5月28日(日)10時から東郷平八郎記念日式典が開催されました。
晴天の多賀山公園(鹿児島市清水町) 以下の画像は5月28日に撮影
ここ数年は限定的に開催されていましたが、今年は節目の70回。コロナ対策の緩和で久しぶりに記念式典を見ることができました。
9時57分 東郷銅像は小高い場所に建っている
国旗など掲揚前です。10分前、1分前、10秒前などの合図があり居合わせた一般の人たちも緊張する時間帯です。
10時7分 表敬飛行 海上自衛隊鹿屋基地の哨戒機
南空のごく小さな粒が見る間に大きくなり、ゆっくりと北へ通過していきました。
10時10分 国旗と自衛艦旗の掲揚
ラッパ吹奏に合わせて青空にゆっくりと揚げられ、画面外左上には最初からZ旗が掲揚されていました。
儀仗隊
指揮官は女性自衛官で、きびきびした声が良く通っていました。
期待していた自衛隊音楽隊の参加はなく残念でした。4月の沖縄ヘリ事故ではいまだに行方不明者もあり、原因調査が継続中です。
多賀山公園からの桜島
雨に降られることも多いですが今日は南寄りの風で蒸し暑く、桜島の山頂部は雲隠れしていました。
式典準備や演武奉納などに当たられた方々、自衛隊関係者の皆様には暑い中大変お疲れ様でした。ありがとうございました。
関係者の挨拶などに続き献花
墓前に広くテントが張られ参加者の半分ほどがマスク姿でした。元同僚が挨拶文を代読する立派な姿を目にしながら、撮影を続けるうちに挨拶の機会を失したのは残念でした。
一般参加者の中には自衛艦旗を手にした人の姿もあり、お話を伺うとJRを利用して来られた年配の方でした。
薬丸自顕流の演武奉納
東郷元帥も稽古に励んだ薬丸自顕流の演武では、小さな子供も参加して元気一杯の動きをしていました。
天吹(鹿児島に伝わる尺八に似た小さな竹製の縦笛)の吹奏もありましたが短時間で終わってしまい写せませんでした。殆どの人がスマホを手に撮影しているので、撮影位置を動くことはできませんでした。
東郷元帥の肖像写真 1848年1月27日〈弘化4年12月22日〉生まれ
鹿児島では東郷元帥としておなじみの方ですが、東洋のネルソンとも呼ばれる海軍軍人です。明治38年(1905年)5月27日にロシアのバルチック艦隊を迎撃しました。
「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」とZ旗を掲げて全軍の士気を鼓舞したことで知られ、昭和9年(1934年)5月30日に満86歳で亡くなり、国葬が行われました。
西郷どんで知られる西郷隆盛は1828年1月23日(文政10年12月7日)- 1877年(明治10年)9月24日)。西南戦争に敗れ、郷里の城山において49歳で亡くなっています。
墓前に献花台
11時15分頃に式典が終わり、会場の片付けが始まりました。いつもきれいな花が供えられている墓前ではサツキが咲きそろっていました。
体調管理に努め、来年こそは久しぶりに音楽隊の演奏を聴きたいものです。
晴天の多賀山公園(鹿児島市清水町) 以下の画像は5月28日に撮影
ここ数年は限定的に開催されていましたが、今年は節目の70回。コロナ対策の緩和で久しぶりに記念式典を見ることができました。
9時57分 東郷銅像は小高い場所に建っている
国旗など掲揚前です。10分前、1分前、10秒前などの合図があり居合わせた一般の人たちも緊張する時間帯です。
10時7分 表敬飛行 海上自衛隊鹿屋基地の哨戒機
南空のごく小さな粒が見る間に大きくなり、ゆっくりと北へ通過していきました。
10時10分 国旗と自衛艦旗の掲揚
ラッパ吹奏に合わせて青空にゆっくりと揚げられ、画面外左上には最初からZ旗が掲揚されていました。
儀仗隊
指揮官は女性自衛官で、きびきびした声が良く通っていました。
期待していた自衛隊音楽隊の参加はなく残念でした。4月の沖縄ヘリ事故ではいまだに行方不明者もあり、原因調査が継続中です。
多賀山公園からの桜島
雨に降られることも多いですが今日は南寄りの風で蒸し暑く、桜島の山頂部は雲隠れしていました。
式典準備や演武奉納などに当たられた方々、自衛隊関係者の皆様には暑い中大変お疲れ様でした。ありがとうございました。
関係者の挨拶などに続き献花
墓前に広くテントが張られ参加者の半分ほどがマスク姿でした。元同僚が挨拶文を代読する立派な姿を目にしながら、撮影を続けるうちに挨拶の機会を失したのは残念でした。
一般参加者の中には自衛艦旗を手にした人の姿もあり、お話を伺うとJRを利用して来られた年配の方でした。
薬丸自顕流の演武奉納
東郷元帥も稽古に励んだ薬丸自顕流の演武では、小さな子供も参加して元気一杯の動きをしていました。
天吹(鹿児島に伝わる尺八に似た小さな竹製の縦笛)の吹奏もありましたが短時間で終わってしまい写せませんでした。殆どの人がスマホを手に撮影しているので、撮影位置を動くことはできませんでした。
東郷元帥の肖像写真 1848年1月27日〈弘化4年12月22日〉生まれ
鹿児島では東郷元帥としておなじみの方ですが、東洋のネルソンとも呼ばれる海軍軍人です。明治38年(1905年)5月27日にロシアのバルチック艦隊を迎撃しました。
「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」とZ旗を掲げて全軍の士気を鼓舞したことで知られ、昭和9年(1934年)5月30日に満86歳で亡くなり、国葬が行われました。
西郷どんで知られる西郷隆盛は1828年1月23日(文政10年12月7日)- 1877年(明治10年)9月24日)。西南戦争に敗れ、郷里の城山において49歳で亡くなっています。
墓前に献花台
11時15分頃に式典が終わり、会場の片付けが始まりました。いつもきれいな花が供えられている墓前ではサツキが咲きそろっていました。
体調管理に努め、来年こそは久しぶりに音楽隊の演奏を聴きたいものです。