日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

たこ焼きと、20代ホイホイ「たこやきマントマン」

2015-05-29 09:00:00 | (麗)のブログ
先日、とある後輩の一言で仕事終わりに「たこ焼きパーティ」をすることになりました。

自宅用のたこ焼き器でたこ焼きを焼くのは大学時代に友達とやった以来。
たまにソースが恋しくなって冷凍のたこ焼きやお好み焼きを食べることがありますが、やはり出来たてに勝るものはないです。
一人暮らしをしては自分でお店に行くこともなかったので、「たこ焼き」と聞いて血が騒がない大阪人はいません。笑

みんなで食材を調達しいざ実践! 色んな具材を入れて味の変化を楽しむのもたこ焼きの魅力。
意外と回すまでにコツがいるので最初こそ苦戦していましたが、段々慣れてくると形にも変化が現れ味はもちろんのこと「完全な球体」を目指すことへとシフトしていきます。


そしてこの日の集大成がこの完璧な丸みを帯びたたこ焼きです。後ろの卵となんら変わりないこの丸み…。


余談ですが、この日たこ焼きを作りながら話題になったのは「たこやきマントマン」アニメでした。
後輩たちはちょうどこのアニメをリアルタイムで見ていた世代で、動画を見て懐かしの歓声をあげていました。

懐かしの動画を見て盛り上がっているこの状況はまさに、「20代ホイホイ」と言われるもの…。
※「20代ホイホイ」とは、20代が懐かしいと感じずにはいられない、音楽、ドラマ、アニメ、ゲームなどの動画につけられるタグのこと。
「ニコニコ動画」などで90年代~2000年代初期の懐かしの映像をまとめた動画などにこの言葉が用いられるのです。

そんな20代がホイホイ~ッと引き寄せられてしまうこのアニメの存在を、まだ20代である私は知らなかったのです。
ちょっぴりその温度差に寂しさを覚えずにはいられないのでした…。(麗)

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ふたごのふしぎ

2015-05-28 09:00:00 | (理)のブログ


 イオ7月号の特別企画は、「ふたごのふしぎ」(仮)です! 日本各地の双子、そして三つ子も…? 誌面で賑やかに紹介します。双子にまつわる雑学などをまとめた読み物も準備しています。

 私はまだ取材はしていませんが、今からとても楽しみにしています。双子ならではのいたずらエピソードや、双子だからこそ分かる感覚、お互いのことをどう思っているのか、本人たちは不思議に感じることがあるのかなど、聞いてみたいことが満載です。双子でいるというのはどんな感覚なんでしょう。

 「自分がもう一人いたらいいのに」と考えたことがある人は少なくないと思います。しかし双子は、自分とそっくりの、でも自分とは違う存在。それもそれで、何だか羨ましいです。もし私に双子がいたら、交換日記のような形式で順番にやりとりしながら、2人で一つの小説を完成させてみたいです。思い通りの展開が来るのか、はたまた自分が考え付かないような方向へ行ってしまうのか…。発想の違いなども知れて楽しそうです。あとは一緒にキャッチボールなんかもしてみたいです。ダイエットをしたい時はやる気が2倍になりそうですが、一度お菓子を食べてしまうとその勢いも2倍になりそうで、それは少し怖いですね。(理)
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最近読んだ小説

2015-05-27 09:00:00 | (愛)のブログ
最近、久しぶりに小説を読みました。
独身の頃は通勤時間が長かったせいもあり、同僚が持っている小説を片っ端から借りては読み漁っていました。
個人的にはノンフィクションよりも、ありえない世界観を味わえる小説が好きなこともあり、
多い時には1ヵ月に10冊位は読んでいたと思います。

久しぶりに手にとった小説が
伊坂幸太郎の「夜の国のクーパー」という本です。
2012年に出された小説なので、新作ではないですが、
帯の言葉の「これは猫と戦争、そしてなにより、世界の秘密のおはなし。
不安に覆われた<夜の国>に、救いの光は射し込むか?」
という文句に惹かれて買ってしまいました。

猫が主人公になったり、人間が主人公になったり、ちょっと入り込むのに時間がかかりましたが、なかなかおもしろかったです。
猫が主人公の章の時は、猫のマークが書かれていたり、
そんなちょっとした仕掛けが可愛くて、猫好きにはたまりませんでした。

この本の中の一節に
国王が国をまとめるためのこつとは「外側に危険で恐ろしい敵を用意することだ」とありますが、その1節が朝鮮を敵に仕立てるいまの日本と重なるな~と思って仕方ありませんでした。

とても不思議で、だけどなぜかリアルで、どんどん読み進めたくなる小説でした。
久々に面白い小説に出会えて、読書熱が復活してきました。
色々とまた探して読んでみたいと思います。(愛)

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「自分」を考える

2015-05-26 09:00:00 | (S)のブログ


 
児童書「ぼくのニセモノをつくるには」が、なかなか面白い。
 主人公は、けんたという男の子だ。宿題にお手伝いに部屋の掃除…。やりたくないことだらけのけんたはとっておきの策を考え付く。それはロボットに「ぼく」になってもらって、すべてのことを代わりにやってもらおう、というものだ。しかしさっそく購入したロボットにこう頼まれる。
 「あなたのことくわしくおしえてください!」

 けんたが最初に説明した「ぼく」とは、まず一般的なプロフィール(名前・生年月日・血液型・家族など)と体のパーツに関する解説(耳たぶが小さい・ブランコから落ちた時のかさぶたがある・手のひらがペトペトしている・頭が大きくて帽子がはいらないなど)だ。しかしロボットはしつこかった。「けんたくんらしさ」が分からないというのだ。仕方なしに、けんたは「ぼく」とはなにかについて考える。

 30ページほどしかないが内容がぎっしり。ほとんどが「ぼく」について綴られる。
 イラストもとてもユニーク。哲学的な内容を個性的なイラストが児童書らしく、視覚的に教えてくれる。ひとつひとつが細やかで可愛らしくて、つい吹き出してしまったり、知らぬ間に癒されていたり。

 「ぼくは『たぶん人気者』」コーナーでは―
自分ではおもしろくてカッコイイ人気者のけんた。
弟から見ると、おもちゃを貸してくれないお兄ちゃん。
お医者さんから見ると、よく風邪をひく注射が嫌いな患者さん。
水泳の友達から見ると、平泳ぎだけ上手な友達。
宇宙人から見ると…?
などなど。

 いろんなテーマでいろんな「ぼく」が語られるが、「おばあちゃんが いってたけど にんげんは ひとりひとり かたちのちがう木のようなものらしい。 じぶんの木の 『しゅるい』は うまれつきだから えらべないけど それを どうやって そだてて かざりつけるかは じぶんで きめられる…木の おおきさは どうでもよくて じぶんの木を 気にいってるかどうかが いちばん だいじ」。
 結局は「ぼくはひとりしかいない」のだ。

 けんたは最後にこう思う。
 「ぼくって なんだろう…じぶんのことを かんがえるのって めんどくさいけど なんかちょっと たのしい気もする」(S)
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広島と大阪で高校無償化、補助金裁判口頭弁論

2015-05-22 09:00:00 | (相)のブログ
 一昨日は東京で無償化裁判の口頭弁論が開かれたが(昨日のエントリ参照)、ほかの地方でも「高校無償化」からの朝鮮学校除外や地方自治体の補助金不支給と関連した裁判が続いている。
 5月13日、広島地方裁判所では、広島朝鮮学園と広島朝鮮初中高級学校生徒・卒業生らが「高校無償化」法に基づく指定の義務付けと「無償化」制度から排除された生徒への国家賠償を求めた裁判の第7回口頭弁論が開かれた。
 原告側は4月30日付で準備書面7、8を提出。準備書面7を通じて被告準備書面4、5に対する反論を行った。これについて説明する前に、以下、最近までの双方のやりとりを簡単に整理してみる。
 被告(国)側は、朝鮮学校を「無償化」制度の対象から外したのは国が定めた基準(規程13条)を満たしていると認められないためで、朝鮮学校側が基準を満たしていないと疑う事情があると主張してきた。ここでいう規程13条とは、「債権の弁済への確実な充当など法令に基づく学校運営の適正」のこと。平たく言えば、「無償化」の対象になる学校は法律に基づいて運営が適正に行われていなければならない、という意味だ。
 これに対して原告の広島朝鮮学園側は、▼規程13条は「無償化」法から委任を受けて設けられた規則ハ号(就学支援金支給の対象となる学校の類型を定めた項目で、外国人をもっぱら対象とする各種学校のうち、「高等学校の課程に類する課程を置くものと認められるものとして文部科学大臣が指定したもの」)による再委任を受けて規程されたものであり、▼同法の趣旨からすれば、教育内容・課程に照らして判断する細則を委任しているだけで、財務関係を含む学校運営の適正という観点からの判断など委任していない、▼ハ号の具体化に際して規程13条を置くことは無償化法の委任の範囲を超え、裁量権を逸脱しており、無効である、▼仮に有効だとしても、学校運営は適正におこなわれている、などと反論した。これに対して国側は、規程13条は「委任の範囲内であり無効ではない」、東京都による朝鮮学校調査報告書の中で不適正な財産管理運用状態が報告されたことを挙げて、「規程13条基準に適合すると認めるに至らないとの判断は合理的である」などと再反論した。
 そして今回、原告側が被告側の再反論に対する再々反論を行ったのだが、そのうちの一部をかいつまんでつ説明する。

 【規程13条は無効ではないという被告側の解釈は誤りである】
 -被告は、就学支援金の支給対象となる外国人学校について、就学支援金の授業料充当への確認の体制が整っていることが当然の要件になると主張しているが、授業料充当の確認体制などはそもそも高校無償化法上要求されていない
 -被告は、「高等学校の課程に類する」という際の「高等学校の過程」という概念には学校の運営体制を含むと主張しているが、学校の組織や編成を「課程」という文言に読み込むことは可能としても、学校の運営体制やその適正までをも含むことが明らかとは言えない

 【過去の問題およびほかの朝鮮学校の事情を考慮することは許されない】
 2013年の東京都による調査報告書では、朝鮮学校で不適切な財産の管理・運用が見られたと指摘されているが、同報告書は本件不指定処分後の報告書なので考慮要素にはならない。また、各学校によって判断資料が異なるので、東京朝鮮学園の事案を広島朝鮮学園に対する判断材料にすることは許されない。

 【本件不指定処分は国際人権法に違反する違法なものである】
 -被告は、規程13条の問題で朝鮮学校を不指定にしたと主張しているが、これは欺瞞・後づけの形式的理由に過ぎず、実態は人種差別に他ならない。
 -被告は、国連人種差別撤廃委員会などの所見が就学支援金制度や高校無償化法などの基準を踏まえたものではなく、朝鮮学校や総聯に対する具体的な調査を行ったうえでなされたものではないとしているが、それは誤りである
 -被告は、「無償化」からの朝鮮学校除外は政治的理由による区別だと主張しているが、人種差別撤廃委員会などはこれを是認していない

 一方、準備書面8では、ハ号規定を削除したことの違法性と原告不指定の違法について、従来の主張を整理するとともに、いくつか主張の補充を行った。
 今回の口頭弁論では、裁判長の交代に際した弁論の更新手続きがとられた。原告側弁護士が資料を手に、これまでの準備書面における論点を説明した。また、原告である広島朝鮮初中高級学校の卒業生2人が意見陳述を行った。


 翌14日には、大阪府と大阪市が府、市内の朝鮮学校に対する補助金を不支給とした処分の取消と交付の義務づけを求めた裁判の第14回口頭弁論が大阪地裁で行われた。
 今回、法廷には大阪府下全10校の朝鮮学校保護者を対象に昨年実施されたアンケート調査の原票と、結果を統計としてまとめた資料、アンケート結果を分析した大阪市立大学の伊地知紀子教授の鑑定意見書が証拠として提出された。アンケートは、府下10校の朝鮮学校に子を通わせる776世帯を対象に行われたもので、そのうちのおよそ9割にあたる696通が回収された。
 法廷では原告側代理人の普門大輔弁護士が意見陳述を行い、アンケート結果から読み取れる朝鮮学校、児童・生徒、保護者らの実像についてのべた。普門弁護士は、「保護者の8割以上が在日3世で、日本に生まれ育ち、今後も日本社会で生活していく人々」だとしながら、国籍などに見る朝鮮学校保護者の多様性に触れ、政治情勢や外交問題などにからめて「紋切型でとらえることは実態からかけ離れた見方」だと指摘。また、多くの保護者が高額な学費などのデメリットにもかかわらず子どもを朝鮮学校へ通わせている理由について、「民族性を育み、母国語を習得させ、交友関係を形成させることにあり、子どもが自らのアイデンティティを知り、歴史性を継承し、日本社会で自分を大切な存在として認識し、生活していくための複眼的な思考を学び、人格を形成発展していける場であること」だと説明した。そして、アンケートに記された保護者たちの声も紹介した。

 広島「無償化」裁判の次回期日は8月5日午前10時30分から広島地裁で、大阪「補助金」裁判の次回期日は8月30日午前11時から大阪地裁でそれぞれ開かれる。(相)
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東京無償化裁判・第6回口頭弁論

2015-05-21 09:00:00 | (瑛)のブログ


 東京無償化裁判第6回口頭弁論が5月20日14時から東京地裁大法廷で行われた。

 204人が列をなし、法廷はいつものように満席。この春で原告の東京朝鮮中高級学校生は全員が卒業したが、33人の後輩たちがその意思を継いで参加した。

 法廷では原告弁護団の準備書面3が提出された。

 前回国側は、朝鮮高校を無償化制度からはずしたのは、「規定13条に適合すると認めるにいたらなかった」のが主な理由だと主張した。準備書面3はこれに対する反論だ。

 東京弁護団の主張は一言で、国が朝鮮高校生を無償化制度から排除したことが、高校無償化法に反しているという点だ。以下、主張を整理する。

①13条の趣旨を確認

 弁護団は、そもそも国が不指定の理由として、「規定13条」を持ち出してくることがおかしいと主張した。
規程13条とは、「…指定教育施設は、高等学校等就学支援金の授業に係る債権の弁済への確実な充当など法令に基づく学校の運営を適正に行わなければならない」というものだ。

 弁護団は、この条文はあくまでも就学支援金が確実に生徒の授業料に充てられるかどうかについての制度的、客観的な審査のみであり、それ以上に「関係法令一般との適合性」といった主観的判断をすることは許されない」と法の趣旨を確認した。

 国は以前の準備書面で、「国民の租税負担によって授業料の負担を軽減するにふさわしいものであると確認できることが必要だ」―などと主張。朝鮮学校に国民の税金を出すことが適当ではない、といわんばかりの主張をしている。

 ここで、なぜ税金の使い道についての話がでてくるのか、疑問を持つ。

 そもそも就学支援金は、各種学校認可を受けた外国人学校生徒が支給対象で、対象となる外国人学校の審査基準は高等学校に類する課程かどうかだけだ。教育内容は問わず、授業時間数などで決めることになっている。法の趣旨は脇に置き、論点をずらそうという魂胆が見え見えだ。

②朝鮮高校を不指定とした処分は審査会の意見を聴かずになされた

 朝鮮学校の指定に関して国は、審査会の意見を聞くことが法律(文部科学大臣決定)で定められていたにも係らず、審査会の意見を聞かずに不処分とした。

朝鮮学校を念頭に置いた規定ハは、2012年12月に発足した第2次安倍政権が削除した。

 弁護団は、朝鮮学校の除外は自民党政権発足時において既に決まっていたことが明らかであり、政権発足後に東京朝鮮高校の指定に関して新たな調査をしたり、改めて審査会の意見を聴くなどの検討を行った事実がなかったことも丹念に調べあげ、行政処分庁が法律で定められた検討会を無視した問題性について、最高裁判例をあげながら主張。国の不指定処分は政治的理由によると、論破した。

 ちなみに国は政治的外交的理由ではない、と言い張っている。

③国の主張する処分理由は違法である。

 弁護団は、「規定13条」を口実にした国の不指定処分が、高校無償化法の目的・趣旨に反している、と改めて主張した。国は朝鮮学校と総聯との関係を審査の対象としたうえで、審査を打ち切り、結果、不指定処分にしたが、これ自体が「他事考慮」だと喝破。他事考慮とは、本来考慮しなければならないことを考慮せずにことさら無視し、逆に本来考慮すべきでないことを考慮し、重視することをいう。

 今回の準備書面で東京弁護団は、総聯や本国との関係を問題視する国の判断基準が間違っていることを、高校無償化法の趣旨に立ち返り、裁判官に正確に伝えることに心血を注いだ。

無償化法は、子どもの学びを支援するという「平等の原則」を定めた法律であるにも関わらず、朝鮮学校についてだけ、「排除の法律」として使おうとしている国の意図を浮かびあがらせた東京弁護団の主張は、すっきりと筋の通ったものだった。


 閉廷後の報告集会では、弁護団による解説に続き、参加者との質疑応答に多くの時間が割かれた。

「仮に裁判に勝ったとき、朝鮮高校を取り巻く何が変わりますか?」とは、現役の朝鮮高校生の質問。補助金の支給再開を求める埼玉の保護者からは、「国民の血税を朝鮮学校への補助金に投入することに理解を得られないと支給再開を拒否する行政に対してどのように反論すればいいのか」など実践的な質問もあった。

 裁判の見通しや弁護士費用についても、率直な説明がなされ、笑いもあふれる一体感のある集会だった。



 佐野通夫さんや長谷川和男さんが韓国で朝鮮学校差別を訴えた活動報告もあり、「60万回のトライ」を成功させた練馬の日本市民からは、原告側に裁判支援金の贈呈もあった。

次回裁判は4ヵ月後の9月18日(金)13時半から101号法廷。

国側が反論の準備に2ヵ月半の時間を要請したことに法廷ではためらいも漏れたが、この4ヵ月を勝つための備えとしたい。(瑛)
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光州民衆抗争から35年

2015-05-20 09:00:00 | (K)のブログ


 5月18日は韓国で光州民衆抗争が起こって35年になる日であった。「4.3」も「4.19」も「4.24」も、すべてそうだが、5.18も5月18日のその日だけで始まって終わったわけではない。軍隊に鎮圧される27日まで市民たちの戦いは続いた。
 光州民衆抗争を説明しようとすると、1945年の朝鮮の解放からアメリカによる南半部に対する軍政、朝鮮半島の分断、韓国の成立から話を始めなければならないが、少なくとも朴正煕による維新独裁から見なければならず、光州民衆抗争が浮き彫りにした問題、市民たちが命を賭して求めたものは、今にも続いていることである。
 光州民衆抗争はものすごい出来事で、朝鮮人はもちろん、日本人もそれによって人生が大きく変わったという人は多いのではないだろうか。

 1979年、私は大学3回生で、入学した時から朴正煕の絶対的な権力、維新独裁体制の強固さを見てきた。学生を中心に激しい民主化闘争が繰り広げられていたが、そう簡単に朴正煕政権が崩壊するとは考えもしなかった。そして、79年10月16日の釜馬民衆抗争から26日の朴正煕暗殺まで、あっという間の出来事だった。その時は、全斗煥という名前はまったく知らなかった。
 79年12月12日に全斗煥の軍事クーデターが起こるが、「ソウルの春」という言葉に、どこか楽観していたと、いま振り返ってみるとそう思う。

 光州で起こっていることが日本に伝えられたのが何日ごろだったのか、まったく忘れてしまった。が、最初、私が光州民衆抗争に対して間違った認識を持っていたことを今もはっきり覚えている。全貌がわかるようになったのは、市民が鎮圧されてからだし、各大学で同胞学生たちが本格的に集会を開いたりしたのも終わってからのことだったと思う。
 79年10月から80年末までの間、朝鮮半島情勢は本当に激動した(韓国だけでなく朝鮮民主主義人民共和国では80年10月に朝鮮労働党第6回大会が開かれたり)。その余震が今も続いており、その延長線の中で今の自分の生活があると思っている。
 ただ、光州民衆抗争をはじめ朝鮮半島で起こっているさまざまな出来事について、海を隔てた日本からながめ、本当の意味で理解していないのだという思いは常にあって自分を苦しめる。逆に、朝鮮半島の人々は在日同胞のことは本当の意味でなかなか理解できないのだろう。重要なのは、朝鮮史の大きな流れのなかに自分をおいて、その時代、置かれた場所で何をするのかということなのではないだろうか。光州民衆抗争から35年、この思いを新たにしたい。

 最後にイベントの紹介をひとつ。
 光州民衆抗争の時にその場で文化宣伝隊として活動した、韓国の画家・洪成潭さんの連作 「靖国の迷妄」の展示やトークイベントが行われます。まだ少し先ですがぜひ。

●東アジアのYASUKUNISM(ヤスクニズム)展
 「10年をかけ完結した洪成潭の連作〈靖国の迷妄〉――その巨大な絵画ひしめく圧巻の展示を軸に、トーク、詩の朗読、パフォーマンス、映画上映等をおこないながら、東アジアの歴史的課題〈ヤスクニズム〉を浮き彫りにしていくプロジェクト」(ちらしより)

日時:7月25(土)~8月2日(日)平日13:00~19:00 土日12:00~19:00
展示:洪成潭(ホンソンダム)の連作 「靖国の迷妄」
※会期中、連日トーク、上映会
場所:ブレヒトの芝居小屋(西武新宿線 武蔵関駅北口6分)

 洪成潭さんの作品展は2012年3月末から4月にかけて、今回の会場であるブレヒトの芝居小屋で開催されています。「5月版画展 ひとがひとを呼ぶ」と題された作品展で、光州人民蜂起での出来事を洪成潭さんが版画として表現した作品が展示されました(写真すべて)。
 今回はまた別の作品のようですが、月刊イオの誌面でも紹介したいと思っています。
 開催期間中、洪成潭さんによる作品解説もあるようです。



 本当の最後に、作品展「5月版画展 ひとがひとを呼ぶ」を紹介した月刊イオの当時の記事(2012年5月号)を紹介します。

 1980年5月に起こった光州民衆抗争。そのとき画家・洪成潭は、市民軍の文化宣伝隊長だった。「18日から27日夜明けまでのことは、頭の中に映画フィルムのように焼きついている」と言う。光州の真相を広く知らせるために洪は、80年代版画を彫り続ける。今回展示された作品は「光州民衆抗争・5月連作版画」としてまとめられた50点。そして、作品にはすべて洪自ら書いた詩がそえられている。韓国内はもちろん、日本や米国、ドイツなど多くの国で展示されてきた。
 洪は光州の10日間を「不当な国家システムや階層間の葛藤から完全に解放され抵抗の共同体が実現していた」とし、「光州は悲惨な言葉で語られることが多いが、韓国において軍事独裁を永遠に終息させることができるという希望を抱いていた」と振り返る。「血涙-1」「行こう、道庁へ」「大同世-1」などのすべての作品に、「記録」を超えて洪が込めた思想がここにある。作品たちは、民主化のための闘いの場に掲げられ、催涙弾の煙まみれになりながら人びとに力を与えてきた。
 昨年3.11後、すぐに福島を訪れた作者。いろんな部分で「沈黙」を強いられている日本の現状をどうにか変えたいという思いが版画展を開かせた。(k)
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電車の窓から見る風景

2015-05-19 09:00:00 | (麗)のブログ
最近、表紙の撮影で出張に行く機会も増えたのもあって、地元に帰る以外にも新幹線や特急列車に乗る機会が増えました。
デザインを担当している自分にとって、こうして全国を飛び回れるのは嬉しい。
毎回楽しみにしているのが「駅弁」と「窓の景色」です。

特に、表紙の撮影で緊張と不安のなか、癒されているのが窓の景色。
「世界の車窓から」という長寿番組がありますが、まさにああいったのどかな風景が続く景色を見るのが楽しみなのです。
自然と頭の中ではあのテーマ曲が流れていたりします。

畑で農業をする人、公園で遊ぶ親子、踏切を待つ人、洗濯物を干す人など…。
その人たちの何ともない日常を切り取る列車の窓の風景。
地下鉄では味わえない良さがそこにはあります。(地下鉄には地下鉄の良さがあるとは思いますが)

ちなみに、電車に乗っていてもう一つ好きなのが、「ビルやマンションの廊下を歩いている人や、ちょうどドアを開けて部屋に入ろうとしている人を探すこと」。
これを偶然見かけたときは、なぜか「ラッキー」と思ってしまいます。無機質な建物など、一見、人の気配が感じられない所にたまたま人がいると、それだけで安心するのです。

県によって景色も天気もガラッと変わるので、そこも好きなところの一つ。特に晴れから雨に変わる境目を見られるのが楽しいです。
そしていつの間にか爆睡しているのも列車の良さ。

鉄道にはてんで詳しくないですが、スマホを眺めるより、窓の景色を眺める方が断然いいと思うのでした。(麗)
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イオ6月号が完成!

2015-05-18 09:00:00 | (理)のブログ
 イオ6月号が完成しました! 今月号の表紙と「輝Athlete」はプロボクサーの朴泰一選手。昨年7月、初の世界戦に挑戦した経験とこれからの目標について聞きました。私はちょうど1年前にも朴選手を取材していたのですが、世界戦前と後の気持ちの変化を知ることが出来て、とても刺激を受けました。

 特集は「どうする 朝・日関係」。日本と朝鮮は一番近い隣国ですが、朝鮮民主主義人民共和国とは70年ものあいだ国交が結ばれず、植民地支配の結果、在日することになったコリアンへの人権侵害が続いています。なぜ現状が改善されないのか。糸口はないのか―。両国の関係を根本から考えてみました。

 特別企画は「7月8日まで 外登の切り替えを!」。新在留管理制度がスタートして3年。制度が変わり、特別永住者の方は外国人登録証明書から特別永住者証明書に、永住者などは在留カードに切り替える必要があり、7月8日までに期限が迫る方もいます。特別企画では、わかりやすいQ&Aに加え、「おさらい特別永住」として、現在の特別永住者制度がはらむ問題点も明示しています。

 他にも、東京朝鮮第6幼初級学校の新校舎竣工の記事や、「第5回東京コリアラグビーフェスティバル」の様子、きむ・きがんさんの一人芝居「在日バイタルチェック」の東京公演、また(淑)さんが紹介していた「日本軍性奴隷制の否定を許さない4.23アクション」(http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/b165eb5e209656c3443d3fe9585947ac)の内容など、今月号もバラエティ豊かな誌面になっています。ぜひご覧下さい。


 さて、2015年度もいつの間にか半年分の工程が終わりました。時間のスピードが思っていたよりもはやくて、もうこの辺にいるのかと驚きます。時の流れは、油断していると加速でもするのでしょうか。

 そして私も先週、25歳になりました。親戚からの「何歳になったの」という質問に答える私が一番びっくりしています。小学生から中学生に進学した初日、自分の感覚がまだ学年に馴染んでいないような感じ。いつの間にか馴染んでいたというのではなく、これからは少しずつ、時間や計画というものを意識しなくてはな~と思います。とりあえずは始まったばかりの25歳!を、どんどん満喫していきたいです。(理)
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入管へ外登の切り替えに

2015-05-15 09:00:00 | (愛)のブログ
イオ6月号校了、無事終えました。
イオ編集部にもつかの間の平穏な時間が戻ってきました。
なので昨日、入管(入国管理局)まで在留カードへの切り替えに行ってきました。

私は「特別永住者」でなく「永住者」のため、入管に切り替えに行かなくてはなりません。
今年3月頃には切り替えを促す案内ハガキが届きました。
面倒だな~と思い、行けてなかったのですがそろそろ切り替え期限も近づいてきたので、重い腰を上げ行ってきました。

実は東京の入管に行くのは初めてだったので、迷いながらも品川駅からバスに乗り、到着しました。
写真は在留カード用とパスポート用のサイズで出てくる写真機が入管にあると聞いていたので、到着してまずスピード写真機を探しました。
入管に入ってすぐの写真機の前には5~6人ほど並んでいたので、列に並ぼうと思ったら「向こうにも写真機があります」の文字。奥のほうへ進むともう2台あって並んでいる人も1人だったので、そちらに並んでまず写真を撮りました。

そして1階の申請書類配布場所で申請書をもらい記入。
2階へあがるとすぐ目に入ったのが長蛇の列! みると在留審査の受付に並ぶ人たちでした。
私は「在留カード D」と書かれた矢印の案内に従って歩き、受付番号をとって待ちました。10分ほどで呼ばれて案内のお姉さんにいろいろ確かめられて、そこから待つこと30分後。。。
ようやく在留カード発行されました。

受付係が「7年後にまた切り替えですので」と言ったので、「その時は通知は来ますか?」と聞くと「7年後のことなので、どうなるかまだ決まってないんですよ」と苦笑い。。。
そんなものなのか~と呆れましたが、お腹もすいていたので、足早に入管を後にしました。

しかし、切り替えの度に入管まで足を運ばなくてはいけないなんて!
いままでは特別永住者も永住者も「外国人登録証明書」だったのに、新しい在留管理制度からは永住者は「在留カード」になりました。交付もわざわざ入管に出向かなければなりません。
月刊イオ2012年7月号での特別企画「どうなる?新在留管理制度」でも、その内容を紹介しています。

〈イオ2012年7月号p54「新たな在留管理制度における在日朝鮮人の処遇と問題点―筆者:ペ・ミョンオク弁護士〉
…「在留カード」は常時携帯義務、変更事項の入管の届出義務が課され、外国人の所属機関にも情報提供努力義務が課された。市町村では外国籍住民として住民基本台帳へ編入され、市町村と入管(国)の間で外国人の在留情報が相互に通手されることとなった。これにより、法務省―国(入管法)と市町村(外登法)に別れていた外国人の在留管理が国に一元化され、外国人への日常的なチェック、監視は一層強められる。…


在留カードをこうして初めて手にしてみると、なんだかとっっっても腹がたってきました。
戦後70年経つのに、いつまで在日朝鮮人を厳しく管理し排除しつづけるのだろう、と。

5月18日に発行される予定のイオ6月号の特別企画「7月8日まで外登の切り替えを!」でも、外国人登録証明書の切り替えについて詳しく紹介しています。
ぜひお手にとってみてください。
そして忘れずに早めの切り替えを。(愛)



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想像すること

2015-05-14 09:00:00 | (S)のブログ
 幼いころから、休みの日には祖父母の家によく行っていた。にもかかわらず、未だに初めて聞かされる話が多いと感じる。(記憶になかっただけかもしれないが。)それは植民地時代に日本に渡ってきたときの具体的な話だったり、その後日本に残ることになった事情だったり。学校などでよく聞く1世の同胞たちについての話は、「共通した」「一般的な」1世同胞たちの話であって、そこに一歩足を踏み入れると、一人ひとり詳細はさまざまだ。

 今年のゴールデンウィークも初めて知ったことがある。私が携帯をいじっていると、祖母が画面を見て「これはなに?」と聞いてきた。「これは、フェイスブックといって、誰かがここに記事を載せたりしたら、こうやって見れるの。例えばこれとか…」その時偶然開いた記事が、4.24教育闘争に関するものだった。

「この時ね、ハンメのオッパ(兄)も捕まって牢屋にいたんだよ。1年くらい経って出て来たかな?」
「え!そうなの!? それ初めて聞いたよ。」
「ハンメも今思い出した!」

 あまりにも普通の口調で言うので驚いた。当時、そういう人がたくさんいたとは聞いていたが、今までどこか他人事のように捉えていたことに気付き、反省した。そのとき祖母はどういう心境だっただろうか? 自分に置き換えてみると、息が詰まるくらい悲しくなった。今はこうして同じ空間にいるが、目の前にいる人にとっては「戦争」や「植民地支配」、「4.24教育闘争」も歴史の話ではなく「経験」で、家族を失うことや家族と離れ離れになることなど、自分には想像しがたいことも「現実」なのだ。今思うと、祖母がなんの特別感もなく普通の口調で語ったのも、祖母にとってはそれが「非日常」ではなくて「日常」だったからだと思う。

 大学2年生の時に行った歴史実習でクラスの子たちと、歴史を「知ること」だけではなく「想像すること」の大切さについて話し合った記憶がある。今回のように1世同胞の話を聞ける機会は実際は少なく、今後はますますなくなっていく。それでも、その事実を知ること、知らせることの重要性はこれからも変わらない。私たちがどれだけ自分のこととして想像して理解できるか。また1世同胞と直接会うことのないこれからの世代にどれだけ伝えられるか。いくら想像しても「十分」ではないだろうが、無意識でいたらきっと、自分とは接点をもたない教科書に出てくるだけのものになってしまうと思う。(S)
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芝桜の丘へ

2015-05-13 09:00:00 | (相)のブログ
 

 5月初めの連休を利用して埼玉県の秩父にある羊山公園に行ってきた。
 羊山公園は、一面に芝桜が植えられた「芝桜の丘」で有名なスポット。毎年4月中旬から5月上旬の開花時期には多くの観光客でにぎわう。
 その名前からして芝桜は桜の一種(バラ科)と思われがちだが、ハナシノブ科の多年草だ。花の形が桜そっくりで、葉が芝のように地面を覆うことから「芝桜」と名づけられた。色もピンクのほか、白や淡いブルーや紫色などさまざまな種類がある。
 起伏の豊かな丘に咲き誇る芝桜は花のじゅうたんのようで、とても美しかった。春の陽気の下、一面に漂う花の香りが日々の仕事で荒みがちな気分をいくらか明るくさせてくれた。

 一昨日、イオ6月号は無事校了の日を迎えた。普段であれば校了日後の数日間は編集部内に弛緩した空気が流れるのだが、私はほっと一息つく暇もなく、昨日から出張へ。今週末まで広島、福岡、大阪、愛知を回る。
 間もなく完成する6月号の特集は「どうする、朝・日関係」。そして次の7月号の特集では朝鮮半島の植物を取り上げる。新緑がまぶしさを増し、初夏への序奏を感じさせるこの季節にふさわしい誌面になれば、と思っている。(相)
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東京朝鮮第6幼初級学校・新校舎が竣工

2015-05-12 09:00:00 | (瑛)のブログ


 東京朝鮮第6幼初級学校(東京都大田区)の新校舎竣工式が4月29日に行われ、関東地方や地域の同胞たち、大田、品川区の区議会議員ら約600人がお祝いにかけつけてくれました。

 新校舎建設の大きなきっかけは、2011年3月の東日本大震災。首都直下型地震に備え、1961年に建設された(71年に増築)校舎の建て替えは待ったなしの課題でした。

 過去、西南地域には3つの学校があったものの、2校が門を閉じ、現在は東京・西南地域の6の区から園児・児童たちが通っています。

 地域の同胞たちは新校舎を建てるため、11年8月に建設準備委員会を発足、13年に2月に建設委員会(朴廣明/洪竜守共同委員長)を立ち上げ、学校所在地の大田、城南(品川、目黒、港区)、渋世(渋谷・世田谷区)の3地域で建設資金を集めてきました。建設委員会は、3地域の40、50、60代の同胞が中心となりました。

 建設委員会の朴廣明共同委員長(66)は、「学校をどの場所に建てるべきか。どうすれば保護者に負担なく、運営できるのか。建設委員の中でも葛藤や意見のぶつかり合いもあった。結論が出ないなか、危険だと日本学校へ転学させる保護者もいた。一日も早く新校舎を建てなければならなかった」と振り返っていました。

 予算が限られるため、校舎を半分解体しながらの建設。旧校舎お別れ夜会に1000人を越える同胞、日本市民を集め、引っ越し作業も地域をあげて取り組みました。学校を失った無念や経験をぶつけながら、この地域の「民族教育の未来」を探る日々…。

 27歳の長男、25歳の次男を育てる過程で学校の統廃合を経験してきた朴さん。

「3地域の力で、新校舎建設という大きな仕事をやり遂げることができた。力を合わせなければ学校を失う―。この危機感をもって進んでいかねば」。竣工式の前に朴さんがまっすぐな表情で語っていた言葉が忘れられません。


 2階建ての校舎、人工芝が敷きつめられた運動場、吹き抜けの講堂兼体育館、冷暖房が完備された教室、幼稚班の床暖房や爽やかなブルーを取り入れた開放感のあるトイレ…。

 トイレが新しくなって、本校ではおもらしをする園児がいなくなったそうです。

 設計を担当した林誠澤一級建築士(39)は、東京朝鮮第8初級学校の出身。

 「今はなき第8ハッキョの思い出といえばトンポが集まる夜会が目に焼きついている。自分が育ったかけがえのないコミュニティを守りたい。地域のさまざまな人たちで活気づき、子どもたちがのびのび学べるような空間にしたかった」と設計への思いを語っていました。

 東京第6初級には、第7、第8の卒業生や保護者の思いもたくさん詰まっているのです。

 大田地域は8000万円(のちに1億円に変更)を目標に募金運動を開始。基金の第1号は年金生活をする同胞高齢者でした。竣工式で事業報告をした洪竜守・共同委員長(46)は、大田、城南の両地域で各1億円を集め、渋世も合流し、目標額を達成したことを高らかに宣言していました。

 亡き恩師や匿名の同胞から基金が寄せられたことを涙ながらに語った洪委員長は、「1世のオルシンたちは何ひとつ財産を持たず、明日、食べるものを欠く中でも、子どもたちのために学校を建てた。まさに1世の血と汗が染みたハッキョ。1世には及ばないが、2世、3世の力を集め、やり遂げることができた。協力してくれたすべての同胞に感謝したい」と万感の思いを伝えていました。

 この日、校庭の一角には柿の木が移植されました。

 


 東京第6初級のはじまりは大田区の沼部で聖林学院という名の国語講習所が開かれたことです。

 それから、約1ヵ月後の10月10日には東調布第一小学校の一間、池上の南之院を利用した国語講習所が開校し、この日が創立記念日になっています。その後、南之院から池上の同胞宅に講習所の場所を移したのですが、柿の木は当時からこの講習所に植えられていた木なのです。



 2012年の西東京朝鮮第2初級学校、13年の京都朝鮮初級学校、14年の東京朝鮮第1初中級学校に続く、新校舎の建設。同胞の底力はすばらしいと思えた一日でした。

 新校舎竣工というスタート地点に立ったこれからが本番。

 私も保護者の一人として気を引き締めています。(瑛)

 ※写真提供=朝鮮新報
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軍艦島はやはり日本の国家犯罪を伝える世界遺産に

2015-05-11 09:00:00 | (K)のブログ


 ゴールデンウィークの間に、「明治日本の産業革命遺産」として日本の8県23施設がユネスコの世界遺産として登録される見込みになったとのニュースが流れた(4日)。韓国外交部の発表によると23施設の中の7施設が、植民地時代に日本による朝鮮人に対する強制労働があり、その数は計5万7900人になるという。
 その中には軍艦島(端島)も含まれている。

 私は、2012年10月31日のこの日刊イオで、「軍艦島を日本の国家犯罪を伝える世界遺産に」という文章を書いている。「軍艦島」と検索したら、日刊イオもリストアップされるのか、最近この記事も少し読まれているようである。
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/a7ad101a4fbea0135ba0dee2992fb639
 私の主張は今もまったく変わっていない。

 今回の登録問題をめぐって、韓日でもめている。韓国の主張は、「侵略で生じた苦痛の歴史を産業革命だと美化している」というもの。
 それに対し日本は、報道によると、下村博文文部科学相が「近代産業遺産群は1910年以前の話。そこに強制的に朝鮮の方の労働が行われたとかいうことではない。時代が全然違う。韓国の懸念は当たらないということを丁寧に説明していきたい」と、岸田文雄外相が「1850年代から1910年までの産業遺産として顕著な普遍的な価値に着目した」「対象とする年代も歴史的な位置付けも異なる」と語ったそうである。

 日本の主張はどのように見てもめちゃくちゃだ。
 軍艦島などが1910年以前まで機能し1910年以後は使われていなかったら日本の言う論理もわかるが、実際に1910年以降も機能して使われ、そこで強制労働があり多くの朝鮮人が死んでいったわけだから、時代が違うもくそもない。ナチスのユダヤ人虐殺の行われた場所や建物が以前から使われていたからと、虐殺の事実を隠してそれ以前の時代だけを切り出し世界遺産に登録するということが許されるわけがない。
 1910年以前から日本は近代化を進める中で朝鮮やアジア諸国に対する侵略を行ってきたのであり、「近代産業遺産」というものが、日本のアジア侵略の象徴ともいえるものだ。時代に何百年と隔たりがあるわけでなく連続している。

 結局、日本が過去の国家犯罪を隠蔽しようとする、歴史を歪曲・修正しようとする、口では反省云々と言いながらまったく反省していない、そのことが根本的に間違っているのであり、批判されているのだ。
 私は軍艦島に行ったが、観光ガイドの案内も掲示文も、1910年以前のことだけを語っていたわけでない。1910年以後のことも誇らしげに語っていたが、朝鮮人強制労働のことはひと言も触れていなかった。非常に腹立たしい思いをした。

 アメリカを訪問した安倍首相は、3月27日のワシントン・ポストとのインタビューで、日本軍「慰安婦」制度の犠牲者に対して「人身売買の犠牲者」と語った。日本の国家犯罪という本質を覆い隠し日本の責任をまったく認めない発言であり、これほど犠牲者を愚弄する発言はない。

 軍艦島などは最初、「九州・山口の近代化産業遺産群」としてユネスコに申請されていた。今回、「明治日本の産業革命遺産」と岩手県、静岡県をふくめたり、「明治」と時期を入れたりしたのは、強制労働のことをごまかすためだとしか思えない。(k)
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40歳になるまで…

2015-05-08 09:00:00 | (麗)のブログ
皆さん、連休はどのように過ごされましたか?

私は地元に帰り、同窓会を楽しんできました。高校時代のバスケ部の同窓会は毎年行われており、今年で10年目に突入します。

子どもが生まれ母となった友達や、大学の教員、飲食店の店長など…10年という月日は長いようであっという間です。
みんな少しだけ年を取りましたが、集まれば相変わらずの仲の良さ。

集まった日は必ず朝まで飲み明かすのですが、さすがに身体的にきついものを感じます。笑
朝方にみんなで駅まで歩いて帰るのも、あと何回出来るのかな~と思い、少し切なくなりました。

「40歳になるまで同窓会を続けよう!」
これが今年掲げた私たちの目標です。達成出来ればこんなに素敵なことはないですね。(麗)
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