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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

次回、ついに証人尋問!

2016-01-29 09:00:00 | (理)のブログ

 
 先週、大阪地裁で行われた補助金裁判を取材してきました。補助金裁判は、大阪府と大阪市が下した、府・市内の朝鮮学校に対する補助金の不支給処分の取り消しと交付の義務づけを求めて、大阪朝鮮学園が原告となり起こした裁判です。1月21日はその第17回口頭弁論でした。地裁前には同胞、支援者ら約100人が集まりました。

 今回、特徴的だったのは府内に10校ある朝鮮学校の学校生活をおさめた映像が法廷で流されたこと。約14分の映像の中で、クラブ活動や授業など生徒たちの日常に加えて、朝鮮学校の歴史や民族教育の意義についても触れられていました。明かりが少し落とされた法廷で、裁判長はじっと画面を見つめていました。傍聴席では、感極まったのか涙をぬぐう人の姿も見られました。

 映像に先立って陳述された第13準備書面では、本件補助金が1992年度に創設された際の要件として、「1条校に準ずる」という要素はなく、同年に策定された「大阪府国際化推進基本指針」を踏まえ、「国籍や民族を問わず、すべての人々が同じ人間として尊重し合い、違いを認め合って共生していく地域づくりなど…」という趣旨で、民族教育や国際化教育の振興を図る観点から創設されたものである―としながら、したがって大阪朝鮮高級学校に対してのみ補助金を支給しない措置をとったのは不当だと主張しました。



 口頭弁論終了後、報告集会がありました。法廷で流された映像を作った林学さん(49、写真上)は、「民族教育を取り巻く現在の情勢や社会が正常ではないということを、子どもたちのありのままの姿を通して見せたかった。お金をもらおうというのが裁判の本質ではない。大阪府・市に、自分たちの過ちに気づいて欲しい、そういう気持ちを込めて映像を作った」と話していました。

 報告集会が終わった後、もう少し詳しく話を聞きに行くと、法廷で映像が流されたのは異例だと仰っていました。原告側は、もともと裁判官に朝鮮学校への訪問を要請していましたが、被告側の反対もあってそれは叶いませんでした。しかし、実情を知るのは重要だという裁判官の判断で、学校と子どもたちの姿を撮った映像のようなものがあれば証拠として提出してもいいということになったそうです。



 原告側弁護団の丹羽雅雄弁護団長(写真上)は、「ついに次回、次々回と人証が行われる。裁判長は保護者アンケート(大阪府下10の朝鮮学校に子どもを就学させている保護者を対象に実施したアンケート)に強い関心を持っており、原告からは予想以上に多くの人が出廷してくれる。今年9月頃には判決が出るかもしれない。最後の、本当の踏ん張りどころです」と力強く話しながら支援者たちを鼓舞していました。(理)

↓月刊イオ編集部 編『高校無償化裁判』では、補助金裁判についても詳しく解説しています。詳細は、下記のリンクからぜひチェックしてみて下さい。

民族名と通名

2016-01-28 09:00:00 | (愛)のブログ
イオ2月号の連載「暮らしはいま」では、「民族名、使いますか?」と題して通名と民族名に関して取材している。
上下連載なので、イオ3月号に向けて記者たちが取材をしている最中。

この記事を読みながら、自分の場合に思いを巡らせてみた。
私は昔から通名を使ったことがない。
民族名を日本語読みにして、保育園にも通っていた。
祖父は商工人だったが、同じく民族名を日本語読みにして商売をしていたし、父や母も同じである。
日本の方の取引先や、銀行にもその名前で商売をして、信頼を得ていったのを見ているので、民族名を使うのが当たり前だと思っていた。

通名というものがあることに気付いたのが小学校の頃。
授業で教えられてなのか、同級生の中で話題に上ったのどちらか忘れてしまったが、通名という存在に気付き、何気なく父に通名は何かを聞いてみた。
通名は「木村」だと聞かされたが、いままで使ったことも聞いたこともなかったので、あってないようなものだ。

ある日、園のママ友である韓国の方から、名字を変えないことによって色々な面で就職など不利なことはあったか、通名に変えたらよかったと思ったことないですか、という相談を受けた。
自分の場合は、民族名の名字を使うのが当たり前だったし、学生の頃すこーし就職活動をしたこともあったが、デザインや美術関係をするうえでは、そこから話が広がりむしろ面白がってくれたり、日本語とハングル両方の言葉を理解できることを重宝してくれたり不利になったことは一度もなかった。(ただ、家探しが大変だったが。。。)
なので、その経験を話し、日本では偏見や差別もあるけれど、二言語使えることは強みだとも思うので、私は名字変えないと思います、と話した。

個人的には、生前祖父の若い頃の植民地朝鮮時代の話しをたくさん聞いていたこともあり、民族名を使って日本で暮らすことの大切さ、意義などを個人的に重要視している部分もあると思う。
それでなくとも、何十年間もこの名前で暮らしてきて自分がいるので、「木村」という通名を使うと、あってないようなものだったので、自分が自分じゃなく居心地の悪さや気持ち悪さまで感じてしまう。

子どもも園では通称名を使わず民族名で通っているが、物珍しい名前のせいか、すぐに覚えてもらえるし、上のクラスからも可愛がられているよう。
最近では、「なまえは○○○です!」と、ちゃんと話しているのをみると、自分の名前に自信を持って言えるのはいいな、と思う。

誤解なきよう最後に言うのであれば、通名か民族名か、それは個々人の価値観や必要性にもよると思うので、特に私個人としては別段、通名を使う人を非難はしないし、気にはならない。
私個人的には、自分の名前と祖父たちから受け継いだこの苗字も気に入っているので、この名前で一生を過ごしていきたいと思う。(愛)


演劇「震~忘れない~」を観て

2016-01-27 09:00:00 | (S)のブログ

東日本大震災をテーマにした演劇「震~忘れない~」(Unstoppable Film PRODUCE、脚本・演出:鄭光誠)。今月20日から24日にかけて計10回、東京・池袋にあるシアターグリーンBOXinBOX THEATERで上映された。

開始早々起きる大地震。耳を塞ぎそうになるくらい大きな音が体に響いて、地震と津波の恐ろしさを感じさせる。

作品は、震災が起きたときとその後に被災地で何が起きていたのかを、さまざまな立場から伝えていた。
大切なものをすべて失った被災者の絶望、どうにか力になろうとする人たちの無力感と葛藤、精神的ダメージ。被災者とボランティアに訪れた人との間に起きる擦れ違い。同時に、確かに存在した「思いやり」「助け合い」。

脚本を手掛けた鄭光誠さんも出演者たちも、被災地出身ではない。食べ物にもモノにあふれた環境で、喪失感、虚無感、孤独感をいかに表現するかに、なによりも苦心したという。鄭さんは去年3月頃から被災地の人々の声を拾い、そこで聞いた話や言葉を脚本に反映した。また「助け合いの場がそこにあったのでは…」と感じ、その思いを作品に込めたという。

「人間が1人で生きられる所なんてない。今死にたいと思っている人がいたら、生きようと思ってほしいし、そんな人がいたら、誰かが声をかけてあげてほしい。『震災だから』『被災地だから』ではなく、あらゆるものに置き換えられる」(鄭さん)

震災をただ「怖い」と受け取るのではなく、しっかり向き合い、決して忘れてはいけないと改めて感じた。(S)

反ヘイトデモ、「オール川崎」で

2016-01-26 09:00:00 | (瑛)のブログ


川崎でまたもやヘイトスピーチが起きようとしている。京浜工業地帯を擁する川崎市には植民地時代に多くの在日コリアンが働かされた歴史があり、今も高齢者やその家族たちが暮らしている。その川崎市で、ヘイトスピーチが初めて起きたのは2013年5月。現在まで11回のヘイトデモが行われ、昨年11月8日には、在日朝鮮人が多く暮らす川崎区桜本で「ゴキブリ朝鮮人たたき出せ」などの暴言を繰り返すヘイトスピーチが起きた。デモ隊は、川崎朝鮮初級学校やふれあい館があり、在日朝鮮人1世も多く暮らす桜本地区も通る予定だったが、事前にルートを知った地域住民らの呼びかけで、近隣や市内から約300人が集まり、「抗議の壁」を作った(神奈川新聞から)。

再びデモが繰り返されようとしているなかで、立ち上がったのが川崎の市民たちだ。

 昨年末にヘイトスピーチを野放しにせず、川崎市や市議会に対策を求めていこうと「『ヘイト・スピーチを許さない』川崎市民ネットワーク」を呼びかけ、広く賛同者を呼びかけている。ヘイトデモは「共生の歴史を積み重ねてきた私たちへの挑戦だ」として、「オールかわさき」の理念をもとに、18日には記者会見、23日に市民集会を開いた。

記者会見では、川崎の街で外国人との共生に取り組んできた日本市民と在日1、2、3世たちが現状への危機感を吐露した。同年代ということもあるのか、桜本保育園の保育士の平舜さん(41)の言葉に胸がえぐられた。

 幼い頃、両親に連れられ、外国人の指紋押捺に反対するデモに参加したこともある。その父親と桜本で「抗議の壁」を作ったさんは、「70歳を超えるアボジの背中を見ながら、私たちはいつまで闘い続けなくてはならないの?と思った。子どもたちにこれを見せる訳にはいかない。未来を生きていく子どもたちのために、差別がなくなるまで闘い続ける」とまっすぐに語った。

 父親の重度さん(74)も、「若い人たちの口から朝鮮人を殺す、虐殺するという言葉が出てきたことに、嫌悪感、それ以上に恐怖感を感じる。関東大震災時の朝鮮人虐殺にまでエスカレートしていくのではないかと考えざるをえない。身を守るためには、声をあげるしかないと思っている」「今のうちに何かをしないと悲劇的な状況になる。行政も手をこまねいていいのか。何かすべきなのではないか」と思いを伝えた。

川崎では現在の市長に変わり、県内に2つある朝鮮学校への補助金が減額されるなど、行政による差別も続いている。2010年から始まった日本政府による高校無償化からの朝鮮高校排除が、川崎市にその「お墨付き」を与えている。

 11月8日のヘイトデモ現場にいたふれあい館の三浦知人館長が、「事前にルートも知らされず、在特会は警察に守られているようだった」と話すように、現にヘイトスピーチを規制する法律はない。京都で在特会の襲撃を受けた朝鮮学校は厳しい裁判闘争で勝訴を勝ちとったものの、現に憎悪表現はまき散らされている。

それでも、川崎の底力の感じたのは、年末からの呼びかけで地元の桜本商店街や、市議会議員、労組など61団体がネットワークへの賛同を表明したことだ。

 川崎で初めてカウンタームーブメントを始めたクラック川崎の前野公彦さん(48)は、「ヘイトデモが増えたのはネットによる在日特権の言説が繰り返されていることが原因。カウンターの市民が声をあげることで、デモ隊が100人、50人以下に減ってきた」と振り返る。

 同時に「カウンターも限界にきている」とも。「ヘイトのデモ隊がカウンターと勘違いして老人に殴りかかったり、ヘイトスピーチ条例が可決された大阪市議会では、傍聴席からカラーボールが投げられた。小さなテロはすでに起きている。ヘイトデモをやりにくくする環境を作るべきだ」と行政による歯止めの必要性を語る。

 記者会見では、ヘイトスピーチにも「表現の自由」が認められるべきでは、という趣旨の質問があり、げんなりしたが、しっかりと反論する在日コリアンの姿にスカッとさせられた。

「ヘイトスピーチはマジョリティとマイノリティ間の対等な立場の会話ではない。弱者は沈黙せざるをえないことを、しっかり認識してほしい」(キム・スイルさん)

ヘイトデモにより、はかりしれないほど深い傷を負った京都朝鮮第1初級学校が裁判闘争で勝訴したのが14年12月。根絶まで道のりは遠いが、立ち上がった市民の姿に、あきらめず発信せねばと思った。(瑛)

久しぶりに内科へ

2016-01-25 09:00:00 | (相)のブログ
 昨年12月から胃の痛みが続いていた。
 みぞおちのあたりのキリキリとした痛み。一日中続くものではなく、空腹時を中心に断続的に痛みが襲ってくる。胃の痛みはこれまで何度もあったが、これだけ長く続くのは初めてのことだったので、少なからず不安になった。
 年が明けて雑誌の締切が終わった後、病院へ。内科へ行くのは久しぶりだ。
 CT、腹部エコー、血液検査、そして内視鏡。これを機に本格的な検査をしようと思い、胃に加えてすい臓もみてもらった。
 オエエッ!
 グエエッ!
 ゲホッ!
 ものすごい吐き気。唾液は垂れ流しで、涙目。昔に比べてやりやすくなったと聞いていたのだが、生まれて初めて飲んだ胃カメラはかなり苦しかった。
 目の前のディスプレイに映る自分の胃の中。健康ならきれいなピンク色のはずの胃壁は真っ赤だった。
 診断結果は、びらん性胃炎と胃潰瘍。
 「胃がだいぶ荒れていますね」と担当医師。原因で思い当たるふしは…とくに暴飲暴食が続いたわけではない、喫煙か、睡眠不足か、不規則な生活がたたったのか…。一番大きな理由はストレスだろう。
 内臓系の疾患は初めてだった。これまで自分の健康を過信していた。放置していたといっても過言ではない。いつまでも若くはないのだから。
 採取した細胞の検査も含めて、本格的な検査結果は今週末。痛みも治まり、ほかの箇所に痛みも出ていない。たぶん問題ないとは思うのだが…。(相)

そこに雪はあるか

2016-01-22 09:00:00 | (麗)のブログ
最近めっきり冷え込んで来た。
この間の東京の積雪は、交通機関にかなりの影響を及ぼしたが、最もこたえたのがその寒さよりも、雪よりも、ここはコンサート会場か?というほど溢れかえった人だった。

その多さに駅のホームでなす術もなく立ち尽くした。
ごった返す人とすでに超がつくほどの満員電車。
あまりにも人が多すぎて中々電車に乗れないという状況が続き、目の前で通り過ぎる電車を何本も見送った。

「東京怖い…」
この日ばかりは特にそう思った。東京に雪が積もると、一大事になる。
真っ先にすることは、窓を開けて目の前の銀世界を携帯で撮影して「雪が積もりました」なんてSNSに投稿するでもなく、テレビで大都会・東京で悲愴漂う表情で恐る恐る歩く人々よ様子と、電車の運行状況を確認することだ。

あー嫌だな~。
こんな時、雪道でも滑らないスノーブーツも持っていない。
昔は雪が降ったらあんなにはしゃいでいたのに…。

やっとこさ電車に乗り、うんざりしながら駅の階段を登ると、壁に貼ってあるスキーのキャンペーンポスターの「そこに雪はあるか」という見出しを見て「うるさいなー」と盛大に腹が立った。
ポスターに罪はない…。


でも、積雪なんて年に数回あるかないか。その貴重さゆえにはしゃいだ人たちによる癒しの雪だるまが多数見られるのも、醍醐味かなとも思う。SNSでもお祭り騒ぎだ。

ある意味、ちょっとしたイベント事として楽しんでいたりもする。(麗)


手話講演会に参加して

2016-01-21 09:00:46 | (理)のブログ


 先週、ある講演会の場で珍しい経験をしてきました。講演をしたのは、手話通訳士の桑原絵美さん。韓国留学や訪朝を機に現地のろう者たちと出会い、現在も交流を続けています。
 朝鮮新報にも寄稿されています(http://chosonsinbo.com/jp/2015/12/20151208suk/)。私も事前にこの記事を読んで、桑原さん自身がろう者であることを知りました。

 桑原さんは気さくで笑顔の多い人。補聴器をつけており、口頭での会話もできました。少しお話しすると講演の時間に。

 テーマは「私は見た! 北朝鮮ろうと韓国ろう」。講演はパワーポイントと手話で行われたのですが、パワーポイントの画面は8~10枚程度。それ以外はすべて手話だけ、音声も字幕もありません。内容の9割は理解できませんでした(笑)。

 もちろん、パワーポイントの内容だけでも全然知らないことばかりだったのですが、今回は内容よりも、その場にいることで考えることが多かったです。

 例えば、ろう者たちにとって、「言葉=音」じゃないという当たり前のことを思い知らされたり。

 完全なる静寂の中、自分以外は笑い声を上げたりして講演を楽しんでいる。自分だけ伝わらない不安、普段とは逆転したマイノリティ感を味わったり。

 ろう者は表情や表現力が豊か。桑原さんの講演を見ながら、落語に似ていると感じたり。演劇なども上手そうです。

 講演会の運営や会場の受付も皆ろう者でした。桑原さんが他のろう者たちとの通訳をしてくれたのでどうにか意思の疎通ができましたが、自分一人では困り果てていたでしょう。このような役割をしている人がいることで、いわゆる健常者とろう者がつながっていくのかなということも思いました。

 他にも、ろう者同士の会話を見ていると、手話の最中、お互いを尊重するような態度や仕草がよく見られました。そうしないと意思疎通ができないから、本人たちには「尊重」という意識はないかもしれません。でも、私からしたら尊重と呼べる気持ちの持ち方をベースに持っているのかなと感じました。

 また空き時間に、参加していたろう者たちと筆談する機会がありました。お互いの質問と答えをいちいち書くのは手間がかかりましたが、笑いも出て楽しい時間でした。同時に、自分はやっぱり社会の一側面しか見れていなかったんだなという実感もありました。仕事でも自ら探して行くのでも、社会の中の色々なことを知ることってやっぱりとても大切なんだなあと。

 講演の内容は、桑原さんが改めて文章にまとめてイオ3、4月号で短期連載することが決まりました。とても貴重な経験をたくさんされているようなので、私も今から内容が楽しみです。(理)

月刊イオ2016年2月号完成!

2016-01-20 09:00:00 | (愛)のブログ
昨日、月刊イオ2016年2月号が納品されました!


2月号の特集タイトルは「アリラン―悠久の旋律」です。

朝鮮半島はもちろん、在日朝鮮人社会でも歌い継がれてきた「アリラン」。
アリランは、激動の朝鮮近現代史とともに、日本による植民地時代の苦しみや
抵抗を象徴する歌から、統一の願いをこめた希望の歌へと進化してきた。
アリランの起源と歴史をひもときながら、
日本や朝鮮半島で生まれた数々のアリラン文化を紹介する。(特集のリードより)

アリランの一連の記事を組みながら、アリランの奥深さを感じました。
ぜひとも読んでほしい企画の一つです。

特別企画は「40年目の花園 東京朝高ラグビーを支える人々」です。
創部40年目で初の花園出場を果たした東京朝高ラグビー部、それを成しえた裏には様々な人たちのどんな支えがあったのか
4頁にぎゅっとまとめて紹介されています。

他、東京朝高ラグビー部の花園初戦の様子や
ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判で安世鴻さんが勝訴した記事「「沈黙」せず、表現者の自由守りたい」、
結成70周年を迎えた留学同の結成後の活動を振り返る記事「留学同結成70周年 広範な同胞学生団体として発展」、
「韓東輝×崔光徳 二人展」のレポート「油絵の重厚さ-水彩の軽快さ」、
オリエンテーリング朝鮮代表の李敬史さんの記事「朝鮮オリエンテーリング黎明期 第1回アジアジュニア・ユース選手権を観覧して」など、
盛りだくさんです!

1月号からの人気新連載「トンポの風景」、金すんらさんエッセイ「役に生きる」、ふぃおぎの絵日記 in ドイツ、暮らしはいま「民族名、使いますか?」など、連載も盛りだくさんの内容ですので、ぜひお読みください!

2月号の表紙は、グラフィックデザイナーの許相浩さんが特別企画の内容でかっこよく、斬新に作ってくださいました。
コラージュされた同胞の喜ぶ顔が印象的です^^。

イオ2月号もぜひお手にとってみてください!(愛)

もうひとつの花園

2016-01-19 09:00:00 | (S)のブログ
昨今のラグビーブーム。今日は中学生による全国大会の紹介です。昨年12月29日~31日にかけて、第21回全国ジュニア・ラクビーフットボール大会(日本ラグビーフットボール協会主催)が大阪市花園ラグビー場とJ-GREEN堺で開催されました。毎年、全国高校大会(花園)と同時期に開催される、中学生たちによる全国大会。昨年上位成績を収めた16の選抜チームが出場しました。
 
他の強豪チームを退け、第21回大会を制したのは、兵庫県ラグビースクール選抜。この優勝チームで、朝鮮学校に通う3人の中学生たちが活躍していました。
同チームのキャプテンを務めた、背番号12番・BKの李承信選手(神戸朝鮮初中級学校・中3)、全試合にフル出場し優勝に貢献した、背番号3番・FWの朴祐亨選手(西播朝鮮初中級学校・中3)、背番号16番・FWの兪瑛士選手(神戸朝鮮初中級学校・中2)たちです。李承信選手は優秀選手にも選ばれました。

兵庫県ラグビースクール選抜は、昨年11月に行われた近畿大会で強豪・大阪代表に1トライ差で勝利し、全国ジュニア大会出場の切符を手にしました。1回戦で京都府中学校選抜に22-12(29日)、準決勝で長崎県選抜に38-31(30日)で勝ち、初めて決勝に進出。決勝では神奈川県スクール選抜に24-21(31日)で勝利し、見事初優勝を果たしました。
優勝チームで活躍した3選手が、いずれ朝鮮高校ラグビー部員として花園の舞台でプレーする姿を期待したいと思います。(S)

優勝し表彰を受けるキャプテン・李承信選手

※掲載記事
http://rugby-rp.com/news.asp?idx=109051&page=4&code_s=1002 (RUGBY REPUBLIC、2015年12月31日)



キムチ作り体験

2016-01-18 09:00:00 | (瑛)のブログ
 先日、地元の朝鮮学校のオモニ会でキムチ作りを企画した。焼肉屋を営むKオモニに協力いただき、小学校たちに白菜の塩漬けや白菜にヤンニョムをすり込む体験をしてもらったのだ。

元朝鮮学校教員のKさんは、朝鮮語の料理用語も丁寧に説明してくれた。知識より実践だ。

先だってキムチクイズも開催。キムチの始まりは野菜の塩漬けだったことや、キムチの語源がチムチェ(沈菜)だということ、さらには今、日本で一番売れている漬物がキムチということを○×式で答えてもらった。優勝者に贈られたのは大粒の青森産ニンニク!

給食のメニューはピビムパプとわかめスープにした。もちろん、つけたてのキムチを添えて。

50人近い初級部生に、キムジャンをしたことがありますかと聞くと一人もいなかった。多くは在日4世。飲食業を営む家庭は多いが実際に見たことがないのだろう。在日コリアンが日本に広めたキムチ、キムチは買うもの、の時代になったのも不思議はない。

 キムチは大量生産されるようになったが、キムチ専門店のおいしさは引けを取らない。手間暇に加えて秘伝のレシピ、ソンマッなのだろう。これも伝える、受け継ぐ人がいないと、いつか途切れてしまう。こんなことも考えた。だからこそ、店のキムチにプライドを持つKオモニの言葉にも静かな感動があった。

 子どもたちは自分の手でヤンニョムをすり込んだ感触を忘れないだろう。

来月初めには、新入生、新園児を迎える餅つき大会がある。できたものをただ食べてもらうだけではなく、もち米からどのようにおもちができるのかを体験してもらうことも必要なのでは?とオンマたちで話し合った。料理は深い。(瑛)

「独自の制裁」の強化とは何か

2016-01-15 09:36:54 | (相)のブログ
 今月6日に実施された朝鮮の核実験を受けて、日本政府が独自制裁の強化を検討している。各種報道によると、追加の制裁の内容は自民党が昨年6月にまとめた提言が軸になるという。
 12日の毎日新聞電子版記事によると、提言の内容は、▼2014年5月のストックホルム合意を受けて同年7月に日本政府が解除した制裁措置を復活させる、▼再入国禁止の対象者を朝鮮民主主義人民共和国当局者らに加えて、総連の中央常任委員会委員・中央委員会委員や核・ミサイルの技術者にも広げる、▼人道目的の10万円以下を除き送金の全面禁止、朝鮮に寄港した全船舶への検査徹底、▼朝鮮学校へ補助金を支出する自治体に全面停止を指導・助言することを政府に要請する、といったもの。
 日本政府が自民党の提言のラインに沿った制裁強化の方向に舵を切るとすれば大変由々しき事態だ。しかしたぶん、世論のさしたる反対もなくこの線で決まるだろうという悪い予感はある。悪い予感ほど当たるものだ。「北朝鮮はけしからんので制裁を受けて当然。北朝鮮とつながりを持っている朝鮮総聯や朝鮮学校にも制裁が課されて当然」という思考回路が政治の世界のみならず社会一般に遍く広まっている日本で、これに反対する声がどこまで上がるのか、悲観的にならざるをえない。
 安倍政権は「制裁の強化」「毅然とした態度」などと息巻いているが、要は総連系在日朝鮮人や朝鮮学校を人質に取っているだけ。恥ずかしくないのだろうか。(相)

締切後の平和な時間

2016-01-14 09:00:00 | (麗)のブログ
昨日、無事に2月号の締切を迎えました。
2月号の制作期間は、年末年始や年明けの連休があったので色々とハラハラしましたが、なんとか乗り切りました…!

締切が終わって数週間は、追い込みの時期とは違い、かなりゆったりとした時間が流れます。
その間に、済ませておくその他の仕事(ホームページの素材作りや、イラスト、広告など)をちまちまと制作しています。

この期間はいつも、行けなかったあの店に行こうとか、映画を観に行こうとか、溜めてた録画を見ようとか、アレもしたいコレもしたいという欲求がどんどん膨らみます。

今日のように天気がいいと尚更、ワクワクします。
締切前の殺伐とした雰囲気とは一転、平和で穏やかな空気が流れる編集部も好きです。(それでもみなそれぞれ仕事はありますが…)

今月は何をしようか…とあれこれ考え中です。(麗)

名前と価値観

2016-01-13 09:00:00 | (理)のブログ
 先日、仕事でお会いした同胞と食事に行ってきた。その方は50歳を過ぎてから同胞のコミュニティに出会って、いまとても嬉しいのだと話していた。

 イオで仕事をしていて実感するのは、本当にさまざまな背景を持った同胞がいるのだということ。至極あたり前のことなのだが、中学まで日本の学校に通った自分にとっては、高校から知ったウリハッキョやそこからつながる人間関係がそのまま同胞社会のすべてだった。

 私は日本の学校に本名の日本語読みで通っていたが(黄=こう)、周りから浮いたり差別を受けたということはなかったように思う(アボジの教え「やられたらやり返せ」を体現していたのもあるかもしれない…)。

 しかし、たくさんの葛藤を経て本名を名乗る人や、そもそも自身のルーツを知らずに育って、本名と言われても違和感の方が大きい人もいる。ダブルも多い。そういう人たちの話を聞くと、ウリハッキョに通った人とは違うアイデンティティの見つけ方をしていて、すごいなぁと考えさせられる。色んな背景を聞けば聞くほど、自分のそれまでの価値観がとても狭かったことを思い知らされた。

 イオ2月号の「暮らしといま」では、名前をテーマに取材をした。上に書いたように、自らアイデンティティを獲得した人、逆にあたり前すぎて名前への意識がなかった人、他にもビジネスの面でだけ通名を使う人など4人の同胞に話を聞き、まとめている。
 名前の選択はその人の価値観と密接につながっている。2月号の「暮らしといま」、ぜひ読んでいただきたい。(理)

年代物の切手にロマンを感じる

2016-01-12 09:00:00 | (愛)のブログ
今日はイオ2月号の最終工程日です。
先週怒濤の〆切前工程を走り抜け、今日が最終日。気を抜かずに頑張ります!

さて、この冬季休暇に実家に帰った私ですが、そこで面白い物を見つけました。
それは、昔の切手。
何でも取っておく祖母、昔手紙に付いてたであろう切手まで丁寧に剥がし、缶箱にたくさん仕舞ってあったのです。
1960年代の東京オリンピックの切手や、中国、ソ連、カナダ、朝鮮、韓国の切手など、多種多様。


1950年代の切手もありました。
それらの切手を眺めていると、その時代の空気を感じられました。
イオの何年か前の連載で、「物語る」という連載をしましたが、まさに時代物は、その物が語りかけてくれているようです。
マニアが言うように、ずっと眺めているとロマンさえ感じました。
この感動を他の家族にも伝えましたが、軽くあしらわれ、唯一父だけ賛同してくれました。こういった物を愛でるのは父の血だろうか、と少し悩みました。

いつかまた切手特集できたらいいな~と思いつつ、デザイン組むのが大変そうで、企画案をだすのを尻込みしてます(^-^;
切手でなくとも、時代物の何か企画ができればいいな~と思っています。(愛)

「その日を夢見て―在日朝鮮留学生の100年」

2016-01-08 09:00:00 | (S)のブログ
年末、取材で在日本朝鮮留学生同盟(留学同)結成70周年記念公演「その日を夢見て―在日朝鮮留学生の100年」に足を運びました。留学同は、日本の大学・短大・専門学校で学ぶ同胞学生たちによる団体です。タイトルにある「100年」という言葉にとても興味を惹かれました。

留学同は結成70年を迎えましたが、朝鮮留学生たちの歴史は植民地時代にさかのぼります。当時の留学生たちは「学友会」を結成するなどし、境遇を同じくする学生同士の交流をはかり、互いの民族意識を鼓舞し合っていたといいます。解放後の1945年9月14日、留学生たちは「在日本朝鮮学生同盟(朝学同)」を結成し、これが後に留学同の母体となりました。

公演では、各地の留学同メンバーらによる創作舞踊や演劇、歌などが披露され、植民地時代に日本に渡り、厳しい弾圧にも屈することなく祖国の解放を夢見た朝鮮留学生たちの闘いや葛藤が描かれていました。

その中で、「信じることが闘い」という言葉が出てきました。先が見えず希望を失いそうになっても、解放の日が訪れることを信じ続けようという意味です。今私たちが闘っている高校無料化問題の解決や、祖国統一の実現など、それに対する思いは強いのに時間が経つにつれて「やっぱり無理なのでは…」と弱気になってしまうことがあります。「信じ続けること」が難しくも大切なのだと考えさせられました。本当の闘う相手は、自分自身の心なのだと思います。

100年前の朝鮮留学生たちは、互いの存在と意思を確認し合いながら、いつ訪れるか分からない解放の日を信じたと思います。私たちも、闘っている友人がいることをそれぞれが力に変え、希望を捨てずに頑張らなくてはいけないと感じました。(S)