![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/d8/c209d413f66a401b04501819797a8625.jpg)
今回の旅行の最初の訪問地は済州島でした。
古事記、日本書紀に記載されている田道間守が耽羅島(済州島)へ天皇の命令で橘を求めて出かけたに始まり古くから日本とのかかわりが深い済州島です。
モンゴルが高麗を屈服させたとき義兵(7月3日参照)として立ち上がった三別抄が済州島で最後の戦いに敗北しますが、その三別抄が珍島から鎌倉幕府にともにモンゴルと戦うことを提案した文書を送っています。
日本植民地時代には済州島から多くの人々が日本(特に大阪猪飼野地区)にやってきています。1934年の統計では全島民の25%が渡日しています。(済州島からの渡日者が多くそれが猪飼野地区に集中した理由については金賛汀著「異邦人は君が代丸に乗って」をご覧ください)
「代書屋」という上方落語がありますが、そこには猪飼野の在日朝鮮・韓国人が登場します。(現在は差別的な要素があるということでそこの部分は削除されています)
したがって私がここで話をした全員が日本に縁がある人ばかりでした。土産物の女性は父が大阪生まれで済州島に帰国私が生まれたが、最後まで韓国語が不自由であったと話してくれました。
写真は済州島のガイド梁丁心さんです。彼女は済州島と日本の沖縄とは似たところがあると話してくれました。具体的なことはあまり話がありませんでしたが、なるほどと思いました。そこで次ページでそのことを考えてみます。
マックスバリューさんコメントありがとうございました。これからもときどき見てください。
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