60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

古いレコード

2015年02月27日 08時06分43秒 | Weblog
 平成7年今から20年前の5月、両親は下関から新潟へ引っ越した。年老いていく両親にとって、石段と坂ばかりの環境では早晩暮らすことができなくなるだろうことは、親も息子達も分かっていた。親族会議の結果、両親は弟夫婦達と一緒に2所帯住宅を建てて新潟に住むことにした。両親にとって生まれ故郷でもあり、住みなれた地を離れることは一大決心が要ったであろう。私は引越しに際して家財道具の片付けと、荷物の運び出しの手伝いで、2度ほど実家に帰ったように覚えている。新潟の家は2所帯住宅といえども、今までの何分の1かの居住スペースである。両親は今まで維持管理してきた家財道具や古い持ち物を、この際一気に処分して行くと決めていた。
 
 実家は大正期に祖父が建てた家である。当時で築70有余年の家には玉石混合の骨董品から古い家財道具まで、ありとあらゆるものが詰まっていた。父は最低必要な家財道具と掛け軸の20~30本だけを選び出し、他は処分するように仕分けていた。その処分する中に古いレコード(SP盤)があった。たぶん祖父と祖母が集めたレコードで、昭和初期の義太夫、端唄、流行歌、浪花節、漫談、そして軍歌などである。私は陶器や掛け軸には興味は無かったが、この古いレコードを捨てることにわずかな抵抗を感じてしまった。幼児期、何の遊び道具も無かった時代にこのレコードをかけて、漫談に笑い軍歌を覚えたことが懐しかったからであろう。父に「これを捨ててしまうのはもったいないのでは?」と聞くと、「蓄音機もないのに、どうしようもないだろう。要るなら持って行け」と言う。ひょっとして価値があるかもしれない。そんなスケベ心も働いて、私は60枚以上あったレコードを宅急便で会社に送ることにした。(自宅より都内にある会社の方がさばきやすいと思ったからである)
 
 先週会社の私物を整理していた時、存在すら忘れたいたこの時のレコードが出てきた。ダンボールを開けると、茶色に変色した当時の新聞紙(平成7年)に包んだそのままである。昭和初期のレコードが、さらに20年タイムスリップして現れた感じである。「さてどうしたものか,、・・・」、「78回転のSPレコードを聴ける蓄音機などおいそれとはない。聴けないなら売しかないだろう」、そう思ってインターネットで《レーコード買取》で検索してみた。そこには何社かの買い取り業者があった。どこも宅配便で現物を届けるか、持ち込みや訪問によって相手が現物を確認し、その後査定し見積もりの段取りのようである。さらにインターネットの情報を繰っていくと、「古いレコードの販売について」と題してこんな記事があった。古いレコードは買取業者には売らないほうが良い。基本的に二束三文で10円から100円程度の買い取り価格である。それでは販売する意味がないから、手放すならインターネットのオークションンにかけるのが一番ベターであると、
 
 確かにそうかもしれないと思う。古い本をブックオフに持ち込んでも、1冊10円からせいぜい100円程度、100冊持ち込んでも2~3000円で、そのうち2割程度は「これは引き取れませんね」と突き返される。「そうですか、じゃあ捨ててください」と、置いて帰るのがせいぜいである。こちらが必要がなくなったものは、どうしても相手の言いなりの価格で買い叩かれてしまう。古いレコードでも同じことなのかもしれない。今は聴く手段も持たないのだから持っていても無用の長物である。10円といわれれば10円、1000円と言われれば1000円、捨てるのにお金がかかるといわれれば、そうなのであろう。
 
 今から80年以上も前の音源、価値があると認めてくれる人たちにとっては価値があるのかもしれない。しかも義太夫、浪曲、浪速節、端唄とマニアックなものもある。これが本当に貴重なものなら、NHKのアーカイブスに寄贈でもするのが一番良いのかもしれない。しかし当時は一般的なものだったのだろうから、そこまでの価値はないだろう。ではどうする、「う~ん、う~~ん」と考えてしまう。とりあえずは浅草にあるというレコード販売店に行って実情を聞いて見ることから始めるとしよう。父が捨てようとしたように、あのままゴミとして捨てられていれば、こんなことに気を使わなくて済んだものをとも思う。あの時の判断が20年経って、今自分に降りかかってきた。

 ※以下レコードの一部を仕分けしてみた。基本的にはレコードのジャケットは中の歌い手と関係なく、発売元の専属歌手等の宣伝に使われているようである。


          義太夫「野崎村」 太夫 豊竹古靭太夫 10枚(1~20巻)

     

           浪曲「五郎とその母」 天中軒雲月 4枚(1~8巻)

     

         浪花節「杉野兵曹長のこと」 天中軒雲月 4枚(1~8枚)

     

            浪花節「赤城源蔵」 天中軒雲月 2枚(1~4巻)

     

          浪花節「曽我兄弟討入」 浪速亭綾太郎 2枚(1~4巻)


                 端唄特選集 藤本ニ三吉 12枚
     「御所車、梅は咲いたか、秋の夜、秋桔梗、潮来出島、夕暮れ、縁かいな、大津絵、槍さび、
     鬢ほつ、青柳、宇治茶、夜桜、惚れて通う、桜みよとて、初日みよとて、からかさ、我がもの、
             留めても帰る、せがれせかれて、時鳥(三下り)、蝙蝠、」
 
     
 
         端唄「かっぽれ、奴さん、えんかいな、我がもの」 壽才三  2枚
 
            
 
                端唄「ニ上がり新内、木津川」  みき光
 
            
 
         流行歌「ああそれなのに、うちの女房には髭がある」  美つ奴
 
            
 
                  新小唄「あんこ椿」 小唄勝太郎
 
            
 
            流行歌「木曽は25里、おばこ可愛や」  小唄勝太郎
 
            
 
               流行歌「桐一葉、勧進帳」  東海林太郎
 
            
 
             流行歌「江南の華、坊やの父さま」  東海林太郎
 
 
 
 
 
 

箱根駅伝を歩く

2015年02月20日 08時16分56秒 | 散歩(5)

 1月の末に遊行寺の坂を歩いた後に、毎年正月に行われている箱根駅伝のコースを歩いてみようと思いついた。大手町の読売新聞本社前から箱根芦ノ湖まで5区間、1区間だいたい20kmで芦ノ湖まで107.5kmである。1日に11km程度歩けば10回で芦ノ湖まで行けることになる。コースはほとんどが市街地、途中の接続ポイントまで行くにも帰るにも、交通の不便はないだろう。そう考えてインターネットでコースの地図をプリントアウトしてリュックの中に入れておいた。

 先週の建国記念日は絶好の散歩日和、早速リュックを担いで大手町の読売新聞社へ向かう。休日の大手町はひっそりして人気がいない。新聞社の高いビルを見上げてから409号線を南に向かってスタートする。歩きはじめるとすぐに皇居のお堀が見え始める。左に東京駅が見え、右に日比谷公園そして左に帝国ホテルと、見覚えのある景色が続いていく。今まではスポットとして見てきた光景が今回は串刺しになって横に繋がり、その位置関係が実測として自分の中にインプットされる感じである。休日の都心は車も人も少なく、平日の喧騒が嘘のようである。沿道脇にある東京タワー、増上寺、赤穂浪士の泉岳寺と寄り道して写真を撮りながらの散歩は思った以上に快適である。
 
 品川駅を過ぎ新八ッ山橋の陸橋を過ぎてからは15号線のそばを京急線が走り、長くフラットな道が続く。駅伝のランナーにとっては目だった景色の変化もなく単調な行程だろう。道の脇の標識が「日本橋から10km」、「日本橋から11km」と数字が増していく。12kmに近づいたころに京急線の大森海岸駅があった。「今日はここまでにしておこう」、そう思ってスマホの万歩計を見ると、大手町から25000歩、約13kmであった。
  • 往路 (107.5km)
    • 第1区 (21.3km) 大手町・読売新聞東京本前 - 鶴見
    • 第2区 (23.1km) 鶴見 - 戸塚
    • 第3区 (21.4km) 戸塚 - 平塚
    • 第4区 (18.5km) 平塚 - 小田原
    • 第5区 (23.2km) 小田原 - 箱根町芦ノ湖駐車場入口

    

                                      大手町 読売新聞社前

    

                     休みの大手町の朝はひっそりしている

    

                                   和田蔵濠

                     スタートして間もなく皇居のお堀のそばを通る

                

    

                                左手に東京駅

    

                                 日比谷濠

    

                               日比谷通り

    

                                日比谷濠

              

    

                                  日比谷公園

              

                        公園内にある日比谷花壇の店

    

                            左に帝国ホテル

    

                            右に日比谷公会堂

    

                      右手の奥に新しく建った虎ノ門ヒルズ

    

                                   芝公園

              

        

                              東京タワー

    

                              増上寺山門

    

                                  増上寺

    

    

                          増上寺でも挙式が行われている

              

                              三田の交差点

              

                               国道15号線

                    三田交差点で409号は国道15号と合流する

    

                                  泉岳寺

    

                               赤穂浪士の墓

    

                         増上寺と泉岳寺でご朱印をゲット

    

                                 品川駅前

    

                               新八ッ山橋

    

                                 品川神社

              

                         日本橋から10kmの標識

              

                     国道15号線のフラットな道は続いていく

    

                       15号線のそばにある京急大森海岸駅

                              今日はここまで

 

 

 

 

 


マクドナルド

2015年02月13日 08時19分41秒 | Weblog
 近所にマックの店ができたのは何時だったろうか?、子供が小さい頃はお昼に家族全員で食べに行っていた。大きくなると子供たちの注文を聞いて私が買出しに行った。そして子供が独立して家を出て行った今、外出しない休みは新聞を持って珈琲を飲みに行く。そんなことを思い出すとマックは私の生活にすっかり馴染んでいた店である。
 
 そんな身近にあったマクドナルドが昨年の使用期限切れの肉を使ったナゲットの問題、そしてその後の異物混入事件から大きく売り上げを落としていく。直近の1月の売り上げは前年比-38.6%、客数は-28.5%、客単価は-14.1%と最悪な状況である。ナゲットの問題からすでに半年が経過している。それでも回復できず、より大きくダウンしているのはマクドナルドの構造的な問題にあるように思うのである。
 
 私の通うマックの店は駐車場付の郊外型である。朝10時頃店に入るとまだモーニングメニューの時間帯である。ガランとしている店内のお客さんは、私と同じように100円の珈琲でゆっくり新聞や本を読む年寄りが多い。以前であれば10時30分以降の昼メニューに変わってからは家族連れが入ってくるのだが、しかし今は子供連れの家族は1/3程度になってしまった。これは明らかにナゲットと異物問題での不信感の表れである。以前であれば席を確保するのも大変だったが、今は何時行っても席は空いている。
 
 そんな状態が半年以上続いていくと、お客さんの利用目的が次第に変化しているのに気づく。今まではハンバーガーやポテトを食べに来た人達が多かったのに、今は空いた店内を利用して集会所的に利用するお客さんが増えている。例えば私のよう珈琲一杯で新聞を読んだり、仕事の整理をしたり、主婦や町内会の打ち合わせに利用したり、学生の勉強の場に、保険等の契約の場所として、さらに英会話教室の個人レッスンにと利用されるようになった。そしてそういうお客さんのほとんどがドリンク1杯の人達である。これでは客単価が落ち、売り上げが落ちていくの自明の理であろう。
 
 マクドナルドが日本に上陸したころ、アメリカの文化をまとったファストフードとして若者を中心に人気が出て、瞬く間に日本中を席巻していった。当時はお洒落に感じたハンバーガーも時代と共に飽きが出てくる。あれから40年日本の食に対する意識も変わってきた。量から質へ、均質からこだわりに、そして健康志向へと変わってきた。しかしマックのメニューや味は旧態依然として大きな変化は見当たらない。だからなのか今では、パサパサしたバーンズに薄っぺらいパテ、冷めると極端に不味くなるポテト、そんな風に感じてしまうのである。
 
 今、外でハンバーガーを食べようと思うときは、ほとんどモスバーガーを利用する。オーダーしてからの時間はかかるし値段も高い。しかし原料にこだわりがあり、調理は丁寧で、セットのメニューにも野菜セットなどがあってなんとなく健康的に感じるからであろう。そんな私の変化は実際の数字にも表れ、昨年上半期の売り上げは6.4%、利益は20%も増えているという。
 
 大量生産大量消費時代そのままで、変化に対応できなかったのがマクドナルド、今現在日本に3600店舗もある。これだけ大きなスケールになると、小手先でメニューだけを変えて回復を図るのは無理なように思ってしまう。
 今郊外型喫茶店(駐車場付)に人気が出ている。(コメダ珈琲や星乃珈琲など) そんなことから郊外型のマクドナルドを「マックカフェ」として、喫茶中心の店に変化させたらどうだろうと思う。テーブルや椅子を落ち着いた雰囲気にし、ドリンクの値段を200~300円に上げる。バーガー類のメニューを極端に絞り込み、野菜を使ったメニューを増やす。セルフサービスはそのままに、コメダや星乃よりはリーズナブルな価格帯での展開をめざす。日曜日の朝、マックで新聞を読み終え、まだ空席の目立つ店内を見てそんなことを考えてみた。

             ある日のマックの店内アレコレ

                 
                   一人静かに本を読む

                
                  自分の書斎代わりに使う人

     
             PTAの打ち合わせで大きく席を占領、各自ドリンク一杯

     
                        町内会の打ち合わせ

     
                    友達と勉強の場に、仕事の整理で

     
                             保険の契約?

     
                    英会話教室 珈琲一杯で1時間
     
 
 
 

自転車依存症

2015年02月06日 08時29分01秒 | 散歩(5)
 先週の雪が降った日、シャーベット状になった雪の中を駅に向かって歩いていると、通勤客の中を通り抜けようとした自転車が我々の方に倒れ掛かってきた。左手に傘をさし右での片手運転である。幸い周りの人には被害はなかったが、本人は雪の中に転倒してしまいズボンやコートが泥だらけになってしまった。50代後半だと思われるその運転者は周りの人に頭を下げて詫びていた。
 
 先月の終わり、通勤の帰りに駅の傍の人道だけの狭い踏み切りを渡っていたら、私を追い抜いていった自転車が、踏み切りからハズレ線路の中に倒れ込んでしまった。私は駆け寄り「大丈夫ですか?」と声をかけ自転車を踏み切りの上に戻してあげた。しかしその60代と思われる男性は「大丈夫、大丈夫」と言いながら、立ち上がって踏み切りの上で自転車に乗ろうとしてまた転びそうになった。その動作から見て明らかに酔っ払っていた。
 
 本来なら傘さし運転は5万円以下の罰金、飲酒運転は5年以下の懲役又は100万円以下の罰金である。自動車だとルールを守る人達も自転車だと平気でルールを無視してしまう。無灯火や信号無視はあたり前、交差点を斜めに横切ったり、歩道をベルを鳴らしながら人を蹴散らして行ったりと、自転車の傍若無人さは以前から目に余るものがあった。それはルールを無視しても、自分たちは大目に見てもらえているという甘えが根底にあるからであろう。
 
 先日ラジオを聴いていたら、今年の6月から交通ルール無視の自転車運転手に交通違反切符が切られ、3年間に2度以上摘発されると、3時間の講習が義務づけられる(講習費5700円は自腹)。その講習を受けなかった場合は5万円の罰金になるようである。自転車事故が多発している中、やっと警察も重い腰を上げたようである。これから警察も本腰を入れて摘発していかない限り、自転車のルール無視は直らないように思うのである。
 
 我が家では女房専用の自転車が一台あるだけで、私は自転車は持っていない。以前は通勤に駅まで自転車に乗っていたのだが、「わずかな時間の短縮のために、折角の歩く機会を失うことになる」、そう思って自転車をやめてしまった。元々私は自転車に乗るという習慣がなかった。それは生まれ育った下関は坂が多く、自転車が便利な乗り物ではなかったからであろう。以前沖縄に行った時、街にほとんど自転車を見かけなかった。それは暑さで自転車を漕ぐ環境ではないからかもしれない。自転車の保有率を見ると、保有率の少ない県は沖縄(24.4%)、長崎(28.6%)、鹿児島(31.3%)で、保有率の高い県は埼玉(73.9%)、大阪(72.5%)、東京都(70.0%)と言うことである。このことから自転車は生活環境に大きく左右される乗り物なのである。
 
 私が住む埼玉県は確かに自転車は多いという実感がある。駅の周りもスーパーの周りも自転車が取り囲んでいる。主な乗り手は主婦と中高校生であろう。歩くより所要時間は半分以下で済み、荷物も自転車があれば楽に運べる。だから郊外の住宅地では自転車は必須の乗り物なのである。しかし便利だからということから、自転車に乗る人の多くは自転車の依存傾向があるように思っている。上の例のように雨が降っても酒を飲んでも自転車を使ってしまう。時と場合で歩くという選択肢を持ち合わせていないように感じるのである。
 
 女房を見ていると歳を取るに従って歩くとことが極端に少なくなったように思う。買い物はもとより、駅までは雨が降っていても自転車を使う。団地内の集会所のわずかな距離(200m)も自転車に乗って出かける。だんだん自転車が歩行器の役割になっているようである。「健康のために駅までぐらいは歩いたら・・」と言うと、「膝が痛くなるから」という。
 私は比較的に健脚だと思っているが、自転車に乗ると足の筋肉が痛くなることがある。このことから自転車を漕ぐ筋肉と、歩行で使う筋肉は違うように思える。自転車ばかりに乗っていると、歩行に使う筋肉は衰えてきて、足の筋肉バランスが崩れてしまい、膝に影響を与えるのではないだろうか。体重が増え脚力が衰えてくると、益々自転車に依存するようになる。人は歩くことが基本運動だから、歩くことが億劫になるのと比例して、健康も失っていくように思っている。