日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

繰り返される警察の不当な強制捜索

2012-02-28 19:24:42 | (K)のブログ

 今日朝8時過ぎ、月刊イオ編集部が入っている朝鮮出版会館に警視庁公安部をはじめ警察が150人ほどやってきて強制捜索を繰り広げた。入ったのは、朝鮮出版会館に事務所がある在日本朝鮮人科学技術協会(科協)と在日本朝鮮人体育連合会(体連)の2ヵ所。同会館以外にも同時刻に、株式会社中外旅行社と総聯板橋支部に も強制捜索している。
 強制捜索の理由は「外為法違反」ということだった。
 今回の強制捜索についての朝鮮新報の記事はこちら。
 http://jp.korea-np.co.jp/article.php?action=detail&pid=53019

 とある同胞が経営するパソコン関連会社が朝鮮民主主義人民共和国に「違法 」に中古パソコンを販売したということで、同胞が逮捕された事件に関連しての強制捜索だった。
 中古パソコンを販売したことが「犯罪」になるということ自体がおかしなことだが、ましてやその会社と科協と体連とは、まったく何も関係がない。朝鮮出版会館に強制捜 索が入るのは、イオ編集部が入ってからでも3回目となる。いずれもまったく 関係のないことでの強制捜索だ。

  科協と体連の関係者の話によると、逮捕された同胞は科協の会員でもないま ったく接点のない人物で、何年か前に科協会員とその同胞が朝鮮に行く際に通常事務として手続きをしただけとのこと。体連も3年前に朝鮮で行われたW杯予選の試合を観にいった同胞がその会社のパソコンを持っていっただけだとのことだった。

  その証拠に、ものものしい強制捜索だったにも関わらず、押収したのはその同胞がメールの件名かなにかに出てきただけのパソコンや年賀状など数点だけだった。
 47NEWSでは「捜査関係者によると、公安部は今回の科協の家宅捜索で押収した資料を分析し、パソコンの流通経路や輸出目的などの解明を進める。」(28日)と報道しているが、まったくのトンチンカンなもの。分析できるような資料でもなんでもない。ただ何ももっていかないとまずいから形式的に押収しただけのものだ。

  完全に、弾圧のための強制捜索、朝鮮と在日朝鮮人に対する悪いイメージを 植えつけるための強制捜索で、警視庁は事前に日本のマスコミにリークしており、強制捜索に合わせて多くのマスコミが集まっていた。

  朝鮮出版会館は雑居ビルなのだが、警視庁は朝鮮出版会館を完全に封鎖し、捜索先以外の事務所の職員も中に入れず、数時間に渡り寒い中を外に締め出した。その結果、一人の女性が倒れ救急車で運ばれるという事態まで起こった。

 

  このような在日朝鮮人や朝鮮総聯に対する弾圧はこれまで何度も繰り返されてきた。一つだけ例を挙げると、2006年11月、警視庁公安部が都内在住の同胞女性を「薬事法違反」で連行した事件。その女性は朝鮮を訪問する際に自分の病気治療に必要な点滴薬を持っていこうとしただけだったが、警視庁は女性の自宅と、まったく関係のない総聯東京都本部など計7ヶ所を強制捜索した。そして日本のマスコミは何の根拠もなく「北朝鮮の化学兵器開発」云々と報道し た。

  この事件があったときにイオ編集部が行った日本人弁護士へのインタビューで、その弁護士は次のように発言している。最後にちょっと長いがその一部を 紹介する。

  「事情聴取を受けた在日朝鮮人女性は、身体が悪く朝鮮に行って何かあったら困るからお医者さんに多めに薬を出してもらったというだけのことで、いまだに警察から検察庁に事件が送致されていません。本来は刑罰を科すべき内容ではないからです。朝鮮総聯の関係機関を捜索する目的が先にあり、些細なことをあえて事件化している。…政治弾圧だと言われても仕方がありません。
 現在、在日朝鮮人が直接の標的になっていますが、今後、誰が標的になるかわかりません。国家から標的とされたら最後、もはや手も足も出ません。『法の厳格な運用』と言って不平等な運用をするということは、時の権力者にとって都合の悪いことを言う人たちに対してはいつでも襲いかかってくる可能性があるということです。多くの日本人は今は矛先が自分に向けられていないから 、さほど危機感を感じていませんが、現在の一連の朝鮮総聯への不当な捜索は、日本政府が底辺の日本人を切り捨てていることと表裏の問題であり、在日朝鮮人だけの問題ではなく、日本人の問題でもあると考えています。」(k)

  お知らせです。朝鮮高級学校への「高校無償化」制度適用などを求める緊急集会とデモが3月1日、各地で同時に行われる。ぜひご参加を。

■東京 18時集会、19時デモ出発(代々木公園→渋谷駅周辺)、代々木公園イ ベント広場
■大阪 18時30分~(18時開場)、阿倍野区民センター
■兵庫 19時~、神戸市勤労会館7階
■広島 18時30分~20時、広島朝鮮初中高級学校4階多目的ホール

 

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ディズニーの短編映画

2012-02-28 12:52:05 | (麗)のブログ
昔、私の家にはディズニーの短編映画のビデオがあった。
幼い頃の私は夢中になって擦り切れるくらい、何度も何度も見ては夢を膨らませていた。
ディズニーの短編映画といってもシリーズものがかなり多く、初期などの作品は童話を原作としたものも多く製作されている。

私が見ていたシリーズは主にディズニーの顔である主要キャラたちを扱った作品で、これがまた今見ても新鮮でかなりの傑作。
そのひとつで「ミッキーの移動住宅(1936年公開)」という作品は、ミッキー、グーフィー、ドナルドダックがトレーラーハウスで暮らす物語で、ボタン一つで車内が自由自在に変化する夢の車に子ども心を鷲掴みにされる。
「こんな車に住みたい!」と憧れを抱きながら見ていたものだ。
素人目から見ても1936年に制作されたとはとても思えないほどの技術。


そして短編集の中でも特に好きなのがドナルドダックが主人公のシリーズ。
ドナルドダックは短気で喜怒哀楽が最も激しく、自己中心的な性格で、作品中でも“悪役”的な立場に回ることが多い。
劇中のラストにはいつも容赦ない洗礼を受けるドナルドの“残念さ”と“報われなさ”“不憫さ”に同情していた部分もあったり。

そんなドナルドを取り巻くキャラたちの中でも、彼といつもひと悶着あるリスのチップとデールのやり取りが面白い。

「リスのおもちゃ合戦」「リスの汽車ごっこ」「リスの大逆襲」など、彼らの痛快で愛らしいやり取りは見ているこっちもワクワクするし、いまだに笑える。なんとかドナルドが懲らしめられずハッピーエンドに終わる展開はないものかと期待していたが、そんな愛さずにはいられない、不憫で愛おしいキャラクターが大好きだった。

ちなみに私は、いまのミッキーのデザインより初期のミッキーの方が断然可愛いと思っている。
それに比べて初期のドナルドダックはよりアヒルに似せていてお世辞にも可愛いとは言えない。(笑)
当時は悪役的存在になるひとつの要素として、それっぽく描かれていたのかもしれない。



…ディズニー短編アニメーション、おススメです。他にもたくさん、あげたい作品があるんですがきりがないので…^^ 
多分見た事がある人はいるはず。「懐かしいー!」っと思わず叫びたくなる、古きよき良質アニメーションの一つです。(麗)
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祖父の想い

2012-02-26 09:00:00 | (愛)のブログ
今日は祖父の13回忌です。
祖父がなくなって12年、祖父は私にとっては常にやさしく、頼もしく、 本当に尊敬していた、
そしていまも変わらず尊敬しているハルべです。

祖父の13回忌を迎えるにあたって、祖父の過去を改めて振り返ってみようと、
遺してくれた自叙伝をもう一度開いてみました。

祖父は南に故郷がありましたが、朝鮮民主主義人民共和国を支持し、 恋しかった故郷にもいけず、
ただ祖国統一の実現を夢見て、 祖国のため、同胞のため、朝鮮学校のために、精力的に活動しました。

自叙伝で祖父は、綴っています。
自分がこの道を選んだのは、あの当時の時代が要求し、民族的良心がその道を歩ませたのだと。

祖父は祖国を失った民がどれだけ貧しく、みずぼらしいものなのか、その本にも書かれていました。
そして植民地朝鮮はついに終わり、国がやっと朝鮮民族のもとに。
その時の嬉しさはどんなに喜ばしいものだったか―

しかし、解放を迎えた南の地は米軍の手によって植民地時代よりも、より酷い状況に。
そして、2つに分断された朝鮮。

祖父は故郷に背をむけ、捨てたことは一度もないと、
故郷がずっと忘れられず、恋しく思ったとして、国の分裂に加担し、売国・背族するようなことはできなかった。
そう綴られていました。

その部分を読み、2000年6.15共同宣言の喜ばしいニュースを聞かずして、 亡くなってしまった、
祖父への想いに涙がとまりませんでした。

1世たちは朝鮮民族がより良く暮らせる時代を求め、そのために 朝鮮学校も建設し、
朝鮮民族が朝鮮民族として堂々と暮らせる道を求め続けたのではいかと思います。

祖父は自叙伝でこうも遺しています。

내 고향 경주
마음의 고향 평양
내 소원 통일조선
私の故郷 慶州
心の故郷 平壌
私の願いは統一朝鮮



自分個人のためだけを思うのではなく、
「民族的良心」を持ち、あれほど焦がれた故郷にも帰れず、 ただ祖国統一の実現と祖国繁栄のために闘い、
その願いを叶わずして亡くなった1世がどれだけいるのか。
私たちは決して忘れてはいけないと、そして私たちが祖父の想い、1世の想いを
受け継いでいかなくてはと、また一度、強く思いました。(愛)
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邂逅

2012-02-25 09:00:00 | (淑)のブログ
 先日、とある学習会で遠い親戚と偶然再会した。
 母の叔父の妻にあたる人で血縁関係にはないのだが、その母の叔父という人が少々思い入れのある人なので、とてもうれしくなったのだった。
 この思いがけない出会いは、私にとって大叔父との「邂逅」でもあった。

 大叔父は1998年、私が中学2年の時に心筋梗塞で他界した。61歳だった。
 だから彼との思い出は数えるほどしかない。数少ない記憶で思い出されるのは、彼の還暦のお祝いをした1997年2月のこと。
 彼の生年月日は1937年2月17日で、私の誕生日も同じ2月17日なのである。重ねて干支(丑年)まで同じということで、彼は私をとても可愛がってくれた。
 還暦祝いの席で彼が私にプレゼントしてくれたキリンのブローチ(吸い込まれるようなエメラルドグリーンの瞳が綺麗で、私はそれをいたく気に入ったのだった)は、ピンが折れてしまってもう使うことはできないが、今でも宝石箱に大切にしまってある。

 彼の名前は鄭京黙。親戚らは親しみを込めて“京ちゃん”と、私たちきょうだいは“キョンムギアジェ”(正確にはアジェ(叔父)ではなく、大叔父なのだが)と呼んだものだ。
 “久保覚”といえば読者の中にも知る人がいるだろうか。彼は数々の重要作を編集・刊行した編集者であり、文化活動家・研究者であった。
 甚だ恥ずかしながら、私は彼のペンネームをつい先日まで知らなかった。ペンネームどころか、彼が著名人であったことは生前母から聞かされていたが、彼がどのような思想の持ち主でどんな研究や活動をしていたのか、全く知らなかったし、知る由もなかったのだ。

 学習会で彼の知人が、2000年に発刊された彼の遺稿集を持ってきて見せてくれた。その中の著作の一部を紹介したい。

・「半島」の舞姫-崔承喜論のために
・やっかいな芸術家-「故事新編」の思想
・花田清輝全集刊行の言葉
・広場の思想-バフチーンとロシア・アヴァンギャルド
・書評『ベルトルト・ブレヒト演劇論集』
・朝鮮賎民芸能のエートス-流浪芸能集団「男寺党」をめぐって
・小野二郎よ、安らかに眠れ!
・アンゲルス、ノーヴス--三木卓について
・群読の意味
・文化戦線の形成にむかって
・点字で書かれた人と犬への手記-佐々木たづ『ロバータさあ歩きましょう』
・コンピアントの精神--『種子を粉にひくな-ケェテ・コルヴィッツの日記と手紙』
・〈水晶の精神〉のメモワール-ルイーズ・ミッシェル『パリ・コミューン』
・アイルランド文芸復興の母-『グレゴリイ夫人戯曲集』
・先駆的アイルランド文学紹介者の最後の書-片山廣子『燈火節』
・愛、そして詩的想像力への生きた讃歌-アントニオ・スカルメタ『イル・ポスティーノ』
・打ち砕かれた心と生の回復のために-ジュデイス・L・ハーマン『心的外傷と回復』
・〈絶筆〉21世紀への投瓶通信(上)--ローザ・ルクセンブルク『ロシア革命論』

(「収集の弁証法―久保覚遺稿集」/久保覚遺稿集・追悼集刊行会編集・発行/影書房)

 このように彼の研究領域は広範だが、それらの底流にあるのが抵抗の文化であることは、浅学未熟な私でも想像に難くない。
 この知らざる大叔父の事績を知ったのは、折りしも彼の誕生日の翌日だった。この日、彼の活動の一端を知って、彼の生前、幼すぎた自分が悔やまれるとともに、私は彼へのシンパシーを強めずにはいられなかった。いま彼が生きていたら、聞きたいことが、話したいことがたくさんある。また、曲がりなりにも同じ編集者の端くれとして活動する私の姿に、大叔父は喜んでくれただろうか・・・。背筋が正される思いだった。

 遺稿集の写真で、久しぶりに大叔父の顔を見た。顔中ひげに覆われていてもわかってしまう優しい目。生前何を思い、活動をもって社会になにを訴えたかったのだろう。彼が残した数々の書物でその面影を探し、遅まきながら彼と出会いなおしたい。(淑)

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「南北コリアと日本のともだち展」を見て

2012-02-24 09:34:24 | (相)のブログ
 

 先週の土曜日、渋谷・こどもの城ギャラリーで開催中の「南北コリアと日本のともだち展」に足を運んだ。
 同展はその名の通り、北南朝鮮と日本に住む子どもたちが描いた作品を展示する絵画展。子どもたちの絵画による交流を通じて、北南朝鮮と日本をはじめとした北東アジアの平和を築こうという趣旨で2001年から始まった同展は北南朝鮮、日本3者の民間団体による交流の取り組みの代表例として知られている。毎年、日本各地での巡回展に加えて平壌とソウルでも展示会が開かれている。2年前からは中国の延辺朝鮮族自治州からも作品が寄せられている。
 2011年のともだち展は昨年5月の横浜を皮切りに東京、ソウル、平壌、延吉、福岡、埼玉と巡回し、今年に入って気仙沼展を経て今回再び東京に戻ってきた。朝鮮から30点、韓国から41点、日本から170点、延辺朝鮮族自治州から26点の計267点の作品が集まった。テーマは「私の宝物」。家族や友だち、サッカーボールなど自分の大切なものを描いた子どもたちの作品は彼らの純粋な精神世界が垣間見られてほほえましい。また、大人が見てもハッとするようなテーマが込められた作品も多い。
 個々の作品展示とは別に、近年では「共同制作」という形で日本や韓国の絵本作家などの力も借りながら、東京、平壌、ソウルでのワークショップを通じて一つの大きな作品を作るという試みも行われている。ただ絵を持ち寄って展示するだけではない「双方向」の交流が「ともだち展」の一つの特徴だろう。

 

 

 東アジアの複雑な政治情勢、とくに朝・日間の関係が年々悪化している中で、このような交流を10年以上途切れることなく続けるのは並大抵のことではない。過去に東京や平壌で「ともだち展」を幾度か取材したことがあるので、関係者の苦労や喜び、自負の気持ちも少しはわかっているつもりだ。
 「ともだち展」の歴史の中でいまだ実現されていないこと、それは北南朝鮮、日本、そして在日朝鮮人の子どもたちが一堂に集まることだ。さまざまな政治的事情が重なり、朝鮮の子どもたちは日本や韓国に行けず、日本や韓国の子どもたちも朝鮮を訪れることが難しい。日本の子どもが平壌に行ったのも、昨年8月のワークショップに小学生1人が参加したのが唯一の事例。
 一方で、在日朝鮮人の子どもたちは北南朝鮮と日本を行き来して、3者の間をつなげる役割を果たしてきた。昨年、過去に「ともだち展」に携わった経験のある朝鮮学校の生徒たち(今では高校生、大学生)を取材する機会があったが、「北南朝鮮と日本をつなぐ存在になりたい」「今後も『ともだち展』に関わっていきたい」など自らの立ち位置についてとても深く考えていることに感銘を受けた。
 関西学院大学教授で「ともだち展」実行委員の山本俊正さん(牧師)は以前、同展の意義について以下のように指摘していた。「冷戦状況が続き、『抑止論』が幅を利かせてきた北東アジアの歴史の中で『ともだち展』の歴史は、平和創造の対抗軸として、抑止論を克服する『信頼の醸成』『対話の継続性』など有効な価値を示し続けてきた」。
 東京で、平壌で、ソウルで子どもたちみなで集まり、楽しいひと時を過ごすことは夢物語なのだろうか。取り巻く状況は大変複雑で厳しいが、決して不可能ではあるまい。実行委員会の地道な取り組みに最大級の敬意を払いつつ、私もその活動の拡大に少しでも貢献できればいいと思っている。(相)
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17年ぶりのウリハッキョ⑩学芸会がありました

2012-02-23 09:00:00 | (瑛)のブログ
2月のはじめ、初めての学芸会があり、行ってきました。

1年生が披露した演目の目玉は、大工道具に扮する演劇。

カナヅチ、カンナ、ノコギリなどが、最初は自分の能力を主張して、各々の力をなかなか合わせられないのですが、一人の力ではイスや机は作れない! そこで考えを改め、仲直りをして仕事に取り掛かる、といったストーリーです。5人ともに、セリフもバッチリ覚えていて、見ている側がハラハラすることもありませんでした。

他にもいくつかの演目を披露してくれたのですが、私は素朴な童謡メドレーが気に入りました。日本には、「はないちもんめ」「おしくらまんじゅう」などのわらべ歌がありますね。学芸会では、初級部1,2,3年生たちが全員で、「꽃찾기」「어디만큼 왔니」などの朝鮮の童謡を披露してくれました。

絵描きうたも「ドラえもん」くらいしか知らなかったのに、とりの絵を描く朝鮮の歌を覚えていました。たった、それだけのことかも知れませんが、数多ある日本の歌の中に、自分のルーツにつながる歌が加わることは、初めて朝鮮語で名前を書くのを見たときのような、静かな感動がありました。朝鮮のわらべうたを習える場は日本では限られているので…。例えば「꽃찾기」の歌詞はこのようなものです。

우리 집에 왜 왔니
꽃 찾으러 왔단다
무슨 꽃을 찾겠니
복순이 꽃을 찾겠다

 学芸会の後、ハッキョに寄ったおりに教室をのぞいてみると、朝鮮語で書かれた感想文と画用紙一杯に描いた絵が飾られていました。
 これからの長い人生、人前で自分の気持ちを表現する機会はどんどん増えていくでしょうが、学芸会での様子は、その「一歩」を見せてくれたように思います。

 それにしても子どもの成長の早さにはついていけません。最近は、「オンマは、こんなことも知らないの!」とバカにされることもしばし。ウリマルに限らず、動物のことから、(K)さんが書いていたなぞなぞなど、7歳の知識欲と摂取力はスポンジのようです。まずは子どもの図鑑でこっそりコソベンするとします。(瑛)

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文章を書くということ

2012-02-22 09:05:42 | (K)のブログ
 以前、息子がなぞなぞを出してくれた。
 「野球選手、記者、医者のうち、秘密があるのは誰か?」というもので、けっこう有名ななぞなぞらしい。何分か考えたが答えがわからなかった。

 昔から文章を書くのは好きではなかったし、まさか自分が文章を書くような仕事に就くとは思ってもいなかった。
 雑誌編集の仕事をするようになって30年以上、どれだけの文章を書いてきたかわからない。それも、日記とか自分だけが読むような文章ではなく、公開され不特定多数の人々が読む文章である。現に今もこうしてブログの文章を書いており、この文章はネットに公表されて誰が読んでいるのかわからない。

 文章を書くことを仕事にするようになり思うのは、書くべき内容、伝いたいことがなければ、文章は書けないし、書いてはいけないということ(もちろん公にする文章のことで日記などは関係ない)。
 私は学者でもないしエッセイストでもないので、何かを書くとなると、ほぼ必ず取材をする。取材をして、どんなに長い原稿でも内容があればスラスラと書けるけれど、内容がない(取材が不十分な)場合は、短い原稿でも筆が止まってしまう。例えば、月刊イオに毎月「編集後記」を書いているが、たった125字の文章でも、書く内容がないときは悶々と考え込んでしまうのだ。
 だから、書きたい内容がないときに、このブログの順番がまわってくると本当にうっとうしい。

 また、書きたいテーマがあっても、問題が大きくて無責任に書けないということもある。これも結局は十分に資料を読み込んだり関係者に取材したりしていないから、自分なりの考えはあっても、文章にまとめられない、いいかげんな文章になってしまうために書けないということだ。
 山口県光市母子殺害事件で、犯行当時18歳1ヶ月だった被告の死刑が確定したが、死刑制度について、多くのマスコミが被告の名前を伏せることをやめ実名報道に切り替え顔写真も公表したことについて、私の考えは定まっているが、これをひとつの文章として完成させることは、現時点では不可能である。いずれ書きたいと思っている。


 さて、月刊イオの3月号が完成しました(写真)。
 3月号の特集は「アイラブ焼肉」。長びく不況、焼肉業界に吹く逆風や大手の参入などにより苦戦を強いられている個人店を応援しようという企画です。関西・関東の名店を紹介しているほか、焼肉業界の現状の解説や藤井誠二さんのエッセイ「ホルモン好きを刮目させよ!」を掲載しています。
 特別企画は「東日本大震災から1年」。宮城同胞社会の現状をルポし、被災同胞の1年を振り返っています。

 その他、最終回となる岡真理さんと李英哲さんの往復書簡2012、京都で行われたシンポジウム「在日朝鮮人の人権―歴史と現在」での徐勝さんの特別講演、2011年度教育研究会の内容など、今月号も盛りだくさんの内容となっています。ご愛読ください。

 最初に出したなぞなぞの答えは「記者」。「書く仕事(隠し事)」だから。(k)
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合唱に参加して

2012-02-21 09:00:00 | (麗)のブログ
先日、合唱で舞台にあがる機会がありました。チョゴリを着て大勢の前で歌を歌ったのは久しぶりです。
確か結婚式以来だったはず。


それにしても、人前で歌を歌うのはいつまで経っても慣れません。


今回は練習時間も少なく、歌詞を覚えるのに苦労しましたが、それ以前に私は背が低いから、
センターのすぐ隣の位置にいたので歌詞を覚えていないと格好がつかないですし、何より自分が恥ずかしいですからね…。
行きのバスや本番ギリギリまで歌詞カードに目を通してぶつぶつと歌詞を頭に叩きこんでいました。


出番が終わって、公演を見に来ていた先輩から「君が一番淡々としてたよ」というメールが。

これでも大きな口で歌ったつもりなのですが…。

見られていた…!そう思った私は、二番目に入るタイミングを間違い、
一人フライングをしたことをこっそり告白するのでした。(麗)
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朝鮮学校の学芸会

2012-02-19 09:00:00 | (愛)のブログ
昨日、チョッカの学芸会へと行ってきました。
チョッカは私の母校に通っているのですが、母校の学芸会へと赴くのは実に久しぶり。
母校は私の実家から車で1時間も離れた場所にあるので、
私と母はぎりぎりの時間で車でひと山越えてなんとかチョッカの出番に間に合いました。

やはり一番楽しみだったのはチョッカも出演する新1年生たちの口演です。
1年間で習ったウリマル(朝鮮語)をフルに使って、
新1年生たちがウリマル勉強をする様子を描いた口演が披露されました。
流暢なウリマルを使って、言葉遊びをしていく新1年生たち。
一番後ろに「차」がつく言葉や反対語を子どもたちが言ったり。
入学した当初はウリマルを覚えるのが苦手だったチョッカも、
そんな姿がかき消されるほどの出来栄えで、
あの幼かった子が、堂々とウリマルで皆の前で話せるようにまでなったと思うと、
イモちゃんとしては目頭が熱くなるばかりの素晴らしい口演でした。

ウリハッキョになじんできたトンポからすると当たり前の新1年生の口演かもしれませんが、
こんな偏狭なメディアがあふれている日本社会、
その中に身を置いている幼いこどもたちがこんなにハツラツと流暢にウリマルを話し、
ウリマルで皆を楽しませてくれる口演を演じ、
それを聞けるということは、よくよく考えてみれば本当にすごいことだと思います。
ウリハッキョという本当にかけがえのない場所があるからこそ、できることだと思います。

母校の学芸会は、新1年生の口演はもちろん、ほかにも楽しめる演目がたくさんありました。
付属幼稚班の園児たちによるウリマルによる劇「アリとキリギリス」はとても微笑ましく、
学生たちの歌や踊りはもちろん、影で繰り広げられる「ブレーメンの音楽隊」劇や手品、
地元の朝青たちの歌や卒業生の「朝鮮相撲」舞踊などなど!
私の時代に比べて、よりおもしろくなったなと感じました。

今回演目の間に昔の私たちが学んだ旧校舎の写真などもでていたりして、
すごく懐かしくなりました。
母校というのはやはり愛おしいものです。
やはり最後は校歌で締めくくり。思わず一緒にくちずさんでました。
やっぱりウリハッキョは素晴らしいなと、
立派に成長しているチョッカを見ながら、思いました。(愛)





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「『無償化』実現という悲願に人間として向き合ってほしい」

2012-02-18 09:00:00 | (淑)のブログ


 朝鮮高校の卒業式を2週間後に控えて、各団体の要請活動が相次いでいます。
 今週だけでも、ハルモニたち、日本の市民団体、詩人歌人たちと、3つの団体が文科省と内閣府を訪れ要請活動を行いました。同時に文科省前では各団体によるスタンディングデモも続けられています。

 これまで数十回と行われてきた要請活動ですが、今回ばかりは参加者たちも憤りを抑えられないようすでした。

「審査はいつ終わるんですか?」
「なんの審査をしてるんですか?」
「こんなに時間がかかるのは、何が問題なんですか?」

「なんで?」「どうして?」と繰り返し、また、子どもを朝鮮学校へ送る保護者たちは、

「朝鮮学校の保護者たちは、限りある体力の中で学校を支えているんです。子どもをちゃんと育てたいという一心で、一所懸命学校に送ってるんです!」
「朝鮮学校への嫌がらせ、バッシング…どれだけつらい気持ちで子どもたちが学校へ通って、親が通わせているかわかってますか!」
「一人の人間としてこの差別の痛みを感じられますか?」

と、張り裂けそうな胸の痛みをぶつけていました。

 この2年間、当たり前の権利を何度も主張し、期待しては裏切られ、安堵しては悲嘆して…と、屈辱と痛みを繰り返し味わって、なおも動かない理不尽な現状に対し、一体これ以上どこに思いをぶつけていいのか――参加者たちの訴えからは、そんな途方もなさが感じられました。

 「無償化」問題は何を生んだのか?
 「無償化」制度に伴い民主党政権は、16~18歳の特定扶養控除を減額したことで、朝鮮学校保護者らは余計に税金を払うことになり、さらにわずかばかりの補助金まで打ち切られ、保護者たちは二重に経済的逼迫を与えられています。
 そして何より、右派勢力、反北勢力のキャンペーンに日本政府が便乗し、朝鮮学校を対朝鮮政策の道具として利用したことで、差別の構図を日本全国に広げる状況を生み出しました。
 (瑛)さんも書いていましたが、この間に、ホライゾン・ジャパン・インターナショナルスクールとコリア国際学園がそれぞれ8ヵ月と5ヵ月の審査期間を経て、無償化の対象に定められました。
 この二つの高校が数ヵ月の審査で認められたのに対し、朝鮮学校の「無償化」問題はもうすぐ2年に。2校への審査内容と、現在「進行中」とされている朝鮮学校への審査の内容は、当然まったく同じものでなければならないはずですが、果たして本当にそうなのでしょうか? 生徒数や教員数、学校数の違いなどを考慮したとしても、答えは否、です。

 昨日、内閣府を訪れた許玉汝さんはこう訴えていました。「まともな考え方をして、『普通』の一般的なものの見方で考えて、この世の中に差別していい子どもと、したらいけない子がいる、そんなことあるはずがない」。

 朝鮮学校と「無償化制度」を巡る、一部の政治家の発言や報道によって、問題が過剰に複雑化していますが、私たちは「等しい権利を」と、人間としてごく普通のことを主張しているだけです。一人ひとりが基本的人権に立ち返って、もう一度この問題を真摯に見つめなおしてほしいです。(淑)

 
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その眼差しから目を逸らすことは許されない

2012-02-17 09:00:00 | (相)のブログ
 昨日のブログで(瑛)さんが朝鮮学校に対する「高校無償化」制度適用問題に関するエントリーを上げていたが、私も同じく、思うことをいくつか書きたい。

 「高校無償化」制度が施行されて間もなく2年を迎えようとしている。しかし、周知の通り朝鮮学校に対する適用はいまだなされていない。朝鮮学校だけが選択的に排除されている。
 高校授業料無償化・就学支援金支給制度の法的根拠となる「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」(略称=高校無償化法)は2010年3月16日に衆議院で可決、同月31日には参議院で可決・成立し、4月1日 から制度が施行された。ただ、09年9月の民主党政権樹立後、法案の国会上程がスケジュールに上る同年末から「朝鮮学校外し」の流れは政治とメディア、排外主義勢力によって公然と進んでいた。
 時の鳩山政権は無償化の対象に朝鮮学校を含めることの是非について、「第三者機関」を設置して対応を検討するという噴飯ものの策をとった。菅直人政権発足後の同年11月には延坪島砲撃事件を受けて朝鮮学校への制度適用審査プロセスを停止。その後、菅首相は昨年8月29日、停止していた審査手続きを再開させるよう文科省に指示したが、現在まで進展はない。
 この間、度重なるプロセスの引き延ばしや停止に直面しながらも、学校側や生徒、保護者、そして支援者らは各所への要請行動、署名運動、集会を数多く行い、生徒たちによる国賠訴訟も視野に「無償化」適用実現に向けた取り組みを続けていた。(このあたりの経緯については、http://reliance.blog.eonet.jp/default/files/keii.pdfを参照)

 朝鮮学校が日本の高校に類する教育課程を満たしていること、制度の趣旨からも適用は当然であること、同制度からの除外が国際的な人権条約に照らしてみても明白な差別であること等々、適用は当然であり排除の不当であるということはさまざまなところで論じられてきたし、このブログ上でも何度も言及しているので、繰り返すまい。(例えば、http://w.livedoor.jp/mushokamondai/ http://www5f.biglobe.ne.jp/~wasio/QandAmusyouka.htmなど)
 「無償化」適用基準は、教育課程が日本の高等学校の課程に準じているかどうかで、教育内容は問われない。朝鮮高等学校は基準を満たしているので、適用がここまで先延ばしにされているのは日本政府側に問題があるということだ。しかしこの間、政治家やメディアからはこの問題を自らの問題として考える声は悲しいかなほとんど聞かれなかった。代わりに、全てを朝鮮学校側の問題として語る声と、「黙って言うことを聞いたら施しを与えてやる」といったマジョリティの傲慢な物言いが世間を覆った。
 政治、メディア、そして社会が一体となった責任回避(放棄)。かくして差別的状況に対する日本側の責任は免罪され、在日朝鮮人の側に向けられる眼差しだけが厳しくなり、マイノリティを制度的に疎外する状況はますます強化されている。
 朝鮮学校に対する「高校無償化」適用をめぐる問題は政争の具、外交的駆け引きのカードと化し、さらには補助金支給問題とともに朝鮮学校に対する圧力の道具として機能しているのが現状だ。「不法国家・北朝鮮」と関係する朝鮮学校およびその運営に携わる総聯が「パブリック・エネミー」(公共の敵)と名指しされ、社会の沈黙の同意の下で排除されるという「ディストピア的状況」が出現するのもそう遠い未来の話ではないかもしれない。

 民主、自民、公明の3党は14日、「高校無償化制度」の「政策効果の検証と必要な見直しの検討」について今後3党間で協議を始めるとした確認書に署名した。「見直し」は昨年8月の3党合意にもあるが、その内容が気になるところだ。ただ朝鮮学校にとって「無償化」制度とは、映画「キッズリターン」(北野武監督)の中の台詞を借りるなら、「バカヤロー、まだ始まってもいねえよ」なのだ。
 3月初めには各地の朝鮮高級学校で卒業式が行われる。このままでは、今年もまた制度の適用を得られず卒業する生徒たちが生まれる公算が高い。
 一貫して朝鮮学校に対する「無償化」適用に反対してきた人々には是非一度、生徒やその保護者、学校関係者の前に立っていただきたい。排除され虐げられ蔑まれ、傷ついた者たちの眼差しが彼らを射抜く。その視線には怒りと悲しみ、侮蔑が込められ、ある種の諦念も混じっているかもしれない。そこから目を逸らすことは許されない。

 「あなたにはその『眼差し』を闇の中に閉じ込めておく権利はない」―テオ・アンゲロプス監督「ユリシーズの瞳」より
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卒業式の日まで無償化実現を!

2012-02-16 07:10:00 | (瑛)のブログ
 来月3月はじめ、日本各地の朝鮮高校は卒業式を迎える。

 もう、いくたびも開かれた国会での院内集会。2月14日に開かれた集会で、東京朝鮮中高級学校オモニ会会長の朴史鈴さんは、4人の子どもを育てる保護者として、就学金を受けられぬまま子どもを卒業させた悔しさ、また経済的事情から進学を断念した生徒の存在を伝えながら、「生徒たちは傷つくだけ傷ついてきた、この怒りをどこぶつければいいのか」と訴えた。

 冷静を心がけながら話す人たちを前に、私たちはいつまで語り続けなければならないのか―。理不尽な思いで一杯になった。同じ思いを抱かれた参加者は多かったと思う。

 菅直人前首相が、朝高の「審査手続きの再開」を指示したのが昨年8月29日。この5ヵ月の間、トルコ系のホライゾン・ジャパン・インターナショナルスクール(8月30日)、コリア国際学園(12月2日)が就学支援金の無償化の対象に認められるなか、朝高は対象から外されたままだ。

 この2年間、朝高生は、日本政府が次から次へと設ける「外交事情」によって、無償化の対象から除外されつづけてきた。私自身、三権分立を掲げる日本で、首相の超法規的な「一声」で、法律の精神が否定される日本の現状を目の当たりにし、差別の根深さを学ばせてもらった。植民地主義は克服されていなければ、克服の兆しも見えない。踏みにじられている側が過去から学び、差別がなくなるまで声をあげていくしかない。

 集会では国会議員、弁護士、会社社長、日本の教育者など、さまざまな立場から「朝高無償化除外」が語られた。

 制度発足から約2年が経ったが、朝鮮高校を徹底的にいじめぬく日本社会について、強烈な違和感を感じる人が増えているのは確かだ。改めてこの人たちと希望を捨てず、声をあげ、その輪をひろげていきたい。

 そして、読者の皆さん、輪が広がるいい方法があればぜひこのブログに寄せてください。

 集会の詳細はhttp://www.labornetjp.org/news/2012/0214hokoku

 朝鮮高校の無償化除外問題が的確にまとめられているQ&Aはhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~wasio/QandAmusyouka.htm
(「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会)

 ↑↑↑ぜひ読んでみてください。(瑛)

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ネクタイ

2012-02-15 09:00:00 | (K)のブログ
 今日は、久しぶりに背広を着ている。
 今の職場の良い点というか、気に入っているひとつが、背広を着ることを義務づけられていない、ということ。
 背広は、冠婚葬祭や特別なときにしか着ない。仕事ではほとんど着ないと言ってもいい。

 背広を普段、なぜ着ないのかというと、突き詰めるとネクタイというものの存在にいきつくようだ。まったく意味がわからない。慣例、風習ということなのだが、ネクタイに何の存在意義があるのかわからない。
 ファッションとして好きな人は勝手にやればいいけれど、首が苦しいだけ。夏の暑い日々にネクタイをするなんて、頭がどうにかしているとしか思えない。ただの拷問だ。

 そして一番いやなのが、「ネクタイをしないと失礼だ」という社会通念、見えない圧力があること。まあ、私もそれに勝てなくて、時々はこうして背広を着てネクタイをするわけだ。そういう自分も嫌になる。
 どんなときにも背広を着ないというスタイルを貫いている人もいて、いいなと思うのだが、例えば結婚式に参加するとして、背広に代わる衣装を持っているわけでもなく、考えるのも面倒なので、結局、背広を着るということになってしまう。「安易な方向」に流れているわけだ。


 ここ何年か、政治家たちも特に夏にはネクタイをしないスタイルが多くなって、その点では評価したいと思う。1日も早く、ネクタイというものをしなくてもまったく社会的な圧力を感じない社会になってもらいたい。(k)
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編集後記が面白い

2012-02-14 09:00:00 | (麗)のブログ
先週で締切を終えほっと一息のイオ編集部です。


さて、突然ですが私こと(麗)は、イオのデザイナーを担当しています。


イオはページ数が80ページありますが、ほぼ半分の割合で(愛)さんと共に誌面のレイアウトを制作しています。

その中で私がレイアウトを担当しているひとつに、「読者の声」があります。
このページの左側に黒い枠で囲われている欄が、編集部員が綴る「編集後記」です。


編集後記は、締切前になると編集部員から徐々に原稿があがってきます。
内容は特集にまつわる話だったり、自分が取材先で関わった人たちの話、政治の話、生活の話と様々です。


私も締切前になると自分の1ヶ月間の出来事を書き出しますが、編集部員から寄せられる原稿を一読して、
もし7人中4人が特集に関する事を書いていたらバランスを考えて
編集に全く関係ない私生活などの話に変更する場合もあります。


過去の編集後記も読んでいると面白いです。
こんなこと書いてたっけとなるような赤面ものの内容があったり、
編集部員の姿も垣間見えて、より親近感が湧きます。
皆さん150字という短い文字数で伝えたい事がぎゅっとまとめられていて
文章をあまり書き慣れていない自分としても勉強になります。


ちょうど読者カードで隠れてしまっているページですが、是非じっくり読んでいただきたいです。(麗)
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写真の話し

2012-02-12 09:00:00 | (愛)のブログ
私はイオ編集部でデザインを担当していますが、時々記者とともにカメラ担当として同行取材することもあります。
ただ名刺には「デザイナー」として表記されているので、取材を受ける方にしてみれば、
カメラ担当としていってももしかしてあまり説得力がないかも知れません。

雑誌編集をする際、デザイナーは記者のどういう記事にしたいかという意向を聞き、
皆で話し合い、それをより良いカタチにしていくのが仕事です。
その際にある程度自分で写真を撮れる方が、
よりイメージを明確にできるという意味でも写真を学びます。

イオでは一眼レフカメラを取材時に使用しています。
私も入ってから本格的に、上司の方にカメラの扱い方や写真の撮り方など
ノウハウを丁寧に教えてもらいました。
私が編集部に入った当初はデジカメが1台位しかなく、フィルムカメラを使用していました。
なので、フィルムカメラで取材に行く場合、すぐ撮影したものを見られるはずもなく、
練習してポンと現場に送り込まれるわけで、現像するまで毎度ドキドキしながら撮影。
いまはデジカメに移行して、だいぶ精神面で楽になりました(ただ油断は禁物)。

いままで経験したなかで私が一番好きな取材現場はインタビュー時の写真撮影です。
素晴らしい話を聞けるとともにインタビュー時はじっくりと撮影できるので。
そして、やっと取材相手の一番良い顔を、そしてその方の雰囲気も撮れた瞬間は
心のなかでガッツポーズ!
かなりの至福の喜びを感じます。


最近はコンパクトデジカメもかなり優秀になってきて、
トイカメラ風、ミニチュア風などの加工写真なんかもパパッと楽に撮れちゃいますね。
(今回アップした写真がそうです。場所は表参道のイルミネーション
一眼でもコンデジでもカメラと上手に付き合えば、
自分風の写真が撮れてしまう便利な時代になったな~とつくづく思います。
カメラの上達のコツはなにしろいっぱい撮る事!!だそうです。
上達のため、毎日写真を撮ることを習慣づけようと思ってますが、なかなか。。。
そして撮った写真を管理するのもなかなか。。。


とりあえず、近場の風景や一番好きな動物ナンバーワンのネコなどを(ネコ探して…)
日々撮り続けてみようと思っています。(愛)

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