日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

4月を迎える

2012-03-31 08:45:29 | (淑)のブログ
 今日で3月もおわり。明日からいよいよ4月が始まる。
 2012年4月。このキーワード、何度耳にし、口にし、書き記したことだろう。それがもう十数時間後に迫っている。
 2010年の春、最後に朝鮮を訪問したときに至る所で目にした光景は「未完」の国家建設のようすだった。平壌市内の住宅建設の現場や、果樹園、工場、企業所など生産現場を見て回り毎日驚きと発見の連続のなかで、きたる2012年にはどんな変ぼうを遂げてくれるのか、大きな期待を抱いたことを覚えている。5.1節を記念して大同江のほとりで行われた噴水パレードを見た後、興奮に任せて話す私を、現地の案内の先生が「仕事をがんばって2012年にまた必ず来なさい」とさとしてくれたのだった。
 朝鮮では随所にさまざまな標識があることは有名だが、 印象的だったのは「あなたは2012年をめざして何をしているのか?」というスローガン。確か男性がこちら側に指を刺して問いかけているような絵だった。2012年までの日々をいかに過ごすか、そしていかに迎えるか絶えず考えて行動しなければと思ったものだ。
 あっという間に2年が過ぎてしまった。
 去年の今頃はちょうどイオ編集部に配属される直前で、以前の職場で最後の引き継ぎの仕事をバタバタとしていた。家に帰ってからは編集部から与えられた仕事をするという、今思えば二足の草鞋状態を楽しんでいた。
 そして2012年4月を目指して、「いかに伝えるか」ということを新たに考え始めた。
 イオ4月号で朝鮮を特集したが、2012年4月という時間表は、朝鮮の人々にとってはすでに象徴的なものではなく、さまざまな実績を伴った形として存在しているのではないかと思う。4月号の編集期間は朝鮮から次々と送られてくる記事を見ながら、その発展速度と自分自身を較べてなぜか焦燥感のようなもの(?)を感じていた。
 イオの仕事を始めてもうすぐ1年。自分が掲げた大それた理想には程遠く、日々の仕事を一つひとつこなしていくのに必死で、口ほどに「2012年」に考えをいたせなかったとふがいなさを自省するばかりだが、今までのどの年よりも早く過ぎ去ったこの1年、得た経験を糧に初心をより高め、精進していきたい。そして2012年4月、新しい時代を拓く朝鮮の姿を、在日同胞や日本の方々に誌面を通して少しでも伝えられたらと思う。(淑)

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15年目の春

2012-03-30 10:38:21 | (相)のブログ
 先日、(K)さんが新社会人にちなんだ話を書いていたが、それを読みながら私も社会人としてのスタートを切った10数年前のことを思い出した。 
 私が大学を卒業して今の会社に入ったのは1998年3月末のこと。同期には朝鮮大学校時代の同級生を中心に8人がいた。
 初出社の日。昼過ぎの出社だった(と記憶している)ので、その前に同じ学部出身の先輩社員2人が私ともう一人の新入社員を昼食に連れて行ってくれた。場所は、神楽坂の路地を入ったところにある蕎麦屋さん。当時、年齢が20代半ばと後半だった先輩方2人は現場の取材記者としてバリバリと働いていて、学生気分が抜けない自分に会社のこと、仕事のことをいろいろとアドバイスしてくれた。その颯爽とした姿がとてもまぶしく見えたことを覚えている。
 約1週間の研修を経て、それぞれの部署に配属された新入社員9人。ある人は新聞記者に、またある人は雑誌記者に。経理部や総務部に配属された人もいた。私は英字新聞の編集部へ。あの頃は仕事を覚えるのが必死で、毎日が慌しく過ぎていった(今が暇というわけではないが)。余裕などまったくなかった。

 それから14年。社内で3つの部署を渡り歩き、それぞれの職場で周囲の人びとに支えられながら経験を積み、今は4つめの部署である「イオ」編集部で働いている。
 当たり前だが、歳をとった。社内では立派な中堅クラスだ。世間的にも決して若くはないだろう。新卒で入社した人たちと干支が一回り違うという事実に軽い衝撃を覚えたのが数年前のこと。今年の場合で言うと14歳離れている。もしかすると、彼らよりも彼らの親と年齢が近いということもありうる(このような物言いをすると、私よりさらに上のベテラン社員の方々は怒るかもしれないが)。

 春は新たな出発の季節であり別れの季節でもあり、出会いの季節でもある。私が属している会社でも、職場を去る人がいる一方でニューフェイスも入ってきた。新入社員たちが今日からそれぞれの職場に配属された。「イオ」編集部には入ってこなかったが、私がブログを書いている後ろで今、ほかの部署では新入社員たちが先輩社員にいろいろと仕事を教わっている。
 新人が入ってきて職場全体の雰囲気もリフレッシュされる。この時期が個人的には結構好きだ。
 明後日から4月。そして、私も社会人15年目に突入する。いつまでもフラフラしていてはいけない、と自分を戒めつつ、新たな気持ちで仕事に臨みたい。(相)
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17年ぶりのウリハッキョ⑫1年生が終わりました。

2012-03-29 09:00:00 | (瑛)のブログ

 体に不釣合いなランドセルを背負って校門をくぐったの後姿が今も目に浮かび、緊張に包まれた1年前の4月を思い出します。

 この1年間、「サル」から「人間」に育ててもらったとハッキョの先生、職員の皆さんには感謝しています(笑)。

 終業式の日、息子は担任の先生と別れる時に涙が出たと話していました。ハッキョに通って初めて出会ったソンセンニム。空手教室の帰り道には必ず顔を見て帰ってくるほど、息子は先生たちになついていました。ほめられ、叱られ、見守られた1年。このように信頼できる大人が増えていき、同じルーツを持つ友だちと気持ちを分かち合えるようになってきたことを、親として嬉しく思います。これから進級する過程で、予想しなかったことや、回り道をすることもあるでしょうが、このような出会いがひとつ、ふたつ増え、豊かな人生をもたらしてくれることを期待しています。

 この季節になると、わが子を日本学校、民族学校、あるいは国際学校に通わせるかという学校問題が友人との話題に上ってきます。夫婦の合意が得られない、学費を工面できない、民族学校が遠い…など抱える悩みや葛藤は人それぞれですが、無償化制度からの朝鮮高校排除など、日本社会で民族教育に理不尽な矛先が向けられるなか、民族教育を授けることを「ハンディ」と考え、日本学校を選択する親が増えているように感じます。

 私が、子どもの民族的アイデンティティについて強く意識し始めたのは息子が日本の保育園に通っていた5歳の時でした。その保育園に外国人は少なく、外国人はクラスで彼一人。朝鮮名で通わせているので、「なんかちがう」という疑問を彼なりに持ち始めたようでした。そして、6歳の春。大半の子どもが地元の公立小学校に通うのに、自分だけが朝鮮学校に行くことを知った彼は、「なんで」と私に聞きました。

 日本社会がどう変わろうと、在日朝鮮人には自分のルーツにきちんと向き合える場=教育が必要だと思います。日本の教育現場で在日朝鮮人の存在がきちんと伝えられ、受け止められる日が来ることを祈っていますが、現状は非常に難しい。日本学校に子を通わすことにしたある友人は「これからは、家庭教育をどうしていくかが課題だ」と話していましたが、同胞の教育問題は通わせる学校を超えて共通したものがあります。彼らの悩みは私のものでもあります。

 同胞社会では、日本人と朝鮮人との結婚が年々増えており、ダブルのルーツを持つ彼らの教育問題も横たわっています。10年前、ある知人が「たとえ朝鮮学校に通わせないとしても、民族学校という選択肢を持っていることが幸せだと思う」と話してくれたことがありました。現在、知人は二人の子どもを日本の学校に通わせています。ウリハッキョがコリアン社会により開かれた場になり、互いの民族教育についてざっくばらんに話しあえる場になっていければ、と感じています。(瑛)

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社会生活をスタートさせる人たちへ

2012-03-28 08:51:10 | (K)のブログ

 高校や大学などを卒業した人たちが、新社会人として新たなスタートを切る季節です。わが社にも新入社員が入ってきました。

 誰しもが新入社員だったときがあるわけで、わたしも30年以上前ですが新入社員でした。学生という身分から社会人になる。仕事の内容もまったく経験がない。初めて日本の首都・東京で生活する。初めての一人暮らしがスタートする。
 いろんな意味で不安がありました。しかし、その当時を思い出してみると、不安よりもやはり、希望というか胸を膨らませるほうが多かったように思います。一度は東京で生活したかったし、一人暮らしにも憧れていましたから。

 このブログでも書いたと思いますが、特に出版・報道関係を希望していたわけでもないけれど、この道に進めたのは、当時は総聯組織の受け皿が今と比べ物にならないほど大きかったし、力も強かった。朝鮮学校の数、児童・生徒数も今の何倍もいました。同胞社会自体がもっと活力がありました。
 また、日本社会も今とは違っていました。世界を見渡せば社会主義国もたくさんありました。

 わたしが新入社員の時に感じていた希望や期待の多くは、そのような当時の置かれていた状況によるところも大きかったのだと思います。


 今年入社した人たちは中学1年の時に、いわゆる「拉致問題」が起こっています。思春期の入り口のところからずっと、「北朝鮮憎し」の日本社会の狂乱のなかで生活してきたわけです。朝鮮学校を露骨に弾圧したり南京大虐殺はなかったと発言したりする知事や市長が、当たり前のような顔をしてその座に居座っていられる。
 同胞たち、同胞社会はたいへん難しい状況に置かれています。

 このような状況の中で、同胞社会のために働こうという決意をもって朝鮮学校を卒業し社会に出る人たちを前に、すごく期待したいという気持ち、このような状況を作ってしまったことへのすまない気持ち、同じ社会人としてこれから一緒にがんばりたいという気持ちなどなど、いろんな感情がこみ上げてきます。

 ともかく、実りある社会人生活を送ってほしいと願っています。社会人としての生活は、学生時代よりも何倍も長いのですから。(k)

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もうすぐ春ですね

2012-03-27 10:05:56 | (麗)のブログ

雪が溶けて川になって流れ行きます
つくしの子がはずかしげに顔を出します
もうすぐ春ですね
ちょっと気取ってみませんか

キャンディーズの春一番。この季節になると毎年頭に流れてきます。

寒くなったり温かくなったりと気温が安定しませんが、もうすぐ春になりますね。
駅前でもフレッシャーズをちらほらと見かけます。

春は出会いと別れの季節といいますが、また新しい風が入ってくると思うと、嬉しさ半分、緊張も半分。
というのも、毎年、新入社員の緊張が私にも伝わってなぜか緊張してしまいます。(笑)


先週は大学院を無事修了した友人のために、卒業祝いのプレゼントを選んだのですが、それ以外にも何かとプレゼントを買った月でした。

基本的にサプライズは得意ではありませんが、こういったプレゼント選びは色々考えることが出来るので、好きです。
「人に喜んでもらうこと」は楽しいことでもあり難しいことでもありますね。
相手の喜んでいる姿や素晴らしい笑顔が見れた時が、「買ってよかったな」と思える瞬間です。

友人も晴れて社会人になります。同じ土俵に立てる喜びをかみしめながら、私も4年目を迎えます。
緊張して中々なじめずにいた日々もいつのまにかなくなって、今ではすっかり落ち着いてしまいました。

いつまでも初心を忘れずに…この言葉を思い出させてくれる季節、でもあります。(麗)

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地元の結婚式

2012-03-26 09:41:35 | (愛)のブログ

昨日は小学校時代の同級生の結婚式でした。
地元での結婚式だったので、久々に小中学の同級生や先輩、後輩、
そして顔なじみの同胞たちと会うことができました。

30代になると、世間ではそれなりに大人と見られる歳で、
それぞれ違う道に進んで、住む場所もかわっていたりと
別々の人生を歩んでいってますが、
久々に会う友人たちの20年前と何ら変わらないノリにすごく安心したりして、
なぜかとっても和みました。

余興の歌ではもちろん校歌!
そして、地元の男性たちによるチャンダンノリも披露され、
それに合わせプロのダンサーの後輩が踊ったりと、
場を大いに盛り上げていました。

実は私の母校である長野朝鮮初中級学校のチャンダンノリは
学校の誇れる伝統と言っていいほど、その演奏はピカイチです。
その歴史の最初が私たちの同級生世代の男子たちあたりからで、
競演大会で何年間も金賞を受賞しまくりでした

そしてあれから20数年、児童・生徒たちによるチャンゴ、プッ、ケンガリなどのチャンダンノリは
現在もとても上手で、日朝交流新春会などの交流会にも積極的に出演しています。 

変わらぬ伝統を受け継ぎ、いまでも結婚式の余興などで場をもりあげてくれる
チャンダンノリは、長野同胞全体の民族心というかなんというか、
そういうものまで盛り上げてくれる気がします。

現在は昔とは大分事情も状況も変わり、
大阪の例にように、
朝鮮学校を取り巻く情勢はとても大変で困難になってしまったと思います。
女子の友人同士で集まってもその話題になります。
それでも、やはりこういった場にくると、勇気づけられ、
皆でかけがえのない学生時代を送ったウリハッキョを守りたいと切に思いました。(愛)

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心を一つにした演奏会

2012-03-24 09:00:00 | (淑)のブログ


 民族楽器の演奏会へ行ってきました。
 民楽(ミナク)は、民族楽器愛好家らが細く長く続けてきたアマチュア重奏団です。
 毎年定期演奏会を行っていて、私もこれまで何度か足を運んできましたが、今年の演奏会は例年とは違うものでした。

 昨日、東京・王子の北とぴあで行われた演奏会<마음을 모아서~私たちのきずな~>は、東日本大震災で被災した朝鮮学校のために開かれたチャリティ公演です。昨年の震災を受け団員らは「朝鮮学校に応援歌を」との思いから、従来の定期演奏会を変更して、チャリティ演奏会を決めたそうです。

 演奏会では、民楽のほかに、さまざまな民族楽器演奏家やコーラスグループ、遠方からのゲストなどを迎え、多彩な演目が披露されました。観客からひときわ大きな拍手が送られたのは、被災地から招かれた朝鮮学校生徒らの演目でした。<마음을 모아서>(心を集めて)という題のとおり、世代や地域を超えて音楽でつながり心を一つにした、素晴らしい演奏会でした。

 また、パンフレットには震災の同胞被害状況と、この一年間の同胞らによる支援活動の内容をまとめた資料が挟まれていました。それは時が経っても震災の被害を忘れず、ともに痛みを分かち合おうという団員らの呼びかけとも感じられました。

 ヤングムやカヤグムの独奏、被災地の子どもたちのために綴られた詩の朗読、おやじコーラスグループ<アエ☆ユニット>による男声重唱、また、震災直後、同胞青年らによりいち早く作られた被災同胞への応援歌<언제어디서나>(いつもそばに)と、震災から1年という節目に新たに作られた<잡은 손>(つないだ手)という曲が朴昭暎、金嬉仙さんにより披露されました。

 「今日までのたくさんの支援に、今日は演奏でお返しします」と、カヤグム重奏<어디까지 왔니>(どこまで来たの)を演奏してくれたのは、福島朝鮮初中級学校の生徒でした。演奏に先立って、生徒らが1年間を振り返って率直な心情を綴った作文が読み上げられ、会場からは大きな拍手が送られました。



 演奏会のラストをかざったのは、東北朝鮮初中級学校と、茨城朝鮮初中高級学校の生徒たち、そして震災後に東北から西東京の学校へ転校した生徒を交えての大合奏でした。被災地の生徒のみならず、震災によって離ればなれになった生徒も気遣う団員らの思いやり。本当に心温まる演奏会でした。

 今回のチャリティ演奏会は、20代の同胞青年らが実行委員となって企画・運営されました、実行委員会メンバーの半分以上が私の同級生。また、被災地応援歌を披露した2人も同級生です。演奏会を終え、彼・彼女らの熱い想いに、それを形にできる実践力に、心底頼もしい仲間を持ったと喜び、また、私自身も被災地の復旧・復興のため、微力を尽くしていきたいと今一度思いました。(淑)
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人工衛星打ち上げ予告をめぐって

2012-03-23 10:05:12 | (相)のブログ
 朝鮮民主主義人民共和国の人工衛星打ち上げをめぐる騒ぎが日ごとに大きくなっています。今回、朝鮮の宇宙空間技術委員会は今月16日、実用衛星「光明星3号」を4月12日から16日の間に朝鮮西海沿岸の発射場から打ち上げると発表しました。打ち上げられる衛星は地球観測などを目的とした実用衛星。朝鮮側は打ち上げに先立って、国際機関に必要な資料を提出しています。また、他国の宇宙科学技術部門の専門家と記者に打ち上げの一部始終を見せるとも言っています。

 朝鮮の人工衛星打ち上げをめぐって、日本では前回の打ち上げがあった2009年と同じような状況が生まれています。
 日本政府は今回の打ち上げを「ミサイル発射」「朝鮮半島と北東アジアの平和と安定を脅かす重大な挑発行為」「国連安全保障理事会の『決議』違反」などと主張。田中防衛大臣は、ロケットが日本上空を通過する可能性が強まった場合は、自衛隊に破壊措置命令を下すことを検討する考えを示しました。ちなみに、朝鮮は飛行ルートを事前に関係機関に通報していますが、報道によると、ロケット推進部の1段目が韓国南西部・辺山半島の西方140キロ沖に、2段目はフィリピンの東方190キロの海上に落下する見込みだそうです。日本「上空」は通過しないということです。
 当然のことですが、今回の衛星打ち上げはここ数ヶ月で急に決めたわけはなく、タイムスケジュールにしたがって数年前から準備してきたものなので、打ち上げを延期したり、中止したりすることなどありえず、計画通り打ち上げるでしょう。朝鮮側もその意志を明確にしています。

 朝鮮の人工衛星打ち上げ予告に対する米、日の対応のおかしさについては以下の論考などが詳しいのですが、
 http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2012/431.html
 http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2012/432.html
 宇宙の平和利用は宇宙条約という国際法ですべての国に認められた正当な権利です。しかし、米国や日本はそう考えていないようです。
 そもそも、ロケットの開発に巨費を投じ、すでに偵察用を含めた数多くの人工衛星を宇宙空間に打ち上げている米国や日本には本来、他国の衛星打ち上げについて非難する名分はないはずです。「おれのはいいが、お前のはだめ」という主張は「ダブルスタンダード」(二重基準)でしょう。衛星打ち上げ技術は長距離弾道ミサイルの技術と同じなので「北朝鮮に認めるわけにはいかない」ということですが、同じ問いが自らに向けられないと思っているのか、不思議でなりません。

 今回の衛星打ち上げが成功するのか失敗するのかわかりませんが、仮に成功しても、それに対する肯定的な反応は日本国内では皆無に近いでしょう。
 諸々の言いがかりを剥ぎ取ったあとに残る衛星打ち上げ反対の理由は、「北朝鮮だから」。それしか思い浮かびません。このような途方もない二重基準がまかり通る現実には暗澹たる気持ちにさせられます。(相)
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「問われているのは北朝鮮の振る舞いではない」

2012-03-22 09:00:00 | (瑛)のブログ

 「問われているのは北朝鮮の振る舞いではない。日本の中で生きる子どもたちを等しく処遇できない、私たち日本人自身の姿勢である」――。

 東京都が、都内10校の朝鮮学校への補助金(一人あたり15000円)を2年間停止したばかりか、「私立外国人学校運営補助金」制度から朝鮮学校を外したことに失望が広がるなか、3月21日、「朝鮮学校への公的補助を求める連絡会・東京」の代表らが東京都庁を訪れ、石原慎太郎都知事宛ての5894筆の署名を提出した。

 連絡会の代表らは、杉並、荒川、西東京地区など都内の朝鮮学校と地道な交流を続けてきた日本市民たちだ。市民らは、①2010、11年度の朝鮮学校への補助金支給②朝鮮学校への「私立外国人学校運営補助金」の復活と2012年度以降の支給――を求める署名を提出した後、都庁内で記者会見し、日本政府や地方自治体が率先して差別を続けることに怒りの声をあげた。

 「地元では朝鮮学校と近隣の日本学校との交換授業も行われている。朝鮮学校は、あたり前のように地域に溶け込んでいて、夜会やバザーは地域の日本人が楽しみにしている。ここでともに遊び、学んだ子どもたちが大きくなってこの社会を守り立てていく。朝鮮学校の子どもたちを勉強できないようにして問題が解決するのでしょうか」(鳥生千恵さん)

 東京都は1995年から15年間にわたって「私立外国人学校運営補助金」を支給してきた。しかし、2010、11年度は朝鮮学校への補助金が予算化されていたにも関わらず、朝鮮学校だけに申請をさせず不支給とし、2012年度に関しては予算にも計上しない、という異常事態を起こした。「調査」と称して教育内容に不当に干渉する動きもある。

 都が補助金支給を止めた背景には、ある都議会議員が拉致問題と朝鮮学校を関連づけたデマを流したことも影響した。その議員が地元選挙区で配ったビラには、「…これまで朝鮮学校では日本人拉致を謝罪することはなく、捏造した歴史教育を行い、日本人に敵意を駆り立てる教育が行われてきました。…日本人拉致被害者全員が救出されない以上、朝鮮学校への公金支給を断ち切るべきです」と事実無根の主張が記されている。

 記者会見の席上、松野哲二さん(チマ・チョゴリ友の会)は、この議員に朝鮮学校と拉致事件とを結びつけた「証拠」を明らかにするよう、公開質問状を出したことを明かしながら、罪のない朝鮮学校の子どもに矛先を向けたことに憤慨していた。

 都庁を訪れた日本市民らは、朝鮮学校をこの目で見てきた人たちだ。だからこそ、朝鮮学校が日本に存在する歴史的、社会的背景、そして教育的価値を「自分の言葉」で語れる。

 補助金ストップの動きは、東京の他にも、宮城、大阪、埼玉、千葉で起きており、事態は深刻だ。日本政府が外国人学校を正規の学校と認めず、外国籍住民に一番近い場所にいる地方自治体が率先して人種差別を続けるという事態が日本の首都で進行している。国家権力が朝鮮学校を狙い撃ちにした差別的な圧力を強めるなか、この動きが上記5ヵ所に留まるとは思えない。

 私は東京都民で、わが子はこの補助金を受給する資格を持つ。

 公権力による人種差別は、世界的には話にもならない。

 人種差別に加担している「罪悪感」のカケラすら感じられない「堂々とした差別」がまかり通る日本。このことが、「世界の非常識」と頭で分かっていても、閉塞感に包まれる関係者は多いだろう。けれども、この思いを分かち合う隣人が確かにいる。日本の隣人たちの勇気ある行動を、私は日本の、世界の皆さんに伝えたい。(瑛)

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大阪府の補助金支給停止と朝鮮学校の卒業式

2012-03-21 09:06:09 | (K)のブログ

 18日の日曜日、各地の朝鮮学校で卒業式が行われた。わたしも都内の初級学校の卒業式に顔を出してきた。朝鮮学校の入学式には何度か取材で行ったことがあるが、卒業式、それも初級部の卒業式はもしかしてはじめてかも。だから、あまりちゃんとしたことを言えないのだが、やはり卒業式も日本の小学校の卒業式とずいぶんと違っているようだ。

 児童数が少ないということもあり、卒業生一人ひとりがクローズアップされるし、卒業する子どもが最後の子どもだと(弟や妹が在学していないと)保護者にもプレゼントが渡されるなど、保護者たちへのねぎらいがある。

  式が終わると引き続き謝恩会が行われ、子ども同士、親同士、そして先生も含めて6年間を振り返る。驚いたのは、6年間の中で教えてくださり現在は引退したり他校に赴任している先生がわざわざ駆けつけて温かい言葉を贈ってくれたことだ。同日、同じく卒業式を行っていた学校の校長先生も来てくださった。

  最後は、子どもたちが6年間の感謝を込めて、保護者たちに手紙と花束を贈る。多くの子ども、保護者が泣いていて、横で見ていても目頭が熱くなった。

  わたしが参加した卒業式は、それでもまだ卒業生が多かったが、卒業生が1人、2人という学校、また卒業式を開くことができないという朝鮮学校もある。

 

  大阪府は19日、府内の朝鮮学校8校に対し2011年度分の補助金の支給を見送ると発表した。これまで「肖像画」などを問題にしていちゃもんをつけてきたが、子どもや保護者、学校関係者や同胞の心を踏みにじる決定だ。

  長々と書く余裕がないので、これについては次のブログを参照してもらいたい。
 Arisanのノート「大阪府の朝鮮学校補助金不支給について」 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20120320/p1

  「高校無償化」からの朝鮮学校排除も補助金カットの問題など、今後、朝鮮学校に対する弾圧、不当な人権侵害に反対し粘り強く続けて闘っていかなければならない。

  それと同時に、ここまで露骨に権力側が弾圧してくるとなると、朝鮮学校を日本人をふくめより幅広く支えていく体制をさらに築いていく必要があるのと切実に思う。現在、「一口1000円」運動などを行っている朝鮮学校があるが、大阪府民の0.数パーセントが月々1000円出しただけでも大きな金額となり朝鮮学校を財政的に支えられる。
 日本社会の責任として、ぜひ取り組んでもらいたい。(k)

 

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イオ4月号、完成しました

2012-03-20 09:00:00 | (麗)のブログ
先週の金曜日、オモニが東京に遊びにきました。
締め切りに追われる中、毎度のことながらオモニが来るのを心待ちにしていた私。

東京に来てなにするの?と思った方、これといって特別なことはなにもしません。
強いて言うならば、「部屋の掃除」を全力でするくらいです。(笑)
私なりにきれいに掃除したつもりでもオモニからすればまだまだ汚いらしく、
こんもり溜まった埃を見て「あんた、いい加減にしいや」と怒られるのがいつものパターンです。
当の本人は「てへ☆」と笑ってごまかすので精いっぱいです。

あまりどこかへ遠出することもありませんが、イオ編集部の撮影会で行った川越がとても良かったので
行ってみようかと盛り上がったのですが、生憎の雨でそれも断念。
やむを得ずいつものように近所の商店街を散策することに落ち着きました。(次、晴れたときは必ず川越に…!)

帰る前日に数日分のおかずをいつも作ってもらうのですが、なんか毎回「ちゃんと作って食べや」と言われてるなーと、
野菜だらけのおかずを見ながら健康への意識が足りてない自分を反省…。
確かに作ろうと思えば簡単に作れる料理ばかりなのです。何事も持続させることが大事ですね…。


親が来ていつも思うのが、規則正しい生活を一瞬だけでも送れるということと、
身内でも友達でも話す相手が傍にいるのは、やはりいいなということ。
久しぶりに一日中、体や口を動かすので眠りにつくのも早いのです。



さて、月刊イオ4月号、無事完成しました!
金日成主席生誕100年を迎える2012年、「強盛大国の扉を開く」と宣言した朝鮮。
「首都建設」「文化」「経済・生活」「地方のすがた」「市民たちの暮らしレポート」など、
特集「2012 朝鮮」では、めまぐるしい変貌を遂げる朝鮮のすがたを平壌市を中心に紹介します。


また、特別企画「金日成主席生誕100年」では、生誕100年に際し金日成主席の思い出をつづったエッセイと、清水澄子さんのインタビューを掲載しています。
他にも、東京朝鮮第2初級学校で行われた、日本学校と朝鮮学校の教員たちの38回目の交流となる「日朝教育交流の集い」、
創立55周年を迎えた山口朝鮮初中級学校の文芸発表会などを掲載しています。


今月号も読みごたえたっぷりの内容になっておりますので、ぜひご愛読ください!(麗)
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朝鮮学校について思うこと

2012-03-19 09:20:45 | (愛)のブログ
最近、高校無償化問題で朝鮮学校を対象外としていまだ適用されない事実を皮切りに、
大阪府でも朝鮮学校を取り巻くいろんな問題が起こっています。

その度に私は思うのです。
いまの朝鮮学校の子どもたちが何か悪いことでもしたのでしょうか?
ただ、自分の国の歴史や言葉を学ぶということがそんなに悪いことなのでしょうか?

反日教育をしている? とんでもない。
私は小・中・高・大学と体系的な民族教育をずっと受けて育ちました。
反日感情などありません。いままでお世話になった日本の方たちもいっぱいいるし、日本の友人だっている。
自身の両祖母も日本人だし、血だけでいえば朝鮮人と日本人のハーフです。
それでも、私は日本人としてではなく、朝鮮人として日本で堂々と生きたいと思います。
この日本で特異な立場で生まれてきて、祖父が祖母とともに乗り超えてきた艱難辛苦のもとに自分がいるからです(それ以外にも個人的理由は様々ですが、ここでは全部語りません)。
日本が嫌いなのではなく、堂々と朝鮮人として生きがたい日本政府のこの構造、風潮、差別に嫌気がさしているのです。

私は民族教育の中で歴史を学ぶ楽しさを見つけました。
歴史は立場が違えばその真実も異なるという事実も、わかりました。
なぜ歴史を正しく学ぶことが重要なのか。
それは過去の歴史の悲劇から学び、悲劇の歴史を決して繰り返さないためです。
そのために植民地朝鮮の悲劇を学ぶことが反日教育だというのでしょうか?

朝鮮学校に通う生徒たちは、歴史を正しく学びます。
教育も押し付ける教育ではなく、考えさせる教育だと私自身は思いました。
自分のアイデンティティについても深く考えます。
かわって言えば、朝鮮学校とは、朝鮮人が日本で生きていくうえで必ずぶつかるであろう、
自身のID(アイデンティティ)について答えのきれっぱしでも必ずくれる場所でもあると思います。
そして、朝鮮学校に通う生徒は日本の地で朝鮮学校で学び、同じ境遇の友人たちと語り合っていき、
また隣校の日本学校とも交流会などを持ち、幼いころから様々な価値観のなかで育ちます。

朝鮮学校に通う生徒たちは、どっちも深くわかることで、
朝鮮と日本の架け橋となれる可能性を秘めている、
そんな未来ある子どもたちだと思います。
その子供たちの芽をつぶす権利なんて、どんな大人にもありません。
あってはいけないのに、一部の政治家や府知事などは色眼鏡だけでみて、
さまざまな理由をつけてウリハッキョの教育に介入しようとしています。
介入されるような内容はどこにもなかったと私は思います。

私は自分の受けてきた教育にとても感謝しています。
まず親に、そして様々なことを教えてくれた教師たちや、そして友人に。
私は自分の子どもができたら必ず朝鮮学校に通わせたいです。
自分の国の言葉や歴史について教えてくれて、
様々なことを教師たちが親のように親身になって導いてくれて、間違ったことをしたら叱ってくれる。
そんな素晴らしい学校が朝鮮学校だと思います。(愛)



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「蛇の島」「古俗に遠吠える狗たち」

2012-03-17 09:00:00 | (淑)のブログ
 unit『航路-ハンロ-』の演劇、「蛇の島」と「古俗に遠吠える狗たち」が下北沢「劇」小劇場にて上演中です。
 unit『航路-ハンロ-』は、劇団Mayの座長・金哲義さんと、劇団タルオルムの座長・金民樹さんによる2人芝居ユニット。Mayもタルオルムも大阪の劇団で、これまで何度も東京公演を行っていますが、unit『航路-ハンロ-』は東京初上演ということで、私は昨日の初日に行ってきました。

 作品はどちらも済州島の過去と現在を映したものです。
 朝鮮戦争前夜、冷戦のはざまで犠牲になった済州島の歴史、その隠蔽、忘却。沈黙させられた、あるいは被害者自らが封じてきた記憶、痛み――。そして現在繰り返されている民への暴力。
 作品はそれらに背を向ける者も、向き合おうとする者をも批判しています。作品に込められた完膚なき批判精神――その視線は朝鮮人自身に向けられたもので、観る者は朝鮮人自身の、同じ民族に降りかかった災への「無関心という加害性」、何万もの民の死を引きつれて生きる「変えられない歴史性」を否応なしに突きつけられるでしょう。

 故郷を済州島に持つ作者・金哲義さんは、済州島を自身の命題として作品を創り続けています。故郷への痛いほどの執念はどこから来て、またどこへ向かっているのでしょうか。機会があればお話を聞いてみたいなと思います。

 詳しい内容は本誌に掲載予定なので、割愛。5月号をご覧ください。

 作品の精神世界もさることながら、演出が素晴らしかったです。一言で「かっこいい」。すっかり魅入ってしまいました。
 今回はマダン劇のスタイルで、マダンとは「広場」意味し、朝鮮半島南部で創られた演劇のスタイルです。マダンの周りを観客がぐるりと取り囲み、演者と観客が一体となってお芝居を創ります。

 (舞台装置はこんな感じ)

(「古俗に遠吠える狗たち」のワンシーン)

(出演者のお二人。左頬に뱀(蛇)と、右頬に개(狗)と書かれています。かっこいい!)

 不思議な体感でした。開放感であったり閉塞感であったり、風を感じたり、暗闇を感じたり・・・小さな箱の中に留まっている気がしないというか、観客もろともいろんな場所へ連れて行ってくれる、うまい表現が見つかりませんがそんな感じでした。
 上演期間は明日まで。本日17日(土)は19:00、18日(日)は14:00開演となっています。お時間のある方もない方も!(笑)ぜひぜひぜひ!ぜひともこの機会にunit『航路-ハンロ-』体感してください!(淑)
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3月11日の憂鬱

2012-03-16 11:27:26 | (相)のブログ
 前回に引き続いて、東日本大震災に関連する話を書きたい。
 震災発生から1年にあたる3月11日は日曜日だった。テレビは「3.11」一色。朝から夜までさまざまな特番を放送していた。私もそのうちのいくつかをリアルタイムで視聴し、いくつかは録画して後日観た。テレビメディアがあの震災をどのように振り返り、現状をどのように認識しているか興味があったからだった。
 予想通りというべきか、外国人被災者のことを扱った番組を目にすることはできなかった。もちろん、ローカル局を含めすべての番組を観たわけでもないので断定はできないが、仮にあったとしても非常に少なかっただろう。
 それは何も今年の3月11日に限ったことではない。震災発生当時から現在まで、日本に住む外国人(外国籍を持つ住民)のうちどのくらいの人が地震、津波、原発事故などの被害を受け、どのような境遇にあるのかをまともに取り上げた報道は極端に少なかった、よほど目を凝らさないと出会えない、そんな状況だった。

 初歩的に調べてみた。今回の震災で災害救助法が適用されたのは7県の194市町村(帰宅困難者に対応した東京都と、3月12日に発生した長野県北部地震によって適用となった長野、新潟両県を除く)。もっとも被害の大きかった岩手、宮城、福島3県では全市町村に適用されたが、その3県の外国人登録者数は33623人(法務省の2010年度統計)だ。そのうち永住者が9433人、特別永住者が4177。3県だけでも外国人は3万人以上いる。もちろん当然だが、本当の意味での深刻な被害を受けた人はこれよりずっと低い数になる。しかし、他県の数字を合わせて考えても、今回の震災で被災した外国人は決して無視できるほど少ない数ではないだろう。
 日本にはさまざまなルーツを持つ人びとが暮している。それは今回大きな被害を受けた東北地方でも然り。しかし、少なくとも私が見た限り、マスメディアが報じる東日本大震災に外国人被災者は存在していなかった。テレビ画面や紙面にうつるのは日本を「脱出」する姿だけ。地域に根ざし、暮す人びとの姿は見えない。
 いや、日曜日の特番で被災地で外国人を大きく取り上げた場面が一つだけあった。米軍による「トモダチ作戦」だ。

 東日本大震災後、日本各地、世界各地から被災地へ支援の輪が広がっている。素晴らしいことだ。一方で、「絆」や「がんばろうニッポン」「一つになろうニッポン」「つながろうニッポン」(いくらでもある)という曖昧な共感を促すスローガンが社会を覆った。だいぶ減ったが、今でもそうだ。復旧、復興に団結、協力して取り組んでいくことに異存はない。しかし、そこでイメージされる「ニッポン」の定義には果たして何が含まれ、何が排除されているのか。その中に在日朝鮮人は入っているのだろうか。
 そして、そのスローガンは原発事故における日本政府や電力会社の責任、高橋哲哉氏が指摘するような「犠牲のシステム」、外国人をはじめとするマイノリティの存在など、いくつかの重要な問題を隠蔽する形でも機能している、と個人的には思う。

 ここ数日、震度4~5クラスの余震が相次いでいる。一昨日も、私が住む千葉県で震度5の揺れがあった。いまだ続く地震に正直うんざりしている。そして、自分の職場が、防災の必要性を治安対策と強く結びつけて表明してきた人物がトップに立つ自治体にあるということも、気分を憂鬱で暗くさせている。そう、かつて日本が植民地支配したアジア諸国の人びとに対する排外主義をたびたび煽ってきた石原東京都知事だ。
 彼の12年前の発言を引用しよう。
 「今日の東京を見ると、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もはや東京における犯罪の形は過去と違ってきた。もし大きな災害が起こった時には大きな騒擾事件すら想定される。こういうものに対処するために警察の力では限りがあるので、みなさんに出動願って、災害の救助だけではなく、治安の維持も大きな目的として遂行していただきたい」(4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地での記念式典)
 いわゆる「三国人」発言。心配しすぎ? 被害妄想? とんでもない。90年前の関東大震災時の朝鮮人虐殺という立派な前例がある。
 数年以内に首都直下型地震が発生する可能性がささやかれている。もちろん、そんなものが来ないに越したことはない。少なくとも彼が知事でいる間はどうか起こってくれるな。何のオチもないが、そう祈るしかない。(相)
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17年ぶりのウリハッキョ⑪ウリマルで遊ぶ

2012-03-15 09:00:00 | (瑛)のブログ
 入学してから1年の間に、ハッキョではㄱㄴㄷㄹなど19の子音とㅏㅑㅓㅕなど21の母音を習い、3学期に入ると、많다(マンタ:多い)など둘받침(二重終音)が入った言葉を学びおえ、ハングルを一通り読めるようになる。朝鮮語の世界への「入口」に入ったということだろうか。

 教科書には、ㄱのときは고기(コギ:肉)、ㄷのときは구두(クドゥ:靴)といったようにそれぞれの母音や子音が入った単語が登場する。ハッキョではソンセンニムの発音を真似ながら、そしてノートに書きながら一字一句を頭に叩き込んでいくのだろう。教科書に載る文章も少しずつ増え始める。例えば「ㅁ」の欄は、어머니, 이거 오이나요? (お母さん、これはキュウリ?)아니,무우야(いいえ、ダイコンよ)といった感じだ。

 そして、実生活で使う言葉をその都度ソンセンニムに教えてもらいながら語彙数を増やし、思いをウリマルを託していくのだろう。家でも무엇이였더라(なんだったっけ?)など、ふとした時にウリマルが出てくるのを見ると、「朝鮮語でも考えるようになったんだな」と感じられる。
 
 教科書には、짝자꿍(乳飲み子が手を両手を打つ様子)というお題の課もあって、息子が「짝자꿍」とうたいながら1歳の弟をあやしてくれたこともあった。あやす時の歌は、教科書のそれではなく、祖母から習った「짝자꿍」だった。手を握ったり、人指し指で反対の手のひらをチョンチョンと指し、最後にはキラキラと星が輝くジェスチャーで終わる童謡で、弟がちょうどお座りをした頃に教えてもらったものだ。1世や2世の同胞女性の中には、今でも朝鮮の子守歌やあやし言葉で乳飲み子を抱いてくれる方がいて、これらの歌をいつかちゃんと記録しなければと思っている。世代を越えて伝えられるウリ文化だからだ。

 息子は一時期、習いたてのウリマルを「書く」ことが楽しかったようで、宿題を終えた後も画用紙一杯にハングルを書いていた。「イオ」で連載されていた洪永佑さんの「ウリマル図鑑」を一枚一枚広げて。おそらく教科書に載っていない言葉を書くことが楽しかっただろうし、かわいらしいイラストも興味をそそったのだろう。他にも朝鮮地図のパズル、ハングルの図鑑や絵本を使って遊んでいた。ある日はソファをお立ち台に見立てて、音楽の授業で習った歌を妹にメドレーで聞かせてくれたこともあった。

 全身でウリマルを遊び、楽しむ1年生。ウリマルを楽しむ感性は、いつになっても忘れてほしくない。(瑛)
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