60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

散歩(勝浦)

2016年09月30日 08時13分16秒 | 散歩(6)

 秋雨前線や台風の影響で雨が多く、散歩に出られない日が続いていた。そんな折り25日は珍しく晴れの天気予報、少し遠くへ行ってみようと思い立つ。「さて、どこに行こう?」、「久々に海を見たい」、「あまり行っていない外房は・・・」そんなことから、散歩雑誌の中から千葉県の勝浦を選んだ。アプリで検索したら、東京駅からアクアラインを通ってバスで行くのが費用的にも時間的にもJRより有利なことが分かる。6時に家を出て 7時30分に東京駅着、7時45分八重洲口からバスは出発。乗客は10人前後、リクライニングのシートでゆったりとしたバスの旅。川崎から袖ヶ浦を抜け千葉県を横断して外房へ、バスは約2時間弱で勝浦駅に着いた。

 勝浦市は房総半島の南東部、太平洋側に面した人口18000人ほどの漁業の町である。太平洋に面し黒潮の影響を受けやすいため、冬は暖かく夏は涼しい海洋性気候の土地柄。8月の平均気温が25.3度で30度を超えることは少なく、ヒートアイランドの影響もないため、熱帯夜も少ない避暑地と言う。一方1月の平均気温が6.4度と暖かく避寒地でもある。私の友人で退職後、外房の大網白里に移住したり、勝浦の隣の御宿は東急や西武が開発する別荘地や分譲地が多く、この外房は気候が穏やかで海に近いことで人気が高いようである。
 
 街を歩き始めて直ぐに朝市に出くわした。この朝市水曜日を除く毎日行われているようで、売る人も買う人も年寄りが中心である。街には小売店は少なく、住人の日常の買い物はこの朝市で済ませているのだろう。街は山に囲まれ、岬を回るには多くのトンネルがある。岬の突端の八幡岬は三方海に囲まれた高台で、前面に太平洋が広がる。海に囲まれたこの勝浦の町、東京に比べおおらかでゆったりとした時間が流れているように感じる。
 
     
 
                       朝の東京駅八重洲口

      
 
               7:45勝浦行きのバスに乗る
 
       
 
                  乗客は10人程度
 
      
 
                     勝浦 朝市
     勝浦の朝市は輪島、飛騨高山とともに日本三大朝市に数えらている。
       起源も古く大正18年といわれ、領主の植村泰忠の奨励による。  
              6時~11時30分 水曜日定休
 
          
 
             
 
      
 
                        
 
    
             
 
      
 
                      覚翁寺
                勝浦の領主 植村家の菩提寺
 
      
 
                      覚翁寺
 
      
 
                     覚翁寺
              境内のあちらこちらに彼岸花が咲いている
 
      
 
                    旅館 松の家
               江戸時代創業、本館は国の文化財
 
          
 
                      遠見岬神社
 
                
  
             この石段はひな祭りの時、雛人形が並ぶので有名
 
      

              遠見岬神社の壁面は只今修復工事中

             
 
                   命綱をつけての作業
 
      
 
                 遠見岬神社からの眺望 海側
 
      
 
                遠見岬神社からの眺望 山側
 
      
 
                      本行寺
 
    
 
                    川津北トンネル
  
      
 
                     川津港
 
   
 
     
 
                     川津港
 
     
 
               この川津漁港は釣り船釣り船が多い
 
     
 
                     川津港
 
   
 
                     川津港
 
   
 
        漁港に住む野良猫は動作もゆったりとし、毛並みも良い
  
           
 
                   万名第二トンネル
 
           
 
                    川津南トンネル
             
     
 
                        太平洋
 
    
 
    
 
                     勝浦灯台
 
                     
 
                     大正6年完成
 
    
 
                      八幡岬
 
     
 
                    八幡岬
   
     
 
                   八幡岬公園
 
                         
 
                     於万の方像
            お万の方は家康の側室、炎上する城を背に
           断崖から布を垂らして海に逃れたという故事がある。 
 
  
  
    
 
                      勝浦灯台
 
    
 
                断崖の上に白く映えて美しい
 
    
 
   
    
 
                      勝浦湾
 
    
 
                     平島
 
                 
 
                   虫浦トンネル
 
    
 
 
    
 
                     勝浦漁港 
 
    
 
                    勝浦漁港    
 
   
 
                    勝浦漁港 









  

君の名は。

2016年09月23日 08時30分48秒 | 映画
  9月19日日経新聞の春秋というコラムに下記のような映画の紹介があった。・・・・「君の名は。」-現在ヒットしているアニメ映画の題名だ。往年の名作ラジオドラマと混同しそうだが、末尾のマルで区別するらしい。舞台も現代であり、全く別の話だ。しかし共通点が2つある。男女のすれ違いを描くことと、物語の背景に大きな災厄があることだ。
 ▼ラジオドラマ「君の名は」では、東京大空襲と戦後の混乱が、主役2人の運命を大きく変えていく。放送開始は終戦からわずか7年後。空襲もその後の混乱も、まだ同時代の体験だった。翻弄される2人の姿には、作り事のメロドラマを超えたリアリティーがあった。人気を博した裏側には、そんな共感もあったのだろう。
 ▼現代の「君の名は。」はスマートフォンを操る若者達の話だ。前半は甘酸っぱい恋愛話かと思わせ、後半はぐっと色彩を変える。内容の詳細にはふれないが、やはり東日本大震災を経て生まれた作品だと感じる。都会の人間は、遠い地方の災害を見世物として楽しんではいないか。そんな問題提起も、見る人たちの心に迫る。
 ▼今年はゴジラ映画の最新作も議論を呼んだ。第一作は終戦から9年後、空襲や水爆実験を背景に作られた。最新作は東日本大震災や原発事故を大怪獣と重ねて描き大人の客も呼ぶ。ドラマなどの娯楽作品だからこそ表現できる心の振るえがある。震災から5年半、新世代の作り手が練り上げた「災後」映画の問いかけは重い。
 
 何かの媒体で映画の解説を読むことで、行ってみようという気になる。雨の祭日、このコラムを読んで早速見に行く気になった。いつもは30分前に行っても見られる映画館だが、さすがに100億円突破目前と言われるだけはあってすでに満員、結局2回待ちになってしまった。映画は田舎町に住む女子高校生と東京に住む男子高校生、性別も住む環境もまったく異なる2人が夢の中で入れ替わるファンタジックな設定で始まる。やがて女子高校生が住む田舎町がすい星の落下で大きな災害に見舞われることになる。その間の2人の入れ替わり、男子高校生が住む現在と、災害に見舞われた3年前とのタイムスリップ、ストーリーはめまぐるしくその設定場面が入れ替わる。
 
 緻密で美しい描写の風景、テンポの良いストーリー展開、これがポスト宮崎駿と目される新海誠監督作品なのであろう。ジブリの作品は中高生が主体だったように思う。今回の新海作品は20代前後の若者がターゲットなのだろう。ファンタジーなのかSFなのか、どちらかと言うと論理立ててものごとを考えるタイプの私には、その新海ワールドに戸惑いを覚えてしまう。しかし戸惑いながらも映画の中に引き込まれていく。
 
 上映が終わって、館内を出るとき隣を歩いていた大学生風の2人の男子、1人が「映画で泣くことはないのだが、今日は涙が出て止らなかったよ」と話す。もう1人も「そうだよな、久々に感動する映画だった」と答えている。映画を見ながら終始「???」を繰り返していた私は涙など出る閑はなかった。もう1、2度見ればそれを感じることができるかもしれない。やはり私には小学生の時ラジオで聞いた「君の名は」の方が、分かりやすく心が震えたように思う。それほど今の若者と比べ感受性が衰えているのであろう。

   

   

   

   

   

   
 
 

歯周病

2016年09月16日 08時20分55秒 | 日記
 歯周病には何十年も悩まされてきた。今でも半年に1回は歯科医に通って歯石を取ってもらっている。それでも体調が落ちて免疫力が落ちてくると、歯茎が腫れて痛みに悩まされる時がある。その都度、歯科医に行って抗生剤と鎮痛剤をもらい歯石を取ってもらう。今まで電動歯ブラシを買ったり、歯周ポケットに効果があるというブラシを使ったり、高い歯磨を買ったり、モンダミンやリステリンなどのマウスウオッシュを使ったりもした。しかし一向に改善しないし、効果があったとは思えない。
 
 歯周病、その原因は口内細菌の歯周病菌であろう。ドラッグストアーに行けば大半の歯磨きに歯周病対策と書いてあり、マウスウオッシュには殺菌の効果まで強調している。しかしそれでも歯周病は一向に減らない。いまや国民の8割が歯周病で、世界で一番感染者の多い病気と言われる。なぜこの歯周病菌を現代の医学で殺せないのか? 歯科医やメーカーは歯周病を根治させないことで儲けているのではないか? そんな邪推もしたくなるほど、歯周病は治らない。
 
 先日近所のドラッグストアーのプロモーションコーナーが目に留まった。そこには歯周病予防の歯磨やマウスウォッシュが並んでいて、その中に「L8020」と書いてあるマウスウォッシュがあったからである。「L8020」、以前TVの番組で紹介していたのを覚えている。それはある大学教授が、虫歯も歯周病もない健康な子供から発見した乳酸菌で、80歳になっても20本以上の歯を保ってほしいということから命名されたという話であった。当初はヨーグルトとして製品化されていたようだが、今はマウスウォッシュの形で売られているようである。
 
 早速売り場の前で商品を手に取り、内容を確認する。POPに書いてある宣伝文句を読むと脅威の殺菌パワーである。9.7x10000000個(約1億個)の菌がわずか30秒でほぼゼロにまで死滅する。今までここまで堂々とその効果を提示した商品はなかった。「これは騙されたと思って買うしかないだろう!」 ある程度の期間は試して見なければその効果は判定できない。そう思って3本まとめて買うことにした。これで今まで悩まされた歯周病から開放されるなら安い買い物である。
 
    

    

            歯周病菌に対する成績
 
     
 
              虫歯菌に対する成績
 
      

            まとめて3本買うことにした

 
 帰ってインターネットで「L8020」について調べてみる。以下その抜粋である。
 
 L8020菌は広島大学歯学総合研究科 二川 浩樹教授によっては、健康な子供の口から発見されました。80歳になっても20本以上の自分の歯を保って欲しいという願いを込めて「L8020菌」と名付けられました。正式名称は「ラクトバチルス・ラムノーザス・KO3株」です。

L8020菌は口内に常在している、

  • 虫歯菌
  • 歯周病菌
  • カンジダ菌    の発育を阻止、殺菌効果が期待できます。

効果の主体が「酸」ではないということなので、L8020菌はなんらかの抗菌物質を産生する菌なのかと思われます。また、ヨーグルトなどで摂取した場合は生きたまま腸に到達することもできる菌です。

虫歯菌に対するシャーレでの実験

シャーレで8.4×106個の虫歯菌を、L8020乳酸菌入りの水溶液10mlと接触させたところ、虫歯菌は99.9%以上減少しました。

歯周病菌に対するシャーレでの実験

シャーレで9.7×107個の歯周病菌を、L8020乳酸菌入りの水溶液10mlと30秒間接触させたところ、歯周病菌はほぼ死滅しました。

カンジダバイオフィルムに対する抑制効果

カンジダ菌はカビ(真菌)の一種で、ヒトの口腔内に常在しています。普段は日和見菌として他の菌と共存していますが、免疫力の低下や常在細菌のバランスが崩れた場などで増殖することがあります。L8020菌の入ったヨーグルトを食べることでカンジダ菌を抑える効果があることがわかりました。

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   翌週買ったドラックストアーに行ってみたら、既に商品は売り切れていた。
        いかに歯周病で悩んでいる人が多いか分かる。














 

お墓問題

2016年09月09日 09時08分44秒 | 日記
 先日、散歩仲間3人とお墓の問題がテーマになった。
 
 その1人の友人は鹿児島県の薩摩郡の出身、兄弟4人(男2人、女2人)の末っ子である。姉2人は青森と奈良に嫁ぎ、長男も友人も東京に出たから郷里は両親2人だけになった。長男の奥さんは子供2人を残し早くに亡くなってしまった。そのため、長男は東京に墓地を買いそこに奥さんを埋葬する。一方鹿児島の実家は母親が先に亡くなり、やがて父親も亡くなり、両親は鹿児島にある先祖代々のお墓に祀ってある。
 
 長男家が管理すべきお墓が鹿児島と東京の2つになってしまった。本来なら郷里に身寄りがなく、お墓の管理が難しくなった時点で鹿児島の方を墓じまいし、東京のお墓と合祀するべきだったのであろう。しかし兄は郷土と縁を切るのが嫌だったのか、何もしないうちに亡くなってしまった。当然兄は妻が眠る東京の墓に埋葬される。兄には子供が2人(男1人、女1人)がいるが、彼らにとっては両親が葬られている東京のお墓が管理対象、縁の薄い鹿児島のお墓は放置され、やがて無縁仏になる運命になる。
 
 残っている姉2人と末っ子の友人にとって、鹿児島の墓は両親が眠る墓である。どうすれば良いか?、兄弟で話し合って、一番動きやすい友人が墓じまいし、東京にある兄の墓とを合祀することになった。地元役場の改葬許可、地元での供養と抜魂式の手配、墓石の整理、東京のお墓への受け入れ証明、新しいお墓に埋葬する供養と入魂式、墓石への法名を彫ってもらうための手配、合祀の為の手続きと根回しは大変で、友人はウンザリした様子である。こんなに苦労して移しても長男の息子(甥っ子)は40歳を越すが子供がいない。従ってこの東京のお墓もいずれ無縁仏になってしまう可能性が高い。

               ・・・・・・ 

 もう1人の友人T氏は宮崎県高千穂町の出身、兄弟は姉と2人、姉は地元の中学校の先生をして、入り婿を取って後を継いだ。T氏は東京に出て今は埼玉県に住んでいる。姉夫婦の2人の子供はどちらも女で既に大阪と東京に嫁いで子供もいる。姉の旦那さんは早くに亡くなり、姉も一昨年なくなった。姉は高千穂のお墓に入り、今高千穂には実家の家とそのお墓が残されている。
 
 T氏夫婦には子供がいない。お姉さんが亡くなってからは、仕事をリタイヤしたこともあり、年に3~4回度は故郷に帰り、実家とお墓を管理している。彼の悩みも「故郷のお墓をどうするか?」、「自分たち夫婦はどうするか?」である。T氏が先に亡くなるとして、その時は妻はT氏を高千穂のお墓に葬ってくれるだろう。しかし、いずれ無縁仏になる墓の管理、その後どうするかの決断を妻に任せるわけいはいかない。さらに妻がなくなった時はどうするか?、そろそろ方向を出さなければいけないと思っている。
 
 今、彼は高千穂の地元のお寺と相談しているそうである。今ある実家の墓(私有地)を墓じまいし、お寺で永代休養してもらう。その場合はどのような状態になるのか、そしてその費用は?、その条件が折り合えばそれが一番ベターだと思っている。そう決めておけば彼が亡くなった場合、妻はそのお寺に彼を葬ってくれるだろう。しかしその後妻自身はどうするのか?という問題が残る。千葉県出身の彼女にとって、関わりの薄い九州の山奥の村に葬られるより、親戚縁者がいて両親の眠る千葉の方が希望のようである。そうなると夫婦は別々になる。悩ましい問題でもある。

               ・・・・・・・・・

 我が家の場合は男3人兄弟、3人とも学校を卒業と同時に家を出た。残された両親は下関に住み続けたが、やがて老後の問題が深刻になってきた。そのため両親と我々息子3人が下関に集まり話し合う。その結果、末の弟が新潟に永住を決め家を建てるのに合わせ、父が資金を出して2所帯住宅を建て、新潟に移住することになった。その後お墓も下関から新潟の霊園に移し、今両親は新潟に眠っている。維持管理は末の弟がやっていて息子(甥)の代までは大丈夫である。しかし息子(甥)が独身でいるため、その先の継続は未知数である。
 
 「さて我が家のお墓をどうするか?」、この問題は何時も私に付きまとっていて頭の中から離れることはない。今は子供たちは首都圏に住んでいる。しかし現代は生き方も多様化して流動性も激しく、家族が同じ地域に留まる保障はどこにもない。また少子化の中で昔のような家制度が継続することもありえない。そう考えると何百万もの費用をかけてお墓を作っても、それを継続して維持管理していくことに問題が残る。その問題は我々世代だけではなく、それを維持管理していく子供達世代の問題でもある。
 
 多くの問題があることが分かっているのに、安易にお墓を作る気にはなれない。かといって、今よく取り上げられている散骨や樹木葬にするか?、しかしこれも少し極端な方法のように思えてくる。今は考えられる選択肢の中で、首都圏近郊に永代供養してくれるお寺か霊園を探し、そこと契約することが一番現実的な方法かもしれないと思っている。どちらにしてもあまり時間は残されてはいない。この問題は我々世代に突きつけられた深刻なテーマの一つなのだろう。もう少し具体的な検討を重ね、そろそろ結論をだしておかないといけないと思っている。

   
 
 
 
 

芥川賞と直木賞

2016年09月02日 09時03分01秒 | 読書
 お盆休みに芥川賞受賞の「コンビニ人間」と、直木賞受賞の「海の見える理髪店」を読んだ。最近はなかなか小説を読むのが億劫になってきた。それは歳をとるに連れて映画でもTVでも小説でも、込み入ったストーリーや複雑な人間模様、それにサスペンスなどでおどろおどろしい情景描写などは敬遠するようになった。それは残り少ない人生、あまり心を乱さず、穏やかに生きていたいという願望があるからかもしれない。そんなことから読んで見たい作品を選ぶのが面倒なのだろう。今回受賞の2作品の書評を読んで、それほどハードでもなく、人の持つ性格や感情を推し量るようなソフトな作品のように思えたからである
 
 芥川賞作品 「コンビニ人間」 村田 沙耶香 著
 
 主人公は36歳未婚女性。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトをして18年、これまでに彼氏と言うべき相手もいない。彼女の性癖は幼少期から人とは少し変わっていた。公園で死んでいた小鳥を見て「お父さんは焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」と言い出したり、ある時は小学校で同級生の喧嘩を止めるために、スコップで男の子の頭を何の躊躇もせず殴ったり、・・・・こんな一連の行為も彼女に悪気はないし、何が間違いなのかも分からない。しかしそのことで両親が悲しんだり、友達から不思議がられる。やがて彼女は自分で判断すること避け、妹のアドバイスにそって生活するようになる。
 
 そんな彼女だから大学を卒業しても就職できず、唯一コンビニだけが働ける場所であった。それはコンビニがマニュアル世界で、店員の行動は挨拶から作業内容まで全てマニュアル化されている。そんな環境で働くことは、彼女自身が判断することを要求されることなく、普通の人間として振舞える場所だったからである。彼女はコンビニが唯一、社会と関わっていける接点のように感じていた。
 
 
 昔読んだ心理学の本にこんなことが書いてあった。相手を理解する手段として、自分をベースにし、そこに相手の特性や性格を色づけしたモデルを作る。そしてそのモデルを通して相手の内面を推し測っていこうとする。しかしそれは相手も自分と同じような思考方法を取るという前提が生じることになる。一般的な人の場合は同じような思考方法をとることが多く、特に大きな支障はない。しかし稀に大きく異なった性癖の人もいる。今回の主人公はどちらかと言えば世の中に少ない性癖を持った1人である。だから普通の人から見れば彼女の行動が理解できないし、彼女から見れば、なぜ自分が理解されないのかが分からない。自分が理解されない世の中をどのように暮らしていったらよいのか、その手段として有効だったのがコンビニエンスストアーであった。
 
 この小説に出てくる主人公は極端なように見えるが、大なり小なり通常の社会の中に存在するのではないかと思う。昔と異なり個人主義で個性を重んじるのが当たり前の今日、普通の人という概念がなくなってきた。したがって相手を理解しコミュニュケーションしていくことが次第に難しくなってきたのも確かである。自分を理解してもらえないから自分の中に閉じこもる人、お互いを理解し合えないために起こるトラブル、ニュースで報じられる不可解な動機の事件、次第に複雑になって行く世の中で、人もまた多様さの中で生きていく覚悟を求められる。そんなことを感じさせてくれた小説である。


               
 
 直木賞の「海の見える理髪店」 萩原浩 著
 
 題名の短編を含め6編の短編集である。
 
 ①「海の見える理髪店」・・・離婚して出て行った父親は理髪店を営んでいる。そこに別れた息子が散髪に訪れる。
 ②「いつか来た道」・・・母親を嫌って出て行った娘が久しぶりに帰郷した。ギクシャクした会話から母の認知症が進んでいることを知り戸惑う娘
 ③「遠くから来た手紙」・・・夫婦喧嘩で実家に帰って、そこで見つけた恋人時代の夫との手紙の束。それを読み返し当時のことを回想する妻
 ④「空は今日もスカイ」・・・家出した少女、途中で知り合った親に虐待を受けている男の子、連れ立っての逃避行の結末は
 ⑤「時のない時計」・・・父親の形見の腕時計を修理に行った娘、時計から思い起こす父親のこと、店内の止った時計に刻まれた時計屋の老人の記憶
 ⑥「成人式」・・・15歳の一人娘を交通事故で失った夫婦の喪失感、生きていれば成人式を迎える娘宛てに、着物販売のパンフレットが送られてきた。
 
 小さいがガッシリした体格の時計屋の老人を表現するのに、「骨格がしっかりしていて、焼いた骨が骨壷に入りきらない世代」と書いてある。小説はそのストーリー性も大切であるが、一方その表現力も重要な要素だと思う。表現の仕方でその小説の品位が決まり、味わいが増してくる。この短編集はそんな表現を味わいながら淡々と読み進めていける。そこに展開しているのは父と息子、母と娘、夫と妻、親と子・・・・近くて遠く、永遠のようで果敢ない家族と言う関係性を静かに語っている。
 
 こんな小説を読むと、「自分もこんな小説が書ければ良いなぁ~」と思う。自分の生きてきた人生の中で、小説のテーマになるような出来事は数多くある。しかし私にはそれを表現する能力がない。10年前、朝日カルチャーセンターの小説教室に通ったことがある。しかし半年で挫折してしまった。だから余計にそう思うのだろう。著者の略歴を読むと数多くの賞をもらったプロである。もう少し作者の表現力を味わってみたい。既に文庫本も多く出ているようだから、他の作品も読んでみようという気になった。