日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

ペ・ポンギハルモニを記憶して

2015-04-08 09:00:20 | (淑)のブログ
 日本による朝鮮植民地支配からの解放70年を目前に、またも安倍政権による歴史歪曲が加速している。
 昨日文部科学省が発表した教科書検定結果には、中学社会科教科書全てに領土問題に関して「国有の領土」と明記された。
 他方、日本軍性奴隷制度に関する記述には、「現在、日本政府は『慰安婦』問題について『軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない』との見解を表明している」という日本の責任を矮小化する記述が加えられた。関東大震災時に起こった朝鮮人虐殺の被害者数については、「数千人」とされてきた従来の記述が、「当時の司法省は230名あまりと発表した。数千人になるとも言われるが、人数に通説はない」と書き加えられた。新基準などで文科省が政府見解を盛り込むよう求めたためだ。教科書は2016年から使用される。
 今回の検定結果は安倍政権の「教科書改革」の下での初の検定であり、その内容は安倍首相の意向を反映するものであることは自明だ。8月15日に合わせて発表するとしている「戦後70年談話」について安倍首相は、アジア諸国に対する植民地支配と侵略の歴史への反省と謝罪を表明した村山談話(1995年)を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を継承する立場を示しているが、今回の検定結果を見ても、談話の行方に重大な危惧を覚えざるを得ない。

※ ※ ※



 沖縄に、ペ・ポンギハルモニという一人の女性がいた。日本軍の性奴隷として朝鮮半島から沖縄に連行され、植民地支配下のみならず米占領下の沖縄であらゆる辛酸をなめた。日本軍性奴隷制の被害女性たちのほとんどがその被害を公に口に出来なかった時代に、ペ・ポンギハルモニは1977年、朝鮮新報上で自らの被害を告発した。にも関わらず、その存在は十分に周知されているとは言えない。悲しきかな、在日朝鮮人の間でも。
 なぜか。
 植民地支配の未清算、祖国の分断、家父長制、冷戦、日本における差別、貧困…。ペ・ポンギハルモニの存在は、在日朝鮮人を取り巻くあらゆる暴力の中で、二重三重にも見えなくさせられている。
 月刊「イオ」では、2014年1月号から「日本軍『慰安婦』の肖像―痛みと抵抗の記憶」という連載で、ハルモニたちの証言を集めて紹介してきた。その初回に金学順ハルモニとともにペ・ポンギハルモニを選んだのも、この2人が日本軍「慰安婦」問題を考える上できわめて重要な存在であることを記憶して欲しかったからだ。

 そんな中、ペ・ポンギハルモニが証言した4月23日を記念し、昨今の歴史否定を許さないという怒りを込め、下記のようなアクションが企画されている。


*日本軍性奴隷制の否定を許さない4.23アクション~奉奇ハルモニを記憶して~*
◇日時 4月23日(木)17:30~
◇場所 参議院議員会館前(地下鉄「永田町」駅1番出口すぐ・「国会議事堂前」駅
1番出口5分)


 アクションは、私もメンバーの一人として参加している、在日本朝鮮人人権協会の性差別撤廃部会が主催する。中心となっているのは、20、30代の在日朝鮮人女性たちをはじめとする若いメンバーたちだ。
 同部会では、部会メンバーに向けた初歩的なジェンダー問題の学習会から始まり、近年では日本軍性奴隷制に関する連続講座、同胞社会におけるジェンダー問題を考えるための連続講座など、外に向けて積極的に問題提起することに取り組んできた。
 この度のアクションを準備するにあたっては、資料学習や映画鑑賞を通して、ペ・ポンギハルモニに思いを馳せた。ドキュメンタリー映画「沖縄のハルモニ」を観て、ペ・ポンギハルモニの笑顔、涙、藁葺き小屋、質素な生活用品、映像に映し込まれたすべてに胸が痛んだ。同時に、音声が聞こえづらい条件の中、必死に耳をそばだてながらペ・ポンギハルモニの姿を食い入るように見ては、ハルモニの痛みを引き受けるように涙を流すメンバーたちの姿にも、深い感銘を受けた。

 ペ・ポンギハルモニの生には、朝鮮民族が受けたありとあらゆる被害が凝縮されているように思える。日本の謝罪、祖国統一を願いながら逝去されたペ・ポンギハルモニを、私たち朝鮮人女性が記憶しなければ、歴史の闇に再び埋もれてしまうー。そんな強い危機感と責任感を持って、当日は声高に叫びたい。

 そして、このような取り組みを通して、同胞社会を取り巻く困難な現状を、社会を、1ミリでも変えたいという意識のもと、集い、行動する仲間たちの存在に、私たちがやらなければならないことも、できることも、まだまだたくさんあると、力が湧いてくる。(淑)

押収物なし、総聯議長宅に不当な強制捜索

2015-03-27 08:39:22 | (淑)のブログ
 既報の通り、昨日午前7時過ぎ、在日本朝鮮人総聯合会中央本部の許宗萬議長と南昇祐副議長をはじめとする総聯活動家たちの自宅に対する、不当な強制捜索が敢行された。
 容疑は「外為法違反」。同日警察当局は、2010年に朝鮮産の松茸を中国産と偽って不正に輸入したとして、東京・台東区の貿易会社社長を含む2名を逮捕した。今回の強制捜索は、この在日朝鮮人個人の会社の外為法違反と全く関係のない総聯議長らを恣意的に関連付けて強行された。明らかな政治的弾圧であることは言うを待たない。
 副議長宅から押収した物は、事件と関係のない記念写真や副議長の妻のノートパソコン等で、議長宅にいたっては一点の押収物も見つからなかった。このことが、今回の強制捜索が事件と全く関連がないことを如実に示している。

 同日午後、総聯中央は記者会見を開き、総聯中央常任委員会声明を発表。今回の強制捜査は、「朝鮮総聯に対する政治弾圧を狙った不当極まりない暴挙、在日朝鮮人に対する人権蹂躙と民族差別そのもの」であり、「今後の朝・日関係に深刻な悪影響を及ぼすであろう。その責任は、すべて日本政府当局が負うべきである」と糾弾した。



 声明全文と、今回の強制捜索についての朝鮮新報の記事は下記の通り。
「不当極まりない暴挙」/総聯中央常任委員会声明発表
警察当局が総聯議長、副議長の自宅を強制捜索/『朝鮮新報』3月26日

 私が、東京杉並区にある許宗萬議長の自宅に到着したのは、午前8時半頃。すでに多数の報道機関が詰めかけていた。
 神奈川県警と京都府警、山口県警、島根県警の合同捜査本部警察隊は、約2時間にわたって議長宅を捜索。午前11時過ぎ、警察らが議長宅から、見るからに軽そうな段ボール箱を2箱運び出す様子が見られた。捜索に立ち会った弁護士によると、自分たちの荷物をわざわざ段ボール箱に詰めて行ったという。政治的パフォーマンス、警察の体面をつくろうためのポーズに他ならない。

 捜索に立ち会った李春熙弁護士は、「2時間の捜索の結果、押収物は一点もなかった。容疑者の会社について議長は何もご存じない。全く関係がないにも関わらず、関連性があるとして捜索が行われた。これは明らかに刑事訴訟法に規定する捜索の要件を満たしていない。令状を発布した裁判所の責任も大きい。今回の警察のやり方は、在日朝鮮人にかけられた容疑に関しては、全て総聯議長に責任があるかのような立場で、明らかに不当で差別的である。捜索に入ることだけが目的、あるいは日朝関係になんらかの影響を与えようという目的でなされた捜索と見ざるを得ない。朝鮮総聯は、朝鮮民主主義人民共和国と日本に国交がない中で、日本における大使館的な役割を担っている。議長はその責任者であるから、本来は大使、外交官として最も尊重されなければならない立場であるにも関わらず捜索の対象となったのは、極めて遺憾だ」と、捜索の不当性について説明した。

 このような在日朝鮮人や朝鮮総聯、傘下団体に対する弾圧は、これまでも執拗に繰り返されてきた。そのほとんどがまったく関係のないことでの強制捜索だ。
 今回のような関連嫌疑という曖昧な口実での強制捜索は、国家権力による重大な人権侵害で、法治国家として決して許されてはならない不当行為である。違法的な捜索の加担者である裁判所もまた、断罪されるべきである。
 また、李弁護士が指摘した通り、日本において朝鮮大使の役割を担う総聯議長への強制捜索は、朝・日関係を大きく阻害するものであり、関係悪化に対する日本政府の責任は免れない。(淑)

ユダヤ生まれの妻、ユーディット

2015-03-19 08:58:18 | (淑)のブログ
 東京演劇アンサンブルの、「第三帝国の恐怖と貧困」を観劇しました。
 私は、一人の登場人物にしぼって書きたいと思います。
 ナチス政権下のドイツを舞台とするこの芝居には、30人の登場人物がいて、そのほとんどがドイツ人です。一般庶民や裁判所判事、突撃隊員、科学者など様々な境遇、立場の人々が登場し、ファシズムが急速に勢いを増していった当時のドイツで生きる人々の息苦しさ、侵略戦争に加担させられていく姿が、社会の様々な側面から描かれています。

 劇中、唯一ドイツ人ではない登場人物が、上流階級のドイツ人医師と結婚したユダヤ人の妻・ユーディットです。

 第7場。
 ときはニュルンベルク法(ユダヤ人のドイツ人との結婚、性交渉の禁止。この法律によって明文化された差別は、国家的な虐殺へと進行した)が施行された1935年。フランクフルトで暮らすユーディットは、迫り来る自身と夫への迫害を逃れるため、夫と離別し、単身外国へ旅立つことを決め、知人に別れを告げます。
 受話器を取って次から次へ、友人たちに。そして、最愛の夫に…。
 場面の終盤に夫が登場するまで、暗い壇上にただ一人、延々と長回しの台詞が続きます。

 ユーディットを演じたのは、在日朝鮮人の友人である洪美玉さんです。

 私はこの配役に、特別な意味付与をせずにはいられませんでした。
 現代日本を生きる在日朝鮮人がナチス占領下のユダヤ人を演じることに役者自身、苦しみ、葛藤、孤独はなかったのだろうか―。

 ユーディットが、富裕層であるという設定も重要なファクターの一つです。
 「私は今ほどユダヤ民族主義的だったことはない」という台詞には、何不自由なく育ったユーディットが、迫害されることでユダヤ人としての抵抗精神を覚醒させていったことを表しています。
 美玉さんは、追いやられることでユダヤ主義に目覚めていくユーディットが、演劇を通して日本社会や民族に対する目を開かされていった自分と重なったと話していました。ボロボロ泣きながら練習し、本番はガチガチに緊張したと言います。
 いやが上にもユーディットと自身がシンクロし、演者として、在日朝鮮人として、葛藤があったと想像します。
 ある日本人の劇団員は、「単に声や涙を抑えるという芝居上の表現ではなく、洪が葛藤を経て演じていることを、団員自身にも、観客にも知ってほしい」と話していました。

 美玉さんは今回の演劇に、在日朝鮮人の友人・知人らがたくさん観に来てくれたのがほんとうにうれしいとも話していました。「第三帝国の恐怖と貧困」、上演は22日まで。同胞の皆さんには、美玉さん演じるユーディットをぜひ観てもらいたいと思います。(淑)


父の還暦を迎えて

2015-03-10 09:00:00 | (淑)のブログ
 私事ながら、先日父が還暦を迎え、家族でお祝いをしました。

 私は兄2人弟1人の4人きょうだいですが、きょうだいで力を合わせて何かをする、というのも初めての経験だったので、準備期間も含めてとても楽しかったです。

 遡ること1年前。「還暦貯金」をしようと積立を提案したものの一切続かず、1ヵ月で計画倒れ。
 本格的に準備を始めたのは年が明けてから。

 職業も得意分野も個性もバラバラの4人。準備するにあたっては、「힘있는 사람은 힘을, 지식있는 사람은 지식을, 돈있는 사람은 돈을」(力のある者は力を、知識のある者は知識を、金のある者は金を)という方式を掲げて、取り組みました。
 上の兄と弟は実家を離れ一人暮らしをしているため、相談はもっぱらLINEで。これを機にLINEグループを作成し、チャットでアイデアを出し合い、決定事項をノートに残していきました。
 基本的には中間子の2人がリードし、末っ子もがんばって発言するも空回ってさほど役に立たず。仕事が忙しい長兄はたまーにごく短かい文を送ってくる、といった感じでした。

 準備過程で印象深かったのは、色紙にメッセージを綴る際に、アボジに贈る言語として、みなが朝鮮語を選んだことです。きょうだい全員をウリハッキョに送ってくれた父への尊敬の念が、朝鮮語として自然に表現されたように思われました。
 きょうだいのうちで最も朝鮮語と離れていたであろう長兄が「綴りわかんないからカンニングしねーと」と冗談を飛ばしながら、一字一字一生懸命書いていた姿がほほえましくも、誇らしかったです。

 手作りの招待状を出し、当日はお店に飾り付けをして、父と親しい人たちに頼んでいた祝電を紹介したり、父にまつわる思い出話やエピソードを発表。気づけば盛り沢山な内容になっていました。
 プレゼントもいろいろと用意しました。父が毎日飲んでいる芋焼酎のボトルに名前を刻印したものや旅行券、両親の写真入りケーキ、メッセージを寄せ書きした色紙。花束は、母に。

 父と母がものすごく感激してくれて、大はしゃぎするものだから、会は終始爆笑の渦に包まれました。
 最後に、みなが一言ずつ両親、家族への思いを言葉にしました。
 
 「この家族がどこよりも一番」

 長兄の言葉に、はからずも泣きそうになりました(笑)。

 まだまだ先のことだと思っていた親の還暦。
 終えてみて、両親への感謝の気持ちや家族へのそれぞれの思いを共有し、つながりの大切さを再認識しました。還暦を迎えた本人だけでなく、家族全員にとって、大事な節目となりました。

 (淑)

広島「無償化」裁判第6回口頭弁論

2015-02-27 09:21:00 | (淑)のブログ
 広島朝鮮学園と広島朝鮮初中高級学校生徒・卒業生たちが「高校無償化」法に基づく指定の義務付けと、「無償化」制度から排除された生徒への国家賠償を求めた裁判の第6回口頭弁論が25日、広島地裁第302号法廷で行われた。朝鮮学校保護者や関係者、日本市民、そして卒業式を数日後に控えた高校3年生の生徒らで傍聴席は埋まった。

 今回被告側は準備書面5を提出。前回も裁判官から指摘された、朝鮮民主主義人民共和国や朝鮮総聯による朝鮮学校への「不当な支配」の問題に関して、一般的に私立学校や外国人学校が特定の団体や本国等から支援を受けるなどして一定の影響を受け、関係性を有することはありえるが、その自主性を歪めるようなものであれば、それが「不当な支配」に当たるとして、法令に基づく適性な学校運営が行われているとする原告らの主張が失当であることを主張した。
 これについて裁判官からは、「被告が主張する『支配』の内容が『不当である』と指摘できる根拠はあるのか」と指摘された。
 原告代理人弁護士の平田かおり弁護士は、イ、ロ、ハの中でハ号にのみ「債権の弁済への確実な充当を求める」という規定が求められる点で、その違いについての釈明は、被告の準備書面では明確にされていないが、被告側の主張はそれに尽きるのか?と糾した。また原告は、今回提出した証拠について説明。朝鮮学校の「高校無償化」除外に関する内容の朝鮮学校生徒らの作文を読み上げ、日本の社会的環境を背景にした、朝鮮学校生徒たちの悲痛な声があらわれていると主張した。最後に足立修一弁護団長が、昨年の国連人種差別撤廃条約審査における日本政府への質問について説明した。





 裁判終了後、広島弁護士会館で報告集会が行われた。足立弁護士は、裁判官が「不当な支配」の根拠について求釈明を行ったのはまっとうで、これに関して国はまったく議論できていないと指摘。裁判所が原告側の主張を理解した上での質問であったと評価した。
 松岡幸輝弁護士は、法廷で裁判官が、ハ号を削除した違法性と、違法とした場合、朝鮮学校を不指定とした違法性についての分析を明らかにするよう求めた点について、「論点を焦点化してほしいということで、今後は細かい論点からより大きな論点で争われていくだろう」と見解をのべた。
 最後に質疑応答が行われ、会場からは「国連勧告をもって被告に揺さぶりをかけることはできるのか」「日本市民が裁判を支援していることを裁判所にどう示せるか」といった質問がなされた。

 この春広島初中高を卒業する原告生徒は、「高校3年間『無償化』適用を求めてたくさんの運動に取り組んできたが、状況は変わらず、私たちの存在が認められないまま卒業することが腹立たしいし、悲しい。卒業しても裁判の原告として、広島朝高の卒業生として、勝利までたたかっていきたい。卒業後は朝鮮大学校に進学するが、金曜行動などにも積極的に参加し、裁判運動に取り組んでいきたい」と話した。

 次回、広島での口頭弁論は5月13日、13時30分から行われる。(淑)
 

名はどこへ行った

2015-02-17 09:00:00 | (淑)のブログ
 折にふれて、結婚して子育てをしている友人知人に、夫婦間でお互いをどう呼んでいるのか、聞いている。
 恋人同士だったときは互いの名前で呼び合うのに、結婚して子どもが産まれると、呼び名を「アッパ・オンマ」に変える家庭が多い。
 最も身近な例で言えば、両親。私は生まれてこのかた、父と母が名前で呼んでいる姿を、ただの一度も見たことがない。

 名前はどこへ行ってしまったんだろう―。

 普段からそんなことを考えていたら、先日、毎朝見ている某局のニュースで「夫婦円満のコツはファーストネームで」という特集を組んでいた。
 広告大手の博報堂によると、妻の呼び方で、「ママ・お母さん」、「おい」「ちょっと」など、名前以外の呼び方をしている人は64%で過半数。ファーストネームで呼んだり、「ちゃん・さん」をつけて呼んでいる人が36%という結果だった。



 番組では、名前で呼びかける行為が、体内のホルモンの働きに影響を与えるという研究結果があると伝えていた。既婚女性に第三者が名前で呼びかけるという実験の結果、愛情を感じる時に増えるといわれるオキシトシンが、平均でおよそ16%上昇したという。
 民間のシンクタンクの調査によると、名前で呼び合っている夫婦のほうが、「パパ・ママ」などと呼び合う人よりも夫婦関係への満足度が高い、というデータも。

 私の周辺では、男性に親としての自覚を持たせるために、あえて「アッパ・アボジ」と呼んでいるという人もいた。
 女性の場合、結婚、出産をすると「◯◯さんの奥さん」とか「◯◯のオンマ」と呼ばれることが多く、その上、夫も名前で呼んでくれなかったら、自分のアイデンティティは何だろう?と不安に思うこともあるかもしれないと想像する。
 両親を見ていてもそうだが、せっかく一人ひとりの名前があるのに、名前で呼び合えばいいのに、と思う。
 ただ、結婚も出産も経験していない身なので、実体験をともなわない想像や情報のみで意見を話すことには、二の足を踏んでしまう。「余計なお世話」「経験したことないからわからないでしょ」と思われていないか…。
 ふと周りを見渡すと、結婚し親になった友人が多くいることに気づく。最近とくに、呼び方の問題に限らず、結婚・出産に関しては経験していないと、ほんとうの意味で相手に寄り添うことはできないんじゃないか…、そんな不安、淋しさもよぎる。もちろん反対もしかりで、独身時代を経験したからといって、非婚・未婚の人の気持ちが理解できるわけではない。
 分かった風な口だけは利きたくない。相手の考えを尊重する想像力と感性を持っていたいもの。いよいよ30代に突入した、最近の物思いである。(淑)

火曜行動つづく

2015-02-05 09:00:58 | (淑)のブログ


 先週、大阪に出張に行った際に、大阪府庁前で行われている、朝鮮学校への「高校無償化」適用、補助金再開を求める、火曜行動に行ってきました。この日で通算133回。今週の分を加算すると134回を数えます。
 この日集まったのは約30人。参加者曰く、前週までは大阪朝高の3年生らが参加しており70人くらいで盛況だったようです。そして翌週となる今週には、韓国の市民団体「フィマンナビ」のメンバー25人ほどが加勢すると聞きました。毎週こまめに報告してくれる許玉汝さんのブログでも、この日の様子が紹介されていました。
 つまり私が行った日は、いつもの顔ぶれ、ということですね。この方たちが130以上もの火曜日をつなげてきたんだなと思いながら、一人ひとりのアピールを聞きました。

 手作りのエプロンと、朝鮮学校保護者たちが作ってくれたベースボールキャップを身につけて。


 火曜行動音楽隊。この日はリコーダーとアコーディオンでしたが、たまに三線も加わるそうです。


 城北ハッキョを支える会の大村淳さんは、「多くの先進国では人権が保障されているといわれているが、人権後進国の最たる国である日本では、子どもたちが学ぶ権利すら、保障されていない。大阪に生まれ育ち、大阪を恥じるのは、私にとって不幸だ」と話しました。


 ある朝鮮学校保護者は、「今、おかしな方向に向かっている日本社会を、少しでもいい方向に向かわせるため、多くの人とわかりあいたい。知ることから始まります。朝鮮学校へ来てください」と話しました。この日配布していたビラには、朝鮮学校に「来て、見て、感じて」ほしいとの思いから、府下朝鮮学校の学芸会の日程一覧が掲載されていました。



そして、大阪朝高の男子生徒の姿も見えました。たった一人、翌日には朝鮮大学校の入試を控えていたにもかかわらずです。
 男子生徒は、「受験の前日だが、いてもたってもいられず来た。今日、東大阪初級の前を通って子どもたちの姿を見ながら来たが、この子たちが成長して朝高に入った時、この問題が未解決だったら、今度はこの子たちの笑顔が失われるのではないかと、憤りを感じた。まずはビラ一枚でもいいから受け取って、この問題に関心と協力を寄せてほしい」と訴えていました。

 アピールは続きます。

 大村和子さん(城北ハッキョを支える会)。


 「なぜ朝鮮学校のために日本人がやっているのか、と聞かれることがある。理由は二つ。一つは、日本の民主主義を実現するためだ。安倍首相は、ホロコースト記念館を訪れた際『特定の民族を差別し、憎悪の対象とすることが、人間をどれほど残酷にするのかを学ぶことができた』とのべたが、誰の言葉かと耳を疑った。安倍首相のような人が首相を務めている国が、まっとうなわけがない。もう一つの理由は、私の友人を泣かせないでほしいということだ。かつては知らなかった朝鮮学校を知り、たくさんの人と出会い、友だちがたくさんできた。どうか日本人の皆さん、隣人である在日朝鮮人を差別しない社会をみんなでつくりましょう」

 現在、府庁前では病院が建設中です。完成はまだ先ですが、、「病院ができたら火曜行動の場所を移さなきゃいけない。いや、そんなことになる前に火曜行動を終わりにできるよう、この問題が解決されなければならない」と大村さんは話していました。

 最後は、前出の許さんが作詞した火曜行動の歌で締めくくられます。無償化連絡会・大阪では、運動のための新しい歌づくりが進められています。朝鮮学校生徒たちに歌詞を募集したそうです。

 佳境に差し掛かった大阪の「無償化」裁判、第10回口頭弁論は、明日6日、11時から大阪地裁で行われます。たくさんの方の傍聴をお願いします。(淑)

「平和の少女像」ができるまで

2015-01-27 09:17:39 | (淑)のブログ
 政治的に問題があるなどとして、美術館や冊子などから展示・掲載を拒否された作品を集めた「表現の不自由展~消されたものたち」が、練馬区江古田の「ギャラリー古藤」で絶賛開催中です。会期中は作品を出展した作家をはじめとする、様々なゲストを招いたトークショーが行われています。来場者とともに学び、考えたいという主催者の意図が込められています。

 私は18日の初日、韓国の日本大使館前に設置されている「平和の少女像」を制作した彫刻家である、キム・ソギョン、キム・ウンソンご夫妻のトークショーに足を運びました。お二人は学生時代、軍事独裁政権に抵抗する民主化運動に参加し、現在に至るまで彫刻の制作を通じて社会問題に取り組んできました。




 ご存知の通り「平和の少女像」は2011年12月、日本軍性奴隷制度被害女性たちによる水曜デモが1000回を迎えたのを記念して、韓国の日本大使館前に設置されました。日本軍「慰安婦」問題を象徴するイメージとして、韓国ではたくさんの人々に愛されています。トークショーでは映像作品も流され、正月はチマチョゴリ、寒い冬には帽子にマフラーをまとった少女像など、少女像と人々が共に過ごした四季折々の日々が映しだされました。
 現在、少女像は韓国とアメリカの11ヵ所に設置され、そのデザインは各地の市民らの要望にそって4通りほどあるそう。広告や演劇、本、ミュージカルなど、多くの文化芸術活動にモチーフとして使用され、様々に表現されています。

 しかし日本政府は、「外交公館の尊厳が傷つけられ、日韓関係にも悪影響が及ぶ」として大使館前からの撤去を求めています。これを背景に、日本では少女像が度々批判の対象となり、インターネット上ではそのイメージが悪意をもって汚されています。

 今回展示されたのは、大使館前に設置されているブロンズ像のレプリカで、彩色された等身大の像と、縮小したブロンズ像の2体。このブロンズ像は、2012年8月に東京都美術館で開催された「第18回JAALA国際交流展」に出品されましたが、特定の政治・宗教に関連し、運営要綱に抵触するという理由で、撤去されました。

 そんな中、製作者であるキム・ソギョン、キム・ウンソンご夫妻が、これまでどんな創作活動をされてきて、どんな思いで少女像をつくったのか、中々聞くことのできない貴重なお話を聞くことができました。

 ウンソンさんは1991年、金学順ハルモニの勇気ある告白に衝撃と深い悲しみ、憤りを感じたといいます。2011年水曜デモが1000回を迎えることを知って、「自分にも何かできないか」と、韓国挺身隊問題対策協議会に申し出たそうです。
 ご夫妻で20種類ほどアイデアを出し合い、最終的にソギョンさんが提案したものに決まり、制作もソギョンさんが手がけました。ウンソンさんは、「かつて『慰安婦』とさせられた少女たちは、男性によって性暴力を受けた。女性の手によって作られたほうがより意味があると解釈した」と話していました。

 ソギョンさんは「『慰安婦』とされたのが、もしも私だったら…、私の娘だったら…と想像しながら制作しました」といいます。制作においてもっとも重視したのは、ハルモニたちの過去と痛みを凝縮し表現し、より多くの人と分かち合うことのできるものとすることだったそうです。



 少女は静かに椅子に座り、まっすぐ前を見つめています。
 元々はそっと両手を重ねた形だった少女の手は、日本政府に謝罪と賠償を求めるハルモニたちの意志を込めて、固く握りしめられました。少女は素足で、よく見るとかかとが宙に浮いています。これは、ハルモニたちの過酷な歴史と、故郷に戻った後も厳しい環境に置かれたことを表しています。肩に乗せられた、自由と平和の象徴である小鳥は、亡くなったハルモニたちとご存命のハルモニたちとつなぐもの。また、地面にはハルモニの影が映し出されており、これはご夫妻の娘さんの提案だそうです。影の周りを飛ぶちょうちょには、亡くなったハルモニたちと心を共にするという意味が込められています。

 初めて見た少女像は、なんだか人の気配というか、人間らしさを感じました。表情は笑うでも悲しむでもなく、ましてや怒ってもいない。穏やかで毅然としています。空席となっている椅子には「あなたはどう向き合うの?」と静かに問われているようでした。その問いかけ方や寄り添い方にも、とても共感を覚えます。
 展示は2月1日まで。ぜひ足を運び、少女の隣りに座って共に考えてみてください。(淑)

幼少期の読書体験

2015-01-16 09:00:04 | (淑)のブログ
 初級部3年時の担任教員は、児童らの誕生日を「一人ひとりに合った本をプレゼントする」という素敵な方法で祝ってくれました。
 先生は、なぜその人にその本を選んだのか、クラスメイトたちのキャラクターや長所について、本の内容と関連づけながら語ってくれました。
 2月生まれの私は、先に誕生日を迎える人たちを羨ましく思いながら、自分の順番が回ってくるのを心待ちにしていました。

 待ちに待った誕生日のホームルーム。
 先生が私に選んでくれたのは、「だれも知らない小さな国」というファンタジー小説でした。
 佐藤さとるさんの大人気シリーズ、コロボックル物語の第1作です。



 先生がこの本を選んだわけは、先生と私の、ある「共通点」にありました。
 クラスのみんなの前で先生は、
「先生には兄2人と弟が1人います。(淑)と同じですね。そんな(淑)には共感を込めて、先生が初級部3年生の時に読んで大好きだった本をあげたいと思います」
と話してくれました。

 この本が私にあてがわれた嬉しいいきさつもあり、そして実際に読んで、私はこの小説が大好きになりました。
 その後シリーズ全巻揃えて、夢中になって読みました。

 その本を、約20年ぶりに再読しました。

 あらすじは以下のとおり。

 泉が湧き、椿の花が作美しい小山に魅了された、小学4年生の「ぼく」。足繁く通ううちに、小山に伝わる不思議な伝説を聞く。それは、小山に住む、小指ほどの小さな人・コロボックルの話だった。このコロボックルを一度だけ目撃したぼくは、やがて大人になり、コロボックルたちとの再会を果たす。そしてコロボックルたちと秘密の信頼関係を築きながら、小さいけれど、豊かで平和な国をつくり、守っていく…。

 コロボックルとは、アイヌ語で「フキの葉の下の人」という意味を持つ、アイヌ民族に伝わる小人のこと。
 小説の魅力の一つは、なんといってもこのコロボックルのキャラクターの面白さにあります。

 コロボックルを簡単に説明すると…、
 身長は3センチ弱。体重1グラムくらい。人間の数倍の早さで動き回るので、人の目で見ることはできません。人間をじっくり観察するようなときは、アマガエルの皮をかぶって行動します。口調もとても早口なので、人間が聞くと「ルルル…ッ」としか聞こえません。頭の回転も早い。

 今でも、誰もいない部屋で人気を感じたり物音がすると、反射的に(コロボックル!?)と思ってしまうほど、深い記憶として刻まれています。

 そして、日本にアイヌという他民族が存在することを知ったのも、この本を読んでからです。
 アイヌ民族に対する差別と抑圧の歴史を知るのは、もっとずっと後のことですが、コロボックルとともにアイヌという単語が私の中で特別な思い入れのある言葉になりました。

 本書は、戦後を時代背景としており、自然保護や平和、私利私欲でなく信頼しあえる人間同士の国づくり、というのも大事なテーマとなっていますが、個人的には、童心に戻って、主人公やコロボックルたちと笑ったりワクワクしながら読むのが良いと思います。

 他の同級生らは、先生が選んでくれた本と、各々どんな関係を結んだのでしょうか。今度会った時に聞いてみるのもいいかもしれません。(淑)

「日本のなかの朝鮮人」

2015-01-06 09:00:19 | (淑)のブログ
 

 手元に古い雑誌がある。
 韓日条約が締結された1965年に発刊された、月刊『太陽』12月号(平凡社)だ。

 特集タイトルは「日本のなかの朝鮮人」。

 「いちばん近い外国,外国人 半島人,朝鮮の人,第三国人などと私は一度も呼ばない」と題した中野重治の寄稿にはじまり、梶村秀樹、小田実といった朝鮮問題の著名人らが、朝鮮半島と日本の歴史について誌面で論じている。
 編集部によるルポルタージュでは、帰国船の出る新潟港、強制連行の九州炭坑地帯、原爆被爆の広島、東京・大村・対馬・大阪での朝鮮人の生を、丹念に取材し、写真とともに掲載している。
 帰国者たちの別離の表情に映る悲喜こもごも、原爆のオモニ学校で朝鮮語を朗読する女性、被爆により全身ケロイドで苦しむ老女、朝鮮民主主義人民共和国創建17周年を祝い華やかに舞う在日朝鮮中央芸術団の舞踊手たち、キャンパスを闊歩する朝鮮大学校の学生…。
 50ページにわたる重厚な特集企画から、韓日条約と植民地支配の歴史忘却に警鐘を鳴らし、歴史の記憶から朝鮮半島と日本の関係を捉え直そうと試みる、編集者の気概を感じる。

 それから50年が経った2015年。朝鮮半島、在日朝鮮人を取り巻く日本の現住所はどうだろう。
 振り返れば、1940年代後半の4.24教育闘争にはじまり、60年代後半の外国人学校法案反対闘争、補助金獲得運動、大学受験資格問題など、在日朝鮮人の法的地位、民族教育の処遇は、不十分ながら少しずつ改善されてきた。言うまでもなく、すべて当事者らの闘いによるものだ。先人たちのその努力と労苦は、百万言を尽くしても言い足りないだろう。
 しかし、なおも在日朝鮮人の人権と尊厳は踏みにじられたままである。朝鮮学校に対する「無償化」排除、補助金カットなどの露骨な朝鮮学校弾圧もさることながら、特別永住資格の見直しを検討する政治家の動きまで噴出している昨今だ。

 昨年末に訪れた広島、駅前広場で開かれていた無料生活相談会で、広島朝鮮初中高級学校のオモニたちが、「上を向いて歩こう」を歌いながら、集まった相談者たちにこのように呼びかけていた。
 「私たちはいつも歌をうたいながら、毎日明るく前向きに暮らしています。皆さんもどうぞご一緒に!」
 オモニたちのひたむきな歌声に胸打たれたと同時に、なぜ、日本によりこれほどまでに苦しめられている在日朝鮮人の側から声を上げ続けなければいけないのか、依然として変わらない歪な構図に暗澹たる気持ちにもなった。

 『太陽』12月号特集の巻頭言には、「在日朝鮮人」という呼び名を用いた理由について次のように書かれてある。

 「一般には『在日韓国人』という言葉も使用されているのですが,本誌がこれを用いなかったのは,なにかの政治的国家的取捨をしたからではありません。反対に,国境や政治思想の区別をこえて,人間と人間のむすびつき,民族と民族のかかわりを考えてみたかったからであります。おそらく日本のなかの朝鮮人の問題を正しく解くことは,アジアのなかの日本を正しく解くための重要な鍵となるのではないでしょうか」

 植民地支配からの解放70年を迎える2015年。真の解放前夜、統一前夜を手繰り寄せる光を見出すべく、今一度歴史に立ち返り、在日朝鮮人の存在について深く考えてみたい。(淑)

福岡で第4回口頭弁論が開かれました

2014-12-19 09:00:00 | (淑)のブログ
 九州における「無償化」裁判の第4回口頭弁論を取材するため、福岡に行ってきました。12月18日、福岡地裁小倉支部203号法廷で開かれた弁論には、傍聴席40人分に対して約160人が集まりました。




(裁判後に行われた報告集会の様子)

 今回被告側からは、原告側弁護団の準備書面(1)と(2)に対する反論である、準備書面(2)が提出されました。前回までに原告側弁護団は、「不当な支配」論を持ち出した経緯や、他の外国人学校にも同様に「不当な支配」について検討したのかなどの求釈明を行っていましたが、これに対し被告側は従前の主張を繰り返すだけで、とくに目新しい主張はありませんでした。この点については後述します。
 一方原告側弁護団は今回、準備書面(3)を提出。法廷で原告側代理人の中原昌孝弁護士が、朝鮮高校が「無償化」制度から排除されるまでの経緯から見ても規則ハ号の削除及び不指定が違憲・違法であると主張しました。

 九州の「無償化」裁判では、前回以降、2つの懸案事項が浮上していました。
 ①前回の弁論で原告生徒の意見陳述が一方的に中止になった問題と、②今回以降の口頭弁論は、これまで使用してきた207号法廷(裁判所で最も広い法廷、87席)ではなく、203号法廷(40席)で行うとされた問題です。

 まず、原告本人の意見陳述について。
 9月25日に行われた第3回口頭弁論では、原告生徒による意見陳述を予定していたにも関わらず、突然裁判官から「意見陳述は予定していない」と言い渡されました。これについて弁護団は「原告の意見陳述を拒否するのは裁判官の横暴ではないか」と抗議を訴えました。しかし裁判所からは「被告からの意見もあるので」などと著しく中立性を欠くような発言がなされ、これは「無償化」からの除外だけでなく、司法の場でも朝鮮高校生徒を差別することであるとして、原告側関係者からは批判が噴出しました。
 以後、原告側弁護団が意見陳述を実施するよう裁判所に申し入れを行い、「必ずしも意見陳述をさせないわけではない」という裁判所側の姿勢を確認。今後、原告本人の意見陳述は、裁判の節目節目(裁判官が交代したり、立証段階に入ったときなど)に行う方向となりました。
 今回も前回同様、原告本人の意見陳述はかないませんでした。原告弁護団では、前回突然陳述できなかった生徒たちの思いを伝えるため、策を練り、前回の意見陳述書を「証拠」という形で提出。法廷では本人に代わって祖父江弘美、石井衆介両弁護士が意見陳述を行いました。そこには、意見陳述をさせてもらえなかったことに対する原告本人の戸惑いや憤りの気持ちも追加されていました。

 次に法廷の問題について。
 裁判所の説明によると、本来207号法廷は刑事裁判を行う法廷であり、203号法廷が民事部の法廷であるとのこと。今後は刑事裁判が入っていない場合であれば207号法廷で行うことも可能だとのことです。原告弁護団は、裁判所の状況を確認しながら、今後も広い法廷で行えるよう裁判所に求めていくとしています。

 さて、改めて「不当な支配」の問題に対する被告側の主張について。
 争点としては、①「不当な支配」の問題を考慮することが適切か否か、②考慮するとして、「不当な支配」の存在の有無について弁護団側と被告側のどちらに立証責任があるか、③「不当な支配」の中身、の3つに整理できます。
 弁護団側は、①の「不当な支配」の問題について考慮すること自体がおかしいということに主眼を置いており、①②の議論が中心的。その先の③の議論についてはそこまで深まっていないそう。
 とはいえ現段階でも国側の論理破綻は顕著で、例えばコリア国際学園やホライゾンジャパンインターナショナルスクールに対しても「不当な支配」があるか審査したのか?という弁護団の問いに対して、被告側は、朝鮮学校もクリアしている要件の証拠を挙げただけ。十分な説明がなされているとは到底言えません。

 報告集会で服部弘昭弁護団長は、「被告側の主張は、いくら読んでも論理破綻している。論理破綻するようなことを国が言う、その裏には何があるのか、真相を明らかにしていきたい」と話していました。
 今後弁護団では、朝鮮学校ができた経緯、在日朝鮮人社会の歴史なども含め、裁判所により朝鮮学校を知ってもらうための主張をしていくとしています。また九州では現在、各地の裁判における原告弁護団の論点を整理しており、他地域との比較の中で、漏れている論点などを追加していく予定です。
 次回、第5回口頭弁論は2015年3月19日木曜日、午後2時から行われます。

 長文になりましたが、最後に一つだけ。
 裁判が闘われている各地では、さまざまな支援グッズが作られていますが、このたび九州でも第1弾ができました!



 スマホクリーナーです。他の地域のグッズとの差別化を図ったそうです。「無償化」実現オリジナルロゴマークと、在日朝鮮学生美術展で特別金賞を受賞した九州中高生徒の作品がプリントされています。裁判後に行われた報告集会の場で女子生徒たちが販売していました。



 私も一つ購入。「コマッスンニダ!」と、丁寧にグッズを手渡してくれた女の子たちのキラキラした笑顔に、こちらの頬も緩みました。
 3つセットで600円(2セット以上で500円に!)。お求めは、九州中高またはこちらのメールアドレス(f_korean_edu@yahoo.co.jp、件名「裁判支援グッズ希望」)から。多く方々からのご支援、ご協力をお願い申し上げます。(淑)

冊子「モンダンヨンピルin広島の軌跡」完成!

2014-12-10 09:00:00 | (淑)のブログ
 先週につづき、広島の裁判支援運動のことを。
 広島といえば今年7月に行われたモンダンヨンピルコンサートが記憶に新しいところですが、コンサートの準備過程と本番を通じてよりいっそう広く厚くなった学校支援の輪は、現在も活動に活かされているようです。

 最近の活動としては、まず、11月15日に行われた広島朝鮮初中高級学校の学園祭。ここに広島市の文化振興課課長と補助金担当の学事課課長が訪問。学園祭で児童・生徒たちの公演を見て、学校の歴史を紹介した展示を見て回ったそうです。
 学園祭では、モンダンヨンピルによるミニコンサートも。ラストフォーワンによるパフォーマンスが披露されました。

 翌々日の17日には、ラストフォーワンのメンバーが広島市を表敬訪問し、朝鮮学校への補助金再開を要請。



 メンバーらは、「なぜ、朝鮮学校を支援するのか?」との質問に、「韓国社会では朝鮮学校を知らない人が多いが、ひとたび朝鮮学校のことを知れば、応援しなきゃ、という気持ちになる。支援するのは当然のことだ」と答えたそうです。

 そしてつい最近できあがったのがこれ。



 冊子「モンダンヨンピル in 広島の軌跡」です。冊子の内容は、モンダンヨンピル広島公演が決まる前から、実現にいたるまでの過程、当日のようす、感想文と、盛りだくさん。オールカラーで写真ととも紹介されています。
 公演のDVD、当日販売され大人気だったTシャツともに購入可能です。他の地域の支援運動にもきっと役立つであろう、経験と成果が詳細に収められているので、ぜひ手にとってみてください。


 
 今後としては、今年6月に行われた「日朝合同学習会&交流会」の第2回の準備が、着々と進んでいるそうです。一連の活動で中心的役割を担っている「民族教育の未来を考える・ネットワーク広島」(※県教組や市民団体、広島朝鮮学園、オモニ会などの団体によって構成される)代表の村上敏さんは、広島での朝鮮学校支援活動を振り返りながら、「地道な取り組みを通じて、支援者たちが朝鮮学校を取り巻く問題を、より自分自身の問題として意識化している。そういった、『共に』やろうと決意を持った人たちが結束してきていることを実感する」と、イキイキとお話されていました。(淑)

広島で第5回口頭弁論、「不当な支配論」を根元から断つ

2014-12-01 09:00:00 | (淑)のブログ
 11月19日水曜、「高校無償化」裁判の第5回口頭弁論が広島地裁で行われました。前日に広島入りし、学校長をはじめオモニ会など学校関係者、日本人支援者たちとともに裁判を傍聴してきました。今回の裁判は、広島地裁でもっとも大きい302号法廷(60人収容)で行われました。傍聴席がすべて埋まったことで、この裁判に対して必死にたたかっているという原告側の姿が、裁判所に十分に示されたのではないでしょうか。傍聴席には、広島朝鮮初中高級学校の高級部2年の生徒たちの姿もありました。






(裁判後に弁護士会館で行われた報告集会の様子)

 裁判では、原告側が提出した準備書面5と6について、原告側弁護士の佐藤浩太郎、平田かおり両氏がそれぞれ発言しました。
 原告側の主張の内容は大きく二つ。第一点は、文科省は朝鮮学校について、規定13条(「適正な学校運営」)に適合しないとして不指定処分としたが、そもそもこの規定13条(「債権の弁済への確実な充当など法令に基づく学校運営を適正に行わなければならない」)は無効であると主張。もう一点、被告国が主張する朝鮮民主主義人民共和国や総聯の影響力の問題(「不当な支配論」)は、学校運営が適正に行われていないとはしえないことが主張されました。
 以下、原告側の主張と根拠についてかいつまんで報告します。

―規定13条について(原告側準備書面5)
 この規定13条というのは、無償化法が定める「高等学校の過程に類する過程を置く」といえるか否かについて、同法から委任を受けた同法施行規則ハ規定による再委任を受けて規定されたものです。
 しかし、「高等学校の過程に類する過程」とした無償化法の文言と趣旨からすれば、専門学校や各種学校が、「高等学校の過程に類する過程を置く」といえるかどうかについて、その教育内容と過程に照らして判断する細則を委任しているにすぎず、財務関係を含む学校運営の適正という観点からの判断は委任していないのです。したがって、規定13条は、同法の規定の範囲外の事項であり、裁量権の逸脱であるということです。
 つけくわえると、朝鮮学校を含む各種学校については、イ、ロ、ハ号のいずれかに該当すれば就学支援金を支給するとなっていますが、ここで求められる「学校運営の適正」というのは、イもロもハも等しく同じでなければならないのに、なぜかイ、ロ号においては、「債権の弁済への確実な充当を求める」という規定は入っていないのに、朝鮮学校が含まれるハ号だけが要求されているという、不当性も指摘していました。
 要するに、「本来あるべきではない規定」によって排除されたということです。それで、「そもそも13条は無効だろう」と明確に主張したのです。

―国の「不当な支配論」に対する反論について(原告側準備書面6)
 原告側はまず、異国の地で教育を行う外国人学校に対して、本国または関連する民族団体がその教育活動を支援することはきわめて自然なことであるということを、他の私立学校や各種学校との比較の中で主張しました。最もわかりやすい例として韓国学校の事例(財政や人事など)を紹介していました。
 続いて、被告が提出した「不当な支配」の存在を裏付ける証拠はいずれも、具体的根拠のない新聞記事などで、著しく信用にかけ、具体的根拠はなんら存在しないことを主張。不指定の中身をみても、なぜ、朝鮮学校に就学支援金を支給しても授業料に係る債権に充当されないことが懸念されるのか、被告の説明では全く理解できないと指摘されました。
 また、人種差別撤廃委員会をはじめとする国連の三つの委員会が、「無償化」からの朝鮮学校排除が差別であると指摘していることについてのべられました。

 この日、裁判の冒頭で裁判所から、被告側が主張している「不当な支配」について、特定の団体から資金援助を受けることが、他の各種学校と朝鮮学校とではどう違うのか?という問題意識がある、と指摘されました。

 また、被告は、新聞記事の報道を朝鮮学校不指定の根拠として主張しているにも関わらず、「新聞の報道は厳密な意味での真実性を主張するものではない」と矛盾した主張しています。原告弁護団の「嘘かもしれない報道を朝鮮学校不指定の判断の要素としたのか?」との質問について、被告は法廷で「そうだ」と答えました。つまり、事実かどうか認められないいい加減なことを根拠に、朝鮮学校を指定しないという判断をしたと、明確に認めたといえます。

 平田かおり弁護士は、「(「不当な支配論」の)おかしさというのは裁判所に伝わっている。なぜ韓国学校はOKで朝鮮学校はダメなの?という点を明らかにしなさいという問題意識を持って言ってくれた。おそらく被告側はそれをきちんと説明することはできないと思っているが、次回それについての書面が出てくると思う」と話していました。

 規定13条をめぐる論点について、明確な形で論じたのは広島が初めてです。まだ他地域の裁判では主張されていない分、どういう反論が出てくるかが注目されますが、この論点について足立弁護団長は、被告国が「不当な支配論」の理論的根拠としている規定13条を問うことは、「不当な支配論」を根元から断つ主張であるといえると説明してくれました。

 広島では裁判支援活動についても関係者から話を聞きましたが、長くなってしまったので、それについては次回のブログで書きたいと思います。(淑)

沖縄知事選に辺野古の海を回想する

2014-11-19 09:00:00 | (淑)のブログ
 16日に投開票された沖縄県知事選挙では、普天間基地の辺野古への移設反対を掲げた翁長雄志前那覇市長が、基地移設推進派の仲井真弘多知事らを破り初当選した。
 投票率は64・13%で、前回の60・88%を上回った。知事選は現職の仲井真氏が移設推進を掲げて立候補したことから、移設の是非を巡るたたかいとなった。当選した翁長氏は、戦後69年たっても変わらない基地負担の中での辺野古移設を「沖縄への構造的差別」と位置づけ、「基地は経済発展の最大の阻害要因」と主張していた。次点の現職に、10万票近い大差をつけての勝利は、これ以上基地はつくらせないという沖縄の人々の意思表示を意味する。
 初当選を決めた翁長氏は、「私が当選したことで基地を造らせないという県民の民意がはっきり出た。それを日米両政府に伝え、辺野古の埋め立て承認の撤回に向けて県民の心に寄り添ってやっていく」とのべた。新知事には政府による移設計画の全面廃止に取り組むことを期待したい。
 とはいえ仲井真知事も、前回の知事選で県外移設を唱えて当選した。今回の選挙結果は基地移設計画に影響を与えるものではあるが、楽観はできない。国家権力の前に敗北した前知事の教訓を踏まえ、新しいリーダーと沖縄の人々とが、共に運動の大きなうねりを作り出してくれることを願う。


 新基地反対を訴える辺野古住民の座り込み闘争は、10年にも及ぶ。
 2年前の2012年6月、取材で辺野古を訪れた。台風の影響で座り込み闘争の拠点であるテント村は閉鎖されていたが、曇天の下、地元の運動家の方と海辺に並んで座り、荒れる海を眺めながら、辺野古での海上闘争について話を聞くことができた。当時、辺野古のテント村に自宅のある沖縄市から足を運んでいたその方(当時80歳)は、「基地問題は沖縄だけの問題じゃない。対米従属的な日米安保とそれを支えている愚かな国民の問題だ。誰も欲しがらない基地を押し付けるのは、明らかな沖縄差別だ」と話していた。
 どこまでも青く広がる辺野古の海には、ジュゴンやウミガメが生息する。しかし私の記憶の中では今も、曇り空を映した灰色の海だ。(淑)

子どもの目線に立つ

2014-11-10 08:56:58 | (淑)のブログ
 今年最後のイオは幼児教育の特集。
 日本全国にはウリ幼稚園がたくさんありますが、他方で日本の保育園や幼稚園に通わせる多くのご家庭では、幼少期の子どもたちに対するウリマルやウリノレ、民族教育をどのように、またどれくらい行っているのでしょう。あいさつや家族の呼び名をウリマルで教えたり、ウリマルで数字を数えたり、できることはありますが、限界があると思います。

 特集では親子が家庭で気軽に楽しめるあそびを紹介しています。
 紹介するあそびについては、編集部内で話し合われた方向性とアイデアを持って、専門家にアドバイスをもらいました。
 ウリマルにちなんだ手遊びや絵本など、先生方にこちらのイメージを伝えると…、

 「大人目線だね〜」と一蹴。

 いわく、1、2歳ならまだしも、母語(日本語)を話す能力が形成されている3、4、5歳の子どもに新しい言語(朝鮮語)で話しかけるとものすごーーく嫌がるんだとか。理解不能な言葉で話されて、不安になる、とも。
 専門的なところまで踏み込むと、朝鮮と日本のわらべうたでは旋律が異なるそうで、「どこまで民族的な要素を入れるか」という議論にも。例えば朝鮮と日本のわらべうたでは終音が違うそうです。
 先生方に実際に歌ってもらったり、ジェスチャーしてもらったりしながらあれこれ話し合い、最終的に「親子が実際に実践できうるもの」という点に集約しようと決めました。紹介する3つの遊びには、ゲーム性や歌の要素を多く取り入れました。

 撮影は、読者モデルとして大学時代の同級生と3歳の娘さんに協力してもらい、ご自宅で行いました。
 本番では思い通りの画が撮れるか、お子さんは飽きてしまわないか、カメラ目線になってしまわないか、自然な笑顔は撮れるか…などなど、不安要素満載でしたが、心配をよそに娘さんはとってもお利口さんで終始ごきげんでした。途中少し飽きてしまいましたが、おにぎりで気分転換し、しばらくしてテイク2。最高の笑顔をいただきました。
 別れ際には、こちらが言うより先に「コマッスンニダ」と挨拶まで言ってくれて、本当に可愛らしかったです。



 撮影終了後に、同級生が準備してくれたサンドイッチとコーヒーで昼食をとりながら、専門家の先生と「やっぱり同胞の子どもたちに向けた、幼児教育のDVDやCDがないとね。作りたいね!」「そのときはまた娘さんにモデルとして出演してもらおう!」と、笑いながら話し合いました。
 誌面にはわらべうたの楽譜も載せました。どれもカンタンなメロディなので、ぜひご家庭で実践してみてください。(淑)