60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

腰痛

2008年11月28日 10時55分59秒 | Weblog
親会社にいるMさんが腰痛で休んでいる。
先々週の金曜日、椅子から立ち上がったはずみに、腰に激痛が走って動けなくなったという。
一週間休んで一旦会社に出社したが、仕事には耐えられず早退した。もう今日で2週間になる。
彼は昔、野球をやっていてフェンスに激突した。それか原因か腰に違和感を持つようになったという。
社会人になって1度だけ腰痛で休んだことがあるが、それ以来特に問題はなかったようだ。
今回こんな状況になったのは20年ぶりで、何が原因かも思い当らず、何の予兆もなかったという。
地元の病院へ行ったが「椎間板ヘルニア」ということで、「安静にして置くしかない」と言われたようだ。

Mさんの状況から以前NHKのTV番組でやった「病の起源 腰痛」というのを思い出した。
今8割もの人が一生に一度は患うと言われる腰痛、何が原因なのか?そんな番組であった。
古代シリアの遺跡から出土する変形した腰骨は昔から腰痛に苦しんでいたことを示している。
腰痛は、人間が二足歩行を始めたための宿命なのか?構造的欠陥なのではないか?
しかしアフリカで今なお狩猟採集の生活を送っているハザ族には腰痛は見つからないという。
そんなことから腰痛は、人間が農耕を始めて以降、急速に増えたと考えられている。
原因として考えられているのは、10代のときから始まる椎間板の劣化であるらしい。
椎間板は、歩くことなどによって適度の圧力が加わるぶんには、劣化が進みにくいが、
過度の圧力が加われば、劣化は進んでしまう。劣化が進めば、椎間板の周辺部にまで
損傷が広がり、様々なタイプの腰痛を生んでしまう。
だから人間が腰に弱点を抱えていることはある意味仕方のないことだという。

今、骨にも椎間板にも異常が見られないにもかかわらず激しい腰の痛みを訴えるケース
が問題になっている。患者は、原因が分からないまま様々な治療を放浪することになる。
最近、その現代の腰痛を引き起こす意外な原因が明らかになってきたそうだ。
それは痛みは腰ではなく脳の中で作られて、その大きな原因はストレスと考えられている。
ストレスがどのようなメカニズムで人の弱点の腰を襲うのか、今その解明がなされつつある。

専門医の話では原因がわかっている腰痛は全体の20%で、残り80%は不明であるという。
そして検証を進めるうちに、ストレスが、その要因として大きくクローズアップされてきた。
(福島医大の調査では腰痛患者の3割に心の問題があるという)
まず精神的ストレスがかかることで椎骨周囲の起立筋(等の筋肉)は緊張状態を起こす。
その緊張は起立筋に均等ではなく一方だけに負荷がかかった場合、体のバランスを壊す。
そのアンバランスが骨格を引っ張り、骨格にゆがみを生じさせる。
そしてそのゆがみの支点に強い緊張を生み、ピークを越えると「一部骨格のズレ」を生じて
「ヘルニア」などの障害を発生させやすくする。
筋肉的に強い緊張が出ている箇所は「痛み(筋肉痛や凝り」として発現するのだと考えられる。
ストレスに晒されている現代人にとっては避けては通れないものだといわれている。
腰痛に限らず筋肉は腰だけでなく肩にも首にも足にも身体全体を包んでいるから、肩こり・
首のコリ、手足の諸症状がストレスが原因でもおかしくない。
番組では、これらの腰痛を心療内科医とのコラボによって、心の有り様を変え緊張を軽減し、
結果的に腰痛などの障害を取り除く試みがなされていると結んでいた。

今回のMさんの病欠、特に腰に負担がかかる仕事ではないため、多分にストレスが原因と思われる。
彼は中途入社の2年目、今会社の中でデリバリーの仕事をしている。46歳である。
会社は印刷関係の仕事が主なためデリバリーは業務の要でもある。1日何十アイテムをそれぞれの
フィルムの構成に合わせて原紙の手配から、印刷、ラミネート、製袋のスケジュールの組み立てまで、
ユーザーの希望納期に合わせて工程を組み、納期管理をしていく。短納期の商品が押し込まれたり、
予定納期からの急な変更があれば組み立てた工程を全て変更していかなければならない。
お客さんの希望通りに納めて当たり前、遅れればMさんの仕事の要領の悪さを指摘される。
自分たちの都合を言い張る得意先、無責任な営業、無理解な経営者、その中での業務の遂行は
やりきれない理不尽さと、頑張っても評価のない虚しさの中で仕事をしなけらばいけない部署である。

彼はもともとはお菓子メーカーの工場に勤務していたが、上司と喧嘩して辞め、今の会社に来た。
路頭に迷った時の不安や絶望感から「もう転職は絶対嫌だ!」という気持ちが強く働いたという。
そのためか今の職場ではどんな理不尽なことにも、じっと我慢し耐え忍んでいるように見える。
この会社では戦わず従順な態度が見てとれると、皆な仕事を押しつけて来るのが社風のようである。
オーナー自身が自社の環境を例えて「うちの会社はサファリーパークのように放し飼いだから」と言う。
統率されず管理されない野放図な職場の中ではどうしても強い(声のでかい)ものが優位に立つ。
今回のMさんの病欠は多分にこのような環境の中でストレスを溜め、臨界に達したのかもしれない。

この過密で激変する現代社会を生きて行く上で「ストレス」は避けては通れない。
加えて過度のストレスの掛かる職種で働かなければいけなくなったとき、当人としてどうするか?
じっと耐えて我慢しているだけでは早晩破たんをきたし、自分が壊れていくことは目に見えている。
それをどうかわし、どうこなし、改善していくのか、現代に生きていく上で最大の課題かもしれない。
Mさんを見ていると、誰かがそれを取り除いてくれることを期待しつつ、じっと耐えているように思う。
現状を会社(オーナー)に訴え、自らも周りの環境や仕事の改善を行っていく勇気が必要なのだろう。
Mさんの仕事は会社の要である。今回の病欠を会社も本人も真剣に受けとめ改善しない限り、
また一人、サファリーパークの中で犠牲者を作ることになるだろう。

60歳

2008年11月25日 09時18分19秒 | Weblog
久しぶりに昔の同僚に逢った。
彼は再来年の1月で60歳になるという。定年まであと1年2ヶ月の秒読みに入った。
その後どうするか?それが今の彼の最大のテーマである。
定年後ははよほどのことがない限り、嘱託として今の職場に留まることはできるそうだ。
しかし年収は大幅ダウン、役職もなくなり、一介の嘱託社員として同じ事務所で働かざるを得ない。
今までの部下とは立場が逆転して使われる身になる。上意下達のサラリーマン社会では
その環境の中で働くことでのストレスは容易なことではないようである。
今まで嘱託で務めた定年退職者の大半は2年も持たず、1年程度で辞めているという。
定年したと同時にラインから外れ、誰からも相手にされず邪魔な存在になり下がる。
歳を取っただけ実務力は衰え、何もできないまま事務所の片隅で不遇をかこつことになる。
そんな境遇に耐えられるか?まずそれが第一の関門である。

第二の関門は嘱託を2年間勤めたとして、その後完全に職を失ってからどうするかである。
年金生活では使えるお金も少なくなる。掃いても掃いても道路から剥がれない濡れ落ち葉のように、
何もやることがなく、家にしがみついているのは夫婦ともども悲劇である。
第三の人生、興味がもてる何らかの仕事、趣味、社会参加など見つけられるかどうかが課題になる。
今、彼はそんなことを意識して、生田緑地の日本民家園で月2回のボランティアをしているようだ。
20棟近くある古民家の維持管理や説明員というボランティアである。
同じボランティア同士で話せる仲間もでき、結構楽しく働けるようだ。これは一つの核になる。
しかしこの民家園でのボランティアも狭き門で、競争も激しく月2回しか参加できないようである。
稼ぎは二の次にして、何か継続していける仕事や活動を見つけたい。それが第二の関門である。

今は嘱託に転じた時に「いじめ」に合わないように、「良い上司」「親しみの持てる上司」を演じている。
退職後のネットワークの維持のために、同窓会など積極的に参加し、人にも極力逢うようにしている。
万歩計を身に着けてメタボな体型から脱出するため1日2万歩を目標に歩くように心がけている。
すこしでも趣味を広げるために、家の前の土手に草木を植えて毎日観察しながら楽しんでいる。
しだいに殺伐としてくる家族とのコミュニケーションの慰めにと、子猫をもらってきて飼い始めた。
家のローンが気に掛かり、家に引きこもる娘の事が気に掛かり、残された田舎のお墓が気にかかる。
今まで進学から就職、結婚、子育て、仕事と、ただただ無我夢中で突き進んできた日々。
60歳という一つの区切りに差し掛かってくると、全てのことを意識しなければならなくなってくる。
一つ一つの課題に期限がついて立ちはだかってくる。そんな感じがするものである。

彼が言う。
休みに一人散歩している時、思わず「わーっ!」とか「やーっ!」とか奇声を発する自分がいるという。
人前では自嘲するが、どうしても抑えられない衝動で、これがストレスのバロメーターになっている。
どうしても晴れない鬱屈した気持ちが自分を捕えて離さない。60歳とはこんなこんな時期なのだろう。

百年に一度の金融危機

2008年11月21日 08時38分17秒 | Weblog
狙った株が前日2500円代から今日は2450円、2420円と落ち始める。
早速2380円で買いを入れる。(ここまでは落ちるだろう)
しかしそこまでは落ちず結局その日は2420円で終わる。
また今日は2500円代に戻し上昇しはじめる。(やはり昨日が底だったのだろうか)
2580円で買いを入れる。やっと買えた。(とりあえず買っておかないと勝負にならない)
その日は2600円まで行って、また下がり、2530円で終わる。(明日は上がるだろう)
翌日は2400円代から値動きが始まり、一気に落ちて行って2380円まで下がる。
(ああ、あっ、昨日の買いは何だったんだろう)
翌日また値を下げる。(ここで安く買って平均単価を抑えよう)
2300円で指値する。結局2310円まで落ちたが、結局変えなかった。
また翌日、2300円後半を上下する。2380円で指値する。すぐに買えた。
しかしその日はまた下がって2300円近くで終わった。
また今日は前日のニューヨークの落ち込みに引き吊られ2200円台に落ちていく。
毎日がこんな感じである。この株価どこまで落ちていくのだろう。
なにか泥沼に入り込んでしまった感がある。

日によって株価は乱高下し、週によって乱高下していく。
企業の中間発表や業績の修正記事で株価は変動し、新聞の景気観で株価は変わる。
アメリカ企業の動向により株価は動き、前日のニューヨーク市況に大きく左右される。
日本の変動がアジアに伝わりヨーロッパに伝播しアメリカに届く、翌日日本がその影響を受ける。
地球がぐるぐると回るように、際限なく伝播し合い影響し合い株価の波形は上下しながら進んでいく。
インターネットの普及で、情報もお金も産業もあらゆるものが国境を越えて移動するようになった。
ネット証券で売買を始めると、まさしくグローバル化の波に巻き込まれたことを実感するようになる。
今は100年に一度の金融危機と言い、100年に1度あるかどうかの津波の到来という。
「ピンチはチャンス」「ここは千載一遇のチャンス」そう思って老骨に鞭打って果敢に打って出た。
今は大波に翻弄されどこに流れ着くのか皆目分からなくなった。

今生活している上では報道で言われているほど、不況の実感はないし危機感もない。
それは日本がもろに津波の波をかぶることがなかったからだろうか、
それとも自分が今いる位置があまり波が届かない高台にいるからだろうか、
グローバル化した自動車産業やIT産業、輸出依存の中小企業が大波を受けているのだろう。
その余波が全産業に浸透していき、いずれじわじわと土台を腐らせていく。
何処までその被害が食い込み、それが回復していくのにどのぐらいの時間がかかるのか、
アメリカの大統領にオバマが就任した時から反転するのか?それでも底を打たないのか、
そういう読み合いの勝負なのだろう。ふと、思うことがある。自分は誰と勝負しているのか?
全世界が関わりあう魑魅魍魎とした市場、すべての慾が集まり、誰もがコントロール不能な世界、
人が作り上げてきたこの仕組みはSF映画によくある電子頭脳が征服する図に似ている。

昨日(図参照)はまた大きく値を下げた。含み損(投資金額-現株価での評価)は70万円を越す。
もう自己資金の半分以上は投資してしまった。底を打つ日まで、自分の意欲は続くのだろうか、
だんだん自分の中で愚痴が多くなり、憂鬱で沈んだ気分になる。
昨日のニューヨークの株式市況は445ドル下げて7552ドルと7000ドル代に突入した。
東京の相場はこれに引き吊られて今日も又値を下げていくだろう。またまた評価損が大きくなる。
「ここで、めげてはいけない。今日は少し買い増しておこう」意を決してネット証券のサイトを開く。
勝負事は結局は自分との戦いなのかもしれないと思う。

池口史子展

2008年11月18日 08時42分07秒 | 美術
11月12日の日経新聞の文化欄に池口史子(ちかこ)展のコラムがあった。
そこに「終秋」と「東の海」の2点の小さな絵がカラーで紹介されている。
両方の作品とも無機的なタッチで描かれていてどこか憂いを秘めていてるように感じる。
『この作品、是非見てみたい』私の中で絵画に対して初めて感じた強い衝動である。
今まで散歩の途中に美術館があればなるべく立ち寄り、努めて多くの作品に触れようと思った。
見ていて、上手く描けているなぁ、迫力があるなぁ、綺麗だなぁ、この絵にはこんな思いがあるのか、
この作品は何を言いたいのだろう?この作品は見る人皆は理解しているのだろうか?
どちらかと言えば少し離れたところから、評論家的に客観視して見ていたように思う。
そんな私が小さな写真の絵を見て、『見たい』と思ったのである。
自分の感性に合う絵、大げさに言えば絵に対して人生で初めて感じた感情なのかもしれない。

思い立ったら即実行。16日に早速渋谷の松濤美術館に見に行くことにした。
この松濤美術館は区立でこぢんまりして落ち着いた雰囲気の美術館である。
地下1階と2階のツーフロアの展示で、油彩作品75点と挿絵25点の作品が展示してある。
最初に彼女の初期の作品が数点展示されている。
その作品は絵の具を分厚くぬりたくったようで、暗い画面の中に主題の輪郭さえはっきりしない。
20代の若い女性の沸々とした内面のマグマをぶつけたような作品である。
それが半世紀近くを経て、書きあげた作品は比べようもなく劇的に変化している。
この作品は同一人物が書いたのだろうかと、あっけにとられる感じである。
画家のスタイルが決まる、画風が定まるとは、こういうことを言うのだろうか。
私の感性にフィットした作品は1990年以降にアメリカやカナダの取材で描かれた作品である。
北アメリカの広漠とした大地に広がる光景、寂寥(せきりょう)とした異国の町並みや風景である。

自分が感じたことをどういう風に語ればいいか、どういう風に表現したらいいのかなかなか難しい。
作品の中に鉄道をとらえたものが多い、線路の彼方にあるであろう人々の営みや街へのあこがれ。
そして郷愁、静寂、荒涼とした風景はどこかロマンチックでどこかに物憂いものを秘めている。
長大ななぎさの風景、倉庫群と鉄路、辺境の閑散とした町並み、ホテルからみた異国の町並み、
自分には全くなじみのない外国の風景であるが、その絵の中から感じるのは
寂寥、端正、憧憬、辺鄙、孤独、抒情的、軽快、澄明(ちょうめい)などであろうか、
見ている側に昔を懐かしみ、ほろりとした詩情を感じさせてくれるのである。

彼女の年譜を改めて見てみた。
1943年(昭和18年)満州で生まれる。父は満州鉄道に勤務とあった。
私より一つ年上、しかも私と同じで、父親は鉄道員であった。
だから鉄道の絵が多いのに納得がいく。そんなことが、いっそう親近感を感じてしまう。
年譜の途中に池口小太郎(ペンネーム堺屋太一)と結婚とあった。
そうすると、貧乏画家ではなく、恵まれた環境の中で絵を描いてこられたのかもしれない。
そんな彼女が、1988年カナダのアルバータ州の大穀物地帯の小麦貯蔵庫を取材に行った折、
バスで移動して疲れて眠っていて、目が覚めたとき出会った風景を描いた絵が世に認められた。
「それはまるで一目惚れのように、今これが私の表現してみたい風景だった」と彼女は語っている。
たぶんこの時にこの画家の中の描くべきものが定まったのであろう。
そして私がその絵を見て、その作者の感動にシンクロしたのかもしれない。
絵を見るということは作品から発する旋律に、見る側が共鳴できるかどうかなのであろう。
この歳になって初めての経験である。


源氏物語

2008年11月14日 09時05分18秒 | 読書
源氏物語の存在が記録上確認されてから千年を迎えるという。
作者・紫式部の日記の1008年11月1日の項で源氏物語の記述があることから、
11月1日を源氏物語千年紀委員会が「古典の日」と宣言したというニュースもあった。
そんなことから源氏物語54帖という世界最古の長編小説は今また脚光を浴びている。

源氏物語の特徴は「もののあはれ」。ギスギスした現代社会で、静かに寄り添い、
共感する「もののあはれ」の考え方が今また見直されているようである。
千年後の今の世にも読まれ続ける生命力に圧倒される魅力、複雑で壮大な物語の中に、
詩的な自然描写と人間の心が一体に描かれているという。
物語に合わせて登場人物が行動するのではなく、一人ひとりの登場人物の内側から
物語を描くような構成は現代にも通じるところがある本物のリアリズムだという。

私が源氏物語という存在を知ったのは中学校の社会科の教科書からだったろうか、
そして高校の古文で多少お目にかかったように思うが、その後全く触れることもなく今日まで来た。
千年前の日本の一女性が書いた物語、それを歴史に登場する多くの人物が読み継ぎ伝えてきた。
そんなニュースを見て「自分はそんな名作を読んでないが、それでいいの?」と自問自答が起こる。
「思い立ったら即実行」は今の自分のモットーにしている。早速池袋のジュンク堂へ行ってみた。
さすがに機を捕えてのプロモーション、書店のコーナーに源氏物語関係の本が山積みなっている。
いろんな訳の本が並んでいたが、やはり女性の書いた物語だから女性の訳が良いだろうと思う。
結局瀬戸内寂聴訳の源氏物語文庫本全10巻に挑戦することにし、とりあえず1・2巻を買った。
さあ、読み切れるだろうか、買った後少し不安になる。

桐壷の巻きから話は始まる。
帝(みかど)の後宮に務める更衣の一女性桐壷(源氏の母)に対する異常なまでの寵愛ぶり、
そして桐壷が源氏を生んでから亡くなった時の見るも無残な落胆ぶり、
政務をつかさどる帝がこんな軟弱なことでいいのだろうか、読みながらそんな風に感じてしまう。
そして話は帚木の巻きへと進む。源氏も17歳になり普段はとりすまして女性に興味がない素振りを
しているが、しだいに周りに影響され始める。ある夜、プレーボーイとして名高い公達3人との
女性談義の時に話題になった空蝉(うつせみ)への興味を示し始める。
一向になびかない空蝉、そんなことから源氏の女性遍歴が始まって行くのであろう。

大まかなストーリーは解っていても、読みはじめて行くとすっきりとそのストーリーに入っていけない。
千年前と今との習慣や文化の違い。恋愛というテーマに興味が無いためか退屈なストーリー展開。
文章の流れや表現が現代語訳によっても、なお残ってくる違和感。
例えば 「長押しの下の廂(ひさし)の間に寝ている女房たちが、・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・。
源氏が襖の掛け金をためしに引き上げてごらんになると、向こ側からは錠がかかっていませんでした。
そっと入って行くと、几帳を襖口に立ててあって・・・・・・。唐櫃のようなものをいくつか置いてあって、
乱雑に散らかっています。その中を分け入って女の気配がするあたり・・・・・・」など、
家の構造がどうなっていて、どんな場所でどんな夜具を使って寝ているのかまったくイメージできない。

若いころ読んだ外国の翻訳小説のようなもどかしさを感じる。外国の習慣や文化の違いと、訳という
ワンクッションが入ることでの違和感、そんなものが小説の面白さを半減してしまうことに似ている。
それが映画という画像で見ればどんなものであっても、臨場感を持って感じることができる。
源氏物語も文章から入るより、映像から入った方が自分には理解しやすいのではないだろうか。
そんなことを思うと、よりもどかしさを感じて、次第に本を読む頻度が落ちてくる。
やはり自分には無理なのだろうか、少し落胆してしまう。もうすこし読み進んでみて結論をだそう。

立つ鳥跡を濁さず

2008年11月11日 08時06分16秒 | Weblog
今、居候している親会社(資本関係はない)の朝礼には毎日出るようにしている。
その朝礼の席で、これからは「社員個々の目標」について発表するように、と社長が注文をつけた。
オーナー会社で、オーナー自身が「会社をこうしたい」という目標を社員に明示してないのだから、
個々の社員が仕事に対して目標は持ちづらく、ただ成行き任せで日々勤めているのが現状である。
発表する社員も当面の業務内容について喋るだけで、「目標」ということにはなっていないように思う。
昨日月曜日の朝礼は私の当番であった。
前日から何を喋るか考えていたが、やはり社長の主題に合わせ「自分の目標」を喋ることにした。

今、私は64歳である。個人会社をやっているから、皆さんのように定年ということはない。
しかし何時かは辞めざるを得ないし、自分で自分の線引きをする必要がある。
1年半前、父が亡くなる1週間前に病院に見舞った時、父が私に言った。
「お前も会社という形態を取っているのなら、そろそろ手仕舞いを考えておかないといけないぞ」
この言葉が父が私に喋った最後の言葉になった。
その後その言葉は常に私の脳裏にあり「綺麗に終わる」これが私の目標になっている。

次女が卒業するまであと1年半、そこまでは何とか現状を維持し収入を得る必要がある。
そしてその後に会社を整理する。線を引くとすれば2年~3年後にしたいと思っている。
その時最も気を使わなければいけないことは私という個人を信用して売り続けてくれた仕入先だろう。
この人たちやその会社に対して絶対に迷惑がかかってはならないことだろうと思う。
買掛金の支払い、在庫等の処分、そのためにはある程度のお金は必要になってくる。
立つ鳥跡を濁さず、今からはそのために取引のあり方や資金の準備をしておかなければいけない。

さあどうする。毎月ぎりぎりの運営で、会社にも個人にもゆとりはない。
やはりここから2~3年かけて資金作りをして行くしかないだろう。
今、サブプライムローンを発端にした世界同時株安に歯止めがかからない状況が続いている。
千載一遇のチャンス、その解散引当金になるお金を株の運用で作ろう。
わずかな手元資金で株を買うことにした。
先日やっと口座開設が終わってネット証券での取引が可能になり、先週から株を買いはじめた。
しかしその日安く買ったつもりでもまた翌日は値を下げてくる。やはり異常な相場なのであろう。
こんなに乱高下する今は素人は手を出してはいけない時かもしれない。
しかし儲けにはリスクはつきもの、まあ、いずれあがるだろう。
毎日の相場に一喜一憂せず2~3年のレンジで考えよう。今はなるべくそう思うように努めている。

妄想と空想

2008年11月07日 08時17分13秒 | Weblog
浪人中のOさんに新宿で逢った。会社を辞めてもう4ヶ月を経過している。
Oさんは歳老いた父親に言われ、しぶしぶ職安に雇用保険受給の手続きで行ったそうである。
しかし全く求職活動をしていないため、係では受け付けてもらえなかったようだ。当然であろう。
失業の認定の項目に「失業とは、離職した人が就職しようとする意思と、いつでも就職できる
能力があるにもかかわらず職業に就けず、積極的に求職活動を行っている状態」と書いてある。
何もせずにブラブラするだけでは失業とは言えない、とも書いてあった。
彼の場合は失業ではなく、労働放棄という状況なのだろう。

彼曰く、今自分には全く意欲というものがないという。
何の欲望も願望も積極性も向上心もそして根性も何もない、ただ漫然と生きているだけだという。
親以外で外部の人との接触は毎日通う整体師と土曜日のパソコン教室の先生だけ、
先日その整体で毎日顔を会わせていた整体師の人が別の療養施設に移ったそうである。
もうそれだけでオロオロしてしまい、どうしようもなく不安な気持ちになってしまったそうである。
外部との接触がどんどん閉ざせれて行くようで、そんな閉塞的な状況を感じて恐怖になるようだ。
「だったら、出ていけば良いのでは?」と思うが、それができないのが今の彼の状況なのだろう。
この歳になって、「引きこもり」という状態というのもあるのだろうかと思う。

ネットで引きこもりについて検索してみた。
「引きこもり」は人と社会との関係をめぐる問題で、社会に出ることができずに接触を断ってしまう。
人とうまく関係性を築くことがむずかしく、わずらわしさやその恐怖感から閉じこもってしまう。
人間関係のわずらわしさや難しさは、誰もが感じることだが、しかし彼の場合は営業という場で、
それなりに人間関係をこなしてきたはず、ここまで彼をおいつめてしまうものはなんだろうと思う。
ネットにあった原因の中で彼に該当するものはないだろうかと探してみた。

● 現代会に圧倒され、人生に絶望して身動きがとれない状態。
● 自分が目にしたくない現実、不快な人達、場所、集団を見ないで済ませる為に、閉じ篭る 。
● 建前と本音を合理化して、社会から期待されるべき役割を見いだすことへの困難を持つ場合。
● 自分のやりたい事を漠然と思っているものの、行動に移せずただ考えている状態だけが続く 。

こういう状況から「引きこもり」が起こるとすると、
Oさんは社会から期待される役割を見いだすことが難しい状態にあり、特にやりたい事も見当たらず、
離職での自信喪失から再就職という具体的な行動に出られないまま、ただ漫然としているのだろう。

「今、家で何をしているの?」と聞いてみた。
両親の食事を作るのにそんなに時間は要しない、近所に整体へ行くのは1時間もあればいい。
「そうですね1日の半分は何か考えているようですね。考えているというか妄想状態ですね」という。
夜寝られなくって、2時、3時、と経過し朝7時になってしまう。その間ずーっと妄想状態にあるという。
「妄想って何を見ているの?」
「そうですね、いろんなパターンがあるんです。野球編、サラリーマン編、恋愛編、恐竜発掘編・・・・と
数え切れないほどのパターンがあるんですよ。そして妄想の中では自分が主人公として活躍する」
たとえば野球であればエースであったり、バッターであれば4番バッター、自分の活躍によりチームは
勝利し、どんな大会でも試合を勝ち抜いていく。その妄想の世界では何時も自分がヒーローである。

彼が言っている「妄想」は空想ではないだろうか、私が子供のころ見ていた空想とは違うのだろうか?
辞書で空想と妄想を調べて見る。
空想:現実にはありそうにもないことをあれこれ頭の中で想像すること。
妄想:根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。 と書いてあった。
彼が言う妄想はそれがまだ現実ではないことを知っているから、妄想でなく空想なのだろう。
やがて空想することが現実になり信念になった時、それは「妄想」に変わっていくのだと思う。

子供のころは誰でも、空想の世界の中で自分を活躍させていたように思う。
布団に入って眠りにつくまでの間、いろんな楽しいことや自分の可能性などを自由に空想をしていた。
たぶんその空想には何パターンかがあって、今日はこういう夢を、今日はこういう夢を、と出来るだけ
楽しいストーリーを考えて空想していたように思う。そして空想しつつ何時の間にか眠りに入っいった。
しかし歳を経て現実世界を長く生きてくると、もうこの種の空想はほとんどなくなったような気がする。
Oさんはこういう空想癖は昔から続いていたという。それが離職してから特に多くなってきたそうだ。
そのことはOさんが今の環境を受け入れたくないために、現実逃避しているようにも思えてくる。
こういう状態がひどくなり、長く続くようであれば一度病院で相談してみることを勧めてみようと思う。