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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

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「忘れられない」編 現地ガイド16 シリア

2023年07月12日 07時54分09秒 | 忘れられない

 シリアの現地ガイドはニダールさんでした。(写真)ヨルダンのジャミールさんとは違って肌色は白人と同じで白色でした。写真は少し黒く写っていますが白人特有の赤色の日焼けです。
 肌の色といえば、ペトラ遺跡の売店で働くかなり肌の色の黒い人にヨルダン人ですかと尋ねると、そうだと答えた後、エジプト人ではないと付け加えました。
 元に戻り、ムスリムですか、との質問にニダールさんは、ハーフ(半分)と答えてくれました。その意味するところは二つあったようです。ひとつは仕事の関係もあってきちんとしたお祈りなどができないことでした。そして”moderate” なムスリムだということでした。彼が本当に言いたかったのは”moderate” (穏健な)というコトバに象徴されることだったようです。彼の説明に”moderate” という言葉が盛んに出てきました。イスラームを皆さんはすべて過激派と考えているようだが、そうではなく大多数は”moderate” なんだということをハーフというコトバで説明したのだと私は理解しました。
 彼は出来るだけ客観的にものを考えようとしているように感じました。パルミラの最後の女王ゼノビアの末路について彼は私の質問に答えて、アラブではこう考え、ヨーロッパではこう考えられているという説明をしてくれました。(注)
 彼にもローレンスついて尋ねました。他の外国の観光客がいたためか、声を潜めて私の耳元でスパイ、” faker “(詐欺師)とささやいてくれました。サラディーンについても勿論尊敬の返事でしたが、同時に彼よりもfavourite(好きな)な人物がアサド大統領と言ったのには少し驚きました。大統領は自転車で買い物に出かけるような気さくな人物だと話してくれました。
  (注) パルミラはシルクロードの要地として特にBC2世紀からAD3世紀にかけて繁栄しましたが、クレオパトラの末裔と称した女王ゼノビアは属領でありながらローマ帝国に反旗を翻しAD272年ついに滅ぼされます。その後パルミラは廃墟と化し現在巨大な遺跡として繁栄の跡がしのばれるだけです。敗れたゼノビアは捕虜になりましたがローマに送られる途中で毒を飲み死んだという説(アラブ側説)とローマにまで連れて行かれ余生を平穏に過ごしたという説(ヨーロッパ側説)があります。塩野七生氏は「ローマ人物語ⅩⅡ」で「ヨーロッパ側説」よって説明していますが、牟田口義郎氏は「物語 中東の歴史」で両方の説(アラブ側説については断食餓死説)を紹介しています。
なお、18世紀のイギリスの歴史家ギボンはその著「ローマ帝国衰亡史」で「ゼノビアは黒い肌、真珠のような白い歯を持ち、大きな黒い瞳は火のように輝いており、その男性的な知性は学習によっていっそう強化されていた」(lonely planet “Syria” p258からの孫引き)と叙述しています。


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