絶滅と進化 -《絶滅した日本のゾウのはなし》
その「補遺編」として-(6)
絶滅と進化 古代ゾウの祖先のなかまいろいろ(その2)
メリテリュウム(Moeritherium)について(上)
メリテリュウムは、始祖ゾウとも呼ばれることがあります。前回取り上げたエリセリュウムはメリテリュウムよりも2000万年ほど昔に生存したゾウなど長鼻目の祖先と言われています。しかし、資料が大変少ないのですが、今回のメリテリュムも長鼻目の祖先として扱われていますが、こちらはエリセリュウムに比べますと、資料は比較的多いように思われます。どちらもゾウの祖先と言われましても、ホントかな~と考えてしまいます。
地質時代で言いますと、新生代の古第三紀始新世の末期(約4000万年前頃)から鮮新世の中期頃(約3500万年前頃)に生存していた長鼻類の始祖と言われています。その時代の北アフリカのエジプト、アルジェリア、リビアなどの大昔の地層からは、脊椎動物の化石が多く見つかっています。
メリテリュウムの最初の化石は、亀井節夫博士(かめいただお:1925-2014)によりますと、エジプト・アラブ共和国の首都カイロから南西へ約60㎞* 離れた都市ファイユームの盆地周辺で発見されたと言うことです。」
*実際には100~130㎞離れていると聞いています。
少し話が逸れますが、数日前、長野県信濃町野尻湖畔の「野尻湖ナウマンゾウ博物館」が改装されて、野尻湖発掘60周年記念展が開かれていますので資料を求めて出かけて来ました。
2階へ上がる階段の壁に、ゾウの仲間の祖先のイラスト(ゾウの系統樹:Evolutionary tree of
the Proboscidea )が大きく描かれていましたが、そこにメリテリュムもありました。絶滅動物図鑑で見かけるのと同じで、現生のゾウとは凡そ似ても似つかない、バグのような姿をしたメリテリユウムのイラストでした。
メリテリュウムと言う名は、亀井博士の説明(『日本大百科全書』)に依拠しますと、その化石が見つかったカイロのファイユーム盆地(現在、盆地全体を潤す開発が行われていると言う話を聞いたことがあります)近くにある「古い湖のメリ湖の名前から、メリ(Moeri)の獣(therium)という名前がつけられた」のだそうです。
一説には、盆地のメリ湖近くの何千万年前の太古の地層からメリテリュウムなどいろいろな絶滅獣の化石が出土していると言われています。
メリテリュウムの発見者については諸説あると思いますが、小生が調べたところでは、最初の発見者は、ロンドンのハムステッド(高級住宅街)に生まれ、ロンドン大学を出て、大英自然史博物館の地質学部門で、学芸員のような仕事をしていた若い古生物学者チャールス・ウィリアム・アンドリュース(Charles William Andrews:1866-1924)が、1901年にエジプトの首都カイロから南西におよそ100~130㎞離れた都市ファイユーム(英語表示でFaiyum)の盆地周辺で地質調査をしていて発見したようです。
脊椎動物(哺乳類)の古生物学者でもあったアンドリュースは、健康上の理由で1900年~1906年、冬季はエジプトで、同国地質調査所の若手研究者H.J.L.ビードネル(Hugu J.L.Beadnell:1874-1944)とともに地層の調査で過ごしていました。
その間、アンドリュースらは、ファイユーム地方の上始新世(Upper Eocene)、すなわち新生代の古第三紀(5600万年前~3390万年前頃)を三区分した二番目当たりの地形や地質研究を行い、見つかった鳥類や哺乳類、とりわけ長鼻目の化石を研究していたようです。
C.W.アンドリューの「メリテリュウム研究」については、わが国でも松本彦七郎博士(1887-1975)が注目して、1923年『米国自然史博物館紀要』(Bulletin of the American Museum of Natural History)に「メリテリュウムの情報に関する貢献」(A contribution to the knowledge of Moeritherium.)なる論稿を寄せています。
さて、そのメリテリュウムの体型ですが、体高(足元から肩までの高さ)約70㎝、胴長で頭から尻尾までは約200~300㎝、重さは約200~250㎏と、亀井博士などの表現を借用しますと、「大きなブタ」なしは動物園で見かける「バクぐらいの大きさ」だったと推測されています。また四肢は前肢、後肢とも短足で太く、イラストから推測する限りではカバの四肢によく似ているように思います。
顔や頭については、一般に口先から鼻そして顔・頭にかけてやや長かったようです。また長鼻類と言われているにしては鼻が短く、耳も小さく幾分上向きに描かれているものが多いです。とくに下顎の切歯(牙)は、いくつものイラストを見る限りでは、太く鋭いナイフ形になっています。
生態的には水陸両棲の生活をしていて水草などを餌とする草食性であったと考えられています。それにもかかわらず鋭いナイフ形の牙を持っていたのは水中の草だけでなく、森などで低木樹倒し、その樹皮や枝を切り裂いて餌にしていたのではないかとも考えられます。
メリテリュウムの化石から見た特徴についてですが、進化との関連で考えて見ることも大切です。とくに、このことは哺乳類の祖先に遡って調べる場合には大切なことだと言えます。
化石の研究で著名な古生物学者であり、また地質学者の井尻正二博士(1913-1999)は、1968年に出版された『化石』(岩波新書673)において、「哺乳動物の世界では、現生種でも化石でも、歯が分類や生態や進化をしるのに、もっとも重要な器官になっている。そして古生物では、哺乳動物の進化の道すじなどは、骨格よりはむしろ歯をたよりにして研究が進められている」(149頁)と述べています。
また井尻博士は、「歯というものは、その動物の生態、とりわけ食性にからんで独自の進化をするという一つの見解がある」(同頁)とも指摘されています。そこで、次稿ではメリテリュウムの歯について若干考えて見ようと思います。
その「補遺編」として-(6)
絶滅と進化 古代ゾウの祖先のなかまいろいろ(その2)
メリテリュウム(Moeritherium)について(上)
メリテリュウムは、始祖ゾウとも呼ばれることがあります。前回取り上げたエリセリュウムはメリテリュウムよりも2000万年ほど昔に生存したゾウなど長鼻目の祖先と言われています。しかし、資料が大変少ないのですが、今回のメリテリュムも長鼻目の祖先として扱われていますが、こちらはエリセリュウムに比べますと、資料は比較的多いように思われます。どちらもゾウの祖先と言われましても、ホントかな~と考えてしまいます。
地質時代で言いますと、新生代の古第三紀始新世の末期(約4000万年前頃)から鮮新世の中期頃(約3500万年前頃)に生存していた長鼻類の始祖と言われています。その時代の北アフリカのエジプト、アルジェリア、リビアなどの大昔の地層からは、脊椎動物の化石が多く見つかっています。
メリテリュウムの最初の化石は、亀井節夫博士(かめいただお:1925-2014)によりますと、エジプト・アラブ共和国の首都カイロから南西へ約60㎞* 離れた都市ファイユームの盆地周辺で発見されたと言うことです。」
*実際には100~130㎞離れていると聞いています。
少し話が逸れますが、数日前、長野県信濃町野尻湖畔の「野尻湖ナウマンゾウ博物館」が改装されて、野尻湖発掘60周年記念展が開かれていますので資料を求めて出かけて来ました。
2階へ上がる階段の壁に、ゾウの仲間の祖先のイラスト(ゾウの系統樹:Evolutionary tree of
the Proboscidea )が大きく描かれていましたが、そこにメリテリュムもありました。絶滅動物図鑑で見かけるのと同じで、現生のゾウとは凡そ似ても似つかない、バグのような姿をしたメリテリユウムのイラストでした。
メリテリュウムと言う名は、亀井博士の説明(『日本大百科全書』)に依拠しますと、その化石が見つかったカイロのファイユーム盆地(現在、盆地全体を潤す開発が行われていると言う話を聞いたことがあります)近くにある「古い湖のメリ湖の名前から、メリ(Moeri)の獣(therium)という名前がつけられた」のだそうです。
一説には、盆地のメリ湖近くの何千万年前の太古の地層からメリテリュウムなどいろいろな絶滅獣の化石が出土していると言われています。
メリテリュウムの発見者については諸説あると思いますが、小生が調べたところでは、最初の発見者は、ロンドンのハムステッド(高級住宅街)に生まれ、ロンドン大学を出て、大英自然史博物館の地質学部門で、学芸員のような仕事をしていた若い古生物学者チャールス・ウィリアム・アンドリュース(Charles William Andrews:1866-1924)が、1901年にエジプトの首都カイロから南西におよそ100~130㎞離れた都市ファイユーム(英語表示でFaiyum)の盆地周辺で地質調査をしていて発見したようです。
脊椎動物(哺乳類)の古生物学者でもあったアンドリュースは、健康上の理由で1900年~1906年、冬季はエジプトで、同国地質調査所の若手研究者H.J.L.ビードネル(Hugu J.L.Beadnell:1874-1944)とともに地層の調査で過ごしていました。
その間、アンドリュースらは、ファイユーム地方の上始新世(Upper Eocene)、すなわち新生代の古第三紀(5600万年前~3390万年前頃)を三区分した二番目当たりの地形や地質研究を行い、見つかった鳥類や哺乳類、とりわけ長鼻目の化石を研究していたようです。
C.W.アンドリューの「メリテリュウム研究」については、わが国でも松本彦七郎博士(1887-1975)が注目して、1923年『米国自然史博物館紀要』(Bulletin of the American Museum of Natural History)に「メリテリュウムの情報に関する貢献」(A contribution to the knowledge of Moeritherium.)なる論稿を寄せています。
さて、そのメリテリュウムの体型ですが、体高(足元から肩までの高さ)約70㎝、胴長で頭から尻尾までは約200~300㎝、重さは約200~250㎏と、亀井博士などの表現を借用しますと、「大きなブタ」なしは動物園で見かける「バクぐらいの大きさ」だったと推測されています。また四肢は前肢、後肢とも短足で太く、イラストから推測する限りではカバの四肢によく似ているように思います。
顔や頭については、一般に口先から鼻そして顔・頭にかけてやや長かったようです。また長鼻類と言われているにしては鼻が短く、耳も小さく幾分上向きに描かれているものが多いです。とくに下顎の切歯(牙)は、いくつものイラストを見る限りでは、太く鋭いナイフ形になっています。
生態的には水陸両棲の生活をしていて水草などを餌とする草食性であったと考えられています。それにもかかわらず鋭いナイフ形の牙を持っていたのは水中の草だけでなく、森などで低木樹倒し、その樹皮や枝を切り裂いて餌にしていたのではないかとも考えられます。
メリテリュウムの化石から見た特徴についてですが、進化との関連で考えて見ることも大切です。とくに、このことは哺乳類の祖先に遡って調べる場合には大切なことだと言えます。
化石の研究で著名な古生物学者であり、また地質学者の井尻正二博士(1913-1999)は、1968年に出版された『化石』(岩波新書673)において、「哺乳動物の世界では、現生種でも化石でも、歯が分類や生態や進化をしるのに、もっとも重要な器官になっている。そして古生物では、哺乳動物の進化の道すじなどは、骨格よりはむしろ歯をたよりにして研究が進められている」(149頁)と述べています。
また井尻博士は、「歯というものは、その動物の生態、とりわけ食性にからんで独自の進化をするという一つの見解がある」(同頁)とも指摘されています。そこで、次稿ではメリテリュウムの歯について若干考えて見ようと思います。