浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

夢スター歌謡祭歌合戦を見に行ってきました

2019年02月14日 09時08分17秒 | 音楽

昨日(2月13日)夢スター歌謡祭歌合戦という歌謡ショーを見に中野にあるコンサート会場に行ってきました。これはBS放送の歌謡番組でも有名な夢グループが主催している歌謡コンサートである。春組と秋組に分かれて、昔馴染みの歌手がその歌声を披露して歌合戦を行うという企画で、全国各地で行われているが、2月、3月は関東各地で開催されている。

出場歌手は、昔懐かしの知っている歌手ばかりなので、一気に昔にタイムスリップして、2時間半の歌合戦を思う存分楽しむことができた。ちなみに、出場歌手と曲目は以下の通り。(順不同)

<チーム春組>

チェリッシュ     「てんとう虫のサンバ」
平浩二        「バスストップ」
ロザンナ with  高道     「愛の奇跡」
加橋かつみ(ザ・タイガース) 「花の首飾り」
黒沢年雄       「ゆかいなじいちゃん」
狩人・高道      「傷だらけのローラ」
桑江知子       「私のハートはストップモーション」
葛城ユキ        「ボヘミアン」
石井明美       「CHA CHA CHA」
ZERO(韓国歌手) 「約束」

(春組司会)

おりも政夫(フォーリーブス) 「見上げてごらん夜の星を」
保科有里   「さくらの花よ泣きなさい」

<チーム秋組>

あいざき進也     「気になる17才」
晃(フィンガー5)  「恋のダイヤル6700」
西口久美子(青い三角定規)「太陽がくれた季節」
辺見マリ        「経験」
三善英史       「雨」
伊藤咲子       「ひまわり娘」「きみ可愛いね」
大野真澄(ガロ)   「学生街の喫茶店」
尾藤イサオ      「明日のジョー」
リリーズ       「好きよキャプテン」

(秋組司会)

江木俊夫(フォーリーブス) 「ブルドッグ」
あべ静江      「コーヒーショップで」  

ほとんど知っている歌手だと思うが、平均年令は、65才前後ではないかと思われる。観客も、同じような年代かもう少し上の方がほとんどであったので、まさに青春プレイバックである。どの歌手も相変わらず歌がうまく、往年の姿を思い出しながら見ていたが、やはり、お互いに年をとったなという印象であった。昔からあべ静江のファンであるが、歌声は何とか保っているが、今はゆるキャラのように太ってしまっているのが残念である。

会場は、1300人弱収容のそれほど大きなところではないので、S席で前から18列目の席であったが歌手との距離は思ったよりは近かった。歌合戦の合間には、ロビーで各歌手が自ら自分のCDの販売もやっており、一緒に記念撮影をしたり、握手をしたり、観客からすれば有名な歌手とこんなに間近に触れ合えるコンサートはなかなかないと言える。やはり生のコンサートは病みつきになりそうで、少し元気をもらった感じがする。

写真は、チラシ
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卓球経験者の募集で思う

2019年02月13日 09時13分41秒 | スポーツ

地元の卓球クラブは約40人のメンバーがいるが、60~70代の初心者が多く、試合に出られるメンバーが不足している。女性メンバーは、そこそこの人数が確保できるため、公式戦にも参加しているが、男性については、試合に出られるレベルのメンバーはいるものの、家庭の事情や健康上の理由で、現在は試合に参加できないため、最低4人の確保ができず、ここ2年ほど欠場が続いている。

なんとか現状を打開したく、インターネットの掲示板で会員募集の広告を出すことにした。募集要項には、試合にも出られる中級レベルの60代の男性で卓球の経験者募集としたが、なかなか応募者がいない。数か月で募集を閲覧した延べ人数は500人を越えているが、今までに応募や問合せがあったのは、ほんの数人。卓球経験者とか中級レベルとか言っても、人によって受け取り方が全く違うのか、応募や問い合わせがあった数人についても残念ながら募集要項をと合っていなかった。

60代といっても、最近はまだ仕事をしている人も多く、平日の練習に出られるような自由人は少なくなっており、仕事から解放された年金生活者の平均年齢は間違いなく高くなっていると思われる。健康寿命(男性72歳 女性74歳)はあまり延びていないのに、自由を奪われている60過ぎの年寄りが多いことは残念なことである。仕事から解放されて、これから遊ぼうと思った時は、「時すでに遅し」の感があり、可哀そうである。自分の場合、60歳で自由を獲得できたのは、ラッキ-あった。このことは、卓球経験者の募集があまりうまく行かないことと無関係ではないと思われる。現実は厳しいものがあると痛感している今日この頃である。
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美味しい食パンを求めて奔走

2019年02月12日 12時42分19秒 | 日常

我が家の朝食は、ご飯ではなく、パン食である。そのパンもほとんどが食パンであるが、美味しいものを求めて、その調達に苦労している。食パンには、スーパーで売っている安いものから、専門店の高級なものまでピンからキリである。世の中には数多くの食パンが出回っているが、その味というか触感は千差万別で、微妙に異なる。通常、トーストにして食べているが、美味しいと感じるパンはあまり多くない。家から歩いて1分のところにもベーカリーがあるが、値段の割には味がいまいちで、ほとんど利用していない。

ここ何十年とアンデルセンの長時間発酵食パンを愛用していたが、近所にあったお店が閉店となり、JRのエキナカでしか買えなくなった。現役で通勤していた頃は、会社の帰りに買っていたが、それもできなくなり、JRを使うときしか買うチャンスはなくなってしまった。アンデルセンも店舗によって、焼き方が違うのか微妙に味が異なり、最寄りのお店のパンの美味しさがいまいちとなってきた頃、自転車で8分位行ったところにあるショッピングセンターの中に、「スワンベーカリー」という新しいパンの専門店が開店し、買って食べたところ、大変美味しく、アンデルセン以上であった。

パンの大きさがアンデルセンよりやや小さめなため、6枚切りではなく、5枚切りで買っているが、冷凍保存しても味は落ちず、パンの耳も薄く切って別添えしてくれる。また、何よりも嬉しいのが、美味しいだけでなく、値段が一斤216円と格安なのである。アンデルセンの食パンは一斤357円なので、一斤あたり141円も安い。山崎製パン等のもっと安い食パンもスーパーでは売っているが、美味しさが全然違うのである。

また、パンドゥミとかドンクとか数多くのパン専門店が存在するが、専門店はどこも値段が高い割にはピタっとくるものが少ない。それを考えると、美味しくて値段が安いときているから申し分ない。スタンプ押印による割引制度もあるので、さらに安くなる計算となる。買いに行くときは、必ず電話で予約し、通常5日分として、二斤半を買っている。翌日以外は冷凍して食べているが、生食から味が落ちることはほとんどない。

ネットで調べていたら、スワンベーカリーは、ヤマト運輸の創始者の小倉昌男さんが福祉財団を設立し、障がい者の自立と社会参加の支援を目的としたことが始まりで、アンデルセンを運営している会社の協力を得て、1998年に1号店が銀座にできたとのことである。パンが美味しい理由もよくわかったが、現在、直営店4店、フランチャイズ店24店を軸に全国で350名以上の障がい者が働いているとのことで、その成り立ちを知ったらますます応援したくなった。もし近くにあったら、騙されたつもりで、一度食べてみてほしい。美味しいこと請け合いである。
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さっぽろ雪まつりの思い出

2019年02月11日 06時46分56秒 | 旅行

今年も2月4日から11日までさっぽろ雪まつりが開催されているが、今年が何回目の雪まつりかはすぐわかる。というのもそれはいつも自分の年齢と同じだからである。北海道に住んでいた4年間は毎年必ず足を運んでいたが、その後は雪まつりの時はいつも飛行機やホテルが混んでいるので、残念ながら行くチャンスに恵まれていない。

第22回~25回の4回だけ連続で行ったことになるが、初めて氷の像や彫刻を見たときは感動的であった。毎年、話題性のある像が作られ、興味深いし、飽きることはないが、特に、印象的だったのは、第23回で札幌オリンピックが開催された年である。ビッグイベントに合わせ、雪まつりもオリンピック一色で開催されたと記憶する。当時は千歳に住んでいたので、皆にとって格好のデートコースでもあった。

あれからもう50年近くが経っているので、雪まつり自体も大分変っていると思われる。今年の北海道はかってない寒波に見舞われているニュースを連日耳にする。寒いところは大の苦手で、飛行機代もホテル代も高くなるので、あえて行こうとは思わないが、チャンスがあれば死ぬまでにもう一回は行ってみたい気もする。


写真は第23回(1972年)のさっぽろ雪まつりの様子
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WOFIAインターライン卓球大会-回顧録(中編)

2019年02月10日 08時35分17秒 | 卓球

前編の項目ごとにどんな作業を行ったかを簡単に記してみる。

1 参加社、参加者の登録

組合せ、参加者名簿を作る必要性から、正確な最終的な人数と名前が必要だが、選手プラス家族等の応援者が増えたり、減ったり、200人を超す名簿の管理は大変な作業であった。正確な名前のスペリングを確認し、プログラムに掲載する必要があるため、ぎりぎりまで確認作業に追われた。大会前数週間は、インターライン各社からのメッセージ処理に追われ、日常業務ができないほどであった。

2 開催場所(体育館、宿泊ホテル)の確保

体育館は、羽田にある健保体育館とし、ホテルは、できるだけ安く抑える必要性から品川にある品川プリンスホテル本館(今のイ-ストタワー)を利用することにした。値段交渉、人数に見合う部屋数の確保と朝食・夕食の手配及び2回のパーティの手配等当時のホテル担当者に大変お世話になった。人数の増減により、手配する部屋の数も変わるため、ぎりぎりまで調整が必要であった。

3 ホテルと体育館との輸送手段の確保

毎日、朝と晩に大型バスを3台貸切ることとし、品川-羽田間の輸送を確保した。まず、バス会社の選定、また、決まった後は、どのように運行を手配していくか、バス会社との綿密な調整が必要であった。バスの運行は、品川区に本社がある帝産観光バスにお願いした。

4 食事の手配(朝、昼、晩)

朝食と夕食は、ホテルの食堂、昼食は体育館のあるビルの生協食堂で行うこととし、メニュー、値段等の詳細を詰めた。夕食の内、2回は、ウェルカムパーティとフェアウェルパーティの対応となるので、別個にパーティ企画運営の一環として対応。昼食は、外人向けの特別メニューを生協と協議の上、用意することにした。

5 組織委員会の形成

大会組織委員会を作り、会長以下、役員、スタッフを任命して、業務分担を図ることとしたが、JAL/ANAの2社の共催であるため、両社の役割分担を明確化する必要性があった。メインの分担は、基本的にJALが担当し、ANAは開会式の出し物、閉会式の運営を主に担当してもらった。組織委員会会長は、JAL卓球部の前会長(JAL役員)、副会長は、JAL/ANA両卓球部の部長が就任し、自分はManagerとして、運営の総括を受け持った。

6 開会式・閉会式の企画(音楽、行進、プラカード、出し物、式進行)

開会式の企画は、どういう形式で式を進行するかという基本プランからはじまって、入場行進のやり方、どんな音楽をかけるか、参加社を表すプラカードも作製する必要があるが、式では、それを誰に持たせるか、開会式を盛り上げる出し物は何にするか等開会式ひとつとっても、その進行のシナリオを作る作業は大変なものであった。担当者会議を何回も重ねたが、アイデアがいろいろ沸いてくるので、詰めていく作業は楽しみでもあった。入場行進の音楽はxxとし、プラカード持ちは、1社に一人ずつ、ユニフォーム着用のJAL及びANAの客室乗務員17名にお手伝い願った。両社とも業務として乗務員を派遣することになるので、派遣の申請手続きも必要であった。ライバル両社の乗務員が交互に仲良く並んでいるシーンは温かい何ともいえない雰囲気を醸し出していた。プラカード自体、すべてスタッフが手作りで作製したものである。大会会長挨拶、来賓挨拶、入場行進、大会旗掲揚、選手宣誓と分単位でスケジュールを考え、実行していくのは相当緊張感を覚えた。開会式の進行は言うまでもなく英語で行うことになるため、当社ホノルル支店から応援をもらったバイリンガルのスタッフにお願いした。
開会式での出し物としては、タマス(バタフライ)社に協力してもらい、元世界選手権のチャンピオンである長谷川信彦(故人)選手と伊藤繁雄選手による模範試合とWOFIAメンバーと両選手との挑戦試合を実施した。単なる模範試合ではあるが、試合前に練習をさせてほしいとの要請があり、ANAの体育館を練習場として使ってもらった。模範試合は、さすが世界チャンピオンだけあって、参加者から驚嘆の声がもれた。模範試合に次いで、WOFIAの参加メンバーからの挑戦試合を行なった。挑戦者は、男子は中国民航とルフトハンザのNo.1と女子は大韓航空のNO.1とNo.2の選手であったが、やはり歯が立たなかった。挑戦試合終了後には、和服を着たANAの客室乗務員4人が琴の演奏を披露した。4人は当日が初顔合わせであったとのことであったが、素晴らしい琴の演奏に参加者は魅了されていた。

7 試合の運営企画及び当日の進行(組み合せ、英語による進行)

試合は、男女とも2組に分けて、男子は2組とも、8チームによるリーグ戦、女子は、2組とも6チームによるリーグ戦を行い、それぞれの上位1位と2位が準決勝で当たり、その勝者同士で決勝を行うという方式をとった。一つの試合は、男子は5シングルス、2ダブルス、女子は3シングルス、2ダブルスで構成された。試合の進行はある程度慣れていることと、組み合わせを事前に決め、試合時間もプログラム上にすべて掲載してあるので、さしたる問題は発生しなかったが、会場での進行案内はすべて英語で行う必要があるので、アナウンス等はすべてバイリンガルスタッフにお願いした。

8 大会プログラムの作成

大会プログラムは、大会の顔になる重要なもので、大会に必要な諸情報を盛り込む必要があるため、相当な手間と時間をかけた。まずは、大会ロゴの作成と表紙のデザインの決定。財政上、プロにお願いすることができないため、自分達で作りあげた。印刷及び製本は、関連の商事会社に依頼したが、原稿はすべて手作りで用意。組織委員会の役員や主催社のプレイヤーは、写真付で紹介することにしたが、お金をかけられないため、当時まだ出始めたばかりのデジカメで写真を撮り掲載した。当時のデジカメは、まだ画素数が低く、鮮明な写真というわけにはいかなかった。参加社の全選手・役員・サポーター名もプログラムに掲載することにしたが、メンバーの変更も少なくなく、ぎりぎりまで原稿の修正を余儀なくされた。プログラムはすべて英語表記であるため、それなりの英語能力も必要とした。プログラムには、サイン交換欄も設け、簡単な日本語会話集も掲載した。また、大会に協賛してくれた企業については、すべてプログラム上に広告を掲載することにした。少ない予算で大会を運営するために、いろいろな形で協賛してもらえる企業を探すことは大事なことであった。(13/14項参照)

9 観光の手配(観光バス、観光場所)

大会の中日の1日は観光用に確保し、観光バスを3台手配し、参加者に対し、東京観光ツアーを実施した。品川=羽田間の輸送を担当するバス会社に観光用のバス手配もお願いした。約160人が参加し、皇居、明治神宮、浅草等を案内した。各バスには、英語のガイドを手配し、また、主催側の担当者をバス毎に2-3人配備し、スムーズな東京観光を行うことができた。

10 ウェルカム・パーティ(出し物を含む)の企画

宿泊初日の夜に、ウェルカム・パーティを開催するにあたって、会場の手配、テーブル配置、料理の手配、看板の案内、歓迎イベントの企画等をホテルの担当者と綿密な打ち合わせが必要であった。250名を超す人数なので、会場の確保・メニューの選定等それなりに大変であった。パーティ進行の段取り手配、司会者との綿密な打ち合わせも必要であった。歓迎イベントとして何かを行ったと思うが、記憶が定かではない。

11 フェアウェル・パーティ(ダンスタイムを含む)の企画

大会の最終日に、フェアウェル・パーティを開催するが、これについても、会場手配、テーブル配置、料理の手配、進行段取り等詳細な打ち合わせが必要であった。パーティでは、すべての参加社が独自の出し物を披露するイベントがあるため、練習場所の確保、必要品の手配等各社との打ち合わせも必要であった。出し物の多くは、歌、ダンス、コント、ゲーム等であるが、どれも楽しいものばかりで、皆期待しているビッグイベントになっている。出し物全体の進行は当然ながら、自分のチームについても、主催社として恥ずかしくない出し物を用意する必要があったが、忙しさに紛れて、出し物の内容については十分な時間をかけることができなかった感もあった。パーティの後半は、ダンスタイムに移行し、皆、夜遅くまでダンスをしながら、交流を深めるのである。他の都市での大会では、このダンスタイムはオールナイトというところも多いが、東京の場合、ホテルの事情から夜中の1時頃には終了することにした。ダンスタイムのDJをどうするか。どんな曲をかけるか、すべて事前に手配する必要があったが、 DJは知り合いのセミプロにお願いした。ダンスタイムは,男女交流の場でもあるため、国や会社を飛び越えて、親しく交流するシーンも目立った。現に、WOFIAで知り合い、国際結婚したカップルも何組か出ている。

12 マネジャー会議の運営

大会期間中、各社のマネジャーを集めてのマネジャー会議(英語)を何回か実施し、各社に大会運営に関する情報を流した。また、その内1回は、今後のWOFIA大会をどうするか、次回の主催会社をどこに決定するか等重要事項を決定する会議となった。会議には、16カ国17社が参加するという大きな会議でもあるため、バイリンガルスタッフに会議の進行役をお願いした。

13 協賛スポンサーの確保

会社からの金銭的援助は微々たるものなので、大会の運営費は、参加者からの参加費が中心となる。かかる経費を最小限にとどめるため、協賛スポンサーを探し、様々な支援をお願いした。協賛してもらった企業については、その広告を大会プログラムに掲載した。協賛社は、バタフライ(世界チャンピオンの模範試合)、ニッタク(試合ボールの提供、生協への卓球用品販売の出店)、三英(フェンスの貸与)、ヤクルト(ドリンクの無償提供)、西武トラベル(観光手配)、JAL/ANA(スタッフ、施設の提供)、日航商事、生協等。多面的にスポンサー探しをするほどの時間的余裕もなく、スポンサー探しには苦労した。

14 卓球メーカーへの協力要請

スポンサーの中でも卓球メーカーについては、バタフライとニッタク両社の全面的支援を受けた。ともに、事前のコネクションもないため、日本卓球協会に相談を持ちかけ、協会を通して、2社の担当者を紹介してもらった。バタフライについては、国際担当の大曾根氏を通じ、元世界チャンピオンの長谷川信彦(故人)氏と伊藤繁雄氏を派遣してもらうという形で,協力を得ることができた。これにより、開会式後のパフォーマンスとして、二人による模範演技とWOFIAメンバーからの挑戦試合を実施するという超目玉の企画が実現した。ニッタクについては、国際担当の嶋野氏と広瀬氏を通じ、様々な協力を得た。まず、試合ボールを全て無償で提供してもらった。また、卓球用品を格安で販売してくれることになり、大会期間中、生協の売店に卓球用品コーナーを設けてもらい、各国選手の人気を得た。また、卓球コートを仕切るフェンスについて、全くそのような備品を持っていなかったが、ニッタクを通じ、同じ年に千葉で開かれた世界選手権に使用したフェンスを無償で借用することができた。かかった費用は、倉庫と体育館との間の輸送費だけであった。また、大会にあたって、ユニフォームを新調したが、ニッタクにて格安で作ってもらった。

写真は、JAL/ANAのキャビンアテンダント

(後編に続く)
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「チコちゃんに叱られる!」の解説に知人登場でビックリ

2019年02月08日 23時50分35秒 | TV番組

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃん叱られるNHKの番組を毎週欠かさずに見ている。大変為になるバライエティ番組でNHKとは思えないほど自由奔放な構成で見ていてとにかく楽しい。「たぶんこうだったんじゃないか劇場」もたまらなく面白い。本日、ボーっと見ていたら、解説の専門家として知り合いのO女史の顔が現れてビックリ。「ホットドッグって、なぜドッグ?」という問題で彼女が解説していたが、〇〇学院大学の学長と紹介されていて、初めて今の役職を知った。

彼女との出会いは、1983年に遡り、当時ルフトハンザ航空日本支社の広報を担当されていた。ルフトハンザのフランクフルトの卓球チームが千葉での世界選手権の観戦のため来日した際に、親善試合をやりたいという申し出を彼女経由で受けたことに始まる。5月7日に親善試合が実現したが、彼女がパイプ役を務めてくれて、当日は、社内報に掲載するということで取材にも来られた。

当時、自分は本社にてインターライン関連の仕事をしていたこともあって、その後仕事上でもおつきあいをさせてもらった。1985年5月にたまたまフランクフルトに転勤になり、4年半、駐在生活を送ったが、その間もドイツ繋がりでルフトハンザとの関係は続いていた。ある時、ルフトハンザの招待で彼女が日本からプレス関係者数名を引き連れてフランクフルトに来たことがあったが、ひょんなことでその夜の宴会に参加させてもらったこともある。

帰国後もおつきあいをさせていただき、1997年には国賓としてドイツの大統領が来日した際、天皇陛下からの歓迎行事のお返しとして、4月8日にサントリーホールでミュンヘンフィルハーモニーによる答礼コンサートが開催されたが、彼女から夫婦でコンサートの招待を受け、ご相伴に預かった。オーケストラの裏手にあたる招待席だったと思うが、天皇陛下はじめ皇室の方々と一緒にコンサートを楽しむという稀有な機会をいただいたのも彼女のお蔭である。なんとその後にホテルオークラで行われたレセプションにも招待を受け、なんとも貴重な経験をさせてもらったことに大変感謝している。

その後、何年かして、ルフトハンザを卒業され、執筆活動をされたり、大学の講師などやっていたところまでは知っていたが、その後出世されて、大学の学長をされているということを本日知ってビックリした。急に、昔の思い出が蘇ったひとときであった。

写真は、ルフトハンザとの親善試合(1983年5月7日)
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預金金利ダウンと株価下落で打つ手なし 

2019年02月07日 19時48分00秒 | マネー

定年後、少しばかりの退職金を定期預金と株で運用しているが、預金金利も株価も下がる一方で、資金の運用は難しい状況にある。預金については、年に一度、高金利を誇るS銀行の3ヵ月のハッピーバースデー預金を利用してきたが、今年は、金利が年0.5%から0.3%にダウンした。昨今は普通の定期預金の金利は、よくても0.05とか0.1%位なので、0.3%でも抜群に高いともいえるが、数年続いていた金利が下落したので心配になっている。

また、S銀行では、ATMの引出手数料が無料から有料になったり、海外でのATMによる外貨引き出しが中止になったり、不安がよぎり始めている。S銀行を利用し始めた最大の理由は、海外の旅先で、ATMから現地の通貨が引きだすことができるからであったが、それがなくなった今、どうしようかと思案中である。

バースデー預金は、S銀行の目玉商品の一つで、誕生月の前月の1日以降に新規に資金を用意すれば、店舗限定で3ヵ月ものの定期預金として0.3%の金利が適用できるというもの。たった3ヵ月なので、たいした額にはならないが、あまり手間暇もかからないため、ここ数年1000万円程度を運用してきた。3ヵ月で利子が約1万円つくため、ちょっとした小遣い稼ぎとなっていたが、今年はそれが6000円位に減ってしまうと思われる。額はたいしたことがなくても、ただ銀行に預けておくのも癪なので、今年も利用することにした。

一方、株の方も約1000万円で運用しているが、株価が下落の一途で現在の評価額は200万円以上マイナスしている。株価が買った時より高くなったら、デイトレードのように売って、利益確定を図っているので、現状マイナスしていても、利益との相殺で、実質はプラスとなっている。数年前は、1年で400万円以上利益を上げた時期もあるが、一昨年は142万円、昨年は71万円にとどまった。テレビCMではないが、打つ手なし状況にあるものの、ボケ防止には役立つと思うので、細々とは続けていきたい。
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今年のバースデー旅行は久米島へ

2019年02月06日 05時53分51秒 | 旅行


毎年ではないが、感謝の意を込めて、2月に妻のバースデー旅行を実施している。近年では、2013年 ホノルル・マウイ島、 2014年 ニューカレドニア、 2016年 タヒチ、 2017年 沖縄・石垣島で、今年は、沖縄の久米島を計画している。

2月の日本は寒い時期なので、温かいリゾート地に行くことが多い。金銭的理由から海外から日本にシフトしてきているが、2013年には、還暦を迎えたので、オバマ前大統領行きつけのホノルルのアラン・ウォンズという洒落たレストランで還暦ディナーを催したことが印象に残っている。

沖縄には何回も行ったことがあるが、今年は、行ったことがない久米島でのバースデーディナーを計画している。飛行機は、ショッピングで貯めたマイレージを利用し、ホテルは、1泊朝食付、二人で8000円程度なので、費用的には大きな額にはならない。

久米島には「はての浜」の他にはあまり観光スポットはないようであるが、レンタカーを借りて島内を一周して見て回る予定である。家庭の事情もあり、2泊3日という駆け足旅行となるが、楽しみな避寒旅行である。

写真は、2013年の還暦ディナーケーキ(レストランからのサービス)
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口コミを書いてマイルをためる

2019年02月05日 12時48分13秒 | 旅行
ホテル、レストラン、観光地スポット等の口コミを書いてポイントをためている人も多いかもしれないが、自分の場合は、トリップアドバイザーの口コミを書いて、JALのマイレージをためている。1回の投稿で、5マイルがもらえるが、ものによっては20マイルもらえるものも少なくない。口コミを書くといっても、50文字以上書けばOKなので、気軽に書ける。

以前は、気が向いた時に書く程度であったが、時々、運営会社から「あなたは○○区でトップ○○位に入っています」と、口コミ数のランキングを知らせてくる。これが意外と刺激というか励みというかもっといろいろ口コミを書いてみようかという気にさせる。

1月に届いた案内では、自分の区の中で、6位にランクされているとあった。前後を見ると、7位との差は10ちょっと、5位との差は20以上あったが、ランクが下がるのも癪なので、急にいろいろ書くようになった。自分の周辺の観光スポットや最近行ったレストランを思い出しながら、続けざまに書いていたら、いつのまにか5位の人を抜いて、5位にランクアップした。どうっていうことはないが、ランクが上がると嬉しいものである。しかも、同時にマイルがたまっていくので、一石二鳥ともいえる。4位の人とは、まだ50近くの差があるので当面は5位死守という感じである。

口コミがかけるのは、過去1年以内に行ったところや体験したことに限定されるので、昔のことを書くことはできない。何年も前であったら、年に数回は海外、国内旅行に出かけていたので、口コミが書ける対象が腐るほどあったが、最近は旅行に出かける回数も減ってきているので、書けるものも減ってきている。旅行に出かけると数多くの観光スポットを訪れるので、1回旅行したら、10件以上口コミが書けるほどであるが、過去あまり投稿していなかったのは残念である。

口コミを書く対象の観光スポットやレストラン等がリストされていない場合は、自分で新規に申請することもできる。口コミの際、自分で撮った写真も載せることもできる。これからは、口コミ投稿も意識しながら、カメラを持っていろいろな場所を訪れることにしたい。
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卓球の団体戦に大学時代のクラブ仲間で出場予定

2019年02月04日 10時41分20秒 | スポーツ
地元の区では年2回卓球団体リーグ戦が行われるが、自分のクラブでは試合に出られるレベルの選手が4人揃わないため、ここ2年ほど大会に欠場している。いつも欠場というのも悔しいので、この3月の大会には登録チームでの出場は諦め、代わりに大学時代の卓球部同期の仲間のメンバー4人で一般愛好者チームを作り、参加することにした。

70歳を越えても、昔取った杵柄で地元のクラブに入り卓球を楽しんでいる仲間に声をかけて、50年振りにチームを組むことになったもの。リーグは1部から7部まであり、ファミリーチームなので、7部に入るとことになるが、他チームメンバーを見る限り、大体同じようなレベルと思われ、熱戦が予想される。

ダブルスについては事前の練習ができないので、ぶっつけ本番となるが、今回勝ち負けは気にせず、久しぶりにチームを組んで出ることに意義を見出したい。普段一緒に飲む機会もほとんどないので、試合後は、メンバーで一杯やりながら反省会をやろうと思っている。
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