60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

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2013年03月01日 11時22分45秒 | Weblog
 3月1日(金)ブログをアップしようと原稿を作りましたが、いざ投稿の段階で、下記のように文章の十数行以降が文字化けしてしまい、またそれ以降の文章も表示されません。何度かトライしてみましたがやはりその現象は解決しません。パソコンに障害がでたのか、ブログ編集の設定がおかしくなったのかよく分かりませんが、今日のアップは中止いたします。このトラブルが解消すればまた再開したいと思います。あしからず、

                

元勤めていた会社では多くの女性社員が入社し、そして退社して行った。退社後はそれぞれの道に進んで行き、その中の何人かの人たちとは今も繋がりがある。そんな昔の仲間の状況を時々垣間見るのはなかなか楽しいことである。先日ある女性の生まれたばかりの赤ちゃんのお披露目の「集い」があり、呼ばれて行って来た。彼女は2年に及ぶ不妊治療の後、昨年の12月に出産した。赤ちゃんはもうすぐ3ケ月で体重5キロの女の子である。家に伺ったとき、彼女はおぶい紐で胸に赤ちゃんを抱き、体を上下にゆすりながらあやしているところであった。華奢でキュートな女性だが、今は頬もふっくらとし、手馴れた様子で赤ちゃんを扱う様子は、すっかり若いママの雰囲気である。

 ミルクを飲みひと寝いりした後のご機嫌が良い赤ちゃんを、私も抱かせてもらうことにする。おっかなびっくり抱き上げると、わずかな温もりとずっしりした重さを感じる。足を突っ張り手をバタつかせ、私の指を握ったその力は思いのほか強い。大人と同じ形と機能を持つ指なのに、なんと小さくなんとおぼつかないことだろうと、改めて驚いてしまう。興味を持ったものを見つめる目はキラキラと輝き、好奇心に満ち、何の邪念も無く、幾つもの星が瞳の中に輝いている。ふと、「我が3人の子供たちのもこんな時があったのだ」と思い返して見るものの、日々急速に成長していった子供たちの、特定の時期だけを思い出すのはなかなか難しいものがある。

 彼女の今までのメールの中にこんなことが書いてあった。
《いやーっ、出産はもちろん、子育ては壮絶ですね。1日ゼロ睡眠は当たり前、3時間で幸せを感じる。そんな中で術後の痛みと、抱っこ大好きの娘を抱えて歩き回る筋肉痛や授乳の痛みと戦いながら、それでも時折見せる可愛い表情に癒されて子育てに奮闘しています。・・・・泣きじゃくる娘を見ていると、「こんなにフニャフニャして、私が居る居ないが直接生死に繋がるんだ」と痛切に感じます。そして、「守るわ!」ではなく「守らなきゃ!」と意思を強くするのです。・・・・・子供の日々の成長を確認し安堵する気持ちと、私のストレスからの感情の比重が交互に入れ替わり、自分の感情が高ぶると、「子供どころではない!」となってしまい、それを必死に抑えています。不妊治療であんなに辛い思いまでして望んだ子、そう思うと今までの感情が、スーッと溶けていくのです》

 こと子育てに関しては男と女ではその役割も感情も大きく違うのであろう。つわりがあり、マタニティーブルーがあり、生みの苦しみがあり、生まれてからの不眠不休での介護や授乳がある。まさしく体を張っての出産と育児である。そんな経過をたどってこそ、母性本能が確固たるものになるのかも知れない。だから当然子供に対する気持ちも眼差しも父性とは違って当たり前なのだろうと思う。我が子供たちを振り返って見ても乳幼児のこんな時期はほんのわずかで、やがて自己主張を始め親離れしていくことになる。その時まで子育てを楽しくやって欲しいものである。

               

               

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