60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

人間関係

2014年09月26日 09時52分13秒 | 散歩(4)
 
 先々週書いた「同期会」では10年ぶりや47年ぶりの再会であっても、しばらく話すうちに直ぐに当時の関係に戻ることができた。それは同期という対等な関係で、利害も無く何でもざっくばらんに話し合っていたのが大きい要素なのだろう。今このように昔を懐かしむ会合は、私のまわりにはあと3つある。一つは前に務めていた会社のOB会で、63歳~73歳までの約10人が年に2回集まる。和気藹々の雰囲気の会で、皆次回に会うことを楽しみにしている。メンバーの何人かで山に登ったり、土地を借りて家庭菜園をしたりと、趣味が合えば個別に付き合う機会が増えるなど広がりもある。
 
 あと2つの会はどちらも以前の会社のお偉いさんを中心に集まるOB会である。メンバーは30人程度と多く、立食パーティーの形式が多い。私はどちらの会にも何度か参加したことはあるが、会の雰囲気が肌に合わず、ある時期から出席しなくなった。どちらの会もお偉いさん(役員)を筆頭に昔の会社の序列をそのまま引きずっていて、昔上司であった人は尊大で元部下をあごで使い、下っ端はおべっかを使いながら酒を注いで回っている。もう会社を離れたのだから対等だと思っている私にとっては、この空気が馴染めないようである。
 
 学生時代は対等な人間関係が主体だったのに、一旦社会に出ていくとると、組織の序列が付きまとい、常にそれを気にしていなければいけなくなってくる。会社内の職制、取引関係での得意先と仕入先、それとは別に先輩後輩やキャリアや性差まで、その会社の雰囲気や組織というものが人間関係を縛ることになる。私はこういう組織の中での人間関係は決して本当の人間関係ではないだろうと思っている。なぜなら社内の転勤や退社、周りの会社との営業関係が無くなれば、そこに生じていた人間関係もほとんど継続することがなくなってしまうからである。会社での人間関係はあくまでも、その時点だけに通用するもので、決して長く通用する人間関係ではないはずである。
 
 ある大手量販店を辞めたバイヤーと話したことがある。彼はその実行力とキャリアで、自分自身でも、社内や多くの仕入先などから一目置かれる有用な存在だと自負していた(しかしその実力は自分の肩書や権限からくることを考慮していない)。そして実際に辞めててみると、今までの交友関係は極端に少なくなり、彼に親身に声をかけてくれた先輩や仕入先の人はほとんどいなくなった。彼いわく、辞める前に残ると考えた人間関係は実際には歩留まりは5%(1人/20人中で)だそうである。会社という組織の中で、しかも肩書きがあっての人間関係、それが無くなってしまえばタダの人である。彼は幻の人間関係を本物の人間関係と錯覚したいたのである。
 
 私は社会人になってから転勤は5度、転職は3度ある。会社に勤めて日々色々な人と接してそこに生じる人間関係が、別れてしまえば霧散してしまう関係だけでは味気なく思えていた。できれば一緒に仕事をしているうちに、その後も持続できる関係を構築しておきたいと思うのである。そんなことから自分なりの継続手段を考えるようになる。まず一つは、職場の中で気が合い親しくなれそうな人がいたら、その人の住所を聞き年賀状を出すようにする(今はメールやSNSで充分という人もるが、やはりお正月に年賀状が届くのとは親愛度が違う)。そんな積み重ねをしていると、転勤や転職の度に年賀状は増えていくことになるが、やがて儀礼的なものや、それほど親しくなかった相手からものは落ちてゆき、ある時点からは一定になっていくものである。この年賀状の効用は、毎年行き交っているうちは、相手は私との関係を保ってても良いというサインだと受け取ることが出来ることにある。
 
 二つ目は、職場で親しくなれば、仕事以外にもプライベートに付き合うようにしている。ランチを共にしたり帰りにお茶を飲んだり、時々は夜一杯のみに行く。そんな積み重ねをするうちに、できれば対等な口(タメ口)で話せる間柄にしておくことが大切である。それは年齢がどうであろうが、職制がどうであろうが、男性であろうが女性であろうが、仕事から離れた時の対等になるための条件作りなのである。三つ目が、どちらかが転勤や会社を退社することで離れざるをえなくなれば、こちらから声をかけて個人的に送別会をするようにしている。出て行く人は大勢で送別会(ケジメ)を開いてもらうと、その後は敷居が高く近寄りがたくなるものである。しかし個人的に送別会をすれば、その場でその後の継続的な交友を約束することができる。職場でのオフィシャル関係からプライベートな人間関係に、その時点から切り替わるのである。
 
 私の友人で町内会でソフトボールチームに参加している人がいる。彼が言うには参加者は年齢や職業には全く関係なく、毎週楽しくソフトボールの練習や試合に臨んでいるそうである。そしてその関係は和気藹々とし、協力し合い、チームを離れても面倒見がよく、力になってくれるという。私の思う人間関係は歳を取っていようが若かろうが、肩書きがどうであろうが、男だろうが女だろうが関係なく、人として対等でいられる関係が一番楽であり、一番絆が強い人間関係になるように思うのである。47年ぶりに再会しても、また元に戻れるのは、それが対等でざっくばらんで楽しかったからであろう。
 



 

山登り(大山)

2014年09月19日 08時37分43秒 | 散歩(4)
 来年1月末で65歳の完全定年を迎える友人から「山に行こう」と誘われた。彼は団塊の世代の最後のサラリーマンである。その世代の特徴なのか、彼は仕事一途でほとんど趣味を持っていない。そんな彼はリタイヤが間近になってから、その後のことを真剣に考えるようになったと言う。彼は散歩で良く歩いていることから、とりあえず考えたのがアウトドアーとしての山登りである。しかし今までに高い山には登った経験がないから、「最初は近場の低山から・・」という要望である。そんなことから川崎に住んでいる彼の近場、神奈川県にある大山に登ることになった。この山は古くから霊山として庶民から信仰され、山頂には阿夫利神社本社、中腹には阿夫利神社下社がある。標高1252mの山だが、途中(700m)まではケーブルカーがあるから、山頂までは550mの標高を登ることになる。高尾山が599mであるから同程度の山で、彼の体力を測るには相応しい山である。
 
 小田急線の伊勢原駅からケーブル駅まではバスである。朝8時に伊勢原駅で友人と待ち合わせ、駅を出てバス停に行くと、そこにはすでに長い行列ができていた。寿司詰め状態のバスで約30分、大山ケーブル駅のバス停に着いた。そこから15分ほど歩くとケーブル駅である。そこでもすでに長い行列ができている。定員100人乗りのケーブルカーを2台待ってやっと乗ることが出来た。そして通勤ラッシュ並みのケーブルカーは10分弱で阿夫利神社(下社)駅に到着した。そこは標高700mである。正面のはるか先には相模湾が見え、東方向には遠く横浜ランドマークタワーが望める。阿夫利神社にお参りしてから、神社の裏手から登山道に入る。そこからもだらだらと行列を作って登ることになる。40年ほど前に登ったことがあるが、そのときは閑散としていて人と会うのが珍しいほどであった。やはり今はアウトドアーとしての登山人気は高いのであろう。
 
 登り初めて10分もすると、友人が「ちょっと休もう」と言う。しかたなく登山道の広くなった場所を見つけ、道の端に座って5分ほど休む。それからまた上り始めたのだが、また10分ほどすると、「きつい、休もうよ」と後ろから声がかかる。またつき合って休むが、さすがに3度目になったとき、これは付き合いきれないと思うようになった。「これではこちらの調子が狂うから、しばらく歩いて上で待ってるよ。だから自分のペースでゆっくり登ってきたら」、そう言いって一人で登ることにした。30分ほど登って下から上がってくる友人を待つ。しかし10分経っても上がってこない。そして15分が経過する。さすがにそこまで遅れると心配になる。携帯を出し彼に電話をかけて見る。しかし電話は繋がらず直ぐに留守番電話になってしまった。そして待つこと20分、やっと息を切らせ疲れた表情で彼は上がって来た。
 
 「大丈夫?」と私、「大丈夫大丈夫、自分のペースで登れば何とかなるから」そう言いながらも、荒い息はなかなか収まらない。しばらく休んで2人は再び出発する。しかし2人の距離は次第に開いて、下から来る彼の姿は見えなくなる。私の経験からすれば10分15分と歩けば乳酸が足に溜まりだるく重くなってくる。ここで休んでしまえば、休憩の繰り返しになり登山にはならない。普通登山では1時間歩いて10分休憩が基準といわれる。きつくなってもしばらく我慢して上り続けると、足はそれに慣れてきて、後は惰性で登れるようになるものである。しかし彼の体重は86kg、私より15kg重い。米5kg詰め3袋(15kg)を背負って歩いていると思えば、そのハンディーから仕方ないのかもしれない。私は一気に頂上まで歩いて彼を待つことにした。喘ぎ喘ぎ彼が上がってきたのは、別れてから35分後であった。結局行程1時間30分のこのコースを我々は3時間を要したことになる。
 
 頂上から眼下を見下ろしながら昼食を取る。本来なら富士山が見えるはずだが、今日は曇りがちなのか雲に隠れて見ることができない。しばらく頂上で休んでから今度はなだらかな尾根伝いにケーブル駅まで歩くことになる。下りでもやはり彼は遅れ、1時間15分の行程を2時間近くを要した。山登りで一番必要なものは持久力であろう。彼のように特段のトレーニングもせず、体重のコントロールができてなく、しかも年齢の衰えが顕著になってきての山登りは、どんなに低山といえども無理があった。彼にとっては今回の山登りは苦行であったはずである。彼が期待している「山登りを楽しむ」ためには、まずは体重を落とすことが必須であろう。そのことは本人も自覚したようで、「頑張って体重を落とすから、次回は高尾山に登ろう」と、今回の山登りではまだ諦めていないようである。

    

                    伊勢原駅からケーブル駅までバスで30分

    

                    ケーブル駅までバス停から歩いて15分

    

                    ケーブル駅には長い行列が出来ていた

    

                           ケーブルカーの中も満員

    

 

          

                           阿夫利神社(下社)

    

 

    

 

    

                         かっこよく決めた山ガール

    

                         神社の裏手の急な階段

    

 

    

                            山道でも行列

    

 

              

 

            

 

            

 

    

               富士見台 晴れていれば正面に富士山が見えるはず

        

                  リュックと幼児を背負い子供の手を引く

        

               遅れること35分、喘ぎながら疲れた表情の友人

   

                         山頂にある阿夫利神社(上社)

   

 

                                頂上からの眺望

   

 

   

                           帰りは雷ノ峰尾根から下る

           

 

   

            下りでも遅れている友人、体重が災いしているのであろう

   

                           見晴台 もうすぐ秋

   

                            長い下り道

   

 

   

 

   

                       モミジも少し赤くなり始めている

     

 

 


同期会

2014年09月12日 08時15分39秒 | Weblog
 先週大学の同期会に出席してきた。今回は我々の所属学科(44名中22名出席)に加え、教養課程で一緒だった別の学科(27名中14名出席)と、初めて合同で開催された。従って新たに加わったメンバーとは実に47年ぶりの再会である。場所は岐阜県の長良川温泉、夕刻より屋形船で長良川の鵜飼を見ながら宴会して一泊、翌日は金華山(稲葉山)にある岐阜城(斉藤道三や織田信長が居城)を見学して解散というスケジュールである。
 
 岐阜駅からバスで長良橋で下車、5分程度歩いてホテルに着いたのは集合時間の午後4時少し前であった。入り口で幹事に到着の挨拶をし、会費を払ってからロビーに入った。すでに大勢が集まっていて、数人ずつに分かれて談笑している。見覚えのある顔もあるが、知らない顔も多い(本当は知っているはず)。周りを見回して歩いている時、突然、ソファーに座っていた2人から名前を呼ばれ手招きをされた。近づいてみたものの誰だったのか、全く思い出せない。脳の海馬に記憶されているだろうデーターを懸命に検索しても、探り出すことができないようである。やがて相手がそれぞれに自分の名を名乗る。「あっ、この2人は寮で同室だった仲間だ」、そう思っても、目の前の2人の容貌と47年前の2人の面影とが結びつかない。

  髪は白く薄くなり、顔はどす黒くシワも目立つ。浦島太郎が玉手箱を開けて一気に白髪になり周りも一変したように、そのギャップを埋めることができないようなものだろう。ぎこちなく会話を合わせる間にも、47年前の彼らの様子と、いま目の前に見る顔とを必死に繋げようと、脳内で激しくデーターのやり取りしているのが自分でも分かる。やがてその2つの情報がつながリ始め、まぎれもなくあの時の2人だと確信がもてるまでになってきた。すると不思議なもので、今までギクシャクしていた会話は一気に47年前と同様に親しいものになってくるのである。
 
 30数人が集まっても、やはり群れるのは学生時代の親しさが基準になる。私が懐かしく感じる人達は、入学1年目の学生寮で同室だったメンバー、2年間通った柔道部の同期生、一緒にギターを習いに行った仲間、4年次にマンボ楽団に勧誘してくれた友人(欠員が多くマラカスを担当させられた)等々、やはり学生時代に親しく打ち解け、何でも語らった相手である。そんな相手であればどんなに時間が経過していても、それを飛び越えて昔の関係に戻れるものである。話はお互いの昔話の付き合せ、それとその後の出来事である。がんで胃を全摘して今は体重が42kgまでになった仲間、肺がんで肺の1/4を取った友人、3年前に奥さんを亡くし、今は再婚を考えている者、やはり昨年奥さんを亡くし、「寂しいものだよ」と心境を語ってくれる友などさまざまである。卒業して47年、それぞれの人にそれぞれの人生があったことを改めて思うのである。
 
 鵜飼見物が終わり、宿に帰ってから一番大きな部屋に集まって2次会である。酒が入るほどに、それぞれの素が露わになってくる。そして酒席での立ち振舞いは学生時代の個々の性格がそのまま延長されてきたようである。「三つ子の魂百まで」、やはり半世紀近く経過しても人の性格は変わらないのだろう。しかし学生時代と変わったところもある。押しなべて酒量が減ったこと、(耳が遠くなったからか)声が大きくなったこと、滑舌が悪く、だみ声が多くなったこと、「あれ、あれだよ」と単語が思い出せない場面が頻繁になったこと、朝起きるのが早くなったこと(ほとんどのメンバーが6時前に起きて朝風呂に行く)、金華山に登る坂道で喘ぐ人が多くなったことなど、精神的には20代に舞い戻っても、体の方はやはり70歳である。参加者が集まってから一晩が経過すると、昔話は少なくなりそれぞれの近況の話になってくる。やがて昔の面影は記憶の中に戻っていき、今のその姿が現実世界の仲間であると認識するようになる。これからは過去と現在の二つが繋がり、セットになって海馬の中に整理されるのかもしれない。
 
 2つの学科の同期生約70人の内、物故者はすでに8人いるそうである。それらの人の名前を聞いても、今度は名前は思い出せても、顔が思い浮かばない。「去るもの日々に疎し」ではないが、記憶はどこかで引っ張り出して虫干ししてやらないと、そのまま埋もれて消えていくのであろう。さて今度は何年後に会えるか分からないが、それまで修正された記憶が維持できていれば良いと思うのだが。

  
    

    

    

    

    
                          金華山(稲葉山)
                        頂上に岐阜城がある

    
                          金華山ロープウェー

    
                               岐阜城  

    

    
                         天守閣からの眺め

    

    
                                     解散式
 
 
 
 

散歩(小手指ケ原)

2014年09月05日 09時02分56秒 | 散歩(4)

  8月の後半の土日は毎週のように雨模様であった。そういう時はあまり遠出をせず、近場を歩くことにしている。自宅からの散歩コースも何通りかあるのだが、一番の気にいっているのは自宅から住宅地を抜け北野神社へ、そこから畑の広がる小手指ヶ原を通って小手指駅までの約2時間コースである。そのコースは住宅地、畑、茶畑、雑木林と変化にとみ、季節によって色々な変化を見せてくれる。今日はカメラを持って夏の終わりに咲いている花をテーマに歩いてみることにした。夏の花と秋の花が入り乱れて咲く様は、今が季節の変わり目であることを感じさせてくれる。もう少し季節が進み、1枚上を着て歩くようになれば、秋も深まり散歩コースの様子も一変することになる。彼岸花が咲き、金木犀が香り、紅葉が始まるのももう少しである。またその時に季節の変化を楽しみたいものである。

     

                                 ケイトウ

     

                                    秋のバラ

            

 

            

 

            

 

            

                                 サルビア

     

                         この当たりは農業の家が多い

     

                                  ニラの花

             

                       ハチもせっせと蜜を吸う

             

                              ブルーベリー

             

 

             

 

             

 

             

 

             

 

             

 

             

 

             

 

               

 

             

 

             

 

             

 

             

 

     

 

             

 

             

                  雨が多い日が続き、アジサイが狂咲き

                

 

             

                                               ヒョウタン

     

                           小手指ケ原古戦場

     

                            小手指が原古戦場

     

                                 芋畑

      

 

     

                                  茶畑

     

                                 県立 所沢西高

             

                      穴を掘って体を埋めて暑さ対策

             

                 コンクリートの電柱に停まって鳴くツクツクボウシ

     

                                    駅への近道

              

                           暗い林の中を通り抜ける

     

                      やぶ蚊に刺されないかと心配になる

              

 

     

                                      小手指駅