奈々の これが私の生きる道!

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小説「野菊の墓」伊藤左千夫

2012-05-29 05:47:04 | 読書
俳優やクイズ番組の司会者や人生相談のコメンテーターとして親しまれ、かなりの読書家であった児玉清さんが亡くなられて、今月で一年になりました。

私は児玉清さんに、紳士的で、とても温厚な印象を持っていたのですが、若い頃は、出演された黒澤映画で、意見の相違から、黒澤さんと一触即発の危機になった事もあるほど、血気盛んな一面も持っていらしたそうです。

そんな児玉清さんがお話する、今は無きNHKの朝のラジオ番組、ラジオビタミンの月に一回の読書コーナーを、私はとても楽しみにしていました。

そのコーナーでは、児玉清さんがいくつものご本をご紹介されていたのですが、殆どが最近のご本だったのに、ある時、伊藤左千夫の「野菊の墓」をご紹介されたのです。

児玉清さんによれば、この作品はかなり若い頃から何度も読まれ、読むたびに、いつも決まったところで、泣いてしまうのだと、今にも泣きそうな声でおっしゃっていました。

私は、この作品を子供の頃から知ってはいたのですが、実は今まで一度も読んでいなかったのです。

だけど、読書家の児玉清さんが何度読んでも泣いてしまうという言葉に読んでみたくなったのです。

それで、先日ようやくこの作品を読む機会に恵まれ、若き日の私の初恋の思い出とともに感動した次第です。



「野菊の墓」伊藤左千夫

誰にでも、初恋の思い出はあるものです。
初恋が叶って結ばれた人もいるかも知れませんが、多くの人は叶わずに涙を流す人がほとんどだと思います。

この小説は、そうした叶わなかった初恋を描いているからでしょうか。
長い間、若い読者に読み継がれて、多くの共感を得てきたそうです。

この小説が美しいのは、幼い頃から一緒に暮らしていた主人公政夫と民子が、自分達でも気づかないうちに恋心を覚えるところにあると思います。

初めのうちは一緒にいるのが楽しいだけだったのに、ある日を境に互いを意識し始め、恥ずかしさから、ついよそよそしくなってしまう。

その初々しい二人の様子に、遠い日の自分の姿を重ね合わせずにはいられないのです。

しかし、周りの大人達は古い因習や考えから二人を引き離そうとするのです。
かわいそうに幼い二人は逆らう事も出来ず、言い付けに従ううち、涙がとめどもなくあふれてくる…

そんなさなかにあって、二人は母親に、山畑の綿を取ってくるように言い付けられ、わくわくしながら出かけるのです。

それが二人にとって、最高で最後の楽しい思い出になるとも知らずに…

ケガをしないように、政夫の母親に股引きをはくよう言われたのを恥ずかしがる民子の乙女心。

菅笠をかぶって歩く姿を政夫の母親に、「民やお前が菅笠をかぶって歩くと、ちょうど木の子が歩くようでみっともない。」と笑われ、顔を赤くして恥ずかしがる様子。

そうして、ようやく二人は、山畑に向かうのですが、その途中で、政夫が道に生えている野菊を採って、民子が野菊が好きだと言うと、政夫が「僕はもとから野菊が大好き。民さんはそんなに野菊が好き…どうりでどうやら民さんは野菊のような人だ。」と言う。

そのあと、畑仕事を始め、お昼に一人で水を汲みに行くと言った政夫に、心細いからと後をついて行く民子のいじらしさ…

そして、政夫が見つけたりんどうの花を、「政夫さんはりんどうのような人だ。」と言った民子の言葉に、「僕は喜んでりんどうになります。それで、民さんがりんどうを好きになってくれればなお嬉しい。」と答える政夫。

相手を直接、好きだと言えない代わりに、お互いを花に例えて、思いを伝えようとする言葉のやり取り。

それはあまりにも純情可憐で、はかなく、二人の幸せを望まずにはいられないのです。


だけど、この日が二人にとって、二度と帰らない最高の思い出になってしまうのです…


このあとの二人のたどった運命は、あまりにも悲しく、私はとても書く勇気がありません…

たった一度きりの二人だけの楽しい思い出。

そして、叶わなかった二人の初恋…



恋を恋とも知らずに、ただ無心にお互いに惹かれ合い、厳しい現実に悲しい運命を辿らなければならなかった二人の姿。


私は、これからこの小説を思い出すたびに、自分の初恋と重ね合わせて、いくたびも泣いてしまうに違いありません…



















 

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