ブータンでは原則としてお寺の内部は撮影禁止ですが、ここタシガンのクンザンヤブイム尼僧院では許されました。男女2体が合体した歓喜仏(ヤブユム)があるとは聞いていましたが、ここで初めて見ることができました。記憶が確かではありませんが多分ここだけで見たような気がします。
「地球の歩き方」は「密教には性的エクスタシーを悟りの境地を高めるという思想があり、歓喜仏はそれを具体化したものである」(65~66)と説明しています。
日本にもこの考えは伝わり真言宗立川流(現在は消滅したと考えられています)にそれを見ることができます。代表的な人物としては太平記にも登場する鎌倉幕府転覆を祈る「文観」がそうです。「関東調伏ノ為ニ、***加様ニ秘法ヲ修セラレルト也」(太平記巻一)
立川流の教義は、陰陽の二道により真言密教の教理を発展させたもので、男女交合の境地を即身成仏の境地と見なします。
「ブータンで信仰されているチベット仏教は密教で、俗っぽく、ユーモアや茶目っ気にあふれている。性的な表現が豊富なのは、性交渉もまた悟りにつながるという、密教の教えを反映しているのだろう。その思想を最も大胆に体現しているのが、『風狂の聖』として今もブータンで愛されている16世紀の高僧ドゥクパ・クンレだ。彼は田舎でどんちゃん騒ぎをし、悪魔を退治して自らの“燃えさかる稲妻”つまり男根で、娘たちを悟りに導いたという。今もブータンの家々には、クレンにちなんだ魔よけとして、巨大な男根像がきれいに彩色されてぶら下げられたり、壁に描かれたりする」(ナショナルジオグラフィック日本語版2008年3月号『岐路に立つブータン』p124)
男根はブータンでは「ポー」といいます。写真はパロで見かけました。「ポー」以外の絵については皆さん妄想をたくましくしてください。
これはマニ車(仏教)とヒンディー教の神様です。仏教とヒンディー教の平和共存ですね。今回の最後の旅程ブータン東南部国境の町サムドゥプ・ジョンカンをインドのグハティへ向かうインドの車に祭られていました。インドとブータンの友好のシンボルでしょうか。
よーく見てください、片手に数珠、もう一方にポータブルのマニ車です。沢山の御利益がありそうです。
ミチさんコメント有難うございました。ブータンはお勧めの地ですが、50年前までは車が一台もなかった国です。旅行業者の最大募集定員も16名ということで車、道路事情は推察できると思います。ただし現在道路の拡張工事が盛んに行われていますので、5年ぐらいすればかなり楽になるかとも思います。空港も今一つだけですが間もなくあと3つ出来るそうです。そうなればブータンはブータンではなくなる? はてどうしましょう。
タシガンという町の中心より少し外れたところにマニ車だけの建物がありました。左にマニ車が見えますが、右におじさんがいて食事の支度をしているようです。良く見ると右下にベットがあります。どうやらこのマニ車住みこみ管理人のようです。
正面にちょっと豪華な建物が見えますが、一般の民家です。ブータンの民家はこのように立派です。低開発国によく見られるような粗末なバラック建て家はほとんど見ませんでした。しかも壁はきれいな装飾が施されています。建物は原則3階建てです。3階は外にオープンで穀物などの保管場所になっています。屋根は前述のようにトタンです。
このドチュ・ラ(峠)からは天気が良ければブータン最高峰7570mのガンカプンズム山が見える予定でしたが、残念ながら写真のような状況でした。この山は未踏です。それは現在「登山永久禁止条例」ができたためです。1980年代初めに、外貨獲得の一大観光資源として登山が解禁されましたが、さまざまな紆余曲折があり結局は「禁止条例」になり現在に至っています。その間のいきさつについて興味のある方は「ブータンに魅せられて」p118~120(今枝由郎著)をご覧ください。
なおその中でちょっとおもしろい話があるので紹介しておきます。
農民の国王に宛てた直訴の文言。「仕事もない人たちの仕事のために、わたくしたちは自分たちの仕事ができません」
3150mのドチュ・ラ(峠)にある108基のチョルテンです。前国王の后妃が戦勝祈願のために2004年に作らせました。
この戦争はブータン南東部に接するインドのアッサム地方でインドからの独立を求めるゲリラがブータンにも入り込んだためにその掃討の戦争です。短期間に解決しましたが、その内容は国家機密だそうです。オックスフォードへの留学を1年先送りしたこの后妃の長男(現国王の弟)と共に現地ガイドブタさんはこの戦争に参加したそうですが、彼の話によると王は人を殺す戦争は嫌なので平和裏にここを立ち去ってほしいと交渉し話し合いで解決したとのことです。