60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

大人の粉ミルク

2017年10月27日 09時02分04秒 | 日記

 先日通勤時にラジオを聴いていたら、「大人の粉ミルク」が注目を集めているというニュースをしていた。3年半前、救心製薬が「大人の粉ミルク」として発売したのが最初。その後、森永乳業が「ミルク生活」を発売、さらに雪印が「プラチナミルク」として今年6月に発売と、続々とこの分野に参入しているそうである。もともと粉ミルクは、これだけで乳幼児が育つわけだから、栄養バランスについては問題ない。そこに大人に不足がちな栄養成分を強化したり、反対に脂質や栄養過多にならないようにバランスを考えて各社は作っているようである。

 このニュースを聞いたとき、これを最初に考えた救心製薬の開発者は、「良いところに目を付けたなぁ!」と感心した。粉ミルクは乳幼児専用との固定概念を外し、大人用に栄養調整したら売れるだろうという、その発想がユニークだと思ったのである。救心製薬は粉ミルクなど扱っていなかったし、しかもこの業界には大手乳業メーカー(明治、森永、雪印等)がしのぎを削っている。そのメーカーを差し置いての開発には苦労もあったろうし、開発への意気込みは大したものだと思うのである。
 
 高齢になって牛乳を毎日の週間として飲む人は多い。しかし飲むとお腹がゴロゴロするとか、アレルギーの人とか、味があまり好きではないとか、と言うことから週間になっていない人も多いようである。私もその一人である。特に嫌いなわけではないし、飲んだ方が良いのも分っている。しかし朝食を抜くから牛乳を飲む機会が少ないこと、冷蔵庫で冷えた牛乳をそのまま飲む気がしないこと、温めて飲むのも面倒だし、温めた牛乳の味はあまり好きではない(常温が一番飲みやすい)、そんなことが理由なのかもしれない。
 
 私のこどもの頃、母親は子ども達の栄養を考えて、脱脂粉乳を飲ませていた。しかし脱脂粉乳は溶け辛く、味も不味くて飲むのが嫌だった記憶だある。そのうち父の収入も上がったのか、明治の缶入りの粉ミルクを飲ませてくれるようになった。これは飲みやすく中学生頃までは飲んでいたように思う。そんなことから、粉ミルクを懐かしく思い、この商品を買ってみようと思い薬局に行ってみた。「さてどこの売り場にあるのか?」と、ベビー用粉ミルクの売り場付近を探しても見当たらない。探しあぐねて店の人に聞いて見ると、「TVで紹介されたのか、今、大人の粉ミルク系の商品は全て売り切れで、製造がまに合わず、しかもいつ入荷するかは未定な状態」、とのことであった。
 
           
 
 もう一つ、無印良品が9月から販売を始めた「ぽち菓子」が売れていると言う。全50種類、大小2種類のサイズの展開で、税込み100円と120円というリーズナブルな価格帯のお菓子のシリーズである。こんぺいとう、フルーツスティックキャンディー、きなこ玉、しょうゆ豆菓子、いかソーメン、フルーツミックスキャンディ、3色マシュマロ、ゼリービーンズ、ごま玉、梅キャンディ、麦チョコ等々、大手メーカー品と違い無印が得意とする昔菓子の類である。同じ商品類は今までにもあった。今回はサイズを小さくして小容量にし価格帯を揃えている。
 
       
 
 スーパーの菓子コーナーにも100円均一のお菓子はあるが、どちらかといえば徳用感を売りにしたシリーズである。ではなぜ今この商品が売れるのだろうか?ある友人が解説してくれた。スーパーは家族のための買い物が中心、それに対して無印は30~50代の働く女性の個人消費が中心である。お菓子は女性には嗜好品としては不可欠なアイテム、ケーキなどの高級スイーツを食べることは自分へのご褒美として許容できる。それに対して市販のお菓子類は量を食べる(=太る)ことに抵抗感がある。そこに量を抑えて100円120円と手ごろに買えるお菓子があれば、購買へのハードルが下がり、ついつい買ってしまうのではないか?というのである。女性の心理はよくは分らないが、意外と当たっているようにも思えるのである。
 
 「大人の粉ミルク」にしても無印の「ぽち菓子」にしても、売れるには売れる理由がある。世の中、物が溢れて、欲しいと思うものが少なくなっているのも確かである。そんな中での商品開発は、消費者自身が気づかないニーズを見つけ、そこにどうスポットを当てていくかという、なかなか難しい競走になってきたように思う。
 
 
 
 

マインドフル・ウオーキング(歩行瞑想)

2017年10月20日 08時29分00秒 | 読書
 マインドフルネス(瞑想)を通勤電車の中で始めてから、やがて半年が経過する。自分の中の何が変化したのか、自分自身ではわかりにくいものである。今でも「本当にこのやり方で正しいのだろうか?」そんな疑問を持ちながらやっている。そんなことから、もう少しマインドフルネス(瞑想)を補強しようと思い、「悩みの9割は歩けば消える」というタイトルの歩行瞑想(マインドフル・ウオーキング)の本を読んで見ることにした。読んでみると、こちらの方が瞑想のステップを踏みやすいように思う。本には、マインドフルネスは心の筋トレと言われ、集中力、判断力、創造性、ストレス耐性、客観視、などがアップすると書いてある。なぜそのような効果があるのか、その仕組みについてある程度は理解できたように思う。
 
  著者は慶応大学医学部出身の精神科医、精神科医として病院に従事していたが、ある時点から医療を離れ、鎌倉にある建長寺で3年半ほど禅の修行を行い、横浜にある臨済宗の住職になった。現在は寺務のかたわらクリニックで精神科の診療をおこなっているという異色の経歴の持ち主である。眼を閉じ、何も考えず、呼吸に意識を向ける瞑想法はなかなか入り辛い。そこで、著者は歩く歩調にあわせ呼吸をし、この呼吸に意識を向ける「マインドフル・ウォーキング」を推奨している。また著者が住職でもあることから、座禅と共通する仏教の考え方「無分別智」から解説しているところがある。そんな部分を一部抜き出してみた。
 
                  歩く瞑想 基本編
 
  
 
                  歩く瞑想 応用編
 
  
 
                    つり革瞑想
 
  
 
《「白黒をはっきりつけない」生き方で楽になる》
 
 歩行瞑想(マインドフル・ウオーキング)をやっていくとメンタルブロックが外れて、物事を俯瞰できるようになっていきます。簡単に言うと、自由に生きられるようになる、ということです。歩いているうちに、いつしか「こうあるべき」という縛りからも、抜け出せるからです。私たち社会人は通常、「分別があること」が良いとされる世界を生きています。良い悪いの分別や、美しい・醜いの分別ができることが成熟した人間の証だと言われます。しかし仏教は、「あの人は良い人でこの人は悪い人」といった分別をやめることを説いています。これを「無分別智」と言います。
 
 「あの人は悪い人」とレッテルを貼った時点で、その人が持っているかもしれない良い部分はすべてマスクされ、二度とその人のすばらしさに気付くことはできなくなってしまいます。分別を捨てることで、「~しなければならない」「~あるべきだ」といった「べき思考」から開放され、物事をありのままに見ることができるのです。
 
 今、多くの人が「善か悪か、白か黒か」といった「ゼロ100思考」に囚われて、苦しんでいます。これは分別がつきすぎている状態だと言えます。こういう白黒をはっきりつける思想は西洋に由来するするものですが、行き過ぎると人間は逃げ場を失い、メンタルブロックが強化されていく一方です。世間が認める価値観を大事にするあまり、自分の人生がを生きられなくなるのも、こうしたケースです。現実にはゼロか100かではなく、23とか71とか、その間で暮らすのがふつうです。人間関係だって、ゼロか100かで割り切れるものではありません。「あの人の、ここは好きだけど、あそこは好きになれない。でも仲良くつき合っている」といった白黒はっきりつけない生き方のほうが、自然ではないでしょうか。
 
 また無分別は人間の創造力を高めてくれます。人間の深層心理には、無数のアイディアが渦巻いているのですが、それが意識にのぼらないよう、ふだんは分別によって「これはいい、これは悪い」と検閲され取捨選択されています。この検閲が少しでもゆるめられたら、どうなるでしょう。これまでは思いつかなかった新しいアイディアが、湧いて出てくるかもしれません。
 
 無分別はまた、人間関係を円滑にするものでもあります。ここでのポイントは「寛容さ」です。というのは、無分別の考え方は、自分と他人の境界を曖昧にするものだからです。つまり、「私とあなた」の境が消えてしまう。すると自分と他人を比較することもなくなります。
 
 悩みを抱える人の多くは、「失敗してはいけない。優れた人間でいなければならない」と思い込んでいます。でも、無分別であれば、「みんなができないことを、私ができなくてもしょうがないな」と気楽に考えることができます。逆に、他人の失敗が我慢ならない、という人もいるでしょう。そういう人も「自分にも失敗はよくあるし、あの人ができなくてもしょうがないな」と思えるようになるものです。自分も他人も同じ人間。完ぺきを求めても仕方がない。そんな寛容さがあれば、人間関係もきっと円滑になるのです。
 
《子どもの頃の自分に戻れる》
 
 「他人や、とっさの状況に流されず、自信を持って自分でやりたいと思うことをやろう!」なんて言われると、「それってどんな気分なんだろう」と思いませんか? 大人になって分別がつくと、イメージするのが難しくなっていくようです。あえて言うなら子どもの頃の感覚に似ているかもしれません。楽しいからやる、お腹が空いたから食べる。眠いから寝る。そんな感覚を思い出せるかも知れないのです。
 
 マインドフルネスには「意図的に、今この瞬間に、評価や価値判断をせずに、注意を払うこと」という定義があります。これは子どもの生き方そのものです。子どもは価値判断の材料となる情報を持っていない、まっさらな状態ですから、分別することはありません。ありのままの、無分別の世界を生きています。もっとも、大人になれば自然と分別がつき、「こどものように」などと言ってはいられなくなります。私も、こどものままでいればいい、などと言うつもりはありません。しかしマインドフルネスがあれば、いっとき、子どものころに戻れる。「楽しいからやる」という原点に立ち返れるのです。これほどのリフレッシュは他にないと思います。しかもいつでもできるというところがすごいところです。
 
 大人がたとえば「夏休みに思い切り遊んで、いっとき童心に帰れた」としても、せいぜい1年に数日くらいで、日常に帰ることになります。でもマインドフルネスがあれば、一年中、いつでも生き生きとした子どものころの気持ちに戻ることができます。こうした原点回帰の時間が、大人にありがちなメンタルブロックを壊してくれます。「~すべき」という思い込みを捨て、自分らしく生きられるようになります。
 
 
 
 

秩父巡礼(5)

2017年10月13日 08時26分54秒 | 散歩(7)
 巡礼の札所も番数が上がっていくほど市街地から離れ、秩父盆地を囲む山に点在するようになる。そのため札所間の距離は離れ、道も山道が多くなってきた。今日は「武甲山」の麓を歩く。NHKのブラタモリでも紹介された武甲山は、南方(ハワイ当り)にあった火山島が活動を終え、侵食によって削られ珊瑚礁をまとうようになる。その珊瑚によってできた石灰岩を載せた海山は、プレートの動きにより北上し、深い海溝に引きずりこまれる。そして大陸プレートに押しつけられはがれ落ち、やがて隆起し侵食されることで地表に現れた。それが武甲山だと説明していた。
 
         
 
         
 
         
 
         
 
 大きく高く立ちはだかる石灰岩の絶壁、その圧倒される岩の傍に28番の札所がある。昔はこの自然に対する畏怖の念から、ここにお堂を建てたのかもしれない。傍に石灰岩台地に付き物の橋立鍾乳洞があり、そこにも寄ってみた。市街地近くにある札所と違い、山麓に建てられた札所は自然と融合したような趣があり、歩いて巡礼していて退屈することがない。
 
         
 
                   秩父鉄道 影森駅
 
    
 
           
 
    
 
                   26番 円融寺(岩井堂)
 
    
 
                       円融寺
 
           
 
           
 
                  円融寺岩井堂に行くには
           昭和電工の工場内を通り抜けなければ行けない。
 
           
 
               大きな工場内の歩道に沿って奥へ
 
           
 
                    工場の隅に鳥居
 
           
 
           
 
    
 
         
 
                   300段に及ぶ石段
                  苔むした仏像が印象的
 
              
 
             天空の城ラピタに出てくるロボットを思い出す
 
            
 
    
 
                岩井堂(26番円融寺観音堂)
 
    
 
    
 
          
 
                   さらに上に登る
 
        
 
                     大仏坐像
 
           
 
      台座に彫ってある寄進者の名前、おつや、おせん等女性名も多い
 
    
 
                       修験道
 
           
 
                       尾根道
 
           
 
        
 
                     護国観音
 
    
 
    
 
                   27番大渕寺(月影堂)
 
    
 
                      月影堂
 
    
 
                   大渕寺(月影堂)
 
           
 
           
 
           
 
    
 
                    28番 橋立堂
 
    
 
               大きな石灰岩の壁の直ぐそばにお堂がある
 
    
 
                      橋立堂
 
    
 
                 お堂の屋根が岩に触れんばかり
 
            
 
                 この場所はブラタモリでも紹介された
 
            
 
                     むき出しの石灰岩
   
   
 
                    石灰岩の絶壁
 
            
 
            
 
                      橋立鍾乳洞
 
            
             
               
 
            
 
            
 
               
 
            
 
                     芭蕉の句碑
             「草臥て宿かる頃や藤の花」と刻まれている
 
           
 
                       諸上橋   
 
        
 
                      浦山ダム
 
           
 
    
 
                   29番 長泉院(石礼堂)
 
            
 
    
 
                    長泉院(石礼堂)
 
    
 
                      そば畑
 
           
 
                      そばの実
 
           
 
    
 
                       青雲寺
                     しだれ桜で有名
 
    
 
                     若獅子神社
 
           
 
       若獅子神社の裏手に若獅子断層があり、ブラタモリで放送された。
           洞窟に入るための懐中電灯が無く、ここで断念
 
           
 
           
 
           
 
              断層に手で触れられる日本唯一の場所とか
 
           
 
        
 
                     千手観音堂
 
    
 
            
 
                  秩父鉄道 武州中川駅
 
    
 
                     武州中川駅
 
 
 
 
 
 

秩父巡礼(4)

2017年10月06日 08時17分47秒 | 散歩(7)
 今日は秩父の市街地から荒川を挟んで反対、西側の山裾を歩くコースである。このコースは以前にも歩いたことがある。まったく同じ道を歩くのも面白くないので、徒歩コースの中でも一番古い「江戸巡礼古道」を中心に歩くことにした。歩いてみて感じるのだが、昔は道を切り開くのではなく自然の起伏を縫うように道を付けていたことが分る。そのため現代の道より上り下りは激しく、当然歩行数も多くなる。しかも山道に入ると人の通行も無く、周りは鬱蒼とした林の中、歩いていても不安を感じるほどであった。歩いてみて分ったのだが、昔の巡礼は物見遊山の旅というだけではなく、それなりの覚悟が必要だったようにも思う。 
 
           
 
                    西武秩父駅前
        三峰神社には毎月1日限定の「白いお守り」を求める人が殺到、
       朝から三峰神社行きのバスのりばには大勢の人が並んでバスを待つ
 
           
 
                   秩父鉄道 大野原駅
                先週19番を終えて戻ってきた駅
 
           
 
    
 
                    旧秩父橋(2代目)
               左に見えるのが現在の秩父橋(3代目)
 
            
 
           橋の下に初代秩父橋架脚(1885年竣工)が見える
            
    
 
    
 
                     21番 岩之上堂
 
    
 
                     岩之上堂
 
    
 
    
 
    
 
           
 
                  ぞろぞろと団体が降りてきた。
      20名近い人だからご朱印帳が後になると30分以上は待つことになる。
               「団体より先で良かった」とホッとする。
 
           
 
    
 
    
 
                     21番 観音寺
 
           
 
                       観音寺
             長椅子に座る人、先ほどのお寺でも見かけた
            
    
 
           
   
    
 
       
 
                     茅葺の仁王門
 
            
 
                                         扁平顔の仁王像
 
    
 
                     22番童子堂
 
          
 
            21番で遭遇した巡礼装束の団体が来る
 
          
 
           団体が乗ってきたバスは伊賀交通で三重ナンバー
 
          
 
                   江戸巡礼古道
 
          
 
          
 
          
 
          
 
    
 
               23番 音楽堂は小高い山の上にある
 
    
 
                    23番 音楽堂
 
          
 
             お堂の下にリュックと靴が置いてあった
 
          
 
               先ほどから何度も会った巡礼者
         (人が土足で上がる)本堂を靴を脱いで一周している
 
          
 
              又先ほどの団体が追いついてきた。
  バスで回ってもご朱印を貰うのに時間がかかるから、歩いてもなかなか抜かれない。
  
    
 
                    もみじのトンネル
 
           
 
            ここからは人があまり通らない江戸巡礼道に入る
                     (長尾根みち)
         
           
 
           
 
           
 
           
 
                     
 
                道はこの上の藪の中を通っている
                      (小鹿坂)
 
    
 
                「巡礼道」の札がないと不安になる。
 
            
 
                  少しの踏み跡をたどって行く
 
            
 
                  川に橋は無く、石を伝って対岸へ
 
            
 
                     上り下りが激しい
 
    
 
                やっと民家のある場所に出る
 
          
 
    
 
                    24番法泉寺
 
        
 
                   116段の石段
 
           
 
                  
 
    
 
                    24番法泉寺
 
               両脇の竹細工は「吊るし竹灯籠」
 
           
 
                 またリュックと靴が置いてあった
 
           
 
                   70歳後半の人か?
 
           
 
       
 
                道に何個も柿が落ちている
 
           
 
    
  
    
 
                       武甲山
 
    
 
             石灰岩の掘削のため北面は大きく削られている
 
    
 
              この跡は崩壊したのか?崩したのか?
 
          
 
                    江戸巡礼古道
  
          
 
                     久那みち
 
          
 
             民家の庭先を通っているような感じの道
 
    
 
    
 
                      25番久昌寺
 
    
 
                      25番久昌寺
 
    
 
                       弁天池
 
    
 
                    25番納経所本坊
 
               
 
                 今日はここまで、浦山口駅に向かう
 
    
 
               稲の刈り入れはすっかり終わっている。
 
           
 
                  正面に浦山ダムが見える
 
           
 
    
 
                    久那橋から荒川
 
            
 
                   秩父鉄道 浦山口駅