今、机を置いている親会社で、この1月に2名の社員が退社することになった。一人はグループ
会社で菓子の販売をする会社の男性社員(55歳)である。ある大手流通の小売量販店を辞め
入社したのだが組織的な大企業からオーナー本位の零細企業に変わり、その体質に馴染めず、
結局3年9ヶ月で辞めることになった。今後はあるコンビニエンス店舗の運営をやるそうである。
もう一人は本社で事務職をしていた女性社員(27歳)、中途採用で入社して3年2ヶ月勤めたが、
この3月に結婚する為の寿退社である。
会社勤めをしていると、必然的に大勢の人と出会い、また同じ数の人と別れが来るわけである。
転勤や転職の都度、変化していく職場の人々。そしてその都度接する得意先や仕入先の人達、
仕事を媒体にした人間関係が出来き上がってくる。しかし仕事の切れ目が縁の切れ目、仕事と
言う媒体が無くなってしまうと、その人間関係もまた霧散してしまうのが常である。折角今まで
馴染んできたのに、折角意思疎通出来るようになったのに、そんなことを残念に思っても空しい。
仕事の変化とともに人との関係もまた変わらざるを得ないのである。
若い時は職場が変わることで、今まで有った人間関係の喪失も、新たな職場での人間関係の
構築も、あまり苦にはならなかったように思う。それは成長の為の脱皮のようなもので、自分の
キャリアを積み重ねていく上での必然のように思えたからなのであろう。しかし歳を重ねていくに
従って、折角の人間関係をその時だけに終わらせてしまうのは、寂しいと思うようになってくる。
それを真に実感したのは、45歳で今まで勤めていた会社を辞めた時である。20年以上勤めて、
それなりに会社に貢献してきたという思いもあり、「あれもした」「これもした」そんな自分の中の
自負心のようなものもあった。しかし会社を辞めても周りの人達は何の不都合もなく働いている。
身体に付いた小さな切り傷が数日で跡形もなく癒えるように、会社の大きな流れの中、ある時期
そこに存在したということだけで、それ以上はなにも残らないのである。そして自分の貢献はただの
自己満足の世界であったことに気づくのである。そこで何かが残ったとすれば、それはわずかな
退職金とその間に出来た人間関係だけではなかったのではないだろうか、そう思うのである。
「所詮仕事とは生きるための手段、手段であれば何をやっても良い」、そんな風に割り切ってものを
考えるようになったのもその頃からだったと思う。そして仕事と言う日々の生産活動よりも、その間に
関わりあう人間関係の方が、はるかに重要で興味のあるテーマのように思うようになったのである。
仕事はその時の事情により変化するし、いずれは終わりを迎える。しかし友情のような、しっかりした
人間関係があれば、どんなに離れても無くなることはない。先日ブログに書いたニーチェの言葉の
中にもあったが「良い友達関係を築き、続けていくことは全ての基礎につながる」と思うようになった。
人間関係を軽視してガムシャラに仕事を進めるより、人との関係を重視した方が結果的には仕事は
上手くいく、そのように思えるようになったのである。
このたび辞めた男性社員、今までのキャリアや実績を言い募り、自分の権威を強調して社員同士の
上に立とうというスタンスが強すぎたように思う。組織がしっかりした会社であれば、自分の手柄を
強調することも一つの戦法かもしれない。しかし零細企業においては、過去の権威など何の役にも
立たない。そのあたりの感覚のズレを変えることが出来ず、次第に社員から疎んじられ、無視され、
孤立して行き、結局は会社を辞めざるを得なくなったように思う。
一方女性社員の方は大学を卒業して就職難の中、ある会社に入社した。しかしその入社した会社
で自分の最も苦手な販売職に配属されてしまう。その部署は女性中心の職場で上手く集団の中に
入り込めず、いじめにも等しい環境に置かれたという。「最初の会社だから簡単に辞めてはいけない」
そう思って頑張ったが、人間関係の不調は如何ともしがいものがあった。そんなストレスが積もって
やがて脱毛が激しくなり、髪の毛が半分にも減ったという。一時はアデランスの使用まで考えたが、
結局はドクターストップがかかって会社を辞めることになった。そして半年の休養期間を経てからこの
会社に入ったわけである。入社当初は警戒心が強く、うかつに声も掛けられないような性格のように
思えた。しかし以前の経験からなのか、時間をかけて丁寧に一人一人との人間関係を築いていって
いたように見えた。
今回それぞれの道を歩むために会社を去って行く。そして私の視線から姿が見えなくなってしまう。
しかし出来ればこれからも2人の消息を確認して行きたいし、時々逢っての交流を続けて行きたい。
昔は携帯もない時代だから、連絡を取ろうと思えば、自宅か会社に電話をしなければいけなかった。
相手との距離感が判らないと、どうしても連絡することを躊躇して、結局は関係は途絶えてしまう。
しかし今は携帯もメールもあり、意思さえあれば直接本人にアクセスできる。私の経験からすると、
一旦会社を辞めてしまうと、辞めた側からはなかなかアクセスしづらいものである。出来ればこちら
からアドレスを聞きだして、時々は近況などを連絡してあげる。そんなことが関係維持には必要な
ように思うのである。
2人の携帯とアドレスは聞いておいた。後日連絡を取ってみた時、相手からどんな反応があるのか?
これが3年間を通して接してきた私自身の評価のように思うのである。
会社で菓子の販売をする会社の男性社員(55歳)である。ある大手流通の小売量販店を辞め
入社したのだが組織的な大企業からオーナー本位の零細企業に変わり、その体質に馴染めず、
結局3年9ヶ月で辞めることになった。今後はあるコンビニエンス店舗の運営をやるそうである。
もう一人は本社で事務職をしていた女性社員(27歳)、中途採用で入社して3年2ヶ月勤めたが、
この3月に結婚する為の寿退社である。
会社勤めをしていると、必然的に大勢の人と出会い、また同じ数の人と別れが来るわけである。
転勤や転職の都度、変化していく職場の人々。そしてその都度接する得意先や仕入先の人達、
仕事を媒体にした人間関係が出来き上がってくる。しかし仕事の切れ目が縁の切れ目、仕事と
言う媒体が無くなってしまうと、その人間関係もまた霧散してしまうのが常である。折角今まで
馴染んできたのに、折角意思疎通出来るようになったのに、そんなことを残念に思っても空しい。
仕事の変化とともに人との関係もまた変わらざるを得ないのである。
若い時は職場が変わることで、今まで有った人間関係の喪失も、新たな職場での人間関係の
構築も、あまり苦にはならなかったように思う。それは成長の為の脱皮のようなもので、自分の
キャリアを積み重ねていく上での必然のように思えたからなのであろう。しかし歳を重ねていくに
従って、折角の人間関係をその時だけに終わらせてしまうのは、寂しいと思うようになってくる。
それを真に実感したのは、45歳で今まで勤めていた会社を辞めた時である。20年以上勤めて、
それなりに会社に貢献してきたという思いもあり、「あれもした」「これもした」そんな自分の中の
自負心のようなものもあった。しかし会社を辞めても周りの人達は何の不都合もなく働いている。
身体に付いた小さな切り傷が数日で跡形もなく癒えるように、会社の大きな流れの中、ある時期
そこに存在したということだけで、それ以上はなにも残らないのである。そして自分の貢献はただの
自己満足の世界であったことに気づくのである。そこで何かが残ったとすれば、それはわずかな
退職金とその間に出来た人間関係だけではなかったのではないだろうか、そう思うのである。
「所詮仕事とは生きるための手段、手段であれば何をやっても良い」、そんな風に割り切ってものを
考えるようになったのもその頃からだったと思う。そして仕事と言う日々の生産活動よりも、その間に
関わりあう人間関係の方が、はるかに重要で興味のあるテーマのように思うようになったのである。
仕事はその時の事情により変化するし、いずれは終わりを迎える。しかし友情のような、しっかりした
人間関係があれば、どんなに離れても無くなることはない。先日ブログに書いたニーチェの言葉の
中にもあったが「良い友達関係を築き、続けていくことは全ての基礎につながる」と思うようになった。
人間関係を軽視してガムシャラに仕事を進めるより、人との関係を重視した方が結果的には仕事は
上手くいく、そのように思えるようになったのである。
このたび辞めた男性社員、今までのキャリアや実績を言い募り、自分の権威を強調して社員同士の
上に立とうというスタンスが強すぎたように思う。組織がしっかりした会社であれば、自分の手柄を
強調することも一つの戦法かもしれない。しかし零細企業においては、過去の権威など何の役にも
立たない。そのあたりの感覚のズレを変えることが出来ず、次第に社員から疎んじられ、無視され、
孤立して行き、結局は会社を辞めざるを得なくなったように思う。
一方女性社員の方は大学を卒業して就職難の中、ある会社に入社した。しかしその入社した会社
で自分の最も苦手な販売職に配属されてしまう。その部署は女性中心の職場で上手く集団の中に
入り込めず、いじめにも等しい環境に置かれたという。「最初の会社だから簡単に辞めてはいけない」
そう思って頑張ったが、人間関係の不調は如何ともしがいものがあった。そんなストレスが積もって
やがて脱毛が激しくなり、髪の毛が半分にも減ったという。一時はアデランスの使用まで考えたが、
結局はドクターストップがかかって会社を辞めることになった。そして半年の休養期間を経てからこの
会社に入ったわけである。入社当初は警戒心が強く、うかつに声も掛けられないような性格のように
思えた。しかし以前の経験からなのか、時間をかけて丁寧に一人一人との人間関係を築いていって
いたように見えた。
今回それぞれの道を歩むために会社を去って行く。そして私の視線から姿が見えなくなってしまう。
しかし出来ればこれからも2人の消息を確認して行きたいし、時々逢っての交流を続けて行きたい。
昔は携帯もない時代だから、連絡を取ろうと思えば、自宅か会社に電話をしなければいけなかった。
相手との距離感が判らないと、どうしても連絡することを躊躇して、結局は関係は途絶えてしまう。
しかし今は携帯もメールもあり、意思さえあれば直接本人にアクセスできる。私の経験からすると、
一旦会社を辞めてしまうと、辞めた側からはなかなかアクセスしづらいものである。出来ればこちら
からアドレスを聞きだして、時々は近況などを連絡してあげる。そんなことが関係維持には必要な
ように思うのである。
2人の携帯とアドレスは聞いておいた。後日連絡を取ってみた時、相手からどんな反応があるのか?
これが3年間を通して接してきた私自身の評価のように思うのである。