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100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

寄道編 ユダヤ人 チェコ プラハ1

2005年12月07日 10時03分24秒 | ユダヤ人

 プラハでは自由時間に旧ユダヤ人居住地(ゲットー)を歩いてみました。この地の著名なユダヤ人は作家のカフカです。ここに住んでいたユダヤ人の多くはドイツ占領後アウシュヴィッツなどの強制収容所に送られ虐殺されました。

 シナゴーグ(ユダヤ教の教会)に入ってみました。入場料とユダヤ帽子(キッパ)の購入が必要でした。この帽子をかぶらなければ中に入れません。中は撮影禁止でした。写真はそのシナゴーグの入り口です。ヘブライ文字が見えます。


寄道編 ユダヤ人 ポーランドワルシャワゲットー

2005年12月05日 09時44分42秒 | ユダヤ人

 写真はポーランド、ワルシャワの旧ゲットー地区の掲示です。ゲットーは「広辞苑」では「ヨーロッパの諸都市で、ユダヤ人を隔離し居住させた地域」と説明されています。

 第二次世界大戦勃発時にワルシャワには38万人のユダヤ人が生活していました。1940年には他の地域からつれられて来た人を含め45万人のユダヤ人が3メートルのレンガ塀に囲まれたこの地に閉じ込められました。飢え、病気などにより多くの人が死亡するなか1943年絶望的な反乱がおきました。ヒトラー、ナチス、ドイツは飛行機まで出して鎮圧に当たりました。多くの人が殺され、火あぶりの刑に処せられました。 

  なおゲットーghettoは1516年のイタリア、ヴェネチアでのユダヤ人隔離に始まるとされています。Ghetto の単語そのものはイタリア語とヘブライが語の両方の語源説があり定説は無いようです。


番外編 お墓 ポーランド アウシュヴィッツ・ビルケナウ6

2005年12月03日 10時08分37秒 | ユダヤ人

写真はビルケナウの落日です。名状しがたいものを感じました。

 さて次回からはちょっと横道に入りこのアウシュヴィッツに関連して三箇所のユダヤ人居住地区を訪ねます。 その前に旅先で出会った一人のイスラエル人(ユダヤ人)との短い会話?を紹介しておきます。

 イギリス・ロンドン・ウインザー城観光の時でした。背の低い浅黒い肌をした中年男性に私の知る数少ない英会話表現“Where are you from?”(どちらのお国のお方ですか?)と尋ねました。

 Israel ! Israel is small but great “ (イスラエル イスラエルは小さいが偉大な国家だ)と誇らしく、傲然とした答えが返ってきました。私は”Where are you from ?”を旅行中馬鹿の一つ覚えで乱発します。このように誇らしく、傲然とした返事が返ってきたのはこの時以外は“Scotland!” (スコットランド!)だけでした。(ただしこの場合は傲然とは感じませんでした) 


番外編 お墓 ポーランド アウシュヴィッツ・ビルケナウ4

2005年12月01日 09時31分05秒 | ユダヤ人

 ヒトラー・ナチス・ドイツの蛮行について少し追加をしておきます。ホロコーストの犠牲者は600万人(前述のようにアウシュヴィッツで150万人)でそのうちロマ人50万人以上です。その他ソ連人捕虜335万人のうち60%が飢えや病気で死亡。最初に紹介したように「健全なる精神は健全ある肉体に宿る」の名の下に障害を持つドイツ人も7万人が殺されています。

 写真は決められた時間での集団トイレです。


番外編 お墓 ポーランド アウシュヴィッツ・ビルケナウ2

2005年11月29日 09時12分50秒 | ユダヤ人

 写真は何だと思いますか。人の髪の毛です。虐殺する前に髪を刈り取ったのです。かなり広い部屋に大量にありました。私は思わず「これ本物?」叫びました。「ここにあるものはすべて本物です」と返事が返ってきました。 

 敷物などに使われたそうです。


番外編 お墓 ポーランド アウシュヴィッツ・ビルケナウの巻1

2005年11月27日 09時45分14秒 | ユダヤ人

 ポーランドに行くことを決めた時、ちょっと迷いました。「アウシュヴィッツには行きたくない、いや行くべきだ」と。この気持ちは私だけのものではないようで、聞くところによればアウシュヴィッツのときだけ欠席する人がたまにいるそうです。 アウシュヴィッツはドイツ語名でポーランド語ではオシフィエンチムです。またアウシュヴィッツの名前が有名ですが、すぐ隣にはここより大きいビルケナウ強制収容所があります。二つ一緒にして考えることが多いようです。

   ここはあまりにも有名なので説明の用は無いと思いますが、少しだけ触れておきます。第二次世界大戦中ヒトラーナチスドイツがユダヤ人を中心として28民族(人種)の人たちを強制収用所に入れました。そのうちもっとも規模の大きいのがアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所です。ここで殺された人は150万人といわれています。注目すべきはロマ人(ジプシー=この名前は侮蔑語であるとして世界的に現在使用されていません)がユダヤ人と同じ劣等民族として虐殺されています。

 そこでヒトラーが同盟国である日本人をどう見ていたのか気にかかるところです。ヒトラーの有名な著書「わが闘争」にかなり詳しく書かれています。戦時中に翻訳された本にはそこだけは省略されていました。戦後に全文が訳されたものが出版されました。興味のある人は角川文庫「わが闘争(上)」p412以下をご覧ください。余談ごとですがヒトラーのモットーの一つに「健全な精神は健全な肉体に宿る」があります。その肉体を鍛えるスポーツとしてボクシングを推奨しています。

 さて写真はアウシュヴィッツの入り口です。よく見てください。”Arbeit macht frei” (ドイツ語―働けば自由になる)とあります。残酷な皮肉ですね。私はこの言葉は中世ヨーロッパの俚諺”Die Luft der Stadt macht frei “ (ドイツ語―.都市の空気は自由にする=農奴など不自由民であっても都市に入り一年と一日たてば自由身分になれることを言ったもの)の本歌取りではないかと思っています。いずれにしても残酷としか言いようが無いですね。

 ついでにも一つ余談ごと。ドイツの旅行で気が付いたことですが、かってハンザ同盟に加盟していた都市での観光は市庁舎(地下の食堂で昼食)、ギルドホールですが、そうでないところはお城というのが定番だったような気がします。