日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

朝鮮学校ええじゃないか! 春のモアパレード

2013-03-29 09:00:00 | (相)のブログ


さる3月24日、大阪の扇町公園で朝鮮学校への「高校無償化」適用、自治体補助金の再開・復活を求める集会「朝鮮学校ええじゃないか! 春のモアパレード」が開催されました。近畿各地から約2500人(主催者側発表)が結集したこの集会。私も当日、現地で取材しました。集会には308の団体と個人が賛同したということです(23日現在)。

すでにさまざまなメディアや、団体・個人のブログなどでこの集会&パレードのようすが伝えられているので、この場で詳しい内容について言及はしませんが、写真をメインに当日の流れを振り返ります。

オープニングは、箕面市の北芝解放太鼓保存会「鼓吹」による和太鼓の演奏。



主催者側を代表してあいさつした実行委員会事務局長の長崎由美子さん(「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」事務局長)は大阪府・市、日本政府による朝鮮学校に対する差別に抗議し、子どもたちの学ぶ権利を守ろうと呼びかけました。

続いて、現在、大阪で朝鮮学校に関わる3件の裁判について丹羽雅雄弁護団長が報告しました。



関西地方の3つの朝鮮高級学校(神戸、大阪、京都)の生徒代表たち(すべて高級部2年)も登壇、朝鮮学校を守るために力を貸してほしいと切実に訴えました。



「ウリハッキョはわが故郷」と「リムジンガン」を披露した大阪朝高声楽部のメンバー



近畿地方のオモニ会の代表たち。4月末にスイス・ジュネーブで行われる国連社会権規約審議委員会に代表を送る旨を説明し、派遣費用を募るカンパを呼び掛けました。会場から約15万円のカンパが寄せられたそうです。

ほかにも、京都朝高卒業生の金泰樹さん(同志社大学)と「朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋」のメンバー・佐藤大さんによるリレートーク、各地の朝鮮学校支援団体による活動報告、大阪人権博物館、大阪市教職員組合の連帯のあいさつなどがありました。



集会後は、扇町公園から西梅田公園までの約2.5㎞区間をパレード(デモ)。「民族差別反対! みんなの手で朝鮮学校守ろう!」「朝鮮学校生徒へも差別なく無償化を適用しろ!」「大阪府・市は今まで通り補助金を再開しろ!」などのシュプレヒコールが上がりました。乳母車に子どもを乗せたオモニたちや子どもを抱きながら歩くアボジたち、劇団「タルオルム」が作成したチマ・チョゴリ姿の「巨大な朝高生」人形などが目を引きました。







そして今週日曜日(31日)には東京の日比谷野外音楽堂で「朝鮮学校はずしにNO! すべての子どもたちに学ぶ権利を! 3・31全国集会&パレード」が行われます。
http://okketonmu.seesaa.net/article/326994563.html

この日は新大久保や大阪・鶴橋で在特会などによるヘイトデモ・集会とそれに対する市民有志らのカウンター行動が予定されています。排外主義者、差別主義者たちは大阪パレードの時と同じく、3・31全国集会&パレードに対してもカウンター行動を予告していますが、一人でも多くの人が日比谷野音に足を運んでくれるよう、このブログエントリを借りて今一度呼びかけたいと思います。(相)

ウリノレ―私たちのうた

2013-03-28 09:00:00 | (瑛)のブログ



 5月号のイオは「私たちのうた」をテーマに在日同胞社会で歌われたウリノレ(朝鮮語の歌)を扱います。

 同胞の「音楽史」は整理されたものがなく、在日本朝鮮文学芸術家同盟音楽部が作った歌謡集や個々人が残した選曲集や楽譜を見ながら、また同胞社会でウリノレがよく歌われた時代に青春時代を送った方から話を聞くことで、その輪郭がおぼろげに見えはじめてきました。でもまだまだはっきり見えません。取材が足りないのです。頭の中は、1950年代、60年代に同胞たちが花見や野遊会、結婚式でどんな歌を歌っていたのかという興味で一杯、半世紀前にタイムスリップしたい気分です。

 植民地期から日本に移り住んだ同胞たちですが、祖国が解放され、各地に朝鮮語を学ぶ国語講習所ができ、とくに総聯結成後に民族教育がシステム化されていくなかで、ウリノレは以前には考えられなかったスピードで普及されていきました。朝鮮への帰国が実現したのが1959年。本国との距離はグンと縮まり、朝鮮の歌が同胞社会で普及しはじます。ただ、当初は歌をうたおうにも楽譜さえなく、ラジオの平壌放送から流れる歌を聴きながら歌詞や楽譜を起こしたそうです。当時のドキドキ感が伝わってくるような逸話です。

 そして、朝鮮の万寿台芸術団が初来日したのが1973年。その頃1歳だった私にもマンスデが残した歌を口ずさむ大人が周りにいたような気がします。

 4・24教育闘争(1948年)の闘いの中で生まれた「4・24의 노래」、故・韓徳銖総聯中央議長が作った「우리 자랑 이만저만 아니라오」、また各朝鮮学校で作られた校歌は今も歌い継がれています。

 最近、日本の音楽界からは「ヒット曲が生まれない」という嘆きが聞こえてきますが、時を越えて愛されるうたには、その時代を表す人々の記憶が詰まっているし、歌詞やメロディーにも、時空間を飛び越える力が宿っている気がします。

 さて、昨日のブログで(k)さんは「周りに誰もいないときに、昔に覚えた好きな朝鮮の歌を声を出して歌っている」と書いていましたが、それがどんな歌なのかも気になっています。ひと回り年上の(k)さんが青春時代に聞いていた歌はまた私と違うはずですから。。。(瑛)

気持ちが晴れないときには歌を

2013-03-27 09:00:00 | (K)のブログ
 3月18日に東京・大井町のきゃりあん大ホールで行われた金正守創作詩歌作品公演「ウリトンポニルリリ」を観にいきました。5月号の歌に関する特集の取材の一環ではあったのですが、非常に感銘を受け、久しぶりに芸術(歌)の持つ力を再認識させられた舞台でした。

 金正守さんは、在日本朝鮮文学芸術家同盟中央の委員長であり詩人です。金さんはこれまで300以上の作品を創作してきたとのことですが、この公演ではそのなかから17作品を舞台に上げました。歌や朗読、映像、舞踊と様々な形式で作品が発表され、公演そのものが非常に工夫された楽しいものでした。
 「落葉」「旅立ちの朝」「バスに乗って電車に乗って」など、金正守さんが作詞したおなじみの曲がたくさん発表されたのですが、「この歌も金さんが作詞したのか」という驚きもありました。


 公演の後半は、日本軍「慰安婦」問題をテーマにした歌や、日増しに強まる総聯や朝鮮学校への弾圧に対する闘いをテーマにした歌も舞台に上がりました。
 歌は時代を反映する、現実世界を反映するものだから仕方がないと言えばその通りですが、その歌の意義は別として、私個人の思いとしては、聴いていてもあまり楽しくないし積極的に歌いたいとは思いません。


 いま歌に関する特集を準備する中で、20歳を前後したころに朝鮮の歌をたくさん覚えて歌っていたころのことを思い出したりしていました。
 在日朝鮮人にとってはあまり良くない日々が続いているわけですが、少し気持ちが晴れる方法を見つけました。通勤で歩いている時など、周りに誰もいないときに、昔に覚えた好きな朝鮮の歌を声を出して歌うんです。これが気持ちいい。
 歌にはやっぱり力があるなと思います。


 ちなみに月刊イオでは、朝鮮民主主義人民共和国の歌限定(在日同胞が作った歌などはふくまれません)で、下記のようなアンケートを募集しています。朝鮮の歌大好きという方、ご協力ください。(k)

【アンケート】
 氏名(匿名可)、年齢、性別、居住地(都道府県)をご記入のうえ、io@io-web.netまで送ってください。

質問1:朝鮮の歌のなかで好きな歌を3曲挙げてください。また、好きな理由をお書きください。

 1)
 2)
 3)

 好きな理由:

質問2:朝鮮の歌のなかで思い出に残る歌がありますか? どのような思い出ですか? また、特定の歌でなくても朝鮮の歌(ウリノレ)にまつわるエピソードがあればお書きください。

 思い出に残る歌:

 
 思い出の内容やエピソード:

秘密の女子会?

2013-03-26 09:00:00 | (麗)のブログ
最近、女子会に参加することが増えて来ました。

女だらけの飲み会とあって、
仕事のことや普段は言えない`こと、中には過激トークが飛び交うといったこともあり、あまりの過激さに笑いが止まらず腹がちぎれそうになります。笑
あの中で男性がまじったらその勢いに尻込みしてしまうのではないか?と思ってしまうほどのパワフルさです。


女子会のいいところは、美味しいものを食べて飲んで、女性同士だからこそ言える「ここだけの話」を気が済むまで話し、
一次会でサッと帰るのが個人的に潔くていいなぁと思っています。笑


というのも、過去参加した女子会はみんなそうでした。笑
お肌のことが気になるのか10時から始まるドラマが見れちゃうほど早めに帰れます。なので二日酔いはあまりないです。


お昼とはまた違ったディープなお話が出来るので、こういった集まりは定期的にやっていきたいなぁと思っている今日この頃であります。(麗)

地方の結婚式とウリノレ

2013-03-25 08:49:57 | (淑)のブログ
 週末は大学の友人の結婚式に参加するため、山口に行ってきました。山口県を訪れたのはこれが初めてでしたが、滞在時間24時間にも満たない弾丸ツアーとなりました。

 これまで友人や知人に招かれ、地元の東京をはじめ北は北海道、そして今回の山口と、各地の結婚式を見てきましたが、地域ごとに色があって、とくに地方の結婚式に参加するのは楽しいです。
 もちろん一つとして同じ結婚式はないので、それぞれの良いところがあるのですが、印象としては東京がやや大人しめ? 傾向として地方の結婚式は格式張った形ではなく、アットホームな内容が多い気がします。以前、関西地方のある結婚式に参加した際は、新郎新婦の友人らが新郎になりすまして登場したり、大胆な仮装などで会場を湧かせていました。

 そして各地の朝鮮歌舞団による余興も見どころの一つ。
 昨日の結婚式は広島朝鮮歌舞団によるパワフルなステージが印象的でした。
 広島朝鮮歌舞団のパフォーマンスを観たのは初めてでしたが、いやはや大いに盛り上がりました。
 「ノドゥルの川辺」などの朝鮮の民謡や「息子自慢、娘自慢」といった同胞社会で作られ愛されてきた往年の名曲はもとより、私が聴いたことのないダンサブルなウリノレが老若男女をステージ前まで引き込んでいました。
 K-POP やJ-POPならぬ、T(トンポ)-POPとでも言いましょうか。アップテンポでノリのいい楽曲たちは若い人たちにも受けが良く、なおかつ歌詞はウリマルでリズムには長短(チャンダン)の要素も入っていたので年配の方たちも違和感なく楽しめたんだと思います。途中、オッケチュムを踊ったらいいのか、ライブ感覚でのればいいのか戸惑うほど。辺りを見回すと、同胞たちは思い思いにウリノレに身を任せていました。ちなみにノリノリで踊っていた私の友人は式終了後に新婦のご親族から「踊ってくれてありがとう!」と礼を言われていました(笑)。
 あの素敵な曲たちが広島朝鮮歌舞団のオリジナル曲なのかどうか、聞きそびれてしまったのが心残りです。

 すでに(相)さんがお知らせしましたが、イオ5月号はウリノレ特集です。
 昨今、K-POPはちまたにあふれていますが、みなさんは朝鮮の歌や同胞社会で作られたウリノレを聴く機会って日常でありますか? 結婚式や同胞の行事くらいでしょうか? 5月号では主に同胞社会で普及した曲たちを紹介します。残念ながら雑誌から音楽は流れませんが、楽譜なども掲載予定なので、読者の皆さんがウリノレを聴くきっかけになればと思います。(淑)

歌にまつわるお話

2013-03-22 09:00:00 | (相)のブログ
 3月下旬に入って季節はすっかり春ですね。
 4月号を出し終え、しばしのリラックス期間の後、イオ編集部では5月号の作業にとりかかっています。
 5月号の特集テーマは、(あまり詳しく明かせないのですが)「うた」です。同時代の記憶を共有し、時と場所を超えて人々を結ぶ、そんな力を持つ歌。「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉もあるように、歌は世の中の成り行きにつれて変化し、世の中のありさまも歌の流行に影響され…。人々の心に残る歌―それがなぜ生まれ、どのように広まり、歌い継がれてきたのか。当時の時代背景や関連する人物、エピソードを伝えます。一言で歌といっても幅広いので、朝鮮学校を中心とする在日コミュニティで普及した「ウリノレ(私たちの歌)」を中心に扱う予定です。

 企画の一つとして、朝鮮学校の校歌を取り上げることになりました。各学校の校歌がいつ誰によって、どのような経緯で作られたのか、歌詞に込められた思いや歌にまつわる逸話などを紹介しようというものです。すべての学校を対象にすると膨大な数になるので、今回は全国に10校ある朝鮮高級学校にしぼりました。
 とりあえず、初歩的な取材として各校校歌の歌詞と楽譜を収集しつつ作者や制作年度などをリサーチしているのですが、あらためて調べてみるとなかなか興味深い。たとえば、歌詞に地域ごとの特性が出ていたり、1980年代後半に入って校歌が作られた学校があったり、途中で歌が変わった学校があったり、と校歌一つとってもさまざまなストーリーがあるのではないでしょうか。

 当ブログをご覧の朝鮮高級学校卒業生および教職員(現職、元職問わず)、関係者、研究者、愛好家のみなさん、朝高の校歌に関する情報やこぼれ話などあればコメント欄へ書き込むか、編集部宛にメールで提供くださるようよろしくお願いいたします。(相)

おとうさんといっしょ

2013-03-21 09:00:00 | (瑛)のブログ
4月7日から始まる新番組「おとうさんといっしょ」(日曜午前8時、BSプレミアム)が、ママ友のなかで話題になっています。

NHKの「おかあさんといっしょ」は、忙しい朝に子どもがぐずったときにお世話になっている番組ですが、新たに始まる「おとうさん~」には、特技がアクロバットという「せいやおにいさん」が登場し、外で遊ぶ楽しさをアピールするそうです。

NHKのHPを見ると、「おかあさんがいっしょ」が2~4歳児向けで、「おとうさん~」が3~6歳向け。

子育ては女性が引き受けるものではなく、「夫婦一緒に!」というのは世間の流れになりつつありますが、それでも「イクメン」「イクジイ」という言葉を使って盛り上げなければならない現実…。幼児向けの新しい番組が「もしかして世間に風穴を開けてくれるかも?」と筆者は淡い期待を抱いています。

18日に刷り上ったイオ4月号の特集「学校デビュー応援プログラム」では、オモニ会やアボジ会の紹介もしましたが、取材にまわった学校の多くで、たくさんの元気アボジたちに出会いました。

アボジ会の活動も各学校にお聞きしました。広島朝鮮初中高級学校のアボジ会はサツマイモを植えるという「食育」を、群馬や横浜のアボジ会はオモニ給食ならぬアボジ給食を企画していました。エプロン姿のアボジを見ながら、喜ぶ子ども、オンマたちの姿が目に浮かぶようでした。

他にも埼玉ハッキョアボジ会の80メートルの「キーンパプ(長いキンパプ)」作りなど、アボジたちは目新しい企画で地域を盛り上げていました。

同じ4月号で紹介していますが、福岡初級のアボジ会は、1月末から2泊3日の日程で、関東地方の朝鮮学校に学ぶ研修に来ていました。その情熱に触れながら、また埼玉、南武のアボジ会とも交流する姿を見ながら、今こそアボジ会が盛り上がる「波」が来ている気もしました。

学校によってはアボジ会、オモニ会をつなぐ保護者会を置いている地域もあります。

朝鮮学校はどうしても財政が苦しいので、勤労奉仕や物品販売が多いのですが、一人ふたりと仲間を増やしていけば、新しいアイデアも生まれ、保護者の負担が減っていくのでは?と思います。

時々、編集部に届く読者カードには、「オモニ会、アボジ会の特集をしてください」という意見が寄せられます。いつか各地の元気でユニークなアボジ会、オモニ会をまとめて紹介したいと思っています。(瑛)

月刊イオ4月号、完成しました!

2013-03-19 09:00:00 | (麗)のブログ
月刊イオ4月号、完成しました!

今月の表紙は、平壌市内の西興託児所での一枚。撮影は朝鮮新報のカメラマン、盧琴順記者です。
写真は、お昼寝から目覚めたばかりの子どもをあやす保育士さんです。
そうやって見ると、どことなく寝起きのような顔かも…? 可愛いですね♪

4月号の特集は「学校デビュー応援プログラム」。
この春、お子さんがハッキョに入学するオンマ、アッパたち必読です!
遠距離通学、宿題、放課後の過ごし方…。
「うちの子、やっていけるのかな?」
子どもが新一年生になる喜びと同時に、「不安もいっぱい」というオンマ、アッパたちも多いはず。
そこでイオでは、そんな心配を抱える保護者の皆さまのために、
学校生活をサポートするうえで役立ててほしい先輩の声、子どもたちの奮闘ぶりなど、
「こんなこと実際に聞きたい!」という保護者目線のリアルな情報を集めた特集を組みました。
また、朝鮮学校に通う子どもたちの可愛い笑顔にもたくさん出会えます♪
…ちなみに今回の特集で、私が描いたイラストも載っております(さり気なく宣伝)。


さらに、特別企画は「日本のヘイト・クライムを考える」。
その他の記事は、宇部・長生炭鉱水没事故犠牲者追悼碑が完成「『過去の歴史』と向き合う出発点に」、
神奈川、埼玉、広島、山口で朝鮮学校への補助金カット「子どもに矛先、筋違い」、
福岡初級アボジ会の関東研修「アボジたち、もっと交流しましょう!」、
金明俊監督に、ドキュメンタリー映画「グラウンドの異邦人」について聞いたインタビュー
「韓国野球界に残した在日同胞野球少年たちの足跡」などなど…。

今月号も盛り沢山な内容となっております。
4月号もぜひ、楽しみにしていただければと思います。


先週から、関東では早くも桜が開花! 気温もだいぶ暖かくなり、いよいよ本格的に春の到来ですね。
身も心も、フレッシュな気分で2013年の春を迎えましょう!(麗)

オスプレイ本土訓練と辺野古埋め立て

2013-03-18 09:03:18 | (淑)のブログ
 在沖米軍基地をめぐる、ここ最近で気になった二つの動きについて。

 今月6日、米軍は新型輸送機MV22オスプレイの「本土」では初となる飛行訓練を行った。普天間基地から飛び立ったオスプレイは、山口県の岩国基地を拠点に四国から紀伊半島上空で、低空飛行や夜間飛行訓練を行ったとされている。
 「沖縄の負担軽減」と印象付けようとする報道が目についたが、地元紙が批判しているように(オスプレイ本土訓練 この程度で負担軽減とは/3月4日付琉球新報社説 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203502-storytopic-11.html)、本土での訓練はわずか3日間、12基中の3基であり、連日のように全土で飛行訓練が行われている沖縄の現状を軽減したとは到底言えない。訓練の内容としても、固定翼モードで上空をただ飛び過ぎるのとヘリモードで離着陸やホバリングを行うのとでは、爆音の大きさも危険性も比にならないという。また、普天間基地周辺市街地上空の飛行は既成事実化しつつあり、日米が配備の前提として「安全宣言」で順守すると強調した合意事項は守られていない。
 この度の「本土」訓練は、オスプレイの強行配備の横暴さ、米軍基地のあり方そのものを、日本社会が当事者意識を持って自らに問うものにならなければいけない。
 昨日の17日、宜野座村城原区でオスプレイの撤去を求める総決起大会が開かれるなど、強行配備から5ヵ月、住民らの取り組みはなお続けられている。


 他方は、辺野古への基地移設をめぐる問題だ。
 名護漁協は11日、普天間基地の辺野古移設に伴う公有水面埋め立てについて同意することを賛成多数で決めた。日本政府は同日、今月29日にも仲井真沖縄県知事に埋め立て許可を申請する方針を固めたが、県知事をはじめ県議会、全市町村議会にいたる沖縄全土が辺野古移設に反対しており、総意はすでに示されている。
 名護市や住民の意向を無視した漁協の問題も看過してはならないが、根底に横たわっているのは日本政府による分断政策だ。辺野古移設に反対する稲嶺市長が誕生し、基地再編交付金(基地建設に対する協力の度合いに応じて自治体に支給する交付金)が打ち切られるなど、政府の政策がコミュニティに対立と分断をもたらしてきた。



 先日、宮森小学校米軍機墜落事故に関するある映画を鑑賞した。
「ひまわり~沖縄は忘れない、あの日の空を~」(http://www.ggvp.net/himawari/
 映画の詳しい内容はイオ4月号(本日発刊)で紹介しているので割愛。
 作品の焦点は米軍機墜落事故だが、沖縄戦から米軍施政下、そして基地沖縄の現在までを網羅したスケールの大きな作品で、より広く観られることで、沖縄の現状に対する無理解を是正する一助となり得るといえる。登場人物の台詞一言一句、映像の一つひとつに付与された意味を、沖縄の声として噛み締めながら観てほしい。(淑)

被災地の朝鮮学校

2013-03-15 09:03:21 | (相)のブログ
 2011年3月11日の東日本大震災から2年が経ちました。
 先月、ある雑誌の編集者から、被災地にある朝鮮学校の震災後の歩みと現状、課題などについて寄稿してもらえないかという依頼を受けました。震災後の朝鮮学校の姿は日本のマスメディアで一部の例を除きほとんど報道されることはありませんでした。日本の学校と同じように地震や原発事故の被害を受けていても自治体の対応は大きく異なる、日本社会への問題提起も含めて当事者の立場から書いてほしいとの依頼でした。
 私は被災地の住民でも朝鮮学校の保護者でもなく、言葉の厳密な意味での「当事者」として文章を書いていいのかという思いはありましたが、現地を何度か取材した記者として見聞きしたこと、震災2年を迎えるにあたって自分自身が思うことを書くことにしました。
 以下、寄稿した記事の結論にあたる部分を一部加筆して掲載します。

 東北地方の朝鮮学校はこのたびの震災で大きな被害を受け、今も苦しんでいる。震災から2年が経ち社会的な関心が薄れ始めている今こそ、更なる関心を喚起し、継続的な支援を途切れさせてはいけないと感じる。
 地震で校舎を失った東北朝鮮初中級学校(仙台市)では新校舎建設、東電福島第1原発爆発事故による放射性物質汚染被害に悩まされる福島朝鮮初中級学校は隣県の新潟朝鮮学校への「集団疎開」「合同授業」など、この間、被災した学校の再生に向けた取り組みがさまざまな形で進められた。それらは幾多の困難に直面しつつ、いまだ途上にある。
 近年、在日朝鮮人社会でもコミュニティの縮小や弱体化が指摘されている。同胞人口の過疎化が進む東北地方では震災前からさまざまな問題が噴出していた。震災を機に、地域在日社会の核である「ウリハッキョ」(「私たちの学校」=朝鮮学校を指す)の意義が再確認されたと思う。その重要性は今後ますます高まるだろう。福島朝鮮学校の新潟における「合同生活」(「集団疎開」)も朝鮮学校を中心に形成された地域コミュニティがあったからこそ実現したものだ。そして、その「集団疎開」を原発事故後の先駆的な取り組みとして評価した視点があることも指摘しておきたい。(藍原寛子「放射能『集団疎開』の成果と課題」『日経ビジネスオンライン』2011年11月9日号)
 朝鮮学校は日本の1条校に準じた教育体系を持ちながらも、行政上は自動車学校などと同じ各種学校として扱われ、政府および地方自治体の各種保障の枠外に置かれることで不利益をこうむってきた。福島朝鮮学校は原発事故当初、被ばく対策の対象から除外され、東北朝鮮学校は震災直後に補助金支給を打ち切られた。本稿では言及できなかったが、震災被害を受けた茨城朝鮮初中級学校(水戸市)も市からの補助金を凍結されている。震災前から財政難に直面していた学校にとって、行政からの支援打ち切りは大きな打撃となる。学校を守るためにはもっぱら同胞の自助努力に頼るしかないのが現状だ。
 今回の震災が「日本社会のあり方を根底から変えた」とよく言われるが、果たしてこれは事の本質をついた見方だろうか。震災が日本社会のあり方を変えた側面を否定しないが、その一方で、日本社会が本来内包していた矛盾や格差、対立などの構造がより浮き彫りになったとは言えないか(個人的にはこちらの方がより重要なポイントだと思われる)。被災地の朝鮮学校にとってそれは、上で言及した行政のあからさまな差別的施策や、それを(積極的にしろ消極的にしろ)下支えしている日本社会の無理解あるいは偏見として表出している。朝鮮学校は長い間、日本社会から「見えない存在」とされてきたが、それは果たしてどちらの側が扉を閉ざしたからなのか。
 震災直後、ガス、水道が止まり、ガソリン不足で車での移動もままならない中、東北朝鮮学校の教職員や総聯の活動家、地域同胞らは学校で寝泊まりしながら被災住民の支援に駆け回った。1日の食事を2回に減らし、浮いた分の食材を使って避難所におにぎりを届けたり、炊き出しも行った。福島朝鮮学校は県指定の避難所として多くの日本人を受け入れた。「助け合うのに国籍や民族は関係ない」と彼らが口を揃えて語っていたのが今でも思い出される。
 震災直後、東北朝鮮学校の食堂には「大地は揺れても笑っていこう!」という尹鐘哲校長考案のスローガンが貼られ、今でも残る。長く険しい復興への道を一歩ずつ進む被災地の朝鮮学校。同じ地域住民として、この社会を共に作っていく隣人として、国籍と民族の違いを認めつつも、それを超える友好と連帯が生まれることを在日朝鮮人の一人として願ってやまない。(相)

ツル、折りましたか?

2013-03-14 09:00:00 | (瑛)のブログ

私はピンクの折り紙で折りました。

学校からも届いた折り紙もピンク!子どもたちとも折りました。

「なんでツルを折るの?」と聞かれ、朝鮮高校のヒョンニム、ヌナたちが日本の国が出すお金を3年間ももらえていないから、日本にいるオンマたちが、飛行機でスイスまで行って、「おかしい」と世界の人に言ってくるんだよ、と説明しました。いざ、子どもに説明すると自分のボキャ貧を痛感…。

さて、この折鶴はスイス・ジュネーブで4月末から開かれる国連・社会権規約委員会や日本の文部科学省にオモニたちの手で直接、届けられます。

国連で民族教育の正当性を訴える活動は1990年代から始まりました。もう20年になるんですね。
今までも「子どもの権利委員会」にオモニ代表が参加し(2004年、2010年)、差別是正を求める勧告を引き出すなど、国際世論を盛り上げてきました。

国連・社会権規約委員会が開かれるのは今回が12年ぶりのことです。
日本審査は4月30日。

この日、ジュネーブでは無償化適用に取り組んできたオモニたちが日本審査を傍聴し、日本政府が国連の勧告を無視し、差別を続けている現状を告発します。
その裏側の日本では、同じ30日に各地のオモニ会代表が一斉に東京の文部科学省に要請に訪れます。

高校無償化制度が始まる前にも国連・人種差別撤廃委員会は高校無償化法をめぐり、「教育機会の提供において差別がないよう確保すること」を日本政府に勧告しましたが、日本政府は無視を決め込んでいます。国際社会に向けて、誰かが実態を伝えなければならない状況なのです。

国連活動を支援するためにたちあがった「우리꿈 우리마음(私たちの夢 私たちのこころ)プロジェクト」

ブログhttp://ameblo.jp/uri-dreams/を見ると、日本各地からこのプロジェクトを呼びかけた群馬ハッキョに、かわいいツルが続々と届けられている様子がアップされています。老いも若きも日本の人もツルを折りながら会話をはずませ、オモニたちの背中を押してくれています。大阪在住の93歳のハルモニの「最後までがんばらなあかん」の話にもジーンと来ました。(この記事の写真も同ブログにアップされていたものです)

最近、変わらぬ日本の状況にゲンナリしていましたが、各地の頑張りに気を取り直した筆者であります。身近な人たちと、ツルを折ってみませんか?ジュネーブへの旅費にあてる募金と一緒に。。。送り先は以下になります。(瑛)

〒371-0044

群馬県前橋市荒牧町2-2

朝鮮学校内「プロジェクト担当」   

募金口座:ハナ信用組合上野支店

(普)1125842 ウリクムウリマウムプロジェクト 

 

 


チャーター機による強制送還反対し記者会見とデモ

2013-03-13 09:00:00 | (K)のブログ

 先週の水曜日、6日に東京・日比谷の弁護士会館で仮放免中の外国人らが記者会見とデモを行いました。
 チャーター機による強制送還の反対と在留資格付与を求めたもので、デモには仮放免者や支援者ら約350人が参加し法務省前などを行進しました。仮放免者のデモは何度か行われていますが、今回のデモは、関東地区、東海地区、関西地区の仮放免者(この3地区に仮放免者の会という団体があります)が初めて一堂に集まったもので、画期的だったといえます。

 「チャーター機による強制送還」と言っても、多くの人にはよくわからないと思うので、記者会見で訴えられた内容に合わせ説明し簡単に報告したいと思います。


記者会見にのぞむギリ・ナンダラスさん(左)ら仮放免者たち

 この日の記者会見にはネパール国籍のギリ・ナンダラスさんら4人の仮放免者が参席しました。支援者がまず、非正規滞在外国人の現状や問題点について説明しました。次のような内容です。
 日本には正規の滞在許可を持たない外国人が2012年初で7万人弱いるといわれています。そういう人たちのなかで、入国管理局により摘発され退去命令を受けても母国に帰れない人たちは、入管の収容施設に収容されます。中には何年も長期収容される人もいます。しかし、収容施設にも限界があり仮放免許可を受けて外に出て生活するわけですが、仮放免中の外国人を仮放免者と呼ぶわけです。
 仮放免者は、就労資格がない、健康保険など社会保障制度から排除されている、月1度の入管局への出頭を義務付けられる、居住する都道府県外に移動するには事前に許可が要るなど、日常生活において大きな制約を受けています。仮放免者たちが自らの権利獲得のために2010年10月に作ったのが仮放免者の会です。

 このような説明があったあと、今年1月初から2月末にかけて実施された仮放免者の生活実態調査(542人対象)の結果を発表し、仮放免者の人権侵害状況について具体的に明らかにしました。そして、非正規滞在外国人の強制送還の非人道性について語られました。

 非正規滞在外国人の中には、帰国すれば政治的・宗教的な理由から弾圧を受けたり、家族の国籍が違うため強制送還されると家族がばらばらになったり、日本に10年、20年と住んで生活基盤が日本に根付いていたりと、さまざまな理由から帰国できない人たちが多くいます。個々の事由を無視し「不法」だからと強制送還することは極めて非人道的なことだと言えるでしょう。2010年3月には、日本人女性と結婚したガーナ人のスラジュさんが強制送還中、成田空港で命を落とすという悲劇も起きています。
 強制送還自体が非常に問題なのに、今回、強制送還をチャーター機を使って100人規模で行おうという動きが出てきました。これまで強制送還は一般客も乗る航空機で一人ずつ送り返されていました。それを法務省が強制送還の「効率化」を図るとの目的で専用のチャーター機を導入するとの方針を固めたとの報道がなされました。記者会見とデモは、この報道を受けチャーター機による強制送還に断固反対する意志を示すために行われたものでした。


デモ出発前、日比谷公園に集まり、チャーター機による強制送還に反対する人たち

 記者会見では、仮放免者たちが帰国できない事情をそれぞれ語りながら強制送還の非人道性を訴えました。
 ギリ・ナンダラスさんは、ネパールのカースト制度のなか、身分の違う女性と婚姻したために迫害を受け生命の危険があるために日本にやってきました。家族はネパールにおり、自分が帰れば自分が殺されるし、自分はすでに死んだ人間となっている、自分の存在がわかれば、家族にも危害が及ぶと、帰国できない事情を訴えました。ナンダラスさんは06年に難民申請を出すが不認定となり、難民不認定取り消し訴訟でも敗訴しました。現在は難民再申請中です。

 同席した弁護士は、法務省のガイドラインに沿っても在留許可が出されるべき人たちに出されていないこと、いろんな事情を無視し強制送還すること自体が問題であるし、ましてやチャーター機による一斉送還は、在留許可が出されるべき人たちもひっくるめて送還される可能性があるとして、その問題点を指摘しました。そして、在留許可を出すべき人にはすぐに出さないといけないと訴えていました。
 仮放免者や支援者らの人間的な訴えで浮かび上がってきたのは、非正規滞在外国人をモノのように扱う日本政府の非人道的なあり方でした。(k)

 


「新しい風」に期待

2013-03-12 09:00:00 | (麗)のブログ

昨日、無事に4月号の締切を終えました。
(淑)さんが書いていた通り、4月号の特集「学校デビュー応援プログラム」は、
新1年生になるお子さんをお持ちのアボジ、オモニの皆様にとって必要な情報がたくさん載っています。必読です♪

さて、3月10日は朝鮮大学校で卒業式が行われました。
私が卒業して早くも5年になるのだな…。
そう思うと、あっという間の大学生活でした。

この時期になると、社内は「新入社員」の話題で持ち切りになります。
「今年は何人?」「どこの学部出身の子?」「男の子?女の子?」などなど…。
皆、フレッシュマンにそわそわしております。

ちなみに現在、イオでは私が一番年下なのですが、
私が入社して以来、イオにはまだ後輩は入って来ていないなぁとふと思いました。

先輩風を吹かせたい訳ではありませんが、果たして今年はどんな子が入ってくるのでしょうか?

「新しい風」に期待しております!(麗)

 


本日校了日! 学校デビューをイオがサポート

2013-03-11 09:00:00 | (淑)のブログ

 今日はイオ4月号の校了日です。
 私の場合、毎月この日を迎えると解放感ももちろんありますが、反省で落ち込むことの方が多いです。性根がネガティブだからでしょうか(笑)。
 とはいえ、4月号の編集期間は、いつにも増して楽しい時間でした。
 特集は、「学校デビュー応援プログラム」。
 今春、ウリハッキョの保護者になるオンマ、アッパたちの不安に答えるべく、ウリハッキョ特有の学校生活をいろんな角度から取材してみました。実践に基づいた実用的な企画になっていると思います。全貌はイオ4月号の発刊までしばしお待ちください。

 さて私は今回、初級部1年の朝鮮語の勉強について取材しました。1年生のお子さんを持つ、関西と関東の同胞のお宅にお邪魔して、1年間どのようにウリマルの勉強を見てあげたのかを取材しました
 取材をしてみて感じたのは、オンマ、アッパたちがハッキョのソンセンニムたちに全幅の信頼を寄せているということ。そして個々の保護者の実情に沿った学校のサポート、ソンセンニムたちの試行錯誤です。ウリハッキョの強みの一つとして、「学校(ソンセンニム)=子ども=保護者」の三角関係、連携体制があると思います。今後もいろんな形でこれを見せていけたらと思いました。

 ちなみに、自分としては今回の取材や原稿執筆、なるべくオンマ、アッパたちの目線と合わせられるよう、背伸びをしなければなりませんでした。人の親になったことのない私なので、今後の課題として、日頃からたくさんの保護者の方たちとの交流を心がけたいと思います。

 イオ4月号、今年じゃなくて来年学校デビュー!という保護者の方や、入学はまだ当分先という方、はたまた引退された方もお孫さんの就学を見据えて…、ぜひぜひ手にとってもらいたいと思います。誌面には、元気いっぱいなウリハッキョの子どもたちがたくさん登場するので、子どもたちの笑顔も楽しみにしてほしいです。



 上の写真は、家庭訪問の際、東京第1の初級部1年のかわいい女の子がプレゼントしてくれた折り紙の花束です。女の子はウリマル模範生ですが、本人は図工が大好きとのことでした。(淑)


春間近

2013-03-08 09:00:00 | (相)のブログ
 校了日を数日後に控えて慌ただしさがピークに達している感のある我がイオ編集部。こうしてブログを書いている自分が実は未完成の原稿を一番抱えてパニクっていたりします。
 厳しい寒さの続いた1月、2月を経て、暦はもう3月。ここ数日、急激に暖かくなってきましたね。昨日、今日とコートを脱ぎすてて、ジャケット1枚で通勤しています。

 3月といえば春、春といえば花見、花見といえば桜!
 ということで、天気予報サイトで桜の開花予想をチェックしてみると、今年は開花日と満開日は平年並みか早め。九州から関東にかけては、3月最後の週にお花見の楽しめるところが多くなりそうだとか。
 東京都心の予想開花日は23日、予想満開日は4月1日となっています。平年に比べて、開花日は3日、満開日は2日早く、昨年比だとそれぞれ8日、5日早くなっています。

 本誌イオの3月号では在日同胞のお花見を特集しました。だからなのか、いつにも増して桜の咲く季節が待ち遠しい。職場でも毎年、花見を催していますが、今年はどうなるのでしょうか。そして、編集部に新人は入ってくるのでしょうか。
 暗いニュースばかりがあふれる昨今、せめて満開の桜の下でおいしいお酒を飲みたいですね。
 とまあ、まだ先のことをあれこれと想像して現実逃避してしまうのは、目前にある仕事のプレッシャーの裏返しでしょうか。迫りくる締め切りという名の怪物をやっつけて、早く一息つきたいものです。