60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

セブンプレミアム

2013年03月29日 08時37分41秒 | Weblog
  27日の日経新聞に、「イオンがダイエーを子会社化、売上高6兆円を大幅に上回り、小売業界で圧倒的な最大手となる」、という記事があった。近年百貨店の統合が進み、コンビニエンスがいたるところに林立し、日本の小売業も次第に寡占化が進んでいる。昔小売業に携わっていた人間からすると、「果たしてこんな流れでいいのだろうか?」、そんな疑問が湧いてくる。「これでは売り場が面白くなくなるでは?昔のように、色んな会社が群雄割拠してしのぎを削っていたころの方が、消費者の選択肢も多く面白かったのでは?」、そう思うのである。

 最近、昔の仲間と集まって話すとき、よく議題になるのが、「セブンプレミアム」というPB商品のことである。最近のコンビニエンス、特にセブンイレブンの「セブンプレミアム」というPB商品の比率が急速に増している。セブンイレブンの売り場をザァーッと見渡して見ると、3割以上のアイテムがPBになっているように思う。弁当惣菜やパンなどもPBだから売り上げ比率からすれば50%をはるかに超えているだろう。「画一的な品揃え、果たしてこれで良いのか?、これでは消費者から見ても、面白味がなく魅力のない売り場になっていくのではないか?」、これが仲間内での議論である。「コンビには便利さが売りで、消費者は品揃えを期待しているわけでは無いからこれで良いのだ」、「コンビには商品以外に、ATMや宅急便など、機能面で充実させていけば店の存在価値は保てるのではないか」、等々議論百出である。

 コンビニは新たにマンションができるなど環境の変化がない限り、オープン2年目がピークで、その後売上高は右肩下がりになるといわれている。半径500メートルが商圏とといわれるコンビニは、競合ができれば必然的に売り上げは落ちることになる。しかし加盟店も生活がかかっている。だから売り上げが上がらなくても利益高は確保していかなければいけない。そのためには必然的に商品の値入率をアップしていく必要がある。その手段がPB化なのである。価格は自分達で設定できるから価格競争に巻き込まれない。圧倒的な物量を武器にメーカーとの交渉も有利になる。メーカー品を売るよりPB化したほうが値入れ率は5%上がるといわれている。年々PB比率を上げていくことで、利益の確保を図っているのである。これがコンビニの現状であろう。ある取引業者が言っていたが、セブンとの商談の折、バイヤーが「雑誌を除いて全てPBにしていくのだ!」、と豪語していたそうである。多分この流れは変わらないのであろう。

 セブンプレミアム、多分「高級」の意味を込めてプレミアムという名を付けたのだろう。TVコマーシャルでも1品1品を丁寧作っているというイメージ広告が主である。しかし業界紙によれば、NB商品に比べて相対的に質が良いわけでも安いわけでもないという。自分達のあからさまな値入確保を隠すために、「なんとなく良いも」というイメージを作り上げていく。売り場では白い袋に商品の写真を印刷して統一感を持たせ、面として商品をアピールする。そして中身以上に綺麗に撮られた写真で商品を選ばせる。一連の流れの中で消費者に選択の余地を与えず買ってもらう、これがセブンイレブンのPB戦略なのだろう。

 果たして消費者はセブンの思惑通りに買ってくれるのだろうか?消費者は本当にプレミアムな商品と認識しているのだろうか?売り場のほとんどをPBで埋め尽くしたとき、消費者は支持してくれるだろうか? 私は少し懐疑的な見方になってしまう。 全国15000店のセブンイレブンのどこの店に行っても、売り場がこのPB商品で埋め尽くされると、無機的で寒々しい店になってしまうように思うのである。それはパッケージデザインからのだけのイメージではなく、システム化されて画一的な商品構成で、有無を言わせず買わせようとするセブンイレブンの傲慢さに嫌気が差してくるように思うからである。ユニクロや無印良品のように自分達の主張(テースト)を表現するコンセプトショップとは違うわけだから、売り場全体をPBで武装していくのは間違いのように思うのである。

               

東横線乗り入れ

2013年03月22日 08時17分22秒 | Weblog
 3月16日東京メトロ副都心線と東急東横線が渋谷で接続し、西武池袋線各駅から横浜の元町・中華街まで1本で繋がった。

 「では今日は記念して、中華街までラーメンを食べに行ってこよう」、そう思って出かけることにした。時刻表を調べると所沢から30分間隔の快速急行が乗り換えなしで一番早い。元町・中華街まで約1時間20分、運賃は980円(私は練馬まで定期券があるから830円)である。飯能から来た電車は所沢ではまだ余裕があり、乗り込んだ乗客はほとんど座れた。今から1時間20分、朝刊と本を読みながら電車の旅である。

 西武線から東京メトロ副都心線で、渋谷まで乗り入れたのは5年前の2008年である。構想は1972年と言うから実に35年の時を経ている。当初渋谷から先は品川を通り羽田に行く案だったようだが、東急が新宿への進出を目指して乗り入れを切望し、これが認められたようである。この接続に際して東横線のプラットホームが2階から地下5階に移動したため、不便になるという報道も多かった。しかしこれも東急側の戦略である以上やむ終えない。

 果たしてこの乗り入れで、人の流れがどう変わるのか?、どこが一番得をするのか?。渋谷はあまり行かないから利用者心理はよく分からないが、私の予想はこうである。渋谷から新宿へ出る人と、反対に新宿から渋谷に行く人と、その比率は同じぐらいで、差し引きゼロであろう。池袋は新宿渋谷に比べ集客力が劣るから少しマイナスになるように思う。それから東急沿線の人が川越や秩父まで、ワザワザ時間をかけて出かけるほどの魅力はない。反対に埼玉側から横浜を見れば、大きな観光スポットで遊びに行くに頻度が上がるだろう。結局、流れは東から西へ向かうように思う。

 お昼過ぎ、横浜中華街は大勢の人出で賑わっていた。「ようこそ、横浜中華街へ」の横断幕を掲げて中華大通りでパレードが練り歩く、爆竹が鳴り異国情緒いっぱいに見物客を楽しませる。やはり商魂のたくましさでは一歩も二歩も上である。結局この乗り入れは横浜の一人勝ちのように思ってしまった。あまりの賑わいで、どこの中華飯店も満員状態。やはり1人では並んでまでは入り辛く、結局中心から離れた空いた中華飯店を探して「牌骨麺(パイコウメン)」を食べて帰ってきた。

               
                        みなとみらい線 元町・中華街

      

               

      

               

      

      

      

      

              
                 爆竹は飛び散らないように鉄の籠に入れて鳴らす

      

              

               

      

      
                              関帝廟

      

               
                          中国の線香は太くて長い

      

               
                               牌骨麺






再開

2013年03月19日 16時06分32秒 | Weblog

 PCのトラブルだったのか、それとも「gooブログ」のトラブルなのか、なにがどうなたのか分かりませんが、一時投稿不能になっていましたが、いつの間にか治っていました。ということで一旦引っ越しましたがまた舞い戻って来ました。今後ともよろしくお願いいたします。 下の2つは休んでいたときのモノです。





アカデミー賞

2013年03月19日 15時56分15秒 | Weblog
                            アルゴ

 第85回アカデミー賞で、ベン・アフレック監督の「アルゴ」が作品賞、脚色賞、編集賞も含め3部門を受賞した。この映画、昨年11月に見ていて、結構面白い作品だと思った。そしてその後アカデミー賞にノミネートされたと知ったとき、「やはり」と納得したものである。映画はイラン革命成立後の1979年、イランの学生400人あまりが首都テヘランにある米大使館を占拠し、52人のアメリカ人を444日間拘束するという事件が発生した。この時大使館職員6人がカナダ大使の私邸に逃げ込んだ。暴動のさなか隠れているこの6人の救出、計画から実行までを実話にもとずいて画いたものである。何が面白かったと言えば、一つはここまでこじれてしまったアメリカとイスラム世界の経緯に納得したこと、もう一つはそのスリリングな展開に映画ならではの面白さを感じたことである。実話に基づいた話であるから結末は判っているのだが、その脚色や演出でこんなに面白くなるのかと思ったのである。映画で展開されていくスリリングさを例えるならば、昨年中国での反日の暴動の中を日本人として、中国の街を歩き回ったとした時の緊張感のようなものである。(実際には体験していないが)

               
                            愛・アムール

 先週同じくアカデミー賞の外国語映画賞を受賞したミヒャエル・ハネケ監督(オーストリア)の「愛、アムール」も見に行った。ストーリーはパリの高級アパートで暮らす音楽家の老夫婦が静かに余生を送っている。しかし病気からの手術が失敗して妻は半身不随となってしまった。それから2人の生活は一変してしまう。夫は病院嫌いの妻の願いを聞き入れて、自宅での介護を決心する。しかし妻の容態は日に日に悪化していく。妻を車いすから立たせ別のいすに移動させたり、ベッドに横たわる妻の寝息に夫が聞き耳を立てたり。そうかと思えば、今度は妻が、隣で眠る夫の横で不安そうな表情を浮かべたり……。夫が妻を、妻が夫を思いやる姿、いわゆる今の社会問題化している老々介護である。やがて介護も妻の衰えと比例して困難な状況になり、とうとう限界を迎える。そして夫が妻を殺してしまうことになる。「老い」と「死」をテーマにひと組の夫婦の人生の最終章を赤裸々に描いた作品であり、老後にさしかかった私には身につまされるものがあった。

 この作品、テーマとしてはありきたりなものではあるが、その描き方がいかにもヨーロッパ的で面白いと思った。冒頭は教え子のピアニストの演奏会のシーンから始まる。映像は舞台から客席を見たカットで、固定されカメラで何分にも亘り長回しで撮られている。満員の客席は演奏が始まるまでのひと時、観客同士の雑談の様子がしばらく続く。やがて場内の照明が薄暗くなり、次第に雑談やざわめきが静まっていく。そして拍手があり、それが鳴り終わって、ピアノの演奏が聞こえてくる。その後も演奏の場面は一切映さず、ピアノの曲を聴く観客の様子が長回しの中で映し出されていく。それからしばらくしてカットが変わり老夫婦のアパートの室内に移る。それ以降全ての場面はアパートの中だけの映像で、しかもBGM(効果音楽)は使わず、静寂の老夫婦のアパートの中に一緒にいるような臨場感を持たせている。この映画フランス映画にも関わらず作品賞や監督賞など5部門にノミネートされていたそうで、やはりハリウッドでも高い評価だったのであろう。

 一方日本アカデミー賞は「あなたへ」(高倉健)、「北のカナリヤたち」(吉永小百合)、「わが母の記」(樹木希林)、「のぼうの城」、「桐島、部活やめるってよ」が候補で、結局「桐島、・・・」が最優秀作品賞を取った。「あなたへ」と「わが母の記」以外は観ていないから何ともいえないが、日本の映画はそれなりに良くできているように思うが、しかし斬新さとか奇抜さとかスケールとか、「はっ」とするような突き抜けた面白さは欠けるように思うのである。エンターテイメントとしての映画は、まだ一歩も二歩も外国作品の方が先を行っているように思ってしまう。

               
                             あなたへ

               
                          きたのカナリアたち

               
                            わが母の記

               
                            のぼうの城

               
                         桐島、部活やめるってよ






帽子

2013年03月19日 15時53分41秒 | Weblog
 先日テレビニュースを見ていたら、黒のコート白のマフラーにソフト帽を斜に被り、モスクワで開かれるG20へ向かう麻生財務大臣が写っていた。思わず「何を気取っているんだよ」と思ってしまう。あんのじょう外国メディアから、「マフィアの会合に出られるのですか?」と、きついジョークを飛ばされたようである。まあ本人が良いと思えばそれでいいのだろうが、私には少し違和感を感じるのである。

 昭和の20年代か30年代だろうか、私の父も通勤には必ずソフト帽を被って出かけていたように思う。大人になればネクタイと同じように帽子を被る、これが社会全体のスタイルのようになっていたのだろう。そして当時見ていた洋画(西部劇はカーボイハットも含め)に出てくる主人公はほとんど格好よく帽子を被っていたように思う。そんな時代からいつの間にか無帽が当たり前になってきた。当然我々が社会に出て行った昭和40年代からは帽子を被っている人は皆無になった。

 最近街の中でも帽子を被った男性を見かけることが多くなった。一つは薄毛を隠すために被る帽子、一つが今のトレンドなのか若者が被る帽子、もう一つが年配者が昔のファッションに憧れて被る帽子である。ソフト帽などを被っている人は、麻生財務大臣ではないが基本的におしゃれな男性なのであろう。胸にチーフを覗かせ喫茶店でも食事の場でも帽子を取らない。「どうだおしゃれだろう」、「どうだカッコいいだろう」、そんなオーラを醸し出している。

 このオールドファッションは私にとっては違和感が強い。もともとセンスの無い私が言うのはおかしいのだが、ただ目立つだけが狙いのおしゃれのように思うのである。私のおしゃれ感は、「センスが良い」と思わせるのが「おしゃれ」のように思うのである。清潔感、色のコーディネイト、着こなし、そして調和、そんなものトータルを考えてこそおしゃれなのだろう。昔見た洋画でゲーリークーパーやクラークゲーブルのように背が高く顔の小さい外人には似合うが、背が低く顔のデカイ日本人には帽子は似合わないように思う。ただ昔のオールドファッションの憧れから帽子を被るのでは、ただただ違和感だけが目立ってしまう。

               

                       

               





引越し

2013年03月08日 08時18分21秒 | Weblog
長年この「gooブログ」を使ってきましたが、前回の投稿に当たっての不調を上手く克服できませんでした。そのため、新たに「エキサイトブログ」に引越しいたします。
URLは http://abcxyz.exblog.jp/ になります。こちらを見ていただければ幸いです。

               
                               神楽坂

ご連絡

2013年03月01日 11時22分45秒 | Weblog
 3月1日(金)ブログをアップしようと原稿を作りましたが、いざ投稿の段階で、下記のように文章の十数行以降が文字化けしてしまい、またそれ以降の文章も表示されません。何度かトライしてみましたがやはりその現象は解決しません。パソコンに障害がでたのか、ブログ編集の設定がおかしくなったのかよく分かりませんが、今日のアップは中止いたします。このトラブルが解消すればまた再開したいと思います。あしからず、

                

元勤めていた会社では多くの女性社員が入社し、そして退社して行った。退社後はそれぞれの道に進んで行き、その中の何人かの人たちとは今も繋がりがある。そんな昔の仲間の状況を時々垣間見るのはなかなか楽しいことである。先日ある女性の生まれたばかりの赤ちゃんのお披露目の「集い」があり、呼ばれて行って来た。彼女は2年に及ぶ不妊治療の後、昨年の12月に出産した。赤ちゃんはもうすぐ3ケ月で体重5キロの女の子である。家に伺ったとき、彼女はおぶい紐で胸に赤ちゃんを抱き、体を上下にゆすりながらあやしているところであった。華奢でキュートな女性だが、今は頬もふっくらとし、手馴れた様子で赤ちゃんを扱う様子は、すっかり若いママの雰囲気である。

 ミルクを飲みひと寝いりした後のご機嫌が良い赤ちゃんを、私も抱かせてもらうことにする。おっかなびっくり抱き上げると、わずかな温もりとずっしりした重さを感じる。足を突っ張り手をバタつかせ、私の指を握ったその力は思いのほか強い。大人と同じ形と機能を持つ指なのに、なんと小さくなんとおぼつかないことだろうと、改めて驚いてしまう。興味を持ったものを見つめる目はキラキラと輝き、好奇心に満ち、何の邪念も無く、幾つもの星が瞳の中に輝いている。ふと、「我が3人の子供たちのもこんな時があったのだ」と思い返して見るものの、日々急速に成長していった子供たちの、特定の時期だけを思い出すのはなかなか難しいものがある。

 彼女の今までのメールの中にこんなことが書いてあった。
《いやーっ、出産はもちろん、子育ては壮絶ですね。1日ゼロ睡眠は当たり前、3時間で幸せを感じる。そんな中で術後の痛みと、抱っこ大好きの娘を抱えて歩き回る筋肉痛や授乳の痛みと戦いながら、それでも時折見せる可愛い表情に癒されて子育てに奮闘しています。・・・・泣きじゃくる娘を見ていると、「こんなにフニャフニャして、私が居る居ないが直接生死に繋がるんだ」と痛切に感じます。そして、「守るわ!」ではなく「守らなきゃ!」と意思を強くするのです。・・・・・子供の日々の成長を確認し安堵する気持ちと、私のストレスからの感情の比重が交互に入れ替わり、自分の感情が高ぶると、「子供どころではない!」となってしまい、それを必死に抑えています。不妊治療であんなに辛い思いまでして望んだ子、そう思うと今までの感情が、スーッと溶けていくのです》

 こと子育てに関しては男と女ではその役割も感情も大きく違うのであろう。つわりがあり、マタニティーブルーがあり、生みの苦しみがあり、生まれてからの不眠不休での介護や授乳がある。まさしく体を張っての出産と育児である。そんな経過をたどってこそ、母性本能が確固たるものになるのかも知れない。だから当然子供に対する気持ちも眼差しも父性とは違って当たり前なのだろうと思う。我が子供たちを振り返って見ても乳幼児のこんな時期はほんのわずかで、やがて自己主張を始め親離れしていくことになる。その時まで子育てを楽しくやって欲しいものである。