60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

退社に思う

2011年01月28日 11時42分39秒 | Weblog
今、机を置いている親会社で、この1月に2名の社員が退社することになった。一人はグループ
会社で菓子の販売をする会社の男性社員(55歳)である。ある大手流通の小売量販店を辞め
入社したのだが組織的な大企業からオーナー本位の零細企業に変わり、その体質に馴染めず、
結局3年9ヶ月で辞めることになった。今後はあるコンビニエンス店舗の運営をやるそうである。
もう一人は本社で事務職をしていた女性社員(27歳)、中途採用で入社して3年2ヶ月勤めたが、
この3月に結婚する為の寿退社である。

会社勤めをしていると、必然的に大勢の人と出会い、また同じ数の人と別れが来るわけである。
転勤や転職の都度、変化していく職場の人々。そしてその都度接する得意先や仕入先の人達、
仕事を媒体にした人間関係が出来き上がってくる。しかし仕事の切れ目が縁の切れ目、仕事と
言う媒体が無くなってしまうと、その人間関係もまた霧散してしまうのが常である。折角今まで
馴染んできたのに、折角意思疎通出来るようになったのに、そんなことを残念に思っても空しい。
仕事の変化とともに人との関係もまた変わらざるを得ないのである。

若い時は職場が変わることで、今まで有った人間関係の喪失も、新たな職場での人間関係の
構築も、あまり苦にはならなかったように思う。それは成長の為の脱皮のようなもので、自分の
キャリアを積み重ねていく上での必然のように思えたからなのであろう。しかし歳を重ねていくに
従って、折角の人間関係をその時だけに終わらせてしまうのは、寂しいと思うようになってくる。

それを真に実感したのは、45歳で今まで勤めていた会社を辞めた時である。20年以上勤めて、
それなりに会社に貢献してきたという思いもあり、「あれもした」「これもした」そんな自分の中の
自負心のようなものもあった。しかし会社を辞めても周りの人達は何の不都合もなく働いている。
身体に付いた小さな切り傷が数日で跡形もなく癒えるように、会社の大きな流れの中、ある時期
そこに存在したということだけで、それ以上はなにも残らないのである。そして自分の貢献はただの
自己満足の世界であったことに気づくのである。そこで何かが残ったとすれば、それはわずかな
退職金とその間に出来た人間関係だけではなかったのではないだろうか、そう思うのである。

「所詮仕事とは生きるための手段、手段であれば何をやっても良い」、そんな風に割り切ってものを
考えるようになったのもその頃からだったと思う。そして仕事と言う日々の生産活動よりも、その間に
関わりあう人間関係の方が、はるかに重要で興味のあるテーマのように思うようになったのである。
仕事はその時の事情により変化するし、いずれは終わりを迎える。しかし友情のような、しっかりした
人間関係があれば、どんなに離れても無くなることはない。先日ブログに書いたニーチェの言葉の
中にもあったが「良い友達関係を築き、続けていくことは全ての基礎につながる」と思うようになった。
人間関係を軽視してガムシャラに仕事を進めるより、人との関係を重視した方が結果的には仕事は
上手くいく、そのように思えるようになったのである。

このたび辞めた男性社員、今までのキャリアや実績を言い募り、自分の権威を強調して社員同士の
上に立とうというスタンスが強すぎたように思う。組織がしっかりした会社であれば、自分の手柄を
強調することも一つの戦法かもしれない。しかし零細企業においては、過去の権威など何の役にも
立たない。そのあたりの感覚のズレを変えることが出来ず、次第に社員から疎んじられ、無視され、
孤立して行き、結局は会社を辞めざるを得なくなったように思う。

一方女性社員の方は大学を卒業して就職難の中、ある会社に入社した。しかしその入社した会社
で自分の最も苦手な販売職に配属されてしまう。その部署は女性中心の職場で上手く集団の中に
入り込めず、いじめにも等しい環境に置かれたという。「最初の会社だから簡単に辞めてはいけない」
そう思って頑張ったが、人間関係の不調は如何ともしがいものがあった。そんなストレスが積もって
やがて脱毛が激しくなり、髪の毛が半分にも減ったという。一時はアデランスの使用まで考えたが、
結局はドクターストップがかかって会社を辞めることになった。そして半年の休養期間を経てからこの
会社に入ったわけである。入社当初は警戒心が強く、うかつに声も掛けられないような性格のように
思えた。しかし以前の経験からなのか、時間をかけて丁寧に一人一人との人間関係を築いていって
いたように見えた。

今回それぞれの道を歩むために会社を去って行く。そして私の視線から姿が見えなくなってしまう。
しかし出来ればこれからも2人の消息を確認して行きたいし、時々逢っての交流を続けて行きたい。
昔は携帯もない時代だから、連絡を取ろうと思えば、自宅か会社に電話をしなければいけなかった。
相手との距離感が判らないと、どうしても連絡することを躊躇して、結局は関係は途絶えてしまう。
しかし今は携帯もメールもあり、意思さえあれば直接本人にアクセスできる。私の経験からすると、
一旦会社を辞めてしまうと、辞めた側からはなかなかアクセスしづらいものである。出来ればこちら
からアドレスを聞きだして、時々は近況などを連絡してあげる。そんなことが関係維持には必要な
ように思うのである。

2人の携帯とアドレスは聞いておいた。後日連絡を取ってみた時、相手からどんな反応があるのか?
これが3年間を通して接してきた私自身の評価のように思うのである。


散歩(古河)

2011年01月21日 09時30分28秒 | 散歩(1)
散歩の途中に写真を撮り、それを編集して親しい人にメールする。そんなことを始めて300回に
なった。300回の記念に少し遠出をしようと思い、今日は茨城県の古河に行って見ることにする。
大宮から東北線に乗って古河駅で下車、地元の観光マップに添って歩き始めた。歩くうちに以前
にも歩いたような気がしてくる。「まあ似たような所は何処にもある」そう思ってさらに歩いて見る。
やがて細い石畳の道の右手に古い屋敷の土塀が見え始めた。なかなか趣のある風情である。
早速デジカメを構え構図を考える。すると、「この風景は、以前にも撮ったことがあった気がする」
そんな感覚が再び起きて来た。「やはりこの古河には来たことがあるのだ。何時だったろうか?」

もう10年前から300回以上も歩いていると、何時どこに行って、どんな順路で歩いて、何を見たか、
そんな記憶はあいまいになってくるものなのだろう。しかし歩くうちにしだいに当時の状況を思い出し
「あそこの角を曲がればレンガ塀の道があるはず」そんな風に芋ズル式に思いだしてくるのである。
記憶は単独でなく、一連の関連付けの中でファイルされているのであろう。だから一旦記憶の端を
つかみ出すと、次から次へと思いだしてくるようである。思い出してしまうと同じ道は歩きたくない。
途中からコースを変え、古河の市中から渡良瀬川を渡り東武日光線の新古河駅まで歩いて見た。

帰ってから以前古河を歩いた時の写真をPCで開いて見た。やはり何処の名所旧跡も今回と同じ
ような構図で写真を撮っていた。そして日付は2007年6月になっている。3年半前のことである。
ということは3年半で「古河に行った」という記憶が飛んだことになる。やはり自分の記憶の不確か
さを認めないわけにはいかない。記憶の衰えなのか、それとも古河の街にそれほどのインパクトが
無かったからなのか。言い訳にはなるが、街並みは思いだしたのだから、街の風景と古河という
地名とがつながっていなかったのだろう。今までに買った本を読み始めたら、途中で以前に読んだ
ことがある本だと気づくことが何度かあった。今回も同じような記憶ミスであろう。タイトルと内容が
はっきりと連結されてないためのダブリ、私にはこの種の記憶の弱点があるようである。

今回はそんな古河の街の写真をアップしてみました。


駅からの散歩 No.300     茨城県古河市    1月15日

古河市は茨城県の西端に位置し、埼玉・栃木・群馬の各県に接している。万葉集にも詠まれており、
古くから関東の要地だった。室町時代後期には関東足利氏が古河公方の拠点とし、江戸時代には
土井利位ら譜代大名の城下町として、また、日光・奥州街道の宿場町として賑わい、市内を流れる
渡良瀬川は河川交通の要所とし栄えた。これら歴史的背景から北関東の小京都とも言われている。

                  
                          JR古河駅西口

                 
                             日光街道

                  
                           旧日光街道

                
          江戸末期からの創業のうなぎの武蔵屋、改築のため6月まで休業

      
                     古河藩家老 小杉監物の旧武家屋敷
   
              
            住宅地もレンガ道や石畳の道が多く落ち着いた雰囲気がある

                  
           「炎環」で直木賞を受賞の長井路子旧宅 昔は茶屋問屋だった

                
                       長井路子旧宅 内部

            
                    篆刻(てんこく)美術館 大正9年建築  

                 
       篆刻とは、印章を作成する行為、主に篆書を印文に彫ることから篆刻という。

              
   書と彫刻が結合した工芸美術としての側面が強く、特に文人の余技としての行為を指す。
          現代でも中国・日本を中心に篆刻を趣味とする人は多い。 

                                            
              篆刻美術館と古河街美術館の間の路地。レンガの壁が続く

              

              

                    
                    古河第一小学校 明治5年創設

                 
                         石畳の道が続く

      
                         鷹見泉石記念館

             
              古河藩が藩士たちのために用意した武家屋敷の一つで、
            隠居後もっぱら蘭学にいそしんだ鷹見泉石が最晩年を送った家

                  

              
                            座敷

              
                           床の間

              
                    手水鉢(ちょうずばち)に氷が張っている

          
                   鷹見泉石記念館そばの情緒ある道

              
       ふなの甘露煮製造元「ぬた屋」 ふなの甘露煮は古河の名物のようである。

                  
                           お土産屋

                  
                   街中にうなぎやの数が異常に多い。

               
                   うな丼ランチ、珈琲付きで1000円

              
                       番犬の職務に忠実な犬

                  
                      渡良瀬川に架かる三国橋

              
                  渡良瀬川河川敷の古河ゴルフリンクス

                  
                  渡良瀬川 この川が茨城と埼玉の県境

              
                      埼玉県側 東武線新古河駅


ニーチェの言葉

2011年01月14日 09時02分47秒 | 読書
年末NHKのニュースで2010年書籍のベストテンを放送していた。第一位は「もしドラ」の流行語に
もなったビジネス書で、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
という長いタイトルの本である。私はその時、女性キャスターが紹介していた本で「ニーチェの言葉」
というのが気になった。確かニーチェは昔の哲学者、そんな人の本がベスト10に入るのだろうかと。
先日本屋に立ち寄った時、そのことを思いだし手に取ってみた。短文で読みやすい訳になっている。
さて有名な哲学者はどんなことを言うのだろうか?そんなことに興味を持って読んでみることにした。

「ニーチェ」、ドイツの哲学者である。本のまえがきにこんなことが書いてあった。
現在は価値の相対化によって絶対価値が無い状態だから虚無的な時代とも言える。しかし実際には
現代人の価値は金銭と利潤である。人はどこかに絶対的な価値を見いださないと、不安で耐えられ
ないのだ。19世紀までの西欧の絶対価値はキリスト教道徳だった。しかしニーチェはキリスト教道徳
はありもしない価値を信じ込ませる宗教だと解釈した。その道徳は本物ではない、生きている人間の
ためではない、と考えた。では、近代の金銭や利潤は現代の新しい絶対価値だろうか?ニーチェは、
これを神の代替物としてだけの価値だとした。つまり虚無主義から逃げるための新しい虚無主義だと
批判したのである。ニーチェは反宗教的というべきであろう。宗教というものが、彼岸に神とかあの世
とか無制限に道徳尺度を求める態度を押しつけようとすることが、受け入れなかったのであろう。
そうではなく、もっとこの世に生きている人間の道徳が必要だと考えていたようである。

彼はこの世における真理、善、道徳こそ大切だと強く唱えた。つまり今生きている人間のための哲学
を打ち出したかったのだ。それにより、ニーチェの思想は「生の哲学」と呼ばれるようになった。
ニーチェの名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような
鋭い視点、強い生気、不屈の魂、高みを目指す意思が新しい名文句といえる短文で発せられるから
多くの人の耳と心にのこるのであろう。その特徴は主に短い警句と断章に発揮されている。本書では
それらの中から現代人のためになるものを選別して編纂した。要約するとそんな風に書いてある。

ある新聞社の調査で、「日本人」で何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が
72%に上るということである。私自身「宗教」ということに対していい加減で、多種多様な宗教儀式を
無抵抗で受け入れている。例えば初詣、お盆、クリスマス、といったふうに、しかし気持ちの中は神の
存在など信じていないし、恐れすらもっていない。反対に特定の宗教に深く帰依している人を見ると、
自らの自律を失い、マインドコントロールされているように思うのである。私の感覚がそのようなもの
だから、多分72%の人も五十歩百歩なのであろうと思う。昔親から叱られる時「罰があたるから・・」と
叱られた記憶があるが、私は今まで、子供をしかる時に「罰があたる」とは言った記憶がない。それは
自分の中に宗教的な絶対的な価値観がなかったからであろう。そんなふうに宗教心もなく、未成熟な
私も含め、一般の人達にも真理、善、道徳といった精神的な規範や価値は必要な要素のように思う。
「信じるものがない」そんな世の中だからこそ、この本が読まれるのだろうと思ってみた。

本には短文で232編が載っている。その中で「確かにそうだ」と思うものを幾つか書き出してみた。

《自分を遠くから見てみる》
おおかたの人間は、自分に甘く、他人に厳しい。
どうしてそうなるのかというと、自分を見るときにはあまりに近くの距離から
自分を見ているからだ。そして、他人を見るときには、あまりにも遠くの距離から
輪郭をぼんやり見ているからなのだ。
この距離の取り方を反対にしてじっくりと観察すようにすれば、
他人はそれほど非難すべき存在ではないし、自分はそれほど甘く許容すべき
存在ではないということがわかってくるはずだ。

《「~のために」行うことをやめる》
どれほど良いことにみえても、「~のために」行うことは、いやしく貧欲なことだ。
誰々のためであろうとも、何々のためであろうとも、
それが失敗したと思えるときには相手、もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、
うまくいったと思えるときには、自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。
つまり、本当は自分のためにだけ行っているのだ。
けれど、純粋に能動的な愛から行われるときには、
「~のために」という言葉も考えも出てくることはない。

《精神の自由をつかむためには》
本当に自由になりたければ、自分の感情をなんとか縛り付けて
勝手に動かないようにしておく必要がある。
感情を野放しにしておくと、そのつどの感情が自分を振り回し、
あるいは感情的な一方向にのみ顔と頭を向けさせ、
結局は自分を不自由にしてしまうからだ。
精神的に自由であり、自在に考えることができる人はみな、
このことをよく知って実践している。

《友情の才能が、良い結婚を呼ぶ》
子供というものは、人間関係を商売や利害関係や恋愛から始めたりなんかしない。
まずは友達関係からだ。楽しく遊んだり、喧嘩したり、慰め合ったり、お互いを案じたり、
いろいろなことが二人の間に友情というものをつくる。そして互いに友達になる。
離れていても、友達でなくなることはない。
良い友達関係を築いて続けていくことは、とってもたいせつだ。
というのも、友達関係や友情は、他の人との関係の基礎になるからだ。
こうして良い友達関係は、よい結婚を続けていく基礎にもなる。
なぜならば結婚生活は、男女の特別な人間関係でありながらも、
その土台には友情を育てるという才能がどうしても必要になるからだ。
したがって、良い結婚になるかどうかを環境や相手のせいにしたりするのは、
自分の責任を忘れた、まったくの勘違いということになる。

《ニセ教師の教えること》
この世には、いかにもまともそうに見えるニセ教師がたくさんいる。
彼らが教えることは、世渡りに役立ちそうなことばかりだ。これこれをすると得になる。
こういう判断をすると損をしない。人づきあいはこういうふうにしろ。
人間関係はこうやって広げろ。こういう事柄はああだこうだ。
よく考えてみよう。ニセ教師の教えることは、全て価値判断だ。
人間と事物についての本質の見方など、これっぽっちも教えてくれはしない。
こうして人生の本質すらわからずに生きて行っていいのか。

《自分しか証人のいない試練》
自分を試練にかけよう。人知れず、自分しか証人のいない試練に。
たとえば、誰の目のないところでも正直に生きる。たとえば、独りの場合でも行儀よくふるまう。
たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない。
そして多くの試練に打ち勝ったとき、自分を見直し、自分が気高い存在であることがわかったとき、
人は本物の自尊心を持つことができる。
このことは、強力な自信を与えてくれる。それが自分への褒美となるのだ。


今まで私には自分の子供たちに対して、充分な道徳観を植え付けてこなかった、という反省がある。
今年、2人の娘達の誕生日プレゼントはこの本を贈ることにした。

自己表現

2011年01月07日 09時16分28秒 | Weblog
干支が変わる度に「又一つ歳を取る」と自分の加齢を思い知り、加えて昔の仲間からの年賀状に
孫の写真が目に付くようになると、仲間のほとんどが次の人生を歩き始めていることを実感する。
そんな皆に比べると、私はまだズルズルと仕事を続けている。サラリーマンであれば自分の意思とは
無関係に強制終了になるのだが、個人で仕事をやっていると、じり貧になりながらも、「まだ良いか?
まだ大丈夫か?」と、なかなか踏ん切りがつかないのである。例えて言えば婚期を逃した独身男が
仕事にかまけてズルズルと歳だけを取っている、そんな感じであろうか。

「会社として立ち行かなくまるまでやる」、それとも「ある時点でけじめをつける」と迷うところである。
このことで、もっとも自分の気持を躊躇させているのは「仕事を辞めて有り余る時間をどう使うか?」
なのである。リタイアした仲間に聞くと差はあるものの、最大の悩みは「やるべきことがない」である。
限られた年金の中では大きく制約される行動、その中で何をするのか?それが最大の課題である。
私も「もうそろそろ次のことを考えなければ」、そんなことを切実に思ってしまうのも年の初めである。

もう10年前くらい前だろうか、NHKラジオの深夜番組で老齢の作家(名前は判らない)が、「老後の
心得」と言うことで喋っていたことを記憶している。ある部分、先日書いた曽野綾子の「老いの才覚」
と共通するが、老後は幾つかの課題があるようで、ラジオで言っていたのは次のようなことである。
老後というのは最近の「無縁社会」ではないが、一人で暮らすことを前提にしなければいけない。
歳を取るほどに親戚縁者は遠くなり、子供は自分の事情が優先するようになる。伴侶は何時病気で
倒れるかも判らないし、一人残される可能性大である。そんな時に頼れるのは自分だけなのである。
そのための心得として、確か5つの心得を上げていたように思う。

その一つ目が「健康」、これは歳に関係なく当然のことである。特に歳を取ってからの病気や怪我は
致命傷になりやすい。健康管理は徒やおろそかにしてはいけない。
ニつ目が「お金」、先立つものはやはり金、限られたお金でどう工夫して暮らしていくか、金銭管理は
死ぬまで付いて回ることである。
三つ目が「自分のことは自分でする」、一人になることが前提であるから、炊事洗濯から家事一切、
それから役所や近所との付き合いまで、諸事万端全てを自分で出来るようにしておく必要がある。
四つ目が「ネットワーク」、仕事を離れれば、今までの仕事絡みのネットワークは立ち消えて無くなる。
だから老後のネットワークは全てプライベートのネットワークにならざるをえない。だから今までの人脈
を維持し、新たなつながりを模索していく必要がある。孤立するか否かは本人の心がけ次第である。

五つ目は「自分を表現する手段を持つこと」、今までは仕事を通して自分を表現してきた。そして仕事
をするということはある種の生きがいでもあった。仕事を辞めることでこの表現手段を失うことになる。
だからこれに変わる「自分を表現する手段」を持つ必要がでてくる。「表現手段」、これは何でも良い。
料理を作ることが好きであれば、料理で自己表現をする。絵を描くことでも、楽器を演奏することでも、
短歌や俳句を作ることでも、写真を撮ることでも、陶器を作っても何なら野菜を作っても良い、とにかく
自分が好きで続けられること、そして出来ればその「発表の場」があること、これが大切なようである。
そしてこの自己表現の手段を沢山持っていればいるほど、老後の日々が楽しく充実するようである。

この話しを聞いたのは、まだ50代の時である。それ以来この言葉は私の頭から離れない。自分には
「仕事以外に自己表現する手段がない」、これが私の大きな悩みにもなり、ネックでもあった。そして、
リタイアするまでに一つでも二つでも、続けられる自己表現手段を作っておくことがテーマになった。

今こうして毎週ブログをアップすることも一つの自己表現である。毎週散歩の途中にデジカメで写真を
撮り、それを編集して何人かにメールで送る。これも自己表現と言えば自己表現である。ニンテンドウ
の絵心教室で絵の基本を覚え、いずれ絵筆を持ちたい。こう思うのも表現手段の獲得のためである。
あと自分に何ができるだろうか?・・学生時代に習っていたクラシックギターをもう一度始めようか?
近所に住む昔の仲間に畑を借りての家庭菜園を誘われているが、さあどうしよう? 小金井公園の
ボランティアに応募してみるか?考えられる候補は幾つかある。今年一年何とかして自己表現と言う
苗木を何本か植えてみようと思う。それがうまく育つようであれば、その時こそ次の人生へのステップ
を自信を持って踏めるような気がするのである。