『サクリファイス』以後遠ざかっていた近藤史恵の自転車小説を立て続けに読んだ。
『エデン』『キアズマ』『サヴアイヴ』の三作。
自転車競技のことなどほとんど知らないのに、このシリーズを読んでいるとあたかも自転車に乗ってレースをしているような錯覚を覚える。
ツール・ド・フランスの中継ですら、たった1シーズン、しかも一週間足らずテレビで流れているのをなんとなく見続けたことがある程度。日本の競技はテレビでさえ見た記憶がない。
知り合いに何人か自転車好きはいるけれど、1日に100キロ単位で走る人の気が知れない、と思っていた。
だが、地方の山間にある盆地に住んでいたため、小学校から高校まで、雪がひどいとき以外はほぼ毎日自転車に乗って移動していた記憶がある。
だから、疾走する爽快感は身体が記憶していたのだろうか。
近藤史恵の小説を読み始めると、その感触が体の内側から蘇ってきて、疾走感と共に読み切ってしまった。
このシリーズに限ってのことかどうかわからないが、この人のお話は、身体感覚を伴った葛藤という特徴がある。それは自転車レースが繊細で神経戦を強いられる団体競技で(も)ある、という性質がもたらすものというより、この作家の美質が適切な素材と素材と出会ったというべきなのかもしれない。
とにかく自転車に興味があるかどうかの別なく、お勧めの本。なんとなく夏に相応しい感じもしますし(^_^)
『エデン』『キアズマ』『サヴアイヴ』の三作。
自転車競技のことなどほとんど知らないのに、このシリーズを読んでいるとあたかも自転車に乗ってレースをしているような錯覚を覚える。
ツール・ド・フランスの中継ですら、たった1シーズン、しかも一週間足らずテレビで流れているのをなんとなく見続けたことがある程度。日本の競技はテレビでさえ見た記憶がない。
知り合いに何人か自転車好きはいるけれど、1日に100キロ単位で走る人の気が知れない、と思っていた。
だが、地方の山間にある盆地に住んでいたため、小学校から高校まで、雪がひどいとき以外はほぼ毎日自転車に乗って移動していた記憶がある。
だから、疾走する爽快感は身体が記憶していたのだろうか。
近藤史恵の小説を読み始めると、その感触が体の内側から蘇ってきて、疾走感と共に読み切ってしまった。
このシリーズに限ってのことかどうかわからないが、この人のお話は、身体感覚を伴った葛藤という特徴がある。それは自転車レースが繊細で神経戦を強いられる団体競技で(も)ある、という性質がもたらすものというより、この作家の美質が適切な素材と素材と出会ったというべきなのかもしれない。
とにかく自転車に興味があるかどうかの別なく、お勧めの本。なんとなく夏に相応しい感じもしますし(^_^)