龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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3月18日(金)<被災地の全体像はテレビの中に。そして被災者は「断片化」する>

2011年03月19日 10時31分45秒 | 大震災の中で
鉄道も高速道路も止まり(緊急の物流は回復しつつあるようだが)、物流も滞り、お店も止まり、情報も不十分な状態では、逆に何もできることがなくなってしまう。

部屋に籠ってTVを見、ブログを更新するほかすることもない。


現実それ自体がファンタジックな漫画・小説・映画みたいで普段読んでいるエンタテインメントは読む気がしない。
ただし、病人の付き添いの時には、時代小説を手にすることができる。
不思議なものである。

こうしてブログを書いていても、被災地の中にいて、被災地の状況などという全体像はむしろつかめない。
自分の置かれた現実を、全体像の中の芥子粒のような「断片」としてにぎしりめることができるだけだ。

父親の意識のときに触れた「断片」と「全体像」の関係が、被災してさまざまなネットワークから離脱した「断片」と化している今の自分と外部世界との間にも当てはまるような気がしてくる。

もちろん、災害にあえばいずれ復興はしていくのだろう。現に今こうして孤立した中にいても、いずれは原発からの飛散放射能レベルも落ち着き、物流も回復し、インフラ整備もなされ、家も修理して、日常の生活が戻ってくる、ということを想像しなくはないし、それを望む自分もある。

だが、その一方で、もう失われて戻らないもの、不可逆的に「死」ー「喪失」をはらむもの、の存在もそこに感じる。

それを非日常がもたらす高揚感や抑鬱感に根ざした「死」のイメージ、と捉えてみることもできるのかもしれないが、そうではない形で考えたいのだ。
また同時に、本来あるべきものが失われたのだから、ひとつひとつ取り戻すことによって統一を回復していくのだ、という形でもなく、考えを進めてみたいのである。


断片化されたこの状態は、現代においては「死」と隣り合わせであり、予測不能な危機であり、まずもって乗り越えや回避を目指すべきものとして考えられるべきだろう。
災害が起こったのに、それを「神の御心のままに」とだけいって災害救助がなされなければ、それは一市民として暴れるだろうし、ただ従順な無力感とともに呆然としている被災者心理が自らの中に現れれば、この「羊どもめ」と自分自身を叱咤してみたくなるかもしれない。

さてしかし、とりあえず私たちが今自分の力でできることは何か、と考えれば、生活物資やガソリンが輸送されるのを、輸血や投薬を待つ患者のように、ひたすら家の中に閉じこもって「待つ」よりほかにない。
そのために必要な外部からの鉄道や道路整備もまた、外部に頼って「待つ」以外にない。

地震や津波に対してできることも多くはないし、まして原発からの飛散放射能に対しては、どこまで逃げるか(ガソリンもないので逃げられないんですけれど)、あるいは屋内でじっとしているか、の選択しかないわけだ。

そんな「断片」化され、能動的あるいは統一的なイメージを持ち得ない側から、なおも「思考」を続けようとすると、どうなるだろう。

パニックを起こし、否認をし、絶望し、もがき、そして受容する

なんて「死」の受容的心のケアストーリーはたぶん不要だ。
かといって、今日よりも明日は少しでもよくなる、なんて「希望」のストーリーも御免蒙りたい。

とりあえず今の自分に必要なのは、この日常的統合を失って「断片化」した(時系列的には確かに「断片化」したわけだが)、この場所でどう思考するか、だ、と思う。

健康になってしまえば忘れてしまう不具合、日常が回復してしまえば忌避できる悲惨な記憶。
そういう形で断片を整理し、現在に適応していくことが一方では人間の脳みその働きとしての自然であるとしても、この断片の小舟に乗ってもなお何をどう思考するのか、を問い続けることもまた、人間の不可欠な営みのひとつでもあると思うから。

さてだがしかし、具体的な行動としては、雨露しのぐ家を保持し、水場を確保して食料を蓄え、火(電気やガスが主だが)を手にすることがいちばんだ。
生きていくためにはそれが必要であり、それらに対するこだわりなしには「生」そのものが成立・継続していかない。

だからライフラインが必要、ということになって、話は循環していきそうなのだが(笑)、短期的にはそこの復旧を求めることが必要だろう。
けれど、震災前と震災後とでは、単なる復旧することによって日常に復するだけでは収まらない変形・変質がそこには不可逆的に起こる。

その不可逆的な「傷」の存在、「変質」の様子の詳細については、断片からの思考を続けていかなければ、それが見えなくなるのではないか、というのがとりあえず提起したい1点目、となるだろうか。

誤解のないように急いで言っておくと、PTSDとかトラウマとか、心理的な話をしたいのではない。
インフラの建て直しが急務だということに反対するのでもない。
心理的なケアは必要だし、社会的なインフラや保障によって救援・復旧の網で被災地を一刻も早く覆ってほしいとも思う。

けれど、見えない自然の驚異によって不可逆な変質を余儀なくされ、単純な統合復旧がままならない場所に立ちつつ、人はなお世界とどう向き合うか、という課題がそこには確実に存在する、ということがいいたいのだ。


さて、そんなことを考えていたら、なんと3月18日(金)の午後2時過ぎ、水道の水が流れ出した。

「ををっ、水が出る~、水が出るぞおおおぉっ!」

試験的な送水で、すぐまた止まるのではないかとおびえつつ、お風呂に水を張る。

待つこと数十分。満々とたたえられた浴槽の水を温め、一週間ぶりにお風呂に入った。
あれほど労力をかけてバケツや衣装ケース、ビニール袋に給水してもらった「貴重な水」が、瞬間にただのいつ捨てるのか、という重い荷物に変貌した瞬間でもあった。

おそるべしインフラストラクチャーの力(笑)。

物心ついたばかりの今から45年前、断水も停電も当たり前で、毎日風呂を(文字通り薪で)焚く生活だったあの時空から、一足飛びに現代の文明的生活にワープしてきたような気分になる。
しかし、1週間前の記憶と、45年前の記憶と、どちらがリアルなのか。時系列の蓄積とは、私の記憶の中以外に、どこにあるのか。

原発の放射能飛散の不安と、いまだに続く余震の揺れは、私の中での「断片化」されたリアルこそが、リアルなのだ、と蜂の羽音のように、ささやきつづけている。