腰痛で時差出勤(11時出社、4時退社)していたMさんに社長が注文をつけた。
「定時に出社するか、辞めるか、それとも休職するか、そろそろ貴方が判断して決めろ」と。
昨年10月に腰痛を患って、2ヶ月以上休み、今年になってから会社には出てきているものの、
実質の働きは半分程度である。中小企業ではこれ以上の負担は難しいとの判断なのだろう。
彼は医者と家族に相談してから返事をするということにして、数日の猶予をもらった。
Mさんは46歳、子供はいない。郊外に一軒家を購入して夫婦で住んでいる。
奥さんもパートで働いているとはいえ、この時期職を失うことは将来設計が大きく狂ってくる。
2~3日して、医者の診断書をもらって、社長と面談をした。
医者は腰の軟骨がすり減り、骨と骨がぶつかることで痛みになる。現状では手の施しようがない。
この状態を抱えて一生この生活を続けるしかない。と言う診断だと彼は説明する。
オーナーは「腰痛持ちなんぞ、五万といる。俺だって腰痛持ち何だ。手当ができないというなら、
セカンドオピニオンということもある。別の医者へ行ってみたらどうだ」と言う。
オーナーにすれば彼に腰を酷使する作業をさせていたわけでなく、机に座っての事務職である。
しかも、何年も会社に貢献してきたベテランではなく、1年半前の途中入社の社員である。
腰痛でまともな仕事ができないなら戦力外通告もやむなし、と思っても仕方がないことだろう。
話しの詳細は分からないが、Mさんは辞めるにやめられないという事情を話し嘆願したのだろう。
オーナーからは通常勤務ができるまでは時間給にしよう、という提案も出たようである。
そして話合いの結果「今月いっぱいはこのままの態勢で勤務し、来月から定時の勤務にもどる」
そんなことで了解をもらったようである。オーナーもギリギリの譲歩に違いない。
話を聞いて、スッキリしないものが残る。それは社長にではなく、Mさんの言動に対してである。
昨年10月、腰痛で休み始めた。最初に病状を連絡し休む旨は報告したものの、その後、
医者の診断結果や経過報告もなくずるずると休んでいた。そして2ヶ月以上経過し年末になる。
さすがにオーナーも我慢できず「出てきて報告しろ!」と言われ、やっと報告に顔をだしたのである。
そして、話し合いで、年明けから時差出勤ということになり、それも、もう1ヶ月以上経過しまった。
傍から見れば「彼は何を考えているんだ」「本気で治す気があるのか」「甘えるのもいい加減にしろ」
そんな声が出てきても仕方がないと思うと思うし、オーナーの苛立ちもわかる気がする。
普通であれば給料をもらっているて手前、会社に対しての責任と義務は感じるべきである。
病気で仕事や自分の生活がままならなくなれば、何とか治療して復帰しようとするものである。
医者が手の施しようがない、と言うなら他の医者に診てもらうなど自助努力はするのが自然である。
しかし彼は「そういうことだから仕方がないんだ」という、一種あきらめにもにた態度なのである。
本当に今後もこれで良いと思っているのか、それとも時間が経過すれば改善すると思っているのか、
この彼の態度の不自然さ不可解さが、オーナーも含め周りの批判が強くなる原因のように思う。
以前にも書いたが、原因がわかっている腰痛は全体の20%で、残り80%は原因不明という。
そして腰痛の要因として大きくクローズアップされてきたのがストレス起因説である。
私の見立ては彼はストレスからウツ症状を起こし、それが腰痛という症状になって発現している。
だから、その腰痛だけを取り上げても改善のしようがないように思う。
医者から見ても今の骨の状況から本人が痛みがあると言うなら、痛み止めを処方するしかない。
整形外科ではこれ以上の治療の施しようがないのである。後は精神科での治療であろう。
彼の無気力感は腰痛からくるものではなく、完全に精神的な問題に起因するように思う。
ある社員が言う「3月から定時に来ることが出来るのなら、なぜ努力して明日から来ようとしないのだ。
4ヶ月まともに出てこれないものが、何の治療もなしに3月1日に突然治るわけはないだろう」と。
結局、彼はオーナーに言われ、無理を承知で通常の時間に出てくるのであろう。
それは彼にとっては何ら問題解決になっていない。反対に出てくれば過度のストレスが掛かってくる。
そして、より深刻な状況になって再起できなくなる危険性をはらんでいるように思う。
なぜこんな風に状況は悪い方へ悪い方へと行くのだろうか。
社員というものは給料をもらっている以上その会社にとって必要な存在であり続けなければいけない。
そのためには自分の弱点や欠陥はひたすら隠し、有用な人材の「フリ」りをする。
自分が過度のストレスから変調をきたしていることなぞ、公言することなどタブーになる。
言ってみればハードの故障は良いが、ソフトの故障は致命傷になると考えてしまうのであろう。
だから彼も精神的な不調は言わず、あくまでも腰痛ということを言い張るしかないのかもしれない。
今の世の中では自分を守るために、個人個人が皆殻の中に閉じこもっているように思う。
人とのコミュニケーションも表面的で型通りで、本当の意味での血の流れた交流は少ない。
会社でも個人の精神的な問題は無視をし、そんなことは自己管理の範ちゅうである。とする。
そんな風潮の中では人はますます孤立していき、内向的になり、閉じこもっていってしまように思う。
先日書いた若者の結婚状況のように、すべては自分で解決する以外誰も手助けしてくれない。
家族も会社も社会も今の世の中、個人の中に他人が立ち入ることをタブー視し過ぎるように思う。
もうすこしそれぞれが有機的に繋がり、本音を語れる場があればもっと楽になるのではないだろうか、
それはそれで反対に今の若い人達にはわずらわしいことなのかもしれないが、
先日Mさんに「飲みに行きましょうか?」と声をかけてみた。
「いや、腰が痛くって早く帰っているから、残念ながらいけませんよ」と答えが返ってくる。
「私は自在ですから、4時半からでも良いですよ」と言うと、
「いや、暖かくなってから、また」と言って断られてしまった。彼は私には心は開かないであろう。
私でなくても誰でもいい、本音を話さない限り、彼はますます殻の中に閉じこもってしまうように思う。
「定時に出社するか、辞めるか、それとも休職するか、そろそろ貴方が判断して決めろ」と。
昨年10月に腰痛を患って、2ヶ月以上休み、今年になってから会社には出てきているものの、
実質の働きは半分程度である。中小企業ではこれ以上の負担は難しいとの判断なのだろう。
彼は医者と家族に相談してから返事をするということにして、数日の猶予をもらった。
Mさんは46歳、子供はいない。郊外に一軒家を購入して夫婦で住んでいる。
奥さんもパートで働いているとはいえ、この時期職を失うことは将来設計が大きく狂ってくる。
2~3日して、医者の診断書をもらって、社長と面談をした。
医者は腰の軟骨がすり減り、骨と骨がぶつかることで痛みになる。現状では手の施しようがない。
この状態を抱えて一生この生活を続けるしかない。と言う診断だと彼は説明する。
オーナーは「腰痛持ちなんぞ、五万といる。俺だって腰痛持ち何だ。手当ができないというなら、
セカンドオピニオンということもある。別の医者へ行ってみたらどうだ」と言う。
オーナーにすれば彼に腰を酷使する作業をさせていたわけでなく、机に座っての事務職である。
しかも、何年も会社に貢献してきたベテランではなく、1年半前の途中入社の社員である。
腰痛でまともな仕事ができないなら戦力外通告もやむなし、と思っても仕方がないことだろう。
話しの詳細は分からないが、Mさんは辞めるにやめられないという事情を話し嘆願したのだろう。
オーナーからは通常勤務ができるまでは時間給にしよう、という提案も出たようである。
そして話合いの結果「今月いっぱいはこのままの態勢で勤務し、来月から定時の勤務にもどる」
そんなことで了解をもらったようである。オーナーもギリギリの譲歩に違いない。
話を聞いて、スッキリしないものが残る。それは社長にではなく、Mさんの言動に対してである。
昨年10月、腰痛で休み始めた。最初に病状を連絡し休む旨は報告したものの、その後、
医者の診断結果や経過報告もなくずるずると休んでいた。そして2ヶ月以上経過し年末になる。
さすがにオーナーも我慢できず「出てきて報告しろ!」と言われ、やっと報告に顔をだしたのである。
そして、話し合いで、年明けから時差出勤ということになり、それも、もう1ヶ月以上経過しまった。
傍から見れば「彼は何を考えているんだ」「本気で治す気があるのか」「甘えるのもいい加減にしろ」
そんな声が出てきても仕方がないと思うと思うし、オーナーの苛立ちもわかる気がする。
普通であれば給料をもらっているて手前、会社に対しての責任と義務は感じるべきである。
病気で仕事や自分の生活がままならなくなれば、何とか治療して復帰しようとするものである。
医者が手の施しようがない、と言うなら他の医者に診てもらうなど自助努力はするのが自然である。
しかし彼は「そういうことだから仕方がないんだ」という、一種あきらめにもにた態度なのである。
本当に今後もこれで良いと思っているのか、それとも時間が経過すれば改善すると思っているのか、
この彼の態度の不自然さ不可解さが、オーナーも含め周りの批判が強くなる原因のように思う。
以前にも書いたが、原因がわかっている腰痛は全体の20%で、残り80%は原因不明という。
そして腰痛の要因として大きくクローズアップされてきたのがストレス起因説である。
私の見立ては彼はストレスからウツ症状を起こし、それが腰痛という症状になって発現している。
だから、その腰痛だけを取り上げても改善のしようがないように思う。
医者から見ても今の骨の状況から本人が痛みがあると言うなら、痛み止めを処方するしかない。
整形外科ではこれ以上の治療の施しようがないのである。後は精神科での治療であろう。
彼の無気力感は腰痛からくるものではなく、完全に精神的な問題に起因するように思う。
ある社員が言う「3月から定時に来ることが出来るのなら、なぜ努力して明日から来ようとしないのだ。
4ヶ月まともに出てこれないものが、何の治療もなしに3月1日に突然治るわけはないだろう」と。
結局、彼はオーナーに言われ、無理を承知で通常の時間に出てくるのであろう。
それは彼にとっては何ら問題解決になっていない。反対に出てくれば過度のストレスが掛かってくる。
そして、より深刻な状況になって再起できなくなる危険性をはらんでいるように思う。
なぜこんな風に状況は悪い方へ悪い方へと行くのだろうか。
社員というものは給料をもらっている以上その会社にとって必要な存在であり続けなければいけない。
そのためには自分の弱点や欠陥はひたすら隠し、有用な人材の「フリ」りをする。
自分が過度のストレスから変調をきたしていることなぞ、公言することなどタブーになる。
言ってみればハードの故障は良いが、ソフトの故障は致命傷になると考えてしまうのであろう。
だから彼も精神的な不調は言わず、あくまでも腰痛ということを言い張るしかないのかもしれない。
今の世の中では自分を守るために、個人個人が皆殻の中に閉じこもっているように思う。
人とのコミュニケーションも表面的で型通りで、本当の意味での血の流れた交流は少ない。
会社でも個人の精神的な問題は無視をし、そんなことは自己管理の範ちゅうである。とする。
そんな風潮の中では人はますます孤立していき、内向的になり、閉じこもっていってしまように思う。
先日書いた若者の結婚状況のように、すべては自分で解決する以外誰も手助けしてくれない。
家族も会社も社会も今の世の中、個人の中に他人が立ち入ることをタブー視し過ぎるように思う。
もうすこしそれぞれが有機的に繋がり、本音を語れる場があればもっと楽になるのではないだろうか、
それはそれで反対に今の若い人達にはわずらわしいことなのかもしれないが、
先日Mさんに「飲みに行きましょうか?」と声をかけてみた。
「いや、腰が痛くって早く帰っているから、残念ながらいけませんよ」と答えが返ってくる。
「私は自在ですから、4時半からでも良いですよ」と言うと、
「いや、暖かくなってから、また」と言って断られてしまった。彼は私には心は開かないであろう。
私でなくても誰でもいい、本音を話さない限り、彼はますます殻の中に閉じこもってしまうように思う。