日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

思い出の台詞

2013-09-30 09:00:00 | (理)のブログ
 自宅で本棚の整理をしていると一冊の本が目に留まりました。題名は《먼길(遠い道)》。朝鮮の作家による長編小説です。1983年に出版(30年前!)された作品で、本はもちろん当時のもの。何年前かは忘れましたが、アボジと倉庫の整理をしている時に「おー懐かしい!」と引っ張り出してきたのがその本です。アボジは物語の中で、《야,별찌!(あぁ、流れ星!)》という台詞を記憶しているようでした。そして私に「本当にいい小説だから、いつか読んでみろ」と。当時まだ朝鮮語の原書を読んだことがなかったものの、いつかは読んでみようと受け取りました。

 その後、オモニもその本を見るなり、懐かしがりながら《야,별찌!》と言ったのは驚きでした。聞くとどちらかが相手に教えてあげたのではなく、別々の時期・場所で同じものを読んでいたといいます。すごい偶然ですが、主人公の名前も内容も忘れてしまったのに、唯一覚えていたのが同じ台詞というのもなかなか不思議です。そんなに印象的な台詞がどのような場面で出てくるのか、まだ読んでもいないのに様々な情景を思い浮かべました。

 朝鮮語で長い文章を読むのにも慣れ、やっとその本を手に取ったのが大学3年のとき。内容に引き込まれながら序盤、中盤…と進み、「ここかな?」という予想がはずれるたび期待はさらに大きくなります。しかし後半、いつまで経っても主人公たちは肝心の台詞を言ってくれず、結局最後まで《야,별찌!》は出てきませんでした。何十年経っても両親が記憶している台詞がどれほど感動的なものなのか、それを体験したくて読んだのに…。単に見落としただけなのか、でもそんな印象的な台詞が出てくるからには前後の文脈もそれなりになにかを予感させるはずなのです。とにかく、最後の一行を読み終えたときは少し肩透かしをくらったような気分でした(内容はとてもよかったのですが)。

 久しぶりに表紙を見ながら、先々月帰省したときに持ってきたことを思い出しました。《야,별찌!》を読めなかったのは、やっぱり納得できません。今度こそ両親の思い出の台詞を探し出すために、また読み始めてみようと思います。(理)

ハルモニたちの声を

2013-09-28 09:00:00 | (淑)のブログ
 今月中旬、日本軍「慰安婦」被害女性らが韓国から来日し、日本各地を回りながら活動を続けている。15日には北海道朝鮮初中高級学校を訪問。ウリハッキョの生徒・教員らと交流を深めた。編集部からは北海道が地元の(理)さんが取材にあたり、詳しい内容はイオ11月号に掲載されます。

 24日には参議院議員会館で3名のハルモニたちを迎えて院内集会が開かれ、私も足を運んだ。今回来日されたハルモニたちを含め被害者らはみな80を超えたご高齢で、一回一回の来日が身体にも心にも大きな負担となるのは言うを待たない。韓国への自由な往来が困難な現状において、被害者から直接お話を聞く機会は極めて限られていることを踏まえればこの機会を逃せない、と永田町へ向かった。

 集会では林博史関東学院大学教授とアクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館wamの渡辺美奈事務局長が講演したほか、1994年、埼玉教育会館での金学順ハルモニの証言映像も上映された。壇上でマイクを握り締め一つ一つ搾り出すように言葉を紡ぐ姿は、約20年後のこんにちのサバイバーらの姿とぴたりと重なって、被害者らが求めた公式謝罪と賠償が一向になされないまま過ぎてしまった歳月に悲嘆を禁じえなかった。


 この日証言をされたのは朴玉善ハルモニ(90)、李玉善ハルモニ(87)、姜日出ハルモニ(86)。以下、サバイバーらの声を紹介する。

朴玉善ハルモニ
 私は「アライアキコ」と名づけられた。14歳で連行され、今90歳だ。自分は長生きして日本政府の謝罪を待っていたがもう先がない状況だ。生きている間に解決してほしい。黙っていてはいけないと思い、勇気をもって日本に来てこうして話をしている。みなさんが温かく迎えてくれて、真剣にこの問題に向き合う姿を見て、もしかしたら明日にでも解決するのではないかと安心している。問題の解決のために、みなさんの力を貸してほしい。

李玉善ハルモニ
 15歳で中国に連行され、60年ぶりに韓国に帰ってきた。その間の苦労について考えてみてほしい。私がこうして話をしなくても、女性たちを連行して何を行ったか、日本政府はすべて知っている。「慰安所」は人が住む場所ではなく、いわば場のような場所だった。食べるものはなく雑穀に味噌をつけて食べた。暴力をふるわれ、目も耳も悪くなって歯も失った。何度も逃げては捕まえられ、そのときの傷がまだ残っている。私たちがお金儲けをしていたというのなら、私たちにお金を渡したという人は名乗り出てください。戦争が終わって日本軍は私たちを置き去りにして逃げた。必ず謝罪、名誉回復、賠償しなければならない。そして歴史の真実を必ず教科書に載せて名誉を回復してほしい。

姜日出ハルモニ
 日本は朝鮮を奪った。国がなかったために私たちは強制的に連行された。私たちはこのことを民族の歴史として記憶しなければならない。
 安倍首相は私たちのことを人間とも思っていない。なぜ私たちを無視するのか。なぜこの場にいないのか。ここに来てきちんと謝罪すべきだ。日本政府の対応を見ていたら、食べ物ものどを通らない。このまま謝罪しないなんてだめです。だめです。謝罪をしなければなりません。



 被害者らは何度もマイクをくれと求めては、謝罪と賠償をしてほしいと切々と話した。語りつくせない思いが次から次へと溢れてくるようだった。
 集会後、一言お礼を伝えようとハルモニたちのところへ向かうと姜日出ハルモニが「在日同胞か。屈せず勉強をがんばりなさい」と私の手を強く握ってくれた。その言葉に込められた思いを、しわだらけの、柔らかい手に込められた力を、しっかりと受け止めたい。(淑)

『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録』上映会に参加して

2013-09-27 09:32:13 | (相)のブログ
 

 先週土曜日(21日)、日本映画大学の新百合ヶ丘キャンパスで行われた『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20』+続編『After School』(制作:コマプレス)の上映会に足を運んだ。
 『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20』(以下、『東北朝鮮学校の記録』)は震災発生から3日後に東北入りしたコマプレスのスタッフ、韓国出身の朴思柔さんと在日朝鮮人3世の朴敦史さんの2人が東北朝鮮初中級学校の児童・生徒、教職員、地域同胞たちの震災直後の姿を映像で記録したもの。続編の『After School』では震災から半年後からのようすが描かれている。
 上映会は多文化メディア市民研究会(代表=毛利嘉孝・東京藝術大学准教授)が主催し、日本映画大学が上映場所の提供などで協力した。作品上映後には朴思柔さん、朴敦史さんの2人に作品の舞台となった東北朝鮮初中級学校の玄唯哲校長(震災当時は教務主任)も交えてのトークセッションが行われた。
 『東北朝鮮学校の記録』は2011年10月に山形国際ドキュメンタリー映画祭で初上映されて以来、今日まで各地で上映会が行われている。私もこれまで2度ほど見たが、続編の方は未見だったので、この機会に、と足を運んだ次第だ。以下、上映会に参加しての感想をいくつか書き記したい。

 まず、両作品が東日本大震災という未曾有の災害に直面した現地同胞たちの姿を撮影した貴重な記録映像であるということを改めて実感した。おそらく、朝鮮学校を中心とした被災地の在日朝鮮人コミュニティの震災直後のようすを最も早い段階で、最もまとまった形で記録したものだといえるだろう。『東北朝鮮学校の記録』では、地震で校舎が全壊した学校のようすや日本全国から届く同胞たちの救援物資に支援活動など、被災地に生きる同胞たちのたくましい姿が映し出される。続編の『After School』は震災半年後からスタート。旧校舎の取り壊しなどで変わりゆく学校の姿と、児童・生徒たちの日常を追っている。震災を扱ってはいるが、そこには普段の朝鮮学校の姿がそのまま描かれている。上映後、「取材者が学校生活の内部に深くまで入って撮影しているので、朝鮮学校のことを知らない人からすると珍しい映像なのではないか」という指摘があったが、私などとは比べものにならないくらい長期間にわたって現場に通い、そこにいる人々と信頼関係を構築したからこその映像だと思う。

 

 

 震災後に私も現地で取材活動を行ったので、映像に自分の姿を発見することができる。私はコマプレスに遅れること3日の17日に現地入りした。一緒に過ごした期間は1週間にも満たないが、単なる「同業者」以上の連帯感を抱くほど濃密な時間だった。画面から漂うある種の「高揚感」は、いま見返すと少々変に感じられるが、当時はそうだった。現場には「震災ユートピア」的な空間が確かに存在していたのだと思う。
 一方で、映像は東北朝鮮学校が置かれた苦境も淡々と語る。同校は地震で建物が甚大な被害を受ける一方で、学校関係者や同胞たちの避難場所にもなったが、行政に救援の対象として認識されることはなかった。給水車の派遣や臨時のプレハブ校舎の建設などを要請しても行政の担当者からやんわり断られる姿がスクリーンに映し出される。さらに県は震災後、「県民感情に配慮して」などの理由で学校への補助金を打ち切っている。学校関係者や総聯の活動家らが全国から送られてきた食料を救援物資の乏しい周囲の避難所に分けて配り、自らは一日の食事を2食に切り詰める姿は見るたびに胸がしめつけられそうになる。
 新校舎建設事業は宙ぶらりんのまま、学校では現在、寄宿舎を改修し教室代わりにして授業を行っている。届かない支援、補助金打ち切りなど行政あげての差別―。映像は、行政や日本社会にとって「不可視」の存在となっている朝鮮学校の現状も浮かび上がらせている。
 思うように進まない校舎再建の取り組み、支援打ち切りによる経営状態の悪化といった震災によって起こった問題に加え、生徒数の減少や地域同胞コミュニティの縮小など、この地域は以前から存在し震災を機にいっそう顕在化した問題にも直面している。震災発生から2年半、東北朝鮮学校に対する支援は震災からの復興という枠組みだけでは捉えきれないものになっている。真に求められる支援とは何なのか―。2つの映像はこの難しい問いも突きつけているような気がした。

 

 上映後に行われたトークではコマプレスの2人の取材経験が語られたが、それを聞きながら取材者と被取材者との関係性について多くのことを考えさせられた。撮影は昨年の3月を最後に中断しているが、そうするにいたった経緯や本人たちの心境も語られた。当初は、「学校の現状を記録することがある意味、支援になるのではないかという思い」があったという。「映画を撮るために学校に滞在しているのではなく、あくまでも被災地支援の一環として記録させてもらっている」という立場だ。しかし、「撮る」という行為がもたらす負の効果が次第に現れる。震災後の急激な環境の変化で学校関係者のプライバシーが無くなり、継続して撮られることのストレスがたまり、撮影に対する拒否反応が表れ始めた。被写体に深刻な負担を与えるようになっていることがわかった以上、カメラを向けることはできない、と2人は当初の滞在予定を切り上げ、学校を離れたという。
 「『震災を忘れない』という物言いはよそ者の論理だ」と朴敦史さんは語っていた。震災のことは忘れたい、忘れたくても忘れられない、忘れ去られてほしくない―。現地の人々の思いは外部から来た取材者が考えている以上にはるかに多様で重層的だということは、それに従事した人なら誰もが感じたことだと思う。記録するという行為を介して、撮る者と撮られる者との間でどのような関係性が生まれるのか、またそのそれはいかにあるべきか―。2人の話は「取材者の立ち位置」という意味でも少なくない示唆を与えてくれた。

 とりとめもなくダラダラ書き連ねてしまったが、要するに何が言いたいかというと、両作品とも、社会のまなざしからこぼれ落ちるマイノリティがあの震災をどのように生き抜いたのか、そして朝鮮学校とはどのような場所なのかという問いかけにいくつもの重要な視点を提供してくれる作品だということ。朝鮮学校のことを知る同胞たちより、よくわからないという方々(同胞、日本人含め)にこそ見てもらいたい。
 上映会の最後に、大阪朝鮮高級学校ラグビー部を追ったコマプレスの最新作『60万回のトライ』の予告編を見ることができた。短い映像だったが、不覚にも目頭が熱くなった。本編公開は来年春を予定しているという。こちらの作品にも注目したい。(相)

料理上手はおもてなし上手

2013-09-26 09:00:00 | (瑛)のブログ


昨日、今年度の料理の撮影が終了! 10月号から担当いただいたRさんのおうちで、鶏もも肉を使ったサムゲタンやサンマの煮つけなど、愛情たっぷりの朝鮮料理をごちそうになってきました。

編集部に配属された10年前、「料理の撮影現場を見てきなさい!」と編集長に命じられ渋谷の朝鮮料理店で撮影に立ち会ったことが昨日のようですが、この10年の間に出会った料理家やトンポの皆さんのおかげで料理コーナーは途切れることなく続けられてきました。アスパラや新玉ねぎなど、季節の食材を使ったキムチ、宮廷料理を現代風にアレンジしたおもてなし料理、北や南の料理本と格闘しながら、慶尚道、済州道、平安道の郷土料理に挑戦し、「朝鮮料理八道紀行」と銘打った特集を組んだこともありました。

今年1月には朝鮮のスイーツに挑戦!


一般庶民が古くから親しんできた朝鮮のおやつは、お餅ひとつにしても、蒸す、こねる、揚げるなどたくさんの楽しみ方があり、紹介しきれないくらいでした。

それにしても料理は奥が深い。。。

家族の食卓を切り盛りするようになって10年になるにも、料理の腕が上がらないのが悩みの種ですが、料理本を前に、分量通りのものをレシピに沿って作っても決してうまくいかないのです。

思うに、料理の上手な方は、舌と手の感覚に優れているし、なんせ研究熱心です。

旬のものを手に入れ、バランスのいい献立を考え、素材引き出す調理法で、工夫をする。彩りよく、食べやすく盛り付ける…。料理のすべての工程はまさにアイデアの結晶で、取材のたびにオモニたちの腕に舌を巻いていました。今年、担当いただいたソンフィオモニはサラダや魚の煮物にキムチを活用されていたのですが、キムチを炒めると味がまろやかに、時にコクが出ることを知り、よく使うようになりました。

ウリ食器に盛られた料理は、それはそれは絵的にもすばらしく、料理を目で楽しませていただきました。

料理上手はおもてなし上手-。

撮影後、オモニたちは、できあがった料理を振るまいながら、一人暮らしの編集部員の生活を心配してくれ、おかずを持たせてくれましたこともありました。ご自身の経験をもとに、子育ての相談に乗ってくれたことも一度や二度ではありません。自分もこのようなおいしい料理を子どもに作って話を聞いてあげられれば、グレないんだろうな、と心底思ったものです(笑)。

オモニたちは朝鮮料理をこよなく愛し、人が大好きな方たちばかりで、その出会いに感謝です。食卓を作ることは人の輪を作ることなのでしょうね。

数々の出会いと味を思い出しながら、来年の料理企画のアイデアがフツフツとわいてきています。




絵本原画展と似顔絵

2013-09-25 09:00:00 | (K)のブログ
 先週、先々週と土曜日に渋谷で行われていた「絵本原画展 ふるさと60年」(ギャラリーTOM、9月7~23日)という展覧会に取材を兼ねて行ってきました。


 絵本原画展は、福音館書店が創立60周年の記念出版として出した絵本「ふるさと60年―戦後の日本とわたしたちの歩み」の原画を展示したものです。1946年から未来まで、ある町の変貌と文化や人々の暮らしの変化を定点観測の手法で描いた絵本で、その原画が展示されました。その原画を描いたのが、在日同胞の金斗鉉さんで、金さんの取材ために訪れたのでした。
 原画は、畳の3分の1ほどの大きさで、非常に緻密なもので、1946年から5年ごとに町の変化が描かれていました。時代が進むごとに道路が舗装されたりビルが建ったり川が埋め立てられたりしていきます。自分が小さいときに走っていた三輪の自動車が描かれていたりして、昔はこんなだったと、懐かしい気持ちにもなりました。


 作者の金さんは、朝鮮戦争が停戦になった直後にソウルで生まれました。18歳の時に日本に母親と渡ってきたそうです。絵本原画展では、別室に金さんが描いた李王朝時代の朝鮮を描いた絵も展示されていました。それが、絵本の原画とはまたガラッとタッチが違い、非常に民族性の溢れた素敵な作品群でした。金さんは40歳ごろから、無性に祖国の絵を描きたいという思いにかられるようになったそうです。なぜそうなったのか?
 金斗鉉さんについては11月号の月刊イオに掲載する予定です。ぜひご覧ください。


 ギャラリーでは金さんが希望者に似顔絵を描いていました。会場には顔見知りの在日同胞がけっこう来ていたのですが、だいたいが似顔絵を描いてもらっていました。一人10分ほどの時間で見事に似顔絵が出来上がっていました。金さんが描くペン先を見ていると、「迷い」というものがないんですね。何十年という蓄積がなせる技だと感心しました。
 私は取材で訪れていたので、似顔絵を描いてもらうつもりはなかったのですが、みんなが次々と希望し、次々と完成していくのを見ていてうらやましくなったのと、ぽっかりとギャラリーに誰もいなくなった時間があったので、描いてもらうことにしました。これまで、似顔絵を描いてもらったことは1回もありません。中学1年のときの美術の期末試験で鏡を見ながら自分で自分の似顔絵を描いたくらいです。
 どのような似顔絵になるかとわくわくしていました。恥ずかしいですが、完成した作品をアップしたいと思います。同僚に見せると、非常に似ているとのことですが、自分ではよくわかりません。金さんが描く多くの似顔絵を見ていてわたったのは、女性も男性も、10~20%は美化して描いていることです。私の似顔絵もそのつもりでご覧ください。(k)

漫画「こころとマウム」電子書籍無料配布中!

2013-09-24 09:00:00 | (愛)のブログ
月刊イオ10月号はもうお手元に届いたでしょうか?
イオ10月号の特別企画は「月刊イオの電子書籍化」です。
すでにもうイオは電子書籍化をしたよーということではなく、
イオの電子書籍化をいろいろシミュレーションしてみよう!という企画になっています。
私はスマホを使いながらも電子書籍は買ったことはなく、ピンとこなかったのですが、
今回の特別企画を読みながら、あらゆる可能性を秘めている電子書籍に俄然興味がわいてきました。

会社のipadを借りて電子書籍のサンプルをダウンロードしてみると、
もう楽しくて楽しくて、
本屋にいかなくても、こうしてあらゆる場面で手軽にサンプルを読める電子書籍の可能性にワクワクしました。

特別企画に際して電子書籍に関するアンケートも何人かにとったのですが、
色々と参考になる意見も寄せられました。
時代の波ともいうべき電子書籍の波にイオも乗り遅れてはいけないなと思った次第です。

今回特別企画の付録として、なんと!
2011年にイオで連載した漫画「こころとマウム」12話分の電子書籍を
イオWEBマガジンで無料配布しております!!
http://www.io-web.net/2013/10/ebook/

漫画「こころとマウム」とは在日本朝鮮人人権協会が企画した、
日本人と朝鮮人のふれあいが生んだ「ちょっといい話」を募集した「こころとマウム エピソード大賞」を原作にした漫画です。
2011年のイオは見てなかった、見たけどもう一度読みたい!
と思った方はぜひダウンロードして読んでみてください。
ほんわかした気持ちになれる漫画です。

ほかにもこんな電子書籍を読んでみたい、この企画を電子書籍になど要望がありましたら、
どうぞご意見ください。(愛)

スポーツの秋

2013-09-23 09:00:50 | (理)のブログ
前々回のブログで「読書・食欲・芸術の秋」と書きましたが、スポーツをすっかり忘れていましたね。

小中高と、運動面で目立ったことはありませんでした。いや、下手すぎて逆に目立ったかもしれません。特にバレーボールは全くダメで、いまだにトスもまともに出来ないほど。体育の授業などは、楽しかった記憶がほとんどないくらいです。

しかしキャッチボールは、去年の秋にやってみて初めて楽しいと感じました。教育実習先で、ひとりの男の子が持っていたグローブをなんとなくはめたのがきっかけです。何度か取り損ねたその子のボールをやっと掴んだ瞬間、パシッという音と共に手のひらに伝わってくる振動に軽く感動しました。あ、いま自分でも取れたね…という驚きと、初めて体験する感触が面白くて何度も投げてもらいました。数回受けるとすぐに慣れ、幸い1回目の成功はまぐれではないということが判明しました。翌日その子はもうひとつグローブを持ってきてくれて、その日から私の受け持つクラスではキャッチボールが日課に。毎日ひとりずつ交代して、時には会話をしながら、時にはコントをしながら、時には廊下で、公園で…と笑いの絶えない時間でした。

教育実習の最終日、生徒たちがくれたプレゼントの中に野球ボールもありました。わっ、と思って見ると生徒一人ひとりの名前と「ソンセンニム コマッスンミダ(先生ありがとう)」の文字が。青春ドラマのような展開に号泣です。

よく「心のキャッチボール」といいますが、向かい合ってボールを投げていると自然と相手のことをしっかり見て考えるようになります。スピードはこれでいいか、方向はこれくらいかなど、お互いに相手が取りやすいよう気をつけながら続けることでいつの間にか打ち解けられる気がします。ボールを受けた時の感触に加えて相手とのそんなやり取りも楽しく、実習が終わって大学に帰ってもしばらくは野球部の道具を借りて友達とキャッチボールをしていました。冬休みは家にまで持参して弟とも(いま考えるとよく付き合ってくれました)。

大学を卒業してからまだ一度もキャッチボールをしていません。教育実習からそろそろ1年が経つと思うと、あの感覚が無性に懐かしくなります。せっかくスポーツの秋でもあるので、思い切って一式を買ってしまおうか悩みますが…。まずは定期的に練習に付き合ってくれる相手を見つけてから考えることにします。(理)

今年も始まりました

2013-09-21 08:32:24 | (淑)のブログ
 イオ10月号はお手元に届きましたか?
 毎号イオが出来上がったら、自分が担当した記事の取材相手や協力してくれた方に掲載誌を送っているのですが、発刊から数日経ってご本人からお礼のメールや電話などをいただくと、ほっと一安心します。

 イオ編集部は現在、2014年度の企画会議を進めています(2014と打ち込んだだけでなんだか現実味をおびます。汗)。私はまだ3回目ですが、あぁもうこの時期が来たのか、という感じです。毎年この時期は会議三昧で、午前午後をまたいで会議室に缶詰め…という日も少なくないです。加えて11月号の制作と並行しているので、9月は連休が多くてうれしい!やっほー!なんて浮かれている場合じゃありません。

 当ブログで何度か紹介されたかと思いますが、イオの年間企画会議は2チームに分かれてそれぞれがイオ一冊分の企画案を作成し、それをたたかわせます。つい先日チーム分けが発表されました。
 新連載を立案するにあたって、去年一昨年とみんなが考えた企画案を振り返ってみると、「あ~こんなのあったあった」「この連載やってみたかったな~」などと思い出深いです。中には「これはないな…」というトホホなものも(笑)。
 毎号の企画会議もそうですが、こうした議論の場は編集部員7人個々の関心事や問題意識が垣間見れて勉強にもなります。チームごとに作成された企画案のプレゼン時は、これは(◯)さんの発案かな? これは(×)さんっぽい…なんて心の中でつぶやきながら発表を聞くのが楽しくもあります。今年はどんな企画たちが議論のテーブルに上がるのでしょう。

 企画案もそうですが、年間企画会議においてもっとも大事なのは雑誌の一年間の方向性を定めることです。それが、同胞社会の緊要な課題をキャッチし、ニーズに応え、先行く議題を問題提起するための骨幹になります。
 先日行われた埼玉での民族フォーラムには良くも悪くも思うところが多々ありましたが、誰かが「民族フォーラムは同胞社会の平均値のようなもの」と言っていたのを聞いて、イオはどこに「いる」のかなとふと思いました。
 すべての人の胸を打ち、すべての人の共感を呼ぶ、なんてことは土台無理なことですが、いかにして同胞と同胞、同胞と日本人をつなぐのか、この難題に向き合いながらイオ編集部なりの答えを持って、新しいイオをたくさんの方に届けたいと思います。
 ともあれ足りない頭を雑巾を絞るようにようにひねって読者をうならすような企画を立てたいものです。

 さて、今日は都内某所にある知人の写真スタジオでとある撮影に臨みます。スタジオなんて滅多と行く機会がないのでワクワクしています。私はカメラマンさんとモデルさんのアシスタント役です。慣れない現場でうまく立ち回れるかちょっと心配ですががんばります。(淑)

写真で振り返る「ウリ民族フォーラム in 埼玉」

2013-09-20 08:53:23 | (相)のブログ
 

 昨日のエントリで(瑛)さんも書いていましたが、在日本朝鮮埼玉県青年商工会(以下、埼玉青商会)主催の「ウリ民族フォーラム2013 in 埼玉」がさる9月15日、さいたま市の大宮ソニックシティで行われました。
 私も同僚の(淑)さんとともに現地で取材してきました。一日、会場を駆け回りながら窮屈な姿勢で写真を撮っていたので、翌日から数日間、臀部から大腿部にかけて猛烈な筋肉痛に襲われました。運動不足を痛感した次第です。
 まずは、「ウリ民族フォーラム」って何? という方々のために、以下このイベントについての簡単な説明を。
 「ウリ民族フォーラム」は青商会結成の翌年である1996年から始まり、今回で18回目を迎えました。毎年、各県の地方青商会が持ち回りで開催しています。青商会が中心となって民族教育や経済、その時々の情勢などの在日朝鮮人にとっての喫緊のテーマを議論したり、同胞社会の未来のビジョンやその実現のための具体的な取組みを映像や舞台での出し物を通じて提案するものです。近年は開催地の同胞コミュニティの活性化にも貢献しています。イベントの性格も、スタート当初の「青商会のための催し」から近年では地域コミュニティ全体を巻き込んだもの、単なる議論の場から実践を伴った具体的な提案の場へと変わっています。
 今回はフォーラムのテーマは「創ろう! 我らの力で! 『同胞社会の万豊年』。開催史上最多となる3000人が訪れ、大盛況でした。
 以下、当日の様子の一部(あくまで一部です)を写真を中心に紹介します。

 
 第1部のシンポジウム「在日同胞の『危機』を乗り越える~民族教育権とは何か」。詳細は昨日の(瑛)さんのエントリ http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/48802612a241d89451b7bbf3bee2db02 を参照

 

 

 続く第2部は「KYC埼玉学園」。地元の埼玉朝鮮初中級学校に対する支援の取り組みがスクリーンの映像と舞台でのクイズ形式で紹介されました。内容は、英語教室、朝・日友好サッカー大会、学校へのICT導入など(ICTとはInformation and Communication Technology、【情報通信技術】の略)

 

 

 埼玉朝鮮初中級学校生徒たちのプレゼン

 

 

 第3部の公演「同胞社会の万豊年」。埼玉県在住の同胞ら1000人が出演しました。合唱隊、楽団、朝鮮舞踊で構成された公演は迫力満点でした。披露された曲は朝鮮の有名な農楽曲「青山里に豊年が来た」

 

 歴代のフォーラム開催地が刻まれたプレートが埼玉フォーラム実行委員会の金オクセ会長(埼玉県青商会会長)から次回開催地である長野県青商会の千英敏会長に受け継がれました。

 おまけとして、当日の会場の様子や舞台裏も。

 

 開場時間の前から入場ゲート前には長蛇の列が

 

 

 

 リハーサル風景

 

 お揃いのTシャツを着て運営にあたったスタッフたち

(相)

「危機」を乗り越える言葉@埼玉フォーラム

2013-09-19 09:00:00 | (瑛)のブログ


 ウリ民族フォーラム2013㏌埼玉で聞いた「二つの危機」という言葉が今でも耳鳴りしている。

 3年経っても適用はおろか、「朝鮮学校は、排除して当然という」世論が取り巻く高校無償化問題。先日は広島で110人の朝高生・卒業生たちが裁判の原告に立った。

 第1部のシンポジウムのテーマは、「在日同胞の『危機』を乗り越える~民族教育権とは何か」。三重県出身の同胞弁護士・李春熙さんと在日朝鮮人の歴史を研究する明治学院大学の鄭栄桓准教授が、無償化排除が長期化する今、「私たちが何を考えるべきか」について問題提起した。

 李弁護士は、この3年間の間に「危機」は深化している、として、「除外論者の組織的運動の激化」を挙げた。

 …毎日のように、無償化反対の立場で論陣を張っている産経新聞のみならず、他にも様々なメディアや団体が「朝鮮学校が朝鮮総連と北朝鮮に支配されている」との誤った情報を発信し続けており、これが現実の政策決定に影響を及ぼしている。

 ここ埼玉県を含め、宮城県、東京都、千葉県、神奈川県、大阪府、広島県、山口県で都道府県レベルの補助金がゼロになった。教育内容への直接的介入が横行している。大阪では、朝鮮総連との関係を絶ち、肖像画を外せ、などの「橋本4要件」が、踏み絵として正式に補助金交付要綱に組み入れられた。被害・加害関係が転倒し、このような介入が「朝鮮学校生のため」として正当化されている。

 「危機」を乗り越えるためには、恩恵ではなく権利としての民族教育権を確立する必要がある。「就学支援金は学校に支給されるものではなく、生徒個人個人に対して支給されるものであり、外交上の配慮は許されない」という政府見解のもとで、適用直前まで手続きが進んでいたことを再確認する必要がある。また、審判者は誰かという視点から、「教育内容は子どもの学習権を充足するために決定されなければならない」という教育権裁判の到達点を参照することが有用だ。

 「在日朝鮮人として育ち、生き抜くための教育とは何か」という「子どもの学習権」に立ち返る必要がある。…(李弁護士)

 一方、鄭さんは、「民族教育権の危機のなか、私たちはどのような論理・方法で自らの権利を主張するべきなのか」と問いかけ、「朝鮮学校生は日本の高校生と変わらない」「朝鮮高校では反日教育などしていない」などの主張は、一時的に日本の市民の関心や同情を買うことができるかもしれない、しかしこれらが、私たちが無償化除外に反対する本当の理由なのか、と問題提起した。

 そこで鄭さんが紹介したのが、1949年の朝鮮学校閉鎖時にアサヒグラフに載った一枚の写真。日本政府の弾圧のさなかに、東京朝鮮第1初中級学校の教室を撮ったもので、黒板の上には「선생님을 지키자!(先生を守ろう)」のスローガンがある。幼い児童たちが自主的に書いたものだという。

 鄭さんはこのスローガンに込められた子どもたちの思いを伝えつつ、「私たちが守るべき権利とは何かが議論されず、日本社会に受け入れやすい理屈に流されるなかで、結果として上のような卑屈で自らを貶める言葉を口にしているのではないか」と危惧した。

 「民族教育を守る、というのは当たり前のスローガンかもしれないが、その意味や論理について、私たちは議論の中で鍛え直す時期にきている」(鄭さん)

 「被害・加害関係が転倒している」という李弁護士の言葉、「民族教育の意味を鍛え直す」という鄭先生の言葉が何度も反芻した。

 埼玉では補助金復活を求める要請が続いているが、その場で同胞たちは県知事から、不当な発言を受け、傷を負ってきた。

 「拉致問題を在校生に正しく学ばせること、…その回答を受けて(補助金支給を)総合的に考えたい」(2011年2月)

 「抜き打ちで教育内容を調査する」(2011年12月)

 「反日教育をやって、それで『補助金だけください』と言うわけにはいきませんよ」(2012年1月)

 「納税をもって、すべてが権利として認められるものではない」(2012年1月)

 「校長と理事長の同席は非常に不快、不見識…反日教育を一生懸命やっている」(同年8月)

 「日本人拉致問題が何ら進展がなく、度重なるミサイル発射や核実験など、もう我慢にも限界がある。国民感情や県議会の決議もある。総合的に考えて計上しないことを決めた」(今年2月)

 これらの発言はすべて、埼玉県知事―自治体の首長の口から吐かれたもので、歴史的経緯のある在日朝鮮人の子どもの民族教育の権利という発想はまったくない。私たちはバカにされているのだ。



 シンポジウムのパネラーに立った、埼玉朝鮮初中級学校アボジ会の金勝沢さんは、県庁への要請に限られた人しか訪れない現状に心を痛めながら、「誰かがやってくれる、という精神の塊がこの地域にあるのではないか」と率直な思いをぶつけていた。経済、政治状況がひっ迫するなか、平日に県庁を訪れる時間を絞り出す難しさは、朝鮮学校に通わすため、時間と生活に追われる保護者なら誰でもわかっていたと思う。

 金さんが問いたかったのは、「気持ち」の問題だった。「私たち自身が怒りを感じているのか」という言葉にその苛立ちが表れていたように思う。

 気持ちのズレを克服するには、「現在の危機」を共有することがその第一歩になる。危機を理解するには歴史の縦軸、日本学校に通う同胞の子どもまで含めた民族教育権といった広い視野が必要だろう。

 「危機」は深刻だが、シンポジウムを通じて日本全国3000人の同胞たちと現状を共有した時間が尊かった。

 フォーラムのテーマは、「사랑하자 이어가자 다 같음 마음으로!(愛そう つなげよう みんな ひとつの木気持ちで)」―埼玉から生まれたこの言葉が、私に伝わり、各地の同胞に伝わった4時間だった。

 東京でも近々裁判が始まる。一人ひとりが考え、行動することがすべての出発点になる。

 原点を見つめさせてくれた埼玉のトンポヨロブン、この場をお借りして、感謝の言葉を伝えたい。
 コマプスムニダ。(瑛)

月刊イオ10月号といこいマダンのランチ

2013-09-18 09:00:00 | (K)のブログ


 月刊イオの10月号が完成しました。

 特集は、「明日のための同胞福祉」。同胞社会で福祉への取り組みが本格的に始まり十数年が経ちます。この間、各地に同胞生活綜合センターが作られ、同胞福祉連絡会やムジゲ会、民間のNPOなどが組織されてきました。特集では、積み上げてきたこの間の活動(場作り、人材育成、行政との協働)、見えてきた課題などを、各地の取り組みや福祉に携わる人々を紹介しながら考え、明日のために求められる同胞福祉の明らかにしようとしました。

 特別企画は、「月刊イオの電子書籍化」。月刊イオは1996年7月の創刊以来、政治、経済、文化、歴史、同胞生活などほぼすべてのジャンルの記事を、様々な形式で掲載してきました。蓄積された情報は膨大で貴重なものだと言えます。それらの情報をイオの誌面上だけでなく、イオを電子出版化することでより有効に利用したいと、特別企画ではイオの電子化について考え読者の皆さんに提案しています。この特別企画を第一歩として、今後、イオの電子化に本格的に取り組み実現させていきたいと考えています。電子書籍の専門家のインタビューも掲載しています。

 その他の記事では、関東大震災90周年に際して関東各地で行われた行事の紹介や、朝鮮学校を差別する日本政府に対して出された国連勧告についての記事、朝鮮学校に対する理解を深めるためのパンフレット「ウリハッキョ」の紹介などが掲載されています。また、元日本軍「慰安婦」で沖縄に住んでいたペ・ポンギさんについての短期連載「沖縄のなかの朝鮮人」もスタートします。
 10月号も充実した内容となっています。ぜひご愛読ください。


 今回わたしは、特集の取材のために愛知県の「NPO法人 コリアンネットあいち」を訪ねました。コリアンネットあいちは、同胞たちのために高齢者支援や障がい者自立支援、子育て支援、社会教育、国際交流など多角的に事業を展開しています。そのなかで、高齢者のためのデイサービスセンターである「いこいマダン」(名古屋市北区)を訪問して写真を撮らせていただきました。ほとんどの利用者が同胞高齢者ですが、私が訪ねた時は日本人の利用者も一人おられました。姉妹3人で利用している方もおり週に1度、いこいマダンで会うのが何よりの楽しみということでした。また、スタッフのみなさんが誠心誠意、利用者の方に接し働いている姿が印象的でした。

 利用者の方たちは、健康チェックや入浴、お遊びなど1日を楽しく過ごしていたのですが、楽しみにしていることのひとつが食事(ランチ)でした。わたしも2日間、ハルモニたちと一緒にご馳走になりましたが、同胞高齢者の口に合うメニューで本当に美味しかった。「ランチの美味しいマダン」をアピールポイントの一つとしているとのことで、十分にうなずける大満足のランチでした。


 どれだけ美味しいのかと言うと、そのランチメニューのレシピが本になるほど美味しいんです。「ハンメの食卓―日本でつくるコリアン家庭料理―」(NPO法人 コリアンネットあいち編著、ゆいぽおと発行、1500円+税)。10月下旬に発売予定です。写真のチラシに書かれている文章の一部を紹介します。
 「「ハンメ」は、朝鮮半島慶尚道地方の方言「ハルメ」(おばあちゃん)が、さらになまった「在日語」です。私たちのまわりには多くの在日コリアンが住んでいます。日本の植民地時代に渡って来た1世のほとんどが高齢となり、多くの人が、二つに引き裂かれてしまった故郷に帰ることなく他界しました。
 1世の同胞たちに少しでも安らぐ場所を提供したいという2世の思いから誕生したデイサービスセンターで、毎日提供している昼ごはんのレシピをまとめました。日本の食材を使い、在日ならではの知恵をいかし、「韓流」とはちがった、古くから家庭に伝わる料理が中心です。」


 発売されれば、月刊イオの書評欄でも紹介したいと思います。日刊イオの読者のみなさんもぜひお買い求めください。コリアンネットあいちではまた、「1世のハンメたちが教えてくれたこと」という1世のハルモニたちの生活史などをまとめた本も出版する予定だということです。(k)


ウリ民族フォーラム2013in 埼玉に行って

2013-09-17 09:00:00 | (愛)のブログ
9月15日は、ウリ民族フォーラム2013in 埼玉でしたね!
編集部の(相)さん、(淑)さんが取材で行っていたので、
詳しい内容や報道はイオ11月号をぜひごらんください。

イオでも必ず掲載していた民族フォーラムですが、私個人としてはいままで実際にみることがなく、
できた原稿をデザインして組んでばかりいたので、一度はぜひともこの目で見たかった民族フォーラム。
大宮で行われるということで、私も台風が迫るなか、子どもを連れて行って来ました!

初めての民族フォーラム、会場でのあまりの人の多さと熱気にびっくり。
結構小さい子ども連れのトンポも多く、抱っこひもをしたオンマたちもいたので、
場違いな感じもなくホッとしました。
託児室もあったのですが、
0歳児は預けられないらしく子どもを抱っこしながら見ました。
途中、「母子室」という場所があることに気づき(防音になっており、会場を見れる場所)、
ラストはそこから鑑賞しました。
(こういう場所が用意されているというのは、うれしかったですね♪)

冒頭のオープニング映像に笑わせられながら、始まった民族フォーラム。
途中、我が子が大きな声をだしはじめたのでシンポジウムは通しで見れず、
会場の外にいたりしましたが、第2部はすやすやと寝てくれたので、がっつりみることができました。
化粧が落ちてしまうほどの涙をだしながら笑ったのは久しぶりだな~と思うくらい、大爆笑。
そして、プレゼンテーション、朝鮮学校のICT化。まじめに語られるところは語っていて、なるほど~とうなずくものでした。
そしてラストの1000人大合唱の「万豊年」!
子どもたちの踊りあり、歌ありで圧巻でした。
今回のテーマである「同胞社会の万豊年」をカタチとしてみせてくれた、そんな感じでした。
初めて生でみれた民族フォーラム。
かなり久しぶりに会って話せた友人もいて、こういった場の素晴らしさをもう一度噛み締めて
元気をもらい帰路につきました。

そして、来年の民族フォーラム開催地は長野!
私の地元でもあります。
来年の民族フォーラムがいまからとても楽しみになってきました。(愛)

3回目の

2013-09-16 09:00:15 | (理)のブログ
現在、11月号の取材で北海道に来ています。昨日の朝、台風が迫るなか飛行機に乗って無事到着しました。3回目の出張です。

地元での取材。見慣れた町に同胞たちと、やっぱり落ち着きます。いつも出張では焦りと緊張からくるミスやハプニングが必ずあるのですが、今のところ問題なく過ごせています。ただ、ホテルの枕が高すぎて首を寝違えてしまいました。今日の仕事に支障がないことを願います。

明日の朝に東京に帰ります。最後まで地元を満喫しながらいい仕事が出来るように頑張ります!(理)



同胞高齢者福祉

2013-09-14 08:33:32 | (淑)のブログ
 イオ10月号がもうすぐ出来上がります。
 最新号の特集は「同胞福祉」です。福祉の特集は2009年以来なので4年ぶり。その頃からどのような前進があり、また新たに浮き上がっている課題がなんなのか、福祉の現場を取材しました。私は09年時の制作には携わっていないので新鮮な気持ちで取り組みました。

 私が主に担当したのは高齢者福祉の問題です。2025年には65歳以上の老年人口が推定3500万人の超高齢化社会を迎えると言われていますが、主要因となっているのが団塊世代の高齢化で、この世代にあたる2世世代の介護問題は、今後どうなっていくのか、という点に注目していました。

 取材に当たった現場では、確かにここ数年で2世の利用者もちらほら見られるようになったものの、もっぱら後期高齢である1世の介護の充実化が喫緊の課題だというのが率直な実感でした。
 足立区のデイサービス朝日では登録者の57人中、2世は7、8人。最年少は69歳とのこと。ちなみにスタッフの中にも同じ2世の69歳がいました。そのスタッフは「◯◯さん、私と同級生なの」と笑って話していましたね。
 一般的に「老年」の定義は65歳以上を指しますが、中には元気で働いている人も大勢いらっしゃいます。高齢者福祉を考える上で、「高齢者とは誰なのか?」ということもまず考える必要があると思います。

 介護保険制度が施行された2000年以降、総聯では同胞高齢者福祉への取り組みが本格的に始まりました。日本各地にデイサービスセンターが開設されましたが、それから13年。高齢化は進み、現場ではさらなるサービスの拡充が求められているようでした。その内容は本誌でご覧ください。
 高齢化に伴い介護を必要とする人々が爆発的に増えれば、支援する側も相応の人口が要することは想像にたやすいですが、将来を見据えるとその量的なニーズは現在とは比にならない、と関係者は話していました。10月号を通して、普段の生活で介護とは少し遠いところにいる人にも、現場で奮闘する人たちの情熱が伝わり、関心につながればと思います。

 余談ですが、我が家における高齢化を考えると、2年後に迎える父の還暦が目下の関心事です。父は白髪こそ増えてきましたが、還暦だなんて信じられません。
 特集では高齢者だけでなく幅広く福祉の問題を扱っているので、ぜひ手にとって読んでください。(淑)

今年もあと3ヵ月半…

2013-09-13 09:00:00 | (相)のブログ
 イオ10月号の編集作業も今月10日をもって無事終了しました。夏休みを挟んでスケジュールがタイトになったこと、今月の初めから同僚の(麗)さんが朝鮮民主主義人民共和国へ旅立ったことで、いつにもまして慌しい追い込みとなりましたが、何とか終えることができました。
 雑誌編集の仕事を始めて3年が過ぎましたが、仕事のサイクルに関しては新聞の方が性に合っていたのかもしれない、と最近考えるようになりました。雑誌の仕事が自分に合っていないということではなく、単に新聞だとほぼ毎日締め切りがあるので、仕事をなるべく後回しにする悪い癖が出ないように思えるからです。しかし少し前までは、メリハリのある月刊誌の編集のほうが性に合っていると感じていたのですが…。
 
 編集部では現在、10月号の作業を終えて息つく暇もなく、11月号の制作に取り掛かっています。そして、通常の編集作業に加えて、今年もやってきました、来年の誌面計画を協議する企画会議の時期が。編集部員全員参加のもと今年1年を総括し、来年の編集の方向性を決めるとともに、具体的な企画案を持ち寄り、誌面の形を決める作業がこれから始まります。毎年頭をひねって、ない知恵を絞り出す作業はかなりしんどいのですが、みなが力を合わせて一つのものを作っている感じが私は結構好きです。

 光陰矢のごとしで、今年もすでに3分の2が終わり、残りは3ヵ月半ほど。たぶん年末まであっという間でしょう。秋の入口が目前のこの時期は季節柄、日本各地でさまざまなイベントが開かれるので、私たちが現場に出る回数もその分増えます。今週末には埼玉で在日本朝鮮埼玉県青年商工会が主催する「ウリ民族フォーラム」が開催されます。参加者兼取材者として、しかと見届けたいと思います。(相)