60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

秩父巡礼(3)

2017年09月29日 08時23分59秒 | 散歩(7)
 先回歩いてから2週間、今日は札所12番からである。まだ日差しは強いものの、この2週間ですっかり秋らしくなった感じがする。どこからともなく金木犀の匂いがし、赤とんぼが飛び、道々に咲く花も秋の花に入れ替わった。今回は市街地にあるお寺が中心、札所12番から19番まで8ヶ所を一気に歩きとおした。
 
         
 
                   西武秩父駅
 
         
 
               今回は駅から直接歩いていく
 
         
 
                    12番札所へ
 
   
                   12番 野坂寺
 
   
 
                     野坂寺
 
          
 
          
 
   
 
         
 
         
 
                西武線を渡って13番へ
 
   
 
                   13番 慈眼寺
 
       
 
                      慈眼寺
 
          
 
          
 
                   道々に金木犀が匂う
 
          
 
   
 
                  14番 今宮坊
 
   
 
                     今宮坊
 
   
 
              秩父にはまだ古い町並みが残っている
 
            
 
   
 
                     秩父神社         
 
   
 
           ちょうどお昼時で、境内ではそうめん流しのイベント
 
         
 
        これだけ入れると汁が薄まって美味しくないと思うのだが、
 
   
 
                    秩父神社
 
   
 
                   天神地祇社
 
   
 
         社殿の表鬼門に彫られた「つなぎ龍」は左甚五郎作
 
   
 
             水に濡らすと文字が浮き出るおみくじ
 
         
 
             15番少林寺は踏み切りの向こう側
 
   
 
           ちょうど秩父鉄道のSLが汽笛を鳴らして通過した
 
   
 
             間近に来ると熱気が伝わってくる
 
         
 
                 煙の匂いが懐かしい
 
            
 
                石段を上がると少林寺
 
   
 
                  15番 少林寺
 
         
 
   
 
                   16番 西光寺
 
   
 
                      西光寺
 
          
 
                     武甲酒造
 
          
 
   
   
 
                   17番 定林寺
 
   
 
                     定林寺     
 
          
 
   
 
                   18番 神門寺
 
         
 
         
 
 
            
 
         7月15日のNHKのブラタモリで龍石寺が紹介された。
         龍石寺のスタートがこの看板のあるところからだった。
 
                    
 
   
 
                   19番 龍石寺
   岩が露頭している。江戸時代の記録では龍石寺は岩の上に直接建っていた。
 
          
 
          
 
                    お寺の裏に回る
 
   
 
          
 
          
 
            大きな岩の中に小さな石が混じっている
 
          
 
          
 
                   これがチャート?
    チャート:堆積岩の一種。主成分は二酸化ケイ素で、この成分を持つ
 放散虫・海面動物などの殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石
 
    龍石寺でご朱印帳を書いていただいた女性に当日の話を聞いてみた。
    「NHKの取材があるからとは聞いていたが、ブラタモリだとは思わなかった。
    それを聞けば噂で大勢の人がくるからだろう。この回の放映があってから、
     訪れる人が増えたように思う。やはりTVの影響は大きいですね」
 
 
                   今日はここまで
 
 
          
 
                 秩父鉄道 大野原駅
 
 
 
 

薬のやめ方減らし方

2017年09月22日 08時46分09秒 | 読書
 コンビニの書棚で「薬のやめ方、減らし方」という雑誌が目に入った(499円)。私は常用している薬は無いから、現状はやめ方や減らし方とは無縁である。しかし女房は少なくても7~8種、多いときには10種以上の薬の多用者である。血圧の降圧剤、膝痛と腰痛の鎮痛剤や血行促進剤や湿布薬、慢性気管支炎での坑炎症剤や咳止め、心療内科でもらう精神安定剤等々、まさしく薬漬けである。
 
 10年前まではそれほどでもなかったが、年齢を重ねていくに従って薬の種類は増えていった。風邪をひいた、咳が止まらない、膝や腰の痛みが激しい、過呼吸になり精神的に不安定、その都度薬に頼り、薬を飲むことで安心感を得てきたのであろう。しかし薬は一時しのぎ、それで病気が解決するわけではない。従って薬を飲み続けることになり、やがて薬の効果は薄れ、より強力な薬を服用することになる。
 
 私が「もう少し運動すれば?」、「薬に頼るのではなく、整体など物理的な治療も試してみたら?」と言っても、その都度出来ない理由を並べて聞き入れることはない。痛みや症状は当人が一番感じているわけであり、本人が病院を選択し、医者と話し治療している。したがって医療に素人の私が意見を言ったところで、女房の考え方が変わるわけではないだろう。症状が悪くなるにつれ、出される薬が効かなると、医者の不適切な対応に不満を持ち、効く薬を処方してくれる病院に変えていく。薬依存症の女房にとって薬が効かなくなることが最大の恐怖になっている。
 
 そんな家庭の事情もあって読んでみる気になった。雑誌の始めに下記のように書いてある。
 
 病気を治し、寿命を延ばすために絶対に必要な薬がある。しかしその一方で、無駄な薬、思わぬリスクが潜む危険な薬もある。そして、その線引きは往々にしてケース・バイ・ケース。個々の事情によって「白」であったり「黒」であったり、時に判別のつかない「グレー」であることも多い。医療は、個々の患者の病状、年齢、体質、既往や家族歴、そして本人の希望を汲んだオーダーメードで提供されるべきである。・・・・・・中略・・・・・医療や薬を万能だと盲信してはいけない。一方で、医療を完全否定しないリテラシーを持つことも大事であり、そして医者の言葉に疑問を感じたら素直に聞くことである。ただし、自分が医療の素人であることは肝に命じておく必要がある。これらを実践できる力が患者力である。その患者力を養うことは、間違いなく”ベストの医療”を享受できることにつながっていく。本誌はそのヒントをまとめたもので、患者力を養う一冊としても役立ててもらえるはずだ。
 
 
 「薬はゼロ、あるいは少なければ少ないほど望ましい。薬は必ず肝臓や腎臓で代謝するわけですから、2錠、3錠と増えるほど、必ず人体にかかる負担も増してきます。・・・・・・・アメリカでは、実態は別としても、医師の研修指導の場では「薬は2種類まで」、「3~4種類にするときには真剣に検討せよ」と教えている。それに対してわが国の医者というのは、薬をポンポンだしてしまう。それに日本人は薬好きです。患者さんの方も唯々諾々と飲んでいる。もちろん必要な薬もある。やめられる薬と必要な薬、そこできちんと分けて考えないといけない。問題はどの薬から減らすかだが、リスクの高い薬は、それを上回る有益性が無い限り飲むべきではないといえるであろう。下のリストは複数の現役医師に話を聞くなかで「飲み続けないほうがよい薬」として挙がったものをまとめたものである。
 
                   飲み続けないほうがよい薬(一部)
 
 
 
 
 
 さらに、・・・・多剤併用のリスクとして、
 
         
 
  ・・・・・日本人は、実にたくさんの薬を飲んでいる。とくに高齢者になると、一度に何種類もの薬を飲むようになる人が多い。これを「多剤併用」と呼ぶ。2013年に東京都健康長寿医療センターが、都内の自宅に暮らす65歳以上の高齢者885人を調査したところ、36%が6種以上の薬を飲んでおり、10種以上飲んでいる人が9%いた。最多は17種だったという。・・・中略・・・・ だが実は6種類以上の薬は飲まないほうが良い。なぜなら、薬の種類が6種以上になると急激に有害事象(副作用)が増えてくることがわかっている。薬は量が増えれば増えるほど、それらが影響しあう「相互作用」が複雑になり、未知の副作用が出やすくなる。・・・・さらに高齢者は肝臓や腎臓の機能が低下する人が増えるので、薬の主成分を解毒・排出する力が衰えてしまう。・・・
 
 また薬の種類別の「やめ方減らし方のガイド」が書いてある。(タイトルのみ、詳細は買って読んでもらうしかない)
 
   
 
 
   
 
 
   
 
 
   
 
 
   
 
 
   
 
 
   
 
 
   
 
 
   
 
 
   
  
 
   
 
 
   
 
 
   
 
 
   
 
 
   
 
 さて読んでみて、この本を女房に見せたところで、本人はどうしようもないように思う。あまりにも多くの薬に頼っているから、どの薬がどう効いているのか本人にもわからないはずである。ある薬をやめたら、それが自分の症状にどう作用するのか、複雑に絡まった糸のように、解きようの無い状態にまでなっている。あとは本人が薬からの離脱を決心し、信頼する医者に内情を話し、薬を減らしていく方向でアドバイスをもらうしかないでのであろう。しかし今痛みに苦しむ当事者が、そのような選択をするとは思えない。さてどうしたものか、悩ましい問題である。
 
 
 

秩父巡礼(2)

2017年09月15日 08時33分05秒 | 散歩(7)
 前回は四番札所の金昌寺まで回ったから、今回は五番札所からである。西武秩父駅からバスにのると乗客は私一人であった。貸切のようなバスで語歌橋バス亭まで行き、そこから歩き始める。今日のコースの途中に寺坂棚田がある。埼玉県一の棚田ということで、もう3回来ている。四季折々風情を変える棚田、今回は稲の刈り入れ時期であろう。こんな田園の風景を見られることも、巡礼の楽しみの一つである。
 
 各お寺を回っていて、車での巡礼者を見かけることも多い。札所に車で乗りつけ、シュートパンツにサンダル履きの男性が何冊かの御朱印帳を持って納経所に向かう。ご朱印をもらうとまたそそくさと車に乗って次ぎの札所に向かう。こんな様子を見るにつけ、車での巡礼に何の意味があるのだろうと思ってしまう。34個のご朱印を集めたからと言って、何のご利益も無いであろう。ただ集めたという満足感だけである。そもそも巡礼は34ヶ所を歩き通すという目標を持って歩るく。その間の努力、その間に出会う様々な景色、その間に向き合う自分の内面、そして歩き通したことでの達成感や健康への自信、そんなものが巡礼でのご利益だろうと思う。日常を脱して非日常の世界を体験するには、車という手軽な手段は使うべきではないように思う。
 
 
          
 
             西武秩父駅から語歌橋バス亭で下車
 
          
 
                  札所五番に向かう
 
   
 
                 五番 語歌堂(ごかどう)
 
          
 
         「お札禁止」にもかかわらずビッチリ貼られた千社札
 
          
 
                五番の納経所 長興寺へ
 
   
 
                      長興寺
 
          
 
                    ご朱印をもらう
 
          
 
                 
 
          
 
   
 
                  行く手に武甲山
 
          
 
   
 
                     寺坂棚田
 
   
 
   
 
   
 
                   彼岸花が咲き始めた
 
   
 
   
 
                     寺坂棚田
 
          
 
                      六番へ
 
   
 
                  六番 ト雲寺(ぼくうんじ)
 
   
 
                      ト雲寺
 
          
 
                      七番へ
 
   
 
                   七番 法長寺
             歩いての巡礼者は女性の方が多い
 
   
 
                    七番 法長寺
 
   
 
                      横瀬川
 
          
 
                      八番へ
 
   
 
                  左に曲がると西善寺
 
   
 
                   八番 西善寺
               
   
 
             樹齢600年といわれるコミネカエデ
  カエデの樹があったからそこにお寺を建てたか、お寺を建ててカエデを植えたのか
      どちらにしても両方600年程度の時間が経っていると、住職
 
   
 
                  西武線の鉄橋
 
          
 
                      九番へ
 
          
 
         武甲山の石灰岩を原料に、三菱マテリアルの横瀬工場
 
   
 
                    九番 明智寺
 
          
 
                自家用車での参拝者も多い
 
          
 
          
 
                     十番へ
 
   
 
                   十番 大慈寺
 
   
 
                      大慈寺
 
          
 
                   国道299号線
 
          
 
                     十一番へ
 
   
 
                  十一番 常楽寺
 
          
 
               今日はここまで、西武秩父駅へ
 
          
 
                    西武秩父駅
 
 

秩父巡礼(1)

2017年09月08日 08時23分45秒 | 散歩(7)
 9月から秩父巡礼を始めることにした。べつに宗教心から歩く訳ではない。最近は散歩に行く場所に困っていたから、とりあえず始めれば12~13回は散歩に行く場所が決まる。秩父にはすでに20回以上は来ていて、そのコース内に札所があれば立ち寄っている。たぶん34ヶ所のうち2/3は来ていると思う。しかし今回は正式に1番所から順番に回り、立ち寄った証としてご朱印帳も作ることにした。まずはガイドブックに従って第一番札所から廻る。今回は歩行時間4時間、距離13km、26000歩のコースである。
 
    
 
 実際に1番札所から歩いて思うのだが、この巡礼は昔の人も宗教心だけではなく、レクレーションの要素が強かったのだろうと思う。34ケ所を廻るのに約1週間かかる。江戸からでてきて旅籠に泊り、各お寺でご朱印をもらいながら巡礼する。これは一種のスタンプラリー的な要素があり、しかも34ヶ所という目標があるから頑張れる。仲間と廻るのであれば、会話がはずみストレスの発散になるかもしれない。一人で歩けば自分と向き合う時間ができる。しかも歩くことで健康に良い。江戸時代は今のように娯楽が少なかった庶民にとって、日常から脱して非日常の世界に自分を置く手段だったのだろうと思う。
 
 では私の目標はというと、秩父は自宅からもわりと近く、朝出て夕方に帰ることにそれほどの負担はない。秩父は適度に田舎で、絵の題材が豊富にあるように思う。しかも歩くことで健康維持にもなる。もう一つ挙げるとすれば、この巡礼で我が人生を振り返って、70年の総括ができれば、・・・・、そんなことも思っている。
 
   
 
                  西武線 西武秩父駅
 
          
 
                  秩父鉄道 お花畑駅
         西武秩父駅から歩いて7分、秩父鉄道へ乗り換え
 
   
 
                 秩父鉄道 和銅黒谷駅
 
         
 
                 すでにコスモスが満開  
 
   
 
                     聖神社
             和銅の採堀を機に創建された古社
 
         
 
                    和銅遺跡へ          
 
  
 
                和銅遺跡(露天掘跡)       
 
  
 
  
 
                    内田家住宅
 
          
 
              秩父はどこからでも武甲山が見える
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
          
 
  
 
  
 
                    瑞岩寺
 
  
 
            
 
  
 
                第一番 四萬部寺(しまぶじ)
 
         
 
                  おびんずるさま
     お釈迦さまの弟子の一人で、神通力にすぐれていたそうです。
     しかし、みだりに世間の人に神通力を用いたため、お釈迦様の
     呵責を受けて涅槃を許されず、お釈迦さまの減後も衆生を
     救い続けるとされている。
 
  
 
                 第一番 四萬部寺
 
  
 
       第一番四萬部寺の門前宿として江戸時代からある旅籠
 
         
 
                     旅籠一番 
 
         
 
         
 
         
 
              ここから民家が途絶え山道になる
 
         
 
  
 
                  第二番 真福寺
     真福寺は無住寺のため納経は道を下って光明寺で受け付けてくれる
 
          
 
          
 
              途中から歩行者は山道をショートカット
 
  
 
              光明寺(第二番真福寺の納経所)    
 
         
 
                   昔の道しるべ
 
  
 
                  第三番 常泉寺
 
          
 
               竹箒で生垣は面白いアイヂィア
 
          
 
  
 
                  第四番 金昌寺
            仁王門には2mの大わらじが奉納されている
 
        
 
                 石仏は1319体ある
  
  
 
         
 
                 
 
  
 
                 第四番 金昌寺
 
        
 
                  金昌寺バス亭
 
          今回はここまで、バスで西武秩父駅まで帰る
 
 
 
 
  

国分寺崖線

2017年09月01日 10時41分02秒 | 散歩(7)
 まだ残暑が厳しいので、あまり遠くに行く気になれない。ということで散歩の本にあった「涼風そよぐお鷹の道とハケの道」に行ってみることにした。国分寺崖線に沿って、JR中央線の武蔵小金井から西国分寺間を歩く。崖線から湧き出た水を集めて流れる清流沿いには木立が多く、夏でも歩きやすい散歩コースである。
 
 国分寺崖線はブラタモリ風に説明すると、東京を流れていた古多摩川が、長い年月をかけて削りとっていった河川段丘(自然河川堤防)と考えられている。この崖線を武蔵野の方言で「ハケ」と呼ぶ。ハケから湧き出た水が野川に流れ込み、野川はさらに多摩川と合流する。国分寺崖線は立川市から世田谷区の等々力渓谷を経て大田区まで、約30kmに及ぶ河川段丘である。
 
 
 
                      国分寺崖線説明図
  
   
 
              滄浪泉園(そうろうせんえん)緑地
 
   
 
    明治・大正期に三井銀行の役員、外交官、衆議院議員などを歴任した
     波多野承五郎の、「ハケと湧水」をたくみに生かした別荘の庭園。
 
   
 
         滄浪泉園は崖線にあり、降って行くと湧き水の池がある。
 
   
 
                   滄浪泉園緑地
 
   
 
                     おだんご地蔵
  
   
 
                湧き水が民家の間を流れていく
   
   
 
                        野川
                 ハケの湧き水は野川に流れ込む
  
   
 
                   殿ヶ谷戸庭園 
     大正2年~4年に江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、
           昭和4年には三菱財閥の岩崎家の別邸となる。
  
   
 
                秋の七草 女郎花(おみなえし)
 
   
  
                 殿ヶ谷戸庭園 次郎弁天池
 
   
 
                      お鷹の道
          江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に
         指定されていたことから“お鷹の道”と名づけられた。
 
   
 
         
 
                     真姿の池
 
   
 
                       お鷹の道
 
   
 
 
   
 
                     武蔵国分寺
 
   
  
                     万葉植物園
       境内には草花に昔の呼び名と、まつわる和歌が書いてある。
 
   
 
                    武蔵国分寺跡
   奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、
                     武蔵野国/国分寺・国分尼寺の寺院跡にあたる
         国分寺市はこの武蔵国分寺があったことに由来する