絶滅と進化-《絶滅した日本のゾウのはなし》
その「補遺編」として-(2)
はじめに、その2
前回に続いて、もう少し序説部分(はじめに)を綴っておきます。いまは、絶滅と聞くと「絶滅危惧種」などを思い浮かべます。たとえば、コアラ、パンダ、アフリカのゾウなど絶滅の危機あるはなし、そして野生環境問題等深刻なイメージが湧いて来ます。
およそ6600万年前の白亜紀末、恐竜を絶滅に追い込んだとされる巨大隕石(小惑星、微惑星)の衝突*については、アメリカをはじめ12か国の総勢41人の研究者によるチームの研究成果が報告されています。
文中*印:この分野については、松井孝典(東大名誉教授)『天体衝突 斉一説から激変説へ地球、生命、文明史』(講談社、2014年4月)、同氏「新版・再現!巨大隕石衝突 6500万年前の謎を解く」(岩波書店、2009年2月)、布施哲治『天体衝突の危機』(誠文堂新光舎、2013年10月)などが分り易い。
衝突した巨大隕石(小惑星)の大きさは直径約10キロ・メートルもあったと推定されています。それがメキシコ・ユカタン半島に衝突したと言うのです。発見されたクレーター(チクシュール・クレーターという)の大きさは何と直径が200キロメーターに及ぶとされています。地球上に生物種が顕れてから5回目の大絶滅(大量絶滅)事件をもたらした天体衝突です。
恐竜が地球上に生息したのは、2億3000万年前から6600万年前まで、約1億6000万年もの長い間だったと推測されています。一説では、この天体衝突によって、地球上至る所を闊歩していた恐竜たちが全て絶滅してしまったと言われています。恐竜だけではなく、その時代生きていた生物種のほとんどが同時に絶滅したと考えられます。このような同時絶滅現象を「大量絶滅」と呼んでいます。
その原因は、前述の地球への巨大隕石(天体、小惑星)の衝突ではないかと考える専門家の説もありますが、諸説あってはっきりしているわけではありませんから断定はできません。ユカタン半島の天体衝突で、その時代に生息していたであろうと考えられる生物(動植物)種、もちろん恐竜も含めてですが、その75パーセントが絶滅したと推測されています。
ところでもし、現在も地球上のどこかに恐竜が生息していたとしたらどうでしょう。われわれヒト(和名、学名はホモサピエンス)をはじめ、現在生息しているような哺乳類は存在しているであろうか(哺乳類そのものの誕生は2億3000万年前と言われていますが)。愚にもつかない戯言を考えたりもすることがあります。
いまでも日本には恐竜の化石が発見される地層、手取層群がありその筋の専門家の探索が続けられています。
さて、46憶年の地球史の中で、生命の誕生から38億年、とてつもない桁違いの「時間スケール」を考えて見ますと、恐竜で知られる福井県はもとより日本列島そのものが今の場所にあったわけではないのです。われわれが住む現在の日本列島の位置は、大陸のごく一部に過ぎなかったと考えられています。
恐竜が地球上にいたころ日本列島は存在していなかった筈です。では、いまでも恐竜化石が出る手取層群はどこから移動して来たのでしょうか。
一説によりますと、ユーラシア大陸の東縁、今の中国の沿海部から地球のいくつかの巨大な岩盤が緩やかに移動し、2000万年前頃には大陸から離れ始めたそうす。
湊正雄(1915-1984)監修の『〈目でみる〉日本列島のおいたち』(築地書館、1973(昭和48)年7月)によりますと、凡そ100万年の昔に、日本列島の今の形に近づいたとみられています。つまり、現在、福井などで産出する恐竜化石は、日本列島がまだ大陸の一部だった時代に地層に閉じ込められた後に、2000万年もの気の遠くなるほどの時を刻んで現在の日本列島の位置に移動して来たものと考えられています。
顕生代初めの爆発的動物多様化の研究で知られる古生物学者であり、日本を代表する地質学者である磯崎行雄(1955-)東大名誉教授は、「38億年の生命の歴史の中で、化石として残りやすい硬い殻や骨をもつ生物が一斉に現われたのはほんの5.5億年前。ちょうど三葉虫があらわれた頃だ。そこで、それ以降を生物がいたことが明らかという意味で顕生代と呼び、それ以前の約40億年間に及ぶ化石不毛の先カンブリア時代と区別する」ことが出来ると言われています。専門家によりますと素人では気の遠くなるような億年単位も、「ほんの5.5億年」なんですね。驚きます。
そして磯崎教授は、顕生代または顕生累代は「三葉虫などが繁栄した古生代、恐竜やアンモナイトが栄えた中生代、哺乳類などの新しいタイプの生物が発展した新生代の3つの時代に分けられる」と述べています。
磯崎教授によりますと、次のようにも言われています。すなわち「これら3つの時代の間には、地球上のさまざまな環境にくらす多様な生きものが、世界中で、それも短期間のうちに消滅した大きな境界(古生代/中生代境界と中生代/新生代境界)がある。このように陸上の大型動物や植物、また海洋の魚類や各種プランクトンなどが一斉に絶滅することを大量絶滅と呼ぶ。パンダやクジラといった限られた地域の特殊な種の絶滅とは区別される」、と説いています。そして、顕生代には少なくとも5回「大量絶滅事件」が発生していると指摘されています。
しかし磯崎教授は、5回目の巨大隕石が地球に衝突した説に対して、以下のように疑問も述べています。「この背景には、地球規模での環境の変化があったとされるが、その原因はまだよくわかっていない。巨大隕石衝突説もその根拠の大半が疑問視されて」いるとも述べています。
そして「多くの研究者は地球全体の寒冷化による海水準の低下や生息域の減少、海水の組成の変化、大気酸素の減少、二酸化炭素過剰などに注目して」おり、いまなお、地球内における原因の究明がなされているのです。
その「補遺編」として-(2)
はじめに、その2
前回に続いて、もう少し序説部分(はじめに)を綴っておきます。いまは、絶滅と聞くと「絶滅危惧種」などを思い浮かべます。たとえば、コアラ、パンダ、アフリカのゾウなど絶滅の危機あるはなし、そして野生環境問題等深刻なイメージが湧いて来ます。
およそ6600万年前の白亜紀末、恐竜を絶滅に追い込んだとされる巨大隕石(小惑星、微惑星)の衝突*については、アメリカをはじめ12か国の総勢41人の研究者によるチームの研究成果が報告されています。
文中*印:この分野については、松井孝典(東大名誉教授)『天体衝突 斉一説から激変説へ地球、生命、文明史』(講談社、2014年4月)、同氏「新版・再現!巨大隕石衝突 6500万年前の謎を解く」(岩波書店、2009年2月)、布施哲治『天体衝突の危機』(誠文堂新光舎、2013年10月)などが分り易い。
衝突した巨大隕石(小惑星)の大きさは直径約10キロ・メートルもあったと推定されています。それがメキシコ・ユカタン半島に衝突したと言うのです。発見されたクレーター(チクシュール・クレーターという)の大きさは何と直径が200キロメーターに及ぶとされています。地球上に生物種が顕れてから5回目の大絶滅(大量絶滅)事件をもたらした天体衝突です。
恐竜が地球上に生息したのは、2億3000万年前から6600万年前まで、約1億6000万年もの長い間だったと推測されています。一説では、この天体衝突によって、地球上至る所を闊歩していた恐竜たちが全て絶滅してしまったと言われています。恐竜だけではなく、その時代生きていた生物種のほとんどが同時に絶滅したと考えられます。このような同時絶滅現象を「大量絶滅」と呼んでいます。
その原因は、前述の地球への巨大隕石(天体、小惑星)の衝突ではないかと考える専門家の説もありますが、諸説あってはっきりしているわけではありませんから断定はできません。ユカタン半島の天体衝突で、その時代に生息していたであろうと考えられる生物(動植物)種、もちろん恐竜も含めてですが、その75パーセントが絶滅したと推測されています。
ところでもし、現在も地球上のどこかに恐竜が生息していたとしたらどうでしょう。われわれヒト(和名、学名はホモサピエンス)をはじめ、現在生息しているような哺乳類は存在しているであろうか(哺乳類そのものの誕生は2億3000万年前と言われていますが)。愚にもつかない戯言を考えたりもすることがあります。
いまでも日本には恐竜の化石が発見される地層、手取層群がありその筋の専門家の探索が続けられています。
さて、46憶年の地球史の中で、生命の誕生から38億年、とてつもない桁違いの「時間スケール」を考えて見ますと、恐竜で知られる福井県はもとより日本列島そのものが今の場所にあったわけではないのです。われわれが住む現在の日本列島の位置は、大陸のごく一部に過ぎなかったと考えられています。
恐竜が地球上にいたころ日本列島は存在していなかった筈です。では、いまでも恐竜化石が出る手取層群はどこから移動して来たのでしょうか。
一説によりますと、ユーラシア大陸の東縁、今の中国の沿海部から地球のいくつかの巨大な岩盤が緩やかに移動し、2000万年前頃には大陸から離れ始めたそうす。
湊正雄(1915-1984)監修の『〈目でみる〉日本列島のおいたち』(築地書館、1973(昭和48)年7月)によりますと、凡そ100万年の昔に、日本列島の今の形に近づいたとみられています。つまり、現在、福井などで産出する恐竜化石は、日本列島がまだ大陸の一部だった時代に地層に閉じ込められた後に、2000万年もの気の遠くなるほどの時を刻んで現在の日本列島の位置に移動して来たものと考えられています。
顕生代初めの爆発的動物多様化の研究で知られる古生物学者であり、日本を代表する地質学者である磯崎行雄(1955-)東大名誉教授は、「38億年の生命の歴史の中で、化石として残りやすい硬い殻や骨をもつ生物が一斉に現われたのはほんの5.5億年前。ちょうど三葉虫があらわれた頃だ。そこで、それ以降を生物がいたことが明らかという意味で顕生代と呼び、それ以前の約40億年間に及ぶ化石不毛の先カンブリア時代と区別する」ことが出来ると言われています。専門家によりますと素人では気の遠くなるような億年単位も、「ほんの5.5億年」なんですね。驚きます。
そして磯崎教授は、顕生代または顕生累代は「三葉虫などが繁栄した古生代、恐竜やアンモナイトが栄えた中生代、哺乳類などの新しいタイプの生物が発展した新生代の3つの時代に分けられる」と述べています。
磯崎教授によりますと、次のようにも言われています。すなわち「これら3つの時代の間には、地球上のさまざまな環境にくらす多様な生きものが、世界中で、それも短期間のうちに消滅した大きな境界(古生代/中生代境界と中生代/新生代境界)がある。このように陸上の大型動物や植物、また海洋の魚類や各種プランクトンなどが一斉に絶滅することを大量絶滅と呼ぶ。パンダやクジラといった限られた地域の特殊な種の絶滅とは区別される」、と説いています。そして、顕生代には少なくとも5回「大量絶滅事件」が発生していると指摘されています。
しかし磯崎教授は、5回目の巨大隕石が地球に衝突した説に対して、以下のように疑問も述べています。「この背景には、地球規模での環境の変化があったとされるが、その原因はまだよくわかっていない。巨大隕石衝突説もその根拠の大半が疑問視されて」いるとも述べています。
そして「多くの研究者は地球全体の寒冷化による海水準の低下や生息域の減少、海水の組成の変化、大気酸素の減少、二酸化炭素過剰などに注目して」おり、いまなお、地球内における原因の究明がなされているのです。
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