私の住んでいるところは丘の上で、そこから南に下って病院にいく途中、津波が押し寄せた海沿いの街中を通るのだが、街中のお店というお店が閉まっている。
銀行も、飲食店も、コンビニも、携帯ショップも、喫茶店も、塾も、一軒たりとも開いていない。そして、津波が残した土砂は、道路を薄く覆うだけでは収まらず、さらに両脇に吹き溜まって、風に煽られるたびに白い砂埃を立ち上げている。
昔『ブラック・レイン』という外国の監督映画があって、ざらついた感触のフィルムで撮られた日本の街並が、まるでどこか別の世界のように見えて驚いたことがあった。
津波の後の街は、それに似た違和感がある。
画面の色調はブラック・レインではなく、白っぽい砂埃の立つ西部劇なのだが。
ふと、ここでサバイバル映画のロケをすれば面白い、と空想してしまう自分を止められない。
普段から不謹慎な妄想はよくする方だが、この大震災からこちら、忘れていた不条理な笑いを取り戻しつつある自分を自覚する。
近代が積み上げてきたその突端にあるこの「生活」のリアリティではない、別の「リアル」が間違いなくここには顔を出している。
醜悪だとか、爆笑ものだとか、単純な恐怖だとか、むしろ美しいとか、そういった表象のカテゴリーには収まりきれない、「あられもない」「モノ自体」の感触。
一生に一度しかない、貴重な体験ではあるのだろう。
銀行も、飲食店も、コンビニも、携帯ショップも、喫茶店も、塾も、一軒たりとも開いていない。そして、津波が残した土砂は、道路を薄く覆うだけでは収まらず、さらに両脇に吹き溜まって、風に煽られるたびに白い砂埃を立ち上げている。
昔『ブラック・レイン』という外国の監督映画があって、ざらついた感触のフィルムで撮られた日本の街並が、まるでどこか別の世界のように見えて驚いたことがあった。
津波の後の街は、それに似た違和感がある。
画面の色調はブラック・レインではなく、白っぽい砂埃の立つ西部劇なのだが。
ふと、ここでサバイバル映画のロケをすれば面白い、と空想してしまう自分を止められない。
普段から不謹慎な妄想はよくする方だが、この大震災からこちら、忘れていた不条理な笑いを取り戻しつつある自分を自覚する。
近代が積み上げてきたその突端にあるこの「生活」のリアリティではない、別の「リアル」が間違いなくここには顔を出している。
醜悪だとか、爆笑ものだとか、単純な恐怖だとか、むしろ美しいとか、そういった表象のカテゴリーには収まりきれない、「あられもない」「モノ自体」の感触。
一生に一度しかない、貴重な体験ではあるのだろう。