平安時代中期に花開いた文化で、遣唐使が廃止された894年(寛平6)から11世紀の摂関政治期を中心とする文化です。その特徴は、①遣唐使の中止などによって唐文化の影響が弱まり、日本の風土に合致したものとなってきたこと、②優美な貴族文化であること、③かな文字と国文学の発達がみられること、④浄土信仰の普及が見られること、などとされてきました。
平安時代中期には、班田収授の法が崩れ、全国に寄進地系荘園が増加します。それを基盤に貴族が力を持ち、摂関政治を基に藤原氏が台頭していきます。また、それまでの寺院は、鎮護国家を唱える支配者のためか、学問の場でしたが、空也、源信などの登場によって、浄土教の教えが広がり、阿弥陀仏信仰が盛んになっていきました。その頃広まったのが、末法思想で、故に極楽浄土に救いを求める阿弥陀仏へすがるようになっていき、阿弥陀仏を祀り、経塚を造って念じるようになります。
その代表として、醍醐寺五重塔(951年)、平等院鳳凰堂(1053年)などの仏教建築、平等院鳳凰堂阿弥陀如来像、法界寺阿弥陀如来像、平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像などの彫刻、高野山の涅槃図・聖衆来迎図、平等院鳳凰堂扉絵、源氏物語絵巻などの絵画、書道では和風が流行し、小野道風・藤原佐理・藤原行成が三蹟と称せられ、真筆としては、小野道風筆『屏風土代』、藤原佐理筆『離洛帖』、藤原行成筆『白氏詩巻』などが残されています。また、文学としては、『古今和歌集』、『後撰和歌集』、『拾遺和歌集』、『和漢朗詠集』などの詩歌集、『竹取物語』、『伊勢物語』、『うつほ物語』、『落窪物語』、『源氏物語』などの物語、『土佐日記』、『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』などの日記、歴史書・辞典としては『日本三大実録』(901年完成)、『倭名類聚抄』などが編纂されました。
尚、貴族の住宅建築として寝殿造が現れ、男性用衣服として、束帯・直衣・狩衣、女性用として十二単が登場し、朝廷での儀式が整備され、年中行事が執り行われるようになり、陰陽道の強い影響を受けます。
〇国風文化を巡る旅七題
旅先で国風文化の関係地を訪れ、良かった所を7つ、北から順に紹介します。
(1) 金沢公園・後三年の役金沢資料館<岩手県横手市>
金沢公園は後三年の役(1083~1087年)の際に金沢の柵があった場所で、公園になっていて、山そのものが崖で囲まれ強固な天然の要塞になっています。後三年の役は、清原氏の族長、真衡(さねひら)が病死し、領土の配分をめぐって、家衡、清衡の異父兄弟が争った合戦です。弟の家衡に妻子を殺された清衡が、源義家に助けを求めて戦いの火ぶたが再び切られました。戦の中で沼の柵に立てこもって、源義家を退けた家衡は、叔父武衡のすすめにより、難攻不落といわれる金沢柵に移りました。ところが、義家の実弟 源義光の参戦でますます意気あがる義家軍の執拗な攻撃と、兵糧攻めにあい、必死の防戦もむなしく、金沢柵は落ち、家衡、武衡は捕らえられようやく合戦が終わりました。近くに、「後三年の役金沢資料館」があって、この戦いの様子を描いた絵巻や考古資料が展示されていて参考になります。
(2) 平将門関係地(茨城県坂東市)
平将門の正確な生年は不詳ですが、9世紀終わり頃から10世紀初めとされ、下総国で生まれたと言われ、940年(天慶3)に没しています。10世紀に関東で起きた内乱“平将門の乱”の中心人物として知られ、939年(天慶2)に常陸、下野、上野の国府を占領し、一時関東を支配下において新皇を称しました。しかし、940年(天慶3)に平貞盛・藤原秀郷らに討たれて終りました。死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られましたが、坂東市周辺には、石井の井戸、九重の桜、胴塚などの伝説地が残され、巡ってみると楽しいものです。
(3) 春日井市道風記念館<愛知県春日井市>
小野道風は、平安時代中期の書家、歌人で、894年(寛平6)に尾張国(現在の愛知県春日井市)に生まれたと伝えられています。参議・小野篁の孫にあたり、父は、大宰大弐・小野葛絃です。醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇に仕え、最高官位は正四位下で、木工頭、内蔵頭などを勤めました。若い頃から書道に秀で,宮廷の障子や屏風に筆をふるい、66歳の時に天徳詩合の清書をして、「能書之絶妙也,羲之再生」と称賛されました。また、『源氏物語』でも、道風の書を高く評しています。この時代には、和風の書道が発達しましたが、藤原佐理、藤原行成と共に三蹟と言われました。歌人としても有名で、「後撰和歌集」に5首載っていますが、967年(康保3)に73歳で死去しました。真跡とされるものに「智証大師諡号勅書」「屏風土代」などがあり、名は「とうふう」とも読まれます。道風の生誕地と伝わる春日井市には、1981年(昭和56)に「春日井市道風記念館」が建てられ、全国的にも数少ない書専門の美術館として、また書道史の研究施設となっていて、小野道風の事績をたどることができます。
(4) 日野法界寺<京都府京都市伏見区>
創建が平安時代中期の藤原氏の一族である日野家の氏寺で、開基は伝教大師最澄とされています。真言宗醍醐派別格本山の寺院で、山号を東光山と称します。ここに安置されている国宝の阿弥陀如来像は、11世紀末頃の作で、定朝様式の典型的なものとして知られています。国宝建造物の阿弥陀堂は、1221年(承久3)の兵火で焼失後、まもない頃の建立と推定されています。
(5) 京都府京都文化博物館<京都市中京区>
平安建都1200年記念事業として創立された京都の歴史と文化の紹介を目的とした博物館です。前身は平安博物館で、1988年(昭和63)に開館し、京都文化の紹介を主目的として、考古、歴史、民俗史料、美術工芸作品、映像を展示、公開してきました。平安京は何度も火災にあって、古い建物はほとんどが焼失し、羅城門跡、朝堂院跡、大極殿跡など標柱が立っているくらいのところが多くなています。その中で、この博物館では模型や映像等によって、往時を再現し、貴族文化にも触れることができるように工夫されてきました。「国民文化祭・京都2011」の開催を控えた2011年(平成23年)に、全面リニューアルされ、当時の文化を知る上でもお勧めです。
(6) 宇治平等院<京都府宇治市>
平安時代に栄華を誇った藤原氏ゆかりの寺院で、平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、1994年(平成6)には、「古都京都の文化財」の一つとして、世界遺産(文化遺産)に登録されています。とりわけ、中心的な建造物である鳳凰堂(国宝)は、平安時代後期を代表する現存建築物で、堂内の木造阿弥陀如来坐像、木造雲中供養菩薩像、鳳凰堂中堂壁扉画と浄土式庭園と共に、西方極楽浄土と阿弥陀如来の世界を再現しているものと言われ、当時の宗教観を知る上にも重要なところです。
(7) 宇治市源氏物語ミュージアム<京都府宇治市>
「源氏物語」は、平安時代中期に成立した日本の長編物語で、紫式部の著だといわれています。日本の古典文学の最高峰だとも言われていて、多くの人に親しまれてきましたが、平安時代の雰囲気を知る上でも貴重だと思います。「宇治市源氏物語ミュージアム」は、物語ゆかりの宇治市にあり、「源氏物語」の幻の写本とよばれる「大沢本」など「源氏物語」に関する資料の収集・保管等を行ない、源氏物語の世界を展示公開しています。
☆国風文化の主要な文化財
<文学>
・『古今和歌集』:905年(延喜5)に醍醐天皇が紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑等に編纂を命じて出来た最初の勅撰和歌集。
・『後撰和歌集』:951年(天暦5)頃成立? 第二勅撰和歌集
・『拾遺和歌集』:1007年(寛弘4)第三勅撰和歌集
・『和漢朗詠集』:1018年(寛仁2)頃に藤原公任が編集した漢詩集。
・『竹取物語』:現存する最古の仮名の物語。
・『伊勢物語』:在原業平を主人公にしたといわれている歌物語。
・『うつほ物語』:遣唐副使・清原俊蔭とその子孫を主人公とした物語。
・『落窪物語』:継子いじめに苦しむ姫が貴公子と結婚して幸せになるまでを描いた物語。
・『源氏物語』:王朝物語の最高傑作。
・『土佐日記』:紀貫之が土佐守の任務を終えて帰る旅の途中のことを女性を装って平仮名で書いている。
・『蜻蛉日記』:藤原道綱母が夫藤原兼家との生活の不満を綴った日記。
・『和泉式部日記』:和泉式部が自らの恋愛について綴った日記。
・『紫式部日記』:紫式部が宮中に仕えている時の事を綴った日記。
・『枕草子』:清少納言の随筆で日本三大随筆の一つ。
・『更級日記』:菅原孝標女が自分の人生を自伝的に綴った回想録。
・『小右記』:藤原実資の日記。(漢文)
・『御堂関白記』:藤原道長の日記。
<歴史書等>
・『日本三大実録』(901年完成)
・『倭名類聚抄』
<建築>
・醍醐寺五重塔:951年(天暦5)建立
・法成寺無量寿院:1020年(寛仁4)に藤原道長が建立。現存せず。
・平等院鳳凰堂:1053年(天喜元)に藤原頼通が建立。
・法界寺阿弥陀堂:1050年(永承5)頃、日野資業が自分の別荘を寺にしたもの。承久の乱で焼失し、再建。
<彫刻>
・平等院鳳凰堂阿弥陀如来像:定朝作で唯一現存する作品
・法界寺阿弥陀如来像
・平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像
<絵画>
・高野山:涅槃図(1086年)
・高野山:聖衆来迎図
・東京国立博物館:普賢菩薩像
・平等院鳳凰堂扉絵(1053年前後)
・京都国立博物館:山水屏風
<書道>
小野道風・藤原佐理・藤原行成が三蹟と呼ばれた。11世紀にはかな書道の古典とされる高野切が制作され、12世紀まで多様なかなの書風が展開した。
・『屏風土代』:小野道風の書
・『離洛帖』:藤原佐理の書
・『白氏詩巻』:藤原行成の書
平安時代中期には、班田収授の法が崩れ、全国に寄進地系荘園が増加します。それを基盤に貴族が力を持ち、摂関政治を基に藤原氏が台頭していきます。また、それまでの寺院は、鎮護国家を唱える支配者のためか、学問の場でしたが、空也、源信などの登場によって、浄土教の教えが広がり、阿弥陀仏信仰が盛んになっていきました。その頃広まったのが、末法思想で、故に極楽浄土に救いを求める阿弥陀仏へすがるようになっていき、阿弥陀仏を祀り、経塚を造って念じるようになります。
その代表として、醍醐寺五重塔(951年)、平等院鳳凰堂(1053年)などの仏教建築、平等院鳳凰堂阿弥陀如来像、法界寺阿弥陀如来像、平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像などの彫刻、高野山の涅槃図・聖衆来迎図、平等院鳳凰堂扉絵、源氏物語絵巻などの絵画、書道では和風が流行し、小野道風・藤原佐理・藤原行成が三蹟と称せられ、真筆としては、小野道風筆『屏風土代』、藤原佐理筆『離洛帖』、藤原行成筆『白氏詩巻』などが残されています。また、文学としては、『古今和歌集』、『後撰和歌集』、『拾遺和歌集』、『和漢朗詠集』などの詩歌集、『竹取物語』、『伊勢物語』、『うつほ物語』、『落窪物語』、『源氏物語』などの物語、『土佐日記』、『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』などの日記、歴史書・辞典としては『日本三大実録』(901年完成)、『倭名類聚抄』などが編纂されました。
尚、貴族の住宅建築として寝殿造が現れ、男性用衣服として、束帯・直衣・狩衣、女性用として十二単が登場し、朝廷での儀式が整備され、年中行事が執り行われるようになり、陰陽道の強い影響を受けます。
〇国風文化を巡る旅七題
旅先で国風文化の関係地を訪れ、良かった所を7つ、北から順に紹介します。
(1) 金沢公園・後三年の役金沢資料館<岩手県横手市>
金沢公園は後三年の役(1083~1087年)の際に金沢の柵があった場所で、公園になっていて、山そのものが崖で囲まれ強固な天然の要塞になっています。後三年の役は、清原氏の族長、真衡(さねひら)が病死し、領土の配分をめぐって、家衡、清衡の異父兄弟が争った合戦です。弟の家衡に妻子を殺された清衡が、源義家に助けを求めて戦いの火ぶたが再び切られました。戦の中で沼の柵に立てこもって、源義家を退けた家衡は、叔父武衡のすすめにより、難攻不落といわれる金沢柵に移りました。ところが、義家の実弟 源義光の参戦でますます意気あがる義家軍の執拗な攻撃と、兵糧攻めにあい、必死の防戦もむなしく、金沢柵は落ち、家衡、武衡は捕らえられようやく合戦が終わりました。近くに、「後三年の役金沢資料館」があって、この戦いの様子を描いた絵巻や考古資料が展示されていて参考になります。
(2) 平将門関係地(茨城県坂東市)
平将門の正確な生年は不詳ですが、9世紀終わり頃から10世紀初めとされ、下総国で生まれたと言われ、940年(天慶3)に没しています。10世紀に関東で起きた内乱“平将門の乱”の中心人物として知られ、939年(天慶2)に常陸、下野、上野の国府を占領し、一時関東を支配下において新皇を称しました。しかし、940年(天慶3)に平貞盛・藤原秀郷らに討たれて終りました。死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られましたが、坂東市周辺には、石井の井戸、九重の桜、胴塚などの伝説地が残され、巡ってみると楽しいものです。
(3) 春日井市道風記念館<愛知県春日井市>
小野道風は、平安時代中期の書家、歌人で、894年(寛平6)に尾張国(現在の愛知県春日井市)に生まれたと伝えられています。参議・小野篁の孫にあたり、父は、大宰大弐・小野葛絃です。醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇に仕え、最高官位は正四位下で、木工頭、内蔵頭などを勤めました。若い頃から書道に秀で,宮廷の障子や屏風に筆をふるい、66歳の時に天徳詩合の清書をして、「能書之絶妙也,羲之再生」と称賛されました。また、『源氏物語』でも、道風の書を高く評しています。この時代には、和風の書道が発達しましたが、藤原佐理、藤原行成と共に三蹟と言われました。歌人としても有名で、「後撰和歌集」に5首載っていますが、967年(康保3)に73歳で死去しました。真跡とされるものに「智証大師諡号勅書」「屏風土代」などがあり、名は「とうふう」とも読まれます。道風の生誕地と伝わる春日井市には、1981年(昭和56)に「春日井市道風記念館」が建てられ、全国的にも数少ない書専門の美術館として、また書道史の研究施設となっていて、小野道風の事績をたどることができます。
(4) 日野法界寺<京都府京都市伏見区>
創建が平安時代中期の藤原氏の一族である日野家の氏寺で、開基は伝教大師最澄とされています。真言宗醍醐派別格本山の寺院で、山号を東光山と称します。ここに安置されている国宝の阿弥陀如来像は、11世紀末頃の作で、定朝様式の典型的なものとして知られています。国宝建造物の阿弥陀堂は、1221年(承久3)の兵火で焼失後、まもない頃の建立と推定されています。
(5) 京都府京都文化博物館<京都市中京区>
平安建都1200年記念事業として創立された京都の歴史と文化の紹介を目的とした博物館です。前身は平安博物館で、1988年(昭和63)に開館し、京都文化の紹介を主目的として、考古、歴史、民俗史料、美術工芸作品、映像を展示、公開してきました。平安京は何度も火災にあって、古い建物はほとんどが焼失し、羅城門跡、朝堂院跡、大極殿跡など標柱が立っているくらいのところが多くなています。その中で、この博物館では模型や映像等によって、往時を再現し、貴族文化にも触れることができるように工夫されてきました。「国民文化祭・京都2011」の開催を控えた2011年(平成23年)に、全面リニューアルされ、当時の文化を知る上でもお勧めです。
(6) 宇治平等院<京都府宇治市>
平安時代に栄華を誇った藤原氏ゆかりの寺院で、平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、1994年(平成6)には、「古都京都の文化財」の一つとして、世界遺産(文化遺産)に登録されています。とりわけ、中心的な建造物である鳳凰堂(国宝)は、平安時代後期を代表する現存建築物で、堂内の木造阿弥陀如来坐像、木造雲中供養菩薩像、鳳凰堂中堂壁扉画と浄土式庭園と共に、西方極楽浄土と阿弥陀如来の世界を再現しているものと言われ、当時の宗教観を知る上にも重要なところです。
(7) 宇治市源氏物語ミュージアム<京都府宇治市>
「源氏物語」は、平安時代中期に成立した日本の長編物語で、紫式部の著だといわれています。日本の古典文学の最高峰だとも言われていて、多くの人に親しまれてきましたが、平安時代の雰囲気を知る上でも貴重だと思います。「宇治市源氏物語ミュージアム」は、物語ゆかりの宇治市にあり、「源氏物語」の幻の写本とよばれる「大沢本」など「源氏物語」に関する資料の収集・保管等を行ない、源氏物語の世界を展示公開しています。
☆国風文化の主要な文化財
<文学>
・『古今和歌集』:905年(延喜5)に醍醐天皇が紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑等に編纂を命じて出来た最初の勅撰和歌集。
・『後撰和歌集』:951年(天暦5)頃成立? 第二勅撰和歌集
・『拾遺和歌集』:1007年(寛弘4)第三勅撰和歌集
・『和漢朗詠集』:1018年(寛仁2)頃に藤原公任が編集した漢詩集。
・『竹取物語』:現存する最古の仮名の物語。
・『伊勢物語』:在原業平を主人公にしたといわれている歌物語。
・『うつほ物語』:遣唐副使・清原俊蔭とその子孫を主人公とした物語。
・『落窪物語』:継子いじめに苦しむ姫が貴公子と結婚して幸せになるまでを描いた物語。
・『源氏物語』:王朝物語の最高傑作。
・『土佐日記』:紀貫之が土佐守の任務を終えて帰る旅の途中のことを女性を装って平仮名で書いている。
・『蜻蛉日記』:藤原道綱母が夫藤原兼家との生活の不満を綴った日記。
・『和泉式部日記』:和泉式部が自らの恋愛について綴った日記。
・『紫式部日記』:紫式部が宮中に仕えている時の事を綴った日記。
・『枕草子』:清少納言の随筆で日本三大随筆の一つ。
・『更級日記』:菅原孝標女が自分の人生を自伝的に綴った回想録。
・『小右記』:藤原実資の日記。(漢文)
・『御堂関白記』:藤原道長の日記。
<歴史書等>
・『日本三大実録』(901年完成)
・『倭名類聚抄』
<建築>
・醍醐寺五重塔:951年(天暦5)建立
・法成寺無量寿院:1020年(寛仁4)に藤原道長が建立。現存せず。
・平等院鳳凰堂:1053年(天喜元)に藤原頼通が建立。
・法界寺阿弥陀堂:1050年(永承5)頃、日野資業が自分の別荘を寺にしたもの。承久の乱で焼失し、再建。
<彫刻>
・平等院鳳凰堂阿弥陀如来像:定朝作で唯一現存する作品
・法界寺阿弥陀如来像
・平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像
<絵画>
・高野山:涅槃図(1086年)
・高野山:聖衆来迎図
・東京国立博物館:普賢菩薩像
・平等院鳳凰堂扉絵(1053年前後)
・京都国立博物館:山水屏風
<書道>
小野道風・藤原佐理・藤原行成が三蹟と呼ばれた。11世紀にはかな書道の古典とされる高野切が制作され、12世紀まで多様なかなの書風が展開した。
・『屏風土代』:小野道風の書
・『離洛帖』:藤原佐理の書
・『白氏詩巻』:藤原行成の書
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