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100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「忘れられない」編 アフリカ諸国の公用語

2023年09月22日 07時54分48秒 | 忘れられない

最近読書量が極度に減少していますが、ようやく数日前「岩波講座世界歴史22」を読了しました。以下のような箇所に出会いました。
 「住民の大多数が理解しない言語を公用語したのは、しばしば説明されるようにアフリカが多言語社会だからではない。セネガルではウォロフが***、ガーナでもアカン系が付録通用していた。***国民統合のためではなく、植民地統治のシステムを引き継ぐため」(「アフリカ諸国の『独立』とアフリカ人エリート」p207)
 この個所を読んでモザンビーク旅行での思い出を思い出しました。
モザンビークは1498年のヴァスコ・ダ・ガマ以来ポルトガルの影響を受け17世紀にはほぼポルトガルの植民地になります。1964年から独立運動が始まり1975年に独立が達成されます。したがって今もポルトガル色が色濃く残っています。たとえば公用語はポルトガル語です。偶然飛行機で隣に乗り合わせたモザンビーク人(黒人)の母語はポルトガル語でした。これにはちょっとびっくりしました。いまだに忘れることの出来ない想い出です。

「忘れられない」編 トレヴィア6 三猿

2023年09月19日 07時50分56秒 | 忘れられない


モロッコのエッサウィラのメディナの木工品店で写真(上)のような三猿を見つけなした。「見ざる・聞かざる・言わざる」の語呂合わせから言って日本独特なものと思っていましたので、何でモロッコに?、と思いました。しかし念のためと思ってインターネット上の百科事典ウィキペディアを見ると私の無知が暴露されました。
以下ウィキペディアの抜粋。
「日本語の語呂合わせから日本が三猿発祥の地と思い込む人は多いが、実は『見ざる、聞かざる、言わざる』によく似た表現は古来世界各地にあり、同様の像も古くから存在する。そしてまた、それぞれの文化によって、意味するところは微妙に異なる。(たとえば)インドのマハトマ・ガンディーは常に三匹の猿の像を身につけ『悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな』と教えたとされており、教科書などに『ガンディーの3猿』が掲載されている。またアメリカ合衆国では教会の日曜学校などで、三猿を用い、猥褻なものを見たり、性的な噂を聴いたり、嘘や卑猥なことを言わないよう諭すことがある。三猿の起源は未だ十分に解明されておらず、今後の研究と調査に委ねるところが大きい」
というわけでエッサウィラの木工品店に三猿が展示されているのはそれほど珍しいことではないようです。自分の無知を再認識するのも旅行の楽しみと自分を慰めました。
 その後、中国東北部のハルピンの黒竜江省博物館でも見ました。(写真下)

「忘れられない」編 トレヴィア5 English と US English

2023年09月16日 07時55分17秒 | 忘れられない

 アメリカでホテルのテレビのスイッチを入れたら言語選択の表示が出ました。クリックすると“English”と“US English”とありました。私でもアメリカ英語とイギリス英語に多少の違いがあることぐらいは知っていますが、このようにはっきりと区別されていることは知りませんでした。ついでに余談話2つ。
 20年ほど前、30代のイギリス人と話した時、Have you****?は父親も自分も言わないでDo you have ****? だが、祖父はHave you ****?だといっていたことを思い出しました。わたくしの中学時代の英語はHave you :***?
表示にMagyarとありますね。ハンガリー語ですね。以前このブログにハンガリー人にマジャール言えば喜ばれるということを紹介したことを思い出しました。(2005年10月21日)

「忘れられない」編 トレヴィア4 刺青 

2023年09月13日 07時44分32秒 | 忘れられない

 アメリカ合州国旅行の第一印象は肥満と刺青でした。そこで今回はアメリカでの入れ墨について。日本では刺青=ヤクザというイメージがあるので撮影は恐々でした。写真のご婦人は水商売の方のようでしたが許可を得て撮影しました。
ウィキペディアによれば2015年の統計でアメリカ人の29%の人が刺青をしていて今後増加の傾向だそうです。特別の人がしているのではないそうです。
そこでアメリカ在住42年の日本人「退職女のアメリカ便り」というブログを書かれている「hobbesgracie911さん」にアメリカでの刺青についてご意見をお伺いしました。そして「退職女のアメリカ便り」のコメント欄に以下のような一文を頂きました。そこで筆者の許可を頂いてこの文書を以下のようにこのブログに転載させていただきました。非常に興味あるお話ですね。ありがとうございました。

「刺青ですか。これには私も参っています。実は私の息子の6年来のガールフレンド(というかもう一緒に住んでいますが)の背中一面に何の花かわからない刺青が彫られています。息子が小さいときから“ブロンド(ばかだから)、ボディーピアス(ばかだから)、刺青の女(ばかだから)はだめ”といっていたのに、この全部がそろった女とよりによってくっついてしまうとは。親にとっては悲しいことです。
こちらでは刺青に対する拒絶感は日本ほど大きいとは思いません。若いアメリカ人にはほとんど“良いんでない”的感覚で受け入れられていると思います。でもいざそれをするとなると、やはり、教育面家庭環境により決断されると思います。だから、家庭環境がしっかりしていない、高等教育を受けていない人たちに“刺青かっこいいから、やってみよう”、という考え方が多いと思います。芸能人、スポーツ選手、ミュージシャンなんかもう100%といっていいぐらい刺青をしているのではないでしょうか。私の好きなデレック ジーターは刺青がありません。
やはり、刺青はまともなアメリカ人にとっては日本人と同じ考えだと思います。
 還暦過ぎた私ですが」

「忘れられない」編 トレヴィア3 no-smoking

2023年09月10日 08時23分59秒 | 忘れられない

 アメリカではかなり厳しく喫煙が禁止されていました。旅行中に利用したレストランでは喫煙者を見ることはありませんでした。宿泊したホテルの部屋は常に禁煙部屋でした。
なかにはこの部屋で喫煙した場合、部屋をクリーンするため、250ドルの罰金を頂くという表示もありました。
 写真はニューヨークのホテル近くの建物です。この建物の前では喫煙禁止という表示ですね。ちょっとびっくりしました。ところがその写真が紛失。

「忘れられない」編 トレヴィア2 necessary room

2023年09月07日 07時55分16秒 | 忘れられない

 写真はアメリカ合州国で見たものです。何を意味する表記だと思いますか。トイレの表示でした。トイレの表記は国、所によって様々ですが、アメリカではrest room が一般的のようでした。以前にこれを紹介したところアメリカ在住の方からのわたくしも初めて見ましたとのコメントがありました。
 日本でもトイレの表記はたくさんありますね。ローマ字表記ではWC TOILET LAVATORY
日本字表記では、便所、トイレ、トイレット、お手洗い、御不浄、かわや、はばかり、雪隠などたくさんありますね。なぜこんなに沢山あるのでしょうね。

「忘れられない」編 トレヴィア1 立ちション

2023年09月04日 07時54分07秒 | 忘れられない

現地ガイドにも添乗員にも案内されないし、もちろんガイドブックにも記載されていないが、わたくしにはちょっと面白いと感じたトレヴィア的ではあるがなぜか忘れられないものを以下いくつか紹介します。もっともトレヴィア的ではあるが意外に意味のあることもあります。それらの体験を以下いくつか紹介します。
 中国トルファン盆地にある火焔山は孫悟空の活躍する「西遊記」で馴染み深いところです。燃え盛る火焔山に行く手をさえぎられた三蔵法師一行は孫悟空が奪い取った芭蕉扇でその火を消したことで有名です(写真)。ここには1998年と2006年に訪れています。
 1998年当時はここは全くの無人の野でオシッコをすればジュンと一瞬に蒸発するのではないかと思いやりました。2006年もそれを楽しみにしていました。ところが今回このビューポイントに建物が出来ており観光客がたくさんいました。そこで山に出来るだけ近づき見えないところへ行きやりました。ところが見つかり咎められました。そこに現地ガイドの王さんが現れ助けられました。アアー恥ずかしい。

「忘れられない」編 現地ガイド31 エルサルバドルとホンジュラス

2023年09月01日 07時52分56秒 | 忘れられない

 エルサルバドルと次のホンジュラスでのガイドはマリオさんでした。(写真サン・アンドレアス遺跡にて)彼はグアテマラ人でメスティーソ(注)です。日本で働いていたこともあり、奥さんも日本人で日本語ペラペラでした。彼にゲバラをどう思うかを聞いてみました。ちょっと考えてコミュニスト(共産主義者)だから嫌いとの返事でした。
(注) スペイン人と先住民との混血。ちなみにエルサルバドル の人口構成はメスティーソ90% 先住民1% 白人9%。
 今回で「現地ガイド」は終了しますが、改めて現地ガイドからの情報収集の大切さを感じました。もっと現地ガイドとの接触を濃密にしておけばと今となって反省をしています。

「忘れられない」編 現地ガイド30 ニカラグア

2023年08月29日 07時54分33秒 | 忘れられない

 アメリカ大陸には「サラダボール」か「るつぼ」のいずれかを問わず多民族、多人種が混住しています。ニカラグアのガイド、フランシスコ・ポラスはユダヤ人でした。(写真はニカラグアのマナグアで撮影したものです) 彼の先祖は改宗カトリック教徒のユダヤ人でスペインのアンダルシアで法官をしていましたが迫害からのがれるため17世紀コスタリカへ移住→パナマ→ニカラグアにやってきました。彼はユダヤ人であることに非常に誇りを持っているようでした。イスラエルに強い共感を抱いているようでした。サンディニスタ民族解放戦線FSLN(現大統領の選出母体)は大嫌いのようでした。したがってゲバラ(注)も「余計なお節介者」として嫌っていました。
(注)(1928年~1967年)アルゼンチン生まれ。医者で喘息持ち。1955年カストロと出会いともにキューバ革命を戦い政府の要職に就くが、1965年中南米の民主化のためキューバを離れゲリラ戦に参加。1967年にボリビア政府に銃殺された。いまなお中南米の下層階級を中心に広く尊敬、英雄視されている。コミュニストではありません。日本でも最近彼を描いた映画「モーターサイクル」が公開、上演された。男?のロマンを駆り立てる男

「忘れられない」編 現地ガイド 29 中国ホータン

2023年08月26日 07時56分13秒 | 忘れられない

 写真は中国西域南道の「玉」で有名なホータンでの現地ガイド・ウイグル人のジュレットさんです。写真では色がすこし黒いようですが白人的な日焼けの感じでした。本業はウイグル大学の医学部の先生でお医者さんです。日本の大学(日本医科大学?私の記憶があいまい)にも1年留学をしていたこともあり、流暢な日本語でした。西洋医学、中国医学、チベット医学のいずれですか、と尋ねると、ウイグル医学でチベット医学はウイグル医学から学んだ医学です、という返事が返ってきました。ウイグル語で講義している大学はここのウイグル大学だけです、と誇らしく話してくれました。 
 彼は共産党員ですが、敬虔なイスラム教徒でラマダンも毎日の礼拝も欠かさないそうです。共産党とイスラム教との関係について少し話をしましたが、微妙なニュアンスを正確に伝える自信が私にはないので省略します。 
 一人っ子政策について少数民族は3人までということは知っていましたが、彼のような公務員の場合は2人までとは知りませんでした。彼も制限いっぱいの二人の子持ちでした。なお、以前紹介した(11月9日)満州族の場合、数が多いためか子供の数については漢民族と同じ1人だそうです。ただし1人子同士の結婚の場合2人まではよいことに最近なったそうです。
 なお、漢民族と少数民族との夫婦の場合どうなるかということです。これについては8年前に旅行した時に聞いた話ですが、ある現地ガイド(男性)は相手が少数民族の人で3人までよいということで3人の子持ちでした。現在この制度は改正されています。

「忘れられない」編 現地ガイド 28 南アフリカ

2023年08月23日 07時54分07秒 | 忘れられない

 写真は南アフリカのソエトでの現地ガイドです。
 ご覧のように白人なので「あなたはアフリカーナ(注)ですか」と尋ねました。彼は非常に喜んでそうだと答えたまでは良かったのですが、後がいけません。私に対して「あなたの英語は素晴らしい、ロンドンで勉強したのか」などのオベンチャラで恥ずかしくて身がすくむ思いをしました。 私は英会話はほとんどできません。ただ「アフリカーナですか」と「いくつの言語を話しますか」の二つの質問をしただけです。なぜこのようなオベンチャラが出たのかと考えてみました。どうやら「アフリカーナ」という言葉が理由のようです。「アフリカーナ」と呼ばれることがうれしかったようです。
レソトのマセル空港のチェックインカウンターに黒人の中で一人だけ白人の威張った感じの女性がいました。「アフリカーナ?」と尋ねた途端相好を崩してペラペラと話しかけてきました。ほとんどわかりませんでしたが、その中で「アフリカーンスを話すのか」ということはわかりましたが,これにはびっくりしました。「アフリカーンス」というのは「アフリカーナ」の母語でオランダ語の変化した言葉です。「アフリカーンス」を話す人は極めて限られているので、「アフリカーナ」がよほどうれしく、親密感を感じたのだと思いました。 
もともと彼らはオランダ語の「百姓」を意味する「ボーア人」と呼ばれていました。しかし「ボーア人」と呼ばれることを好まないようです。皆さんが南アフリカ共和国を訪れる機会があった時は彼らに「ボーア人」と呼びかけるのではなく、「アフリカーナ」と呼んであげてください。しかし、かっての人種差別アパルトヘイトの中心者であったことも忘れてはなりません。

「忘れられない」編 現地ガイド27 ベナン共和国

2023年08月20日 07時53分24秒 | 忘れられない

ベナンでのガイドがあまりにも頼りないので皆さんからブーイングが起き最終日には現地手配会社の社長さん自らのお出ましとなりました。写真は社長のラジンさんです。背景の海は勿論太平洋のギニア湾です。イスラーム教徒でメッカに巡礼したことのあるハッジ(注)です。彼はベナン大統領の英語通訳者でもあります。(ベナンの公用語はフランス語です)
 (注)メッカに巡礼した人はハッジと呼ばれ社会的に尊敬されています。
この旅行は2002年2月でしたがラジンさんは前年アメリカ合州国で起きた9・11のテロについて触れテロそのものはよくないが、アメリカが憎まれるのは当然であるし、その報復戦争はするべきではないと批判的でした(その翌年2003年にアメリカのイラクへの侵略戦争がはじまりました)。
今回の旅行ではイスラーム教徒にもキリスト教徒にも出会いましたが、なんとなくキリスト教徒の人たちには自信がなく、自己のアイデンティティを持たないのに対してイスラーム教徒の方は自己がしっかりしているように感じました。

「忘れられない」編 現地ガイド26 マリ共和国2

2023年08月17日 07時53分56秒 | 忘れられない

 マリ共和国を通じてのガイドはアブドゥラさんでいた。名前でわかるようにイスラーム教徒です。ちなみにこの国の宗教はイスラーム教徒が85%、キリスト教徒が5%、伝統宗教が10%ぐらいです。彼は森本哲郎さんの著書「私のニジェール探検行」の時のガイドで森本さんの名刺を見せてくれました。彼は今マリは貧乏だが資源も豊富だし必ず豊かになると終始語ってくれました。
 その彼について後日添乗員の本橋さんが次のようなことを教えてくれました。本橋さんが彼に独立(1960年)以前の話を聞くと涙ぐんで語りかけたので途中で話をストップしたそうです。
 涙の理由はわかりませんが、今でもマリは世界10大最貧国の一つで生まれてくる赤ちゃんの24%が5歳までに死亡するそうです。(lonely planet Western Africa 5th edition)
なぜか、かれの写真がありません。代わりに?首都バマコの市場での時計売りを紹介しておきます。

「忘れられない」編 現地ガイド25 マリ共和国1

2023年08月14日 07時54分08秒 | 忘れられない

  写真はマリ共和国のトンブクトゥでの誇り高く、威厳のある民族トゥアレグ人ガイドのモハメッドさんです。 それに対して隣にいる日本人(私)の頼りなさ。背景の土のモスクに突き出た棒のようなものは修理の時の足場だそうです。
この服装から彼らは「青い民、藍の民」とも呼ばれます。彼らの宗教は民族伝統の宗教色を遺しながらのスンニ派のイスラーム教徒ですが、面白いことに女性はヴェールを被りません。成年男子だけです。この服装は砂漠の風と砂から身を守るためと、悪霊から身を守る(ウイキペディア英語版説)、厳格な階層社会なので目上の人を直視しない(lonely planet 説)ためなどの説があります。
なお、トゥアレグ人については後日もう少し詳しく紹介の予定です。

「忘れられない」編 現地ガイド24 スペイン

2023年08月11日 08時08分46秒 | 忘れられない

 1996年にスペインを訪れた時何かの弾みで現地ガイドに「あなたの国で現在、過去を通じて尊敬する人は誰ですか?」という質問をしました。このような質問は私自身に向けられても返事に困りますが、このときの現地ガイドはいとも簡単に「現国王ファン・カルロス」と答えてくれました。ビックリしました。27年前のことですから正確には覚えていませんが、その後7・8人に同じ質問をしたところ2人を除いてすべて同じ答え「現国王ファン・カルロス」でした。ますますビックリです。その理由を私なりに考えてみました。
 スペインでは1975年までフランコによる独裁ファッショ政治でした。彼の死後、彼の政治路線を引き継ぐ勢力と、社会党、共産党を中心とする民主勢力との対決が過去のスペイン内乱(1936~39)再来の危機になりました。そのとき今までフランコ側に担がれていたファン・カルロスは民主勢力の立場に立ち内戦の危機を救い現在のスペインの民主体制の礎を造ることになりました。これが「現国王ファン・カルロス」尊敬の理由だと思いました。
 そこで今回も同じ質問をすることにしました。今回も正確にはメモを取っていないので数字的には正確ではありませんが、20人くらいの現地ガイドに同じ質問をしました。今回は即座に「ファン・カルロス」と答えた人は比率的には少なく4・5人くらいでしたが、「たとえば、ファン・カルロスは」と水を向けると「勿論、多くのスペイン人は」という答えが返ってきました。両者で3分の2くらいになりました。
 2009年のスペイン旅行で違った答えをしたコルドバの現地ガイドイのザベルさんを紹介します。彼女の答えは「共和国派の人々」でした。ちょっとビックリです。1936年に合法的に成立した「人民戦線政府」に対してフランコが武力反乱を起し内乱(1936~39)となりついにフランコが勝利し、ファッショ独裁政治が成立し1975年まで続きました。彼女の「共和国派」というのはこの「人民戦線政府派」のことです。ちょっとビックリというのはスペインではこの「スペイン内乱」について語ることは一種のタブーだったからです。というのは内乱時にスペインの人たちは親子、兄弟、親戚が「フランコ派」と「人民戦線派」に分かれ骨肉相食むことになったからです。その痛みが内乱終結後も長く残り現在に至っています。彼女の父親は共和国側の人で彼女が4歳の時フランコ派に殺されたそうです。「人民戦線派」の人たちの生き残りの多くは外国に亡命しました。北欧に5人の人たちが逃れそれを記念しての5本の指の彫像が残されているそうです。彼女が成長して北欧に旅行しそれを見たとき涙を流したという話をしてくれました。
 スペイン内乱のとき「人民戦線派」に対して多くの国際義勇軍が参加しましたが、そのなかに唯一の日本人ジャック・白井(ただし日系アメリカ人)がいましたが、彼女は彼の名前を知っているといっていました。
 ついでにカトリック教の重要な考えのマリアの「無原罪懐胎」(マリアの処女懐胎)を信ずるかどうかも尋ねてみました。彼女の返事はあいまいでカトリック教徒であるので信じざるを得ないという感じでした。
 写真は彼女と同行の方です。この同行の方は英語が堪能で「スペイン内乱」についても関心をお持ちでした