60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

散歩(寄居町)

2011年09月30日 08時20分24秒 | 散歩(1)
                             荒川

 駅からの散歩 No.321       埼玉県大里郡寄居町          9月24日

台風15号が猛烈な勢いで首都圏を駆け抜け、夏の空気を一掃し秋の空気に入れ変えてしまった。
秋になれば、やはり散歩は郊外が良い。今日は東武東上線を使って寄居まで行ってみることにする。
朝は少し肌寒く半袖では心もとないので長袖のTシャツを着て出かける。西武新宿線で本川越まで、
そこから歩いて東武線の川越市駅へ、そこで乗り換え小川まで、そこからさらに乗り継いで寄居まで、
所沢からたっぷり2時間を要した。

駅を降りると、客待ちのタクシーが並んでいるが誰も利用する人はいない。駅に隣接してライフと言う
スーパーがあり、自転車で来た買い物客が一人、店の前に自転車を止めようとしていた。閑散とした
駅前の風景、ひっそりとした地方都市独特の雰囲気を醸し出している。駅前の観光案内所で地元の
地図をもらい歩きはじめる。駅から20分も歩くと荒川にぶつかる。鉢形城跡など見て、右岸を上流に
向って歩く、まばらに人家があるが、人とはほとんど出くわさない。長閑としたこの空気、時の流れが
スローダウンしたようにさえ感じる。

荒川に添って歩くうちに、この景色いつか見たような気がしてくる。今まで色々な所を歩いているから
似たような雰囲気の所もあるのだろう、これも一つのデジャブだろうか?そう思いながら歩いていた。
しばらく歩くと右手に宗像神社がある。神社の前に池があり、真ん中に噴水がある。この神社やはり
見たことがあるのではないか?少し自分の記憶を手繰ってみることにする。しかしもう何百回の散歩
の中で、参拝した神社仏閣は何千の数になるだろう。この神社、自分の頭の中の検索システムでは
記憶のファイルから見つけ出すことはできなかった。

私の散歩のコンセプトは「未知の町を味あう」である。定番の散歩コースを歩くのではなく、できれば
全く歩いたことのない町を歩いて見たい。そこにも人々の暮らしがある。家並みがあり、学校があり、
公園があり神社仏閣がある。そしてそこには今の景色になるまでの長~い歴史があったはずである。
以前ある女流画家(池口史子?)がこんなことを言っていた。ヨーロッパの田舎を旅していて、イタリア
にはイタリアの風景があり、フランスにはフランスの風景があることを思い知った。自然の中に暮らし、
何を残し何を変えていくのか?そこにそれぞれ民族の美意識がある。どの森を残し、どの木を残し、
どんな畑を作り、どんな家を建てるのか?自然を取捨選択してきた結果が今の風景を作っている。
確かそのような内容だったと思う。

日本の各町にもその町の成り立ちや歴史がある。そこで暮らして来た人々の生活がありその事情や
都合が折り重なって行き、その町特有の雰囲気と風景を作ってきたのであろう。同じ中央線の隣の
街でも中野と高円寺とは雰囲気が違う。さらに西へ進んで、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪と微妙に肌合い
が違っている。白金や代官山を歩けば、自分が異物のように思え、疎外感を感じて落ち着かない。
歴史のある地方都市に行けば品格を感じ、田舎町を歩けば時間のゆるやかな流れにほっとする。
街を歩きながら、そんな空気感を味あうのは、珈琲好きが色んな香りや味を楽しんでいるのに似て
いるかもしれない。

宗像神社を過ぎると単線をまたぐ踏切がある。線路は廃線になったかのように草が生い茂っていた。
「この踏切渡ったことがある」、もはやデジャブや空似ではなく、この道を歩くのは2度目であることが
確かなことだと思わざるを得ない。「寄居町」その名は何度も聞いたことがあり、一度は行って見ようと
思っていた。以前西武線の東飯能から八高線で寄居に向かったことがある。しかしあまりの乗り継ぎ
の悪さで、途中から引き返したことがあった。だから寄居町には行ったことは無いと思い込んでいた。
何かキツネにつままれたような感覚である。それからは歩くほどに記憶はよみがえって来て、自分の
記憶の不甲斐なさが情けなくなってくる。

翌週月曜日、会社でパソコンに保存している過去の写真ファイルを探して見た。2007年8月4日、
4年前に確かに寄居町に行っていた。その時は西武秩父経由で秩父鉄道に乗り換えて行っている。
持って行った案内書が違うから、駅から歩いたコースが多少違っていた。導入部が違っていたから
直には思い出さなかったのだろう。そう自分自身に言い訳をしてみるものの、以前茨城県古河市でも
まったく同じことがあった。これで2度目である。自分の記憶に陰りが見え始めた。これがだんだんと
進行して行って、しだいに直近のことも思い出せなくなるのかもしれない。そう思うと少し不安である。


      
                             寄居駅
                   東武線、八高線、秩父鉄道の3線が交わる

     
                           駅前観光案内所
             各種案内地図やレンタル自転車など地元観光に力が入っている

     
                             西念寺

     
                            鉢形城跡

     
                         鉢形城跡 右手は荒川
     鉢形城は戦国時代の城跡である。現在は国の史跡に指定され往時の姿が残っている

     
                        正喜橋から荒川を見る

     
                          荒川 玉淀河原

     
                            宗像神社

               
                               八高線
                  1時間に1本の八高線は線路に草が生い茂る

     
                              正龍寺

     
                              正龍寺
                         線香鉢の上に梵鐘がある

     

           

     
                              善導寺

     
                              善導寺

     
                             秩父鉄道

     

     

     
                               少林寺

               
                少林寺の背後から五百羅漢の山道が伸びている。
           文政(1816年~  )人々の浄財で完成した羅漢は536体ある。

     
                             五百羅漢

     

               

               

     

               
                           この顔誰かに似ている

               
                          円良田湖(つぶらたこ)
      周囲4km、円良田湖の周囲には1500本の桜が植えられ春には花見でにぎあう

     
                       円良田湖から荒川までの用水路
                     
      

     

     

     

     
                          秩父鉄道 波久礼駅

     
                            空はすっかり秋

健康診断

2011年09月22日 17時03分37秒 | Weblog
水曜日、2週間前に受けた健康診断の結果を聞きに病院へ行った。市の国保特定健診は結果を
郵送してくれないので毎回病院まで聞きに行かねばならない。病院で受付を済ませると医師との
面談の前に検査結果表を渡される。「結果に目を通しておいて、先生に何か質問があればその時
お尋ねください」と看護師が言う。毎年、この市の国保特定健診の基本検査に加え、オプションで
「胃のバリューム検査」、「腹部エコー検査」、「前立腺ガン検査」、「大腸ガン検査」等をしているが、
今回は「骨粗鬆症検査」と「動脈硬化検査」も加えることにした。

結果表を見ると、最初に目に飛び込んで来たのは 自分の名前の下に、「《D》 くわしい検査が
必要です」と、他よりも数倍大きな文字で書かかれた総合判定の項目である。これは、ここ数年
全く同じ判定結果である。「D」判定の原因は毎回心電図の検査で「右脚ブロック」という症状が
引っかかってくるからである。右脚ブロックは心臓内の電気刺激を伝えるルートのうち、右心室を
包むように位置する右脚という部分で、電気の流れが断絶されている状態を言うらしい。右脚を
電線に例えれば、さびや断線が起こっていて、上手く電流が流れない状態だという。以前に精密
検査も受けたことがあるが、その時は、これは治しようがないが、他にも電流を流すルートがある
ので日常生活に支障はないと言われた。それ以来そのままの状態で10年以上も経過している。

自分の名が呼ばれて診察室に入ると、私の検査結果表に目を通していた医者は、「特に問題は
無いようですね。何か気になることは有りますか?」と聞かれる。前回、前々回と3年間の数値が
並列に記載されているから、今回のデーターが突出していない限り特に問題は無いのであろう。
私も改めて聞くこともなく、面談は1分も掛からず終わった。

歳を重ねるに従って「健康」ということが一番の関心ごとになる。健康診断を自動車に例えれば
2年ごとに定期点検が義務付けれれている車検のようなものであろう。車も10万キロ以上走り
続ければ必ずどこかに不具合がでてくる。それでも強引に乗り続けるか、それとも修理しながら
丁寧に乗るかで車の寿命も変わってくる。車なら買い換えれば良いだろうが、自分の体であれば
そうはいかない。だから体の定期点検を繰り返し、体の各パーツの能力や消耗具合を自分なりに
把握しておく必要があると思っている。今回の検査で骨粗鬆症検査と動脈硬化検査を加えたのも
そんな意味合いがあったからである。

病院を出て会社までの電車の中でもう一度結果表を見直してみた。骨密度測定結果にはこう
記載されていた。※貴方の骨密度は0.789(g/cm2)です。これは貴方と同年齢の平均的な
骨密度と比較して110%に相当します。また若年成人の平均骨密度と比較すると、102%に
相当します。と書かれていた。ということは骨に関しては問題ないということである。車で言えば
躯体はまだしっかりしいると言うことである。

次に動脈硬化の検査結果。検査方法は左右の腕と左右の足首の4ヶ所の血圧を同時に計る。
それで、腕から足首までの脈波の伝播速度を計ることで、血管壁が堅くなっている程度を計る
PWV検査と、腕と足首の血圧との比較から下肢の狭搾(きょうさく)[すぼまって狭いこと]度を
調べるABI検査との二つである。結果は ※どちらも「健康な同年男性と比べて標準範囲内に
あります」とあった。これで車のパイプ類の腐食や詰まりは今のところ問題はないようである。

先週NHKの「試してガッテン」という番組で「腎臓機能」について取り上げていた。その番組の
中で、血液検査項目のクレアチニンの値から、自分の肝臓機能が何%残っているかがわかる
早見表の話があった。会社に帰って早速ネットでその早見表を検索し、健康診断の結果表の
クレアチニンの数値と照らし合わせて見た。私のクレアチニンの数値は0.91、年齢との相関
から私の腎臓機能はまだ65%残っているということである。一応は年令相当範囲ということで
あるが、ろ過機能については確実に衰えているということでもあろう。

あと血液検査で「B」がついたのが「ヘマトクリット」という項目、ネットでこのヘマトクリットを調べ
てみると、ヘマトクリット値が低ければ血液が薄いということを意味していて、貧血が疑われる。
逆にヘマトクリット値が高ければ血液はどろどろの状態で流れにくく詰まりやすくなるとあった。
私の値は男性平均のギリギリ上限で、少し血液が流れにくくなって来ているということである。

今回の検査結果を自分なりに見ると、前回「B」が付いた血圧が野菜ジュースの効果があって
「A」に返り咲いた以外は、3年間を比べてみても、その数値は基準値の範囲内から、徐々に
ではあるが外れようとしているということがわかる。しだいに「A」の項目が減り、「B」が増える。
やがて「C」や「D」現われ、とうとう「E」や「F」になって行くのだろう。それは髪の毛が薄くなる
ように、虫歯が多くなるように、不可逆的で後戻りが難しい状況のようにも思う。これが加齢と
いうことなのであろう。

人によって他は健全なのに、腎臓だけを悪くて人工透析を受けている人がいる。酒の飲み過ぎ
からなのか肝臓機能を悪くして、他にも影響を及ぼし始めた人もいる。自動車でもそうであるが
一つのパーツがダメになると、他がどんなにしっかりしていても車としての機能を失ってしまう。
それと一緒で人間の体もどこか一か所が不調になると、それが他にも影響を及ぼし始め、結局
全体不調になってくる。年齢とともにどこかが機能不全になるリスクは高まるから、自分の体の
それぞれのチェックは怠ってはならないと思っている。それと機能的に衰えてくるのは仕方ない
として、何処まで全体のバランスを保っていられるかが課題なのだろうとも思う。

私のまわりにも、人によって健康診断をないがしろにして受けない人がいる。「自分は大丈夫」
という慢心からか、それとも「悪くなった時は、なった時」と、今の自分の健康状態を直視せず、
現実逃避的になっているのではないかと思う。自分の不調が現実のものとなり、その症状が
顕著になった時はすでに手遅れと言う人を、これまで数多く見てきている。私はそのことを一番
恐れるのである。

私の母も健康診断に行かず、万年便秘が原因したのか大腸ガンになった。父も症状がない限り
医者には行かず、最終的にタバコから肺癌になった。義母は高血圧から脳卒中で今は右半身が
不自由である。義父はヘビードリンカーで食道癌で60半ばで亡くなった。それぞれが症状はある
程度気づいているのに、検査を受けることの億劫さと、病気への軽視から結局はそれが致命傷に
なったと思う。「もう少し事前に分っていれば、打つ手は有ったのに」、それが父母や義父母に対し
ての思いである。だから自分はそうでありたくない。健康診断だけではなく、なにか自分の体に
不調を感じた時は、迷わず医者に行き、納得するまで検査を受けることにしている。


散歩 谷中・根津・千駄木 (谷根千)

2011年09月16日 08時26分45秒 | 散歩(1)
駅からの散歩

No.320   谷中・根津・千駄木 (谷根千)                 9月11日

土曜日の夜、チャンネルを回していたら、テレビ東京のアド街ック天国という番組で台東区の
「根津」を取り上げていた。見覚えのある風景や建物が時々出てくる。さすがプロが撮る映像、
である、通称「谷根千(やねせん)」と呼ばれるこの谷中、根津、千駄木一帯の下町の情感を
上手くとらえて構成されていた。この地域は山手線内側にありながら、戦災をあまり受けずに、
また大規模開発を免れたため、一昔前の街並みが残っていると言われている。この谷根千は
下町ブームのきっかけとなった街の一つでもあり、今や人気の観光スポットでもある。
この地は以前に何度か歩いたことがあるのだが、番組では知らない通りや建物が出て来た。
毎週、「何処を歩こうか?」と行き先に苦労している身にとって、これは一つの切っ掛けになる。
翌日の日曜日、早速歩いてみることにした。

歩いてみて感じることは、以前と比べて観光客が多くなったことである。特に若い人が目立つ。
新しいオシャレな店が多く出来ていていたり、何軒かのそば屋やカフェでは店頭にお客さんが、
ズラリと並んでいる。最近この地区一帯の家賃が値上がりしていて、新たな商売はやりにくく
なったと聞いたことがある。以前からの地元住民相手の商売と、新しい観光客目当ての商売
とは明らかに毛色が違う。異質な商売や観光客の流入、地元に戸惑いがあるようにも見える。
この地が好きで静かに暮らしてきた人は、このブームを苦々しく思っている人も、少なくはない
のだろうと思ってしまう。

観光スポットからすこし離れ谷中を歩く。このあたりは坂が多くまた多くの寺院が点在している。
最盛期には100ほどの寺院があり、今でも60ほどの寺院があると言われる。古い山門を潜り
お寺に入ると、そこは周りとは隔絶された静寂の世界がある。本堂を囲む苔むした庭、静かに
咲く季節の花、奥まった先には木々に囲まれひっそりとお墓が並ぶ。私はそんな空間に浸って
いると、なぜか心が落ち着いてくる。木蔭に腰掛け、バックからペットボトルを出して水を飲む。


     
                          JR日暮里駅
        京成線の日暮里ホーム改装と合わせ、JRも改装になり駅は綺麗になった。

     

     
          夕焼けが綺麗に見えるということで「夕焼けだんだん」との呼び名

     
                          谷中銀座商店街

     
                      外国のTVクルーが入っていた。

     
                   自転車にいっぱいバックをぶら下げて販売

             
                            へび道

             
             昔はくねくねとした川が流れていた。そこを埋めての道

     
                           根津神社

                
                     幾重にも重なる1000本鳥居
    
     
                           根津神社

     
                            芋甚
      大正時代から家族で営んできた昔ながらの甘味処、一番人気はアイスモナカ

             
        オーダーを受けてからアイスクリームを詰めるから皮はパリッとしている。

     
       下町は家の前で道路にはみ出して草木を育てるのが公認のようである。

     

                 
                            猫町カフェ
                5匹のスタッフ猫(?)がいるというカフェレスラン
            
     
             左手に小さなパン屋がある三叉路、真ん中の樹はヒマラヤスギ

     

             

             
                    境内には季節の花が咲いている。

             

     
                           一乗寺

             
                           一乗寺

     
                    台東区のミニバス「めぐりん」

     
                          旧吉田酒店

     
                          旧吉田酒店

     
                           カバヤ珈琲
                大正5年に建てられた出桁造り2階建ての町屋喫茶

     
                          東京芸術大学
  「赤レンガ1号館」「赤レンガ2号館」「陳列館」など歴史的に価値の高い建造物が残っている。

              
                            はん亭
      明治の時代に建てられた木造3階建ての日本家屋を利用した串揚げ処と茶房

     
                            はん亭

     
                      弥生美術館と竹久夢二美術館

                       
             
     
                        竹久夢二美術館 館内

     
                            不忍池

     
                            不忍池

             
                      蓮の葉の上に沢山のスズメ
        

趣味の世界

2011年09月09日 08時08分01秒 | Weblog
知人が習っている陶芸教室の作品展に顔を出して見た。会場は地方百貨店の最上階にある市民の
為のブース。30坪の会場には、20人程の生徒と先生の作品が作者ごとの括りで陳列してあった。
私は陶器にさほど関心はなかったのだが、知人の作品もあり、折角だからと意識して見ることにした。
一人の作品群をじっくりと見つめてみる、隣の人の作品とを比べてみる、そうすると作り手の性格や
キャリアの違いが、何となく分るように思えた。男性の作品、女性の作品、年配の人、若い人、ベテ
ランの人、始めて間もない人、ぼんやりとではあるが作品の中から読み取れるように思える。

「この人はもう習い始めて長いのでは?」「この人は頑固な性格の人?」「この人はムラ気な性格?」
一緒に回ってくれた知人に、あからさまなそんな質問しながら、作品と人との性格を関連付けてみる。
作品はその人が心を込めて作っているのだから、当然と言えば当然なのであろうが、陶器に作者の
心情がハッキリと反映せれることに、初めて気が付いた。陶芸を長くやっていて、自分の中にこんな
作品を作ってみたいという思いがしっかりとある人の作品は、それなりの存在感があるように思える。
そんな作品は形や線がスッキリと美しく、思わず触ってみたいという気持ちを呼び起こすようである。

前にも書いたが、今の私のテーマは仕事を辞めてから、無為に時間を過ごすのではなく、「何か打ち
込める趣味を見つけたい」である。その参考と思い、発表会や作品展には顔を出すようにしている。
絵画展、写真展、版画展や鎌倉彫から能面作り等々。そんな美術品や工芸品だけではなく、華道や
茶道、楽器や歌、運動の世界まで趣味の対象は多岐にわたっている。素人でもここまでやれるのか、
「継続は力」ではないが、長くやっている人の作品は趣があり、味があり、無駄が削げ落ちて美しさが
あるような気がする。そんな趣味に打ち込んでいる人を見るとうらやましくもあり、私の憧れでもある。

先日会った兄は、もう20年も前から弓道をやっている。今は5段への昇段を目指して精進している。
昇段試験は2本の矢を28m離れた36cmの的に2本とも当てなければいけない。手元が何ミリか
狂えば、的には何十cmも外れてしまう。最初の矢が当っても、2本目の矢は当らない。当てようと
意識すればするほど手元が狂ってくるそうである。弓道は平常心と無の境地を求められる。やれば
やるほど奥が深い、そんな話しをしていた。やはり知人で三線(沖縄三味線)をやっている人もいる。
初めて7年になるそうである。毎年沖縄で行われるコンクルールに2年に1度出場し、審査を受けて
ランクアップを図っている。新人賞、優秀賞と順調に合格して行き、今年は最高賞にチャレンジした。
最高賞は170名がエントリーし、結果は30名が合格して、合格者中2位の成績だったそうである。
舞台に上がり大勢の人が見つめる中で、一人づつ三線を引き歌を唄う。その緊張は並大抵でなく、
時には三線をとり落としそうになったり、声が震えそうになるのを必死で堪えていく。そんな緊張感を
経験して勝ち得た2位は晴れがましく、自分の自信につながったように思う。そんな話をしてくれた。

趣味に打ち込んでいる人の話を聞いていると、そこにはさまざまな困難があり喜びもあるようである。
そしてそこには日常では味わえない別な世界が広がっているように思もってしまう。できればそんな
世界も経験してみたい。果して自分には何が向いていて、何ができそうなのか?そんなことを何時も
考えている。人に言わせれば、「そんなこと、自分の好きなことをやれば良い」、「あまり考えず、まず
やって見て、それで自分にできるかどうかを判断すれば良い」などと言われる。だが、それが難しい
のである。私の中に、あまりハッキリした好き嫌いのバロメーターがない。早い話し感性が豊かでは
ないのだろう。次に作品展などみて自分ならどのレベルまで行くのだろうと、考えてしまう。考えれば
考えるほど冷めた見方になって結局は何もできないでいる。ありていに言えば、何かがしたくてその
道を求めるのではなく、仕事を辞めて時間が余るから、それを埋める為に趣味を作ろうとしている。
自分に趣味が持てないのは、動機が不純だからなのであろうか。入口は沢山ある。もうこうなったら
何か切っ掛けを捕まえて、その時は躊躇せず飛び込むしかないのだろう。

               

               

               
               作品展の生徒さんが描いたスケッチも展示されていた。

散歩(横浜市青葉区)

2011年09月02日 08時40分00秒 | 散歩(1)
子供の頃の一番楽しかった思い出は、毎年春休みと夏休みに母の実家に遊びに行ったことだろう。
蒸気機関車に引かれた鈍行列車は瀬戸内海を右に見ながらひた走る。乗って30分も経つと、顔が
青ざめて吐き気がしてくる。乗り物酔いは何時ものことで、母は用意してきた新聞紙を渡してくれる。
トンネルを入る寸前に汽笛がなり、その合図で乗客は一斉に窓を閉める。しかし、列車の連結部や
窓の隙間から容赦なく煙が入り、車内に充満してくる。トンネルに入る度に息を止めて耐えていた。
私にとっては苦闘の3時間であったが、それでも田舎に行くことの嬉しさには格別のものがあった。

山陽線の富田という駅に降りる。歩くにつれて空気にワラの臭いが漂ってくる。車1台通るのが
やっとの細い道の脇に水路が走り、その石垣に大きなはさみを持った真っ赤なカニが沢山いて、
私達が近づく気配を感じ、いっせいに穴に逃げ込んで行く。実家に近づくにつれ、期待と気恥ずか
しさとが入り混じったような気持ちでドキドキしてくる。田んぼが見え、田んぼの臭いがしてくると、
やがて懐かしい茅葺屋根の母の実家に着く。従兄弟が我々を見つけ家の奥に走り込んでしまう。
やがて家の中から伯母さんが笑顔で出てくる。「よう、きんしゃったの~、・・大きゅうなっちゃって」
我々を迎える時の何時もの挨拶である。従兄弟の何人かが玄関の陰から、我々を覗き見している。
母のそばから離れられない我々兄弟に向って、伯母は「皆で遊び~さんね」と声を掛けてくれるが、
恥ずかしで動くことが出来ない。

私の一つ上にアーちゃん(朝子)という女の従兄弟がいた。彼女が「ひろちゃん相撲を取ろうよ」と、
言うのが切っ掛けになり、それから堰を切ったように従兄弟同士は遊び始める。最初は皆一緒に
かくれんぼだったり、縄跳びだったりするが、やがて歳の近いグループに分かれて遊び始める。
女兄弟のいない私には、女の子も混じっての遊びは新鮮で、それ自体が非日常の世界であった。

家の前に広がる田んぼ、春は一面の菜の花畑、夏は青々とした稲がどこまでも広がる。青く澄んだ
空の高くにひばりが鳴き、あぜ道の水路にはミズスマシが走りオタマジャクシやメダカが泳いでいる。
夜はうるさいほどの蛙の声、それもいつのまにか馴れ、耳には入ってこなくなる。網を持って自分の
背丈ほどもある稲の間の畔道を走ると、やがて小さな川に出る。川の中に入って土手の下に網を
入れてまさぐると、フナやドジョウが泥に混じって網の中で動いていた。セミを獲りトンボを追っかけ、
1日中走りまわっていた。密集した街中で暮らしていた私にとっては、まさにワンダーランドであった。

納屋には雑多な農機具が置かれ、中に馬が繋がれていた。風呂は五右衛門風呂、手押しポンプで
井戸水を足し、釜戸にワラを放り込んで、お湯を暖める。残り火でワラに火がつき一気に燃え盛る。
真っ赤な炎が頬を火照らせ、その勢いに圧倒された。風呂はセメントの厚い縁で、底は鉄釜が剥き
出しになってる。湯船に浮かぶ丸い板の上に乗り、沈めるようにしてお湯に入る。子供の体重では
なかなか沈んでくれず、二人がかりでやっと沈めてお湯につかることができた。夜は布団を並べての
雑魚寝、まくらを投げて騒いでも、田んぼの一軒家では、どんなに騒ごうが誰もうるさくは言わない。
一週間ほどの楽しかった田舎生活は、あっという間に終り、別れの時が来る。従兄弟と「又来るね」、
「又来てね」と、お互いに言葉をかけるものの、無性に寂しくなって泣き声になる。

母の実家の想い出は、湿気を含んだ布団の肌触りと臭い、釜戸で藁が燃える真っ赤な炎、広く広く
広がる空と稲の波、今も私の記憶のファイルにしまいこまれている。その母の実家には、もう50年も
訪れたことはない。今は広い道路が通り、田んぼは無くなり、瀬戸内工業団地の一画になっている。
母の実家は新しい家に建て変わり、もう当時の面影は全く残っていないと聞いている。


駅からの散歩

No.319   横浜市青葉区  寺家ふるさと村            8月28日

何となく夏の田んぼを見たくなって、散歩の案内書から、横浜の「寺家ふるさと村」を選んでみた。
渋谷から東急田園都市線で青葉台駅で降りる。駅周辺は「スクエア」という専門ショップが何棟も
取り囲んで、おしゃれな雰囲気である。駅構内のインストアベーカリーで遅いモーニングを済ませ、
駅前からバスに乗る。約15分で終点の鴨志田団地に着いた。そこから200m程歩くと、目の前に
田園風景が広がり、田んぼの臭いがしてきた。ここは「寺家ふるさと村」、水田と雑木林が織りなす
景観に恵まれていて、昔ながらの田舎の雰囲気が色濃く残っている。地元主体で始まり、市と県と
国との協力を得て、それらが一体となって、この「寺家ふるさと村」は推し進めらてきたと言う。
ここには手つかずの自然があるのでなく、人々の営みの中で守り継がれてきた里山が残っている。
歩くうちに、昔懐かしい昭和の農村にタイムスリップしたような感覚になってきた。


      
                         東急田園都市線 青葉台駅

      
                  青葉台駅前「スクエア」 入口にウォーターカーテン

      

                
                        AM11:00 遅いモーニング

      
                   青葉台北口から鴨志田団地行きのバスに乗る

                
                           鴨志田団地下車

      
                       目の前に田園風景が広がる

      


      
                雑木林の里山を背景に熊野神社の白い鳥居が見える

                  
                             熊野神社

      


      
                             ふる里の森

                


      
                              大池

      


      


      


                


                


                
                         蜘蛛がトンボを捕まえていた

      


                
                         あぜ道に大豆?が植えてある

                


                


      


      


      
                              水車小屋

                 


               


                 


                 
                               コスモス

                 
                             キバナコスモス

      
                      早いところでは稲刈りが始まっている

      
             この土地は大家から無償で借りて、収穫の一部で支払う契約とか

      
               田んぼによってまちまちだが、ここはコシヒカリだそうである


                 


                 
                                浜ナシ