60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

散歩(世田谷)

2017年01月27日 11時42分27秒 | 散歩(6)
 寒さが続き少し出不精になっていた。日曜日は気温は低いが風はなく日向を歩くと心地よいだろうと思い、少し遠出してみることにした。今日は久々の都内、世田谷区西南部の住宅地から国分寺崖線に沿って点在する緑地帯を抜けて多摩川に向かうコースである。
 世田谷区は東京区内では大田区に続いて2番目に面積は広く、人口は90万人と一番である。成城や深沢など高級住宅地があり、古くから開けた住宅地である。そんなことから随所に緑があり、住宅の敷地も広く、しっとり落ち着いた街である。そんな中を穏やかな日差しを浴びて歩くと、なにか心豊かになったような気分になるものである。
 
   
 
              東急田園都市線 用賀駅は地下
 
   
 
                  瀬田の交差点
 
   
 
   
 
                    フラワーランド
 
   
 
            ハーブや山野草など数百種類の花を栽培
 
   
 
   
 
   
   
 
                    急な坂を下る
 
   
 
   
 
                  丸子川親水公園
 
   
 
                     岡本公園
 
   
 
   
 
                    民家園
        江戸時代の典型的な農家を移築した旧長崎家住宅
 
          
 
          
 
   
 
   
 
                国分寺崖線(崖地の連なり)
      多摩川が10万年以上かけて武蔵野台地を削り取ってできた。
   樹林や湧き水等の豊かな自然環境が残り、世田谷の緑の生命線と言われる
       
   
 
       左が武蔵野丘陵、右が一段低くなった立川丘陵(多摩川側)   
 
   
 
                 岡本静嘉堂緑地入り口
 
   
 
                     静嘉堂文庫
旧三菱財閥の2代目社長岩崎彌之助、4代目小彌太の親子2代によって収集された、
  和漢20万冊の古典、国宝・重要文化財を含む6500点の古美術を収蔵
 
   
 
                     静嘉堂文庫
 
         
 
                   静嘉堂美術館
 
   
 
                     静嘉堂美術館
                    今は日本刀の展覧会
 
   
 
                    岩崎家廟堂
 
   
 
                 静嘉堂美術館前の庭
 
   
 
                   旧小坂家住宅
 
   
 
                    旧小坂家
 
   
 
                    旧小坂家
               旧華族小阪順造が昭和12年に建てた別邸
 
   
 
       東急玉川線の支線として大正13年に開通した砧線の軌道跡
 
   
 
               Visunaという美容室の看板
 
   
 
                     谷川緑道
 
   
           
                    谷川緑道
 
           
 
                        蝋梅        
 
              
 
   
 
                    兵庫島公園
             多摩川と野川の中州を利用した公園
               瓢箪池や芝生広場などある
 
   
 
                     多摩川
 
   
 
                    二子玉川駅
 
   
 
                    二子玉川駅
 
 
 
 

薬の功罪

2017年01月20日 09時07分00秒 | 読書
 通勤途中、いつも本を一冊持っていないと手持ち無沙汰である。だから一冊読み終えれば、直ぐに本屋へ行くことになる。最近は小説をあまり読まないから、どちらかといえば生活に密着した新書が多くなる。今回は薬に関してのもの。《その一錠が脳をダメにする》著者宇田川久美子、タイトルはセンセーショナルであるが、めくり読みすると共感できることもある。早速読んでみることにした。
 
 著者は薬剤師である。その著者が自分の経験からこんなことを書いている。
 
 若かりし日の私も、頭痛薬を手放せませんでした。薬の量も1錠から2錠、3錠と増え薬学部の友人から心配されたほどです。それでも私は飲み続けました。痛みを抑えなければ勉強することもリラックスした時間を楽しむことも出来なかったからです。そして薬剤師になると、様々な薬に囲まれて働くようになります。そんな薬に恵まれた環境は、薬への依存をいっそう高めさせました。
 薬の知識があるだけに、痛みを消すにはどんな薬がよいのか分かります。つらい痛みを薬で抑え込み、それがうまくいかなければ薬の量を増やしたり、より作用の強い薬を飲んだりする。そんな薬漬けの生活が30年近くも続きました。頭痛薬、ビタミン剤、胃腸薬、筋弛緩剤・・・・7種もの薬を毎日17錠も飲んでいたことがあります。しかしどれほど薬を飲んでも、痛みから解放されることはない。痛み止めに含まれる鎮痛成分には、痛みを軽くする作用があるだけで、痛みのもとを除く働きはありません。それだけではなく、常用していると、頭痛の起こる頻度は増え、痛みは強くなっていく。頭痛を取るために薬を飲み、一時的に痛みを抑えたところで、再び強い痛みがやってくるのだとしたら、何のための薬かわかりません。悪循環にはまり込むだけです。薬を大量に飲み続けてきた私は、薬と決別する覚悟を決めました。
 
 著者は医療のあり方を視点を変えて見ることで、今の薬の扱われ方を警告し、健全な薬のあり方について書いている。以下ポイントになる所だけを抜粋してみた。
 
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 実は、薬とは「病気を治す」ものではありません。ほとんどの薬は、心身に生じる症状を抑えるためのものです。本当の意味での健康な心身を築くには、まずは薬に対する認識を改め、できる限り薬に頼らずにすむ身体づくりを始める事です。
 
 薬剤師は薬学部に入学した時から薬の勉強を続けることになりますが、真っ先に教わるのは「薬は身体にとって異物であり、毒である」と言うことです。異物が身体に起こす反応の力を借りて、不快な症状を感じにくくしたり、症状を抑え込んだり、病原菌の力を削いだりするのが薬です。つまり薬とは、病気の力を抑えて、自然治癒力が働きやすくなるようサポートするのが本来の目的。そのために薬は存在するのです。つまり、病気を治す主体はあくまでも身体に備わった自然治癒力。薬はそれを支えるもの。ところが多くの人は、「薬が病気を治す」と勘違いしています。
 
 「くしゃみ3回○○3錠」「効いたよね、早めの○○○○」などといったキャッチフレーズは、症状の出始めに薬を飲んでおけば、翌朝にはスッキリ爽快、風邪を吹き飛ばせることを視聴者に連想させます。しかしCMはイメージを植えつけるためのの映像で、どこにも「風邪が治る」とは言っていません。薬に風邪を治す力がないことを知っている人達が、ウソを語らずに薬の力を信じさせるためにつくった巧妙なしかけです。
 
 風邪薬の多くは、回復に向けて欠かせない免疫反応を抑え込んでしまうものです。これによって、つらく不快な症状が一時的に軽減されます。本人は「風邪がよくなった」と思うかも知れません。しかしウイルスは体内でくすぶり続けます。風邪薬に頼っている人ほど、症状がすっきりとれにくいのはこうした理由があるからです。
 
 しかし、抗生物質だけは少し話が異なります。抗生物質は20世紀最大の発見と呼ばれた名薬です。「神の薬」「救世主」とたたえられたほど、世界中で多くの命を救ってきました。世界最初の抗生物質はペニシリン、その後、数々の抗生物質が製造され、細菌による感染症の治癒に絶大な力を発揮しました。ところが人類は、残念なことにこの大切な薬の使い方を誤りました。効力の高さゆえ、乱用するようになったのです。抗生物質は、細菌による感染症を抑えるうえですばらしい威力を発揮します。ただし効くのは細菌感染においてのみです。風邪も感染症の一種ですが、原因のほとんどがウイルス。ウイルス感染において抗生物質は無力です。ところが、先進諸国では、抗生物質の威力を過信し、風邪にも抗生物質を処方する時代を長く続けてしまったのです。その結果抗生物質の効かない耐性菌の出現です。
 
 欧米では、一度の受診で処方されるのは1剤のみの「1剤処方」が基本です。ひるがえって日本では、5剤以上の処方も珍しくありません。名著「ドクターズルール425 医者の心得集」には、「4剤以上飲まされている患者は、医者の知識が及ばない危険な状態にある」「薬の数が増えれば増えるほど、副作用のリスクは加速度的に増す」という提言が記載されています。薬の乱用は、人の健康を脅かし、国全体を不幸な状態に導く大問題であると、先ずは知って欲しいと願います。
 
 効き目のよい薬や即効性の高い薬ほど、身体のどこかで副作用が生じています。なぜなら飲み下された薬は腸から吸収されると、血流にのって体中をまんべんなくめぐっていくからです。当然のことながら、薬には意思はありません。薬を必要としている個所にピンポイントで届くわけではなく、随所で作用を及ぼします。例えば咳止めを飲めば、のど粘膜の炎症を柔らげるだけではなく、脳や胃腸などの内臓諸器官から手足などの末端にいたる粘膜に、作用が働くことになるのです。
 
 薬の作用には、必ずプラス(効果)とマイナス(毒性)があります。患部に働きかけるプラスの作用を主作用といい、意図した作用以外のマイナスの作用を副作用といいます。副作用には眠くなる、蕁麻疹がでるなど自覚できるものもあれば、自覚はないけれど体内でなんらかの作用をもたらしていることもあります。プラスとマイナスはワンセットであり、薬の効果を感じれば、身体のどこかで副作用も起こっています。軽い気持ちで飲んだ一錠が、思わぬ結果をまねくこともあります。
 
 「薬は命と健康を守ってくれるもの」と思い込んできた方には衝撃かもしれませんが、医師がつくる多くの学会は、製薬会社と表裏一体の関係にあるのです。メディアが報道する情報も、資金の豊富な製薬会社や影響力の大きな広告代理店が背景に絡んでいれば、鵜呑みにできないものとなります。近年の健康ブームにのり、テレビでは毎日のように健康情報が流されます。名医と呼ばれる医師たちが登場し、視聴者の不安をあおる形で病気を説明します。テレビ局は製薬会社をスポンサーとし、名医と呼ばれる医者は「早期発見、早期治療」を呼びかけて大勢の人を病院に集め、製薬会社は医師達に薬を売ってもらう、・・・・。テレビの健康番組には、こうした連携が見え隠れしています。
 
 たとえば高血圧の降圧剤治療、「130超えたら血圧高め」とイメージ宣伝が効いているのか、医者は過剰に降圧剤治療を進めます。現在、降圧剤ビジネスの市場は1兆円規模になっています。日本では約4000万人が高血圧症と推定されており、3000万人以上が降圧剤を毎日服用しています。具体的には、50歳以上の約4割近くが降圧剤の常用者です。これは異常な状況です。降圧剤は血管を拡張して血圧を抑える作用はありますが、血管壁をピチピチに若返らせる働きはありません。血管を拡張するので一度飲み始めると「一生のおつきあい」というのが医者の常套句になります。大勢の患者さんが降圧剤を飲んでくれていれば、医療も製薬会社も安泰です。
 
 ではどうすればよいか。そのために重要なのは、「身体の声を聞く」ことです。痛みやだるさ、疲れなどの不快感は、身体から送られてくるSOSのサインです。サインを受け取ったら、薬で症状を抑える前に、身体のためにできることを実践してあげて下さい。たとえばひたすら眠る。食欲がないときは食事をする必要はありません。発熱時、味がしない、何を食べても苦く感じるというのは、身体が「食べないで」とサインを送っている証です。私たちの身体は2~3日は食べなくても大丈夫です。脱水症状を起こさないよう、こまめに水分補給をし、身体の声に従って休んでいれば、風邪は治っていきます。風邪をひいたら薬に頼らず、自らの免疫力だけで治すという体験を積んで見ましょう。成功体験が、薬を遠ざける第一歩となるはずです。
 
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 糖尿病にしても高血圧症にしても高脂血症や脳卒中、心臓病、はたまたガンまで生活習慣病といわれている。本来なら生活習慣を改めれば病気になりにくいし、改善できるはずである。しかし、多忙な生活に追われていると、どうしても薬に頼りがちになる。しかしこれでは根本的な解決にはならないばかりか、身体を痛めることになる。著者が言うようにまずは身体の声を聞く、そしてそれが風邪など、今までの経験の範囲であれば自己免疫で自力で治す。症状が重いものだったり今まで経験したことのない異変であれば、医者に行って検査を受ける。それでもだだ医者の処方を鵜のみにするのではなく、自分でも調べ対応を考えてみる。自分の身体だから、医者任せにせず自分が把握し管理する。そんなスタンスが必要なように思うのである。













東海道五十三次

2017年01月13日 08時33分33秒 | 日記
  昨年の11月、外出先でランチに吉野家の牛丼を食べた。その時店内で、「東海道五十三次を歩いてクーポンをもらおう!」というポスターを見かけた。スマホの万歩計を連動させて東海道五十三次を歩くという企画である。以前スマホに万歩計をインストールして使っていたことがある。しかし自分の歩行習慣と歩数を大体把握してからは使わなくなった。今回の企画、「歩く目標が出来て面白いかもしれない」、「果たして京都までどのぐらいで歩けるのだろう」、「歩いて割引クーポンがもらえるのなら励みになる」、そう思って早速そのソフトをインストールして使ってみることにした。
 
 11月2日、日本橋をスタートした。このイベントのために特別に多く歩くことはせず、普段どおりである。私の歩行習慣は平日は13000歩前後、休みに歩くときは20000歩程度、歩かないときは5000歩以下である。スマホのソフトは歩数の積算で日本橋から品川宿、川崎宿、神奈川宿、保土ヶ谷宿と東海道の宿を伝って歩くことになる。そして時々割引(50円引き)のクーポンが配布されてくる。
 
       
 
        日々の歩行記録は棒グラフになる。   
 
       
 
      歩数の積算で五十三次の宿を京都へ向かう      
 
       

          東海道五十三次のルート
 
日本橋⇒品川⇒川崎⇒神奈川⇒保土ヶ谷⇒戸塚⇒藤沢⇒平塚⇒大磯⇒
 
小田原⇒箱根⇒三島⇒沼津⇒原⇒吉原⇒蒲原⇒由比⇒興津⇒
 
江尻⇒府中⇒丸子⇒岡部⇒藤枝⇒島田⇒金屋⇒日阪⇒桶川⇒
 
袋井⇒見附⇒浜松⇒舞阪⇒新居⇒白須賀⇒二川⇒吉田⇒御油⇒
 
赤坂⇒藤川⇒岡崎⇒知立⇒鳴海⇒宮⇒桑名⇒四日市⇒石薬師⇒
 
庄野⇒亀山⇒関⇒坂下⇒土山⇒水口⇒石部⇒草津⇒大津⇒三条大橋
 
        
 
      歩き終わった宿は赤くなり三条大橋に到着  
 
        
 
         1月4日に三条大橋に到着した
 
 年末年始の休みがあったから、所要日数は2ヶ月以上かかったことになる。総歩数70万7000歩である。これを53次で割ると宿場間の平均は1万3350歩、これは私が平日歩いている歩数とほぼ同じである。ということは東海道五十三次を一宿づつ歩いていけばそんなに大変な旅でもないように思える。昔は旅支度を整え草鞋で田舎道や山道を一歩一歩歩いて行ったのであろう。ゆっくり歩いて約2ヶ月の旅、歌川広重の東海道五十三次に出てくるような風景を見ながら旅を楽しんでいたのかもしれない。娯楽の少なかった昔、日常を脱して非日常の旅に出る。現代の楽しみ方と比べようもないが、私はこういう方が性にあっている。
 
  

              保土ヶ谷 

  
 
                原
 
  
 
               御油宿

  

               岡部
 
    
 
               袋井






お正月

2017年01月06日 08時16分23秒 | 日記
 風も無く穏やかな年明けである。朝9時、1人初詣に出かける。初詣といっても、この歳になると自分に対する願い事も無いから、もう大きな神社仏閣には行かない。したがって昨年から形ばかりで家から一番近い(5分)諏訪神社に行くようになった。この神社、昔この一帯の地主が個人的に建てたものなのだろう。100坪程度の敷地に鳥居と小さな神殿があるだけである。時代を追うごとに宅地化が進み、今では住宅地の真中に取り残されたように存在している。
 
 お正月用に最低限の飾りつけされた境内には地元の関係者だろう人が3人、参拝者は誰もいない。少し気恥ずかしさを感じながらお賽銭をあげ、鈴を鳴らし二礼二拍手一礼でお参りをする。終わるとハッピを着た人が「甘酒はどうですか?」と紙コップに注いでくれた。顔見知りでない人との会話もままならず、そそくさと甘酒を飲んでその場を後にした。
 
   
 
   
 
   
 
                 元旦の穏やかな光が降り注ぐ 
 
   

 新年の早朝、人も車もほとんど通っていない街は意外と新鮮に感じる。「天気もよくすがすがしいから、一回りして帰ろう」、そんな気分になって歩き始めた。行きかう車も無い静かな自動車道を歩いていると、ジョギングの人が追い抜いて行った。しばらく歩き左手に折れて住宅地に入る。家々の門や玄関には松飾があり、まだひっそりして人の声も聞こえない。我が家の周りを大きく左回りで弁天様にも行ってみる。鳥居の前に「元旦祭、十一時から」と書いてあって参拝者もいない。境内では近所の人2人が準備をしている。ここもお参りして再び歩き始めた。
 
   
 
               家から10分のところにある弁天様
 
   
 
                  左は西武狭山線
 
 西武線の支線である狭山線の線路の脇を登っていると、4両編成の電車が走ってくる。その電車を捕らえてカメラを向ける。その時一瞬富士山が見えた気がした。よく目を凝らして見ると家と家の間に雪を被った富士山が見える。この地に引っ越してきて34年、富士山を見たこともないし、見えるとも聞いたこともない。所沢は郊外の住宅地で、うねうねと起伏のある丘にビッシリと住宅が建ち並んでいてる。最近は駅前に高層マンションが立ち始めたから、その上層階からは富士山が見えるのかもしれない。しかし平地から見えるとは思いもしなかった。通勤時でもほとんど見ない方角、快晴で空気の澄んだ冬の朝、たまたま電車が走っていたから振り向いたら富士山があった。偶然と偶然とが重なってお正月に富士山を見た。なにか奇跡のように思える。
 
   
 
            電車を撮ろうとしたら、右上に富士山が見えた
 
   
 
                真っ白に雪を被った富士山 
      元旦から富士山を見たから今年はなにか良いことがあるかもしれない。
 
   
 
                   年賀状の配達
 
   
 
                    犬の散歩
 
   
 
               茶畑の先は我が家がある住宅団地

 我が家を出て小さな諏訪神社に初詣してから、大きく左り左りに回って我が家が望める茶畑にでた。右の鉄塔の左側が我が家である。この景色34年前とほとんど変わっていない。しかし3人の子ども達はみな外に出て今は女房と2人である。穏やかで暖かい光に照らされている我が団地を見て、「さて今年はどんな年になるだろう」と思う。もうこの歳になれば大きな望みはなくなってくる。たまたま富士山を見つけて幸せを感じるように、日常の中に新しい発見を見出すような年なのだろうか、そう思ってみた。