60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

宝くじ

2012年12月28日 09時21分10秒 | Weblog
 先週の通勤帰りに見る池袋駅東口の宝くじ売り場は、連日長蛇の列であった。ハッピを着た係員が何人も出て行列の整理に追われている。外に出れば他にもたくさんの売り場があるのに、わざわざここに並ぶのは当たりがでる頻度が高いと言う噂があるからであろう。大勢の人が買えば当然当たりの本数は多くなる。だから基本的にはどこで買おうが確率的には同じだと思うのだが、人は「幻想」というか「不確かな噂」に希望をつないでしまうように思うのである。そして最後尾に並べば30分は待たなければいけないだろう。それでも人は行儀よく整列して宝くじを買っていく。やはり多くの人は「もし6億円当たったら、・・・・」という淡い夢を見てしまうのである。現状の生活を大きく変えたい、自分のマンネリを打破したい、そんな気持ちで「一縷の望み」をかけて宝くじを買うのである。

 私も若いときは何度か買ったこともあった。しかしここ20年近くは買ったことは無い。それはある時期から確率的に1番馬鹿らしい投資だと知ったからである。しらべて見ると分かるのだが、宝くじの賞金への還元率は約47%である。したがって53%は経費と胴元の収益金で取られている。競馬が80%の還元率らしいから、配当率で考えると最も分の悪い賭け事である。今回の賞金が4億円、前後賞1億円を合わせて6億円と言う。この当たりくじは1ユニット1000万枚に対して1つである。ということは1人が3000円を投資して、300円の宝くじを10枚買ったとすれば、6億円の当たりは100万人に1人である。仙台市の人口が約100万であるから、全市民が一人10枚づつ買って、1人の当選確率である。別の言い方をすれば、6億円を確実に当てるには1ユニット1000万枚を全て買えばいい。そのための資金は30億円かかる。そして当たり賞金は6億円を含めて14億円もらえる。しかし16億円は失ってしまうことになるのである。「それでも買うのか?」、そう問われれば私は馬鹿らしいと思う方なのである。

 人は未来に対して「他力本願」で淡い期待を持つようである。3年3ヶ月前、国民は現状打破を期待して民主党を支持した。しかしあの体たらくである。そして今回はその反動で自民党が圧勝した。振り子が振れて左寄りから今度は右寄りに大きく振れようとしている。これもまた国民の選択である。さて来年はどんな年になるのだろうか、今の閉塞感から脱却して少しは明るくなるのだろうか、それとも益々深みにはまっていくのだろうか、 どちらにしても、自分の状況を政治や世の中の所為にはせず、「自分のことは自分でやる」と覚悟を決めて行動していかなければいけないと思うのである。我々の年代は歳を取れば取るほど夢はなくなり、リアルな現実にさらされてくる。来年はまた一歩そのリアルさが増してくるのであろう。だから他力本願の夢に掛けるのではなく、マスコミやコマーシャルに踊らされることなく足元を見つめていなければいけないと思う。実現可能な目標を掲げて、それについて努力する。来年は健康に対しても趣味にもささやかな目標(夢)を持ち、それに向かって前進していきたいと思うのである。

人工呼吸器

2012年12月21日 08時46分02秒 | Weblog
 私の義母は8年半前に脳内出血で右半身不随になった。当初あちこちの医療機関を回ってリハビリの治療も行ったが、年齢による体力や気力の衰えなのか、結局は車椅子生活になってしまう。同居しているのは一番下の娘だけである。しかし彼女も仕事を抱えているため、義母を特別養護老人ホームへ入れるしかなかった。お正月やお盆、年のうち何回かの大型連休を利用して自宅につれて帰り、家族が集まって一家団欒が恒例の行事になっていた。

 しかし90歳にもなると体力の衰えが激しくなり、食べ物をのみ込めなくなったり、タンがはけなくなったりと、嚥下障害が起きてくる。食べても誤嚥(ごえん)のリスクが出てきたため、胃に直接食べ物や水を入れる胃瘻(いろう)の処置を施すことになった。先月市内の病院で胃瘻の手術をしたあと、今月再び養護老人ホームへ戻った。退院当初は意識もしっかりしていて、正月に自宅に帰ることを楽しみにしていたそうである。しかし先週末、胃に入った食べ物が逆流し、それが気管支に入って呼吸困難を起こしてしまった。あまり時間を措かず発見されて、救急車で病院に運ばれ一命は取り留めたものの、意識障害を起こしてしまったようである。

 その日のうちに家族と医師とで今後の処置方法の話し合いになる。呼吸停止の時間がどの程度か定かではないが、やはり脳へのダメージは大きものと予測された。このまま自発呼吸に任せ様子を見るか、それとも人口呼吸器をつけるか、家族にその判断を迫られることになった。医者の方は遠まわしながら、歳も歳であり回復の可能性が少ないから、人口呼吸器は使わないほうが良いという説明だったようである。一旦つけてしまうと外せず植物状態の可能性が高くなるものの、付けなければ回復の可能性を否定することになる。結局、子供達3人の判断は呼吸器をつけるこという結論になった。

 当日の夕方私も病院に見舞いに行った。ベットの真ん中にちょこんと収まっている義母は、以前より一段と小さくなった感じがする。ただ上を向いて目を閉じているだけの義母は、誰がどう話しかけても何の反応もしない。個室の奥には大きな機械がずらりと並び、2つのモニターの数字は刻々と移り変わっている。口には太い管が差し込まれ、それをマスクのようなもので抑えてあった。ベットの上から点滴の管が2本垂れ下がり、他にも何本かのコードで義母は機械に繋がれている。病室では自らの呼吸なのか機械のポンプの音なのか、「スーハー、スーハー」と一定した間隔で呼吸音だけが聞こえてくる。口に入れたパイプを拒絶しないようにということで、薬で意識は落としてあるそうだ。モニターの一番上の数値は脈拍で、100~120の間を入れ替わっていく。普通の成人で60前後の脈拍だから、義母は常に走っているような状態で心臓が動いていることになるのだろう。果たして再び意識が戻るのであろうか、このまま意識が戻らなければどのような経過をたどるのであろうか、考えてしまう。

 一旦つけた人口呼吸器は人為的には外せないというのが今の社会的なルールである。意識が戻る可能性のある段階で、しかも人工呼吸器を使える状況で、それを使わずに死に至ってもそれは罪にはならない。しかし植物状態でこれを外せば罪になる。共に人為的な行為であるのに、なんとなく矛盾したルールであるようにも思える。義母の場合、意識が回復してくれれば幸いであるが、そうならない場合の可能性の方が高いようである。救急車で運ばれた段階で、しかもまだ意識が戻る可能性が考えられる時、家族はどう判断すればいいのであろう。「このままではあと1週間ぐらいですかね・・・」と言われれば、やはり「では付けて下さい」と言わざるを得ないと思うのである。その後の介護や医療費の問題でどんなに負担がかかろうとも、できる限りと思うのが家族としての「情」なのである。

 昔ノンフィクション作家の柳田邦男が書いた「犠牲(サクリファイス) わが息子の脳死11日」という本を読んだことがある。自分の息子が首をつり自殺を図ったが、死に切れず脳死状態になった。その時の親の葛藤を書いたものである。その本の中でこの事件が人によるって捉え方が違うことを、「一人称」「二人称」「三人称」という書き方で説明していた。息子が一人称、著者は二人称、家族以外が三人称である。息子は苦しみ考え抜いて自殺した本人。親はその突然の死を受け入れなければいけない存在。そして第三者はより客観的に意見を言う存在として、一つの事実を考えるときその立場の相違を体験談として書いてあったと思う。

 今回の義母を見舞ってその本のことを思い出した。私はあくまでも三人称である。三人称の私から見れば、義母はすでに90歳を過ぎているし、8年半も辛い想いをしてきた。この8年半の衰弱の流れを見て今回の出来事を考えたとき、これ以上の延命処置をすることの是非を思ってしまうのである。しかし二人称の子供達にとっては、「可能性があるのなら手を尽くす」ということになるのであろう。当然判断の順位は医者でもなく第三者でもなく、二人称の子供達である。もしこの二人称の判断を覆すものがあるとすれば、それは一人称の意思であろう。義母が元気な時に「延命処置はしないで欲しい」と言っていたとすれば、「これは本人の意思ですから」、と言うことで人工呼吸器の装着は回避していたのかも知れない。そんなことを思ってみた。

 これから家族に、転院の困難さや医療費の負担、長期看護の問題と大きな負担は続いていくことになる。まあこれも家族の親の死を受け入れるための手続きかも知れないとも思うのだが、できれば避けたいものである。今回義母のことを目の当たりにして、私自身どうするかを決めなければいけないと思った。私としてはまだ冷静な判断ができるうちに、「延命処置はしないでくれ」、そう女房と子供達には言っておこうと思っている。

俳句

2012年12月14日 09時30分14秒 | Weblog
 友人が短歌を始めて約半年、このほどNHKの短歌大会で入選したと聞いた。今までその友人のブログにアップされている作品を読んで、「良くこんな風に物事を詩的にとらえられるものだ」と、その非凡さに感心するほどであった。日々の何でもない出来事や事象に心を通わせ、自分の想いを短歌に詠む、そのことは自分を見つめなおし、感性に磨きをかける一つの心の鍛錬になるのではと思うのである。

 私の母は後半生で「コスモス」という短歌結社に属して短歌を詠んでいた。そして折々の私への手紙に自分の歌を書き添えて送ってきてくれた。時々は朝日新聞の短歌募集に投稿していたようで、「私の短歌が入選したよ」と喜んで電話してきたこともあった。そんな母が私が50歳を過ぎたころだったろうか、「仕事をやめたとき何も打ち込むものが無いのは寂しいと思う。だから短歌とは言わないが、貴方も俳句などやって見たらどうだろう」と言われたことがある。その時は聞き流していたが老後生活が目の前になったいま、文学的な嗜みも一つは持っていたほうが良いように思うようになった。自分には詩的なセンスは無いように思うが、しかし自分が楽しめれば、それはそれで誰はばかることはないのだろうと思うのである。

 そんなことから先日書店に行って、「はじめての俳句づくり」という入門書を買ってきて読みはじめた。本には俳句は今日のこと今のことを題材に、感じたこと思ったことを素直に表現すれば良い。季語を知る楽しみ自然を知る楽しみ、俳句を通してそんなことを味わって欲しいと書いてある。私が最初に俳句に接したのは中学生か高校生だったか、教科書で松尾芭蕉の奥の細道の中の俳句を覚えさせられことぐらいである。
   行く春や 鳥啼き魚の 目はなみだ
   五月雨を 集めて早し 最上川
   夏草や つわものどもが ゆめのあと
   荒海や 佐渡に横たふ 天の川
   旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る     あとは何の勉強もしたことはない。

 さて自分で作らねばならない。中学生の授業で俳句を作らされたことはあったが、その時は見よう見まねで書いたように思う。なにをどう感じればいいのか?どういう風に言葉をつなぎ合わせれば良いのか?今週から実践に入ることにする。

 今週の日曜日に散歩していた時は冷たい風が吹いていた。小高い山道を歩いていると右手にススキの原っぱがあって、そこに黒いアゲハチョウが一匹(正式には一頭)風に煽られ、自分ではコントロールが利かない有様で、上に下にと舞いながら流されていった。チョウチョは卵の形で越冬するのではなかったのだろうか?このチョウはツガイになれずあふれてしまい、この冬空をさまよっているのだろうか? 「そうだこのことを俳句にしてみよう!」、歩きながらどう詠めば良いか考える。
   あげは蝶 ススキの原を 彷徨える   と五七五にまとめてみる。
しかしこの冷たい風の中で流され彷徨う感じが表現できていない。ではと
   流されて ススキの原を 冬のチョウ
   冬のチョウ 風に押されて ススキの野
   冬のチョウ ススキの原を 風に舞う
   すすき野の 風に流さる 蝶一葉   と書き換えてみる。
しかしどうひねったところでスッキリする句にはならない。「果たしてどんな風に表現すれば良いのか?」と考え込んでしまった。

 むかし母が「短歌は言葉を搾り出して、それを紡いでいくもの」、そんな風に言っていたように思う。俳句も同じであろう。やはり私は語彙が少ないようだ。少しいろんな作品を読んで勉強する必要がある。そのためにはしばらくはNHKの俳句講座で勉強して、ある程度俳句が理解でき、自分で作れるようになってから投稿してみようと思っている。

紅葉

2012年12月07日 09時00分44秒 | Weblog

 暑く長い夏が終わって一息付いたと思ったら、11月に入ると急に寒い日が多くなった。今年は例年に比べても寒さが早く到来したような気がする。長期予報によると、今年の冬は長く寒いらしい。ひょっとすると気候の偏重で日本の四季は夏と冬が長くなり、春と秋が短くなるのではないだろうか? 私はもともと寒さが苦手だから、じわじわと寒さが増してくる秋はあまり好きではない。何時から背広を厚手のものに変えるか、何時からコートを羽織るか、何時から長袖の肌着に変えるか、その切り替えも面倒なのである。しかし今年の冬は急に寒くなったからそれに惑うことはなく、冬を迎える覚悟も早々に決まったように思う。そんな急激な温度変化からなのか、今年は紅葉が鮮やかということである。郊外の紅葉はすでに終わり、12月の初頭が都心の最後の紅葉の見ごろでなのであろう。


駅からの散歩

No.358     世田谷区 九品仏(くおんぶつ)~上野毛       12月1日

 「できれば静かな場所を歩きたい」、そう思って今日は都心の静かな町並みの地域を選んだ。渋谷から東急田園都市線で自由が丘へ、そこから大井町線に乗り換えて九品仏駅で下車する。駅から歩いて5分、広い敷地の浄真寺がある。境内は大きなイチョウの樹が数本あり、赤、黄、緑と3色のモミジが点在し、お寺には似つかわしくないほどの艶やかさである。そこからうっそうと木々に覆われた等々力渓谷へ、さらに等々力不動尊、等々力公園、野毛公園を通って、最後に五島美術館に寄ってみた。世田谷区のこの一帯は東急グループが開発した古くからの住宅地である。点在する神社仏閣や公園、紅葉に彩られ落ち着いてしっとりとした町並み、これらを縫ってを歩くと秋もまた良いものだと思うものである。


      
                      東急大井町線 九品仏(くおんぶつ)駅

      
                        九品仏唯在念佛院 浄真寺

      
                         浄真寺 モミジのトンネル

      
                            浄真寺 本堂

                  

      

      
                              浄真寺

      
                              浄真寺

      
                          赤、黄、緑の3色のモミジ

      
                           浄真寺 大イチョウ

      
                              等々力渓谷
                 等々力渓谷は東京23区内という都心にありながら
                 まるで別世界のような、静かさと緑にあふれている。

               

                  
                            カモの水浴び

      
                            等々力渓谷

      
                            等々力渓谷

               

      
                            等々力不動尊

                  

      
                            等々力不動尊

      
                            等々力不動尊

      
                          等々力公園 日本庭園

               
                         料亭のような日本庭園入り口

      
                          等々力公園 日本庭園

               
                               ミカン

               
                              キンカン

               
                              マンリョウ

      
                          等々力公園 日本庭園

      
                田園調布古墳群に連なる野毛古墳群の一つ野毛大塚古墳
                         複製の埴輪が並べてある

      
                            野毛大塚古墳

      
                            世田谷区上野毛

      
                             水彩画風に

               
                             五島美術館
         東京急行電鉄(東急)を創設した実業家五島慶太の美術コレクションを保存展示、
          今は「時代の美」鎌倉室町時代編として、美術館が所蔵の品を展示している。

      
                           五島美術館入り口

      
                             水彩画風に


                       ここから東急大井町線上野毛駅へ