龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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それはだから「表現」の問題なのだ。

2011年12月23日 08時39分18秒 | インポート
ソウオモッテ寝床から抜け出した後、
ドゥルーズの『スピノザと表現の問題』
を思わず手にとった。

何度読もうとしても読めずにいた本の中の一冊。

まず
本質-属性-様態
とかいう用語から勉強し直さなきゃならないみたいな切なさ。

面倒くさい……っていうか、よくわからん。

でも、人為の裂け目にこだわるとすると、ここは避けて通れない道だ、と思う。

別にそれは何がなんでも
スピノザでなければならないというわけではない。
ドゥルーズでなければ、ということでもない。
多分中世キリスト教から考えたって構わないのだ。
今ここにまだ見えている「近代」の自明を疑うために「/」を参照することは出来ない、というだけのとこだ。

とにかく、裂け目に瞳を凝らし続けるのは容易じゃないってことだけはわかっている。

見なければ取り違えだって交換可能だ。
だが、裂け目に瞳を凝らす行為は、その向こう側にたやすく自然とか神様とかをはじめとする何かを
招き寄せてしまいかねない。
それでもなお、そこをみようとするときには、哲学が必要になる。自分にとって手近に転がっているのがそれらだ、というだけのことかもしれない。

まあとにかく、取り敢えず冬休みの課題図書は決まったようである。



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