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100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スペイン・ポルトガル」編 レコンキスタと城塞4 エル・シド1

2009年07月25日 08時27分39秒 | スペイン・ポルトガル

 イザベルとフェルナンドがレコンキスタの英雄の最終ランナーとすればエル・シド(1043?~1099)は叙事詩「わがシドの歌」で有名な初期レコンキスタの国民的英雄とされています。本名はロドリーゴ・ディアス・デ・ビバールで、エル・シドはアラビア語起源でエルは定冠詞でシドは君主を意味します。レコンキスタの英雄のあだ名がアラビア語というのも面白いですね。しかし彼は時にイスラームの小国家(タイファ)とも手を組む権謀術数に長けた戦国武将であったようです。時代がたつにつれレコンキスタのイデオロギーが強化され彼が次第にレコンキスタの英雄になっていったと思われます。

 彼の生まれはブルゴス(3月29日地図)なのでこの地でたくさんの像を見ました。カテドラルでの絵画です。


「スペイン・ポルトガル」編 レコンキスタと城塞2 セゴヴィア2

2009年07月23日 08時27分05秒 | スペイン・ポルトガル

 レコンキスタの終着は1492年のイザベルカスティーリヤ女王とアラゴン国王フェルナンド国王の連合軍のグラナダ無血開城ですが、二人が結婚したのは1469年で当時はまだ皇女、王子でした。1474年に兄の国王がなくなってここセゴヴィアのアルカサスでイザベルは女王就任宣言をしました。写真はこのアルカサスで彼女の就任宣言の模様を描いたものです。なお夫のフェルナンドのアラゴン国王就任は1479年です。

 二人の結婚、彼女の国王就任宣言などについては面白い話がたくさんありますが、その話は歴史書などに譲るとして、中丸明の「プラド美術館」(p107)にあるイザベルの話を紹介しておきます。

 「この女王はレコンキスタに狂奔するあまり化粧もせず、汚れの目立たない黒い服に身を包んで、めったに風呂にも入らず,ノミ、シラミをわかせながら、異教徒をスペインから一掃することに生涯を捧げた女性であった。(彼女の言)『キリスト教徒たる者は、むやみに水を浴びたり、風呂に入るものではありません。あれはモーロ人(イスラーム教徒)の風習ですから』」

 続いて中丸の「こうも不潔だと***フェルナンド王があちこちに私生児を生ませたのも故なしとしない」は余計なお節介かな。二人の間には有名な狂女王ファナを含めて5人の子がいます。

 7月3日に両カトリック王はグラナダにイスラームの服装で入城したと紹介しましたが、それと矛盾するようですが私はどちらも本当だったと思います。イスラーム文化への憧れと憎しみの相矛盾するアンビバレント気持ちがあったような気がします。


「スペイン・ポルトガル」編 レコンキスタと城塞1 セゴヴィア1

2009年07月23日 08時20分28秒 | スペイン・ポルトガル

 711年にイスラーム勢力がイベリア半島に侵入して瞬く間にほぼ全域を支配します。その後1031年に統一王朝後ウマイヤ王朝が崩壊しイスラーム勢力は20あまりの小国家(タイファ)に分裂し北部にはこれまた小国家のカトリック教国が林立し互いに抗争を繰り返し日本の戦国時代のような様相を呈します。それが次第に北部のカトリック教国のイスラーム教国の追い出しというイデオロギーに収斂し再征服レコンキスタ運動になり1492年のイザベルのカスティーリヤ王国とフェルナンドのアラゴン王国の連合カトリック軍のグラナダ占領でイスラーム勢力はイベリア半島から追い出され決着します。

 その間約800年にわたる戦いの跡を示すのがスペイン各地の高地にある砦、城塞です。以下その城塞を中心としてこのレコンキスタ、戦国時代を見ていきます。

 セゴヴィアすでに水道橋を紹介しました(6月15日)しましたが、標高1008mにあるアルカサル(城)はディズニー映画の「白雪姫」のモデルとして有名です。セゴヴィアは1085年にカトリック教国に占領されます。


「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代37 アルコス・デ・ラ・フロンテーラ3

2009年07月21日 08時35分49秒 | スペイン・ポルトガル

 これまで紹介してきたようにスペインを旅行していると各地でイスラーム文化の痕跡に出会い、しかも今も生きています。 

 アラビア語起源のヨーロッパ語もたくさんあります。たとえば英語などのalgebra(代数)やalcohol(アルコール)などalの付く語が良く知られていますが、ここではスペイン語になっている単語をついでにいくつか紹介しておきます。日本語、アラビア語、スペイン語の順序です。

 レモン=laimun→limon オレンジ=narangia→naranja 砂糖=sukkar→azucar 歳時記=al-manah→almanaque 料金表=tarifa→tarifa

 そのイスラーム教徒をスペインの地からカトリック教徒の王たちが追い出す運動をレコンキスタ(直訳すると再征服)といいます。それを次回から観光をしながら少し紹介します。


「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代35 アルコス・デ・ラ・フロンテーラ1

2009年07月21日 08時28分25秒 | スペイン・ポルトガル

 アルコス・デ・ラ・フロンテーラは前回紹介したマラガの近くの町です。11世紀にイスラーム教徒のベルベル人(2008年11月23日を参照ください)の小国家があったところです。当時の街並みが残る典型的なアンダルシア風の景観です。1492年にここスペインから追放されモロッコに居住した人たちのアンダルシア風の街並みはすでに「モロッコ」編で紹介しました。(2008年12月29日、2009年1月28日など)以下、3枚紹介します。 

  Fengdanさんいつもコメントありがとうございます。そういえば鹿児島には屋上プールは無いようですね。


「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代31 マラガ1

2009年07月17日 08時24分39秒 | スペイン・ポルトガル

スペイン南部のコスタ・デル・ソル(太陽海岸)(2009年3月29日旅程図参照)は現在国際的リゾート地として有名ですがその中心地マラガは8世紀~1487年にイスラーム文化の華が咲いたところでした。写真は11世紀に作られた砦(アルカサバ)のイスラーム式庭園です。


スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代26 セルヴィア6 アルカサル3

2009年07月13日 08時51分31秒 | スペイン・ポルトガル

 アルハンブラ宮殿と似ていますね。

 「航空券 ブルガリア」さん コメントありがとうございました。ブルガリアでは2006年2月19日、21日に現地ガイドテオドラさんについて少し面白い話を紹介しているのでお読みいただければ幸いです。