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100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「モロッコ」編 王国 5 ハッサンⅡ世モスク1

2008年11月05日 08時55分07秒 | モロッコ

 最後の観光も王室関連建造物でした。前国王ハッサンⅡ世の60歳の誕生を記念して1986年から8年がかりで1993年に完成したハッサンⅡ世モスクです。世界で3番目に大きいモスです。全敷地に8万人、内部に2万5千人収容可能だそうです。総工費5億ドル以上(約500億円以上)です。ちなみに国民一人(総人口約3000万人)あたり所得は1900ドル(19万円)です。(外務省ホームページ)日本の自公政府は一人当たり1万5千円で国民を買収しようとしていますが、モロッコでは国民一人あたり1万7千円でモスクを作りました。

 もともとこの地は海岸線に面したスラム街でありました。lonely planet によればこの地を何ら保障なくして追い出されたスラム住人の恨みはまだ続いているそうです。(p91) イスラームの戒律が厳しい、たとえばイラン、パキスタンなどでもモスクは非イスラーム教徒にも公開されていますが、ここモロッコでは非イスラーム教徒の入場は禁止されています。ただこのモスだけは例外的に英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語のガイドつきで公開されています。そのことからこのモスクの建設・存在の意味がなんとなく分かるような気がしました。


「モロッコ」編 王国3 シャリーフ

2008年11月03日 08時50分25秒 | モロッコ

 エッサウィラ(10月7日地図)の自由時間でのことです。鮮魚店で魚を買いその場で調理してもらうレストランの客引をからかい次のような会話をしました。私「俺の名前はアブドゥラでシャリーフだ。だからバラカを持っている」

 客引き「そうか、ここにもシャリーフがいるので紹介しよう」としてよばれてきたのが、写真の人物。右の人物が紹介してくれた客引きです。

 私「あなたは本当にシャリーフか、それではアンタアホヤ」と言って握手をしました。

 片仮名のところを説明しておきます。「アブドゥラ」はイスラーム圏では一般的な名前で意味は「神の奴隷」です。「シャリーフ」はイスラームの預言者ムハンマドの子孫を言います。「バラカ」はこのシャリーフが持つ「神の恩寵」と訳される万能の力です。「アンタアホヤ」は「あなたは私の兄弟だ」という意味のアラビア語です。この言葉はシリア、レバノン、ヨルダンで用いて成功しました? (2006年5月5日を参照してください。この地域ではアンタアホイになります)

 問題はシャリーフです。モロッコでは「シャリーフ」に対する尊崇の念が強く現王朝アラウィー朝の権威の正当性の証となっています。日本の貴種流離譚とも言うべきものでしょうか。モロッコにムハンマドの血統を伝えたのは789年サウディアラビアからモロッコにやってきたイドリス朝の始祖イドリウスⅠ世です。その血脈が現王朝に引き継がれているとされています。

 また「シャリーフ」のムーレイ・イスマイール王(1672~1727)は兄弟83人で、子供は数百人という例のように多くのシャリーフがこのモロッコに氾濫するということで魚市場のレストランの従業員にも「シャリーフ」がいることになるのでしょう。この人も「シャリーフ」に誇りを持って生きているのでしょう。

 余談ですが、ムハンマドの子孫の王様がもう一人います。ヨルダンの王様です。また「パキスタン」編で後日紹介予定のイスラーム教イスマイール派のアガ・カーンもムハンマドの子孫とされています


「モロッコ」編 王国2

2008年11月01日 09時41分05秒 | モロッコ

 最初の観光地はさっそくラバトにある王宮です。44ヘクタール(東京ドーム10個分)の敷地内に2000人の人が働いているそうです。このような王宮が国中に17箇所あるそうです。国王はかなり忙しくこの王宮を回っているようで、王様が来ているという事で警察が出張り、国旗が掲げられてという光景に2度出会いました。私がその王宮に一人ずつ王妃?がいるのですかと、尋ねたところ添乗員の高山さんの答えは「国王は開明的?の人で王妃は一人だけです」


「モロッコ」編 グローバル化4

2008年10月30日 09時08分39秒 | モロッコ

 フランス航空の食事メニューには写真のようなカード(この食事には豚肉が含まれていないことを保障します)が入っていました。現在最も信者が増えている宗教はイスラーム教だそうですが、彼らが忌避する豚肉が食事にないことを書いたものです。

 Coloさんコメントありがとうございました。ほめられて初めてよい写真かなーと思いました。書き落としていたことがあったのでついでに追加の説明をしておきます。場所はマラケシュの迷路で有名なメディナ(城壁で囲まれた旧市街地)のスーク(常設市場)です。同行の人と自由時間にメラー(ユダヤ人居住区、後日紹介)を訪れて出てきたときに出会って、ガイドがいなければ歩けないようなこのスークを案内してもらっていたときの写真です。同行の人が彼女に得意のアラビア語でスカーフの値段交渉をしてもらいかなり安くしてもらったようです。しかも店の人が彼女の常駐しているところの隣村の出身だったので話が弾んだようです。お母さんが娘は本当に世話好きなのですと、話していらっしゃいました。


「モロッコ」編 グローバル化3

2008年10月30日 09時01分49秒 | モロッコ

 彼女のアラビア語のサインです。

 「特別編」カラーシャ族の鳥葬について 

 この10月3日にカラーシャ族の鳥葬について紹介しましたが、少し疑問な点もあったので「わだあきこ」さんに(10月1日紹介)にメールで問い合わせをしましたところ以下のような回答をいただきました。  

 「ご質問の鳥葬についてですが、カラーシャでは鳥葬は行っていませんし、私の本にもホームページにも載せていないはずです。昔は自然葬で、棺に石で蓋をして墓場に置いていたので、そのことを言っておられるのではと思います。」 

 というわけで私はお困りました。現地のガイドサリームさん(但しカラーシャ出身ではない)の説明もそうだったですし、西遊旅行社の添乗員の中谷さんに念のためにも一度問い合わせたところ、カラーシャのホテルの人もそういっていたとのことですが。


「モロッコ」編 グローバル化2

2008年10月30日 08時54分05秒 | モロッコ

 行き(パリ・ドゴール空港経由カサブランカ)の機内で日本人と結婚し日本に現在在住しモロッコに里帰り中のモロッコ人女性に出会いました。写真はドゴール空港で撮影しました。3歳の子供さんと弟さんです。

 日本人と結婚しているので脱イスラーム化と思いきやラマダーンもするし、シーア派はイスラームではないとまで言っていました。(彼女はスンニ派)

 日本に帰り新聞を見ていたら「イスラム宗派 埋まらぬ溝」という記事に出会いました。

 3歳の子供さんのほうが日本語が上手なのだとは彼女の話です


「モロッコ」編 グローバル 1

2008年10月28日 08時44分53秒 | モロッコ

 海外旅行をしていると海外で活躍している日本人によく出会います。それも女性が多いような気がします。パキスタン編で紹介した「わだあきこ」さんもその一人です。(2008年10月1日) 

 今回も青年海外協力隊(注)で活躍している方に出会いました。活動地域はメルズーガ(2008年10月7日地図参照)の近くの村とのことです。出合ったのはマラケシュで日本から娘のことが心配?でモロッコまでやってきたお母さんと一緒でした。青年海外協力隊では心配する家族を現地(1週間ぐらい?)に来てもらい安心させる?制度があるようです。 写真は本人とお母さんです。

 いろいろお話をお伺いしましたが、そのうちの一つだけ紹介しておきます。活躍する地域の人たちはすべてイスラーム教徒なのでラマダーン(断食)をします。地域の人々に溶け込むために彼女もラマダーンを一年目はしたそうですが、2年目は辛抱できなく隠れて昼ごはんを取ったそうです。 

 (注)青年海外協力隊とは、日本国政府が行う政府開発援助の一環として、外務省所管の独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する海外ボランティア派遣制度である(ウイキペディア)  

 「周小平」「まきまき」さんコメントありがとうございました。今後ともよろしく。


「モロッコ」予告編

2008年10月07日 08時20分09秒 | モロッコ

 10月8日~10月25日モロッコに行きます。そこで10月28日ごろまでこのブログを休載します。写真は旅程図です。ユーラシア旅行社のホームページからの転載です。 

 この「パキスタン」は未完ですし、「中国シルクロード」「西アフリカ」「東・南アフリカ」「イラン」も完結していませんが、帰国後「モロッコ」をしばし紹介してその後順次未完のものを完結していきたいと思っています。また「世界のアルコール」というのも考えています。