家族との時間や仕事の時間。
その他にも色々と時間を過ごしております。
バンドをやらなくなったら、僕の半生は虚しいものになるし。
応援団は部活のようなものでもあり、社会活動です。
その社会活動を通して、色んな学校や会社さんに赴く機会がものすごく多いわけで、その毎回までとはいかないまでも、
(なんじゃこりゃ)
と思うことが少なくない。
何を言いたいかって、世の中の包容力の無さにムカついてんだな僕は。
先生だって人ですから間違うこともあるでしょうに。
だけど、たった一度の失言やミスで人生をひっくり返されるところまで叩かれたりする。
「世界はこんなにも広くて、みんなはこんなにも自由なんだ。」
そんなことを学校で話すことがあります。
本当にそう思ってるわけで、ニューヨークの人と結婚してさ、ブラジルで仕事したっていいわけじゃん。
自由なんだ、僕たちは。
社会は広い。
世界は広い。
それを言わなきゃいけないのは【大人】に対してなのかもしれないなぁとも感じます。
話を戻すとね、先生たちはたった一度のミスも許されない社会で生きています。
窮屈じゃねぇかなぁ。
「ごめん。先生、昨日はああ言ったけど間違ってた。ごめんなさい。」
「昨日、あんな風に言ってしまったんだけど。俺が間違っていた。なんとお詫びをしたらいいか。」
そんな「ごめんなさい」で全てヨシではないか。
なのに。
「どうオトシマエつけるんだ。」
とニワカ者がその時とばかりに迫るのであろう?
「君、どうするつもりかね?」
と出世のうまい奴にも上から言われて。
社会や世界は広いということを忘れてしまうのは大人だ。
だから、子どもにもそう伝わる。
今。
世の中に必要なのは包容力に他ならない。
先日、学級崩壊しているという小学校に呼ばれて行ってきました。
崩壊してなかった。
言うこと聞かない=崩壊
そう思ってんなら、崩壊してんのはお前達の方だボケ。
お前に足らんのは包容力ってことだよ、カス。
と大声で叫んであげるから、みんな、今日も頑張りましょう!
僕らは卒業式に呼ばれたもんで行ってきます。
サプライズだってことなので、コソコソと。
その他にも色々と時間を過ごしております。
バンドをやらなくなったら、僕の半生は虚しいものになるし。
応援団は部活のようなものでもあり、社会活動です。
その社会活動を通して、色んな学校や会社さんに赴く機会がものすごく多いわけで、その毎回までとはいかないまでも、
(なんじゃこりゃ)
と思うことが少なくない。
何を言いたいかって、世の中の包容力の無さにムカついてんだな僕は。
先生だって人ですから間違うこともあるでしょうに。
だけど、たった一度の失言やミスで人生をひっくり返されるところまで叩かれたりする。
「世界はこんなにも広くて、みんなはこんなにも自由なんだ。」
そんなことを学校で話すことがあります。
本当にそう思ってるわけで、ニューヨークの人と結婚してさ、ブラジルで仕事したっていいわけじゃん。
自由なんだ、僕たちは。
社会は広い。
世界は広い。
それを言わなきゃいけないのは【大人】に対してなのかもしれないなぁとも感じます。
話を戻すとね、先生たちはたった一度のミスも許されない社会で生きています。
窮屈じゃねぇかなぁ。
「ごめん。先生、昨日はああ言ったけど間違ってた。ごめんなさい。」
「昨日、あんな風に言ってしまったんだけど。俺が間違っていた。なんとお詫びをしたらいいか。」
そんな「ごめんなさい」で全てヨシではないか。
なのに。
「どうオトシマエつけるんだ。」
とニワカ者がその時とばかりに迫るのであろう?
「君、どうするつもりかね?」
と出世のうまい奴にも上から言われて。
社会や世界は広いということを忘れてしまうのは大人だ。
だから、子どもにもそう伝わる。
今。
世の中に必要なのは包容力に他ならない。
先日、学級崩壊しているという小学校に呼ばれて行ってきました。
崩壊してなかった。
言うこと聞かない=崩壊
そう思ってんなら、崩壊してんのはお前達の方だボケ。
お前に足らんのは包容力ってことだよ、カス。
と大声で叫んであげるから、みんな、今日も頑張りましょう!
僕らは卒業式に呼ばれたもんで行ってきます。
サプライズだってことなので、コソコソと。