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100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「出会いふれあい」編 イギリス人の親切

2024年07月06日 07時51分49秒 | 出会いふれあい

海外に出かける時その目的地について濃淡はありますがある程度のイメージは持って行きます。そのイメージどおりの時は「やっぱりそうか」と思い、違っていれば「ヘエー ホントー」となり、それが旅行の楽しみの一つでもあります。
 イギリスではその二つがはっきりした楽しい旅でした。
 まず「やっぱり」の方はやっぱり食べ物でした。まずいです。食べ物のうまい、まずいは個人の好みの問題で個人差がありますが、この国は私のような味痴でもわかる「まずい国」です。特にこの年(1997年)は狂牛病が問題になっていて肉類は七面鳥だけでした。これはまたまずい。皆さんイギリスにお出かけの際は、醤油、マヨネーズ、ドレッシング、味噌などの持参を勧めします。今から135年ほど前に欧米を視察した久米邦武が「諺ニ曰ク、倫敦(ロンドン)ノ食倒レ、巴里(パリ)ノ衣倒レ」(「米欧回覧実記3」岩波文庫 p53)と書いているのは不可解です。
 「ヘエー」のほうです。イギリス人は個人主義が徹底して冷たい人だというイメージを待っていました。ところがこれはまったく間違っていました。親切で、暖かい人たちでした。(特に女性)自由時間にロンドンのハイドパークを散歩して方向音痴の私は帰り道がわからなくなって地図を見ながらキョロキョロとしていると30代くらいの女性が寄ってきて何処へ行くのか尋ねてくれました。ホテルの名前を言うと親切に教えてくれました。本当を言うと英語なので半分ぐらいしか分からなかったのですが。私の最大限の英語力で“Thank you very much for your kindness” と言うと、バスに乗り込もうとしていた彼女はこちらを向いてにっこりと微笑んでくれました。旅行中に方向音痴の私はキョロキョロすることが多いのですがこんなことは初めてでした。
 イギリスのスコットランド、エディンバラでのことです。1人でお店の準備をしていた50代くらいの女性に両替所を尋ねました。私の唐人ぶりをすばやく察知したのか、お店をそのままにして両替所の所まで手をとるようにして連れて行ってくれました。
 イギリスでの現地ガイド(女性)も親切でやさしくてわかりやすい英語での案内でした。なぜか、男性の英語はむずかしかったです。Later(後で)をラターと発音した男性運転手がいました。日本からの留学生に偶然カフェで出会いそのことを話すと、同感との返事でした。


「出会い・ふれあい」アルメニア人のおもてなし

2024年07月03日 07時49分37秒 | 出会いふれあい

2003年のコーカサス旅行で出会ったアルメニア人の「おもてなし」にも感激しました。生贄の儀式が現在も残っているという古いアルメニアのゲガルド修道院で子供づれの生贄の羊のバーベキューパーティーに出会い大歓迎を受けました。自家製のワイン、焼肉などご馳走になり土産まで持たされました。我々のバスにはいつも周辺の人々が手を振って歓迎してくれました。このような歓迎をうけた国としては私の乏しい海外旅行の中ではルーマニア、トルコがありました。なぜこのようにアルメニアの人々は他国の人にこれほど親切なのでしょうか。
    
アルメニア人はユダヤ人についでディアスポラ、世界に離散した人々が多いのです。ヨーロッパ各地を旅行していると各地にアルメニア教会を見ることができます。この地域は古くから東西交流の接点でもあり言葉を代えれば東西の強国にはさまれ双方から強奪にあった地域です。その証拠は各地の破壊された遺跡に残っています。最近では19世紀の後半から20世紀の初頭にかけてのトルコによる百万とも二百万とも言われる大虐殺があります。なおこのときにもクルド人の悲劇がありました。アルメニア人を殺せばクルドの独立を認めるというトルコ政府の扇動に乗ってこの虐殺にクルド人も一役買ったのでした。(この部分の説明は私の質問に現地ガイドが答えたもの)しかしトルコはいまだにその事実を認めようとせずしたがって謝罪もしていません。現地のガイドは虐殺博物館で事実を述べただけでしたが、夕食時での私との個人的な話のとき(英語ですからほとんどわかりませんでしたが)apologize(謝罪)という言葉が強く私に迫ってきて日本政府のことを思い出していました。

「出会いふれあい」編 ルーマニアの手編みセーター

2024年06月30日 07時53分20秒 | 出会いふれあい

 ルーマニアで吸血鬼ドラキュラーの舞台となったブラン城を訪れたとき、ご婦人たちがセーターを編んでいました。私は旅ではめったに物は買わないのですが、このときはなぜか血を吸われる心配よりはルーマニアのおもてなしと家庭を持たない私はアットホームを感じて8ドルで購入しました。25年たった今もセーターとともに懐かしい思い出のシーンです。齢を重ねるごとに冬の寒さが身にしみてきます。そしてこの手編み純毛セーターのありがたみを感じます。しかし、この冬はこのセーターを着られる可能性はかなり低いようです(地獄では着られません)


「出会い・ふれあい」編 ルーマニア人のおもてなし

2024年06月27日 07時57分28秒 | 出会いふれあい

お金がなく、ケチで、外国語がダメで、体に少し障害があり、年寄りで、そのうえ稀代の方向音痴の私にとって外国旅行はパックツァーでしかありません。パックツアーの最大の欠点は決められたところを現地ガイドの説明(日本語のガイドでない場合は添乗員の日本語訳で)を受け多人数の時は質問もできなく時間に縛られて急いで次の観光場所へ移動の繰り返しでその土地の人との「出会い・ふれ合い」はほとんどないことです。その数少ない貴重な「出会い・ふれあい」のいくつかを以下紹介します。
ルーマニアにはブルガリアからドナウ河国境を越えたのですが、入管事務所の役人の威張った態度に一同憤慨してこの先の旅に不安を覚えました。当日ブルガリアからルーマニア入国までの現地美人ガイド、テオドラさんが念入りにお化粧した意味はこれにあったようです。(考えてください)     
 ところが入国してみてルーマニア人の温かいもてなしには感激しました。ビカズという町のガソリンスタンドでトイレ休憩の時でした。私は用がなかったので向かい側で果樹園の手入れをしている母子の写真を無断で撮影しました(冒頭写真)。それを感知した息子さん(30歳くらい)がこちらに向かって来ました。てっきり叱られるものと思っていたら手招きして中に入れといっているようでした。家の中まで案内されブドウとクルミをご馳走になりました。お母さんはデカンターにワインを入れて持ってこようとしていました。その間、トイレを済ました同行の人たちは私のいないのに気づき騒ぎになっていました。探し出されてバスに戻りました。そのときお母さんはたくさんのブドウを持たせてくれました。
 皆さんにお詫びを言いながらそのブドウを配りました。そのとき名古屋の人に「トイレ休憩はトイレ休憩だけにしてチョ」と叱られたのも想い出の一つです。 いまどき見知らぬ人、それも外国人を家の中まで案内し、ワインまでご馳走しようとする人がこの地球上に存在していたことに感激でした。
自由時間にキオスクみたいなところでビールを求めそこのテーブルで一人飲んでいました。そこのテーブルは空きが沢山あったにもかかわらず若い男女がわたくしのテーブルに向かい合って座りました。彼らは私がつまみなしにビールを飲んでいるのを見て彼らのつまみを勧めてくれました。何でもないようですが旅人の私には寂寥感もあったので大感激でした。写真がないのが残念。