日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

日曜日の運動

2011-05-31 10:57:13 | (麗)のブログ
29日に運動する機会があったのですが、この年にして早くも衰えを感じました…。
運動内容は、遊び感覚でバスケ→リレー→縄跳び→綱引き…といった流れです。
そうです、この日は運動会だったのです。

運動会はあいにくの雨だったため体育館で行われました。
体育館に来ると、バスケットボールとリングを見て必ずウズウズしてしまい、
「先生、バスケがしたいです」いう気持ちになります。
一応、中・高と6年間バスケをやってきたのですが、意外ですね!と言われること多数です。
そういった私の思いを拾ってくれた先輩と、バスケ経験のある人たちとで2on2をすることになりましたが、
悲しいかな気持ちとは裏腹に体は思うように動いてくれませんでした…。


この日、帰宅後すぐに爆睡。しかも床に雑魚寝したため、全身を痛めるという災難付き。翌日はやはり筋肉痛でした。

最近スーツを着る機会があったのですが、久しぶりの慣れないヒールで長時間立ち続けた結果、
明け方に右足がこむら返りになって悶絶するという悲劇が起きました。あぁ、本当に衰えは怖い…。


こうならないためにも適度な運動が必要ですね。あの頃のように、清々しい汗をもう一度流したいです。(麗)

揺らぐ「安全基準」

2011-05-30 10:04:31 | (里)のブログ
先週の月曜日、福島県の保護者ら約500人が文科省を訪れ、
学校の校庭使用に関する放射線量の暫定基準(毎時3.8マイクロシーベルト)を
撤回するよう求めました。
「子どもたちを放射能から守れ」
「年間20ミリシーベルトの基準の撤回を」と、
怒りの声をあげました。

日本では年間被曝限度量が1ミリシーベルト(5ミリシーベルトで屋内退避が勧告される)と設定されていましたが、
今回の原発事故の長期化を受け、放射線量の高い地域に関してはこの値が
20ミリシーベルトにまで引き上げられました。

この「被曝の安全基準」は放射線に関する国際的な権威であるICRP(国際放射線防護委員会)の勧告のもと、
各国がそれぞれ設定していくもの。
「シーベルト」という単位は、どれだけ「被曝」したかを測る単位。
ここで念頭に置きたいのが、このシーベルトに関しては計器によって測定できる値ではなく、過去の研究に基づいて計算されるという点です。
したがって、その計算とはある仮定で成り立っていて、その仮定がどこまで現実と合致しているのか、
実はまだよくわかっていないのです。


福島県の学校の校庭使用に関し、毎時3.8マイクロシーベルトにしたのは、
年間20ミリシーベルトを超えないよう設定された基準です。
この20ミリシーベルトというのは先にものべた通り、今回の事態を受けて恣意的に改ざんされた年間被曝限度量です。


微量な放射線が人体に与える影響は、学問的にまだ明確でないとされています。
「少しの放射線は心配無用説」もありますが、これに対し真っ向から否定する学者も実は大勢いるのです。
(これに関しては、また次の機会に書きたいと思います)
文科省が設定した基準値が安全だとは、必ずしも言い切れないと思います。
何に裏づけされた安全基準なのか、非常に曖昧すぎます。
「子どもたちをモルモットにするつもりか!」と、
福島県の保護者たちは訴えました。


私は今、内部被曝のもたらす影響について書かれた本を読んでいます。
はっきり言って、読めば読むほど放射線が人体にもたらす影響について恐怖がわいてきます。
そんな時に、福島の保護者たちのデモを目の当たりにし、ある種の衝撃が走りました。


福島第1原発からは、次から次へと新たなトラブルがあらわれています。
1~3号機のメルトダウンに続き、さまざまなデータ隠し…。
年間被曝限度量の引き上げはもはや、
これから起こりうるさらなる事態へ向けた「責任逃れ策」に見えてなりません。
とあるテレビ番組で一人のコメンテーターが、
「政治家は、一体誰に向けて仕事をしているのか」と、言っていました。
原発事故が起こった背景にあった体質も非常に問題ですが、
それに対する対応にまったく誠意が見られないのも、本当にひどいと思います。(里)

伝統武芸テッキョン

2011-05-28 09:00:00 | (淑)のブログ


 昨日出張から帰ってきました。今回は関西地方に行って、主にチョゴリ店を取材しました。チョゴリ店以外にもいくつか取材したのですが、ある方とお話している中で、その方が伝統武芸を習っていると聞き、聞いたことのない武芸に興味をそそられ、ちょうど教室の日ということで見学させてもらいました。

 皆さんは「テッキョン」という朝鮮の伝統武芸をご存知ですか? 私は今回はじめて知りました。足技を使う武道で、朝鮮相撲、弓道とともに朝鮮三大武芸の一つだそうです。

 このテッキョン、歴史は高句麗時代までさかのぼります。マダンノリといって、朝鮮では昔からお祝い事などがあると人々が広場に集まり、伝統的な民俗遊びなどで楽しむ、独特な風習があります。テッキョンもマダンノリで行われていた中の一つで、「ひとつ手合わせしましょうか」といったお遊び感覚で行われ、生活の中で広く愛されてきたそうです。農楽舞をイメージしていただけたらお分かりいただけると思います。

 教室は兵庫県の総聯東神戸支部で行われていたのですが、この日は20人ほど生徒さんが来ていて、下は2歳、上は中学生まででした。指導してくれるのは、韓国からきた大学生。テッキョン教室では、4年ほど前から韓国の龍仁大学校と活発な交流活動を続けていて、テッキョンを教えるために龍仁大学の学生さんたちが交互に来日しているそうです。その学生さんからもテッキョンについて、少しお話を聞きました。いわく、テッキョンはプンパプキ(品踏み)というのが基本の動作で、品という漢字の三つの口を踏むことをイメージしながら、3箇所を交互に踏み、技を出します。「イックエック」と掛け声を出しながら、リズムに合わせて動きます。テッキョンには演武、対錬などがありますが、対錬であっても相手を打ち負かすことに目的があるのではなく、常に相手を配慮することが基本の精神なんだそう。朝鮮舞踊の要素も含まれていて、やっている人も、見ている人もみんなが楽しめる武芸だそうです。素敵ですね。演武も見せてくれたのですが、飛び技などもあり、とてもかっこよかったです。印象的だったのは教室の生徒たちが、訓練というよりは、楽しんで練習していたことです。



 このテッキョン教室は、会長の方がテッキョンに出会い、感銘を受け、このすばらしい伝統武芸を在日同胞にも広めたいという思いから立ち上げたそうです。会長や関係者方々の、伝統を重んじ後世に伝えようとする活動はとても重要で、すばらしいことです。兵庫では朝鮮学校の行事で披露されるなど、知る人も多いそうですが、全国的にみたら在日同胞の中ではよく知らない人、見たことのない人が多いと思います。今回はじめてテッキョンを知り、私自身ももっと見てみたいと思いましたし、伝統武芸なだけに、よりたくさんの人に見る機会が与えられればと思いました。(淑)


ラジオについて

2011-05-27 11:28:44 | (相)のブログ
 

 最近、またラジオを積極的に聴き始めた。
 昔はそれなりのラジオ少年だった。聞き始めたのは中学生の頃からだろうか。自分の部屋はあったが、テレビはなかった。そこでラジオの出番だ。夜、ラジオのつまみを回して(昔はデジタルで一発チューニングなんてなかった)、お気に入りのパーソナリティの番組を耳をすまして聞いた思い出がある。音楽CDを好きなだけ買うお金などないので、ラジオでチェックしていた。
 
 そして大学時代。全寮制で、テレビなどない。当時はインターネットもなかった(存在はしていたが、一般に普及はしていなかった)。新聞などの紙媒体を別にすれば、ラジオが自分と外の世界をつなぐ唯一のメディアだった。ルームメイトの影響か、部屋にはAM、FM関係なく常にラジオ放送が流れていた。深夜番組を聞きながらみんなであれこれとツッコミを入れてみたり、英語放送でリスニング力を鍛えてみたり。ラジオを通じてオールジャンルの音楽に接しながら、自分のお気に入りのアーティストや曲の幅を広げてみたり。自分の音楽鑑賞の嗜好性の大きな部分は大学時代のこのような経験を通じて形作られたといっても過言ではない。

 ラジオにまつわるどうでもいい個人的体験を書き連ねてしまったが、再びラジオを聞き始めるようになったきっかけは今回の東日本大震災だった。震災を機にラジオというメディアが再び脚光を浴びた。被災者に必要な情報を迅速に伝える「ライフラインメディア」、人々に安らぎを届ける「パーソナルメディア」としての役割。今回のような大災害が起きると、テレビや新聞のようなマスメディアでは、被災地が本当に必要としている情報を報道しきれない。そこで、地域密着のコミュニティFMなどが注目された。
 ラジオの魅力とは何か。思いつく限り並べてみると、
 音だけのメディアなので、想像力をかきたてられる。パーソナリティの「素」が出るのか、テレビではいえないような過激でディープなことも言ってくれたりする。双方向性や、「~ながら聴き」できるのも魅力かもしれない。音楽もオールジャンルでチェックすることができる。そして今回証明されたように、災害時にも強いということだろうか。

 実際に、このたびの震災関連の取材ではツイッターとともにラジオが役立った。震災直後、鉄道も飛行機も高速道路もダメで、一般道から被災地に向かう車中、主な情報源はラジオだった。被災地でも、準備しておいたポケットラジオが活躍した。移動の車中ではよく地元のラジオ放送が流れていたが、全国メディアに比べて現地の雰囲気をよく知ることができたように思う。
 最近ではラジオ放送をインターネットで配信するradikoというサービスもある。
 最近の若い世代はラジオをあまり聞かないと言われているが、個人的にはたくさん接してもらいたいと思っている。違った世界が広がること請け合いだ。(相)

ビニール傘とかたつむり

2011-05-26 10:19:22 | (愛)のブログ
さて、イオ6月号がそろそろ皆様のお手元に届いたことと思います。
今月の表紙「暮らしの中に복!」は「ビニール傘とかたつむり」です。
6月といえばじめっとした梅雨の季節ですが、こんなかわいい傘をもっていれば気分も少し晴れるのではないでしょうか。
もちろん任香淑先生が作ってくださいました。
傘のセットン柄のグリップカバーも手作りです。私はグリップカバーというものを今回の撮影で初めて知ったのですが、なかなか便利ですね。結構街中でも見かける機会があります。味気ない透明なビニール傘もグリップカバーをつけるだけで、自分だけの傘に変身するところがいい。

表紙になったものは雨の滴が描かれたものでしたが、それだけでなく、ほかにも作ってくださいました。
黄色の蝶と色とりどりの蝶が傘にとまっているような傘です。

 

先日都会の街中にリアルかたつむりを見つけました。
そろそろアジサイも咲く頃ですね。
雨は嫌ですが、アジサイが雨に反射して花の色がキラキラときれいに見える風景はとても好きです。
こんなかわいい傘をもちながら、アジサイ散策に出かけるのも、たまにはどうでしょうか。(愛)

チョゴリ

2011-05-25 09:00:00 | (K)のブログ
 現在、イオ編集部は7月号の制作の真っ最中です。
 7月号の特集は、朝鮮の民族衣装であるチョゴリについて。
 本当はこの特集、5月号に組む予定でしたが、編集部で担当を決める会議をしていたまさにそのとき、東日本大震災が起こり、延期されていました。

 チョゴリ特集の取材などのため、先週から愛知、関西へ出張に出ています。
 パジ・チョゴリを着こなす98歳の1世のハラボジや、ハルモニのチマ・チョゴリを大切に着る日本学校に通う女の子、チョゴリ屋さんを営む方々と会い、チョゴリに対する思いを聞くことができました。
 京都では、日本の大学に通う同胞学生二人を取材し、農楽の衣装姿の写真を撮らせてもらいました。そのうちの一人は、小学校からずっと日本学校に通い、大学に入って同胞組織と出会って初めて民族衣装に袖を通したと言っていました。


 そこで、はてと、自分自身を振り返ったわけです。
 自分自身はチョゴリ(民族衣装)を着たことがあるのかと。

 結婚式の時はスーツだけで、古典衣装は着ませんでした(絶対にイヤ)。学生時代も、今のようにサムルノリや農楽といったものをいっさいしたことがありません。当時は、政治性、階級性が前面に出ていた時代で、民族文化的なものは重要視されなかったんですね。

 このブログを書き始めたときは、「生まれて1回もチョゴリを着たことがないので、これから着てみたい」という感じのオチにしようと思っていたのですが、よくよく振り返ってみると、学生時代に1度だけパジ・チョゴリを着たことがありました。

 韓国で軍事独裁に反対する人々の大きな闘いがあったとき(確か光州人民抗争だったと思いますが記憶があいまいです。当時、朝鮮新報にも紹介されたので出張から帰ったら調べてみたいと思います)、われわれ同胞学生たちで3日間ほど続けて街頭宣伝を行いました。そのときに、みんなはビラを配っているなか、なぜか私ひとりが代表して、座り込んでの断食闘争をやったのでした。そのときに着ていたのが白いパジ・チョゴリでした。
 光州人民抗争に際しての街頭宣伝だったとしたら、ちょうど5月、今から31年前のことです。

 私が昔に着た白いパジ・チョゴリも、今の学生が着る農楽の民族衣装も、チョゴリを着ることが在日同胞にとっては自分が朝鮮人であることの強いアピールであることに変わりなく、朝鮮学校の生徒たちがチョゴリの制服を脱がなければならない状況におかれていることに象徴されるように、チョゴリを着ることは、現在の日本社会ではきわめて「政治的な行動」なのだと言えるのではないでしょうか。


 とりあえず、7月号のチョゴリ特集をご期待ください。(k)

美術科卒業生・関係者の集い

2011-05-24 11:41:06 | (麗)のブログ
先週21日、朝鮮大学校美術科卒業生と関係者たちの食事会が新大久保で催されました。
開始時間ちょうどに到着した時点で、すでにもう飲みはじめていました(笑)
中でも、在日朝鮮人美術の重鎮である韓東輝氏、尹光子氏、高三権氏、朴正文氏など、そうそうたる顔ぶれが参加していました。
その顔ぶれに一瞬たじろいでしまいましたが、後輩を見つけた瞬間、隅っこの席へ吸い込まれるように移動しました(笑)

今回の食事会を企画された、朝鮮大学校美術科教員の李勲先生はこの日、全般的な司会を担当されました。
お酒の場で大合唱が始まると、いつも箸を指揮棒代わりにして歌う、茶目っ気たっぷりの李先生。2ヵ月ぶりの再会です。^^

食事会では、先生方と若い世代のメンバーとがあまり面識のないこともあり、
それぞれの紹介と一言のあいさつ、近況報告や展示会の予定などを話したりと始終、和気あいあいとした雰囲気の中、行われました。

なかなかこの人数、顔ぶれで集まる時間というのもそう簡単には作れないものです。
久しぶりに会う先輩後輩と近況を話し合ったり、初めてお会いする先生方とも話せる機会に恵まれたりと、
本当にこの日は貴重な時間が過ごせたと思います。


※最後にお知らせです。
明日25日、NHK教育テレビ「デジスタ・ティーンズ」という番組で、東京朝高美術部が制作した映像作品「Line」が紹介されます。
放送はNHK教育:5月25日(水)19:25~19:50(再放送:6月1日(水)0:25~0:50)

東京朝高美術部制作 映像作品「Line」はYou Tubeで見れます。
http://www.youtube.com/watch?v=RLcAKwfUf7M

東京朝高美術部は毎年素晴らしい映像作品を制作しています。
私も過去、学美(在日朝鮮学生美術展)の審査の手伝いで何度か作品を見たことがありますが、10代の生徒たちの手の込んだ工夫、想像力豊かな才能と夢がたっぷり詰まった内容に心を鷲掴みされます。^^
是非ご覧ください!(麗)

食中毒事件

2011-05-23 09:36:52 | (里)のブログ

世間を騒がしている「食中毒事件」。
今回問題になったのは、焼肉チェーン店のユッケ肉ですが、
私たちの周囲にはユッケ以外にも、さまざまな危険な食べ物があります。

私は「豚肉はよく焼いて食べろ」とは昔から言われていて、
今でもその言われは守っています。
豚肉よりはマシだとしても、鶏肉を生でいただく「鶏刺し」なんかも、
実はいつも内心ドキドキしながら食べています。
体の調子が悪いと、生ものは避けるようにしてます。
あと、家で気をつけているのは卵です。
わが家では夏場の卵かけご飯などは厳禁されています。

食べ物に火を通して殺菌して食べる、
これはごくごく当たり前の通念だったはずです。
生ものに限らず、例えばお弁当を詰める時にも、
前夜の残り物のおかずを入れるときなどは十分に再加熱して、
食中毒を防ぎますよね。
その感覚からすると、生の肉を食べるということ(魚介類も然り)のリスクが、
どれだけ大きいか想像つきます。
でも、もはや生食は一般的な食のジャンルとなっています。
自然と「危機意識」も薄れているのではないでしょうか。

ましてや子どもや年配の方が食べるのはさらなるリスクが。
免疫力が弱い人はとくに気をつけなければなりません。


私が今回の食中毒事件を見て思うことは、
いろいろと「目くらまし」が多い中でも、私たち消費者の感覚がマヒしてはいけないなということです。
安価をウリにする大手チェーン店などの参入で、
もはや食の安全は十分に脅かされています。
利潤を追求する企業側は、私たちの安全を確保してはくれないのです。
店側が平然とメニューとして出していた品によって、
死者が出てしまったのですから。

もちろん、きちんと肉の卸業者とお付き合いをして、
たしかなルートで信頼できる食品を提供しているお店もたくさんあります。
そういう店は、何より「口コミ」がしっかりあるのではないでしょうか。
今こそ、そんな「良店」が見直される時だとも思います。

月刊イオ7月号(現在製作中)では、
焼肉にまつわるアンケートを実施しています。
みなさんのご協力をお願いいたします!

(里)

what is essential is invisible to the eye.

2011-05-21 10:34:19 | (淑)のブログ
 先日、うれしいお土産をもらいました。
 それは、106ヵ国語で訳され、世界中から愛されているサン=テグジュペリの名作、「星の王子さま」。
 私の“「星の王子さま」好き”を知る仲の良い友人が、海外に行く度に外国語で訳されたものを律儀に買ってきてくれるのです。ハングル版、タイ語版につづき、今回はスペイン語でした。(日本語版と英語版は自分で買いました)
 タイ語とスペイン語は読めないのでただ眺めるだけのコレクションですが、せっかくいただいたのに放置するのもあれなので、これを機に手に取りました。日本語訳を。(笑)
 今日は再読して感じたことをいくつか書きたいと思います。

「星の王子さま」といえば、言わずと知れたこの一節。

“It is only with the heart that one can see rightly; what is essential is invisible to the eye.”
(訳:心で見なくちゃ,ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは,目に見えないんだよ)


 これはキツネが王子さまにいうセリフですが、その後も表現を変えながら、“ぼく”と王子さまの会話の中で繰り返し出てきます。このように。(以下引用)

「そうだよ,家でも星でも砂漠でも,その美しいところは,目に見えないのさ」(p110)

「そして,いまこうして目の前に見ているのは,人間の外がわだけだ,一ばんたいせつなものは,目に見えないものだから・・・・・・」(p110)

「だけど,目では,なにも見えないよ。心でさがさないとね」(p114)

「たいせつなことはね,目に見えないんだよ・・・・・・」(p122)

 こう見ると、サン=テグジュペリが同書を通じて一貫して言いたかったことが、よく伝わってきます。
 また、王子さまはこんなことも言います。

「だけど,ぼくは,あんまり小さかったから,あの花を愛するってことが,わからなかったんだ」(p48)

 私が王子さまと出会ったのは、中学生の頃でした。(当時ウリハッキョでは、同書が英語の教材として使われていました。いまも使われているのでしょうか)
 あれから十数年の間、何をわかり、どれほどの“大切なもの”を知らず知らずに捨ててきたのか、推し量ることもできません。なにせ目に見えないのですから、数えるなんてもってのほかです。(王子さまは数字も嫌いです)
 この本を読むたびに、物事の本質や思いやりなどの、目に見えない抽象的なものへの強い憧れを抱くと同時に、自身の想像力、感受性の乏しさを感じずにはいられません。人間にとって本当に大切なものとは何かという哲学的考察と、その大切なものを失ってしまっている大人たちへの痛烈な批判が込められている同書は、何度読み返しても新しく、多くを教えてくれる、まさしく「大人のための絵本」です。
 王子さまと同じように怒り悲しみ喜べる、豊かな感性をいくつになっても持っていたいものだと改めて思いました。(淑)

沈黙を破る

2011-05-20 11:32:47 | (相)のブログ
 先週土曜日、在日本韓国YMCAと東京センテニアルYサービスクラブが共催する第3回オリーブ平和映画祭に行ってきました。
 今回上映された作品は、2009年に公開されたドキュメンタリー映画「沈黙を破る」。監督の土井敏邦氏は長らくパレスチナ、イスラエル問題を伝えてきたジャーナリストです。
 知人から、この映画は絶対に観たほうがいいという熱烈な勧めを受けて会場に足を運んだのですが、期待にたがわぬ内容でした。以下、映画の内容と自分が感じたことをいくつか書きたいと思います。

 映画のタイトル、「沈黙を破る」(breaking the silence)は占領地に赴いた経験を持つ元イスラエル将兵たちによるNGOの名前です。20代の青年が中心になっています。彼らは2004年、「沈黙を破る」と題した写真展をイスラエル最大の都市・テルアビブで開きます。この写真展は、「世界一道徳的な軍隊」としてパレスチナの占領地に送られた元兵士たちが虐待、略奪、一般住民の殺りくなど自らの加害行為を告白するもので、当時イスラエル国内外で大きな反響を巻き起こしました。
 映画は2002年のジェニンの虐殺、バラータ難民キャンプへの侵攻など、2000年代以降の比較的最近の出来事を描いています。カメラは、2週間にも及ぶイスラエル軍の包囲、破壊と殺戮にさらされるパレスチナの人びとの生活を記録していきます。そして、占領地に駐留していた元イスラエル軍兵士たちの証言を挟みながら映画は重層的に進行します。
 写真展「沈黙を破る」の開催を皮切りに、青年たちはイスラエル内外に向けて占領の実態を告発していきます。占領地で絶対的な権力を手にし、次第に人間性や倫理、道徳心を失い、「怪物」となっていった若者たち。自分たちがいかにたやすく「怪物」になってしまったのか、いかにイスラエル社会が自分達をだまし続け、自分たちもまた自らを騙し続けているのか――。
 この映画は、「占領」がパレスチナ、イスラエル双方に何をもたらしたかを描いていきます。イスラエル軍がパレスチナ住民にもたらした被害の実態とともに、占領という構造的な暴力の構図を人びとの生活を通して描いている点が特徴的です。絶望的な抑圧の中でもたくましく生きるパレスチナの人びと、そして「祖国への裏切り」という非難に耐えながらも発言を続けるイスラエルの元兵士たち。
 圧巻だったのが、元兵士たちの証言です。
 ある青年の話。彼の両親は彼のNGO活動に反対しています。父親は、兵士は「テロリスト」から国民を守っているので、多少手荒なことがあっても仕方がないという立場。一方、学校教師である母親は、軍の非道な行為を事実として認めながらも、自分の息子は直接それに加わらなかった、最後の一線を越えなかったということを評価して、それこそ「家庭の教育のたまもの」だと話します。彼女は息子の活動に対して距離を取りつつも、一定の理解を示します。
 両親のインタビュー映像を見て、元兵士の彼はこう語りだします。両親は対照的なことを言ってるように見えるが、占領の現実に対して「鉄のカーテン」を引いている点では同じ。鏡で自分の姿を見たくないということだ。私が実際に何をしたかに関わらず、私が大きな不正の一部であることには変わりはないのに、と。そして、彼は両親に対して言います。「私はイスラエル政府のこぶしであり、私はあなたたちの兵士だった」、と。イスラエル政府、社会がこれをやらせていることが重要なのだ、と。
 イスラエルがパレスチナ問題の解決に真剣に取り組んでいないことは周知の事実です。取り組みを妨げる一番の要因は何なのか。右翼や過激派ではなく、一見リベラルで良心的な普通の市民たちが、前述の青年の母親のように現実から目を背け自己欺瞞を続けていることにある。映画はそう訴えているようでした。

 戦争はなぜ起きるのか、なぜ終わらないのか、軍隊とは何か、など。映画はパレスチナ/イスラエル問題という枠を越え、いくつもの普遍的なテーマを提示します。
 何も考えないことが生き残りの術/兵士に思索は禁物/占領地で「モンスター」になるのは簡単。自分のやったことを振り返らず、機械のように仕事をこなす。そうせざるを得ない。そうすると良心がまひしてくる。
 イスラエル元兵士たちの証言の一部です。兵士たちはこのような暴力、退廃を一般社会生活に持ち込まざるを得なくなります。そうすると社会全体が病んでくる。占領という暴力は当のイスラエルにも刃を向けます。
 道徳的で民主的な占領軍はありえるのか。私の考えは、Noです。ではさらに思考の射程を広げて、道徳的で民主的な軍隊は可能か。このような問いを発することも重要だと思います。

 映画を観ながら、パレスチナ問題のみならず、日本の過去、現在の問題を考える上で多くの示唆を与えているように思えました。証言によって浮かび上がるイスラエル兵士の姿は多くの場合、旧日本軍のアジアにおける姿と重なります。そして、ある社会でマイノリティに対する抑圧がどのようなメカニズム、背景によって維持・強化されるのかについても、大変重要なヒントを与えてくれます。
 映画はDVDで発売されており、映画の元になったイスラエル退役兵に対するインタビューを収録した同名の本も岩波書店から発売されています。興味のある方はぜひ手にとってみてください。(相)

「明日の神話」について思う事

2011-05-19 10:47:51 | (愛)のブログ
先週、岡本太郎さんについてブログを書いたところ、「明日の神話」について言及したのなら、
今話題になっている別の絵を付けた事件についても言及してほしかったとコメントを頂きました。
この事件を初めて目にしたときは、<「明日の神話」に悪質ないたずら描き>という見出しが見えたので、
あんな素晴らしい作品が台無しになってしまったのか!?と焦り怒りながら記事本文をクリックしましたが、
よくよく記事を読むと作品自体はどこも汚されていない、つぎ足されていたのが福島第一原発の絵、
絵柄もなじむように似せて描いていたので、どこぞの岡村太郎さん好きのアーティストがやったのではないだろうかと思っていました。
そして、張り付けた犯人が「チン←ポム」というアーティスト集団だということがわかったようです。
芸術家グループが表明=岡本太郎氏の壁画いたずら―福島第1原発事故の絵(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110518-00000165-jij-soci
この事件に関しては、いろいろと否定的な声もツイッター上などで聞こえてきますが、
私個人的には決して「けしからん!」とは思いません。むしろ、おもしろいやり方だと感心させられました。
コメントにも書きましたが、岡本太郎さんが生きていたとしても大笑いして許したと思います。

そして現在の日本でもそういった形でフィーチャリングされるこの作品の不変の力強さと
岡本太郎さんの偉大さを改めて認識しました。
この作品「明日の神話」はもともとはメキシコのホテルに設置されるため描かれたものでしたが、
経営状況悪化のためホテルはOPENされないまま放置され、この作品も居場所がなくなり、長らく行方不明になっていたそうです。
それを彼の養女であり良き理解者の岡本敏子さんが探しあて修復、みごと日本で復活されたものです。
「明日の神話 再生プロジェクトオフィシャルホームページ」で岡本敏子さんはこの作品について以下のように語っているのが紹介されています。
それを紹介し、この作品の持つ現代の世でも通じるその意味と意義についてまた一度振り返りたいと思います。(愛)

…(略)だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。
燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。…(中略)
画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。
あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、
それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。
タイトル『明日の神話』は象徴的だ。
その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。
残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。
岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。
この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。
二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。
テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、
地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。
こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。
負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。


明日の神話 再生プロジェクトオフィシャルホームページよりhttp://www.1101.com/asunoshinwa/asunoshinwa.html


ガン告知のこと

2011-05-18 08:58:25 | (K)のブログ


 昨日、俳優の児玉清さんがガンで亡くなったというニュースが流れた。最近、私の知人二人も立て続けにガンで亡くなっている。児玉清さんは77歳だったが、二人は私よりも年下、まだ50歳手前だった。

 話を聞くと、二人とも1年ほど闘病生活を送っていてガンだということがわかっていたので、自分の余命がそう長くないことは覚悟していたのだと思う。そういう時、人はどういう心境で日々の生活を送るのだろうか? 身近な人のガンによる死を見て、そんなことを考えるようになった。


 昔は、ガンになったとき、本人に告知するかどうか、けっこう慎重になっていた。しかし、今は当然のように告知しているようだ。ガンと言っても、早期発見で治る確率が高い場合と、末期で手がつけられないという場合と、まったく違うわけで、そこでは告知のもつ意味も当然変わってくるのだろう。
 ネットで調べてみると、ガンを告知するようになったのは、患者の知る権利を尊重するという考え方が広がったから、インターネットをはじめ情報の入手が簡単になり自分の病気を患者が判断しやすくなったから、告知することで患者と医者がともに病気に立ち向かうことができるから―などの理由によるようだ。本人に本人の病気を伝えるのは、考えてみれば当たり前とも言える。

 ガンを告知するかどうかが問題になっていた頃から、もしガンになったら告知してもらいたいと思っていた。でもそれは何もない状態で頭の中だけで考えていることであり、実際に自分がガンになり、それも末期で助からないとなると、告知されたときに、ぜったいに冷静でいられないだろうし、ひどく取り乱してしまうかもしれない。

 もし余命半年といわれて、その半年をどのように過ごすだろうか? たぶん、ほとんど有意義には過ごせないのだろう。身の回りのことを整理できるぶん、急死するよりは良いのだろうか。ポックリ逝ったほうが、周りに迷惑をかけなくて良いのだろうか。


 「人生、50年」と昔は言われていて、その歳を越えたとはいえ、やはりいま死ぬのは勘弁してもらいたい。
 まず、子どもがまだ成人していない。育てる義務があるし成長する姿を見たい。
 仕事をまだ引退していない。月刊イオは、私がいなくなったからといって、何事もなく発行され続けるだろうけど、社会的に与えられた仕事があるのに、それを自分の意思とは関係なく中断するのは残念だ。

 何よりも、いま死ぬことによって今後の世界がどうなっていくのかを知ることができないのが一番、悔しい。あと30年生きられるとすると、30年間の世の中の変化を見ることができる。
 分断されている朝鮮半島はどうなるのか、過去の国家犯罪を清算せず在日同胞をいじめ続ける日本という国はどうなるのか、在日朝鮮人社会はどうなるのか…。自分が主体となって関わっている問題も、直接関わっていない世界の国々のことも、今後、世の中がどうなっていくのか、1日でも長く自分の目で見続けたいと思っている。そのためには、長生きするだけでなく、ボケずにしっかりとしていなければいけない。これはなかなか難しい。


 今日は暗い内容になってしまい申し訳ありませんでした。せいぜい健康に注意してボケずに長生きしたいと思います。
 最後になりましたが、月刊イオ6月号が完成しました。今月の特集は、先月に引き続き震災問題、「被災地のトンポたち」です。被災地の同胞たちの姿や朝鮮学校の現状を伝えています。また、河庚希さんと高演義さんによる連載「往復書簡~在日コリアン次の百年~」は素晴らしい内容になっています。ぜひお読みください。(k)

フィギアは気が向いたら

2011-05-17 11:29:48 | (麗)のブログ
タイトル通り、プライベートな話を。
以前、後輩たちと一緒にガンプラを作ってその写真を公開したことがありました。
私はアニメや漫画が昔から大好きで、漫画らしきものも描いていました(覚えていませんが、幼少期、うさぎが汗をかきながら木登りをしている4コマ漫画を描いていたそうです)。
兄の影響もあって少年誌を読んでいて、近所の酒屋さんで売っていた4大少年誌を全て買っていたこともありました。
いまでも漫画好きは変わっていません。

その繋がりで、フィギアも好きなのですが、フィギアというものは一度ハマってしまったら止まらなくなるもので、
私にとってはフィギアを買うのは自分との闘いでもあります。
買いたい衝動に駆られるのを必死でこらえ、その場にたたずんでしばらく眺めるだけ。

過去に、子どもと並んで“ガチャポン”の前にへばりつき、必死にレバーを回しては
自分が欲しいものが出るまで小銭を投入し続けたこともあります。痛い大人です(笑)

デスクにも少しだけそれらしきものがあります。
それが写真(携帯で撮ったので綺麗じゃないですが)の「ヒューマニアシリーズ」です(左はペン立て、右は携帯ホルダー)。
常にデスクで体を張ってくれている存在でもあり、毎日の癒しでもあります。

やはり、フィギアはいいです。(麗)

タクシーでの出来事

2011-05-16 09:16:28 | (里)のブログ
社会人になって(…といっても、とっくに4年目ですが)、タクシーに乗ることが増えました。
タクシーの運転手は無口な人もいればおしゃべりな人もいてさまざま。
私は基本的に、あちらが何か世間話をしてきた時はそれなりにおしゃべりに付き合うようにしています。
たまに、「そうなんだ~」という発見もあり楽しいですし。
最近の印象としては、不況のため地方から上京してくる運転手たちも多いな、と感じます。


ほんの1週間前のこと。
その日もタクシーの運転手と他愛もない話をしていたのですが、
運転手が「われわれ運転手はね、極端な話、トイレに行けないんですよ」と言ってきたところから話がふくらんでいきました。
タクシーに限った話ではありませんが、普通に路上に車を止めておくと、たとえ短い時間でも駐車違反という違法行為になります。
それに対しタクシー会社の方針は「トイレや食事に行く際は、駐車場に車を止めてから」というものらしく(もちろん諸費用は自己負担)、
多くのタクシー運転手はわざわざ少しへんぴなところの公園などに行って車をしばし止め、自分の用事を見るそうです。
私と話した運転手の知り合いの運転手は、わずか数分コンビニに物を買いに行った後、キップを切られてしまったそうです。
私たちの感覚からしたら、そういった部分は会社が保障してくれなければ、と思うのですが、
今の現状では制度的保障が一切ないため、非常に肩身の狭い思いをしているそうです。


そんな話をしているうちに運転手が、
「タクシー会社の経営者ってね、8割くらいが朝鮮の方なんですよ」と言ってきました。
「在日ってことですか?」思わず少しどきっとしながら聞き返した私でしたが、その後の運転手の話はこうでした。
「外国の経営者の方は、やっぱり不利な面がたくさんあるんですよ。日本人と比べるとね。
そんな立場上、国や行政に文句も言えない。結果、僕らの仕事環境も改善されないんですよ。
彼らだってちゃんと税金払ってるのに、おかしいですよね」
ちなみに運転手は、前原元外相が在日韓国人からのたった5万円の「献金」によって辞任に追い込まれたことについてもおかしいと例をあげていました。


タクシーの世界だけでなく、こういう「不条理」って日本社会にたくさんあります。
私は「ほんとに、おかしいですよね~~」なんて相づちをうちながら、いろいろと考えさせられました。
(…ていうか、この人もしかして??)と思い、その運転手のネームプレートを覗き込みました。
苗字は「松井」さんでした。


「松井さん」は朝鮮人だったんじゃないか、と私は勝手な確信をもっています。(里)

闇から闇へ?-米国のビン・ラディン氏殺害

2011-05-14 09:54:23 | (淑)のブログ
 大学時代、中東問題を専攻していました。専攻というには恐れ多く、「かじった」どころか「甘噛み」くらいの深度だったなと学生時分を振り返ります。今考えるとよくもまあ複雑な問題を自ら選んだものだと思います。懐かしい。卒業してからも、この問題には関心を持ち、常識の範囲では追いかけてきたつもりです。というわけで今回のお題はこれ。

 米国によるオサマ・ビン・ラディン氏殺害について不可解、というか奇妙なことが多い。報道からすでに2週間が経ち、タイムリーなネタではないが引っかかるので書いておこうと思います。あくまで私の見解に過ぎず、雑感程度しか書けませんが。

 報道によるとビン・ラディン氏はパキスタン、イスラマバード郊外に潜伏していたといいます。米軍特殊部隊は抵抗する彼の顔面に銃弾を打ち込んだそう。彼は丸腰だったというので「殺害」が目的ならば急所を狙えば済んだことなのに、米軍は何故わざわざ彼の「顔」に当てたのか。何故遺体写真を公開しないのか。何故遺体を海へ流したのか。何より、ビン・ラディン氏が同時多発テロの首謀者である決定的証拠はいまだ見つかっていないのに、何故米国は真相を明らかにしないまま殺害に走ったのでしょう。これだけ見ても本件に対する対米不信は必至です。米国防総省高官は、遺体から検出されたDNAを分析した結果、「本人に間違いないと確認した」と発表しました。たったこれっぽっちの情報で誰が信じるというのでしょう。ちゃんちゃらおかしい。同時多発テロから10年、一時は死亡との情報も流れたが、ビン・ラディン氏の行方は闇に包まれていた。それが沈黙をやぶると同時に消えてしまった。発見、そして殺害。あまりに突発的だと思いませんか? 殺害は、米政府にとって彼の存在になんらかの「不都合」が生じたからだと思わずにはいられません。

 気味が悪いのは、彼に関して、あるのはさまざまな「疑い」と「死亡」の報告だけで、どこにも事実や過程がないということ。実像が見えないのです。一体彼が何をして、何のために殺害されて、そもそも何者だったのか、実在したのかしていなかったのか、死んだのか死んでないのか? 疑問符ばかり浮かびます。
 確かなのは、解決の道筋の見えない泥沼の中東だけ。昨日パキスタン北西部で、ビンラディン氏殺害の最初の報復として、反政府勢力による軍参加の治安部隊の訓練所を狙った爆弾テロが発生しました。おかしな話です。報復が米国ではなくパキスタンで起こるんですから。(米国内では「テロ未遂」があったと報じられました)
 差し詰め、米政府にとってビン・ラディン氏の存在は、過去は開戦の大義名分に説得力を与える材料であり、今日に至ってはイスラム勢力の報復を助長し、「テロとの戦い」を継続させるための材料といったところでしょうか。要は米国の「政治的利用物」として作られ、消されたということです。殺害は彼が単なる象徴に過ぎなかったことを意味しているのではないでしょうか。

 正義を謳い勝利に歓喜するグラウンドゼロ。ブッシュ前大統領は「テロとの戦いは続くが、米国は今夜、どれだけ時間がかかろうとも正義は成し遂げられる」との声明を出しました。すべてが米国が準備したシナリオなのではないかと思ってしまいます。主権国家において第三国による殺人は、国際法の下では犯罪です。しかしこの件で米国が罰せられることはないでしょう。米国の主導する正義と悪の二項対立はいつまで続くのか。つくづく歪んだ世界にうんざりする。
 
 ともあれ、このまま9.11の真相は永遠に闇に葬り去られるのでしょうか。(淑)