日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

ウリハッキョ

2009-09-30 09:16:50 | (愛)のブログ
私が通っていた朝鮮学校には50mの大きなプールがありました。
夏になると、体育の授業では水泳の授業が取り入れられ、1学期の終わりには全校生徒参加の水泳大会なるものが開催されました。

暑い夏に冷たい水に飛び込むあの爽快感はたまりません。
しかし、かなづちな私にとっては水泳大会が何より重いものでした。中学生になると、ビート版なしで50mを泳ぎ切らなくてはならなかったからです。
水泳大会当日。それでも意をけっして、やってやろうと決めたのです。
しかし半分泳いだ所で、チビな私は溺れ、体育の先生の手によって水からざばっーっと助け上げられました。
それでもそれはいやな記憶ではなく、楽しい思い出の一つになっています。

その朝鮮学校は、田舎にあるけれども、敷地も規模も日本の学校に負けないくらいの自慢の学校です。
当時は、市内が見渡せる小高い丘の上に堂々と建てられた校舎、子どもが100人以上遊んでもまだ足りる程の広々とした運動場、校舎の裏手には朝鮮幼稚園と寄宿舎、体育館に、50mのプールまで。
子どもたちがいろんな才能を育めるように、よりよい環境で学べるようにと、1世の同胞たちが率先して皆で建ててくれたそうです。

春には学校に生えていたよもぎの葉を摘み、祖母によもぎもちを作ってもらいました。夏にはプールで水の冷たさを楽しみ、秋には掃除して集めた枯れ葉で焼き芋を焼いて食べ、冬には運動場で雪の中で皆で戯れて遊びました。
食堂も完備され、おいしい食事と整った環境で、仲間たちに囲まれ思いきりウリのことについて学び、遊び、たくさんのものをもらいました。

あれから十数年、いまは新しい土地に新しい校舎として生まれ変わっています。
来月、長野朝鮮初級中学校創立40周年記念行事が行われるということです。久々に母校に足を運んでみたいと思います。
ハラボジ、ハルモニ、アボジ、オモニたちが自分たちの苦労をいとわず与えてくれたものを、私たちの後世にもしっかりとつないでいきたいです。(愛)
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最近のイオ編集部

2009-09-29 11:00:24 | (瑛)のブログ

 ただいま編集部では来年の「イオ」をどう作っていくか、をテーマに議論を重ねています。例えば、雑誌の「顔」である表紙をどうするか。各地の同胞を紹介する今の形になって今年で4年目ですが、それを続行するかどうか。またどのような連載を打っていくのか。
 来年は朝鮮が日本の植民地(「韓日合併」)になって100年を迎える年ですが、100周年に光をあてる企画はどんなものがいいのか、など…。議論のテーマは何通りもあって、どこかに泊り込んでじっくり話し込みたい気分になります。

 この時期は、1年の雑誌作りをじっくりと振り返るいい機会でもあります。
 いち記者としては、この1年も色んな人と仕事をさせてもらいました。ミュージシャン特集をした際(6月号)に出会った歌手の皆さんたちが目に浮かびます。その中には、ライブに足を運んで思いを伝えたものの、結果的には取材を断られた人もいます。しかし、出会ったことが縁で、その後もブログを見てその近況に一喜一憂したり、たまにCDを聞いて和んだりしています。ふと街中でスーパーで、その歌が耳に入ってくるときは、この取材をしなかったら見えなかった世界だな、と感じます。

 朝鮮半島の自然を撮る「三千里紀行」というグラビア連載は今年で2年目ですが、南北の分断が半世紀以上も続くなか、一昔前には考えられなかった企画だなぁ、感じています。本誌編集部が行き来できない朝鮮半島南部での撮影は、「民族21」のカメラマンに協力してもらい、今まで10ヵ所以上紹介することができました。とくに2世の読者からの反響が嬉しかったですね。「行ったことのないコヒャンを見れました」と読者カードに書き込んでくれた声が。

 毎年この時期に思うことは、「イオ」にしか出せない情報を届けたいということ。
 ある作家が、植民地期に朝鮮語を奪われ、解放後も民族学校を閉鎖され学ぶ機会を奪われた朝鮮人は「日本語という檻の中での表現を強いられている」と、「在日朝鮮人にとっての母語」を語っていたことがあります。雑誌作りをしながらたびたび思い出す言葉です。
 「イオ」はご存知の通り、朝鮮語の学習ページや一部コラムを除いてすべて日本語で書かれています。朝鮮語話者は、同胞社会全体を見渡すと決して多い数ではありませんが、母国語、母語へのこだわりも「イオ」の大事な役割ではないかと考えています。 本誌には、創刊当初から10年以上つづいた「ウリマル図鑑」という長寿の連載がありましたが、80ページの雑誌の中もどこかにウリマルの息吹を届けたい。もちろん朝鮮語を学ぶ機会がなかった人たちを排除するものになってはならないと思いますが…。

 というわけで、来年の雑誌作りに向けて編集部は動きだしています。 ご意見はイオのホームページhttp://www.io-web.net/top.htmlからお寄せください!(瑛)

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敬老の日

2009-09-28 09:10:23 | (里)のブログ
シルバーウィーク中、敬老の日がありましたね。
私も母方の祖母の家を久々にたずね、
一緒に楽しくすごしました。
本当は上野あたりで外食する予定でしたが、
当日ハルモ二の具合が悪くなったため、
家で釜飯の出前をとりました。

祖母は五目釜飯、母は海鮮釜飯、
そして私は具にウナギを選びました。

釜飯自体もおいしかったのに加えて、
〆がすばらしい。
薬味とだし汁をかけて茶漬け風に食べるのが
またいい感じで。

「出前か~…」と内心がっかりだった私でしたが、
ややテンションがあがりました。

母の出前チョイスに拍手! でしたね(笑)。


一服しながらハルモ二が昔話をひとつ。
「最近夢見が悪くてねぇ。変な夢見るのよ。やんなっちゃう…。
だから近ごろ枕元にカル(朝鮮語で刀の意)を置いとくのよ。
そしたら直った!」

え~! ハルモ二どういうこと?? (←私)

朝鮮では(それとも地方限定かも?)、夢見が悪い時には
枕元に小刀を置いて寝たそうです。
ハルモ二の母は、ナイフのような小刀ではなく、
大きな包丁を裸で置いていたそうですが…。
「踏んじゃいそうになって恐かったよ」と話すハルモ二の話に、
私と母は大爆笑したのでした。
魔よけ効果があったんでしょう。

そんな話をしているうちにちょうど眠たくなってきた私は、
畳の上に敷いてあった座布団の上で寝ころび、そのまま昼寝体制に。
窓から入ってくる秋風がとても気持ちよくうとうとしていたら、
「この子、布団もかけないで寝てるけど、風邪引かないのかね…」と
心配してくれているハルモ二の声が聞こえました。
家でそんなことしてたら
即「子どもじゃあるまいし」と怒られますが(笑)、
ハルモ二は私をいつまでも子どもみたいに思ってくれているんだなと、
妙にうれしくなりました。
「また子どもになりたい」、ではなく、
「ハルモ二ありがとう」、そう思った素敵な時間でした。

こんなことを言いたかったわけではありませんが、
畳の上でうたたね、
これ最高です!(里)
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関心がない

2009-09-27 09:00:00 | (K)のブログ
 書くことがないので、まったく関心がないが日本のプロ野球のことを書く。と言いつつ、このブログで野球のことを何度もあつかっているが。
プロ野球に関心のない方は、以下の文章を読まなくていいです。

 金にものを言わせて選手をかき集めた某球団が優勝したが、そんなことはどうでもいい。プロ野球にまったく興味がないからだ。その興味のなさは、何年か前に、3位のチームまでが日本シリーズに出場する可能性のある、あの変な制度を導入したことで、決定的となった。

 今年はぜひ、セリーグの3位争いをしている3チームのうちのどれかに日本シリーズへ進出してもらい、「日本一」になってもらいたいと思っている。140試合ほどして2回に1回も勝てないチームが「日本一」になることで、この制度のバカらしさを知らしめてもらいたい。

 そんな可能性は1%もないだろうし、なったとしても来年度は小手先の修正をするぐらいで、根本的な解決を図るわけでもないだろう。

 まったく関心がないと言いつつ本当は関心があるのだろう、と思っている読者の方がいるかもしれないが、いま現在、日本のプロ野球(野球という競技自体と言ってもいい)に、本当に関心がない。(k)
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屋形船もんじゃ

2009-09-26 09:55:32 | (麗)のブログ
連休に先輩たちの同窓会が東京で行われ、自分と後輩の2人がゲストとして招かれた。
同窓会の舞台となるのは、なんと屋形船。しかも、「元祖 月島もんじゃ屋形船」というちょっと風変わりな同窓会だった。
新木場駅から専用の無料シャトルバスに乗ること、5分。
出港所近くの集合所に到着し、黄色と赤にペイントされた派手な屋形船に乗り込むと、船内には鉄板がついた小さなちゃぶ台数十台が綺麗に並んでいた。
その中央の通り道を進み、一番後ろの席をドカッとキープし、席に着いた。
みんな初めて乗るのか、なんだかそわそわして落着きがない。

従業員が缶ビールを配りだし、どのグループよりも先に乾杯の音頭をとり、鉄板の火をつけた。ブハーッと、缶ビールを一気したところでやっとみんなが落ち着いたような気がした。(あとで従業員にガスが漏れる恐れがあるので勝手につけないで下さいと注意されたが。)

自分たちで作ったもんじゃを食べながら談笑していると、景色はあの有名な「レインボーブリッジ」に変わっていた。

レインボーブリッジや! お台場や! フジテレビや! 自由の女神や…!

とりあえず目に入ったものはすべて口にしてはしゃぎまくっていたら、「ミーハー過ぎる」とツッコまれた。
確かに誰よりも自分が喜んでいたが、初めて見るものばかりで興奮していただけなのに…。

2時間食べ放題飲み放題というありがたい時間は、あっという間に終焉をむかえた。
少々さみしい気持ちがこみ上げてきたが、綺麗になった自分の席の鉄板と、もんじゃなどが残っている他の席の鉄板とを見比べて、満足げに屋形船をあとにした。

今回、先輩の同窓会にゲストというかたちで参加させてもらったが、少人数の同窓会などは風変わりな企画が成功のカギだと思った。

屋形船でもんじゃを食べながら景色を楽しむのもよし、景色も見ずにもんじゃを食べまくるのもよし。
休日の夜は、ぜひ屋形船ともんじゃで。(麗)
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幸せのおすそ分け

2009-09-25 09:03:29 | (茂)のブログ
 近々、知り合い女性が結婚するということで、この連休中にその前祝をやった。
 花婿予定者に出席してもらっても計6人というこじんまりしたもので、店も知人の焼肉店という気心が知れた会である。

 「どんな結婚式にするの?」(僕)
 「普通だよ」(嫁)
 「サプライズとかあるの?」(僕)
 「えっとねぇ」(婿)
 「ちょっと、内緒でしょ」(嫁)
 「あっ、そうだね…」(婿)

 すでに尻に敷かれかけている花婿を見ながら、幸せをおすそ分けしてもらったような気がした。

 在日コリアンの結婚式は、俗に言う「ハデ婚」が多い。
 彼女の言う「普通」も、同胞同士の結婚式だから、やはり派手の部類に属するのだろう。
 それにしても在日同胞の結婚式は、何でこうも派手なのだろう?
 見栄ですかね。

 そんな二人を見ながら、「さて私も」、と言いたいところだが…。
 今朝も、「あんたの結婚式はいつになることやら」という母親の愚痴をかいくぐって出勤した。(茂)
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チューペット

2009-09-24 10:26:06 | (蒼)のブログ

 連休のある朝(昼)。
 起きたら午後3時で、パンを食べて、シャワーを浴びて、ぼーっとテレビを見ているうちに、「これじゃダメだ」と思い、着替えて、何の目的もなくとりあえず新宿に向かう。地元の駅までは自転車で、駅からは黄色い電車に乗って40分、6時過ぎに新宿に着く。
 相変わらず人が多い、と思う。いろんな人がいて、いろんな目的を持った人がいる。そしてなかには何の目的もなく、ただ、新宿をにぎわせるためだけにうろうろしている人もいる。それはたとえば僕のように。そう思うと、自分という人間が、なんだか量産的かつ間に合わせの存在のように思えて悲しくなってくる。
 「とりあえず何かしなくては」
 との衝動に駆られ思い立ったのは、新宿から家まで歩いて帰ること。道はおおむねわかる。時間は腐るほどある。家に帰ってもやることはない。
  よし、歩くか。

 新宿を出発したのは7時過ぎ。道は、青梅街道だか新青梅街道だか、とにかく片道2車線の道をずっと真っ直ぐ。この日履いていたのは、夏も終わったというのにビーチサンダル。だからしばらく歩くと当然、親指と人差し指のあいだが痛み出す。それでも我慢し歩き続ける。
 何キロあるんだろうか、と思う。どれくらいかかるんだろう。いつでも心が折れてもいいように、黄色い電車に乗れるように、どこらへんの駅付近を歩いているかを随時チェックする。
 中野を過ぎ、荻窪を歩く。飲食店がやたら目立つ。それに比例して人も多い。この日も休みで次の日も休み。みんなすごく楽しそうだ。不意に、秋の肌寒い風が吹く。ロングTシャツ一枚しか着ていなかったから、いささか寒い。鳥肌が立ったと知る。そしてふと思う。また何で歩いてるんだ、オレは、と。
 なんだか淋しくなる。誰かと話したくなる。誰と話すか考える。携帯電話の電話帳を開く。そしてある知人に電話する。
 でない。違う友人に電話する。
  でない。さらに違う友人に電話すると、3度目の正直。ほっとしながらも、他愛もない話を始める。互いの近況報告に始まり、共通の知り合いの消息について。
 そして気付けば1時間30分。充電が切れて、会話は終了する。充電が切れる直前に時間を見ると1時43分。場所は田無、らへん。 

 いよいよ足が限界に達する。指が、ふくらはぎが、太腿が痛い。足が棒になった感覚は残念ながらないけど、力は入らず脱力状態で、ちょうど氷る直前のチューペットのような感じ。やがて腰も痛くなる、そして背中も。
 この時間帯は当然、電車がない。実はずっと、黄色い電車に乗り継ぐタイミングを探していた自分がいて、電話しているときに駅の前まで行ったのにもかかわらず、歩いて帰ろうと決心を固めたあの瞬間を今さらながら後悔する。

 いくつか知っている風景が目に飛び込んでくる。「やっと」的安堵と、「まだ」的失望が同居しては口からはため息ばかりが
出る。とにかく足がやばい。疲労骨折という言葉が頭をよぎったが、バランスを崩してくじけばその瞬間にポキッっと折れそうな感じ。氷る直前のチューペットは、ねじればポキっと折れるのだ。
 ここは確か、と思ったのは、右側の巨大な工場でかつて、アルバイトをしたことがあるから。ヤ○○キパンを作るバイト。仕事が始まって終わるまでの9時間、ずっと同じことばかりやらされた遠い過去を思い出す。バイトが終わり帰路につくとき、2度とやるまいと決心したっけ。
 大学のとき、部活で使うシューズが欲しくて、1日だけここでアルバイトしたことを思い出す。親にねだればよかったのだが、飽きっぽい性格だと自分で知っていたから、自分で働いて買ったという既成事実が欲しかったわけで、もうあれから10年も過ぎたんだと思うと、なんだか切なくなる。
 そんなことを回想しているうちに、左手側には小平霊園。幽霊やお化けといった、およそ迷信と呼ばれるものは何一つ信じないのだが、深夜に一人で霊園の隣を歩いて恐くないと言える人は信用できない。つまり恐い。霊園と僕の歩く歩道のあいだは鉄の柵。鉄と鉄のあいだは狭く、もちろん人が入れるスペースではないのだが、手だったら十分に入るスペース。だから厄介なのだ。


 ……と、もうアップしなければならない時間になったのと、おいしいオチが見つかりそうにないので、途中ですがここで……(泣)。  
 それにしてもしんどかった。この文章も、歩いたことも。家に着いたのは午前4時。新宿界隈で2回ほど道を間違えたのですが、結局、9時間ほど歩いたことに。家でおとなしくDVDでも見れば良かった、と思いました。
 今さっき、近所に住む会社の先輩はかつて、東京駅から12時間かけて家まで歩いたと聞き、上には上がいるんだなと思いました。
 ちなみにこの話、すべて実話です。(蒼)   

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知る

2009-09-23 09:00:00 | (愛)のブログ
21日は敬老の日でしたね。
私の祖母も80をとうに過ぎました。

ある日の雷が鳴り響いていた夏の夕方、
その日は雷があまりにもすごかったので家中電気を消し、祖母はずっと外をみていました。
祖母にはそれが戦争の風景にみえたのでしょうか。
何の気ナシにただ自然と、昔祖父と知り合った頃の話しなどをしてくれました。

祖母は日本人です。
戦争中、祖母は家族のために14歳くらいから働かなければならず、
あらゆる職を経験し、死にモノ狂いで働いたそうです。
そしてある人の紹介で雇われた先に祖父がいたと言っていました。
その話を聞きながら、祖母に祖父が朝鮮人だということに何のひっかかりもなかったのかと聞いてみました。
戦争という中で出会ったのは、朝鮮人の祖父を通り越して、ただ一人の人間としての祖父だったと話してくれました。

祖母はもっとたくさんといろいろ話してくれたのですが、
充分には伝えきれません。
最近戦争について考えることがあります。
歴史を知り、その時代に生きた方たちの話を読み聞きし感じることは
時代の怖さだったり人間の真の姿だったり、様々です。
それでも長い歳月が経って風化されないよう、
私たちがいま現在の感覚で捉えていかなければと思っています。(愛)
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ハンメ

2009-09-22 23:52:27 | (瑛)のブログ
関西地方に住むハルモニに会ってきた。
幼い頃から盆と正月に訪れていた街。小さい頃は東京を脱出してこの街に来るのが楽しみだったけれど、ここ数年は生活に追われ訪れる機会がなくなっていた。

10年前に祖父が亡くなってから一人暮らしになったハンメは、若い頃から大勢の家族たちを養うためにハルベとともに、はたおりをしながら一家を支えてきた。仕事場が「はたおり工場」だったせいか、声が大きい。おまけに口も悪いけれど、情に厚いハンメは初孫の私をよく世話してくれた。

ハンメには、社会人になってからもずっと世話になりっぱなしだった。関西に出張が入るたびに泊まりに行っていたが、どんなに朝が早くてもたくさんの朝食を作って送り出してくれたし、原稿書きの日には弁当を包んでくれたこともある。帰りが遅くなっても、必ず一声かけて、寝床に入っていた。

一方、文句や小言も多く、言われすぎたあまり、「馬の耳に念仏」状態でした。仕事柄、たくさんの心配と気苦労をさせたけれど、会って話をするだけで楽しく、そして、若い頃から一家を切り盛りするために苦労を重ねてきたハンメから、最近はたまに「今が一番自由で幸せ」という言葉を聞くと、心底「よかったなぁ」と思う。

学問の神様がいるという神社や、馴染み深い銭湯…。私にとってこの街はハンメの町。敬老の日には、東京から来たいとこや親戚でハンメを囲んでささやかなお祝いをした。

ハンメ、またこの街で会いましょう。(瑛)
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花粉を撃退! したい…

2009-09-21 09:46:46 | (里)のブログ
まだ少し先の話ですが、
やがてあの季節がやってきます。
憎き花粉の舞う季節です。

私は3年ほど前から、花粉症デビューしてしまいまして、
おかげで今年の2月だけでも2回、病院に行きました。
なので来年の花粉飛散シーズンに向けて、
なにか対抗できる術を身につけたいと思っています。

ヨーグルトを普段食べている人は、
花粉症の症状が和らぐという話はわりと有名ですよね?
そんな話は信憑性のないものだ、っていう意見もありますが。

そこで、ズバリ私もその新説に乗っかって、
普段ヨーグルトを食べることを習慣づけようと思ってます!
決心してから1週間たちますが、
実のところ私はヨーグルトが好きではなく、
毎日義務的に食べなくてはならないため、
正直ちょっとキツイですけど(笑)。

プレーンタイプのヨーグルトを冷蔵庫に置いていて、
ジャムとかメープルシロップをかけて食べています。
ヨーグルトはいろいろ体にもいいそうなので、
食べて損はないか、くらいの気持ちです。
「おやつ」としては、役不足ですが。
子どもの頃、毎日コップ1杯飲まされた牛乳みたいな感じです。

普段まったくヨーグルトを食べない自分だからこそ、
しばらく試していきたいと思います。
効果が出た時は、またブログでご報告したいと思います。(里)

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ビスコ

2009-09-20 09:00:00 | (K)のブログ
 会社の席の右後ろにカラーボックスがあり、その上には、お菓子がいろいろと入った缶が置かれている。イスを100度ほど回転させて手をのばせば、すぐにお菓子を食べることができるようになっている。しかし、けっして、わたしがそこに置かせているのではない。

 お菓子は常に様々な種類のものが補充される。こちらの好みに合うものが入れてあるので、ついつい手が伸びてしまう。こちらのダイエットを妨害しようという陰謀なのかもしれない。



 ある日の昼休み、いつものようにお菓子の缶のふたを開けて、中を物色していると、ビスコが出てきた。小学校の同窓生に突然、街角で出会ったような感じである。

 当然、ビスコをチョイスした。

 最後の1つであった。何個か入っていてその1個だけが食べられずに残っていたのか、最初から1つだけしか入っていなかったのか。そんなどうでもいいことを考えながら、袋を破ろうとしたが、思いとどまり、写真を撮った。その段階で、このブログの文章は、半分できあがったようなものである。

 写真は幸い、1回のシャッターでそれなりのものが撮れた。急いで袋を破く。ビスコの箱はごくたまに見ることはあるが、口に入れるのは何十年ぶりである。

 昔、ビスコをよく食べた。他の家庭もそうだったと思う。いまの子どももビスコをよく食べるのだろうか。少なくとも、うちでは子どもにビスコを食べさせたことはない。


 味はすっかり忘れていたが、口の中に入れた瞬間、昔食べたときの記憶が蘇ってきた。本当に昔と同じ味なのか、メーカーが企業努力をしてものすごく美味しくなったのに、昔と同じ味だと昔を美化しているのか、よくわからない。

 そんなことしか美化する昔をあまりもっていないということもある(k)
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ポニョがやってきた!

2009-09-19 09:35:33 | (麗)のブログ
 だいぶ前に、エプソン品川アクアスタジアムという水族館に行ったとき、水槽の周りにやたらと人だかりが出来ているのでなにかと見てみたら、あの聞き覚えぼのある歌が聞こえてきた。
 まさか!と思えば、ひょいっと上から、あのさかなの子が現れた。
 
 あ!ポニョだ!
 
 スイスイと水を切って泳ぐ彼女(?)の姿に、大勢の人たちが一斉に携帯を取り出し撮影会が始まった。
 こどももいたが、大人のほうがポニョだなんだと大騒ぎしているなか、私もカメラ片手に必死に追いかけてはみたもの、失敗に終わった。

 ポニョが泳ぐ姿を目で追っていたら、彼女の胴体から一筋の光るあるものが2本見えた。
 なんだか見てはいけないものが見えたが、まあ、そりゃそうだなと思い、撮影は同行した先輩に任せた。
 そのあとのイルカショーを見に行って、イルカがジャンプしたときに、一番水しぶきがかかる危険ゾーンの席。には座らず、2番目に危険なゾーンに座って濡れるか濡れないかで盛り上がっていたが、結局まったく濡れなかった。
 その日見たイルカショーはいままで見たイルカショーより断然面白かったと思う。
 

 写真は、ポニョのベストショット。携帯で撮ったので、少々不気味に。(麗)

 
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9月17日

2009-09-18 09:55:34 | (茂)のブログ
 7年前の9月17日、私は平壌にいた。
 「小泉首相が訪朝する」
 身震いするような情報を知ったのも、確か平壌で、だった。
 期待に胸を弾ませ、指折りその日を待ちわびた。
 が、現実は、私の期待、在日コリアンの期待とはまったく逆の方向に動いた。

 この7年間、朝鮮と日本の国交を正常化するために調印された平壌宣言は何一つ履行されていない。
 それまでの「近くて遠い国」から、さらに「遠い国」になってしまった。

 在日朝鮮人が、在日朝鮮人として生きることが、これほどつらく苦しかった時期はない。
 まだ、その解決の糸口は、見えていない。
 いつまでこの苦しさが続くのかと思うと暗澹たる思いにかられる。

 昨日、そんな状況を少しでも動かそうと、東京・池袋で、6つの在日コリアンの青年団体、日本の青年団体が主催団体に名を連ねて、「東北アジアの平和と日朝国交正常化を考える若者の集い」が行われた(賛同団体はそれ以外に6つ)。
 集いでは、フォトジャーナリストの伊藤孝司氏の講演が行われ、また、日本政府への要請文が、参加者一同によって採択された。
 要請文では日本政府に対し、朝鮮に対する政策転換、経済制裁の解除、そして朝・日国交正常化のための対話の再開を求めた。

 民主党政権が発足、その支持率は、とてつもなく高い。
 支持率とはつまり、期待である。
 政権交代が、一気に朝・日関係の改善を加速させるとは思わないが、それでも停滞した状況を変えるチャンスだとは言える。
 鳩山政権が掲げる「友愛」は、隣国関係にも適用されるのだろうか。そう信じたい。(茂) 
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締切迫る

2009-09-17 13:05:08 | (K)のブログ
月刊イオの10月号が今日、完成しました(写真)。
いつものことですが、こうして完成した雑誌を手に取るとホッします。

特集は「1970年代の本棚から」。
秋によくやる本に関する特集ですが、ひとヒネリしてあります。
手元に届くのをお待ちください。

9月6日にお知らせした、「強盛大国Tシャツ」のプレゼントの締切が目前に迫ってきました。
締切は9月19日です(少し遅れても大目に見ますが)。
それほど倍率は高くないので、当たる可能性は大いにあります。
迷っている方は、どうぞご応募ください。

本家・月刊イオのプレゼントコーナーも、たくさんのご応募をお待ちしています。(k)
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 最初の記憶

2009-09-17 09:53:43 | (蒼)のブログ

 ある朝気持ちよく目覚めたとき
 鼻をつく匂いのある場所はどこかと考え
 それは陽の光でアタタかくなった雨戸からだと気付いたとき
 不意に遠い昔が思い出されたのです

 楽しみにしていた入園式を控えた朝
 高熱にうなされそれが「川崎病」だと知ったのは病室で
 紺の制服と黄色い帽子が白いガウンに代わったその日
 「泣いている自分」を初めて見ました

 泣きながら「幼稚園に行く」と叫ぶ僕に対して
 怪訝な顔をしながら「ダメ」と言い張った母が
 さながら壁のように思えたものだから
 持っていたスプーンを力いっぱいに投げつけたのです

 痛がるわけでも怒るわけでもなく
 怒るわけでも痛がるわけでもなく
 ハンカチを持って病室を出ていった母の残り香はどこか
 秋の朝の雨戸の匂いに似ていました
 
 
 ……はぁ、早く仲直りしなきゃ。(蒼)
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