60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

花粉症デビュー

2011年02月25日 09時05分03秒 | Weblog
2月に入って目にかゆみが出て来た。「どうしたのだろう?」、3年前に同じようなかゆみがあって
眼科医に行ったことがある。その時は「逆さまつ毛」だと言われ、まつ毛を全部抜かれてしまった。
今回もまたまつ毛が目に触っいるのかもしれない。ピンセットで、まつ毛を抜かれるのは辛いので
「少し様子を見てみよう」そう思って耐えていた。しかしかゆみは一向に治まらず、目は益々かゆく
なってくる。しかたなく、今週になって眼科に行ってきた。

測定する必要のない視力検査など一通りの検査を終えてから、眼の中を覗き込んでいた医者が、
「アレルギー性結膜炎ですね。少しドライアイもあるようです」と言う。
「アレルギー性とは花粉症と言うことですか?」と私。
「ハウスダストの可能性もありますが、今の時期ですから多分花粉のアレルギーでしょう」
「今まではそんなことはなかったし、今も鼻水も出ませんが・・」と納得がいかず食い下がったてみた。
「花粉症は長期間の花粉接触の累積で起こるようですし、人によって症状は違うようです。とりあえず
抗アレルギーの目薬とドライアイ用の目薬を出しておきます。使ってみて2週間後に又来て下さい」、
そんなことであった。

今まで花粉症など他人事であった。自分に蕁麻疹やアトピーなどアレルギー性疾患の経験は皆無
だったから、花粉症にはならないと思い込んでいた。だから医者に言われても今一つ納得できない。
花粉症について少し調べてみることにする。

花粉症の主な症状は、くしゃみ、鼻水、鼻詰まり、目のかゆみ、これが花粉症の4大症状と呼ばれる。
本来なら無害なスギ、ヒノキ、シラカバ、ブタクサなどの花粉を身体の免疫細胞は有害物質と判断し、
体外に追いだしたり、入り込ませないようにと防御しようとする。その結果引き起こされるアレルギー
反応が花粉症なのである。重症化すると激しいくしゃみや鼻水、鼻づまり、涙の流失などに襲われる。
これはくしゃみや涙で花粉の進入を阻止しようと免疫細胞が果敢に高原を攻撃しているからなのだ。
つまり、花粉症に伴うさまざまな症状は、体の免疫細胞の勘違いで引き起こされる過剰な生体防御
反応と言うわけである。

免疫細胞には細菌感染による免疫反応を受け持つ(Th1)と、花粉症などのアレルギーを担当する
もの(Th2)とがある。2つはバランスを取り合いながら、過剰な免疫反応を互いに抑制している。
しかし花粉(アレルゲン)を大量に長期にわたり浴び続けると(Th2)が優位となり、アレルギーを担当
する(Th2)のコップは一杯になりバランスを崩してしまう。そしてアレルギー症状を発症することにる。
したがって、花粉症になりやすい人は実際に(Th2)比が高く、免疫グログブリン(IgE)と言う抗体が
多く生産されてくると、症状が強くなってくるということのようである。現在(Th2)を抑制する薬が研究
されているが、決定的なものはまだ出ていない。

スギ花粉症を統計的に見るとメンデルの法則の劣勢遺伝と一致するようである。ということは両親が
花粉症なら高い確率で子供も花粉症に罹るし、両親の一人が花粉症なら4分の1の確率で発症する
可能性があると考えられる。つまりアレルギー体質は家系的に連綿と受け続けられているらしい。
スギ花粉症は長期的にスギ花粉と接触しなければ発症しない。だから長い年月を生きて来た人の方
が花粉症に接触する機会が多くなり、そのために中年層の有病率が高いのである。今はスギ花粉に
反応する人は40代で約50%、その内症状を発症する人は50%と言われる。だから40代は4人に
1人の割合で花粉症の症状が出ていることになる。ただし60歳を超えると免疫力が衰え始めるため
花粉症にもかかりにくくなるということのようである。

日本の本来の森林植生は、カシ、シイ、コナラなどの常緑広葉樹、ブナやミズナラなどの落葉広葉樹
が主体であった。それが戦後の復興とともに大量の木材が必要になり、国策に添って成長しやすい
スギやヒノキがどんどん植えられるようになった。スギが毎年花粉を飛散させるようになるのは樹齢
30年を経過した頃からだそうである。植林事業が本格化したのは1950年頃からなので、1980年
前後からスギ花粉が大量に飛散し始めたと考えられる。花粉症が初めて報告されたのは1962年、
そして1979年には社会問題に発展したから、計算としてはつじつまが合う。

今まで、人はある程度自然環境の中で適応して生きてきた。しかし人口が増え科学技術が発達し、
人の快適な生活のために、あらゆるものが人間の為に作りかえられて来ている。それにに伴って、
自然環境は破壊され人工的な環境と、その産物とで被いつくされて来ているように思うのである。
自動車の排気ガスの問題、CO2の問題、全てが人為的な環境汚染である。スギ花粉もまた人為的
な環境変化の産物である。そんな環境変化に対して人が適応できなくなってきたことで様々な問題
が起こってきている。それは自業自得と言えばその通りなのであろう。そして年金問題ではないが、
人の安易な施策のツケは後へ後へとまわされて、後世に禍根を残していくようになるのである。

60年前に大量に植えられたスギが30年後に花粉を出し、そして我々は30年間に及び花粉を浴び
てきた。その結果が私の花粉症につながるわけである。今度はこれを抑えるために抗ヒスタミン薬や
ステロイド薬などの薬に頼れば、またそのツケ(副作用)が廻ってくるのであろう。
そう思うから今回は花粉症を薬を使って和らげることはしないようにと思う。私の免疫細胞の勝手な
勘違いで引き起こされるアレルギー反応である。しかし勘違いと言えども、防衛のために一生懸命に
働く自分の免疫細胞が愛おしいとさえ思える。だから薬で抑えるのではなく、自らも一緒に闘うべく
花粉を防御をしようと思ったのである。
その為に花粉が目に入るのを防ぐメガネ(1180円)を買った。そしてこれから鼻水などが出て
くるようであれば、今テレビで盛んに宣伝している「クリスタルヴェール」を使おうと思っている。
これは薬ではなく雑貨扱いで体への影響はないらしい。鼻の周りにジェルを塗ることで、目に見え
ない透明なプラスイオンの膜を作り、花粉が鼻腔内侵入を防いでくれる、と言う理屈のようである。

今年関東では昨年の8.5倍、花粉が観測され始めてから2番目に飛散が多い年と言われている。
はたして私の花粉症デビューはどのような展開になるのであろうか? 今は戦闘意欲充分である。


ワーキングメモリー

2011年02月18日 10時17分30秒 | Weblog
上の写真、ある社員の仕事机である。「これでよく仕事ができるなぁ?」「片づけたらどうだ!」
そう思うのだが、彼はこんな状態であっても、仕事に支障があるとは思っていないようである。
どこに何が置いてあるのか? 記憶をたどって捜し出すことができるらしい。しかし、年に一度
片づけることがあるか無いかだから、どんどん物が広がって行き周りが迷惑することになる。

先日から、祥伝新書「発達障害に気づかない大人たち」という本を読んでいる。その中に彼の
ような性格についての原因と、それに対しての治療法が書いてあった。

人の脳は母親のお腹の中で膨大な細胞分裂を繰り返し発達していく。人の体型が違うように
脳も人によって発達のバランスが違ってくる。そのバランスの違いが個人の特性や性格として
出てくるのである。だから人は生まれた時から、皆が一様というわけではないのである。
一般の人から見ると個人の性格の差で「片づけられない」、「短気でキレやすい」、「人の話を
聞かない」、「まわりの空気が読めない」などの症状は誰にも有りそうな短所のように見える。
確かにそれらはどこでも誰でもありそうな問題であるが、しかしそれらがまとまったり、極端な
症状として一人の人間に発現すると、学校や職場に適応できなくなってくる場合がでてくる。

このような症状は、普通はその人の性格や個性に属するものであって「頑張れば何とか克服
できる。出来ないのは本人の努力不足なのだ」と周辺も本人も考えがちである。そしてそれは
家庭の養育環境や心的外傷体験(トラウマ)などの環境要因や心理的要因で起こると考えら
れるが、しかしそうではなく最近の研究ではそれは明らかに生まれつき(遺伝性)、もしくは
出産前後に脳機能が損なわれることによって発症することが確認されている。
そしてその遺伝的な要因を持っていれば必ずしも発症するとはとは限らず、それはあくまでも
かかりやすさが遺伝していると考えられるのが一般的のようである。そんな脳の発達過程の
アンバランス(発達障害)の一つに、「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」というのがある。その
中でもっとも高い頻度で現れるのが「片づけられず、もの忘れが多い」という症状のようである。

ではどうしてそれが起こるのか?近年注目されているのが「ワーキングメモリー」という考え方
だそうである。「ワーキングメモリー」を一言でいえば、一つの情報を保持しながら、別の活動を
する能力。例えばキッチンでカレーを作っている時に電話がかかってきたとする。普通は電話の
相手と話しながらも、鍋のそばを離れず、時々焦げ付かないようかき回したりするはずである。
今やっていることとは別になにかをやらなければならない時、それに必要な情報を必要な期間
だけ貯蔵し、頭の中で注意を喚起する仕組み、これが「ワーキングメモリー」なのである。
昔風にいえば「ながら族」、「○○しながら○○する」という風に、同時並行的に行動を制御する
能力なのであろう。もう少し端的にいえば、頭の中に貼ったメモ帳(付箋)のようなものである。

パソコンでいえば3大機能のCPU、メモリー、ハードディスクのメモリー部分に当たるのだろう。
今のPCはメモリーの能力が高ければ高いほど、一度に沢山のアプリケーションを立ち上げて
作業ができる。他の機能は並みのPC以上なのに、このメモリー能力が不足していると単独の
仕事では圧倒的に優れているが、他の仕事に移る時はいちいちアプリケーションを閉じてから
でないと他の作業に移れない。これと同じで個人のワーキングメモリーが優れていれば複数の
業務や仕事を記憶の中でこなすことができる。しかしメモリー容量が不足していると次のことを
やるとフリーズしたり、前のことを忘れてしまうなどと、同時並行的な作業が困難になってくる。
頭の中に貼っておく付箋の糊の粘着力が弱くすぐにはがれ落ちてしまう、そんな感じであろう。

そして同時並行的な作業が困難だと、今ある課題をどう順序立てて実行すればよいか考えたり、
いくつもある条件の中から最適な答えを見つけたりするということも難しくなって来るようである。
この種の性質の人によくある特徴として「本業は出来るのに雑用ができない」「仕事は出来ても
家事ができない」などと言われる。それは、雑多な要件の優先順位をつけ、先を読んで手順を
考え、やりかけの仕事を最後まで続けて完成させる。というような一連の作業を段取りよくでき
ないからなのである。「片づけられず、もの忘れが多い」という現象はまさにその結果なのである。

それから、この性格の人は、自分に興味のないことは特に忘れやすく「記憶として取りこむこと」
「忘れずに覚えていること」「思いだすこと」も苦手なようである。しかしその一方で自分の興味や
関心があることには驚くほどの記憶力を発揮するようである。自分の興味の程度によって、その
注意力や記憶力に大きな差がでてくるのが、この種の人の典型的な症状のようである。
彼らには普通の人が出来ることができない半面、特定の限られた領域では普通の人にはとても
真似のできないような優れた才能を発揮する人も多いようである。歴史に名を残す偉人や天才に
この種の発達障害を抱えていたとされる人物が多いと言われている。音楽家だとベートーベンや
モーツアルト、科学者だとエジソンやアインシュタイン、レオナルド・ダ・ビンチなど画家だとピカソ、
ダリなどはその典型と言われている。

「片づけられず、もの忘れが多い」という人達は、現実の社会の中では「こまった人」ということで、
職場で敬遠され、疎外されて次第に孤立していく。そして、ストレス耐性の弱い彼らはそのことで
精神的なダメージを受け安く、うつを発症したり、アルコールに依存したり、ひきこもったりと二次
的な精神疾患に発展することが多いそうなのである。
写真の机の主は東大を目指した秀才である。残念ながらそれは失敗したが、しかし難関の有名
私大を卒業したエリートである。「天はニ物を与えず」ではないが、彼の弱点は「片づけられない」
ことにある。しかし幸いに彼はオーナーの息子である。誰も何も言わないからこのことで精神的な
ダメージをうけることはない。しかし将来彼が会社を引き継いだ時、反対に使われる従業員の方が
精神的に追い詰められるのではないかと心配になる。

私がこの種のことに興味を持つのは、私の女房もまた「片づけられない人」だからである。物事の
優先順位がつかない。先を読んで手順がつかない。やりかけのままで放置する。本にあるままの
性格なのである。洗濯をしても取り込まないし、畳まない。時間を約束してもいつも大幅に遅れ、
遅れても「仕方ないこと」として反省もない。料理することは嫌いで、スーパーの惣菜で済ませる
ことが多い。何を頼んでも1度でそれをやってくれたことはない。部屋は片た付かずいつも雑然とし
居心地が悪い。そんなことでケンカが絶えなくなり、結果的に夫婦仲は次第に悪くなるのである。

今まで「やればできるのに、それをやらないのは本人のなまけ癖であり努力不足」と思っていた。
しかしここ数年は「やらないのではなく、できないのではないか」という風に思うようになっていた。
だが彼女は「できないのではなく、いろいろやる事が多くって、そのことまで手が回らない」のだと
いつも言い訳をするだけで、何ら解決しようとはしないのである。今回この本を読んで女房は発達
障害の中の多動性障害(ADHD)だろうと確信を持つに至ったのである。ではどうしたらよいか?
本によると、この種の発達障害は「薬とカウンセリングで改善できる」と書いてある。この本の著者
自身(心療内科医)も重度の発達障害であったと書いてあった。しかしこの治療の前提は、本人が
自分に発達障害があるということを認め(認知)、受け入れること(受容)から始まるとも書いてある。

自分は優秀なんだと思っているオーナーの息子、長女でプライドの高い我が女房、どちらも自分の
欠陥を認めさせるのは容易なことではないだろう。そしてそのことで影響を受けている周りの人も、
それを認識してもらう過程で激しいストレスと不快感を感じることになるはずである。そしてついつい
「もういい、勝手にすれば」、そんな言葉が出て来てしまうと思うのである。「こまった人」と付き合う
側からすれば、「何と面倒なのだろう」と思うのだが、反対側から見れば彼らもまた周りの人達との
調整や調和が上手くいかず思い悩み、精一杯の神経を使っているはずである。
女房も私も歳を取ってくるに従ってワーキングメモリーはより衰えてくるし、お互いの忍耐力も無く
なって来ている。さてどうしたものか?解決方法はあるのか?老後の最大の課題である。

山口の叔母

2011年02月10日 18時01分49秒 | Weblog
                          山口市 提灯祭り

日曜日山口の叔母が亡くなったという連絡が入った。日曜日がお通夜、月曜日が葬儀とのこと、
時間もなく山口まで行くのは大変なので、とりあえず生花と香典を送ることで済ますことにした。

叔母は私の母の妹で、母は3姉妹の次女、叔母は末っ子である。三姉妹が生まれ育ったのは
山口県の中央(現・周南市)で瀬戸内海に面して、山から海に広がる平地にある農家であった。
子供が女3人だったために長女に婿を取って、その後も農業を続けた。母の両親は「自分達が
味わった農業の苦労や辛さを出来るなら娘には味あわせたくない」という気持ちがあったようで、
私の母は下関へ、叔母は山口の勤め人のところに(見合いで)嫁がせたということである。

山口市に住む叔母の家には2人の男の子がいて長男が私と、次男が私の弟と同学年であった。
母と叔母は歳も近く、生活スタイルが似ていて話しが合うのか、いつも手紙や電話で連絡を取り
お互いの近況を報告し、何にごとも相談し合っていたようである。そのため私は何かと従兄弟と
比較されることが多く、子供ながらも従兄弟にライバル心のようなものを持っていたように思う。

私が小学校高学年になった頃からは、夏休みには一人で山口の叔母の家に遊びに行っていた。
家は山口市の郊外にあり、近くに五重の塔(国宝)で有名な瑠璃光寺がある。家の周りは畑で、
夏はトウモロコシ畑が広がっていた。従兄弟に逢った当初はお互いにぎこちないものの、叔母が
取り持ってくれ、いつの間に片時も離れたくないほどに仲良く遊ぶようになる。午前中は一緒に
夏休みの宿題をし、昼からは暗くなるまで外で遊びまわる。朝起きてから寝るまでトイレ以外は
全て一緒の生活が一週間以上も続く。あっという間に時が経って、下関に帰るときは従兄弟と
別れがたく、叔母になだめられながら駅まで行き、べそをかいて汽車に乗ったことを憶えている。

ある年の夏、ちょうど山口の提灯祭り(8月7日)とぶつかったことがある。それを見に従兄弟の
家族全員と街に繰り出した。山口は「西の小京都」と呼ばれるくらいで、市街は碁盤の目のような
街並みである。その家々の軒先に、大きな竹に何十という提灯を吊るす。今は提灯の中は電球だが
当時はその提灯にロウソクの灯をともしていた。灯の入った提灯の列はまさに火のトンネルと化し、
真っ直ぐな道のはるか先まで続いている。人々は浴衣を着、団扇を持ち、屋台で食べ物を買って
その灯の中をそぞろ歩く。時々ロウソクが倒れて提灯に燃え移り、赤い炎を上げて燃え始める。
その火が竹の枝を燃やし、提灯は燃え盛りながら地面に落ちていく。そのたびに女性のキャーッ
という甲高い声が聞こえ、人の波が落下地点を避けて四方に散った。七夕の夜の火のトンネル、
燃えながら落ちる提灯、幻想的なその情景は50年以上たった今も私の脳裏に焼き付いている。

従兄弟は東京で就職し、やがて東京で世帯を持った。しかし叔母夫婦はその地を離れることなく
山口で暮らし続けた。私が叔母と最後に逢ったは35年前で私の結婚式の時である。叔母夫婦は
わざわざ東京まで出向いてくれて、お祝いをしてくれた。確か叔母が50代半ばであったと思う。
その後も電話では何度も話したことはあるが、私の両親が亡くなってからは年一回の年賀状の
交換だけになってしまった。叔母は少しボケて来たので施設に入ったが、それでも元気に暮らして
いると聞いていた。風邪をこじらせ入院したが肺炎を起こし、急な容態の変化で亡くなったようだ。
享年88歳である。

私の両親が下関から新潟へ引っ越して3年後だったか、叔母の連れ合いの叔父が亡くなった。
その叔父が亡くなった時、私の父も母も葬儀には参列しなかった。それは新潟から山口まで遠く、
老齢で大変だからだろうと思っていた。その後新潟で母に逢った時、「なぜ行かなかったのか?」
と聞いたことがある。その時母が言ったのは、下関から新潟へ引っ越すとき、山口の夫婦と我々
夫婦と4人で逢ってお別れの食事をした。その時に「これからは山口と新潟と別れ別れで暮らす
ようになる。お互い歳を取って不自由になるだろうから、お互いが元気な今日のこの日を今生の
別れとして、もう逢うことは止めよう」、ということにしたそうである。
その後は電話や手紙のやり取りは欠かさず続いていたが、お互い逢うことはなかったそうである。
私の母が亡くなった時も、その後父が亡くなった時も、山口の叔母が葬儀に来ることはなかった。

母と叔母がなぜ逢うことを止めたのか?今になって思うのだが、老いさらばえていくお互いの姿を
見せたくないと思ったのかもししれない。また反対に見たくもなかったのかもしれない。そう思うと
私も葬儀に参列して、棺桶の中の叔母の姿を見たくはないと思う。山口弁で喋りながら、にっこり
笑う50代の叔母のままでいいのである。そのイメージの上に老いた叔母の死顔を上書きしたくは
無い。私の叔母に関わる記憶は、物心付いてから結婚まで、その時々の貴重な思い出なのである。
葬儀に行って現実を見るより、思い出として記憶の中で生き続けていて欲しいと思うのである。

もう少しして仕事を辞めれたとき、一人旅をして、ゆっくり故郷の下関を訪ねて見たいと思っている。
その時、山口まで足を伸ばし、どうなっているか判らないが、当時の家を訪ね、瑠璃光寺のシーン
とした雰囲気を味わい、従兄弟と遊んだ山や川を訪れてみ、最後に叔母さんのお墓に手を合わせ、
今までのお礼と冥福をお祈りしておきたいと思っている。


フェイスブック

2011年02月04日 11時14分24秒 | Weblog
今月末発表のアカデミー賞で作品賞は「ソーシャル・ネットワーク」と「英国王のスピーチ」という
2本が最有力候補であるらしい。先週その1本「ソーシャル・ネットワーク」という映画を見て来た。
この映画実話に基づいていて、ハーバード大学在学中のマーク・ザッカーバーグという主人公が
ネットワーク・サービス「フェイスブック」というソーシャル・ネットワークを設立する。それはたちまち
評判となり世界的な規模に広がっていった。しかし同じ大学内で上級生が運営する従来のサイト
のパクリだと反感を買ったり、金を出してくれた友人を裏切ることになったりと、大勢の人達を敵に
回すことになるなど、大学生たちの間に生じる愛憎を緊張感豊かに描いた作品である。

主人公のマーク・ザッカーバーグは最近では最も成功した起業家であり、マイクロソフト創業者の
ビル・ゲイツやアップル創業のスティーブ・ジョブズに匹敵するスケールを持った人物と言われる。
現在の企業価値は500億ドル(5兆円)、2010年における「フェイスブック」のディスプレイ広告
収益は16億ドルで、グーグルの10億ドルを上回る見通しのようである。そして彼の推定資産は
1兆円、年齢は26歳と世界で一番若いミリオネアと言われている。

私はそれほど面白い映画とは思わなかった。ではなぜアカデミー賞候補なのだろうかと考えると、
そこには成功までの紆余曲折の中で、友情や金にまつわる裏切りや嫉妬といった人間の欲望が
フィクションではなく、現実の話しとして描かれているから迫力があるのである。そしてそれに加え、
一つのチャンスを生かしてビックになるというサクセスストーリーが、アメリカンドリームに繋がって
いるからだろうと思う。

ソーシャルネットワークとは、人と人とのつながりを促進しサポートする、コミュニティ型の会員制の
サービスと定義される。フェイスブックは2010年のサイト訪問者数がグーグルを超えてアメリカを
はじめ多くの国で、この分野のシェアでトップに躍り出ている。今現在の登録者数は6億人に迫る
勢いで、日本でも既に300万人以上の会員がいるという。なぜ、フェイスブックがそれほど急速に
広がって行くのか?その主な理由は、他に比べての最大の特徴は実名性にあるということらしい。
そしてそのクオリティーを維持するために、実名でないとアカウントは停止処分とされることもある。
日本ではソーシャルネットワークと言えば「mixi」が有名で、現在2000万人の会員登録があると
言われている。しかし日本の「mixi」は基本的に匿名で発展をしてきた。だから実名を使うことが
コンセプトのフェイスブックは日本ではなかな根付かないのではないかという声も多いようである。

匿名の「mixi」と実名の「フェイスブック」、何がどう違うのか?やはりやってみなければわからない。
そんなことから「百聞は一見に如かず」映画を見た後フェイスブックの会員になってみることにした。
登録に際し自分の写真を掲載し、実名を入れ生年月日を入れ、会社名や居住地や出身地、高校、
大学の出身校まで登録していく、それに加えて恋愛の対象まで聞かれるのである。言ってみれば
自分のことを事細かく書いた顔写真付きの名刺を全世界に晒すようなものである。

個人情報をここまで晒して大丈夫なのだろうか?そんな不安はぬぐいきれない。それともう一つ、
例えば私が年齢も経歴も偽り、写真も福山雅治に似せた写真を掲載したとしてもその偽りを誰も
チェックできないし、正すこともできないのではないだろうかと思う。だから悪意のある輩はこれを
詐欺の手段に使わうだろと心配になる。しかし我々が心配するようなことはアメリカでは問題には
ならないのかもしれない。「自分の身は自分で守る」、そのために拳銃も認める国である。フェイス
ブックに関わるトラブルは全て自己責任なのであろう。そんなことで躊躇するより、ネットの進化の
中で、より効率よく実名で検索しアクセスすることで実効を得られる。その方が優先するのだろう。
「おれおれ詐欺」ではないが、社会や人を簡単に信用しまう性善説の多い日本人気質と、人とは
信用できないという考えで、自己責任が前提のアメリカ人の気質の違いがあるのかもしれない。

さて実際に登録して自分のページを見ると、そこには、この人「知り合いかも?」という表示の下に
何人もの顔写真が並べてある。多分自分が記入したキャリアに適合すると思われる相手を選んで
勝手に引きあわせてくれているのであろう?その中から、これはと思う人を選んで「友達になる」と
いう所をクリックすれば相手にサインが行くのだあろうか?
もう少し共通の経歴の人は居ないかと思い学校名を入れて検索すると、2名が「いいね」と言って
いるというサインが出てくる。これは何を意味しているのだろうか? いろいろと試してみたいから、
自分の名前を入れて検索してみると、一番最初に私の顔写真と名前が出て来た。

要はインターネットの検索機能を使い自分に合った条件の人をより具体的に、且つ迅速に探し出し
その人とコミュニケーションしていこうというサイトのようである。mixiは仮面を被っての交流が主体
であるから、ある種気軽さがある。しかしそれに比べ、相手の顔写真が見えキャリアが判った上で
アクセスするのには、大きな責任意識と戸惑いと、気恥ずかしさがでてくるものである。そのために
次のステップに進むことを躊躇してしまう。さてどういう風にすればどうなるのか?だれか気安い人
を誘って試験的に交流してから、本格参入してみようと思っている。

先日ラジオ番組で現在の無縁社会とこのフェイスブックとを組み合わせて、孤立する高齢者対策の
切り札にしたらどうだろうということを言っていた。相手が判った上でネットでコミュニケーションする、
高齢者個々の状況把握、健康管理等々高齢者をネットで結ぶことで、少しでも孤立感を軽減でき
るのではないか、そんな内容であったとうに思う。しかし、将来的にはそんなことも可能であろうが、
今のアナログ世代の年寄り相手では、それはほとんど不可能なように思う。
今からはインターネット抜きでは考えられない時代になりつつある。そんな変化の中でも我々世代
はあえて関わりを持とうとしなければそれはそれで済んでしまう。そして世の中の変化の中で益々
孤立してしまうのであろう。しかし考えようによっては人生の最終章にさしかかって、こんな大きな
変化を体験ができることは喜びでもあるように思える。少しでもその渦の中に巻き込まれ緊張感を
味わうことができれば、自分は「今」に生きているという実感が持てるのではないだろうか。