はない」というのが判決の要旨。民族名を名乗る権利、日本社会における差別の歴史や安易に通名使用を求める現実などを考慮しない、原告が受けた苦痛を黙殺する判決だった。


 「本名を名乗る権利をこれからも訴えていきたい」と判決後の会見で語っていた金さん。「言葉にならない、悔しい…。疲れた、少し休みたい」。言葉少なげな彼の憔悴した表情に胸が締めつけられる思いだった。(相)

特定秘密保護法案

2013-11-28 09:00:00 | (瑛)のブログ
 衆院を11月26日に通過した特定秘密保護法案。

 
 原発、外交、軍事…。権力は暴走するがゆえに、これを監視するシステムを持つことが民主主義社会には不可欠と考えられてきた。しかし、この法律ができれば、最長「60年(例外で60年以上も)」は秘密が公開されないのだから、これからは、生きているうちに突き止めることができない事実も増えていくだろう。何を秘密にするのかは首相をはじめとした権力者が決め、一般市民は、何が秘密に指定されるかもわからない。「秘密のブラックボックス化」が進んでいく…。

 この法律には、秘密を取り扱う人たちが国や都道府県警に調査、監視される「適性評価制度」があり、情報を漏らす恐れがある人物かどうかを調べるための調査対象は、家族、恋人、友人へと際限なく広がっていく。この法律はあらゆる人が対象で、誰も無関係ではない点がコワイのだ。

 私自身の仕事にも当然、影響が出てくる。報道機関の取材・報道も、「漏えい」や「教唆」(そそのかし)とみなされ、秘密と知らないまま取材した記者が逮捕され、取材を指示した上司が「教唆」の罪に問われ、新聞社、出版社が捜索される―という事態が起こりうるからだ。

 法律の縛りは、当然、記者たちを委縮させる心理的効果を持つ。

 20代の頃は、取材先で出会う日本の記者とざっくばらんに意見交換することが多かったものの、最近は「社の決まりで自分の意見を話すことができなくて…」と言い出す若い記者が増えてきた。会社員である限り、ものを書くには一定の線が必要だろうが、報道機関自体が窮屈になっているのだろう。

 日本政府が朝鮮高校を「高校無償化」の対象から外して以来、各地では、自治体が朝鮮学校への補助金を停止したり、議会での議論も経ずに要綱を改悪し、補助金制度自体をなくす事態が起きている。そのプロセスは想像以上に乱暴だ。各議会では、補助金を給付するに至った当時の経緯を振り返ったり、外国籍者の教育を受ける権利や彼らの置かれた経済状況について、声があがらない。そもそも、少数者の思いを代弁して質問する議員が少ないのだろう。

 例えば30年後、私たちの子どもや孫たちが今日の補助金停止の事実を調べようとした場合、国会議事録や都道府県、市議会の議事録を見るだろうが、こうした記録は当時の社会状況や市民の意識を探るうえで不可欠な資料になる。しかし、これらも黒塗りで出てくる恐れがあるのだ。いや、当時、どんな資料が残されたのかを洗い出すことも難しくなっていく。特定秘密保護法案は国が勝手に「秘密」を決めることができるのだから。

 このコワーい法律が成立へと進むなか、新しい駐日アメリカ大使の就任報道は華やかだった。

 暗殺された父の英雄伝に、女優並みの容姿。馬車から降りる新大使をデジカメ片手に取り囲む市民の様子は、ゴールデンタイムのトップニュースを飾っていた。

 この異常な歓迎ぶりは、米国のイメージアップに役立っただろう。そして、アメリカとの軍事同盟を一層強化するための特定秘密保護法案の可決。イメージ作りに躍起になった人間は、法案成立の一報を心待ちにしているに違いない。(瑛)

安重根を「犯罪者」と言う犯罪国家

2013-11-27 08:32:14 | (K)のブログ
 今年から月刊イオでは「朝鮮、その時」という歴史物の連載をスタートさせている。第1部は「日本の植民地統治」として日本が朝鮮に対する侵略を開始してから1910年に完全に植民地とするまでを辿り、現在は第2部として「植民地期の朝鮮」を連載中だ。
 第1部は、朝鮮がいかに日本の植民地へと転げ落ちていったのかを解説しているわけだが、1部の最後に安重根による伊藤博文の射殺について書かれている(8月号)。

 少し前から、韓日で、安重根をめぐりもめていることがニュースとなっている。安重根が伊藤博文を射殺したハルビン駅(現・中国黒竜江省)に記念碑を作るよう、韓国が中国に働きかけたことに対し、日本政府が反発したことによる。菅義偉官房長官は11月19日の記者会見で「わが国は、安重根は犯罪者であると韓国政府にこれまでも伝えている」と語り、「このような動きは日韓関係のためにならないのではないか」とのべた。官房長官の発言はすなわち日本政府の見解であり、日本は安重根を「犯罪者」「テロリスト」と見なしているということである。
 これに対し韓国側は、当然のことに反発し、「(安重根は)わが国の独立と東洋の平和に命をかけた方だ。犯罪者という表現は大変遺憾だ」(外務省の報道官)と菅氏の発言を批判している。


 月刊イオの連載「朝鮮、その時」の第8回「東洋平和を説いた安重根と日本の韓国強占」で、筆者は次のように書いている。
 「安(重根)は裁判で、皇帝廃位・軍隊解散・良民殺戮・利権奪取・東洋平和の撹乱など15項目にわたる伊藤の罪を列挙して糾弾し、自らを「義兵の参謀中将」と名乗り、テロ行為の殺人犯としてではなく捕虜として扱い、「国際公法をもって判決」すべきだと求めました。」

 日本が朝鮮を植民地にすること自体がたいへんな犯罪であるし、その過程で、日本は殺戮、略奪など、数々の犯罪行為を働いてきた。 それに対し当然、朝鮮の人々は抵抗し、中には義兵軍を組織して武力で日本と戦う人々もいた。安重根もその一人であったわけだ。安重根にとってみれば、戦争相手の敵の頭目である伊藤博文を射殺することは当然の行為である。安重根が一般の日本人を無差別に射殺したのなら犯罪者とされても仕方がないかもしれないが、伊藤博文を射殺したのは、朝鮮民族にとって何も悪いことではない。今も安重根が義士として尊敬されているのも当然のことだ。

 日本が安重根を「犯罪者」というのは、日本が朝鮮を植民地にしたことを何も悪いことだと思っていないということの表れであり、今も反省していない証拠である。犯罪を犯罪と思っておらず、今も犯罪を継続しているということだ。

 今回の出来事について、日本のマスコミは「歴史観の違い」などと報道しているが、こんな馬鹿げた報道もない。歴史の中で「どっちもどっち」という争い事もあるだろうが、安重根に対する評価が「歴史観の違い」で変えられるものではない。明確に悪は伊藤博文であり日本なのである。どっちもどっち的な報道をすることは、歴史の歪曲に手をかすことに他ならない。
 「憎悪の連鎖を断とう」とか「未来志向で」とかと言うが、明確に加害者と被害者がいるわけで、憎悪の連鎖を断ち未来に向かうためには、加害者側がまず、明確に謝罪し補償し2度と繰り返さないと誓わなければならない。

 この原稿を書いているときに、与党の自民、公明両党が衆院国家安全保障特別委員会で、特定秘密保護法の4党修正案の採決を強行し可決させたというニュースが飛び込んできた。
 日本はどんどん、戦前の姿に戻りつつあるように思える。
 かたや韓国も、朴槿惠政権発足後、どんどんと「維新時代」に逆戻りしている。

 今回の安重根をめぐる騒動も、国内政治から一般国民の目をそらせるための、韓日両政府が仕組んだ茶番劇ではないかとも思えてくる。(k)



(麗)の朝鮮日記06~大人気の「イルカ館」~

2013-11-26 09:00:00 | (麗)のブログ
2012年にオープンした平壌の新スポット、綾羅人民遊園地へ行きました。
大同江に浮かぶ綾羅島の一角にある綾羅人民遊園地には、絶叫マシンやイルカ館、プールを備え、3D映画館なども設置されています。

この日は、同遊園地のイルカ館のショーを観覧しました。
観客席は超満員! 会場には親子連れが多く、子どもたちが早くイルカを見たいというウズウズした気持ちがこちらにも伝わるほどでした。
ショーはイルカとシンクロナイズで構成されていましたが、どちらかというと後半のシンクロの方が多かったです。笑


可愛いイルカたちに大きな歓声を上げる観客たち。子どもたちも大喜び



イルカはまだ小さかったですが見事なジャンプ!


人魚姫をモチーフにしたシンクロ。優雅に泳いでいました



これはアヒルでしょうか? 3人でシンクロ



イルカショーでは、歌の大会で優勝した女の子の歌に合わせて、イルカが泳ぐというパフォーマンスも披露!
後にロビーでもう一度歌を披露していました


館内には水族館も

どこの国でもイルカは大人気です。子どもたちがはしゃいでいる姿を見ると頬が緩んでしまいました。
欲を言えば、もっとイルカを活躍させた演目を増やして欲しいなぁと思ってみたり…。
まだオープンしたばかりなので、ショーもこれからどんどん変わって行くかも知れませんが…。>_<
平壌を訪れた際は是非、可愛いイルカたちに癒されてみては?(麗)

脱・面倒くさがり

2013-11-25 09:00:00 | (理)のブログ
 先週末、断捨離をしました。先輩が「昨日、断捨離をしたんだけど…」と話し始めて、断捨離前・断捨離後の部屋の写真を見せてくれたことがきっかけです。部屋だけではなく気分もすっきりするということなので、よしじゃあやってみるかと。方法は、自分に必要ではないものを捨てるだけ。本当はもっと色々と考え方があるようなのですが、とりあえず「断捨離」という行為をやってみたかったので、箪笥をひっくり返して洋服の整理から始めました。

 およそ30分。半分がゴミ袋に入りました。同じ要領で戸棚の中身、流し台下の収納スペース、食器棚、冷蔵庫など見事にすっきりさせました。掃除機もかけて換気もして、本当に気分もすっきりです。

 不思議なのは、断捨離を始めると「ここも綺麗にしよう」「あそこも掃除しよう」と、普段は面倒くさくてやらないことも率先して出来たことです。これで年末の大掃除もずいぶん楽になるでしょう。

 もともと面倒くさがりなので、なにか動機をつくらないと掃除や整理に気をつかいません。洗濯して乾いた洋服を箪笥に入れるときも、弟はきっちりたたんで収納するのですが私は宙でさーっと小さくしてそのままに入れます。よくないことは重々承知なのですが、面倒くさいなという時はとことんそんな感じです。弟と性格が反対ならよかったのにと思うこともしばしば。

 今のところ断捨離直後のモチベーションを維持できているので、このままきちんと丁寧に生活することを心がけて、少しずつ面倒くさがりな部分を改善していけたらいいなと思います。(理)

アニメ「ポンポンポロロ」

2013-11-24 09:00:00 | (愛)のブログ
最近、子どもがテレビに興味を示すようになった。
あまり小さいうちからテレビは良くないとはいうが、
朝の時間とのすさまじい闘いの中では、
子どもがくぎづけになる教育テレビはまさに神的ポジションになる。

これはいいな~と思ったアニメがある。
それは韓国のアニメであり、朝鮮の技術陣も一役かったという、「ポンポンポロロ」。
イオ2010年10月号の「アニメーションの世界!」という特集のなかでも紹介したものだ。
朝鮮のアニメ制作の技術力の高さは世界も一目おくほどなのだ。

この「ポンポンポロロ」。
姉が実家で子どもたちにみせていたのだが、音声をハングル、日本語、英語と選択でき、
字幕も三か国語対応でついていたのだ。

内容も秀逸で、映像も楽しく、大人がみていても充分楽しめる。
子どもたちもアニメという入りやすいものなので、自然なウリマルを覚えるのだとか。
実際チョッカたちがそうだった。
在日の子どもたちにはうってつけのDVDだ!!と驚いたのだった。
もう少し大きくなったら、「ポンポンポロロ」、ウリマルの勉強がてら一緒に見て楽しもうと思う。(愛)


「ウリハッキョ元気計画」の連載を終えて

2013-11-22 09:00:00 | (相)のブログ


 現在、来年1月号の制作の真っ最中なイオ編集部。私も特集企画の取材のため一昨日から大阪に来ています。
 特集をはじめ毎月内容が変わるページ以外の連載モノは1年ごとに編集会議の場で見直しが行われます。今年で終わる連載もあれば、継続するものもあり、1月号から新たに始まるものもあります。
 数日前に発行された12月号をもって、「ウリハッキョ元気計画」が8年間の連載を終えました。「ウリハッキョ元気計画」では日本各地にある朝鮮学校を毎号一校ずつ2ページで紹介してきました。12月号に掲載された最終回では東京・小平市にある朝鮮大学校を取り上げています。連載最終回の取材は私が担当したので感慨もひとしおです。

 バックナンバーを調べてみると、同タイトルでの連載スタートは05年から。当時は学校支援のさまざまな取り組みを紹介するという企画で、1ページの連載でした。07年からは内容が各学校を紹介するものに変わり、翌08年からはページのレイアウトも現在のものに変わりました。
 2010年7月にイオ編集部に転属になった私もこの連載の取材のために計8ヵ所の朝鮮学校を訪れました。最寄駅の目の前に建っている学校もあれば駅から車で30分以上かかる山の上に建つ学校もあり、真新しい校舎もあれば古い校舎もあり、マンモス校もあれば生徒数が数十人の小さな学校もありましたが、訪れてみるとどこも「ウリハッキョ」なのです。そしてこれが朝鮮学校の最大の特徴なのだと実感しました。
 現在運営中の朝鮮学校は幼稚園から大学校まで日本全国で65校(初中級学校、初中高級学校は1校として計算)。この機会に数えてみると、本誌編集部に配属された後の3年あまりで私はそのうちの37校を訪れました。全体の半分強です。訪れた都道府県の数も調べてみました。結果は47都道府県中、27都道府県。プライベートを含めても30あまり。思ったよりも少ないですね。この仕事を続けている間に全都道府県および全朝鮮学校への訪問をぜひ実現させたいと思っています。

 「ウリハッキョ元気計画」で取り上げた各地の朝鮮学校の中にはその後、休校、他校との統合、新校舎建設などさまざまな変化があったところも少なくありません。イオではウリハッキョと民族教育に関してより広く、深く取り上げていこうと考えています。
 最後に、これまで取材でお世話になった学校関係者の方々にあらためて感謝の意を表しつつ、これからもよろしくお願いいたします。(相)

ネパール学校・エベレスト・インターナショナルスクール

2013-11-21 09:00:00 | (瑛)のブログ


 先日、日本で、いや、世界で初めてとなるネパール学校に見学に行ってきました。1990年の入管法改訂を受け、日本にはブラジル、ペルーの方々が増えることでブラジル学校が急増したものの、リーマンショックの影響から多くが帰国。ブラジル学校も大きく数を減らしました。

 だからといって外国人学校のニーズが減ったわけではありません。日本に暮らす外国籍住民は、2008年の221万7426人をピークに減り続けていますが、総人口に占める比率は1.63。この比率は日本の人口減とともに増えていくことでしょう。

 そして、現在日本に暮らすネパール人は2万383人(2011年末現在)。10年前の2001年が4081人なので、5倍に増える勢いです。東京には7752人が暮らしています。

 ネパール学校・エベレスト・インターナショナルスクール(東京都杉並区)は、JR阿佐ヶ谷駅から徒歩2分ほどの便利な場所にありました。今年4月に開校し、現在は4、5歳児が11人、児童が35人の計46人が学んでいます。杉並区のみならず、豊島・中野・台東区、遠くは千葉県の松戸、埼玉の浦和からも子どもたちが集まってきており、スクールバスも運営。教員は8人で、5人がフルタイム、3人はパートで雇っているそうです。

 学校は3階建ての建物で、1階には、4、5歳の子どもたちの保育所がありました。丁度昼寝から覚めた子どもたち。子ども用のマットが、所狭しと並べられていて、窮屈そうでしたが、子どもたちは笑顔で大勢の来客を迎えてくれました。



 学校の建物は、元々新聞配達職員の住居を兼ねた場所だったそうで、ひと部屋は4畳半ほどの広さです。見学中、子どもたちがネパールの踊りを披露してくれたのですが、どうしても教室が狭いので、のびのび踊れません。東京都内のインド学校を取材に行った際、ひとつの部屋を3つに区切って授業を同時進行していたことを思い出しました。元気盛りの子どもたちを、一日中部屋に押し込めておくことはできないので、最寄りの日本の公立小学校にお願いし、校庭を貸してもらえるよう相談しているとのことでした。



 同校は、ネパール人向けの国際学校を目指しています。国際学校にしたのは、本国が2000年代から英語を重視し、英語を授業言語とする学校が増えているからだそうで、カリキュラムはネパール本国と同じものを取り入れています。授業は、ネパール語、日本語の時間以外はすべて英語。今、本国の海外校の認定を得るための手続きを進めているとのことでした。

 シュレスタ・ブハール・マン理事長(40)、プラディップ・タパ校長(30)の話の中で特に印象的だったのは、なぜこの学校を建てなければならなかったのか、という点でした。

 シュレスタ理事長は、「日本に出稼ぎに来て、ネパールに帰った時、わが子に『パパじゃない』『ママじゃない』と言われた親御さんたちの声を聞き、学校の仕事をできればと思いました。日本暮らしのなかで子どもたちは日本語しかしゃべれず、他の言語(ネパール語、英語)を忘れてしまう。自分の文化を学べる学校に入れたい、という親御さんの思いがありました」と自身もその一人だったと打ち明けてくれました。


 「この学校にはネパールから連れてきた子ども、日本で生まれて日本の幼稚園や保育園に通っている子ども、どこにも通えていない子ども、そして、日本人の子どもと4種類の子どもたちが通っています」―。日本の学校に通っている子どもが「顔の色が違う」といじめられた話や、母親を日本人に、父親をネパール人に持つ子どもが、一方のルーツであるネパールの文化を受け入れられない、という話には胸が痛みました。そして、海外を目指すネパール人が増えるなか、世界で初めてネパール学校を建てたのは、日本の学校に「日本語の壁」があるからで、「ネパールの子どものニーズを満たすための学校を立てねば」との結論に至ったといいます。

 外国人が海外で暮らす際、学校を建てる必要があるのは、日本だから―。この話はインド学校やブラジル学校でも聞いた話で、外国人共通の悩みだと感じました。

 それにしても、外国人学校が正規の学校として認められない日本で、学校を作るのは大変なことです。

 学校設立までの準備期間は2年半。在日ネパール人向けのメディアを通じて、「学校が必要なのかどうなのか」を聞くアンケートを集めたところ、「400人以上の人からポジティブな反応が返ってきた」そうで、「1年半、全力で動いて今年4月に開校できました」(シュレスタ理事長)

 現在、学校は、NPO法人を設立し運営しているとのこと、ゆくゆくは準学校法人(各種学校)認可も取得したいそうです。阿佐ヶ谷駅の北側には東京朝鮮第9初級学校があり、地元の日本の小学校と実のある交流をしています。この日、ネパール学校を一緒に見学した人の中には地元の議員さんや自治体の外国人政策に詳しい研究者もおり、懇親会では、「議員で視察に来ます」「朝鮮学校の経験を学びに交流すればどうですか」など、激励のアドバイスが続きました。

 開校当時は16人だった園児・児童数が年内には50人を超える予定だと言います。そして、子どもたちの成長とともに高校まで作っていきたいと!

 パワーみなぎるネパール学校の皆さんでした。



 12月7日には学校でバザーが開かれます。

 ガンバレ!エベレスト・インターナショナルスクール!!!(瑛)

大阪朝高ラグビー部、5年連続花園へ

2013-11-20 09:00:00 | (K)のブログ
 今週の日曜日(17日)、第93回全国高校ラグビー大会の大阪府予選決勝が近鉄花園ラグビー場で行われました。大阪府から全国大会に出場するのは3校で、第3地区予選決勝には大阪朝鮮高級学校ラグビー部が登場、常翔啓光学園を22-17で下し、みごと全国大会出場を決めました。

 これで大阪朝高は8度目の全国大会出場で、何と言っても5年連続出場というのが光っています。今年春の全国選抜大会はベスト4すべてを大阪府代表が占めました。その中に大阪朝高も入っています。それだけ大阪の高校ラグビーのレベルが高い。今回対戦した常翔啓光は全国大会で2001年から4連覇し7度も優勝している強豪です。第1地区予選では、昨年の全国大会優勝校の常翔学園が東海大仰星に破れています。そんな強い高校でも大阪府予選を突破できない。その超激戦区の大阪で5年連続出場は快挙と言ってもいいでしょう。予選を突破し続けられるのは、年によりやはり戦力の差はあるものの、安定した実力を維持している証拠であり、大阪朝高がラグビーにおいて完全に有力校としての地位を築いたからだと言えます。

 昨年までの4年間、大阪府予選決勝は毎年取材してきたのですが、今年は取材することができず残念に思っていました。しかし、勝利を確信していました。今年のチームは選抜大会でベスト4に入っただけに、「強い」という前評判を聞いていました。全国大会での活躍も期待できるでしょう。年末年始の取材はたぶん私が担当できると思います。
 余談ですが、驚いたのは京都府代表が桂高校(初出場)だということ。伏見工業と京都成章の2強の構図がいつのまにか崩れていたということなのでしょうが、ともかく2強の壁を破ったのはすごいことです。また、学生時代の4年間、桂にあった学生寮で暮らしていたので、個人的に桂高校にもがんばってもらいたいと願っています。


 日刊イオでもお伝えしたとおり、今年は東京都予選でも東京朝高ラグビー部が決勝に進みましたが、残念ながら完敗してしまいました。私も当日、秩父宮ラグビー場へ行き観戦しましたが、東京都代表の常連・国学院久我山や今年の代表校である東京高校、目黒学院との力の差は、今の段階では大きいと感じました。しかし、京都府の桂高校の例もあるので、壁は破れないわけではありません。いつか、東京、大阪のダブル出場の夢が実現する日が来ると思っています。

 今年の全国大会で楽しみにしていることがあります。それは、東京都予選決勝で東京朝高を破った目黒学院を、全国大会の場で大阪朝高が破ってくれることです。89回大会(09年末~)では、東京都予選決勝で東京朝高を破った国学院久我山と大阪朝高が3回戦で対戦しました。結果は15―7で大阪朝高がみごと勝利しました。事前の取材で、大阪朝高の呉監督が「ぜひ国学院久我山と対戦したい」と言っていたのを今も覚えています。

 もうひとつ目黒学院との戦いを観たい理由は、目黒学院にトンガ人留学生の2選手がいるからです。84回大会(04年末~)、大阪朝高2度目の全国大会出場の時です。ノーシードだった大阪朝高は3回戦でシード校の正智深谷(埼玉代表)と対戦し17―35で敗れてしまいます(実は前年の大会でも正智深谷に負けていました)。優勝候補の一角だった正智深谷にはトンガ人留学生2人が主力メンバーにいて、圧倒的なパワーを発揮していました。この試合、大阪朝高は試合残り時間5分というところで逆転トライを決め17―14とリードします。しかし、その5分間で再逆転され突き放されてしまいました。試合全体を見ると、善戦したもののトンガ人選手のパワーに押し切られた形でした。

 その試合を現場で取材していたのですが、その時はまだコーチだった呉監督が、最後の5分に連続トライを奪われ突き放された場面で非常に悔しがっていた姿が目に焼きついています。
 あれから9年、全国大会でもシード校となり実績を積んできた大阪朝高が、目黒学院相手にどのような試合をするのか、トンガ人選手をどのように止めるのか、すごく興味があるわけです。
 ちなみに、春の全国選抜大会の予選リーグで、大阪朝高は目黒学院と対戦しており、その時は36―0で大阪朝高が勝っています。でも、高校ラグビーは春のチームと今のチームではどのように進化しているのかわかりません。目黒学院の試合を直接観て、相当強いと感じました。大阪朝高との試合をこの目で観てみたいという思いが強くなりました。

 大阪朝高の活躍が期待される第93回全国高校ラグビー大会は、12月27日から東大阪市の近鉄花園ラグビー場で開催されます。大阪朝高はたぶんBシードとなるはずなので(間違ったらごめんなさい)、12月30日の2回戦から出場するものと思われます。決勝は1月7日、この日に大阪朝高の試合をぜひ取材したいですね。(k)

(麗)の朝鮮日記05~休日の大同江~&イオ12月号完成!

2013-11-19 09:00:00 | (麗)のブログ
日曜日に平壌を流れる大同江へ行きました。この日は風も心地よくさわやかな気温。
大同江のほとりではボートに乗る市民、バスケを楽しむ若者、ベンチに座り読書をする人など、みな思い思いに休日を満喫していました。
特に目を引いたのがデートをしている若いカップルたち。
仲良く手をつないでいたり、ベンチに座ってお互いの手を取り見つめ合っていたり…。
どこか初々しさがあり、とても微笑ましい光景でした。
何でも、大同江のほとりをデートする男女は、まだ付き合う前の段階の人たちが多いスポットなのだとか。
逆に熟年カップルなどはまた別のデートスポットがあるそうです。
まさに、現地の人にしか聞けないエピソード!


大同江でボ-ト楽しむ人たち


レストラン船「テドンガン号」


射的を楽しむ市民


頭に荷物を乗せているハルモニ。朝鮮ならではの光景!

こんなにゆっくり大同江の河辺を歩いたのは初めてです。
大同江が平壌市民にとって憩いの場となっているのを肌で感じた日でした。


さて、2013年最後となるイオ12月号が完成しました。
表紙は、朝鮮の開城学生少年宮殿でアコーディオンの練習をする少女。
そして今月の特集は「ドキュメンタリーの視点」です。
過去の出来事や遠くで起こった出来事をいきいきと伝えてくれるドキュメンタリー作品。
在日同胞社会で起こった出来事を描いたドキュメンタリー作品もこれまで数多く作られてきました。
それらは在日同胞の歴史を伝える貴重な記録となっています。
特集では、ドキュメンタリーとは何かを探りながら、ドキュメンタリー作品とその作り手を紹介します。

特別企画は「ウリキャラ図鑑」。在日同胞社会から生まれた愛らしいキャラクターたちをどーんと紹介します!
その他の注目記事は、「在日朝鮮人へのヘイトスピーチは『人種差別』/京都地裁の画期的な断罪判決」、「悠久な歴史、古都の魅力を満喫/「『平壌・開城世界遺産ツアー』に同行して」、「朝鮮印の“舟”を編む/『朝鮮語学習辞典』3年後に完成へ」などなど、今月も盛り沢山な内容となっています。
12月号もぜひ、ご愛読ください!(麗)

こころとからだ

2013-11-18 09:00:00 | (理)のブログ
先週の土曜日、地震が来ました。結構長く激しく続いたので、さすがに不安になって実家に電話をかけました。現在、自宅にはテレビを置いていないので震度を確認してもらったところ、東京は震度4とのこと。その後とりとめもない話をして電話を切りました。ふと、それまで冷たかった手足がなんだかとても温かくなっていることに気がつきました。

そして昨日。たまたま目についたコラムを読んで、なるほどと思いました。ざっくりと説明するなら、「温かい言葉をかけてもらうと身体も温まるように感じる」というものです。ある実験によると、被験者が温かい物を持ったときと、家族や友人・恋人から愛情溢れる言葉をもらったときに脳の同じ部位が強い反応を見せたそう。同時に、多くの人が身体も温まったように感じたと回答したようです。

気持ちの温かさと身体の温かさを錯覚しているのでしょうか。人間の脳や身体って意外と単純なんだな、と感じました。(理)

チョゴリについて思うこと

2013-11-17 09:00:00 | (愛)のブログ
最近、(麗)さんと話しているなかで、チョゴリについて話題があがりました。
私が高級部生時代は制服が第二制服はなく、チョゴリしかなかったので、
もちろんチョゴリを着て毎日登校していました。
と、いっても私は寮生だったので、そんなにチョゴリで街中を歩くことは多くはなかったものの、
署名活動で街にでるときや
社会見学で東京ディズニーランドに遊びに行ったときも当たり前にチョゴリを着てました。
私個人は夏のチョゴリ制服の白と青のコントラストがとても好きで、
街中で歩くときもちょっと自慢でした。
だって、日本の制服にはない上品さとかわいさがあると個人的に思っていたので。

いまではチョゴリ制服を見る機会も少なくなりました。
自分自身もあまりチョゴリを着ません。最近着たのは自分の結婚式くらいです。
結婚式にむけてチョゴリを着たとき、改めてチョゴリのかわいさ、華麗さ、機能性の良さなどを実感しました。
チョゴリ屋さんで、自分の体系に合わせて作ってもらったチョゴリは
まるで自分の体の一部かのようにぴったりとしていて、
着心地がとてもよかったです。


袖を通した瞬間、その場が一気に華やかになるチョゴリ。
どんなドレスにも負けてないのです。
20歳の成人式の時も、女友達4人でチョゴリを着ると、どんな着物の集団よりも目だっていました。笑

振り返ってみると、私が幼いころは1世たちも様々な場面でチョゴリを着ていました。
私の祖父もお正月にはパジチョゴリに着替えて、お年玉をくれたりしました。
私は祖父のパジチョゴリ姿が大好きでした。
パジチョゴリを着たとたん、とっても祖父らしさが前面にでていたからです。
チョゴリにはそんな不思議な力があると思います。

もっとチョゴリを着たいと思う今日この頃です。
チョゴリを着て通学しても、安全に登校できる日本社会であってほしい、
そして、チョゴリ制服もなくならずにもっと着てほしいと思います。(愛)

3世の食卓

2013-11-16 08:28:28 | (淑)のブログ

 実家ぐらし、というのは言い訳に過ぎませんが、家では全くと言っていいほど料理をしません。毎日のお弁当で玉子を焼くくらいです。それでも20代前半の頃は料理本を見ながらあれこれチャレンジしたものです。
 娘が(息子たちも)こんな体たらくなので、子どもたちが大人になった今も母の手料理が家族みんなの胃袋を満たしてくれています。
 在日2世である母がつくる料理は、おかずもスープも圧倒的に朝鮮料理が多い。とくにスープのバリエーションは豊富で、たまに出てきた味噌汁に「今日はハズレだ…」なんて思ったりします。盛り付けも大皿に豪快にどん! それをみんなで囲みます。「足りないのがいや」という母は大量につくるのが癖で、食材をダメにすること多々。そんなところも1世を思わせます。

 小学生の頃、友達の家に遊びに行ったとき、テーブルに並んだ家庭料理にびっくりしたのをよく覚えています。各々のランチョンマットの上に、優しい味のお惣菜や炊き込みご飯などが小鉢などに上品に盛り付けられており、そのテーブルコーディネートは、小学生の私にとっては小さなカルチャーショックでした。

 日本は飽食の時代、わざわざ遠くへ行かなくても世界各国の食文化に触れることができます。もちろん、世界の食糧危機はもとより、日本の食料自給率や原発による食料汚染を考えれば手放しで喜ぶことはできませんが。
 韓流ブームに伴って朝鮮料理店も乱立し、日本全国どこでも朝鮮料理を食べることができます。
 日本社会の変化に影響を受けながら、1世から2世へと受け継がれた朝鮮の食文化。いま、在日3世の家庭ではどんな朝鮮料理が、どれくらい並ぶのでしょうか。毎日の食卓にキムチはあるのでしょうか。

 イオでは創刊時から手を変え品を変え、たくさんの料理企画をつくってきました。一般の家庭料理から、宮廷料理、朝鮮八道を料理で旅した企画もありました。在日同胞の暮らしと味覚にあった新たな食文化創造にもなれば、そんな思いを込めて、来年の料理ページを準備しています。(淑)

高校ラグビー選手権東京都予選決勝を取材して

2013-11-15 09:00:00 | (相)のブログ
 

 東京朝鮮中高級学校高級部ラグビー部が第93回全国高等学校ラグビーフットボール大会への初出場をかけて今月10日、東京の秩父宮ラグビー場で行われた東京都予選第1地区決勝に臨みました。相手は全国大会16回出場で5回の優勝を誇る強豪の目黒学院高校。
 結果は…すでにご存知のように0-78の完敗。4年ぶり4度目の決勝進出を果たし、悲願の「花園」初出場を目指した東京朝高ラグビー部の戦いは残念な結果に終わってしまいました。

 

 試合開始早々に先制を許した東京朝高(青のジャージ)はその後も2人のトンガ人留学生を中心とする目黒学院の力強い突破に押され、失点を重ねる展開。前半は攻撃でほとんど見せ場を作れず、0-48という大差をつけられました。後半は何度かゴールライン付近まで攻め込む場面も作りましたが、トライを奪うまでにはいたらず。相手にさらに得点を重ねられ、結局無得点のまま試合終了。
 目黒学院は強かった。力の差は歴然としていましたが、予想以上に点差が開いてしまったのは、序盤の連続失点で1、2年生主体の若いチームが浮き足立ってしまった結果なのでしょうか…。

 観客席には、強豪相手に果敢に立ち向かう朝高選手たちにありったけの声援を送る同校生徒、同胞、保護者、OBらの姿がありました。「チームが一丸となってすべてを出し切ったけど、これが結果です。1年間の集大成の試合だっただけに悔しい。後輩たちには東京朝高ラグビー部の伝統を受け継いで頑張ってほしい」。試合後、主将の李潤太選手が涙をこらえながら語っていました。
 新チームとなる東京朝高ラグビー部にはこれから来年を目指してがんばってほしいと思います。ちなみに、今週日曜日(17日)には大阪府予選の決勝が行われ、第3地区で大阪朝高が登場します。
 
 以下、試合当日にピッチで撮影した写真を何枚かアップします。