60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

ある友人のこと

2015年12月25日 08時28分05秒 | 日記
 毎年この時期になると電話を掛かけてくる友人がいる。彼はすでに68歳であるがまだアルバイトで2社を掛け持ちして働いている。そのためなかなか時間がとれず、いつも年末が押し詰まってから「会いませんか?」という電話がある。そこで彼と親しかった何人かを集め、池袋で忘年会をするのがここ数年の恒例になった。
 
 彼とは私が最初に入社した会社で一時期(4~5年)同じ部署に属していた。それ以来もう30年以上の付き合いである。彼は勉強家で研究熱心、仕事には真摯に取り組むが、反面わが道を行くタイプで納得がいかない事には従わず、いつも上司とぶつかっていた。そんな性格からか転職を5回ほど繰り返した。しかし同僚からすればごまかしが無く、信頼に足る相手として友人もたくさんいたように思う
 
 彼が結婚したのは39歳、相手は仕事で知り合った、まだ社会に出たばかりの14歳下の女性である。相手の親に許しを請うため彼女の家を訪ねたが、親は年齢差もあり娘をたぶらかされたとの思いもあってか、けんもほろろに追い返されたそうである。その後も何度か訪ねたが埒が明かず、業を煮やした彼女の方が、家を飛び出し彼のアパートに転がり込んだ。そして2人で相談し、急遽籍をいれ結婚式を挙げた。私はその結婚式に参列したが、お嫁さんの両親は列席せず、親族は双子の姉さんと従兄弟だけだったと聞いている。まさしくドラマにもなりそうな恋愛劇であった。
 
 やがて夫婦には女の子が産まれ、すぐに男の子が生まれた。その時期を見計らってお姉さんが仲を取り持ち、彼女の両親との行き来が始まった。やはり両親も娘が生んだ孫は可愛く、抗し難いものがあったのだろう。しかし彼女の両親に会うたびに、「この子たちが成人するまで貴方は養って行けるのか?」、と言われ続けたそうである。長女が今年の春に就職し、長男はあと1年半は金がかかる。年金をもらいながらまだ働き続ける友人、それは親としての責任もあるのだが、もう一つは相手の両親に対する意地のようなものもあるのかもしれない。

  30年前は決してパワフルでもなかった彼は、今は同年代の仲間と比べても元気があり活力があるように見える。それはやはり社会に身を置き、生活を支えなければいけないという目的があるからであろう。自分よりはるかに年下の 人に使われる立場でも、それが体力を使う仕事でも、1日5時間の睡眠しかとれない日が続いても、「しかたないだろう」という理由があればなんとかやっていけるのかもしれない。そんな毎日を送る彼と、年金でつつましく生活をしている仲間とでは、何年もすればおのずと活力に差がついてくるのは当然のように思う。

 私もあと2年半、2018年6月まで住宅ローンが残っている。無理をすれば一括返済は出来るものの、そうすれば蓄えがなくなってくる。出来れば少しでも長く、そんな思いがあるから今も働いている。我々の仲間はすでにリタイヤして悠々自適が大半である。そんな彼らからするとまだ働いている我々がうらやましいようである。「うらやましければ働けば!」といっても、「いや、もう人に使われるのは嫌だ」、「人間関係で神経を使うのは嫌だ」と言い、働く意欲を失っている。そんな仲間はどちらかと言うと転職も無く定年まで勤め上げ、ローンも早めに終え老後に備えて準備してきた仲間に多いように思う。どちらが良いか?、それは個人差はあるものの早く安心の中に入るより、長くやらねばならぬ課題を持っていた方が、老後を元気に暮らしているように思えるのだが・・・・・。







嫌悪感

2015年12月18日 08時44分32秒 | 日記
            混雑した山手線の車内で、荷物を隣に置き
            ビールを飲みながら弁当を食べているおじさん
  
 昔TV番組の「笑っていいとも」の中で、タモリが「おじさんはおじさんが嫌いである」と言っていたのが頭に残っている。「女の敵は女」と同じように、「男の敵は男」で動物的な本能からすれば、男同士はライバルであり戦う相手である。しかし相手によっては共同戦線を組み、同士になる存在でもある。散歩中の犬が吠えあうように、その動物的な本能からか、時として男は見ず知らずの男に対して敵対的な嫌悪感を持つことがあるものである。血気盛んな頃は肩が触れ合うだけで喧嘩になることもある。しかし40代50代になれば会社の中で調教され、家族も出来、そんな気力も陰を潜めて穏やかになってくる。しかし会社から外れフリーになってくると、またぞろ忘れかけた本能が復活してくるのか、世の中に対して不満が募ってくるようである。
 
                  
 
 例えば昨日の朝、山手線の車内のドアの前で座り込んでいる茶髪の若者を見た。「これで、まともな大人なのか!」、ムカッとし自分の中に暴力的な感情が立ち上がる。鶯谷駅に降り、出社にはまだ早いので途中のセブンに立ち寄り100円珈琲を買う。イートインコーナーで新聞を読みながら飲んでいると、3人のおじさんが手に手に珈琲を持って後ろのテーブルに座った。しかしその3人の話し声がうるさいのである。歳を取って耳が遠くなったのか、5~6m先にも聞こえるような大声である。それが気になり、まだ残っている珈琲を捨てて外に出た。セブンを出て会社に向かう途中、狭い歩道の上を自転車で走ってくるおじさんとぶつかりそうになる。「車の少ないこの道を、なぜわざわざ歩道を走るのか!」、自分の中でイライラが募って、にらみつけてしまう。
 
                
 
 昔ならそれほど気にならなかったことが、最近は一つ一つが引っかかってくるのである。上に挙げた嫌悪感は、周りを気にしない自分勝手な振る舞いをする相手に対する怒りである。それともう一つの嫌悪感は、男性としての本能でライバル意識からくるものがある。たぶんそれは自分とは異なる価値観を持つ同性に向けられるのかもしれない。ちょい悪親父、おれ様男、虚栄心の強い男、、きざ、がさつ、無神経、慇懃無礼、お祭り男、そんなタイプの男性に対して、特に拒否反応が強く出てくるようである。
 
 先日の昼休み、会社近くのカウンター式の喫茶店で本を読んでいた。そこに少し気取った50代の男性が入ってきて、私の隣の席に座る。その時点で私の中に少し違和感を感じたように思う。その客は珈琲を注文した後、カウンター内の女性店主と話し始める。聞くとはなしに話を聞くと、忘年会で仲間と一緒にカラオケを借り切って仮装で歌謡ショーをやることになった。自分は美川憲一のさそり座の女を歌うつもりである。その日のために色々と買い揃え、舞台衣装を作った。それがこの衣装だと言って、スマホに入れてある写真を女主人に見せている。しばらくその客の相手をしていた女主人が、突然私に話を振ってきた。
 
 女主人、「お客さんはカラオケなど行かれますか?」
 私、「いや私は音痴だからカラオケなど行ったことはありません。スナックで歌えとマイクを渡されてもほとんど拒否する方ですよ」
 女主人、「そうですか、こちらのお客さん、今度美川憲一のような衣装を着て、さそり座の女を歌われるそうですよ」
 
 嫌いなタイプの相手との会話に引き込まれ、その時点で私の嫌悪感はマックスに達していた。なぜなら私の拒否反応項目の何個かが重なっていたからである。
 
 私、「そうですか、人には変身願望があるようですね。若い女の子のコスプレも似たようなものなのですかね」、「私はああいうのを見ると気持ちが悪くって、・・・・」
 言わないでも良いのにと思いつつ、思わず口にでてしまった。
 
 さすがに隣の客もムッとしたのか、「私など音を外せといわれても出来ないですね。音痴というのも一つの才能かも知れませんねぇ~」、と女主人に向かって話す。

 それから私が席を外すまで沈黙が続いた。
 
 大人気ないと自分でも思う。しかし引っかかってしまうと、やり過ごせない自分がいるのである。歳をとると、頑固、意固地、気難しい、短気、怒りっぽい、などと言われるようになる。自分を抑える能力が弱くなり、環境に順応することが難しくなるのである。だから「歳をとると丸くなる」と言うのは嘘で、もともとあった人格特徴がより際立ってくる「人格の先鋭化」が起こってくるようである。私の状況も自然の流れなのであろうが、できれば自分を制御できる力は保っておきたいものである。

 






秋川渓谷

2015年12月11日 08時03分39秒 | 散歩(6)
 先々週奥多摩湖へ行った仲間を誘い、今度は秋川渓谷へ行くことになった。仲間2人はすでにリタイヤしている。彼ら2人は口をそろえて、最近よく言われている「老後は教育と教養が大切(今日行く所がある、今日用事があるの意)」を痛切に感じると言う。サラリーマンを長くやっていると、個人としての行動習慣が少ないから、なかなか一人での行動が難しい。だから誰かが誘ってくれれば、「今日行く所ができた」と飛びついてくる。
 
 今日はJR五日市線の武蔵五日市に9時半待ち合わせで歩き始めた。秋川は東京都と山梨県の県境の三頭沢が源流で福生市あたりで多摩川と合流する。武蔵五日市の駅から右折して檜原街道を5分も歩くと、すぐに秋川に下りる階段がある。そこから秋川の上流に向かって川沿いを歩く。水は思いのほか澄んでいて、川の淀みにはヤマメだろうか、たくさんの魚が泳いでいた。
 
 途中「黒茶屋」と「糸屋」いう古民家を使っての食事と喫茶の場所があり、コースの最後には「瀬音の湯」という温泉施設もある。晩秋の穏やかな晴天、日常から離れての命の洗濯である。
 
    
 
                JR五日市線 武蔵五日市駅
       1995年秋川市と西多摩郡五日市町が合併し、今は あきる野市
 
    
 
                        秋川
 
    

 
           

 
    

 
    

 
    
 
 
    

 
    

 
    
 
 
    
 
               黒茶屋 秋川渓谷の傍にある食事処
      庄屋屋敷を移築し、これを母屋に川魚や野菜料理や山菜などを提供、
 
    
 
             黒茶屋内には川渓谷に沿って遊歩道がある
 
    

 
    
 
                   渓谷に突き出したテラス
 
           

              こんな場所で秋川の水の流れを聞きながら、
       美味しい珈琲を飲み、日がな一日読書が出来れば極楽であろう。
 
    
                 
                    黒茶屋の別棟「糸屋茶房」
             黒茶屋は予約で満席のためここで一休み
 
    
 
                      糸屋茶房
 
    
 
                      野崎酒造
 
           
 
                 酒のブランドは「喜正」(きしょう)
 
    
 
                                  光厳寺
 
           
 
                       マンリョウ
 
           
 
                     ムラサキシキブ
 
    
 
                       普厳寺
 
    
 
                      星竹の集落
 
    
 
                     星竹の集落
 
     
 
         所々にベンチがあって、「ご自由にご利用ください」の札がある。   
 
           

 
    

 
    

 
     
 
                     牛蒡天そばで昼食        
 
              

 
    

 
    
 
                    秋川渓谷瀬音の湯
                     入浴料900円
 
    

 
    

 
    
 
 
           
               
                十里木からバスで武蔵五日市駅へ


















 
    

映画

2015年12月04日 08時20分50秒 | 映画
 
 日曜日、「リトルプリンス-星の王子様と私」という映画を観てきた。この映画を観ようと思ったのには訳がある。16年前、箱根に星の王子様ミュージアムがオープンすることになった。その企画に参画する人を介して、このミュージアムで売る星の王子様のキャラクターを使ったお土産のお菓子の依頼があった。パッケージ、中のお菓子、加工方法と相手の意向を聞きながらの企画で、何度も青山にあった企画本社に通うことになった。その時、この企画に携わるには「星の王子様」の本は読んでおかなければなるまい、そう思って本を買って読んだことがある。
 
 何十ページかの薄い絵本で、読むにはさほど時間はかからなかった。しかし読んで見てそのファンタジックさは分かるものの、作者のサン=テグジュベリが何を言わんとしたのかが、今一つぴんとこなかった。なぜ愛するバラを置いて他の星へ行くのか、なぜ自ら毒蛇に噛まれて命を失うのか?、物事を論理立て頭で考える私に、ファンタジーの世界は理解を超えていたようである。
 
 今回の映画は原本の星の王子様のストーリーと、映画に出てくる主人公の女の子の行動とをダブらせて描いてある。そんなことから、この本を読んだことが無くても、星の王子様の主題は分かるようになっている。本を読んで、各々の感じ方が違うように、星の王子様も人によって感じ方も違うのであろう。私の感性では理解が及ばなかった内容も、この映画を観ることで、少しは分かったような気になった。
    
          

      

      
 
      
 
 
 映画は出来れば映画館で、ということで年に5~6回は映画館に行くようにしている。毎週のように入れ替わる作品、その中からどの作品を観るか?歳とともにその趣向も変わってきたようである。昔はアクション、冒険、SF、戦争、ミステリーなど、気晴らしに観るエンターテイメント性の強い映画を観ていたように思う。しかし最近は、映画を味わいたいという気持ちが強くなった。少し文学的な作品、映画の舞台になる美しい風景、見終わった後少し考えさせられる作品、ほのぼのとして後味が良いもの、そんな作品を観たいと思うようになったのである。これも歳の所為なのであろうか。下の映画はこの1年で観た作品である。
 
         
 
                ヨーロッパ最東端の国ポルトガルが舞台
             いかにもヨーロッパ的な雰囲気が味わえる。
 
        
    
            舞台は能登半島の先端石川県珠洲市
           海のそばにある珈琲を焙煎する店がユニーク
  
 
        
 
       舞台は鎌倉、散歩で歩いて見知った風景がたくさん出てくる
 
 
        
 
     カンヌ国際映画祭 ある視点部門(監督賞)受賞作品とあるように
      成仏できない夫との旅、日本的な死者に対する考え方が新鮮

 
        
 
          釧路を舞台に、北海道の殺伐とした風景と
             ストーリーがマッチした文学的な作品