日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

「インターステラー」を観てきた

2014-11-28 09:00:00 | (相)のブログ
 先日、クリストファー・ノーラン監督の最新作「インターステラー」を都内の某映画館で鑑賞した。
 SF、宇宙、ノーランと個人的に好みの要素が3つも揃った作品とあって、「これは観るしかあるまい!」ということで、公開3日目にして劇場へ足を運んだ。
 物語のあらすじは以下のとおり。
 地球規模の食糧難と環境変化によって人類の滅亡のカウントダウンが進む近未来。人類を救うためのミッション―新たに発見された宇宙のワームホールを利用し、人間が居住可能な新たな惑星を探す―が秘密裏に進められていた。元エンジニアの主人公(マシュー・マコノヒー)は、生きて帰還できるかわからない困難なミッションの遂行チームの一員に抜てきされる。葛藤の果てに、主人公は家族に「必ず帰ってくる」と約束し、宇宙船へと乗り込む。人類の限界を超え、不可能にも思える史上最大のミッションのため、前人未到の未開の地へ旅立った一行は、自らの使命を全うし、愛する家族の元へと戻ることができるのか…。

 鑑賞の感想としては、期待にたがわぬ出来で、たいへん楽しめた。3時間弱の上映時間にもかかわらず中だるみすることなく、視線は終始画面に釘づけだった。ブラックホール、ワームホール、事象の地平線、ウラシマ効果といった宇宙物理学の専門概念がてんこ盛りのハードなSF作品だが、難しいことはわからなくとも、父と娘の親子愛を描いたヒューマンドラマとして充分楽しめる。圧巻の映像だけでも観る価値はある。
 作品をテーマを一言でまとめるなら、「愛は時空すら飛び越える」。文字にすると何だか陳腐だが、作品を観てもらえれば私が言わんとすることが理解できると思う。重力と時間という重厚なモチーフに人類の存続という壮大なテーマを載せて、宇宙空間を舞台にした一級のエンターテインメントに仕立てつつ、最後は父と娘の人間愛のドラマに着地させる演出の手腕は見事。

 人によって評価は違うだろうが、私は率直に言ってノーラン作品が好きだ。「メメント」「ダークナイト」「インセプション」などなど―。シリアスで人間心理を追求した作風、意外性のある設定と練り込まれた脚本、CGを極力排して実写にこだわった映像は何度も作品を見返したいという思いを掻き立ててくれる。
 今年初めの「ゼロ・グラビティ」に続いて今回の「インターステラー」と、個人的には今年はSF映画の当たり年だと思う。(相)
 



東京都は一刻も早く補助金再開を・保護者の要望つづく

2014-11-27 09:00:00 | (瑛)のブログ



 東京都が都内にある朝鮮学校への補助金を止めて5年が経つ。
 朝鮮高校が高校無償化から排除されたことを受け、まっさきに補助金を止めたのが東京都だった。国連・人種差別撤廃委員会は今年8月29日、日本政府に対し、地方自治体に補助金再開を勧め、朝鮮学校への無償化適用を求める観告を出したが、都知事は立場を明らかにしていない。10月に入り、朝鮮学校保護者たちは、連日都庁に足を運び、補助金再開の要請を重ねている。

●国連勧告と都知事発言

 「こういうのはやはり万機公論に決すべしでですね。要するに国益に沿わないことはやはりよくないということは片一方でありますけれども、しかし、どこの国の言葉でもどこの国の子どもでも教育を受ける権利はあるわけですから、そういうものを侵害してはいけない。そのバランスをどうとるのかなということが問題だと思います」

 上記の発言は国連勧告を受け、知事が定例記者会見の席で述べたコメント(9月2日)だが、来年度の予算編成が迫る今になっても、補助金再開の知らせは朝鮮学園に届いていない。

 補助金停止から5年の歳月が流れるなか、11月13日、鄭仁秀・東京朝鮮第9初級学校校長をはじめ、都内の朝鮮学校保護者、関係者らが都庁を訪れ、①来年度の「私立外国人学校教育運営補助金」に朝鮮学園を含む予算を計上し、再交付すること②都のホームページに載っている「朝鮮学校調査報告書」を取り下げること―を求めた。

 都からは私学部調整担当課長が対応。東京第5初中の邊京姫オモニ会会長は、「補助金を止めた石原知事は朝鮮学校をつぶせという姿勢で、私たちは要らない人種なのかと思ったこともある。なぜ国と国との争いの中に子どもたちが犠牲にならなくてはいけないのか。補助金が止められたことで、オモニたちは寝る暇もなく働いている。なぜ助けてもらえないのだろうか」と涙をぬぐいながら訴えた。西東京第2初級の王明順オモニ会会長は、「昨年度に町田市が防犯ブザーを支給しないと表明した時、全校生の数を上回る防犯ベルを日本市民たちが贈ってくれた。都は『都民の理解が得られない』というが、学校の周りには子どもたちに協力してくれる人たちがたくさんいる。一部の都民の感情だけが取りざたされ、良心的な人たちの気持ちが踏みにじられている。差別されているとしか思えない」と怒りをぶつけた。

 1時間のやり取りの中で、都側から「朝鮮学校だけをねらいうちして差別していることはない」という発言があったが、この点については厳しい追及があった。人権協会の金優綺さんは、「朝鮮学校への補助金停止は、国際社会では明らかに人種差別と断定されている。だからこそ、国連から勧告が出た。この事実をしっかり受け止め、考えてほしい。国際条約の遵守義務は地方自治体の職員にも課せられている」と指摘した。

●報告書の削除を

 現在も、都のホームページには、2013年11月に都が作成した「朝鮮学校調査報告書」がそのままアップされている。「総聯と朝鮮学校」の関係を問題視したもので、朝鮮学園側が財産管理の改善策をとったことについても、一切言及されていない。

 保護者たちの要望もむなしく、都側は報告書の撤回を約束しなかった。女性同盟東京都本部の鄭正順国際部長は、「都の報告書は偏向的で偏見に満ちている。下村文科大臣は朝鮮学校は『1条校』になればいいと話しているが、これは、ひとつの民族をなくしてしまおうという暴挙だ。何人たりとも民族的なバックボーンがあり、どの国の子どもでも教育を受ける権利を持っている。この点を知事にしっかりと伝えてほしい」と伝えた。

 人権協会の金さんは、「ネット上には、都の報告書を取り上げながら、『氏ね(ネット用語で『死ね』)『スパイの養成機関』という悪意を含んだ解説をつけている人もいる。インターネット上におけるヘイトスピーチだ。プロバイダ責任制限法で対応することもできる」と一刻も早い対応を求めた。

 鄭仁秀校長は、「朝鮮学校は在日朝鮮人社会のみならず、日本社会に貢献する人材を育てている。日本社会に朝鮮学校が存在する意義を知事に知っていただきたい」と知事との面談を要望した。
 
 19日には東京朝鮮学園の元校長たちが要望に訪れた。この間、都が支給を止めた東京朝鮮学園の補助金は累計で1億円にも上る。(瑛)

コリアングルメフェスタでプロレス観戦

2014-11-26 09:00:00 | (K)のブログ
 神奈川県に住む若い世代の在日コリアンと日本人が先頭に立って、交流を深めお互いの文化を幅広く知ってもらおうという国際交流イベント「Korea×Japan かながわユースフェスタ」が11月15、16日の両日、横浜赤レンガ倉庫で開かれました。
 3回目となる今年のフェスタは「コリアングルメフェスタ2014」と銘打たれ行われました。メインは、県内の有名店による美味しい朝鮮料理の店が並ぶコリアングルメストリート。チジミやトック、ホルモン焼きなどの定番料理から、ぴりりと辛くコリアン風に味付けした焼きそばやユニークな焼肉ケバブなどが味わえて、人気を博していました。



 私は初日の15日の土曜日に顔を出しました。
 雲ひとつない青空が広がる中、11時にオープン。フェスタでは2日間にわたり様々なイベントが開催されましたが、オープニングを飾ったのがチョゴリファッションショーでした。次から次に出てくる艶やかなチョゴリに会場からは「綺麗ね~」と感嘆の声が聞こえます。何枚か写真を紹介したいと思います。赤レンガと青空とチョゴリが本当に綺麗でした。





 今日のブログのメインは、会場に設けられた特設リングで行われたプロレスのことです。
 プロレスを生で見るのが初めてで、非常に楽しみにしていました。予想通りの楽しさで、鍛え抜かれた人たちによるショーであることが確認できてよかったと思います。特に女子プロレスラーのタッグマッチは迫力ありスピードがあり痛々しさありで、すごいなあと思わされました。ユニークな覆面レスラーが出た試合は、お笑いイベントみたいでした。



 プロレスは4試合行われたのですが、その前に友好エキシビションマッチとして、パンクラスの川村亮選手とスタンドの梁正基選手(写真右)が闘いました。梁選手は朝鮮大学校の歴史地理学部の卒業生です。川村選手は昨年からフェスタに関わっており、今回のプロレス興行を実現させるのにも大きな役割を果たしました。「意味のあるプロレスにして友好に役立てたい」と語っていました。梁選手は2年ぶりの試合だということですが、川村選手がぜひ梁選手と試合がしたいと要請したそうです。梁選手は、「いま朝鮮半島と日本の関係はあまり良くないけれど、フェスタを通して少しで良くなればうれしい」と語ってくれました。
 3分間の試合はあっという間で、引き分けに終わりました。



 私は今のプロレスのことはまったく知らないのですが、出場した選手の中で唯一顔を知っていたのがメインイベントに出場した高山喜廣選手でした。リングのはるか向こうまで相手選手をひっぱり出しての場外乱闘が大迫力でした。



 そして、もっとも注目したのが3試合目、百田光雄選手と力選手がタッグを組んだ試合です。注目したのは、百田選手は力道山の子どもで力選手は力道山の孫だからです。百田選手は66歳で、「現役最年長」のプロレスラーだそうです。
 プロレスを見て思ったのは、どうも「ヒーロー組」と「悪役組」が戦うのが一般的なのではないか、最初は悪役組が反則技を繰り出して優勢に立ち、最後にヒーロー組が逆転するというようになっているのではないか、ということです。この試合も、最初は百田選手がやられるのですが、最後は力選手と力を合わせ逆転勝利をおさめます。力道山の子・孫らしく、空手チョップが得意技のようでした。悪役がいかにも悪役らしくて楽しめました。




 試合終了後、百田選手も力選手も、友好の大切さを強調し、「こういったイベントを通して仲良くしていきたい」(力選手)と語っていました。コリアと日本の友好をはかるイベントに、力道山の2世、3世が出場するのはたいへん意義のあることだと思いました。(k)

初出張、初仙台!

2014-11-25 09:00:04 | (麗)のブログ
本日、(相)さんと1月号の表紙の撮影をしに、仙台まで出張に行って来ます。

自身初となる出張、仙台、そして表紙の撮影と初尽くし!
そして、あいにくの雨模様…!
撮影時にはなるべく降らないように神頼みするしかないですね…。

緊張は増すばかりですが、満足の行く撮影と写真を撮れるよう頑張って来ます!

密かに仙台の名物を堪能出来ればいいな~と思っています。

表紙のモデルはイオが出来上がってからのお楽しみということで…。ご期待ください!(麗)

読者へ会いに

2014-11-21 09:00:00 | (理)のブログ
 毎月ごと編集部に届く読者カードには、参考になる感想や励ましのメッセージ、その他にも面白い話や興味深い出来事などが綴られています。雑誌の内容とは関係のない唐突な質問やつぶやきに笑ってしまったり、その人の日常生活でのちょっとした考えや発見が印象に残っていたり。そんな読者の声を読みながら、直接お会いして後日談や詳しい話を聞くことができれば楽しいだろうなと常々感じていました。それくらい、読書カードには魅力的だったり気になる言葉がたくさん詰まっています。

 はじめはそんな「楽しいだろうな」というぼんやりとした考えでしたが、「連載にしてみたら」とのアドバイスをもらい企画が実現しました。来年度の新連載「読者へ会いに」。読者カードをもとに、実際に読者へ会いに行ってお喋りをする企画です(笑)。

 今週は第1回目の方とお会いしてきました。その方が過去に送ってくださった読者カードの中から1枚を選び、そこに書かれていることから聞き始めます。読者カードをきっかけに会い、書かれた限定的な話を掘り下げるという普段とは違う取材で、新鮮かつ面白い場になりました。初めてお会いするにも関わらず「話の続き」を聞くというのも何だか友人同士のような感じがして、緊張の中に若干の親近感もわきました。

 これから続く11回も、どんなお話を聞くことができるか楽しみです。こんな話があるよ、という方がいらしたらぜひ書いて送ってください。連載に関わらず、読者カードも随時お待ちしております。(理)

映画「川の底からこんにちは」を見て

2014-11-20 09:00:00 | (愛)のブログ
最近、DVDを借りて映画を2本みました。
ひとつは洋画「レ・ミゼラブル」。もうひとつは邦画「川の底からこんには」です。


「レ・ミゼラブル」は皆さんごぞんじかと思いますので、特に紹介はしませんが、噂に違わず素晴らしい映画でした。もう一度じっくり見たいくらいです。

なので、今回は邦画「川の底からこんには」を紹介したいと思います。
この映画はいまをときめく実力派の女優、満島ひかり主演の映画です。最近満島ひかりさんの演技の魅力にはまっていることもあり、いろいろ調べてみると、この映画にたどり着き、なんとなく借りてみました。
2010年ベルリン国際映画祭フォーラム部門でも招待を受けた映画だそうです。

自分のことを「中の下ですから~」と言い、恋も仕事も中途半端、すべてにおいて妥協して生きている女性が主人公。
ある日父が病に倒れたとの知らせを受けて、飛び出してきた実家のしじみ工場を継ぐことになるのですが、工場は倒産寸前、工場のおばちゃんたちもいじわる、そして彼氏も奪われる。。。
自称「中の下」といって自らを卑下した女性がどん底から這い上がっていく様が独特のテンポで描かれていきます。
全般にわたって流れるゆる~い感じ。重い現実ばかりが主人公にのしかかりますが、自分なりにひとつひとつ受けとめてゆく主人公。
最後のシーンで主人公満島ひかりの顔のドアップが映るのですが、その泣き顔に全ての想いが詰め込まれていて、じわっと胸に沁みこんできます。
この映画をみると、こんな自分でもなにかできるかもしれない、と段々思わせてくれます。


それと、もうひとつのみどころが奮い立った際に主人公が書く自社の社歌です。以下引用します。

上がる上がるよ消費税 金持ちの友達一人もいない
来るなら来てみろ大不況 その時や政府を倒すまで 倒せ倒せ政府
シジミのパック詰め シジミのパック詰め 川の底からこんにちは

(省略)
(主人公のセリフ)
(中の下 中の下 どうせみんな大した人生じゃないし 鼻っから期待してませーん)


4年前に作られた映画なのに現在にぴったり当てはまる内容の歌詞に思わず笑ってしまいました。
少し悩んでることもふっとぶくらい、ゆるやかでありながらも楽しい映画でした。
久々に邦画でアタリの映画を観ました。
お気に入り映画のひとつになりました。(愛)



沖縄知事選に辺野古の海を回想する

2014-11-19 09:00:00 | (淑)のブログ
 16日に投開票された沖縄県知事選挙では、普天間基地の辺野古への移設反対を掲げた翁長雄志前那覇市長が、基地移設推進派の仲井真弘多知事らを破り初当選した。
 投票率は64・13%で、前回の60・88%を上回った。知事選は現職の仲井真氏が移設推進を掲げて立候補したことから、移設の是非を巡るたたかいとなった。当選した翁長氏は、戦後69年たっても変わらない基地負担の中での辺野古移設を「沖縄への構造的差別」と位置づけ、「基地は経済発展の最大の阻害要因」と主張していた。次点の現職に、10万票近い大差をつけての勝利は、これ以上基地はつくらせないという沖縄の人々の意思表示を意味する。
 初当選を決めた翁長氏は、「私が当選したことで基地を造らせないという県民の民意がはっきり出た。それを日米両政府に伝え、辺野古の埋め立て承認の撤回に向けて県民の心に寄り添ってやっていく」とのべた。新知事には政府による移設計画の全面廃止に取り組むことを期待したい。
 とはいえ仲井真知事も、前回の知事選で県外移設を唱えて当選した。今回の選挙結果は基地移設計画に影響を与えるものではあるが、楽観はできない。国家権力の前に敗北した前知事の教訓を踏まえ、新しいリーダーと沖縄の人々とが、共に運動の大きなうねりを作り出してくれることを願う。


 新基地反対を訴える辺野古住民の座り込み闘争は、10年にも及ぶ。
 2年前の2012年6月、取材で辺野古を訪れた。台風の影響で座り込み闘争の拠点であるテント村は閉鎖されていたが、曇天の下、地元の運動家の方と海辺に並んで座り、荒れる海を眺めながら、辺野古での海上闘争について話を聞くことができた。当時、辺野古のテント村に自宅のある沖縄市から足を運んでいたその方(当時80歳)は、「基地問題は沖縄だけの問題じゃない。対米従属的な日米安保とそれを支えている愚かな国民の問題だ。誰も欲しがらない基地を押し付けるのは、明らかな沖縄差別だ」と話していた。
 どこまでも青く広がる辺野古の海には、ジュゴンやウミガメが生息する。しかし私の記憶の中では今も、曇り空を映した灰色の海だ。(淑)

「もうひとつの約束」

2014-11-18 09:00:00 | (相)のブログ
 一昨日、なかのZEROで開かれた韓国映画「もうひとつの約束」の上映会に足を運んだ。
 「もうひとつの約束」はサムスン電子の半導体工場での労災裁判を、実話を基に描いた作品だ。今年2月、韓国で公開され話題を集めた。
 以下、いつものごとくあらすじや感想を書き連ねたい。

 あらすじは次のとおり(作品のサイト から引用)。
 江原道・束草のタクシー運転手、ハン・サング(パク・チョルミン)は妻と2人の子供と、平凡ながら幸せな家庭を築いていた。娘のユンミ(パク・ヒジョン)が韓国随一の企業、ジンソン電子の半導体工場に就職したことに、家族も誇らしげだ。ところがほどなく、ユンミの体に異変が現れる。ジンソンの社員が見舞金を手に一家を訪れ、辞職願と労災申請放棄の覚書にサインを迫る中、ユンミは22歳の生涯を閉じる。病名は急性骨髄性白血病。
 サングは労災を申請するが承認されず、労務士のナンジュ(キム・ギュリ)と共に、被害者を集め提訴に踏み切る。ジンソンの執拗な妨害工作に離脱者が相次ぐ中、サングは言う。「絶対にあきらめない。父親だから」——そして裁判は結審を迎える。


 前述のように、この作品は実話を基にしている。サムソン電子の半導体工場に勤めている間に急性骨髄性白血病にかかり、07年に亡くなったファン・ユミさんの父親、ファン・サンギさんが本作の主人公サングのモデルだ。ジンソンとは言わずもがな、サムスン電子のこと。
 劇中、遺族らは労災認定を行う政府機関の勤労福祉公団を相手取り、被害者の病気を「労災ではない」とした決定の取り消しを求めて行政訴訟を起こす。
 象とアリ、そんな表現がぴったりくるほど彼我の力の差は歴然。数多の困難が原告たちの行く手に立ちふさがる。ジンソン側は「企業秘密」を口実に資料の開示を拒み、政府の調査にも協力しないため、原告側による病気と有害物質の因果関係の証明は困難を極める。被害者側が労災を立証しなければならない現行法制度の問題が浮き彫りとなる。そして、金の力にモノを言わせた原告側の切り崩し、脅しや圧力による妨害―。原告側がせっかく探し出した証人も企業側に寝返ってしまう。
 サムスンといえば、韓国のGDPの約2割を稼ぎ出すといわれ、「もう一つの国家」と呼ばれるほどの巨大企業。その絶大な影響力は経済のみならず社会の隅々にまで及ぶとされている。そんな相手を向こうに回すことの途方もなさは、韓国に住んでいないとなかなか実感を伴った形で理解するのは難しい。日本に置き換えてみるとどうなるだろう―。トヨタを相手に訴訟を起こす? いや、韓国における財閥の存在の大きさを考えると、この例えでも不十分かもしれない。
 「私たちにも証拠があります。ここにいる労働者の体。病気の人々。 これが証拠でなければ、何が証拠ですか」
 法廷弁論の最後、主人公が発した魂の叫びのようなセリフが胸に響いた。
 結局、裁判所は5人の被害者の事例のうち、ユンミを含めた2人のケースについて労災と認め、不支給処分を取り消す判決を言い渡す。原告勝訴。映画の最後には本作のモデルとなった実際の原告たちの姿や映し出され、原告たちのたたかいが現在進行形であることが示される。
 作品の筋立てはいたってシンプル。だからこそ、主人公らの思いや作品に込められたメッセージがストレートに胸に迫ってきた。企業側の不義を告発する本作だが、娘の命を奪っていった不正義に立ち向かう父親の物語、バラバラになった家族が再び一つになり、さまざまな境遇の被害者や支援者らがやがて「もう一つの家族」になっていく姿を描いたヒューマンドラマとしても見ごたえがあった。
 作品制作や劇場公開にあたっては、劇中で主人公たちを襲った(実際に起こったことでもある)有形無形の困難に制作サイドも直面した。国内トップの大企業を告発する映画の製作に投資家の多くは二の足を踏んだ。リスクを考え、出演オファーを断る俳優も少なくなかったという。劇場も同様に、サムソンを向こうに回すことを恐れ、相次いで上映を見送ったり上映規模を縮小したのだとか。
 にもかかわらず一般の人々の出資(クラウド・ファンディング)や出演俳優、スタッフらの熱意で映画は製作され、自主上映会運動が巻き起こるなど社会現象となったという。

 作品上映後に行われたファン・サンギさん、キム・テユン監督らを交えてのティーチ・インも大変示唆に富んでいた。
 人命に優先される企業の利潤追求の論理、権力や資本の抑圧による言論の萎縮など本作で描かれた問題は韓国だけのものではない。水俣病などの公害やアスベスト訴訟、福島原発事故―。日本を見ても、同じような問題は数多く起こっている。
 今回の映画を通じて学んだことの一つに「労働者の知る権利」がある。劇中でも言及されていたが、半導体電子産業に従事する労働者は多くの化学物質や放射線を使う仕事をしているが、それらの物質にどのような危険があるのか、まったく知らない(知らされていない)。企業は作業環境と有害物質に対する情報を徹底して隠蔽する。労働者が深刻な病気にかかり命を脅かされても、どのような物質を使ったのかわからなければ労災認定さえ容易ではない。労働者の知る権利は自身の健康を守る第一歩であり、それは企業秘密に優先されるのだ。

 「この映画に描かれていることで、韓国にあって日本にないものは、ひとつもない。あるとすれば、それはこの映画を世に出した『民主化運動の遺産』と『行動主義』であろう」。本作パンフレットに収録された西ヶ原字幕社代表の林原圭吾氏による解説の結びの一文だ。
 政権よりも強大といわれる大企業に立ち向かった人々を描き、資本の論理の下で犠牲になる名もない人々の声をすくい上げた本作を観て、被害者の救済とは何なのか、虐げられた人々にとって法とは何なのか、そんな問いが心の中でうずまいた。
 作中で描かれた訴訟は現在も続いている。
 
 このたびは名古屋、大阪、東京で各1回限りの上映だったが、個人的にはぜひとも劇場公開を望みたい。(相)

完成!イオ12月号

2014-11-17 09:00:00 | (瑛)のブログ


 先ほど今年最後の月刊イオ12月号ができあがりました。

 特集は「3、4、5歳 心と体を耕そう!」-幼児教育を取り上げました。日本には、「3つ子の魂百まで」、朝鮮には「세살버릇 여든까지 간다」ということわざがありますが、五感満開のこの時期に子どもの目には何が映っているのか、大人は人生の先輩として何をしなければならないのかを考えてみました。

今まで幼児教育の特集は、「民族教育」の側面からのアプローチが多かったのですが、今回はその前提ともいえる「幼児期そのもの」に迫ってみました。しかし、企画を進めるなかで、編集部の思い込みは何度となく検討を迫られました。そのすべてを反映はできませんでしたが、私自身、改めて、「3、4、5歳児の不思議と可能性」を再発見できた新鮮な取材の日々でした。

 巻頭には、自然の中で子どもたちを育てている風の谷幼稚園園長のエッセイ、他にも、教育心理学者が考える「3、4、5歳の社会性と民族的アイデンティティ」をはじめ、子どもとスキンシップしながら遊べる、ごっこあそびや指あそび、大阪・生野や横浜市の鶴見朝鮮幼稚園ののびのび保育を紹介しています。日本に暮らす私たち在日コリアンが抱える子育ての悩みにも目を向けてみました。

 もう一つの目玉企画は「ウリデザイナー名鑑」。デザイナーとして活躍する20、30、40代の皆さんを紹介しました。ファッションデザイナーのハンアンスンさんはじめ、そのアイデアあふれる作品は、誌面を開いて「見ていただきたい!」としか言いようがありません。

 他にも、来たる12月15日に創立40年記念公演を行う金剛山歌劇団の舞台裏などを取り上げています。
 今月号で終わる連載もいくつかあります。「1世をキャンバスに」では、この連載で唯一・1世の描き手となる画家の呉炳学さんが1947年に描いた自画像を載せました。4ヵ月、平壌に滞在した(淑)さんの「お出かけピョンヤン」では、朝鮮の託児所事情を取り上げています。

「日本列島トンネ探訪」「マイランチ」「コマプレスが行く!」「朝鮮問題ナナメヨミ」「koreans@world」「朝鮮学校の12年」「がんばれハップモ」「声に出して読みたい朝鮮語」「う・り・お・や・つ」「マンガ朝鮮の民話」など、名残り惜しい連載の最終回は、どれも読みごたえバッチリです。ご購読は、WEB版イオ:http://www.io-web.net/からも可能です。(瑛)

生野西の「見守り隊」に感謝の手紙

2014-11-14 09:00:00 | (K)のブログ
 前回の私のブログで、大阪出張の際に訪れた生野朝鮮初級学校付属幼稚班のことを書きましたが、今日はもう一つ訪れた大阪朝鮮第4初級学校に関連することを書きたいと思います。

 月刊イオや朝鮮新報でも紹介されたことがありますが、大阪第4に通う同胞児童たちの通学の安全を守るために、生野西地域の顧問たち(ハラボジ、ハルモニたち)が毎日、通学路に立っています。
 雨の日も雪の日も毎朝8時に、通学路の交差点など要所8ヵ所に黄色い旗をもって立ち、児童たちがやってくると誘導したり車を止めたりしているのです。その名も「見守り隊」。昨年7月から始まりました。子どもたちは顧問たちの姿を見つけると、帽子をとって「アンニョンハシムニカ」とあいさつします。

 大阪第4は、生野西という一つの狭い地域から児童たちが通い、一つの地域で支える独特の朝鮮学校です。だから保護者だけでなく、子どもを学校に送っていない同胞たちも、地域が一体となってハッキョ(学校)のために様々な活動をしています。昨年6月からは、「チョアヨ、ウリハッキョプロジェクト」というハッキョを支援するプロジェクトがスタートしました。
 その一環として始まったのが顧問たちによる「見守り隊」の活動でした。顧問たちが集まって相談した時に、通学路の安全を守ろうという話が出たそうです。その時に、ある女性顧問が「そんなんやったら、明日からでもできるやん」と発言。そうして実際に翌日から「見守り隊」がスタートしたとのことです。


「見守り隊」の活動を終えて、大阪第4の前で記念撮影


 大阪第4のすぐ横には御幸森小学校という日本の学校があります。場所柄、同胞児童もたくさん通う小学校です。真横にあるので当然、ふたつの学校の児童たちは同じ通学路を通ります。
 顧問たちの「見守り隊」は、大阪第4の児童たちだけでなく、当たり前ですが、御幸森小学校の児童たちが通っても旗をもって車を止めたり誘導し安全を守ります。日本の児童たちも「ありがとうございます」とあいさつし、顧問たちも「元気に行っておいで」などと声をかけます。私が取材した時も、顧問たちと御幸森小学校の先生たちが一緒に立って子どもたちを見守っている姿が印象的でした。

 私が出張から帰った11月5日のこと。
 毎日安全を守ってくれる顧問たちに、御幸森小学校の子どもたちが感謝の気持ちを込めた手紙を送りました。その写真が生野西地域から送られてきたので紹介したいと思います。


 手紙には「ぼくたちを見守ってくれてありがとう! これからもよろしくお願いします。」(写真上)、「いつもありがとうございます。いつも朝早くにありがとうございます。これからもよろしくおねがいします。」と書かれてありました。



 顧問たちの「見守り隊」。とてつもなく大きな活動だと思います。(k)

アフター5に絶叫マシーン

2014-11-13 10:00:00 | (麗)のブログ
最近、「スカイダイビングがやりたい」という後輩たちの声をちらほら聞く。
値段もそれなりにするけれど、手の出せないほどでもない…。
テレビでスカイダイビングを体験しているタレントを見て気付いたのが、インストラクターが後ろにピッタリくっついて、自分の意思とは関係なく、押されるように飛び降りていたということ。これだと覚悟も恐怖も一瞬だな~と思った。
その点、バンジージャンプは自分の意思次第なので、あれは絶対無理そうだなと、一人どうでもいいことを考えている。


絶叫系といえば、最近、ひょんなことからジェットコースターに乗ることがあった。
アフター5にいい大人数人で近くの遊園地に行き、そのあと飲むというコース。
普段体験しない速度とGで縦横無尽に夜空を駆け巡ったあと、ヘトヘトになって飲むお酒はなかなか美味しい。

絶叫マシーンに乗ったのは平壌の遊園地以来なので、約一年ぶりだな…と、何となく考えると、何故か得した気分になった。
ノリで乗ろうとなったものの、やっぱり内心どこか「怖い」という気持ちがあるけれど、それ以上に「楽しみ」という気持ちのほうが勝る。

個人的に絶叫マシーンは好きだけど、観覧車など、ゆっくり高くまで登る系はちょっと怖い。
特に観覧車は「これがもし何らかの事故で落ちたら…」という考えがたっぷり出来るほど時間があるので、このジワジワ来る恐怖が苦手だったりする。

ちなみに私の周りは絶叫マシーンが苦手だという人が多いけれど、その中でも男性が多い気がする。
あくまで私の知る人たちに限ってなのかも知れないが、なんだか不思議。


ともあれ、アフター5に絶叫マシーン、オススメです(麗)

ランチタイムを私と

2014-11-12 09:00:00 | (理)のブログ
 写真は、先週マイランチの取材でさいたま市に出かけた時のものです。メイン料理が載る前の試し撮り。どんな食事が出るかは12月号のお楽しみです。

 当日は、ご自宅におじゃまして1時間ほど楽しく取材させていただいた後、そのまま私も一緒に食卓についてお昼をご馳走になりました。お洒落な広いリビングで、温かい食事を向かい合って食べる。なんと和やかな取材だ…と幸せを噛み締めていると、ごはんの味がなおさら優しく感じられたのでした。

 マイランチは12月号で連載を終えます。もう少し続けたかったという未練と同時に、隔月ですが一つの連載を終えたという感慨深さもあります。過去の記事を読み返していると、印象的だった場面や楽しかった会話が浮かんできます。お昼の時間に突然お邪魔させていただいたにも関わらず、快く取材に協力してくださった年齢も職業もさまざまな同胞たち。この連載に携わることができて本当に良かったとしみじみ思います。ひとつ欲をいえば、個人的にこの企画でソフトバンクの孫正義社長を紹介してみたかったです。お昼は何を食べるのか、お昼ご飯から始まってどんなお話が聞けるのか…機会があれば実現させたいですね。

 ちなみに、今日のブログタイトルは元々「お昼ごはんを一緒に」だったのですが、読んだ時のリズムと語呂に聞き覚えがあるような気がして検索したところ「ラストダンスは私に」がヒットしたので、それと掛けてみました。(理)

子どもと「遊ぶ」

2014-11-11 09:00:03 | (愛)のブログ
昨日ブログで(淑)さんが書いていた取材に撮影担当で同行しました。
子どもを撮影する取材は久しぶりだったので、少しわくわく。
親子がリラックスする場所での撮影だったためか、はたまた天性のモデルか、とにかくバッチリいい写真たちが撮れ、私自身もとても楽しい取材になりました。
取材をしながら、監修してくれた先生の話しに耳を傾けると、子育て中の私にとってはとてもリアルで勉強になる話しばかりでした。
例えば、遊びを義務や押しつけのようにすると、「遊ぶ」がつまらないものになってしまう。
特に「遊ぶ」を強要しなくとも、子どもたちが自然にそこにあるものを使って遊ぶ、など。

確かに自分の子どもをみていると、大人が考え付かないような遊びをします。
例えば、三輪車に乗るのではなく、まるで大きなおもちゃを転がしているようにただ押しながら歩くのを繰り返していたり。大人にとっては何が楽しいの?ということも、子どもにとっては立派な「遊び」なのです。

本当に子どもたちと接していると新たに気付かされることが多いです。
子どもたちは、大人になるとつい忘れてしまいがちな大切なことに気付かせてくれます。
取材中、「自分たちも子どもだったはずなのにね~何でこんなになってしまうのだろうね~」と先生方と無邪気に遊ぶ子どもを見ながら話したのが印象的でした。(愛)

子どもの目線に立つ

2014-11-10 08:56:58 | (淑)のブログ
 今年最後のイオは幼児教育の特集。
 日本全国にはウリ幼稚園がたくさんありますが、他方で日本の保育園や幼稚園に通わせる多くのご家庭では、幼少期の子どもたちに対するウリマルやウリノレ、民族教育をどのように、またどれくらい行っているのでしょう。あいさつや家族の呼び名をウリマルで教えたり、ウリマルで数字を数えたり、できることはありますが、限界があると思います。

 特集では親子が家庭で気軽に楽しめるあそびを紹介しています。
 紹介するあそびについては、編集部内で話し合われた方向性とアイデアを持って、専門家にアドバイスをもらいました。
 ウリマルにちなんだ手遊びや絵本など、先生方にこちらのイメージを伝えると…、

 「大人目線だね〜」と一蹴。

 いわく、1、2歳ならまだしも、母語(日本語)を話す能力が形成されている3、4、5歳の子どもに新しい言語(朝鮮語)で話しかけるとものすごーーく嫌がるんだとか。理解不能な言葉で話されて、不安になる、とも。
 専門的なところまで踏み込むと、朝鮮と日本のわらべうたでは旋律が異なるそうで、「どこまで民族的な要素を入れるか」という議論にも。例えば朝鮮と日本のわらべうたでは終音が違うそうです。
 先生方に実際に歌ってもらったり、ジェスチャーしてもらったりしながらあれこれ話し合い、最終的に「親子が実際に実践できうるもの」という点に集約しようと決めました。紹介する3つの遊びには、ゲーム性や歌の要素を多く取り入れました。

 撮影は、読者モデルとして大学時代の同級生と3歳の娘さんに協力してもらい、ご自宅で行いました。
 本番では思い通りの画が撮れるか、お子さんは飽きてしまわないか、カメラ目線になってしまわないか、自然な笑顔は撮れるか…などなど、不安要素満載でしたが、心配をよそに娘さんはとってもお利口さんで終始ごきげんでした。途中少し飽きてしまいましたが、おにぎりで気分転換し、しばらくしてテイク2。最高の笑顔をいただきました。
 別れ際には、こちらが言うより先に「コマッスンニダ」と挨拶まで言ってくれて、本当に可愛らしかったです。



 撮影終了後に、同級生が準備してくれたサンドイッチとコーヒーで昼食をとりながら、専門家の先生と「やっぱり同胞の子どもたちに向けた、幼児教育のDVDやCDがないとね。作りたいね!」「そのときはまた娘さんにモデルとして出演してもらおう!」と、笑いながら話し合いました。
 誌面にはわらべうたの楽譜も載せました。どれもカンタンなメロディなので、ぜひご家庭で実践してみてください。(淑)

「朝鮮学校の12年」の連載を終えて

2014-11-07 09:00:00 | (相)のブログ
 

 10日の校了日に向けて12月号編集の最後の追い込み段階に入っている「イオ」編集部。これが2014年の最後の「イオ」ということで、今年誌面で連載された企画のいくつかもこの号をもって最終回となる。自分が担当した連載が終了(打ち切り?)を迎えるにあたって、さまざまな思いが胸に去来する(と書くのは大げさすぎるかもしれないが)。

 担当した連載の中でも特に印象に残っているのが、「どんなこと勉強するの?~朝鮮学校の12年」という連載だ。これは初級部1年から高級部3年まで朝鮮学校における12年間の民族教育の課程を毎号1学年ずつ解説するというもの。
 朝鮮学校の児童・生徒たちは何の教科をどのように学び、どのように成長していくのか―。これまでイオでは朝鮮学校や民族教育について数多く取り扱ってきたが、教育内容を順を追って具体的に解説する企画はなかったので、このような連載を始めたというわけだ。現役の保護者や同胞たちはもちろん、学齢前の子を持つ親たち、朝鮮学校について詳しく知らない人たちにも読んでもらいたいという思いもあった。
 執筆は日本各地の朝鮮学校の教員の方々に依頼した。
 なにぶん初めての試みだったので、連載開始当初は試行錯誤の繰り返しだった。執筆者選びにも苦労した。
 編集者として「書き手の顔が見えるような連載」にしたいと漠然ながら考えていたが、送られてきた文章を通じて、教育現場で多くの児童・生徒たちを教えてきた経験に裏打ちされた視点、朝鮮学校の教員だからこそ紡ぎ出せる言葉の数々に触れることができた。執筆を依頼した教員たちは面識のない人が大半だったが、文章の行間からは、教壇に立つ筆者の姿や児童・生徒たちに注ぐ愛情、そして教育に対する情熱が浮かび上がってくるようだった。私自身も学生時代に戻って民族教育の12年間を追体験するような感覚を味わった気がする。

 昨日、無事に最終回の原稿を受け取った。元々、1年限定の企画だったが、何とかやり切ったという達成感の一方で、一抹の寂しさも覚える。
 執筆の依頼を引き受けてくれ、こちらの無理な要望にも可能な限り応えていただいた全国各地の朝鮮学校の教員のみなさんには感謝の言葉しかない。本当にありがとうございました。(相)