平成2年発行の「三島村誌」は「三島の米つくりの歴史は古い。***水田耕作は黒島、竹島、硫黄島でも実施されていたと思われる。***大里(黒島)の米作りは現在も継続されている。**米は祭事用の餅米として蓄えられていた。***大里米は、ねばりがあり、味もよいとの評判である。大里の人々がその味を忘れ難いこともうなずける」(p564~565)と記載しています。
しかし、残念ながら今回私が訪れた時は水田跡でした。したがって現在三島村では稲作は行われていません。写真はその水田跡です。
平成2年発行の「三島村誌」は「三島の米つくりの歴史は古い。***水田耕作は黒島、竹島、硫黄島でも実施されていたと思われる。***大里(黒島)の米作りは現在も継続されている。**米は祭事用の餅米として蓄えられていた。***大里米は、ねばりがあり、味もよいとの評判である。大里の人々がその味を忘れ難いこともうなずける」(p564~565)と記載しています。
しかし、残念ながら今回私が訪れた時は水田跡でした。したがって現在三島村では稲作は行われていません。写真はその水田跡です。