60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

水彩画教室(9)

2014年04月25日 08時22分07秒 | 美術
 上の写真は水彩画教室の場にタイ(国)のTVカメラが入った時のものである。生徒の一人にタイの人がいて、彼女の日本での活動を取材するためである。タイと日本の修好130周年を迎えるに当たって、日本で活躍するタイ人のドキュメンタリー番組が企画された。彼女はタイで学校の先生をしていたが、タイに赴任していた日本の男性と結婚し、今は日本で暮らしている。日本での彼女は、外国語教室でタイ語を教え、そのかたわら医療ボランティア(タイ人が日本で医療を受ける時の通訳)をしている。ドキュメンタリー番組は総枠20時間あまりで、その内1時間が彼女の枠だそうである。彼女の取材の内容は、外国語教室で日本のビジネスマン相手にタイ語を教える場面、医療ボランティアで病院と患者との間で通訳するシーン、日本での日常の生活の風景、そして今回は彼女が水彩画教室で絵を習っている様子の取材である。

 エキストラのような我々生徒は、カメラが回っているのを意識しながら絵を描き、時折先生に質問して見せる。そんな様子を30分あまり撮影した後、今度は取材者から生徒一人一人にインタビューがあった。「絵を始めた動機はなんですか?」、「絵を始めたことで、自分の中に何か変化がありますか?」という2つの質問である。それぞれの生徒がそれぞれに答え、約1時間の取材が終わった。この番組のタイでの放映は来年だそうで、これで私はタイでのTVデビューである。これはなかなか得がたい経験であった。

 さて今月で水彩画教室に通い始めて2年半になる(30ヶ月X2回/月=60回)。振り返ってみれば我ながらよく通ったものだと思う。飽きやすな私が、なぜ続けることができたのか?。たぶん今まで散歩で撮り溜めた写真がたくさんあって、その写真をベースに風景画を描くことを目標にしたからであろう。私のように絵を描いたことがなかった者が、唐突に絵を描き始めても、いずれ何を描くかで行き詰ったかもしれない。私の基本は歩くこと、歩くだけでは面白くないから折々の風景をデジカメで撮って記録する。その中で自分で「良いな~」と思う風景を絵に描いてみる。それぞれの趣味が、関係し連動し補完してくれる。そんなことが自分の中に根付かせるてくれる要因になったのかもしれない。

 下の絵は今年になっての7回分の14作品である。「教室の2時間で2枚を完成させる」、自分で決めたこのノルマはまだ守っている。下書きを事前に描いて行き、教室ではひたすら色を塗る。少しでも上達するには、体で覚え感覚で覚えていくことが早道だろうと思うからである。そんなことで教室での2時間はあっと言う間に過ぎていく。だらだらとした私の日常生活の中で、集中できるこの時間がある事が貴重なのである。


      
                          小田原城

      
                      中野区 哲学堂公園

 上の2枚の絵は従来の荒目の画用紙を使っている。今回からは細目の紙に変えてみた。
  画用紙が肌理細かいだけ色鉛筆の乗りが良い。女性の化粧乗りも同じことなのか?

      
                 中野区 童謡「たき火」のモデルになった農家
   ♪垣根の垣根に曲がり角、たき火だたき火だ落ち葉たき・・・の作詞家の散歩コース

      
                        所沢 小手指が原
                      
      
                      西所沢 屋敷林のある農家

      
                          元加治 入間川

      
                           秩父 武甲山

      
                           秩父 横瀬駅

      
                           佐渡 旧街道

      
                            江ノ島(1)

      
                            元加治駅

      
                           上野 不忍池

      
                            江ノ島(2)

      
                            江ノ島(3)










ゆれる基準

2014年04月18日 08時40分43秒 | Weblog
先週の新聞に『健康と判定される人が増える?』というタイトルで、健康診断の基準の変更の記事が載っていた。
 [日本人間ドック学会と健康保険組合連合会が、人間ドック受診者約150万人を対象とした調査により、健康といえる基準値を公表した。同学会などは、2011年に200カ所の医療機関で人間ドックを受けた約150万人から、持病がなく、たばこを吸わないなどの条件に合う約34万人を選別。このうち、極めて健康な状態とされた約1万~1万5000人について、27項目の検査結果を解析し、正常とされる基準範囲を算出した。その結果、血圧は男女とも、上(収縮期血圧)が147以下、下(拡張期血圧)が94以下となり、現在の同学会の基準より高めとなった。これまでは前者で129以下、後者で84以下を「異常なし」としていた。男女差や年齢差のある項目もあり、中性脂肪では、女性は32〜134と学会基準(30〜149)より若干厳しくなったが、男性は39〜198となり、上限が大幅に緩和された。悪玉とされるLDLコレステロールは男女とも学会基準(60〜119)より高めとなった。高齢の女性で特に高い傾向があり、65〜80歳では190でも正常値とされた〕

 私の昨年の健康診断の結果は、血圧は131/92で「C」評価、LDLコレステロールは131で「B」評価であった。唯一この2項目が引っかかる程度で後は「A」である。新基準でいけば2項目とも悠々セーフである。では今までの基準は何だったのだろうかと思う。例えば血圧の基準は元々は160/95であった。それが2000年に降圧薬治療開始基準が140/90に引き下げられる(健康基準は130/85)。この2000年の基準値の改定で、あらたに2500万人が『高血圧』の患者となり、降圧剤の売り上げは3倍以上〈約1兆円)になるだろうと言われている。これはノバルティスファーマの不正事件ではないが、医療者と製薬会社のもたれ合い体質が根底にあるとも言われている。

 医者にしても製薬会社にしても健康関連のメーカーにしても、人の病気を治し、健康をサポートすることで商売が成り立っている。しかし一方では健康な人が多くなれば、自分達の商売は縮小していく。そこで考えつくことが、健康の基準値を狭めることである。これにより不健康な人が増え、健康関連の企業は潤うことになる。しかしその結果、国の医療費は増え続けていく。2011年度に全国の医療機関に支払われた医療費の総額(国民医療費)が、前年度比1兆1648億円増(3.1%増)の38兆5850億円だったと言う。国民1人当たりでは30万1900円で5年連続で過去最高を更新したようである。これが続けば国家予算が破綻をきたすことになる。

 以前にも書いたことがあるが、メガネ屋と眼科医は人の視力が良くなることは望まない。だから必ず「焦点のあった正しいメガネを掛けないと益々目が悪くなりますよ」と言う。しかし近視は生活習慣病である。近くや暗がりで物を見る習慣を改めず、正しいメガネを作っても、また近視の度は進んでいくことになる。これではメガネ屋の思う壺である。血圧にしても同じである。医者は血圧が140を超えると、「血圧はきちっとコントロールしておいた方がいいでしょう」、そういって血圧降下剤を積極的に処方する。しかしある説によると、歳を取るほど血管の弾力は衰えるから、末端の血管まで血液を運ぶためには血圧が上がるのは自然だという。昔、血圧の目安といわれていたのは、自分の年齢プラス90であった。そういうことからすれば新基準の方が我々には適合しているように思うのである。

 今TV番組は健康番組が花盛りである。従って昔に比べればはるかに健康に対する知識も意識も高まっている。しかし反対に、なまじの知識があるために健康に対して臆病になり、病気に関するけん伝に左右されすぎているようにも思われる。少し自分の体に変調があれば、医者に行って薬を処方してもらう。そしてそれを飲むことで安心感を得ているのではないだろうか。医療活動も基本的にはビジネスである。だから飛び込んできた患者はなるべく検査漬け薬漬けにし、医療点数を増やし儲けに走ることになる。医者を悪く言うつもりはないのだが、日本の医療が国民皆保険制度の上に成り立っている以上、その中でいかに稼ぐかを考えざるを得ない。そして医療を受ける側も医療費の自己負担が3割〈70以上2割)と少ないから、自分の健康を医者任せにしているように思うのである。

 健康は大切である。しかし何もかも医者任せでは、自分の体をオートメーションのコンベアの上に乗せているようなものである。自分の健康は自分で管理し、自分が改善していくのが原則であろう。まずは自分の体調は常に神経を研ぎ澄まし、日常と異なる異変を感じたら速やかに医者に行き検査してもらう。そこで何らかの異常が見つかった場合は、その原因と対処法をしっかりと聞くことである。そこでの説明に納得がいけば医者の指示に従うが、納得がいかなければインターネットやセカンドオピニオンで徹底的に調べ、その上で自分で決める。我々の病気の多くは生活習慣病であるから、なるべく薬に頼らず、生活習慣を改めることで対処する。専門医の見解は素直に聞くが、どう治療するか、どう改善するかは自分で決めたいものである。

      





それぞれの花見

2014年04月11日 08時20分40秒 | Weblog
 先週の水彩画教室では季節がら桜を描くことにした。私の描いている絵を見て、先生と生徒たちが、それぞれの花見のベスト・シチュエーション、ワースト・シチュエーションを語リ始めた。その中でワーストとして上がったのが、大勢の人が集まるところでブルーシートを敷いて宴会をしているところ、企業名や個人名を書いたピンクの提灯がずらりとぶら下がっているところ、痛々しいほど枝が切られた老木が多いところ、などがあった。上の写真は上野公園である。大勢の人が集まって弁当を広げ、宴会が始まっている。その脇を人がぞろぞろと歩いて、雑踏の中の花見である。都内の桜の名所は大勢の人が楽しみむ場所である。だからそんな場所での宴会は禁止にすべきだと思う。酒盛りがしたければ、企業であれば私有地の桜、仲間や家族であれば、近隣にある神社仏閣や公園の桜のある場所でやればいい。彼らにとっては桜などどうでもよく、花見を理由に酒を飲みたいだけなのだから。

 教室の生徒さんの一人は埼玉県の飯能市に住んでいる。彼女の家の前は入間川(名栗川)が流れていて、20年以上前に住宅地が整備され、その時に川の土手に桜が植えられたそうである。始めは桜の間隔も間延びしてサマにならなかったが、今ではすっかり樹も大きくなって立派な桜並木になっている。しかし市内には桜で有名なところもあり、この桜並木は近隣の人が通るだけで、全く注目されていない。しかし彼女にとっては、そんな静かな桜並木を、自分の2階の部屋からぼんやりと眺めている。そんな時間が至福の時なのだそうである。

 私もどちらかといえば、桜と静かに向き合いたい方である。だから人が大勢いると気が散って邪魔である。私の好きな花見のベスト・シチュエーションは、春うららの中、桜並木をゆっくりと散歩するとき、自在に枝を伸ばした大きな老木の桜を見上げるとき、池や川や空などに桜のピンク色が映えた景色を見るとき、こんな花見が好きである。春を感じ、温かさを感じ、華やかさを感じ、落ち着きを感じ、そんな空間を見つけて、いつまでも浸っていたいと思うのである。

 生徒さんの一人が言っていた飯能の桜、我が家から飯能までは電車で20分なので、先週の土曜日に行ってみた。飯能駅から歩いて20分ほどのところに、それと思われる桜並木があった(下の写真)。広い川原にも並木の歩道にも、ほとんど人が見当たらない。上野公園の花見風景と比べれば雲泥の差である。空は広く伸びやかで、桜の木々が春のこの一瞬を謳歌し、咲き誇っているようである。この桜並木から入間川沿いに歩いて元加治駅へ、そこから電車で私のお気に入りの桜のスポットの高麗に行った。今年の花見はこの1日だけだったが、人が少なかっただけ、桜を堪能したように思える。


      
                    飯能市 入間川沿いの桜並木

      
                  歩道にも花見をする人はほとんどいない

               
              やっと一組の夫婦、仲良くみたらし団子を食べていた

      
                     元加治駅付近の入間川

      


      
    今の桜は、子供の頃より白くなったように思う。たまたま歩いていて1本の桜の樹で
    枝によって花びらの色が違うものを見つけた。先祖帰りしたのだろうか? 奥の花の
    色に比べ手前の花の方が僅かに濃い。手前の色が昔見た桜の色のように思える。

          
                          高麗駅

      
               高麗の巾着田の桜 私のお気に入りのスポット
              歩きながら森山直太郎の「さくら」を口ずさみたくなる

      
                   巾着田の桜 人が少ないのが良い

          


      


      


      


      
                    我が家の近くにある弁天池

※先週の水彩画教室で描いた桜

      

      






消費税

2014年04月04日 08時35分51秒 | Weblog
 4月1日から消費税が5%から8%に上がった。通勤途中に時々利用している『EXCELSIOR CAFFE』のコーヒーが290円から330円(13.8%)に値上がっている。同じ系列のドトールも200円⇒220円(10%)の値上げ、この期に消費税以上の値上げは違和感を感じる。今まで店内に値上げの予告や説明は何もなかった。これではドサクサ紛れの便乗値上げではないのか。
 会社の近くの個人喫茶店は450円でそのまま、セブンイレブンのセブンカフェは100円で据えおきである。この機を利用して便乗値上げするところ、値上げしたくても踏み切れないところ、政策的に据えおくところ、コーヒー一つをとってもさまざまである。

 3月末にはトイレットペーパなど日用雑貨を買い込む主婦や、ガソリンスタンドに並ぶ車など、庶民のささやかな防衛策の駆け込み需要が報道されていた。そんなニュースを見ていても、我々老夫婦にとっては差し迫って買って置く物が見当たらない。やはり歳とともに不活性になり、購買意欲は落ち、加えて面倒臭さが先にたつのである。今回唯一買ったのは定期券、今まで3ヶ月単位で買っていたものを6ヶ月に延ばしただけである。 
 TVの討論番組でも、「社会保障の充実のためには増税もやむなし」、「増税すれば消費が冷え込み、反対に税収は伸びない」、「まだ無駄な支出が多いのだから、それから手をつけるべきだ」、「弱者には益々暮らしにくくなる」等々、この問題で立場の違う人達がどんなに議論しても、意見がまとまることはありえない。ここに至っては、やってみてその上で、何がどう変化しどう修正していくべきなか、考えていくしかないのであろう。

 「今後の経済動向などを見極めた上で、来年の10月1日からさらに10%に引き上げる」、そういう予定のようである。早いか遅いかは別にして、国の財政を考えれば、いずれ消費税は恒常的に上がっていくのであろう。アナリストによれば、近い将来ヨーロッパ諸国のように16%~20%にまで引き上げなければ、国の財政が成り立たなくなると言う。いま世界の消費税はどうなっているのか?、ネットで調べてみた。アメリカは一律の消費税というものはなく、州によって0%~9.75%までの州税や郡税があるだけである。中国では、領収書を発行する場合だけ消費税がかるが、一般の消費者には税はかからない。反対にヨーロッパはどこの国も高率で、ドイツ19%、フランス19.6%、イタリア21%、イギリス20%のようである。これらの分布を見ると、お国柄と税制には共通項があるように思える。消費大国といわれ、消費が活発なアメリカや中国は消費税が低く、一方伝統文化を重んじ堅実で質素なイメージのヨーロッパは消費税率が高い。

 日本は今までは消費税率も低く、アメリカ型の消費社会であった。しかし消費税率が5%から8%、さらに10%やそれ以上に上がっていけば、消費そのものにブレーキが掛かり鈍化していくのは必然のように思われる。そしてそれに伴って消費者の意識が変わってくる。例えば年間衣服費に20万円を使っていたとして、そこにヨーロッパ並みに20%(4万円)の消費税が掛かるとすれば、やはり使い捨てはやめ、良い物を買って長く着ようとするのではないだろうか。住宅にしても20%の税金を考えれば、おいそれとは建て替えず、古い家を丁寧に使おうと思うだろう。10%や20%もの余分な重さを抱えたままグングン消費が伸びるとは到底考えられないのである。やがて消費社会が終わり、我々の生活のあり様も次第に変わっていくはずである。量から質へ、物欲から精神的な豊かさへ、高速で回っていた社会から少しテンポが緩やかになってくると、自分らしい生活を楽しむヨーロッパ型の成熟社会に変貌していくように思うのである。

 私が生まれて物心ついた頃は戦後の物不足の時代であった。古新聞で習字を練習し、広告チラシの裏に絵を描き、包装紙や紐は取っておいて再利用する。服や靴下もツギハギは当たり前、靴底に穴が空いても新しい靴はなかなか買ってもらえない時代であった。そんな時代から消費は次第に活発になり、やがて大量消費時代に突入していく。そしてバブルの崩壊、長く消費低迷の時期が続いてきた。多分これからは日本も消費の成熟期になるのであろう。振り返えると日本の消費動向と、私の70年の消費マインドの変遷とが相似しているようである。そう考えると今回の消費増税も決して悪いものではなく、時代の流れだと許容できるのである。