龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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本deてつカフェ@ふくしま『はじめての福島学』開沼博氏を招いて編の感想

2015年07月14日 20時45分15秒 | 大震災の中で
Facebookに書いたけれど、メモ代わりにこちらにも転写しておきます。

開沼博さんを招いてのてつカフェふくしま
『はじめての福島学』
本deてつがくカフェの感想。
いろいろ面白かったです。
正直、それぞれのコトバを受け止め、噛み合わなさをじっくり味わいながら考えていくてつカフェの流儀と、開沼博さんの考えている? 「社会学のゼミ」的なイメージの齟齬が、今回は今ひとつ豊かに機能しきらなかった感じはありました。
もどかしさがなかったとはいえません。
「もっと開沼さんとガツンとやりとりしたいぜ」
という思いと、
「おいおい開沼さん、ここはてつカフェであんたのゼミじゃねえし」
という思いの葛藤、というか。
でも、
開沼さんが最後に吠えていた
「福島のレベルはこんなもんか。東京でやればもっと充実する。ここに今日きた人がもしゼミ生だったら潰してます」 
という挑発は、てつカフェと社会学の接近遭遇としてとても面白かったです。この本の 「敢えてする挑発」を、著者が参加者にも直接一発かます、ということだったのでしょう。
確かに、開沼博を福島のトップランナーとして走らせておいて、ないものねだりをするのはどうかと思います。 「お前たち、やることやれよ」というメッセージは感じました。
一般に、著者を前にすると
質問コーナー→自説の開陳→無い物ねだり
という流れにになりやすい。
そういう意味では、てつカフェ@ふくしまらしく、最後まで概ね場が抑制的にコントロールされていて良かったんじゃないかなあ。
以下は個人的な思い。
私たちは個人として 「物語」を生きるものだし、愚かな感情に振り回されもする。そういう風にできてもいる我々が、なお 「思考」し続けるとしたなら、人称を経由しないもしくはそれ以前のところにアプローチしていかねばなるまい、と私は見ている。
開沼博という名前を持つテキストと人物との出会いが、どんな形で私たちがこの福島に生きることとつながっていくのか、答えはもう少し先にある、と感じる。
『はじめての福島学』は、そのロイター板(ふみきりばん)のようなモノかもしれないなあ。
データの提示はありがたかったが、
「福島へのありがた迷惑12箇条」はいささかしつこいし、読後感も悪い。煽りというか釣りというか、実に賢い人のプライベートなクソブログを読んだ感じ。
それをあえて 「公共空間」に出すことの 「プロレス効果」をどう受け止めるか。
ずっとこの感じだとつらいっす。
釣りや煽りはそれとして、さてではどうする?というリアクションが要請されていると受けとめた。
私は
8/1、エチカ福島第5回
で考えるよ、というのがとりあえずの応答。社会学の学問的成果は尊重するけど、 「あおり」の戦略はテキストの領域だから、そうそう素直には受け取らない。
感想を書かずに帰ってしまったので、メモ代わりに書いちゃいました。

とにかく、参加して良かったです!


追伸
開沼博氏と上野千鶴子氏の対談がここに。

https://cakes.mu/posts/9323

荻上チキ氏と開沼博氏の対談はこちら

http://www.netapod.com/2015/04/blog-post_22.html


ネットの烈風吹きすさぶ中で4年間フクシマのイメージと向き合ってきた開沼氏の立ち位置はリスペクトに値すると思う。

まあだが、『はじめての福島学』のスタイルはこれだけで勘弁して欲しいところ。

正直、このスタイルだとしまいにお金を払いたくなくなっちゃう。まあ、それも織り込み済みってことになるんだろうか。

そのあたり、本人が織り込み済みならいいってもんでもないだろう、と言ってみたくもなるけれど、それは一〇年後ぐらいに取っておくべきなんだろうね。

どこまで歩いていってくれるのか、待ちます。だって、私には歩けない道だから。開沼氏は開沼氏のやり方でいくんだろう。
誰かがやらなくちゃならない。よろしく頼む。


私は私のやり方でもうすこしぐずぐずしてみるよ。



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